弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

2018年8月 1日

五日市憲法

日本史(明治)

(霧山昴)
著者 新井 勝紘 、 出版  岩波新書

明治憲法ができる前に全国各地の自由民権運動は、それぞれ自前の憲法草案を発表したのでした。その一つが五日市憲法と呼ばれるものです。
この本は東京近郊の五日市の「開かずの蔵」から掘り起こされる経緯、そしてそれを発見した大学生がその後、50年にわたって調査・研究した成果が生き生きと語られていて胸が熱くなるほどの感動本となっています。
五日市にあった朽ちかけた土蔵が開かれたのは1968年8月下旬のことでした。わたしは大学2年生、東大闘争が8月に始まってまもなくの、暇をもてあましていたころのことです。
土蔵の2階に小さな弁当箱ほどの竹製の箱があった。蓋をあけてみると、古めいた風呂敷包みが出てきたので、結び目をほどくと、布製の風呂敷はボロボロと崩れてしまった。そして、一番下に和紙をつづった墨書史料があり、「日本帝国憲法」と題した薄い和紙があった。「大日本帝国憲法」ではない。「大」の字が虫に喰われてなくなったくらいに考え、「驚きの新発見」ではなかった。これが、その後の50年の研究のスタートだった。宿舎にもち帰り、そして卒論のテーマとすることになった。
他の憲法草案と比較検証するなかで、まったく目新しい独自のものだということが次第に明らかになっていきます。国民の権利をどう守るか、とりわけ司法によっていかに守るかを重視したものだということが分かります。
今では、まったく東京のはずれでしかない五日市は、明治初年のころは自由民権運動の一つの大きな拠点だったようです。そして、この草案を起草した「千葉卓三郎」の追跡の過程が、それこそ多くの人々の善意によって結実していく過程に心が打たれます。
結論からいうと、卓三郎は仙台藩の出身で、官軍と戦った賊軍の一人でもあり、東京に出てキリスト教に入信し、不敬罪で刑務所に入り、フランス語を学んだりして、自由民権運動に触れて五日市の学校で校長をつとめて憲法草案をつくったものの、31歳の若さで病死したのでした。
今、卓三郎の碑が3ケ所にあるとのことです。それは、ひとえに五日市憲法の内容の先駆性によるものです。自ら被疑者・被告人となって獄舎につながれた経験、かつて賊軍だったことなど、若くして豊富な人生経験したことが結実したものと言えます。
もちろん、五日市憲法の内容も語られているのですが、私にとっては、起草者の発掘過程に胸がドキドキする思いでした。一読に価する新書です。
(2018年4月刊。820円+税)

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