弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2017年9月12日

復讐者マレルバ

(霧山昴)
著者 ジュセッペ・グラッソネッリ、カルメーロ・サルド 、 出版  早川書房

イタリアのマフィアに挑んで生き残ったグループのリーダーであり、ヒットマンの青年の回想記です。ときは、検察官が公道上で爆殺されたころの話です。
1992年、27歳で逮捕された著者(本名がグラッソネッリで、本書ではアントニオ・ブラッソ)は終身刑4回と懲役30年の判決によって、現在も服役中。すでに20年をこえているが、妨害的終身刑なので、外出許可は認められない。つまり、普通終身刑なら20年間服役したあとは、1日、2日単位の外出許可を申請して認められることがあるけれど、妨害的終身刑の囚人は、塀の中で死ぬ運命にある
妨害的終身刑とはマフィアの抗争がらみの殺人を犯した者だけを対象とする刑だ。ちなみに、イタリアは日本と違って死刑は廃止されている。
著者は、3年間の昼間単独室処遇のあと、15年間の厳重拘禁措置がとられ、現在は、「高度に危険な囚人』扱いとなっている。ところが、著者は小学校しか出ていなかったが、塀の中で中学・高校の卒業資格をとり、ナポリ大学の特別講義も所内で受講し、ついに2013年、48歳で、文学・哲学科を満点評価で卒業した。
ですから、この著者が書いた回想録なのです。迫真性にみちみちているのは、そのためです。殺人場面など、下手な小説どころではありません。
著者は司法取引を拒否しています。いわゆる「改悛者」になると、かつての仲間たちからは裏切り者とされ、家族をすくめて報復の恐れがあるからです。
逮捕され、裁判になってから著者は多くの真実を知りました。
敵と味方どちらの陣営にも、ありとあらゆる卑劣な行為と裏切りがあった。していたことは、まったく気高くもなければ、名誉のかけらもない戦いだった。殺しにしても身勝手な理由、都合よくねじ曲げた理由で命じられたものばかりで、ひどいものだった。
それなりに崇高で明確な目的のために殺していたつもりだった。だけど、あんなに単純な理由で仲間を殺す人間がこんなに多いとは思わなかった。ヤクの代金を払いたくなかったとか、借金を返したくなかったとか、妻の愛人らしいとか・・・。
そして、どんな殺しにも偉大な理想の衣装を着せることが何より大切だった。
恐ろしい悪行の数々がこうして正当化された。
著者はシチリア(シシリー島)に1965年に生まれ、幼いころからワルで、盗みを重ね、少年ギャング団の頭となり、ついにはドイツへ逃亡し、ハンブルグでいかさまギャンブラーになって、生計を立てていた。それが、1986年夏、21歳のとき、シチリアに里帰りしていたとき、マフィアによって祖父たちが虐殺されたことから大暗転した。その報復を目ざして、ついに4年後に地元マフィアのボスたちの暗殺に成功した。
暴力とギャンブルそしてセックスがらみの放蕩の青春時代が生々しく描かれています。大薮春彦の小説顔負けです。
殺人は報復の連鎖を生むという実例でもあります。
ひるがえって日本の暴力団は、公共事業を安定的財源としていることは世間公知の事実ですが、なぜか警察はその点を一向に究明しようとしません。
いくら集会やデモ(パレード)で暴力追放を叫んでも、その点にメスを入れないと暴力団の資金源を断つことは出来ないと私は思います。イタリアのマフィアに関心のある人には強く一読をおすすめします。
(2017年6月刊。2200円+税)

2017年9月 8日

現代史とスターリン


(霧山昴)
著者 不破 哲三、渡辺 治 、 出版  新日本出版社

この本を読んで、スターリンという独裁者は、ナチス・ドイツの独裁者ヒットラーと同じレベルの最悪・最凶の人物だったとつくづく思いました。
たとえば、朝鮮戦争が始まったとき、国連の安保常任理事会にソ連代表は欠席したわけですが、これまで私はなぜなのか不思議でした。この本によると、スターリンは、アメリカを朝鮮半島で戦争に巻き込みたかったのです。それは、アメリカがソ連との間で二正面作戦をとることにつながり、それだけソ連への直接的な圧力が弱まることを狙ったというのです。アメリカとソ連がヨーロッパで直接対決する事態が生じないように、「第二戦線」をアジアにつくる狙いがあったわけです。
毛沢東も、スターリンの思惑を承知して、新生中国の力を見せつけるべく大量の人民義勇軍を朝鮮半島に送り出したということなのです。
うひゃあ、そうだったのか・・・、そんな驚きに満ちている本でした。
そして、ヒトラーによるナチス・ドイツ軍の電撃的なソ連侵攻をスターリンが最後まで信じなかったのは、スターリンはヒトラーと手を組んで、世界を独・伊・ソ連そして日本の四ヶ国で再分割しようという、ヒトラーの謀略的誘いに騙されていたからだというのです。ヒットラーのほうが、スターリンより騙しの役者の点では一枚上だったというわけです。
ところで、この本は、スターリンがヒトラーの侵攻で不意打ちを喰って1週間ほど雲隠れしていたという説をとっていません。ええっ、本当でしょうか・・・。ヒトラーにすっかり騙されたスターリンが、しばらく気落ちしていたというほうが私にとって素直に理解できるのですが・・・。
フランス共産党がフランス人民戦線政府に参加していたら、もっと世の中はいいほうに変わっていたと思うのですが、スターリンは断平として、それを認めませんでした。フランスの進歩など、スターリンにとってはどうでもいいことだったのです。
そして、ポーランドです。スターリンは、ドイツと分割統治の秘密合意を成立させ、ポーランドの共産党を壊滅させ、反対しそうな知識層を一掃しようとしました。すべては、自分のソ連領土の拡張のためなのです。
いま安倍首相の下に内閣人事局が置かれ、警察官僚がトップにすわっています。トップが「一強」としてすべてを支配しているとき、身内びいきから腐敗が起こり、官僚政治がズタズタにされるという状況が日本で展開しています。これにメスを入れてたださないことには、完全な独裁政治体制になってしまうと思います。
大変知的刺激にみちみちた本でした。80歳をすぎても学問的に究明しようとする不破さんには心から敬意を表します。
(2017年6月刊。2200円+税)

2017年9月 7日

私にはいなかった祖父母の歴史

(霧山昴)
著者 イヴァン・ジャブロンカ 、 出版  名古屋大学出版会

ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅作戦によって殺されていったユダヤ人たちの生きざまを丹念な取材によって極力再現しようとしたフランスのユダヤ人歴史学者による力作です。
先日、天神の映画館でみた映画「少女ファニーと運命の旅」の背景にあった歴史的事実も紹介されています。
ユダヤ人住民の保護を組織する機関の一つ「アムロ委員会」は、フランスにおけるレジスタンス組織のなかではもっともはやい時期に成立した。「休暇学校」は、ユダヤ人の子どもたちを田舎に住まわせ、強制収容所に小包を送る。1943年来、500人のユダヤ人の子どもが隠れて生活していた。パリに近い、パリから300キロの範囲内。農村家族による受け入れが目立つ。受け入れ家族に頼り、子どもたちを分散させる。
そして、強制(絶滅)収容所におけるゾンダーコマンドが、これまた映画「サウルの息子」に描かれた状況ですが、詳細に再現されています。私は、ゾンダーコマンドが武器をもって反乱に立ち上がったこと、そして死体焼却棟を必死で爆破しようとしたことに深い感銘を受けました。人間の崇高さを感じ、頭が下がります。
1943年3月4日の晩に第49番列車から降ろされたユダヤ人は993人。そのうち男性100人と女性19人が選別され、残り874人は収容所に入ることもなく、ただちにガス室で殺された。彼らにとってアウシュヴィッツは、ただ殺害されるだけに降りた鉄道の終着駅だった。
1944年10月7日に起きたゾンダーコマンドの反乱は、第49番移送列車にいて選別された男性100人のうちの二人によって指揮された。この二人は、戦間期のパリで活動していたポーランド人組合活動家だった。
死体焼却炉をつくったトプフ社は、5台の焼却炉で1日につき1140体まで燃やすことできると言っていたが、実際には1日に1000「個」までいかなかった。それでも、トプフ社のナチ技師は自分の発明に大きな誇りをもって特許をとった。
ガス室から死体を引き出すのはユダヤ人からなる特別作業チーム「ゾンダーコマンド」。生き残った人は次のよう語る。
「一番ひどい瞬間はガス室を開けるときだった。あの耐え難い光景。人々は玄武岩のように押しつぶされ、固い石塊になり、なんとガス室の外に崩れ落ちてきた」
死体を焼くときには、人体の脂は燃焼を助けるが、「ムズルマン」と呼ばれる絶望した人々の死体を焼くときには体に脂がないので、コークス発生炉を運転させた。よく燃えなかった骨盤は取り出して砕く。
死体焼却炉で人々が焼かれる状況が描写されます。
「最初に火がつくのは髪の毛である。肌は気泡で膨れ、数秒にして破裂する。腕と脚はよじれ、血管と神経は引っ張られて四肢が動く。すでに体全体に炎がまわり、肌は破れて、脂が流れ出す。烈火の燃え盛る音が君にも聞こえるだろ。もう体は見えず、地獄の猛火が内側で何かを焼き尽くすのが見えるだけだ。腹が破裂する。腸や内臓が噴き出し、数分でもう跡形もない。頭は燃えるのに、もう少し時間がかかる。二つの小さな青い炎が眼窩の中で瞬いている。一番奥にある脳漿とともに燃え尽きていく眼だ。口の中では舌がまだ焦げている。全過程は2分続く。そして、一つの体、一つの世界が灰に帰す」
1944年夏。ハンガリーのユダヤ人絶滅のため、死体焼却炉はフル稼働し、このときゾンダーコマンドの人員は900人と最大になった。
1943年夏以降、ゾンダーコマンドの内部に抵抗の核が形成された。
1944年6月、ナチは反乱の計画を察知し、ゾンダーコマンドを昼も夜も死体焼却棟の中に閉じ込めた。
アウシュヴィッツの非ユダヤ人抵抗者は、できる限り長く持ちこたえるべきだと考える。それに対して、ゾンダーコマンドのユダヤ人は、自分たちがいつでも粛清される恐れがあることが分かっている。
レジスタンスたちは、外部のポーランド・レジスタンスと連携し、死体焼却棟における女性たちのガス殺の写真をとってひそかに外部へ送る。弾薬工場で働く女性たちが生命の危険を冒して渡してくれた爆薬を蓄えていく。
そして、1944年10月7日、パリ解放の1ヶ月半後、ゾンダーコマンドたちは決起した。大勢が収容所の外へ逃げていくとき、二人が残って死体焼却棟を爆破する。決起・反乱は失敗し、450人のゾンダーコマンドはナチによって処刑された。
指導者の一人は、収容所で起きたことを書いて、ガラス瓶に入れて地面深く埋めた。戦後になって発見され、活字になって紹介されたが、それは1970年代になってからのこと。
本書はフランス学士院賞をとったとのことです。思わず息を吞みこむほど、大変な迫力のある力作でした。
(2017年8月刊。3600円+税)

2017年8月28日

チャップリン

(霧山昴)
著者 大野 裕之 、 出版  中公文庫

私はチャップリンの映画が大好きです。『街の灯』は最高ですし、『キッド』は泣かせます。日本人はチャップリン映画が大好きで、『街の灯』は戦前に歌舞伎座に翻案されて上演もされたということです。
チャップリンは日本にも4回来ていますし、あのステッキは日本は滋賀県産の根竹(こんちく)だそうです。1932年の5.15事件のときには、バカな日本人将校がアメリカ人俳優(チャップリン)を暗殺してアメリカを怒らせて戦争にもち込もうと計画したといいます。犬養首相の招待を断っていなかったら、ともども殺されていたかもしれなかったのです。
銀座で海老のてんぷらを30本も食べて新聞に「てんぷら男」と書かれたなんて、失礼な話も初めて知りました。そして、チャップリン全盛期の秘書は高野虎市という日本人でした。運転手になってから、「看護夫、侍者、個人秘書、護衛、何でも屋」。1926年当時、チャップリン邸の使用人17人は、全員が日本人だった。うひゃあ、そ、そうだったんですか・・・。
世界の喜劇王を支えた日本人がいたことは、私も日本人の一人として、なんだかうれしく思います。
チャップリンの『独裁者』は画期的な映画だと思います。チャップリンとヒトラーは同じ年(1889年)の同じ4月生まれ(16日と20日ですから、4日しか違いません)。そして、1914年に、同じチョビヒゲを生やし始めます。一方は笑いで人々に生きる喜びを与え、他方は人々を大量虐殺する。
ヒトラーはチャップリンの映画『独裁者』をみたあと、公衆の面前での演説はしなくなったといいます。笑いが、ウソに勝ったのです。アベ首相がウソと真相隠しで逃げようとしているとき、それを徹底して笑い飛ばす必要があるのだと思いました。笑いこそが、独裁政治への武器となるのです。
チャップリンに弟子入りした日本人映画監督がいました。牛原虚彦。7ヶ月間、チャップリンのそばにいて、ロープを700回渡り、ライオンと200回演技をして、笑いを追求するその姿を目に焼きつけた。
この本は、チャップリンが映画撮影のためにとったものの、公開された映画には使われなかったボツ(NG)フィルムが400巻あり、それを2年かけて全部みて整理・分析したという著者によるものですから、その薀蓄の深さに圧倒されます。この400巻の全部を全部みた人は世界で3人だけで、そのうちの一人が日本人である著者というのですから、頭が下がります。ありがとうございました。私は大分からの特急列車のなかで読みふけってしまい、あっというまに幸せな気分のまま目的地に到着しました。
チャップリンは台本らしきものを用意せずに撮影を進めていって、現場でひらめいたアイデアをもとに何度も撮り直して作品をつくりあげていった。
かと思うと、ラストシーンを初めてつくりあげて(多少の修正はあっても)、そこに至るシーンを撮影していったというものもあるようです。
360頁の文庫です。たくさんのNGフィルムの写真が紹介されていますが、文庫本じゃなくて、もっともっと知りたくなる本です。
「モダンタイムス」のラストシーンの現場(ロケ地)にまで著者は訪ねています。二人が歩き出したときは影が前に伸びていて、後ろ姿になったときには後に影が伸びている。そんな細かいところにまで著者は目を配っています。さすが・・・、です。
チャップリンは、ユダヤ人にも、ゲイにも、そして日本人にも差別しない普遍的な笑いを追求した。大金持ちの残酷さも見落とすことがなかった。そして、戦争に反対するという信念を映画のなかでも表明した。
幼いチャップリンは、帝国主義的なテーマに満ちたミュージックホールで修業し、街中が戦争を礼賛する言葉であふれているなかに生まれ育った。しかし、「偏執的愛国熱」なる虚しい観念に染まることなく、貧苦という現実とたたかった。そして、そのたたかいを支えたのは、舞台女優だった母がくれたユーモアに満ちた笑いと人間味あふれる愛の灯だった。この幼少時代の体験は、チャップリンの人生を貫く戦争観となる。
チャップリンはバイオリンを弾き、作曲もしていたのですね・・・。さすが天才です・・・。
ぜひ、この本を読んで、もう一回、チャップリン映画をみてみましょう。
(2017年4月刊。920円+税)

2017年8月17日

「フランクル『夜と霧』への旅」

(霧山昴)
著者 河原 理子 、 出版  朝日文庫

フランクルは1905年にオーストリアのウィーンで生まれたユダヤ人の精神科医で、強制収容所から解放されたときは40歳。そのとき、再会したい家族は、この世にいなかった。
フランクルは、1969年に初めて来日し、合計3回、日本に来た。
強制収容所のなかで、フランクルは、仲間に対して、生きる意味に目を向けるようにと、話しかけた。
人々は決して奪われないものがある。一つは、運命に対する態度を決める自由。もう一つは、過去からの光だ。
フランクルは、本を出版してから、五大陸のすべてに講演に招かれるようになり、いくつもの大学の名誉博士になった。ところが、故郷のウィーンでは、冷たい仕打ちを受けた。
フランクルがアウシュヴィッツ収容所にいたのは4日間だけ。37歳の秋から40歳の春までの2年7ヶ月間に、テレージェンシュタット、アウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウ、ダッハウ強制収容の支所の二つにいた。
テレージェンシュタット収容所でフランクルは専門を生かして医師として働き、保健部門の一隊を率いて、収容された人々の自殺防止活動など、精神衛生の問題にとりくんだ。
この世界にあって、自分の人生には使命があるという意識ほど、外からの困難と内からの問題を克服する力を与えてくれるものはない。
輝ける日々。それが過ぎ去ったからといって泣くのではなく、それがあったことに、ほほえもう。これがフランクルのモットーだった。
最後の収容所の所長は、囚人を殴ることを禁止し、追加の衣服や食べ物を与え、自費で薬を買って与えた。
フランクルは、親ナチスだったのではない。集団に「悪魔」のラベルを貼ってみることを拒んだ。人間には、天使になる可能性もあれば、悪魔になる可能性もあって、同じ人のなかでも変わりうると考えた。
フランクルは、1997年にウィーンの病院で亡くなった。92歳だった。長生きしたのですね・・・。ダイアナ皇太子妃が事故で亡くなった直後のことでした。
フランクルの『夜と霧』は、希望の書。心にしみいる希望の書だ。
『夜と霧』には、二つの訳書があるそうです。新旧、二つとも読んでみたい(読み返してみたい)と思いました。
(2017年4月刊。800円+税)
お盆休みに天神の映画館でチェコ・英仏合作映画「ハイドリヒを撃て!」を観ました。
 ナチス・ドイツのナンバー3の高官であったハイドリヒの暗殺事件がテーマです。ユダヤ人絶滅政策を推進し、その残虐性から「金髪の野獣」と呼ばれていたラインハルト・ハイドリヒは、まだ38歳なのに、ナチス親衛隊大将でした。
 暗殺指令はチェコ亡命政府によるもの。しかし、暗殺に成功したときの報復の規模の大きさから現地レジスタンスには消極論が根強いのです。そして、暗殺チームには、暗殺成功したあとの計画が何もありません。要するに、亡命政府としては、このままチェコ国家が無視されないようにしたいというだけなのです。実際にも、暗殺成功はその成果をもたらしました。
 しかし、罪なき市民が5000人も殺害され、リディツェ村は村人とともに地上から消え去ってしまったのです。
 オサマ・ビン・ラディンをアメリカ軍特殊部隊が暗殺した状況を映画化した『ゼロ・ダーク・ワン』を観ましたが、たとえ暗殺に成功しても物事の大勢がそのことによって変わるということはほとんどありません。かねてよりアメリカは金正恩暗殺計画をもっているという噂があります。朝鮮半島で戦争勃発なんて恐ろしいことは、ぜひやめてほしいです。

2017年7月25日

シリアからの叫び

(霧山昴)
著者 ジャニーン・ディ・ジョヴァンニ 、 出版  亜紀書房

シリアで内戦が始まって、もう何年にもなります。
「戦争は、いつ終わるの?」 この子どもの素朴な質問に対して、「もうじき終わるのよ」と答えるとき、胸が痛むと書かれていますが、まったくそのとおりです。シリア内戦が始まってからの5年間で、シリア国民の平均寿命が79.5歳から55.7歳にまで20年以上も縮まったとのこと。哀れです。
推定死者は47万人。負傷者は190万人。殺害されたジャーナリストは94人。
イスラム教徒は、死者を死んだ当日の日没前に埋葬しようとする。死者の名誉を称えるた
めに。湯灌(ゆかん)させ、白い死装束を着せる。葬儀の祈りを唱える。頭がメッカの方向を向くように埋葬する。
普通の人々にとって、戦争は何の前触れもなく始まる。娘たちのために歯医者の予約を
し、バレエのレッスンを手配していたのに、突然、カーテンが下りる。ATMは機能し、携帯電話もつながり、日々の習慣は続いていたのに、突然、何もかもが停止する。
バリケードが築かれる。徴兵がおこなわれ、近隣では自衛団ができる。政府高官が暗殺
され、国は混沌に向かっていく。父親が消える。銀行は閉鎖され、富も文化も生活も一気に消滅する。
戦争とは、破壊。骸骨、そして人の生命の抜け殻。
昔の世界は、すっかり消えている。煙草の煙のように・・・。
戦争とは、延々と待つこと。
 終わりのない退屈。ここには電気もテレビもない。
本は読めず、友だちにも会えない。絶望が深まるが、それを燃やす方法はない。
ここには、ほとんど何も残ってない。パンを焼くための動力がなかった。料理をするガスがな
かった。ここでの生活は欠乏だらけだった。
ここで生きていくために重要な二つのルールがある。一つは、政府軍の摘発を受けずに身
を守ること。もう一つは、食料を見つけること。
戦時下の人々の生活はすさんだものだった。だれも停戦など気にかけない。戦時下では、
もっともなことだけど、犯罪と不信と悲嘆しかない。
シリアの人々の苦難な状況がなんとなく分かった気になりました。
著者は、シリアの現状を現地まで出かけて取材したのというのですから、その迫力は並み
たいていではありません。いったい全体、誰がこんな戦争するのか当たり前の状況になったのでしょうか・・・。シリアの近況を写真とともに見ることの出来る本です。
(2017年3月刊。2300円+税)

2017年7月23日

アガサ・クリスティーの大英帝国

(霧山昴)
著者 東 秀紀 、 出版 筑摩選書

アガサ・クリスティーの推理小説は、私も何冊か読んでいます。読むたびに、そのトリックと推理の見事さに驚嘆したものです。
アガサ・クリスティーを、観光ミステリ作家と形容する人がいるそうです。なるほど、「オリエント急行殺人事件」など、観光地を舞台としていますよね。アガサ・クリスティーの2番目の夫は考古学者で、オリエントの発掘現場にも行っていたそうです。その体験が本に生かされています。
日本で観光ミステリ作家と呼べれる一人に松本清張のミステリがある。あれほど登場人物たちに日本各地を出張の形で回らせなければ、戦後日本を代表するベストセラーにはならなかったのではないか・・・。多くの読者が、小説を読んで旅への願望を紛らわせ、出張の際に各所に立ち寄っていた当時の日本人をあわわしている。
松本清張の本のなかに、南フランスの「レ・ボー」という村を舞台とするものがあります。私も、タクシーに乗って出かけました。列車の駅から遠く離れているところですので、レンタカーを借りるか、タクシーに乗らなければいけないのです(もちろん、ツアーに加わればいいのですが・・・)。岩だらけのアメリカの西部劇映画に出てくるような村でした。
アガサ・クリスティーの描いた小説の舞台は、二つの大戦の間の束(つか)の間の平和。そして、その時期の大英帝国の栄華。
アガサ・クリスティーが前夫との離婚話の起きた1926年に失踪事件をひきおこしたということを初めて知りました。そして、本人は真相を死ぬまで明らかにしなかったというのです。よく出来たミステリーを考えた作家は、なんと自分の人生にもミステリーを秘めていたわけです。
1930年代に、アガサ・クリスティーは、毎年2作のペースでミステリを世の中に送り出した。1年に5作という年もあります。驚くべき多作です。私が読んでない本がこんなにたくさんあるかと思うと、ぞっとしてしまいました。
ヒトラーが登場してくる本もあるようです。その本のなかで、ヒトラーは、当時のイギリス人の多くが望んでいたように、平和を望んで引退するというのです。まさしくチェンバレン首相と同じく、著者もヒトラーへの幻想に踊らされていたのですね。
アガサ・クリスティーのミステリー小説を改めて読んでみようという気にさせる本でした。
(2017年5月刊。1600円+税)

2017年7月17日

「レ・ミゼラブル」の世界

(霧山昴)
著者 西永 良成 、 出版 岩波新書

ヴィクトル・ユゴーと、「レ・ミゼラブル」について掘り下げた本です。あの大作を改めて読みたくなりました。といっても、実は、私は全文を通して読んだことはないと思います。子ども向けの本はもちろん読みましたし、フランス語を勉強していますので、いくつかの章は原文でも読んではいるのですが・・・。
ユゴーが死刑廃止を必死で訴えていたというのを初めて知りました。日本の弁護士には、死刑制度の存続を強烈に主張する若手弁護士の集団がいて、私には違和感があります。
死刑とは何か? 死刑とは、野蛮さの特別で永遠のしるしである。死刑が乱発されるところは、どこでも野蛮が支配する。死刑がまれなところは、どこでも文明が君臨する。
驚くべきことに「レ・ミゼラブル」は、カトリック教会の禁書リストに1962年まで入っていた。それは、協会の正統的な教義に反する深刻な内容がふくまれていたからだ。
ユゴーは、洗礼を受けておらず、自分が新でも宗教的儀式とすることを禁止した。しかし、ユゴーは無神論者ではなかった。
ユゴーはルイ・ナポレオンを初めは賛美していたが、あとではナポレオン3世を徹底的に批判した。「レ・ミゼラブル」の発表から8年後、1870年にナポレオン3世は、普仏戦争で捕虜となって退位する。そして、ユゴーは、亡命先からフランスに戻った。1885年に亡くなり、国葬とされたときには、200万人もの人々が葬列に加わった。
ユゴーは、貧困が犯罪を生み、刑務所が犯罪者をつくり出すと考えた。
これは、弁護士生活40年以上になる私の実感でもあります。
ジャン・ヴァルジャンは、意図的に何度もイエス・キリストになぞらえられ、あたかも殉教者のように描かれている。
500頁の文庫本で5冊という大長編小説。登場人物も100人をこえる。
フランスでは、聖書に次いで読まれている。
いやはや、大変な大長編小説なのですね。どうしましょうか・・・、読むべきか、読まざるべきか、それが問題だ。
(2017年3月刊。780円+税)

2017年7月14日

子どもたちの階級闘争

(霧山昴)
著者 ブレィディみかこ 、 出版 みすず書房

3歳児、4歳児でも、ちゃんと自己主張するし、できることも良く分かる本です。
イギリスの保育園で働く日本人女性がイギリスの保育事情を紹介しています。イギリスって、まさしく昔も今も階級社会なのですね。日本だと、それが見えにくいわけですが、イギリスでは、あからさまのようです。なにしろ、住んでいる地域が異なるし、コトバだってはっきり所属階級の違いが分かるというのです。そして相互に深く交流することはないのです。日本人として不思議な気がします。ええっ、英語って、ひとつじゃないの・・・。まあ、「マイフェアレディ」を思い出せばよいのでしょう・・・。
私立校で教育を受けたミドルクラスやアッパークラスの人々は、BBCのアナウンサーのような明瞭な英語を話す。対して、労働者階級の人々は、地域色豊かなアクセントになり、下層に行けば行くほど、単語の最後の音をいい加減に発音する。だから、イギリスは、口を開けば属している階級が分かってしまう。
イギリスの保育園に2歳児をフルタイムで預けると、1ヶ月で14万円もかかる。それで、イギリスの保育園はミドルクラス家庭の御用達施設と呼ばれている。
保育園は、下層幼児たちの受け入れを拒否している。幼児教育現場での階級分離が進んでいる。貧困エリアにおける肥満している子どもの割合は、少年の場合は豊かな地域の3倍、少女の場合には2倍になる。
イギリスの裕福な家庭は子どもパブリックスクールと呼ばれる私立校に通わせる。年間学費が300~400万円かかる。
貧しい人々は、家賃の安い地域、つまり地域の学校が荒れているので、親たちが敬遠する地域に住むことになり、富める人々と貧しい人々の居住地域の分離が進んでいる。
貧民街の子どもたちは、保育施設から小学校、中学校と一貫して貧しい地域の、自分と同じような階級の子どもたちに囲まれて学ぶことになり、上の階級の子どもたちと知り合う機会はもちろん、すれ違うことすらない。
人間は、希望をまったく与えられずに欲だけ与えられて飼われると、酒やドラッグに溺れたり、四六時中、顔をつきあわせなければならない家族に暴力をふるったり、外国人とか自分より弱い立場の人々に八つ当たりをしに行ったりして、画一的に生きてしまう存在だ。それは、セルフ・リスペクト(自己尊重)を失うからだ。
イギリスでも、フランスのル・ペンのように反移民・EU離脱を唱える右翼が伸長している。それは、イギリスにEU圏からの移民が急増しているから。
2011年の国勢調査では、イギリスで生まれる子どものうち、少なくとも両親の一人が外国人である子どもの割合は全体の31%で、2001年より10%も増加している。両親とも外国人だという子どもも18%いる。
アフリカや中東そしてアジアから来た移民の親たちは、決まって、イギリスのアンダークラス民、「ホワイト・トラッシュ」と呼ばれる人々が大嫌いだ。子どもを厳しくしつけず、やりたい放題にさせているから、この国、イギリスはダメになったと高言する。移民の多くは、勤勉で上昇志向の強い人々だ。イギリスの食べ物はおいしくなったが、それは、これらの人々のおかげだ。 
イギリスは、もともとワーキングクラスという階級が誇りをもって生きてきた国である。終戦直後に、労働党政権は、無料の国家医療制度を実現し、公営住宅の大規模建設、大学授業の無料化など、底上げの政策を徹底的にすすめた。その効果が一斉に花開いたのが、1960年代だった。
ところが、このエキサイティングな階級の流動性は、もう遠い過去の話になった。今では、間違っても、下層階級の人間がそこから飛び出す可能性は支えられていない。
現代のイギリスは階級が固定化しすぎている。格差の拡大はよくないが、どんなにがんばっても、自分たちが再びクールになる時代は来ないという閉塞感が下層にいる人々を絶望させる。
そんななかで保育園を運営し、一人ひとりの子どもたちを保育していくのですから、日々まさしく困難の連続です。移民をどんどん日本に受け入れたときには、保育園だけでなく、社会の隅々まで、貧困と身の安全を守るために考え、行動しなければならないことがたくさんあることを実感させてくれる本でもありました。
(2017年6月刊。2400円+税)

2017年7月13日

オリーブの丘へ続くシリアの小道で

(霧山昴)
著者 小松 由佳 、 出版 河出書房新社

内戦まっただなかの2012年春、シリアの首都ダマスカスに3ヶ月いて、シリアの人々を写真に撮った日本人女性カメラマンによる写真集です。
いったい、なぜこんなひどい内戦が、こんなに長く続いているのか、日本にいて本をいろいろ読んでも、よく分かりません。一刻も早く内戦が終息し、人々が平和に生きられるようになることを願います。
暴力に対して暴力ではいけない。平和的手段でなければダメ。そう叫んでいた若者が、やはり暴力には暴力しかないと言って戦闘員に加わったという話も出てきます。たしかに、悲しい現実があるのですよね、でも、・・・。
2011年に内戦が始まって、すでに5年たち、シリアの難民・死者は相変わらず増え続けている。2200万人の人口のうち、25万人が死亡、470万人が国外で難民で暮らしている(2016年2月)。
そして、シリア国内にも760万人もの人々が避難生活を送っている。国民の半数以上が家を失った(2015年7月)。
シリア難民の子どもたちの通う学校の授業光景を撮った写真もあります。
シリアは日本と同じく、六・三・六制で、小学校の6年間が義務教育。男女共学は小学校だけで、中学校からはイスラム教の道徳によって男女別となる。
小学校の教室で、若い女の先生が男の子3人と女の子5人に歌を教えている様子がうつっています。この学校では、子供たちがシリアの文化を失わないよう、トルコ語のほか、アラビア語やシリアの歴史・文化を教えている。ということは、この学校はトルコにあるのですね。
この学校では、不発弾の取り扱い方法を子どもたちに教えている。近づいたり触ってはいけない。誰かを叫びなさい、と。
「教師として、希望をもちなさい、希望があるから私たちは生きていける、と子どもたちに話さなければいけない。しかし、現実には、自分でさえこの生活に希望をもてずにいる。子にとっても教師にとっても、希望をもつとか本当に難しい」
いやあ、本当に内戦が続くというのは大変なことですよね。難民の子どもたちは、いつかシリアの故郷に帰ることを夢見ている。
可愛らしく聡明そうなシリアの子どもたちの願いを一刻も早く実現させてやりたいと思わせる貴重な写真集です。
(2016年3月刊。1900円+税)

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