弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

中国

2025年7月19日

中国手仕事紀行


(霧山昴)
著者 奥村 忍 、 出版 青幻舎

 中国各地に行って民芸品を買い付け、日本で売るのを仕事をしている著者が、中国での買い付けに至る状況をルポしています。30年以上も中国に渡って、民芸品を買い付けているのです。すごいですね。各地の言葉を話せるのでしょうか...。
 どの町にも路地裏があり、そこにはおだやかな暮らしの時間がある。この本で見られる写真は、その光景をまざまざと伝えてくれています。
この本では、中国のなかでも秘境・絶景と呼ばれる場所がそこかしこにある雲南省、そして最貧の省とも呼ばれ、独自の文化を今なお残す貴州省の2省が紹介されています。
 土地を歩き回りながら、五感で感じとる。たくさんの刺激をかつて手仕事を探して旅をした先人たちも感じてきたのだろう。
 雲南省は中国も南の方に位置する。南の低地はプーアル茶の産地として知られる。雲南省には25の少数民族の居住区がある(全国で55の少数民族がいる)。
 省都の昆明は日本読みで「コンメイ」、現地読みは「クンミン」。
 雲南省には、銅鍋がある。たとえば、ごはん鍋。
 プーアル茶は、生茶と熟茶の二つに大別される。生茶は本来のお茶。熟茶は、最近つくられるようになったお茶。日本で飲むのは、大量生産しやすい熟茶。
雲南省のタイ族やシャン族には入れ墨の文化があり、蛇、虎、龍といった信仰のモチーフを彫り込む。
 雲南省の人は麺をよく食べる。それも米でつくった麺が主流。
チベット族の人々は、チベット自治区だけでなく、雲南省、四川省、青海省と、かなり広い範囲に及んでいる。
 ヤク肉は普通に煮ると硬くて食べられたものじゃない。一度冷凍して細胞を壊して柔らかくするのがポイント。
 昆明には世界最大と言われる野生菌市場があり、24時間、絶えずどこからかキノコが届き、またそれを求める人たちでにぎわっている。シロアリの巣の上に生えてくるキノコがあり、とにかく食感が良い。まあ、私はあまり食べようという気になりませんでした。
 貴州省には、太陽が貴重なので貴陽という名前がついた町がある。
 「天に三日の晴れなし、地に三里の平地なし、民に三分の銀もなし」と言われるほど、曇りと雨が多い。
 中国映画『山の郵便配達』は、私も観ましたが、映画に出てくる風景がここかしこに見られるところがあるそうです。
トン族伝統の食材はウシやヤギの胃の消化液から成る。草を食べる動物の胃の消化液なので草が溶けたドロドロの汁。苦くて変わった味だけど、食べ慣れると、クセになる味。
貴州省では、闘鳥が盛ん。鳥かごで小鳥を飼うが、そのエサでありこおろぎを入れておくために古くから使われているのが、こおろぎかご。竹細工の工芸品。ベトナムでは、まるまると太ったこおろぎの唐揚げは、レモングラスと一緒に食べると、最高にうまい。ところが貴州省は虫食は盛んなのに、なぜかこおろぎは食べない。
貴州省のたれは独特。ドクダミの根と焦がし唐辛子が入っているのがスタンダード。クセの強い香りに驚くが、慣れてしまうと、これ抜きでは物足りなさを感じるようになる。
中国の最奥地まで足をのばして民芸品を買い付けているわけです。たいした度胸がありますよね...。
(2025年1月刊。2700円+税)

 「日本人ファースト」を掲げる参政党は外国人排斥です。外国人の犯罪が増えているというのですが、私たちは、アメリカの軍人がとりわけ沖縄で重大犯罪(強姦殺人など)をしても、実は多くの事件で冤罪されている現実があります。さっさとアメリカに帰ってしまうのです。そして、民事賠償責任を負っても本人は負担せず、日本政府が肩代わり負担している現実もあります。そもそもアメリカの軍人や政府要人は横田基地から入国して、入管のチェックを受けていないのです。信じられない現実です。
 外国人の犯罪を問題にするのなら、まずはアメリカ軍人の犯罪が沖縄で繰り返されていること、そしてそれは、あたかも治外法権のようになっているアメリカ軍基地があるからだという現実を直視すべきだと思います。そもそも日本にアメリカ軍の基地は必要なのですか?アメリカ軍の基地と軍人の維持のための「思いやり予算」って、全廃していいのではありませんか?日本の国の根本に関わることは問題とせず、身近な人を敵視するような参政党はまったく信用できません。

2025年7月12日

中華満腹大航海


(霧山昴)
著者 酒徒 、 出版 KADOKAWA

 まだ30代も初めのころ、初めてのヨーロッパ旅行でした。スイスのジュネーブに夜も遅く着いたのに、みんな腹ペコなのです。みんなで町に出てレストランを探しました。やっと見つけたのが中華料理店です。いやあ、中華料理というのはヨーロッパで食べても日本と同じ味がするんだ...と感激しました。慣れた味ですから、まったく違和感もなく満ち足りてホテルに戻りました。その後、アメリカでもチャイナタウンに行きましたが、そこも日本と同じ日本でした。  
著者はなんと、毎日、中華料理を食べる生活を送りたくて中国に留学したそうです。いやあ、それはすごい。よほど胃腸が丈夫なのでしょうね。
 この本は、奥地をふくめて中国各地に出かけて、その大地の名物料理を食べて紹介しています。いかにも美味しそうな料理の写真がたくさんあって、なるほどなるほど、これは変わっているけれど、うまそうだなと思わせます。
 中国の都市のトップバッターは上海です。私も2度行きましたが、とてつもない大都会です。人口2500万人という、中国最大にして世界最大級の国際都市です。個人経営のローカル店は家賃高騰、強制立ち退き、営業取り締まりの強化などから次々に姿を消してしまったとのこと。きっとそうだと私も思います。上海ならではの炊き込みご飯はラードを使ったもの。
 次は雲南省。ここでは漢族は少数派。ここでは、レモン鶏の料理。そして、牛肉の激苦スープ。ところが、この苦みが、あるところでスッと消えてしまう。むしろ、さっぱり爽やかな清涼感が残る。ニガウリの苦さのようなものでしょうか...。
ここの名物にドクダミの地下茎の黒酢漬けというのがあるそうです。ドクダミなら、わが家にもたくさん生えているのですが、まさか食べるとは...。
 広州市では湯(タン。スープ)にこだわりがある。ここでは食事の初めに、まずスープを飲むのが決まり。漢方薬の素材をスープとしているので、薬膳スープを飲んでいるようなもの。
 飲茶の真価は、のんびりお茶を飲みながら、ボーッと一人で考え事をしたり、家族や友人と語らったりする時間にこそある。ふむふむ、なるほど、ですね。
福建省の厦門(アモイ)では、サメハダホシムシを食べる。海底の砂地にすむ大きなミミズみたいな生物。食感はプリンプリンで、旨味(うまみ)は上品。
ウイグル自治区のトルファンには私も一度行きました。孫悟空の火焔(かえん)山のあるところです。トルファンでは禁酒のウルムチと違って、ビールやワインには寛容。ここでは、コシのある麺が食べられる。
 山車省の青島(チンタオ)は、なんといっても青島ビール。コクのあるビールが飲める。賞味期限は、なんとわずか6日間。
 湖南省の長沙市は毛沢東の生家に近い。湖南人は、1年に1人50キロもの唐辛子を消費する。ええっ、ホントですか...。
蘇州や上海では羊肉と山羊肉を区別せず、どちらも羊肉と呼ぶ。いやあ、この二つ、違うんじゃないでしょうか...。
 たしかに、この本の写真を見て、解説を読むと、中華料理といっても、いかにも幅広く、底も深いということが実感できます。こんな豊かな食生活をもっている中国と「戦争」するなんて、とんでもないことです。いたずらに「台湾有事」をあおりたて、今にも中国からミサイルが飛んでくるかのような危機をあおり立てるのはぜひやめてほしいです。
 みんなで仲良く、ゆっくり中華料理を堪能したいものです。
(2024年12月刊。1870円)

 いま、日本の食料自給率は38%です。参政党は「自給率100%」にするとしていますが、まったく不可能なことです。農業を営む人を大切にする、減反をやめて、米作を増産するという地道な政策こそが求められていると思います。
 出来もしないことを公約にかかげる参政党はまったく信用できません。

2025年6月21日

漢字はこうして始まった。族徴の世界


(霧山昴)
著者 落合 淳思 、 出版 ハヤカワ新書

 3000年以上前、中国最古の王朝「殷(いん)」で発明され、部族固有の徴章(シンボル)として青銅器に鋳(い)込まれた原初の漢字、「族徴」を紹介した新書です。
 かつて殷代の社会は氏族制だと考えられていた。実際の血縁で結ばれた集団が社会を構成していると考えられていた。しかし、近年の研究では、「氏族(クラン)」とは、必ずしも実際の血縁ではなく、仮想の祖先説話によって結合している集団だと考えられている。「同じ血筋である」という概念を共有する集団だと考えられている。その象徴のひとつとして族徴が用いられる。
 複数の血縁集団が仮想の祖先を共有して、氏族を形成したら、実際の血縁関係がないので、氏族の結束を強固にする必要がある。そこで、氏族を象徴する族徴が必要とされた。そのうえで、実際の血縁で結ばれた氏族にも族徴が普及したと考えられる。
 殷が滅亡したあと、殷系の諸族は文化を維持し、族徴を使い続けた。しかし、次の周の文化では族徴を使うことはなかった。その代わり、より大きな単位として、「姓」という社会組織を持った。姓は結婚に関わる組織であり、結婚は必ず異姓の間でなされ、同姓同士は結婚できなかった(同姓不婚の原則)。春秋戦国時代になると、族徴は使われなくなった。
 族徴は、家族(リネージ)よりも大きな単位である氏族(クラン)を表示する機能を有していた。
 族徴は青銅器だけでなく、印章(印鑑)にも使われた。族徴は漢字の一種であり、「徴」は「しるし」という意味のコトバ。
動物に由来する族徴がある。牛は貴重品だった。中国には黄河流域にも長江流域にも象が生息していた。黄河流域には虎も生息していて、人々に恐れられていた。
 殷王朝は戦車を主力兵器としていた。大諸侯は千台ほどの戦車を保有していた。
 皇帝は気前よくばらまくことが求められた。そして、この「ばらまき」に適した「威信財」として、宝貝が多用された。宝貝は、王のみが入手でき、王が与えるものだった。
青銅器に剛り込まれた古代文字を解読していくのも楽しそうですね...。
(2025年2月刊。1240円+税)

2025年6月 8日

10の国旗の下で


(霧山昴)
著者 エドガルス、カッタイス 、 出版 作品社

 戦前、日本が植民地として支配していた満州に生きたラトヴィア人の自伝です。ハルビンに生まれ育ったのでした(正確には、1923年2月、現在のモンゴル自治区で生まれた)。父親は満州の鉄道で働く技師。そして1926年からハルビンに勤めたのです。ソ連は東清鉄道の一部をロシアの遺産として引き継いでいました。
 ハルビンには、日本敗戦後の1950年代半ばまで外国人が数多く居住していた。ロシア正教会が26、ユダヤ教のシナゴーグが2、イスラム教のモスクが1、カトリック教会が2、ルーテル教会が1、それからアルメニア・グレゴリア教会もあった。ハルビンで中国人と結婚する白人はほとんどいなかった。いずれもロシアからの移住者の寄付によって建設された。こんなにあったのですね。
1929年、東清鉄道をめぐってソ連と中国が衝突した。しかし、中国軍はソ連の軍事力にかなわなかった。
 1931年9月、8歳の著者はYMCA(学校)に通うようになった。英語は毎日の必修。
1931年9月、柳条湖事件が起きて、満州事変が始まった。中国人は義勇軍を結成して日本軍と戦った。敵(日本軍)の銃弾を避ける呪文(じゅもん)を記した赤い紙片を自家製の酒に浸して飲み込んだ中国人たちが、日本軍の機関銃や戦車に体当たり攻撃していき、たちまち死体の山を築いた。
 1932年2月。著者はハルビンで初めて日本軍の兵士を見た。3月から、著者は「満州」に住むことになった。1934年3月、満州帝国が成立した。
このころ、ハルビンには、白系ロシア人とソビエト・ロシアの核をなす鉄道員という、相反する大きなコミュニティがあった。
 日本人は、満州に埋葬しなかったので、日本人墓地はない。
日本人は娘に花子と名づけるのをやめた。花子は、中国語で物乞いの女を意味したから。
1935年、ソ連は所有していた東清鉄道の一部を満州国政府にわずか1億4千万円で売却した。鉄道から手を引いたソ連は、以後、満州での影響力を失った。
 このころ、ハルビンは建設ラッシュだった。ハルビンのタクシー運転手のほとんどはロシア人だった。ロシア人も日本人と同じく、子どもを大切にし、教育を重視した。ロシア人のお祝いは、クリスマスと復活大祭。
ユダヤ人は、満州にも、上海や天津などの都市に数千人規模で居住していた。日本人はユダヤ人を迫害しなかった。
 満州に移住したラトヴィア人の大多数は、第一次世界大戦時とロシア革命後の難民になった。満州の大学を卒業したあとの職として公務員が人気だった。著者は、北満学院で働くようになった。
 1945年8月15日。日本の降伏から数時間すると、ハルビンの大通りに中国の国旗がはためきだした。ロシア人も自警団を組織して武装した。やがてソ連軍が進駐してきた。
 大半の中国人は、ソ連軍を心底から歓迎した。時計は、ソ連兵によって夢のまた夢のようなもので、時計に対して常軌を逸した渇望があった。
日本の手先になっていたと告発(密告)された白系ロシア系は一斉に弾圧された。
 1945年末に、ハルビン工業大学が再開された。授業はロシア語だった。著者は、ここで中国語を教えた。
 1946年6月、ハルビンの近くを蔣介石の国民党軍を支配した。
 1948年には毛沢東の人民軍が反撃して、電灯がともった。
1948年末、共産党が満州の支配を固めると、モスクワから研修生がやって来た。
1949年4月、蔣介石は台湾に逃げ出した。国民党の軍人も役人も汚職にまみれていた。
 10月1日、中国が成立した。著者は中国で10年間働いたとき、納税の義務はなかった。
 1950年6月、朝鮮戦争が勃発した。ソ連から派遣された確かな知識をもつ学者たちが、中国の発展に寄与したことは間違いない。
1953年3月、ソ連でスターリンが死んだ。
そもそもラトヴィアは「バルト三国」の一つ。それがどうして中国にまで流れてきたかというと、ソ連に支配されていたから。そんなラトヴィア人の若者が満州でずっと育って戦中・戦後を生きのび、その目で見たハルビンの様子が紹介されています。満州の一断面を知ることができました。
(2024年11月刊。2900円+税)

2025年1月 5日

宋美齢秘録


(霧山昴)
著者 譚 璐美 、 出版 小学館新書

 ドラゴン・レディとも呼ばれる蔣介石夫人の栄光と挫折の人生を紹介した新書です。
ドラゴン・レディと呼ばれる有名な中国人女性は2人。もう一人は、清朝末期の西太后。パワフルで狡滑、短気で傲慢的、神秘的なアジア人の女傑を表わすコトバ。
宋美齢は三女で、軍人の蔣介石と結婚した。長女の宋靄齢(あいれい)は財閥の孔祥煕(こうしょうき)と結婚し、二女の宋慶齢は革命家の孫文と結婚した。
 両親は富豪でクリスチャン。上海で生まれたが、父の教育方針で、兄弟姉妹6人全員がアメリカで学校教育を受けた。
孫文が宋慶齢と出会ったのは亡命先の日本。二人は英語で会話しただろうとみられています。孫文は広東語、慶齢は上海語を話し、お互い外国語のように通じないからです。
 ところが、孫文は52歳、慶齢は22歳なので、30歳も離れているのに二人は結婚に踏み切ったのでした。
 蔣介石は勉強嫌いで、落ち着きがなかった。蔣介石もまた日本に留学した。清国人専門の軍事基礎学校・東京振武学校に入学した。蔣介石が孫文を助けたことから孫文に重用され、1924年、黄埔(こうほ)軍官学校の校長に任命された。軍人教育の仕事は蔣介石にとって天職だった。
 1927年12月、蔣介石40歳は29歳の宋美齢と結婚した。蔣介石は宋一族の一員に加わったことから、軍資金が得られるようになった。
 1936年12月、西安事件が発生。張学良が蔣介石を拉致監禁した。このとき、宋美齢も西安に乗り込み、蔣介石の解放のために動いた。
 宋美齢はアメリカに向かって、またイギリスに向かって得意の英語を駆使して激しい日本批判を展開した。
 アメリカのスティルウェル中将は蔣介石と「水と油」の関係だった。「蔣介石は無能で、アメリカが支援する価値なし」という報告書をルーズベルト大統領に提出した。スティルウェルは、国民党政府の汚職体質と、蔣介石の身勝手なやり口に腹を立てていた。
1943年2月、宋美齢は全米を講演してまわった。侵略国である日本の印象が悪化し、中国に同情する世論が高まった。
 1937年から1940年ころ、中国には四大財閥があった。宋靄齢の夫・孔祥煕の孔家、宋子文の宋家、蔣介石の蔣家、それに陣果夫の陳家。
 国共内戦に負けたあと蔣介石は台湾に移り、宋美齢のほうはアメリカに住んだ。そこは、東京ドーム3倍超の豪邸。
 2003年、105歳で宋美齢は死亡。ニューヨーク州の高級墓地には、宋美齢の墓石そのものはない。
 ドラゴン・レディの実体を少し知ることができました。
(2024年6月刊。1100円+税)

2024年11月 3日

清代知識人が語る官僚人生


(霧山昴)
著者 山本 英史 、 出版 東方書店

 中国には「陞官発財(しょうかんはつざい)」という言葉がある。役人になって金を儲けることを意味する。
 警察を含めて官庁に裏金があり、大問題になったことがあります。ところが、自民党の国会議員が何千万円、いえ何億円もの裏金を手にしていたことが暴露されても、それを恥じて辞めた議員はいませんし、自民党の総裁選の9人の候補者は全員が裏金問題は済んだことと知らん顔をしています。まさしく無恥厚顔の党です。こんな政党に票を入れてはいけません。そして、投票所に行かないのは、自民党に投票するのと同じです。
子どもは、勉強を始めると、儒教の基本教典を丸暗記させられる。
 童試という試験は三段階。県試、府試、院試。県試の最初の試験は、夜明けに試験場に入り、日が暮れる前に答案を提出する、丸一日の試験。
 試験の不正もあった。カンニングペーパーの持ち込み。そのため、世界最小の印刷物が生まれた。替え玉受験もあった。本人確認が難しい時代なので、案外簡単だった可能性がある。童試に合格すると、生員になれる。庶民と違った扱いを受ける。
 清朝は中国支配のため、科挙を復活させた。試験本番は2泊3日、独房のような、窓も何もない小さな部屋にこもって答案を作成する。この2泊3日を3度も繰り返すので、6泊9日を過ごすことになる。ほとんどの受験生が徹夜の状態。そして、丸々3日間、試験官以外は誰とも話してはいけなかった。
 科挙を受験するのは14万人ほどで、そのうち全国で1400人前後の挙人が誕生した。会試に合格すると、1ヶ月後に殿試がある。そして、最優秀者は「状元」という称号が与えられた。清朝268年間に、状元は114人が誕生した。
中国の知識人は、身なりを整えた者が酒に酔い潰れている姿を見るのを昔も今も嫌がる。
 中国の県は、現代日本の感覚では「市」に近い。役所の置かれた場所は県城と呼ばれ、城壁で囲まれた町の中心にある。知県は、地元を直接に統治するので、地方官とも呼ばれた。知県の二大業務は、銭殻と刑名。銭殻とは、住民税を中心とする財務行政。刑名とは、裁判を中心に紛争を解決し、治安を維持する司法行政のこと。
 知県は、硬軟両方の措置を講じて租税を確保しなければならない。思うように徴税できない知県の責任は重大で、厳しい処分が待っている。
 裁判のときは、入れ知恵し、訴訟をそそのかす訟師(しょうし)という生員崩れの専門家が背後にいることが多い。裁定(判決)を下すのが、月に40件、年に300件くらいあった。知県の午後は、訴訟の審理に当てられる。知県の俸禄(給料)は70万円ほど。
 中国では、伝統的に官僚の給料は著しく低い額に抑えられていた。
 知県は実質的な収入が莫大なものになった。年に2~3万両の給料をもらえた。官僚の世界での上司対処のコツは、敬意と忠謹にあると考えている。
 官僚は全員、3年ごとに勤務評定を受けた。不謹(不真面目)、罷軟無為(無気力)、浮躁(軽率)力不足、年老、有疾の6ランクがある。清朝の官僚には定年退職の規定がなかった。
 清朝時代の官僚の実際を知ることのできる本でした。
(2024年4月刊。2400円+税)

2024年10月13日

モンゴル帝国


(霧山昴)
著者 楊 海英 、 出版 講談社 現代新書

 チンギス・ハーンの創設したモンゴル帝国で、カギを握っていたのは、実は女性だったという視点に貫かれた新書です。最後まで興味深く読み通しました。
 モンゴルの女性は、遠征や大ハーンを選出する政治集会やクリルタイや宮廷行事に参加していただけでなく、多くの場合、むしろ主催者だった。遊牧社会の経済を牛耳り、日常的に運営していたのは女性。男性は戦士であり、家庭の日常的な経済運営には関わらない。経済と子育て、一家の独立自強を支えているのは女性。
 モンゴルの男たちは、みなマザコン。モンゴルなど、ユーラシアの遊牧民は娘を溺愛する。
 チンギス・ハーン家と有力な貴族家との婚姻関係は双方向だった。モンゴル帝国が成立したあと、チンギス・ハーン家の娘たちは、草原の慣習法を背負いながらイスラム世界に嫁ぎ、かの地で子どもを育て、政治と軍事活動に加わった。
女性は、独自の天幕(ゲル)式宮殿おルド(宮帳)を持っていた。オルドには、多くの家臣と将軍が陣取り、複数の千戸軍団を指揮し、応範囲にわたって経済活動を展開した。猟は男性の遊びであり、軍事訓練でもある。
 モンゴルの男性は、7歳くらいから猟に加わる。天幕の前で馬糞を燃やして人間の匂いを消し、馬の腹帯をしっかりと締めてから出発する。
 族外婚の制度を実施する遊牧民は、なるべく遠くから嫁をもらう習慣を古代から現代に至るまで維持する。無理矢理の略奪婚でも、数日後には同じように正式の手続きを進めていかなければいけない。今日でも、結婚式は、略奪婚時代のしきたりに従って挙げられる。略奪婚は儀式と化して残っている。
チンギス・ハーンの本名であるテムージンとは、「鉄のように強い男」という意味。
モンゴルの女性は、ウバジャルタイという野生の果物の汁を顔に塗って、赤く見せていた。
 遊牧民の世界では、部下の功績に対して公平に賞与を与え、戦利品を平等に分配することがなによりも重要なこと。
 遊牧民の天幕は太陽の方向に門が開くように設営される。家の主人は天幕の北側に南面してすわる。主人の右側は男性のエリアで、左は女性の世界。主人の左に陣取る夫人たちも南に向かってすわる。侍女たちは北に向かって食事を用意したりして働く。
 現代に至るまで、モンゴルの男性は、旅するときに自分専用の椀と食事用のナイフ類を持参する。
 ユーラシアの遊牧民社会において、人間は父方から骨を、母方から肉を受け継ぐとされている。貴族は「白い骨」、庶民は「黒い骨」だと分類される。
チンギス・ハーンの遺体は故郷にもち帰られ、オノン河の西にそびえ立つブルハン山の頂上、万年雪をいただく峰々のなかに埋葬された。ええっ、大草原の地下深くに埋められ、地上部分は見事に整地されて誰にも分からないようにされたと聞いていましたが...。
 高麗の出身者は、モンゴル人の大元ウルスの宮廷において多数派を占めるようにまでなった。ユーラシアの遊牧民社会のオルド(宮帳)に宦官はいなかった。そして、高麗出身の宦官と宮女が主力となった。
 著者はモンゴル人として生まれ、日本に帰化しています。中国人(漢人)がモンゴル人を大量に虐殺した過程をたどった本の著者でもあります。
(2024年7月刊。1300円+税)

2024年9月22日

恐竜大陸・中国


(霧山昴)
著者 安田 峰俊 、 出版 角川新書

 世界でもっとも恐竜が見つかった国は、アメリカでもカナダでもなく、中国。これまで322種が発見され、毎年10種もの新種の恐竜が報告されている。いやあ、これは驚きですね...。
 ティラノサウルスやトリケラトプスなどの仲間の起源が中国大陸にあったことも判明した。ということで、中国は、今や世界一の恐竜大国だ。
 中国の恐竜名は「龍」を「ロング」としたり「ロン」としたり混在している。
 中国では年に20体ほど、恐竜の全身化石が見つかっていて、ありふれた現象になっている。
 これまで、中国で恐竜化石発見には、農民が必ず登場していた。ところが、今ではネット社会なので、インフルエンサーが活躍している。
 恐竜の卵の化石を発見したのは、なんと9歳の少年だった。2019年7月、広東省の河源市に住む少年。
恐竜のタマゴ化石は、中国では、すでに1万8千個も発見されている。いやあ、これはすごいですね、1万8千個とは、ケタ外れの数です。
 恐竜の足跡化石もあちこちで発見されていて、家畜のエサ皿として使われていたのもあった。高僧の化石だと思われていたものが、実は恐竜の足跡だったということもあった。
 ちなみに、台湾では恐竜の化石は見つかっておらず、今後も見つからないだろう。つまり、地層が古くなく、新しいからです。
 中国が恐竜大国であることを実感させてくれる新書でした。
(2024年6月刊。960円+税)

2024年8月27日

台湾のデモクラシー


(霧山昴)
著者 渡辺 将人 、 出版 中公新書

 これは面白い本でした。「台湾危機」をあおり立てる風潮が強まっているのは、軍備予算を拡大させて自分の金もうけにつなげようとする腹黒い人間がいかに多いかということだと思います。まあ、それにしても、この本を読んで、つくづく私をはじめ日本人の多くが台湾のことをちっとも知らないことに気づかされました。
台湾には「四不一没有」がある。四つのノー、ひとつのない。中国共産党が台湾に軍事力を行使する意思がない限りは、台湾の独立を宣言しない。国号を変更しない。憲法に「二国論」を盛り込むことを推進しない。現状を変更する統一か独立かの国民投票を推進しない。国家統一綱領や国家統一委員会の廃止をめぐる問題もない。
 つまり、台湾の人々の多くは台湾の独立を望んでいるけれど、それが中国と戦争することを意味するのなら、もう少し先送りして様子をみようという賢明な選択をしているわけです。
 それなのに、自民党の麻生太郎のように「台湾危機」をあおりたて、いざとなったら日本は戦争しても台湾を守るなんてバカなことを放言したのです。戦争が起きないようにするのが政治家の勤めなのに、お金欲しさに馬鹿なことをヌケヌケと言ったのです。許せません。
 長く台湾を支配してきた国民党は一般庶民に直接訴える必要はなく、団体を通じて有権者を動員できると考えてきた。それに対して民進党は、社会的な草の根組織がなかったことから、市民を動かすために宣伝する必要があった。
 アメリカと違って戸別訪問文化のない台湾では、辻立ちするか、集会を開くしかなかった。台湾は38年間も戒厳令を体験している。日常が非日常という日々を生きてきた。
アメリカへの台湾人留学生は多く、年間2万人を維持している。アメリカ留学帰りが一番偉く、次にヨーロッパと日本が来る。
台湾は学者閣僚が多い。台湾では、教授は尊敬の対象だ。台湾の政治集会は、台湾特有の夜市文化と一体化している。夜市と政治は、台湾では選挙集会をライブコンサートに進化させてしまった。集会は政策を語る場ではない。地域と同じ体験を共有して確認しあう場。感情の共振こそが大切で、政策論は関係ない。だから音楽が欠かせない。
 テレビメディアが急に党派的になったのは、市場経済の競争原理が関係している。むしろ政治的に色があいまいな人はテレビに出演できない。政治討論番組は生放送ではなく、録画して、編集されている。
 若い人々は台湾語を理解できないことが増えている。
台湾には言論の自由があるため、偽情報も流通しやすくなるというジレンマがある。
台湾が日本と決定的に違うのは、台湾の運動が成果をあげ、成功体験が学生そして市民に共有されていることです。1990年の「野百合(のゆり)学生運動」、そして2014年の「ひまわり学生運動」は、いずれも成果をあげて成功体験が集団的記憶として積み重ねられている。いやあ、これは日本と決定的に違いますね。
10年前に安保法制法反対運動は大きく盛り上がりました。弁護士会も市民とともに集会を開き、パレードをしましたが、若者そして市民のなかに成功体験を共有化することはできませんでした。
台湾について、大変勉強になりました。ご一読を強くおすすめします。
(2024年5月刊。1080円+税)

2024年8月14日

中国拘束2279日


(霧山昴)
著者 鈴木 英司 、 出版 毎日新聞出版

 公安調査庁のスパイとして中国で逮捕され、6年という実刑判決を受けた著者による体験記です。著者は公安調査庁には中国に内通している大物スパイがいて、今も活動していると推察しています。
 日本の公安調査庁は、オウム真理教のおかげで生きのびている、盲腸のような存在だとみられてきましたので、中国側の認定は誇大視だと思うのですが...。
この本で、中国の刑事司法手続の一端を知ることができました。
 その一が、居住監視。逮捕ではないけれど、拘束されます。その実態は監禁そのもの。3ヶ月間という制限があるが、延長が許されている。そして、この期間は、法律援助(扶助)制度による弁護人は付けられない(付かない)。
著者が居住監視生活に入ったのは2016年7月15日。正式に逮捕されたのは2017年2月。そして、同年5月に起訴され、2020年11月にスパイ罪で懲役6年の実刑判決が確定し、刑務所に収監された。著者が日本に帰国したのは、2022年10月11日。したがって、6年以上、中国で監禁、拘束されたわけです。
 著者に付いた弁護士は、著者からすると、「まったく期待外れだった」。著者が無罪を主張すると言っても、「それはやめよう、罪の軽減をめざしてがんばる」というだけ。著者の主張を否定も肯定もせず、応援することもなかった。「何もありません」「特にありません」としか言わなかった。スパイ罪の裁判だったからでしょうか。裁判は非公開。2回目の公判で判決が下された。
 中国には、「認罪認罰制度」というのがあり、罪を認めて謝罪したら、法律によって刑期が短くなる。しかし、著者はあくまで無罪を主張した。
 ちなみに、弁護士を依頼したら、40万元(820万円)かかるだろうとのこと。これはまた、べらぼうな金額ですね...。
裁判官、しかも最高人民法院の裁判官だった人が著者と拘置所で同室だったそうです。汚職で逮捕された元裁判官です。その元判事によると、中国の「依法治国」は、まったくのインチキ。そんなことは中国では不可能。中国に人権なんてない」とのこと。そして、中国の裁判官は最高人民法院の院長をはじめ、裁判官の全員が賄賂(わいろ)をもらっているとのこと。恐るべきことです。
かなり以前の韓国でも、弁護士が裁判官を接待するのが常識でした。今ではもうそんなことはないでしょうね...。でも、中国では、どうやら、今も、続いているようです。
 アメリカ人(アメリカ国籍を有する人)が中国で逮捕・監禁・拘留されることはないとのことですが、日本人はときどき拘束されています。2015年5月から少なくとも17人の日本人が拘束され、うち5人は起訴されずに帰国した。10人は起訴され懲役3~15年の実刑判決が確定し、3人が服役中、1人は死亡、6人が刑期満了で日本に帰国した。
 日本政府も、大使館、領事館も、日本人保護のためには何もやってくれない。日本人としては寂しい現実です。
(2023年5月刊。1600円+税)

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー