弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

ヨーロッパ

2019年7月28日

地下道の少女

(霧山昴)
著者 アンデシュ・ルースルンドほか 、 出版  ハヤカワ文庫

スウェーデンの首都、ストックホルムに起きた話です。
寒々とした光景が展開します。町の中心部にある広場の地下トンネルに住みついている人間が50人ほどもいるという状況を前提として進行していきます。それはホームレスの人々です。そのなかには未成年の少女もいました。
さまざまな年齢の女性たち11人が広場下の地下トンネルで共同生活していた。
ルーマニア人の子どもが43人もストックホルムの中心部でバスを降ろされたこと、本人たちはスコットランドに来たと思っていたこと、それらは本当の出来事。それを小説にしたのが本書。
そして、生きのびるために、自分の体を売るスウェーデン人の少女や女性が増えていることも真実だと著者は強調しています。
2018年のストックホルム市の調査によると、ホームレスが2500人近くいて、その3分の1は女性。女性の割合は増加傾向にある。ホームレスの55%が薬物依存症で、45%の人には精神障害がある。
ストックホルムにストリート・チルドレンがいるなんていうのも驚きでしたし、東欧からの移民流入のもたらす問題にも目を開かされました。
異色のミステリー小説として読みふけったので、紹介します。
(2019年2月刊。1160円+税)

2019年7月18日

沈黙する教室

(霧山昴)
著者 ディートリッヒ・ガルスカ 、 出版  アルファベータブックス

冷戦下の東ドイツの高校で起きた「事件」です。その高校の進学クラス全員が反革命分子とみなされて退学処分になってしまいます。
高校生たちは何をしたというのか、なぜクラス全員が退学処分になったのか、そして、高校に行けなくなった若者たちはどうしたのか、彼らは40年後の同窓会で何を語りあったのか・・・。先日、天神の映画館でみた映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の原作本です。
ときは1956年(昭和31年)11月1日に起きました。ハンガリー「動乱」が起きたことをラジオ放送(RIAS。アメリカ占領地区放送)で知った高校生たちが、連帯の意思表示として授業中に5分間の黙祷を捧げたのです。「事件」は、たったそれだけのことでした。ところが、それが反革命の行動として国民教育省大臣が高校に乗り込んでくるほどの「大事件」になったのです。
高校生たちがしたことは、歴史の授業の時間に、午前10時から10時5分までの5分間だけ、何も言わない、何も答えない、何も聞かない、それを黙祷として実行した。ただ、それだけのこと。黙祷はもう1回やられたが、それは、授業中ではなかった。
映画では、西側のラジオは、森(沼)のはずれにあるいかにも変人のおじさん宅に集まってこっそり聞いていたことになっていますが、この本によると実際には、各家庭で日常的に西側のラジオ放送が聴かれていたようです。
東ドイツの国家権力は、ハンガリー動乱について高校生たちが連帯の意思表示として黙祷したことを許すわけにはいきませんでした。ところが、高校の校長ほか、高校生たちを追いつめるのはよくないという考えの人たちも少なくなかったようです。それでも結局、この高校生たちは全員が大学受験資格を喪うことになり、その大半は西ベルリンへ逃亡するのです。
1956年当時はまだベルリンの壁も出来ていなくて、年に15万人も西側へ逃亡する人がいました。高校生たちも、その大半が西側へ逃亡した(できた)のです。
事件の前は、誰も権力に立ち向かう力や勇気をもちあわせていなかった。しかし、黙祷がこれを変えた。突然、強くなった。あの永遠に続くようにも思われた黙祷を捧げているあいだ、クラスの全員が堪え切って行動が成功しますように・・・とずっと祈っていた。
このクラス20人のうち15人が西側へ脱出した。そして、東ドイツは、5年か10年しかもたないと思われていたが、なんと、その後33年も続いた。
映画で心を揺さぶられるシーンは、誰が主導したのか、首謀者なのか、クラス全員が最後までがんばって黙秘し続けているところです。仲間を裏切らない、裏切りたくないという高校生たちの揺れ動く心境が、当局の圧力との対比でよく描かれていました。
映画をみて、この本を読んで、当時の人々の置かれた苦しい状況をよくよく理解することができました。
(2019年6月刊。2500円+税)

6月に受けたフランス語検定試験(1級)の結果を知らせるハガキを受けとりました。もちろん不合格だったのですが、なんと得点は55点(150点満点)しかなく、4割に届いていませんでした(合格点は93点)。実は自己採点では63点だったのです。仏作文が予想以上にひどかったということになります。それでもめげず、くじけず毎朝のNHK、車中のCD、毎週の日仏会館通いを続けています。ボケ防止に語学は何よりです。

2019年7月 6日

「緋い空の下で」(下)

(霧山昴)
著者 マーク・サリヴァン 、 出版  扶桑社文庫

上巻に引き続いて、下巻も圧倒的な面白さです。アメリカで150万部突破の大ベストセラーになったというのも当然ですし、映画化されるというのもよく分かります。まさしく最後の最後まで絵になるハラハラドキドキの場面展開が続くのですから・・・。
主人公のピノは17歳。イタリア軍に徴兵され、ロシア戦線に派遣されたら、5割の確率で生命を失ってしまう。そこで、身内はピノをドイツ軍のトート機関へ志願することをすすめる。トート機関は国防軍の前線部隊で異質な存在だった。ピノは、そこに入り、持ち前の軽さで、いつのまにかドイツ国防軍のイタリアにおけるナンバー2である少将の専属運転手として働き始める。
要するに、スパイとして活動していったのです。ところが、2歳下の弟は事情を知らないので、兄のピノを「裏切り者」として拒絶してしまいます。それでもピノは、少将の愛人宅のメイドと仲良くなり、幸せなひとときを過ごせるようになりました。
ドイツ軍はイタリア戦線で敗退に敗退を重ねますが、イタリア北部のミラノ地方は、ドイツ軍が最後に守るべき砦だったのです。
そして、アメリカ軍によるイタリア解放のときが、ついにやって到来します。すると、それまで無言で耐えていたイタリアの人々が残虐な報復・殺傷行為に走ります。ドイツ軍将校の愛人とそのメイド(ピノが愛した女性です)までが、即決の人民裁判のようにパルチザンたちによって処刑されてしまうのです。
ああ、いったい自分は何を頼りに生きていったらいいのだろう。ピノはガックリ肩の力を落とします・・・。
どこまでが実話なのか、どこからが想像のストーリーなのか、ぜひ知りたいところです。
このところ久しくワクワク感を体験していないという人に超おすすめの本です・・・。
(2019年5月刊。980円+税)

2019年7月 3日

電撃戦という幻(上)

(霧山昴)
著者 カール・ハインツ・フリーザー 、 出版  中央公論新社

世の中には、たくさんの思い込みというものがありますが、この本を読んで、その一つから自らを解き放つことができました。読書の楽しみがここにあります。
電撃戦というのは、ヒトラー・ドイツ軍が好んで用いた戦法とばかり思っていました。ところが、1941年11月、ヒトラー自身は次のように言ったそうです。
「私は、いまだかつて『電撃戦』などと言ったことはない。まったく愚にもつかない言葉だ」
ええっ、一体どういうことなんでしょう・・・。
電撃戦という言葉に明確な定義はなく、曖昧模糊としている。
1940年5月、「セダンの奇跡」がおこって、すべてがひっくりかえった。ドイツ国防軍の首脳は、その前は電撃戦のような軍事的冒険については懐疑的だった。この「セダンの奇跡」のあと、ドイツ国防軍の将軍たちは、恥も外聞もなく、180度の方向転換を行った。
ヒトラーが1939年9月1日に始めたポーランド侵攻のとき、ヒトラーは西側諸大国との戦いを想定した戦争計画、総合戦略について、何の用意もできていなかった。これは致命的な手抜かりだった。対ポーランド戦は、本格的な電撃戦ではなかった。
ポーランド軍はドイツ軍の敵ではなかった。装備・訓練が旧式だったし、用兵も時代遅れだった。ドイツ軍の戦車に対してポーランドの騎兵たちは白刀をふるって突撃していった。
ところが、ポーランド戦で弾薬をほとんど撃ち尽くしてしまったため、ドイツの陸海空三軍はその後しばらくは戦争を継続できる状態にはなかった。弾薬の在庫を確保しているのは全師団の3分の1にすぎず、しかもそれは2週間の戦闘で消費されてしまう。ドイツでは、このころ毎月60万トンの鉄鋼が不足していた。火薬については1941年になるまで急激な増産は見込めなかった。
当時、ドイツの自動車化部隊では車両の損失が50%に達していた。そして、軍を急激に大きくしたことから、指導的な立場の将校クラスの能力が全般的に低下していた。
「一枚岩」に見える第三帝国(ヒトラー・ドイツ)は実は外面(そとづら)だけで、戦争の最初の局面で国力を一点に集中させるだけの力強い指導性が欠けていた。
ドイツ陸軍は1940年の時点では、40歳代の兵士が全体の4分の1を占め、また、数週間の訓練しか受けていない兵士が半分を占めていた。そして、将校の絶対数の不足は深刻だった。正味3050人の将校が数百万の規模にふくれあがったドイツ陸軍の大世帯を切り回さなければならなかった。
軍需物資の面でのドイツ軍の最大の悩みは鉄鋼とゴムの慢性的欠乏だった。
ドイツ軍の90%は荷馬と徒歩で行軍した。つまり、ドイツ電撃戦のイメージは戦車と自動車だが、それは、単なるプロパガンダにすぎない。ドイツ陸軍の装備はみすぼらしいとはでは言えなくても、非常に質素だった。すぐに戦える部隊は全体の半分でしかなかった。
1940年のドイツ軍は戦車兵器の開発で、まだスタートラインに立ったばかりだった。ドイツ軍は軽戦車が全体の3分の2近くを占めていた。そして、技術的に未成熟だったことから、戦場で次々に故障によって頓挫した。さらに、ドイツ軍の軽戦車は、連合軍の軽戦車の甲板すら貫徹できなかった。
ドイツ軍のパイロットは、連合軍パイロットに比べて、良質で十分な訓練を受ける機会に恵まれていなかった。
ドイツ国防軍の将軍たちはヒトラーを、「底辺からはいあがってきた難民官ごとき」と見下していた。そして、ヒトラーのプロレタリアート的体質を激しく毛嫌いした。それに対して、ヒトラーもドイツ国防軍のエリートたちに敵愾心をむき出しにした。
1940年のドイツ軍によるアルデンヌ攻勢は、電撃戦の模範的な戦術例とされているが、実際には、ドイツ軍の追撃は、確固たるシステムによって行われたものではない。ありあわせのものですすめたところ勝利したので、あとから整理されたというものにすぎない。
いやはや、なんということでしょうか・・・。知らないことの恐ろしさすら私は感じてしまいました。
(2012年2月刊。3800円+税)

2019年6月30日

緋い空の下で(上)

(霧山昴)
著者 マーク・サリヴァン 、 出版  扶桑社文庫

ナチス・ドイツに抵抗したフランスのレジスタンス運動についてはいくつも本があり、読みましたが、この本はイタリア北部のレジスタンスの話です。実話をもとにしているようですが、大変スリリングな展開で、350頁の文庫本を2日間で読み通しました。下巻が待ち遠しい思いです。
上巻の前半は、ユダヤ人のアルプス越えを先導する話です。その行く先はスイスです。『サウンド・オブ・ミュージック』と同じく、ナチスの追及を逃れてスイスに駆け込むユダヤ人たちの案内人をイタリアの少年がつとめるのです。冬山を少年が先導し、慣れない山道、しかも絶壁の冬山を勇気を出させて乗り越えていくところは、まさしく手に汗を握ります。
後半は、そんな青年がイタリア軍に徴兵されてロシア戦線に送られて死ぬよりは、ドイツ軍に入って内地勤務を両親にすすめられてドイツ軍に志願入隊することになり、それからの意外な展開です。
事情を知らない知人からは裏切り者と呼ばれます。
そして、イタリアにいるドイツ軍の高級幹部の運転手となり、ドイツ軍の機密情報をもらすスパイになるのです。まさしく手に汗握るシーンの連続です。
イタリア北部は、ドイツ軍がムッソリーニを利用しながらも上陸してきたアメリカ軍などに必死に抵抗していて、そこでイタリアのパルチザンたちが活動していたのです。
アメリカで2017年のベストセラーとなり、映画化もされるそうです。ぜひ、映画もみてみましょう。
(2019年5月刊。980円+税)

2019年6月22日

ナチスから図書館を守った人たち


(霧山昴)
著者 ディヴィッド・F・フィッシュマン 、 出版  原書房

リトアニアのユダヤ人・ゲットーでユダヤ人の図書を守った人たちの話です。
メンバーは「紙部隊」と呼ばれ、本や書類を胴体に巻きつけて検問所にいるドイツ軍警備兵の前を通過して、ゲットーにひそかに持ち込んだ。万一見つかったら、銃殺隊によって処刑される状況下でのこと。
ヴィルナはドイツ軍から解放されたあと、生き残った紙部隊は、隠し場所から文化的財産を回収した。ところが、次にヴィルナを支配したソ連当局はユダヤ文化に敵意を抱いていた。そこで、再び宝物を救い出し、本や書類を国外にこっそり運び出すことになった。
ユダヤ人の生活では、本が至高の価値をもっている。
ゲットー図書館は、もっとも残虐な行為のあった1941年10月、図書館への登録者は1492人から1739人に増え、7806冊の本を貸し出した。1日平均325冊のほんが借り出された。すなわち、つらいパラドックスがあった。大量検挙があると、図書の貸し出し数が急増したのだ。読書は、現実に対処し、平静さを取り戻す手段だった。
なるほど、しばし頭の中だけは別世界に生きることができますからね・・・。
読書は麻薬であり、一種の中毒で、考えることを回避するための手段でもあった。子どもたちは、図書館の熱心な利用者であり、他の年代よりも一人あたりの読書量は多かった。
閲覧室にやってくるのは、本を借りる人よりもエリート層が多かった。多くは学者と教育者で、図書館は、その仕事場になった。閲覧室は、静寂、休息、威厳を必要とする人々にとって、避難所だった。
ヴィルナのゲットーで読書が盛んな理由は・・・。
読書は生存のために闘うときの道具だ。緊張した神経をやわらげ、心理的な安全弁として働き、精神的肉体的に崩壊することを防ぐ。小説を読み、架空の英雄たちを自分に重ねあわせることで、人は精神的に高揚し、生き生きしてくる。
紙部隊のメンバーたちは、もうじき死ぬにちがいないと信じていたので、残りの人生を本当に大切なものに捧げることを選んだ。
本は少年時代に犯罪と絶望の人生から救ってくれたものだったから、今度は恩返しとして、本を救う番だ。
1943年7月半ば、ドイツ軍はゲットーのパルチザン連合組織FPDの存在を知った。とらえられたポーランド人共産主義者が拷問によって口を割ったのだ。ドイツ軍はFPDの司令官を知り、ユダヤ人評議会に対して引き渡しを求めた。さもないと2万人のゲットー住民全員を処刑すると脅した。1人の命か2万人の命かと選択を迫られ、FDPのヴィテンベルク司令官はドイツ軍に投降し、とらわれの身のうちに自殺した(らしい)。幻想だったわけです。
ゲットーの住人たちは、すぐに殺されるとは考えてなかったので、蜂起することを拒否した。強制労働収容所に移送されても生きのびられると期待していた。
ユダヤ民族の文化を守り、次世代への継承していこうと必死の覚悟で奮闘した人々の姿を知り、頭の下がる思いでした。やっぱり紙の本も大切なのですよね・・・。
(2019年2月刊。2500円+税)

2019年6月20日

候補者ジェレミー・コービン

(霧山昴)
著者 アレックス・ナンズ 、 出版  岩波書店

アメリカでサンダース上院議員が民主的社会主義者としてアメリカの若者たちに大きく支えられて躍進しているのと同じ現象がイギリスでも起きていることを知り、大変うれしく思いました。労働党の党首となったコービンの実像に迫った本です。
コービンを党首に押しあげたのは、一つの政治運動の流れであり、それがコービンの周囲に結集し、奔流となったのだ。三つの流れがコービンを支えたが、もっとも強い流れは緊縮財政に反対する運動だった。
コービンを2つの巨大組合ユナイトとユニゾンが支援した。これがコービン指示に正統性をもたらした。労働党では、2015年に1人の議員の票も一般党員の票と同じ価値をもつように変更された。そして、3ポンド払えば労働党の党首選に参加できるように変わった。
人々はコービンが勝つ可能性があるように見えたから加わった。そして、集まった人々が生みだした弾(はず)みがコービンの勝利を確実にした。
国の政治を実際に変えられる貴重なチャンスがあるという高揚感には伝染性があった。
いつもの顔ぶれの枠をこえて、ウィルスのように爆発的に広がり、初めて政治にかかわる若者、学生、アーティスト、反体制の運動家、オンライン署名者へと広がった。
新しい政治運動が誕生した。コービン運動だ。そこで際立っていたのは、自ら歴史をつくろうとする願いだった。運動は行動を望んだ。ボランティアに名乗り出る。メッセージを発信して説得する。電話で聞きとり調査する。友だちを勧誘する。イベントに参加する。政策を提案する。投票する。変化を求める勢力を築く。観察政治に嫌気がさしていた人々の集まりだった。これが、コービンとその選挙キャンペーンのもつ参加の精神と実践に共鳴した。
この運動には、前の世代にはなかった強力なツールがあった。ソーシャルメディアだ。
コービンは、キリスト教社会主義者、ただし、キリスト教抜き倫理的社会主義者。
コービンにはトニー・ベンのような人を鼓舞する演説の深さがあるわけではなく、トニー・ブレアの目端(めはし)が利いて人をそらさない表現力もない。しかし、心に深く抱いている共通の価値観を明確に表明して聴衆との結びつきを生む希有の能力がある。誠実さ、原則を守る姿勢、倫理的な力、コービンは一つの模範だ。そして、縁の下で助力を惜しまない。
ジェレミー・コービンは、何年もかかってつくられた大きな歴史的潮流によって労働党の党首へと押し上げられた。だが、必然は一つもなかった。労働党に投票した人の3分の2は国民投票でEU残留を支持し、3分の1はEU離脱に投票した。
コービンは宣言した。私たちは億万長者のための党ではない。企業エリートの党でもない。人びとのための党である。
若者の投票率が飛躍的に伸びた。18~24歳は52%が65%へ飛躍した。25~34歳は52%から63%へ上昇した。若者たちが労働党へ投票したのだ。
日本でも同じように若者に希望を与えること、世の中は変えられることを目に見える形で示すことが大切です。私は、最近つくづくそう思います。
私が20歳のころ、「未来は青年のもの」というスローガンに心がおどりました。東京・神奈川・京都・大阪と革新首長が次々に誕生していき、日本は変わる、変えられるという成功体験が今の私を根底で支えています。「アベ一強」の嘘つき放題のデタラメ政治が野放しにされていて、あきらめきっている若者に、そんなことはないよと呼びかけたいものです。
もりもり元気の湧いてくる本です。ぜひ、あなたもご一読ください。
(2019年4月刊。3700円+税)

2019年6月13日

イレナの子供たち

(霧山昴)
著者 ティラー・J・マッツェオ 、 出版  東京創元社

ナチスの占領下のワルシャワのユダヤ人を収容するゲットーから2500人ものユダヤ人の子どもたちを救出したポーランド人女性の話です。
1935年秋、イレナは25歳。身長150センチの小柄な大学生だった。しかし、確固とした政治的意見をもっていた。
1939年10月。戦争はまもなく終わると周囲の人々は言っていた。
1939年のワルシャワは、世界でも指折りの活力にあふれた多様性のある都市だった。人口100万人のうち、3分の1はユダヤ人だった。
ナチスによる占領・支配が始まったとき、ワルシャワのユダヤ人は、ひどいことが起きても、おそらく限度があるだろうと推測していた。というのも、はじめのうちナチス・ドイツ軍は、組織的な粛清はユダヤ人ではなく、ポーランド人を対象としていた。占領から1年か2年のうち、ワルシャワでは、ユダヤ人が1人殺されたのに対して、ポーランド人は10人が殺された。
1940年秋ころ、イレナの福祉窓口のチームは、ワルシャワの何千人ものユダヤ人に対する公的な福祉支援を支えていた。
ゲットーの内部で、50万人ほどのユダヤ人たちが飢えで弱っている一方、ゲットー貴族たちは、ゆとりある生活をしていた。裕福な実業家、ユダヤ人評議会のリーダーたち、ユダヤ人警察の幹部、不当な利益を得ている密輸業者、ナイトクラブの経営者、そして高級娼婦たち・・・。ゲットーには61軒ものカフェとナイトクラブがあり、「乱痴気騒ぎのパーティーをしたい放題」だった。カフェではシャンパンが注がれ、サーモンのオードブルが出てくる。
ゲットーの出入りには無数のルートができ、イレナはそれを利用してユダヤ人の子どもたちをゲットーの外に連れ出すようになった。それはワルシャワ社会福祉局の仕事の「延長」だった。
金髪だったり、青い目の健康な子どもたち、ユダヤ人とは見えない子どもたちは、傷のしかるべき書類とともに孤児院で生活することができた。子どもたちは、作業員が肩からぶら下げた南京袋に入って孤児院に運ばれた。洗濯物がじゃがいものように裏口に届けられるのだった。
1942年の夏、コルチャック先生は、子どもたちだけを行かせることを断固として拒否した。
列を先導するSS隊員は笑って、コルチャック先生に「お望みなら、いっしょに来てもいい」と言った。バイオリンをもっている12歳の少年に演奏するように頼み、子どもたちは孤児院から歌いながらコルチャック先生と一緒に出発した。 祝日用のよそ行きの服を着た子どもたちは、お行儀よく、4人1列になって行進していった。そして、子どもたちは両手で人形を抱えていた。これは、イレナたちが孤児院に持ち込んだものだった。子どもたちは、「旅に出る」にあたって、ひとつだけ何かをもっていいと言われて、その人形を選んだのだった。小さな両手で、人形を握りしめ、胸に押しつけてるように抱きしめて、最後の行進をしていった。
コルチャック先生は、最後に貸車に入った。両方の腕に、それぞれ疲れきった5歳の子どもを抱えていた。貨物列車には窓がなく、床には、生石灰がまかれていて、そのうち熱を発する。そして、貨車のドアは閉められ、有刺鉄線で固く縛りつけられた・・・。
こんな状況を正視できますか。この文章を読むだけで、私は、目と鼻からほとばしるものがありました・・・。
イレナたちが救出したユダヤ人の子どもたちは「カトリック教徒の子」として育てられた。これに異をとなえるユダヤ人ももちろんいた。では、いったい、どうしたらいいというのでしょうか・・・。
孤児院で子どもたちはゲームをして遊んだ。ユダヤ人を追うドイツ人の役、隠れているユダヤ人のふりをする子、ユダヤ人の子どもたちにとって、そんなゲームは、あまりにも現実的だった。
ワルシャワのユダヤ人ゲットー内の動きも知ることができる本でした。
(2019年2月刊。2800円+税)

2019年6月 8日

言葉の国、イランと私

(霧山昴)
著者 岡田 恵美子 、 出版  平凡社

イランという国は、私にとってまったくなじみのない国です。この本を読んで、少しだけ国と人々のイメージをつかむことができました。
著者は1932年生まれですから、今や86歳。26歳のときにイランの言葉に魅かれて当時の国王に手紙を出したところ、その目にとまって国費留学生としてイランに渡って勉強しました。実に勇敢な女性です。
イランとは、アーリアを意味する。ペルシアは、かつて力を持った一地方の名。
イランの中東一の核開発力をもつ国。イランは原油・天然ガスの産出は世界第2位。国土は日本のほぼ4倍。海に面した部分もあり、北部では農産物を豊富に産出している。
イラン人の誇る美徳は、寛容・勇気そして雄弁。古くからさまざま人々と交流してきたイランでは、弁舌は大切な能力なのだ。
イラン人の泣きところは、我慢強くないこと。
ペルシア語でも、書き言葉と話し言葉では、文章の語尾や単語の発音が微妙に違う。
イランで女性に選挙権が認められたのは、1963年のこと。
イランでは、「おまえのおやじは火葬された、というのは最大級に罵倒する言葉。
死者は一般に土葬にする。なぜなら、人は死後、土中に横たわり、最後の審判を受けるときに起き上がって真の審判を受ける。火葬にされたら、審判を受けるとき、魂が入る身体がないことになるから。
食事に招待するのは、普通、昼食。夜の食事は、ごく軽い。
イラン人は暗記の得意な国民である。
イランでは離婚が多く、「バツイチ」などという言葉はない。
イラン人はプライドの高い国民である。自分の置かれた地位にプライドを持っている。性別や年齢、職業、学歴などによるコンプレックスを持たない。
イラン人にとって、自然とは戦う相手。だから人工こそ安心できる空間。シンメトリーな構図の庭でこそイラン人は安心して憩える。
イラン人は教訓、箴言(しんげん)の好きな国民だ。
心は憎しみを生まない。憎しみを生むのはいつも言葉だ。知は力なり。知によって老いの心も若返る。
心から心へは道がある。
イラン人のイメージがつかめた気にさせる本でした。
(2019年3月刊。2500円+税)

2019年6月 6日

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した

(霧山昴)
著者 ジェームズ・ブラッドワース 、 出版  光文社

イギリスでは、階級差が日本と違って、はっきりと目に見えるようです。
そして、サッチャーが炭鉱労働者の戦闘的な組合を壊滅させたことにより、労働者は頼るべき拠りどころをなくしてしまったようです。それは、日本でスト権ストの敗北後に労働組合の力が衰退していったのと同じだと思えます。
著者は実際にアマゾンの倉庫で働き、ウーバーのタクシー運転手、そしてコールセンターでも働いていて、その体験レポートでもあります。
イギリスで労働者になるということは、軽蔑されるか、あるいは生きることがぎりぎり許されるレベルの人間になるということ。現代のイギリスで貧困に陥るのは、いとも簡単であり、どんな選択をしたとしも誰にでも起こりえることだ。
アマゾンの倉庫は4つのフロアに分れ、従業員も4つのグループに分かれている。運ばれてきた商品を受けとって確認し、開封するグループ、商品を棚に補充するグループ、注文された商品をピックアップするグループ、商品を箱に詰めて発送するグループ。
アマゾンは、イギリス国内だけで8000人を雇用する巨大企業だ。一人の従業員は、国際物流のための大きな機械の小さな歯車でしかない。従業員の7割は1日に16キロ以上歩いている。
アマゾンの倉庫での仕事は、肉体的にきついだけでなく、精神的にもうんざりするものだ。この仕事には、感情のための緩和剤が必要だ。そのため脂っこいポテトチップスを買う。
労働者は、ジャンクフードと油と砂糖をたらふく食べる。単純労働による身体感情的な消耗を何かで補う必要に迫られる。それが、タバコ、酒、ジャンクフードなのだ。これが残された数少ない喜びになっている。そのため、肥満率が圧倒的に高い。
現在、イギリス全土で100万人以上がコールセンターで働いている。ウェールズには、200ヶ所以上のコールセンターがあり、3万人の雇用そして6億5千万ポンドの経済効果を生み出ている。
しかし、コールセンターの仕事は、退屈だ。そして雇用は常に不安定だ。コールセンターでは、従業員の監視システムがすすんでいて、従業員のすべての行動が監視・追跡・記録されている。
ロンドンの民間タクシーの運転手は過去7年間で倍増し、11万7千人となった。ウーバーを利用する乗客は2012年に5千人だったのが、今や170万人に増えた。ウーバーの運転手は、ピーという通知音が鳴ったら、15秒以内に仕事を受けるか、ほかのドライバーに任せるかを判断しなければならない。運転手が3回連続で乗車リクエストを拒否すると、外されてしまう。
運転手は、受けた仕事の件数、種類、キャンセルの有無が厳重に監視されている。
利用する料金が安いことから、乗客は運転手に対して敬意を払わない。
サッチャーが炭鉱夫の労働組合を攻撃したとき、多くの人は自分に関係ないことと、屁とも思わなかった。けれども、結局、この国で働くすべての人にその影響が及んだ。そして、その影響は今日までずっと続いている。
先日、イギリス労働党のコービン党首への圧倒的支持の高まりを分析した本を読みましたが、この本と通底するところがありました。要するに、希望を失ってはいけないということです。
(2019年4月刊。1800円+税)

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