弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

朝鮮・韓国

2016年7月 4日

白磁の人

(霧山昴)
著者 江宮 隆之 、 出版 河出文庫 

日本が朝鮮半島を植民地として支配していたとき、朝鮮民族の文化を尊重して、地を這うように活動していた日本人がいたんですね・・・。
浅川巧という人物です。いまもソウル郊外の共同墓地に眠っています。韓国の人々によって浅川巧の墓は今日まで守られてきました。碑文には、次のように書かれています。
「韓国が好きで、韓国人を愛し、韓国の山と民芸に身を捧げた日本人、ここに韓国の土地となれり」
日本帝国主義の先兵となった日本人ばかりではなかったことを知り、うれしく思いました。
浅川巧は明治24年(1891年)に山梨県に生まれた。生まれたのは山梨県北巨摩(きたこま)郡。この巨摩というのは朝鮮半島の高麗(こま)人が住んだところという意味。つまり、浅川巧には、遠い朝鮮民族の血が流れている・・・。
浅川巧の兄・浅川伯教は、近代日本人として初めて李朝白磁の美に着目した。李朝白磁は、それより前に高い評価が定着していた高麗青磁に比べて、まだその美しさが認められておらず、二束三文で当時の朝鮮で、古道具店に置かれていた。
日本に併合される前、朝鮮の山は、その多くが共同利用地となっていた。「無主公山」と呼ばれて、個人所有者こそいないものの、共同で入会権をもつ山である。ところが、日本政府は軍用木材を必要としていたことから、韓国政府に「無主公山」を国有林野とさせたうえ、日韓併合によって日本の国有林とした。それによって朝鮮の人々は、共同利用地としての入会権を失った。そして、次に朝鮮総督府は、「朝鮮特別縁故森林譲与令」という奇異な法令によって、日本人や親日派の朝鮮人地主に分け与えた。新しい地主は、軍用材の需要にこたえて、もらった山林を乱伐していった。こうやって、朝鮮の山が荒れていった。
浅川巧は、そんな状況下で林業試験場で働いた。
李朝の陶磁には、白磁が断然多い。それは李朝の人々が白を貴び、白を愛好し、白色についての認識と感覚に優れていたせいだろう。
白磁の原料である白土も全土で見つけることができた。量も質も、とても良好な白土だ。
李朝時代の人々は、清浄潔白に対する敬愛の念から人間としても『清白の人』を理想とした。着衣も、上下ひとしく白衣を用いた。祭礼用の儀器も祭器も、ほとんど白磁だった。
京城で、日本軍人から迫害される唯一の日本人・浅川巧を周囲の朝鮮人は、敬愛し、敬慕した。
浅川巧は、ひどい目にあってもチョゴリ・パジを脱ごうとせず、朝鮮語で話し、笑った。朝鮮人は日本人を憎んだが、浅川巧は愛した。
浅川巧は昭和6年(1931年)4月、40歳で病死した。
日本敗戦のあと、在朝日本人の立退を求めて朝鮮の民衆が押しかけてきた。浅川巧の遺族の家に来たとき、浅川巧の家であることを知ると、人々は何もしないで立ち去ったそうです。死せる巧は、最愛の二人、妻と娘を守った。
映画にもなったそうですね。残念なことに、私は知りませんでした。170頁ほどの文庫本ですが、涙なくしては読めませんでした。
(2012年6月刊。580円+税)

2016年7月 1日

揺れる北朝鮮

(霧山昴)
著者 朴 斗鎮  出版 花伝社  

金正恩の北朝鮮支配の実体に肉迫している本だと思いました。
金正恩政権の4年間で、父の金正日時代の党側近や軍の最高幹部は、ほとんど姿を消した。この急ぎすぎは、金正恩の未熟さと性格から来ている。
極度に中央集権化され、その権力が指導者一人に集中されている北朝鮮の政治体制(首領独裁)では、指導者の性格が国家の政策にそのまま反映される。
元在日朝鮮人の母から生れ、公にできない出自から、金日成にさえ秘密にされて育った金正恩は、生い立ちのコンプレックスから、「日陰者」「目立たない存在」が大嫌いな、わがままで感情の起伏が激しい若者に育った。
自身の権威不足と業績不足を後見人の活用でクリアしていくという「まだるっこい」方法は苦痛でしかたなかった。権威のない指導者の歩む道は、今も昔も「恐怖政治」しかない。
北朝鮮指導者の三代目選定は、手続省略ですすめられた。
金正日は、2008年8月に、脳溢血で倒れたあと、自分の寿命が長くないことを悟り、後継者選定を急いだ。消去法により金正恩を選んだと考えられる。
金正日は、自分の予想よりはるかに早く寿命を終え、後継者に十分な帝王学を授けないまま、この世を去った。
金正恩は、わずか2年間の後継者授業しか受けていない。金正恩は、準備期間も資質も足りなかったので、世襲ご後継者というイメージを否定せず、むしろ世襲であることを前面に出し、「白頭の血統」一本やりで正面突破をはかる方式を選んだ。
金正恩が、いつどこで生れたのか、その母親は誰で、金正恩はどのような学校を出て、いかなる役職について今日に至ったのかという経歴が北朝鮮の教科書には、まったく出てこない。
金日成が生存していたとき、正恩の母であるヨンヒの存在は隠されていた。だから、平壌にも母子は公然とは住めなかった。
金正恩が祖父の金日成と一緒にうつっている写真は一枚もない。
金正恩は、1996年から2001年まで、スイスに留学していた。正恩の母、高ヨンヒは、大阪・鶴橋で生れた、在日朝鮮人出身の舞踊家だった。最高権力者となって4年がたった今でも、金正恩は母親の偶像化に着手すら出来ていない。
金正恩は、重要会議で居眠りをする幹部は思想的にわずらっている人間だと決めつけた。玄永哲・人民武力部長を処刑したときの罪名も「居眠り」がつけ加えられている。
金正恩の思いつき現地指導は、幹部たちの悩みの種。金正恩が視察するところに資金と資材を集中させなければならないために、国家計画や企業計画が安定的に遂行できない。つまり金正恩の遊覧式視察は経済成長の妨げになっていた。
自信を偉大に見せようとした金正恩は軍の首脳をはじめとした幹部たちを頻繁に交代させ、祖父のようなとしうえの将軍に向かってタバコをふかす映像を意図的に流した。
張成沢は、金正恩体制をつくりあげる過程で、自分のシナリオどおり進んだことへの過信が油断とおごりをもたらしたのだろう。
張成沢は、人民保安部のなかの武力である内務軍を20万人まで大幅に拡大した。張成沢はクーデター防止の名目で党行政部の力を強化していた。外貨稼ぎをかされ、中国と関係悪化を望んでいなかった張成沢は、金正恩と意見対立を増幅させた。これに、張成沢に利権を侵害されていた軍が金正恩に加勢した。
張成沢は、2013年12月金正恩によって反逆罪で処刑され、遺体は、焼放射機で跡形もなく焼き尽くされた。享年67歳。その家族もまた、すべて処刑された。
金正恩の粛清は、これまでの粛清の枠から完全にはみ出た以上なもの。金正恩には、生涯を通じて義理の叔父殺し、叔母排除の汚名がつきまとうことになった。父親の金正日ですら犯さなかった親族殺しの犯罪に手を染めたということは、それだけ金正恩の能力に欠陥があり、その体制が機弱であることの証左である。
 経済的破綻だけでなく、道徳的正当性までも失った金正恩政権の将来は明るくない。「白頭の血統」とパルチザン伝統が色あせたら、北朝鮮の首領独裁権力の正統性は維持できない。金正恩は、自分の意のままに動く幹部で周辺を固めようとしている。金正恩は、伝統的権力の破壊に向かっている。
この本は北朝鮮内部の組織と人脈を具体的に明らかにしていて、とても説得力があります。ずっしり重たい280頁の本です。ぜひ、手にとって一読してみてください。

(2016年3月刊。2000円+税)

2016年6月 2日

解剖・北朝鮮リスク


(霧山昴)
著者  小倉 和夫・康 仁徳 、 出版 日本経済新聞出版社

北朝鮮は、建国の父である金日成が抗日パルチザン活動をしていたことから、ゲリラ的な活動が得意な「遊撃隊国家」と呼ばれた。
金正日総書記の政治活動について、韓国では「カムチャックショー(びっくりショー)」と言われた。金正恩の手法もそれを継承している部分が少なくない。
朝鮮半島には、今も冷戦構造が残っている。最新鋭の近代兵器をそろえたアメリカ・韓国を相手として、年々広がる一方の通常兵力の劣勢。これを挽回していくほどの経済力はなく、この差を補うには核兵器などの大量破壊兵器が手っ取り早い。
北朝鮮の中国への貿易依存度は9割をこえている。
北朝鮮の経済は、表向きは上向いているとされるものの、決して国民に胸をはれるほどではない。
金正恩体制の主な特徴の一つは、軍中心から党中心へ、国政運営と統治方式が変わってきているということ。軍に対する党の統制を強化し、金正恩体制が軍隊ではなく、党を通じて国政を運営できるように制度的な裏付けをした。金正恩は、軍部の特定の人物や勢力に権力が集中しないようにした。軍部が首領と党に絶対的な忠誠を果たすようにするためである。
金正恩の権力継承過程で重要な役割を担った張成沢-金慶喜-李英鎬-崔竜海のグループは崩壊し、北朝鮮の権力エリートの新たな再編が始まった。
つまり、党組織指導部および党宣伝扇動部の地位と権限が強化され、黄炳瑞などの親政勢力が権力を掌握するようになった。
金正恩政権が発足して抜擢された人物も粛清することで、忠誠を尽くさない人物には例外がないことを示している。
金正恩政権には、軍の元老実力者がおらず、第2グループを形成して分割統治をするほどの権力基盤が構築されているとは言えない。支柱の役割をする勢力もいまだ形成されていないため、力による統治を行うしかなく、これにより反対勢力を牽制し、取り除く作業を継続していく。
金正恩政権下で、物価は比較的に安定し、住民の消費生活は維持されている。
北朝鮮の権力構造が横のつながりを許容しないため、集団的反発が発生する可能性は、ほとんどない。すなわち、北朝鮮の党・政・軍のエリートや住民のあいだに組織的な不満や抵抗の兆候は見られない。金正恩自身は、新たなリーダーシップを確立するため、オープンで型破りな行動を続け、「愛民指導者」とされた。
1993年12月の朝鮮労働党の中央委員会で長期経済計画が発表された。それ以降、北朝鮮は一度も長期経済計画を実施していない。
北朝鮮の経済状況と金正恩による政治の実態を知るうえで欠かせない本だと思いました。
(2016年2月刊。3000円+税)

2016年5月11日

新・韓国現代史

(霧山昴)
著者  文 京洙 、 出版  岩波新書

 韓国は、軍事政権のあとは、革新的な大統領になったかと思うと、保守的な大統領に戻ってしまったり、政権交代が続いています。
 そして、直近の国政選挙では朴大統領の与党が第二党に転落してしまいました。その立役者は、どうやら若者の票のようです。日本でも、野党の統一候補の擁立がすすんでいますので、日本の若者があきらめることなく(選挙に棄権せず)、野党候補へ一票を投じる可能性が高まってきました。
 安保法制、TPPそして労働法制の規制緩和など、今の安倍政権のやっていることは、あまりにも国民、とりわけ若者を無視しています。それに対して「ノー」という審判を下したら、世の中は大きく動きます。今まさに、ワクワクする政治が目の前に到来しているのです。ぜひとも、一人でも多くの若者にそのことを自覚してほしいと切に願います。
 2014年4月16日に起きたセウォル号の沈没事件には、私も泣かずにはいられませんでした。ひどい、ひどすぎる。許せない、そう思いました。だって、前途有為の若者たち(高校生)が300人も死んでしまったのですよ。きちんと誘導・避難していれば、相当数の高校生が助かったと思います。雇われ船長が下着姿で船から脱出している様子は、とても正視できません。お金もうけがすべて。これって、まさに日本の経団連と同じです。ひどいものです。
目先の金もうけのためには、軍需産業を大々的に育成する。そのために税金投入を政府に求めるというのが日本の財界です。どうしようもない連中です。そのくせ、日本の経団連は道徳教育の強化に熱心だというのですから、世の中は間違っているというか、狂っています。
いまの朴大統領の父親である朴正煕が部下の金載売から射殺されたのは、1979年9月のことでした。まったく衝撃的な出来事として、私も記憶が鮮明です。軍人の世界も食うか食われるか、かなり厳しいものなんだと思ったものです。
そして、1995年10月に盧泰愚が、12月には全斗煥が逮捕された。全斗煥は無期懲役盧泰愚は懲役17年の刑が宣告された。すごいですね。すぐに釈放されたとはいえ、強権をふるった元軍人の元大統領が逮捕され、無期とか17年の懲役刑が宣告されたとは、すばらしいです・・・。
 日本にも、まさるともおとらぬ大きな矛盾を社会内にかかえている現代韓国の内面をたどる手頃な新書です。

(2015年12月刊。840円+税)

2016年3月10日

「音楽狂」の国

(霧山昴)
著者  西岡 省二 、 出版  小学館

  2012年7月、平壌・万寿台(マンスデ)芸術劇場。金正恩が臨席するなかで、モランボン楽団が演奏する。その曲目に登場したのはアメリカの音楽だった。「ロッキー」のテーマ。マイウェイ、そして、ディズニーの音楽が演奏された。
 アメリカは、北朝鮮にとって「不倶戴天の敵」と呼んで憎んでいる相手である。いわば「敵の音楽」だから、北朝鮮の刑法では労働鍛錬刑に処せられるはずのもの・・・。
 飢えている国民にミッキーマウスを見せて、いったい何になるのか・・・。
 モランボン楽団は突然異変のように生まれたのではなく、金日成、金正日と引き継がれた北朝鮮音楽の延長線上にある。
 北朝鮮では3代にわたり独裁体制が引き継がれた。この国は、音楽をプロパガンダ(政治宣伝)の手段として使い、歌の大半を金王朝や朝鮮労働党をたたえる内容にした。
 北朝鮮では、音楽愛好家の金正日が音楽を政治と密接に結びつけ、独裁体制を守るための手段の一つにしてしまった。その結果、楽器は、美しく感動的な音を生み出すためのツールではなく、金王朝のメッセージを伝える道具とみなされてしまった。
 北朝鮮では、「ロッキー」などの外国音楽は、一部専門家をのぞいて、だれも聞いたことがないはず。その曲がどこから来たものか知らない。だから、出自さえ明かさなければ、北朝鮮の国民は、その曲が「タブーが破られて入ってきた音楽」なのか分らない。
 音楽マニアだった金正日は、国民の音楽能力を高め、それをプロパガンダ楽曲を浸透させるための土壌とした。音楽と政治を結びつける「音楽政治」という用語を編み出して、自身への忠誠心を植え付け、社会の結束を図った。「青少年は、少なくとも1種類以上の楽器を演奏できなければならない」
 かの銃殺されてしまった、張成沢はアコーディオンの名手だったそうです。意外でした。
 北朝鮮音楽を支えるのが、幼いことから音楽教育を受けてきた北朝鮮国民であり、その中から選び抜かれた音楽家たちだけなのである。
 北朝鮮で音楽を普及させるのは、決して人々の心を豊かにするためのものではない。
 北朝鮮では、才能のある子どもたちは、専門的に音楽教育を施す機関に送られる。北朝鮮では歌が上手くなっても月給が上がるわけではない。そもそも自分の成功のために仕事をしているわけではない。
北朝鮮の素顔の一つを知った思いがしました。

(2015年12月刊。1400円+税)
天神の映画館でハンガリー映画「サウルの息子」をみました。ナチス・ドイツがアウシュヴィッツ絶滅収容所でユダヤ人を大量虐殺している過程で、その死体処理やら遺品整理をさせられたユダヤ人たちがいました。ゾンダーコマンドと言います。およそ4ヶ月間の命です。次々に交代させられ、彼らも殺されてしまします。その一人に焦点をあてて、収容所の非人間的な状況を再現しています。カメラは主人公にずっと焦点をあてています。遠景は出て来ません。大量殺人の収容所を具体的にイメージすることが出来ました。

2015年12月27日

朝鮮・東学農民戦争を知ってますか?

(霧山昴)
著者  宋 基淑 、 出版  梨の木舎

  日清戦争が始まったのは1894年。その年に、朝鮮半島で、農民が立ちあがりました。
  はじめ、敵は中国でも日本でもなく、朝鮮王朝の横暴な政治への抗議行動でした。
  1000人で始まった農民軍の戦いは、次第に増えていき、ついには、何万人、何十万人へとふくれ上がっていきます。朝鮮王朝の政府軍に対しては、農楽隊が景気づけをしながら、鶏かご作戦など、知恵と工夫で連戦連勝していきます。
  ところが、中国軍が登場し、さらには、日本軍が出てくると、農民軍は竹槍主体でしかなく、武器・弾薬がたちまち欠乏して、日本軍の近代兵器の前には、なす術もなく敗退していきます。日本軍は戦上手なうえに冷酷無比。農民軍を圧倒し、虐殺の限りを尽くすのです。
  日本人として、日本が朝鮮半島を植民地化していく過程をきちんと認識しておく必要があると痛感しました。
  この本には、初めにマンガで少し背景の説明があります。それで、イメージをもって本文にとりかかれます。本文は、子ども向けのように分りやすい文章で、農民軍のたたかいの苦労がよくよくしのばれます。
この本の最後に訳者あとがきのなかで、1995年に北海道大学の研究室で発見された「東学党首魁」の頭骨のことが紹介されています。日本にとっては単なる反乱軍のリーダーだったのでしょうが、朝鮮・韓国の人々からすれば、まさしく英雄です。遺骨を韓国へ無事に送り返すことができたのは大変すばらしいことだと思います。
  このあと、朝鮮では、日本の植民地支配に抗して1919年3月1日に3,1独立運動が起きます。民族の独立と自由ほど尊いものはないのです。
  この本は、そこに至る朝鮮の人々の姿を生き生きと描いています。
  
(2015年8月刊。2800円+税)

2015年9月 2日

朝鮮と日本に生きる

(霧山昴)
著者  金 時鐘 、 出版  岩波新書

 著者は、少年時代を済州島で過ごしました。
 若者の父は、謎めいた人物だった。築港工事の現場で働いていたにしては、相当の物知りだった。朝日や毎日という日本語の日刊新聞も読んでいたし、日本語の本が家にたくさんあった。トルストイ全集まであった。
 しかし、父親は著者に対して家のなかで日本語を話すことはなかったというのです。
 著者は、このトルストイ全集を小学(国民学校)6年生のころから読みはじめました。トルストイの『復活』を読んだというのです。すごいですよね・・・。
 日本軍が敗れ、済州島が解放されると、徴兵徴用で徴発されていた3万人の若者をふくめて6万人もの済州島出身者が島に帰還してきた。島の人口は29万人にふくれあがった。
 日本の敗戦直前の大阪市には、32万人もの在日朝鮮人がいた。そのうちの6割強が済州島出身者だった。
四・三事件の前後、済州人は「済州の輩」という悪し様に呼び捨てされるほど、嫌われた。
 「謀利輩」(もりべ)と済州島民は本土の人たちから、さげすんで呼ばれた。もうけのためには、なりふりかまわない輩(やから)たちという意味のコトバ。
 これは、日本から帰国してきた済州島民の一部が思いあまって始めた密貿易に由来する。済州島の人民委員会は本土の組織が滅亡したあとも健在だった。それだけに、本土からみると、済州島は「赤(パルゲンイ)の島」に見えていた。
 1945年、解放された韓国では、筋金入りの右翼反共主義者・趙炳玉がアメリカ軍政によって重用された。国防警備隊は趙炳玉の配下にあり、趙は6.25事案のときに内務部長官をつとめた。趙炳玉は、アメリカの「マッカーシズム」が青ざめるほどの共産主義撲滅推進者だった。趙炳玉にとって、アメリカ軍政に同調しない者は、すべて「アカ」であり、撲滅しなければならない赤色分子だった。
 著者は、1946年暮れ、18歳のとき、南労党に入党した。朴憲永指導部は南労党に改編してまもなく、指導部の拠点を北朝鮮に移した。南労党に入った著者は予備党員として、レポ(連絡員)の仕事についた。レポ要員に決まると、党事務所への出入りが禁止された。非合法活動に入ったのです。
 南労党は済州島内に3000人からの党員をかかえた。そして、その指導する青年組織である「民愛青」は、四・三武装蜂起時の核心勢力となった。
 四・三事件のあと、民愛青の同盟員は、それだけで討伐隊に惨殺された。しかし、四・三事件の前には、同知事が祝辞を述べ、警察署の主任が結成時に臨席して祝うという関係にあった。
 1948年に起きた四・三事件の直前の3.1島民大会には島民の1割をこえる3万人もの大群衆が大会に結集した。3.1島民大会のとき警察が発砲して死傷者が出た。これに対する抗議行動は、ゼネストに広がり、官吏の75%がストライキに参加した。
 4月から5月10日ころまでは、「山部隊」(蜂起側)が抗争の主導権を握っていた。しかし、その後、アメリカ軍に支援された韓国政府は焦土作戦をとり、山部隊を根こそぎ殺戮していった。
そのさなかに著者は済州島を脱出して、日本へ渡るのでした。まさしく間一髪の危機の下の脱出です。四・三事件当事者の一人としての貴重な体験記です。
(2015年2月刊。860円+税)


 8月26日、東京の日弁連会館で法曹と学者の合同記者会見があり、その他大勢の一人として参加しました。前列に最高裁元判事、内閣法制局の元長官、学術会議の前会長、長谷川、石川といった名だたる憲法学者などが座り、一人ひとり自分の言葉で安保法案は憲法違反だと明確に断言します。いわば政府側にいた人たちが、口をそろえて安保法案は違法だと言っていることの意味はとても重いと思います。私は、歴史的な一瞬を目撃している気分でした。
 この共同会見を取材している報道陣は50人ほどもいたと思います。言論、表現の自由も危ないのだから、マスコミ陣も「中立」とかではなく、廃案めざしてともにがんばりましょうという力強い呼びかけが学者からなされたのが強く印象に残りました。
            

2015年8月20日

北朝鮮の核心

(霧山昴)
著者  アンドレイ・ランコフ 、 出版  みすず書房

 北朝鮮の金正恩政権がいつまでもつのか、大勢の人が心配しています。もちろん、私も、その一人です。
 張成沢の電光石火の処刑には驚かされましたが、その後も副首相などの処刑が相次いでいるというニュースが流れています。
 いったい、なぜ時代錯誤のような政権が今もなお続いているのか、北朝鮮国内には抵抗勢力はいないのか、不思議でなりません。
 でも、日本も今の自民党を見ていると、同じようなものですよね。多くの国民の意見を無視して戦争法案の成立を強行しようとする安倍首相に対して、あれだけたくさん自民党議員がいるのに、ごく少数の議員を除いて、誰も公然と反対意見を述べれらないのですから。
 北朝鮮だと、それこそ銃殺されるか、強制収容所送りなのでしょうが、日本の自民党議員は自民党公認を得られないかもしれない、だから次は国会議員になれないかもしれないというだけで、安倍首相に文句の一つも言えないのです。情けなさすぎます。
 北朝鮮の指導層は、大国の足並みの乱れを最大限に利用している。理性を欠く国にできることではない。指導層は自分たちが何をしているのか、実際には、完全に分かっている。頭がおかしいわけでも、イデオロギーの虜(とりこ)になっているのでもなく、むしろ冷徹な計算のできる有能な人々である。現代世界で、もっと非情なマキャヴェリ思想の実践者といえる。
 1990年ころ、国内事情の事態が悪化したとき、エリートたちと金一族は改革を避けることにした。国と自民民を支配しつづけるためだ。別の方向に舵(かじ)を切るのは自殺に等しいと考えている。
10万人近い在日朝鮮人が北朝鮮へ「帰国」した。この帰国者たちは、特権を有すると同時に差別されているという奇妙な立場におかれた。1990年代はじめまで、日本からの送金は、北朝鮮にとって、大きな収入源だった。
朝鮮戦争では、平和条約は結ばれていない。1953年に調印されたのは、あくまで休戦協定にすぎない。
 1968年に、北朝鮮は1月と秋に2回、韓国に特殊部隊を送り込んだ。1月には31人が大統領官邸を襲撃しようとした。秋には120人規模で韓国の東海岸に上陸し、失敗した。
 1983年、ビルマのラングーンで韓国の大統領暗殺未遂事件が起きた。
 1987年1月、韓国の旅客機が空中で爆破された。1988年のソウル・オリンピックを妨害する目的だった。
 北朝鮮の社会には、厳然たるカースト制度がある。核心階層、動揺階層そして敵対階層である。この成分は、男親を通じて受け継がれる。
北朝鮮は収容所国家である。2012年の推計によると最大12万人が収容所で生活している。
2008年、北朝鮮の平均寿命は69歳。乳幼児の死亡率が低いのは、政府が個人のプライバシーに踏み込んで全国民を管理しているから。
 北朝鮮のインフラは、植民地時代末期から、ほとんど変わっていない。農業ほど、ひどい打撃を受けた分野はない。
 北朝鮮の平均月給は1995年から2010年まで、2~3ドル。しかし、実際の月収は25~40ドル。庶民の大半は、収入の多くをインフォーマルな経済活動によっている。
中朝間の国境警備は、今ほとんど機能していない。警備兵にリベートを払って、密輸業者が活躍している。
 北朝鮮を脱出して中国に隠れている人々は、常時1万人以上はいるとみられている。
韓国在住の北朝鮮難民の平均所得はわずか1170ドルで、韓国人の平均給与の半分でしかない。
 北朝鮮出身の学生には、韓国の大学で前提とされる基本的な知識やスキルがなく、この点で、韓国人学生に差をつけられている。
 北朝鮮のトップエリートとヤミ市場の流通業者は、根本のところで利害を共通にしている。しばらくのあいだ北朝鮮が分断国家として存続することを望んでいるのだ。
 北朝鮮の指導層は、はじめに危機をつくり出して緊張を高め、危機の生じる前の状態に戻す見返りに交渉相手から金銭と譲歩を引き出す。これに長けている。
 中国政府が何より恐れているのは、北朝鮮に内部崩壊が発生することで引き起こされる情勢不安定。難民の大量流入、大量破壊兵器の拡散である。そして、それは中国国内に何らかの社会不安を誘発する心配がある。
 中国政府の立場では、分断状態が続くことには、いくつもの利点がある。その一つが北朝鮮の鉱物資源を中国企業が安く手に入れることができるということ。
 北朝鮮のエリートは、政権が崩壊したら、敗者として処刑されるか、リンチで殺害されるという恐怖をいだいている。このようなエリートは、家族をあわせても100万人から200万人ほどで、全人口の5~7%にすぎない。しかし、彼らは武器を扱えるし、組織を掌握している。
長い目で見れば、北朝鮮の政権は持続不能だ。統一後の混乱に今から備えておく必要がある。北朝鮮の金一族に協力したことについて、一切を問わないようにしないといけない。   
とても説得力のある本でした。北朝鮮が今にも日本に攻めてくると真面目に心配している人には、ぜひ読んでほしい本です。北朝鮮は、それどころではないことが、よく分ります。
            (2015年6月刊。4500円+税)

鳥カゴのなかの幼鳥は、羽を広げることはできるし、少しは飛べる。あと何日かしたら自由に飛べるだろう。その直前にヘビに狙われて、巣から追い出されたわけだ。
 夕方暗くなるまで、ヒヨドリの親たちはうるさく鳴いていた。幼鳥たちも小さな声で応じている。
 夜は家のそばに置き、フタをしてふろしきで覆った。ヘビもいるけれど、猫が入ってくる。
 朝になった。鳥カゴのフタをはずして庭に置いてやる。親鳥が鳴いているのを聞いて、大きな幼鳥は鳥カゴを飛び出し、スモークツリーの枝にまで上がった。
 小さい方の幼鳥は鳥カゴのなか。親鳥は鳥カゴの中までなかなか入らなかったが、ついに餌を与えた。
 これで、なんとか大丈夫かな、、、、。

2015年8月18日

戦争ごっこ

(霧山昴)
著者  玄 吉彦 、 出版  岩波書店

 済州島四・三事件を子どもの目を通して自伝的小説です。
 戦前、数えで7歳になって小学校に入った。牛をたくさん飼っているので、村の人たちからは金持ちの家だと言われている。
 叔父は、漢文の本をたくさん読んだ長老として尊敬されている。
 叔父に召集令状がきた。家の中に雰囲気が一変した。ぼくは、叔父が兵隊になるのがこの上もなくうれしかった。ところが、他の人はそうでもないのが不思議だった。
 ぼくたち子どもは、戦争ごっこをした。日本兵と米軍とに別れて戦う。戦いは、いつも日本軍が勝った。
 ぼくは、日本の兵隊も死ぬということが理解できなかった。銃もある。刀もある。大砲もあるのに、死ぬなんてバカなことがあるものか。
 5歳上の兄がぼくの頭にげんこつを喰らわして叱った。
 「兵隊になるって?人を殺す兵隊になるというのか。このバカ!」
 叔父が戦死した。叔父は米軍のやつらと戦って死んだ。本当に立派で勇敢な人だと心から思った。
日本が戦争に負け、われわれが植民地支配から解放されたその時、ぼくは数えの8歳だった。それまで、学校では日本語ばかり勉強してきたので、ハングルはまったく知らなかった。
父は町長になった。ある晩、若い男たちがやって来て、父を連れ出した。父は帰って来なかった。二日目、村はずれの海岸の崖下の岩のあいだに死体で発見された。両手をしばられたままだった。
 パルチザンの襲撃で家を失った村人たちは、焼け跡に急場しのぎの風よけをして数日をすごした。やがて、派出所と小学校を中心にして、石で城壁を築きはじめた。
 山から下りてきたパルチザンは村を襲撃し、おおぜいの村人を殺した。討伐隊にとらえられたパルチザンザンたちは、学校や村はずれの海岸で処刑された。
 ぼくら子どもたちは、またもや戦争ごっこに熱中した。ゲリラを捕まえて処刑する戦争ごっこは、1年生にのときにやっていた米軍と日本軍の戦争ごっこより面白く興味をそそった。ぼく自身が父を殺されてパルチザンに憎しみをもっていたからだ。
 パルチザンは、本当にぼくの敵だったから、遊びといえども、やつらと戦って勝つと、気持ちがよかった。共産ゲリラによって家を失い、家族を失った子どもたちは、ゲリラを討伐する戦争ごっこに熱中した。ぼくらの戦争ごっこは、実際に起こりうる事件だった。
 「戦争って、だれが起こすのかしら?」
 「人間だろう」
 ぼくは、ためらうことなく答えた。
戦争中には、ぴりぴりして、浮き足立っている人々がいた。
 戦争に行った叔父やそれを見送った村の人たち、四・三事件のときの近所の人たちの目つきもそうだった。人が起こした戦争で人が死に、家を失い、故郷を去り・・・。
 戦争が、どのような状況で起きるのか、そして進行していくときの社会状況を生々しく再現した小説です。いま、安倍首相と自民・公明の両党は日本と世界の平和を守るためと称して、嘘八百を平気で並べ立て、国民をだまして戦争へ駆り出そうとしています。
 弁護士会は、多くの憲法学者、歴代の内閣法制局元長官などとともに、この憲法違反の安保法制法案の廃案を目ざしてがんばっています。ぜひ、一緒に声をあげてください。
(2015年3月刊。2700円+税)

巣から何かが落ちてきました。
 ヒヨドリの幼鳥です。あっ、子育て中だったんだ、何があったのか。幼鳥は、地上の草むらで鳴いている。どうしよう・・・。
 まだ2羽のヒヨドリはうるさく鳴いている。あれれ、巣からヒモがぶら下がってきた。えっ、ヘビだ。ヘビ。ヘビが木の枝にぶら下がって、口には、もう1羽の幼鳥をくわえている。緑っぽい、白いヘビ。そして、揺れたあげく、どさっと落ちた。
 きっとアオダイショウだ。あーあ、2羽目の幼鳥は食べられてしまったな。
 一羽目の幼鳥が地上で鳴いているのを見つけた2羽のヒヨドリは、近くを飛びまわる。
 このままにしたら、2羽ともヘビに食べられてしまう。それも可哀想。とりあえず、ダンボール箱にその幼鳥を入れてみた。
 すると、ヘビが落ちた草むらで何かが動いた。もう一羽も助かったのだ。

 

2015年8月13日

なぜ書きつづけてきたか・・・

(霧山昴)
著者  金 石範・金 時鐘 、 出版  平凡社ライブラリー

 済州島三・四事件について、その当事者でもある二人の文学者による真摯な対談集です。読みごたえがあります。
 1946年、北朝鮮では金日成が主導権を握った。そして、信託統治に賛成するのか反対するのか、意見が分かれた。これは、金日成と朴憲永との主導権争いでもあった。信託統治というのは、北朝鮮のさまざまな勢力のいわば民主的な妥協のもとで成り立つ「臨時政府」の樹立を目ざすわけなので、もしこの「臨時政府」が成立したとすれば、金日成は、その臨時政府の指導者のなかの単なる一人になってしまう。実際にも、当時のソ連は、金日成を朝鮮延滞の指導者というより、軍事指導者のあたりが適当だと考えていた。
 左派勢力のなかで、賛宅か反託かは、金日成と朴憲永の指導権争いの意味を持っていた。済州島の島内は、はっきり反託に固まっていた。アメリカとソ連という二代超大国が角突きあわせるなかで、アメリカ軍と民衆が限られた地域で衝突したのは済州島しかない。
「北」の改革がもう少しゆっくりした変革だったら、あれほど「共産主義」を嫌いにならずにすんだかもしれない。「北」の改革は、問答無用式に民族反逆者を処断し、土地を没収し、地主を追放してしまった。
 四・三事件が起きたのは1948年のこと。私が生まれた年のことです(私は12月生まれ)。4月の段階では、せいぜい長くて半年で終わると思っていた。本土からすぐにも援軍が来ると期待していた。南労党支部の軍事委員会が本土の国防警備隊とつながっていて、呼応した軍隊が反乱を起こして救援に来てくれるという説明がなされていた。
 たしかに軍隊の反乱は起きたのです。そして、例の朴正熙(元大統領)も、当時は南労党の軍事委員だったのです(危うく死刑になりそうになったのでした)。
 四・三蜂起のあと、4月28日には、武装蜂起隊のリーダーである金達三と第九連隊の金益烈連隊長とのあいだで和平合意が成立した。
組織というものは、動いているうちは強いけれど、ひとたび停滞して内部が割れ出すと、まったく無力になる。もっともおぞましくなって、誰も、みんなを信用できなくなる。
一人の赤色容疑者のために村をまるごと焼き尽くすという惨烈な殺戮が広まると、かえって「山部隊」に対する怨嗟も広まっていった。
四・三事件のとき殺戮した側のほとんどが、その後、個人的な栄達を手にして韓国社会での名士に成り変わった。そういう殺戮者が正義であるということは正さなければならない。
 四・三事件を平定した権力者たちは、誰が何と言おうと、殺戮者であることは間違いない。
今やカジノがあるので日本人にとっても有名な島である済州島で1948年に起きた悲惨な歴史的事実を、当事者の対談によって掘り起こした貴重な本です。
(2015年4月刊。1400円+税)

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