弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

朝鮮・韓国

2021年5月 1日

囚人Ⅱ


(霧山昴)
著者 黄 皙暎、 出版 明石書店

現代韓国を代表する作家として、ノーベル文学賞候補と言われる作家の自叙伝の後半(続き)です。
高校在学中に新人文学賞をとったというほどの早熟の作家なのですが、ともかく、その社会生活の多様さに圧倒されます。国内の無賃乗車の旅は韓国の若者特有の冒険旅行のようです(日本でも、かつて若い人がリュックひとつを背負って旅行してましたね。バックパッカーとして...。今は、聞きませんね)が、きつい肉体労働を若いときから何回もしていますし、出家しようと決意して、お寺での僧坊生活も体験しています。
さらには、徴兵に応じて海兵隊員としてベトナムへ行って1年半ものあいだの実戦経験があります。帰国してからも肉体労働しながら著述をすすめ、ついに専業作家となるのですが、民衆文化運動に加わるなかで民衆による光州事件を支援し、北朝鮮訪問も敢行しています。書斎にとじこもった作家というのではなく、歩きながらペンもとるという行動派の作家として歩んできました。
ベルリンとニューヨークで亡命生活を送ったあと韓国に帰国し、5年にも及ぶ刑務所生活を余儀なくされたのでした。1998年に金大中政権が誕生して、ようやく赦免されたのです。
まさしく波乱万丈の人生です。そのことが著作に深味というか重味をもたらしているのでしょう。大河歴史小説『張吉山』は完結するまで10年かけているとのことですが、その間、作家業に専念していたのではなく、韓国民主化運動のなかで発出された宣言の起草もしていたというのです。まさしく民衆のなか足で行動する作家と言えます。
ひょうきん者として知られていたが、実際は内気で内向的な性格なのを、他人は知らない。おどけたふりをするのは、自分を傷つけないための一種の防衛策なのだ。先手を打つとでも言おうか。先にこちらは騒ぐと、たいてい相手は私がどう考えているかを知ってしまう。そうならないために身についた「策略」なのだ。
小説家は天職と考えるようになった。それでも、小説家は、「学識者」ではなく、もともと市場(いちば)の物売りのような市井(しせい)の「商売人」であるべきだとの思いに変わりはない。
生きていくとは、それ自体は手応えのある喜びで、苦しい人生もすべてが自分の人生の一部なのだ。
刑務所の独房には話し相手がいない。なので、言葉を忘れがちになる。真っ先に消えるのは固有名詞。朝起きると、自分に話しかける。一日中、ぶつぶつ、つぶやく。国語辞典を借り出して、収録されている用語を大声で順番に読み上げることもある。だけど、監房での読書は正しい読書ではないと悟った。書籍も、他人と意思を伝えあいながら読むことで、きちんと消化される。独房での孤独な身での読書では、読んだ本の内容は観念の柱のように、壁の前に耐えて立っているだけ。
コロナ禍の下でのズームによる会議も、終わったあと頭に残りません。そのときは分かったつもりでいても、ズームが終了すると、それこそたちまち雲散霧消してしまって、ほとんど何も頭の中に残っていません。
著者は刑務所を出たあと妻とのあいだで数年にわたって離婚訴訟をたたかったようです。離婚訴訟というものは、長引けば長引くほど、お互いを傷つけるもので、まるで一生を賭けているように譲歩の余地もなくもつれ、汚物や泥沼の上を転げまわり、最終的に残ったのは、呵責(かしゃく)の念、申し訳なさ、相手に対する憐憫の情などをまったく持っていない(としか思えない)、すっかり消し去るほどの威力をもつものだった。
監獄では、外部世界のように春夏秋冬という四季はなく、寒い冬と寒くない季節の二つに分かれる。誰かが面会に来ると、しょぼくれた姿を見せまいと、わざとジョークを飛ばしていた。活気あふれる声で話すようにしていた。なので、周囲からは、あまり同情してもらえなかった。
ベトナムの戦場では、生死の境は常に身近にあった。「両足で歩いているすべてのベトナム民間人は敵と思え」。これがアメリカ兵のなかに流行していた警句。ということは、アメリカはこの戦争には勝てないということ。
ベトナムの戦場でゲリラの死体を見ても、人間としての憐みの感情をもてなかった。それは、ただ異様な物体でしかなかった。そして、何より、彼らにも同じように未来に対する夢があったことだろうが、そのことに気がつかなかった。
ベトナム人の蔑称「グック」は韓国語の「ハングック」から来ているのだそうです。初めて知りました。ともかく、すごい行動派作家がいたことに圧倒され、頭がクラクラします。
(2020年12月刊。税込3960円)

2021年4月 6日

囚人(黄晳暎自伝)


(霧山昴)
著者 黄 晳暎 、 出版 明石書店

現代韓国を代表する作家です。ノーベル文学賞候補と言われているとのこと。
私は韓国軍がベトナム戦争に参戦した状況を描いた『武器の影』(上・下)を1989年に読んで圧倒されたことを記憶しています。アメリカの要請を受けて韓国軍はアメリカ軍によるベトナム侵略戦争に加担したのでした。そのおかげで韓国経済は立ち直ったと言われていますが、ベトナムの罪なき人々を残虐に殺したことで韓国軍の悪名が高かったのも事実ですし、韓国人兵士もかなり戦死しています。心身に故障を抱いた元兵士が今も存在するようです。
このように著者は韓国内で名前の売れた作家なのですが、なんと北朝鮮に何回も行っていて、金日成とも会食をともにしたり親しかったとのことです。もちろん、フツーの韓国人がそんなことをしたら反共法違反で逮捕され、有罪なるのは間違いありません。
この本では韓国に帰国して南企部で肉体的な拷問こそ受けなかったものの、眠れないようにされたうえで、延々と尋問が続くという、一種の拷問は受けています。
そして有罪(実刑)となり、教導所と呼ばれる刑務所生活を余儀なくされました。その囚人としての生活が具体的に紹介されているところも興味深いものがあります。
著者は共産主義者ではなく、北朝鮮に何回も行ったからといって北朝鮮を美化することもない。北朝鮮のような社会体制を思想的に支持することはできないと明言しています。平和主義者として、統一を願って行動してきました。韓国が真に民主化されたら、その力で北朝鮮を変えられると信じています。
眠らせずに尋問する程度のことは、拷問のうちには入らない。
ソウル市長として実績をあげていた人権派弁護士の朴元淳も著者の弁護人(3人)の1人でした。セクハラ事件が明るみに出たあと自殺したのはショックでしたし、残念でした。
刑務所(矯導所)には当時、驚くべき肩書の人がたくさんいました。国会議員、高検の検事長、前国防長官、前・現の参謀総長、海兵隊司令官、銀行頭取など...。
食パンを水に着けて、カビを生やさせて、マッコリ(焼酎)をつくっていたというのも初耳でした。そして、隠れてタバコも房内で吸っていたそうですので、こちらも少しばかり驚きました。
著者は、国家保安法上の罪で逮捕され有罪となって下獄したわけですが、この国家保安法は本当にひどい法律です。戦前の日本の治安維持法をそっくりまねて導入した悪法です。広く知られている事実であっても、北朝鮮を利するなら「機密」にあたるという判決が出たのでした。
金日成からプレゼントとしてもらった白頭山産の朝鮮人参を3本も一度に食べたというエピソードが紹介されています。要するに、当局から没収されてしまうくらいなら、食べてしまえと思ったとのことでした。大変読みごたえのある自伝です。
(2020年10月刊。税込3960円)

2021年2月21日

「パチンコ」(上)


(霧山昴)
著者 ミン・ジン・リー 、 出版 文芸春秋

アメリカで100万部突破した本だということです。オバマ元大統領も読んで推薦したという話題の本です。
いやあ、なるほどなるほど、前評判どおりの重厚なストーリー展開です。四世代にわたる在日コリアン一家の苦闘を描いていますが、上巻ですから、まだその半ばです。
舞台は、韓国の港町・釜山(プサン)のすぐ近くの影島(ヨンド)の漁村に始まります。
ときは、日本が大韓帝国を併合して植民地として支配していたころのこと。
主人公のソンジャは、働き者の父を早くに亡くし、母とともに下宿屋を営んでいる。そこに独身の若い牧師がやってきた。日本の大阪へ旅する途中に病弱の身を休ませようというのだ。やがてソンジャは年上の男性に気に入られ、妊娠する。ところが、そのときになって初めて男性は日本に妻子がいると告白した。韓国社会では、父なし子を産むことへの偏見、制裁は強い。ソンジャは男性に裏切られたと絶望する。それを承知で牧師が結婚を申し出る。そして、二人は無事に日本へたどり着き、大阪に腰を落ち着ける。
戦前の日本と朝鮮の社会状況が活写されていて、その置かれた状況に抵抗なく入っていける展開です。
戦前の日本はついに無謀な戦争に失敗し、敗戦を迎える。ソンジャは2人の子をかかえて、さあどうする...。下巻が待ち遠しくてなりません。
(2020年12月刊。2400円+税)

2021年1月28日

朝鮮半島を日本が領土とした時代


(霧山昴)
著者 糟谷 憲一 、 出版 新日本出版社

「日本は朝鮮を支配したというが、日本は朝鮮でいいことをしようとした。朝鮮の山には木が一本もないということだが、これは朝鮮が日本から離れてしまったからだ。もう20年、日本とつきあっていたら、こんなことにはならなかっただろう。...日本は朝鮮に工場や家屋、山林などをみな置いてきた。創氏功名もよかった。朝鮮人を同化し、日本人と同じく扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫というものではない」
今でも戦前の日本が朝鮮半島を植民地として支配していたことを美化しようとする人がいますが、とんでもない歴史の歪曲(わいきょく)です。
冒頭の発言は1965年(昭和40年)1月、日韓会談における日本側主席代表(高杉晋一・三菱電機相談役)が日本の外務記者クラブで語ったものです。
この本は、この発言がいかに事実に相違したものなのかを詳細に論証しています。
日本が朝鮮を植民地化したのは、1868年以降、要所要所で武力示威、武力行使を加えて、朝鮮半島における勢力を拡大し、一方的に押し付けた結果であるのは明らか。
合意にもとづいて「韓国併合」がなされたというような虚偽の議論をすべきではない。「韓国併合」を「国際社会が認めた」として正当化するのは、植民地を領有した国、しようとした国が互いに依存しあったことをよしとするものにすぎないので、それで正当化できるものではない。朝鮮の独立を保証すると言いながら、日本は独立を奪ったのであって、その背信は深く反省すべきもの。
戦時下の労働動員に際して、数々の非人道的な行為が日本政府、朝鮮総督府、動員先企業によってなされたことは否定しがたい事実である。非人道的な行為に対する慰謝料は当然に支払われるべきものだ。
日本が朝鮮に日本軍を常駐させる口実をなったのは、日本公使館の護衛だった。もともと、公使館護衛は朝鮮側がするべきことで、日本軍隊の配備は主権の侵害となる。しかし、日本は壬午(じんご)軍乱(1882年7月19日)で反乱軍の兵士が日本公使館を包囲・襲撃し、そのとき花房公使以下がようやく脱出できたという事情を利用して、武力を背景に朝鮮側に認めさせた。いったん認められた駐兵権は、日本の軍事力が朝鮮内に浸透していく足場となった。
その後の天津条約(1885年4月)で日本と中国(清)の双方が軍隊を朝鮮から撤退する合意が成立したときも、わざわざ公使館護衛兵の駐兵権は除くとされた。
1910年8月の「韓国併合に関する条約」では、韓国皇帝が日本天皇に統治権を譲与する形式で、韓国を日本に「併合」するとされた。これは、「韓国併合」が合意によるものであると装うための虚構である。このとき、日本は、日本が一方的に施行する法令を遵守するものだけは保護すると宣言した。いやはや、まさしく植民地支配そのものですね。
朝鮮に施行する法令の制定権は、天皇、帝国議会、朝鮮総督の三者がもった。朝鮮人は代表を帝国議会に贈ることはできなかったので、立法権にはまったく参与できず、統治の客体にすぎなかった。
朝鮮人を「同化」するとは、日本人と同等・同権に扱うことではなかった。
1918年の3.1独立運動は朝鮮人の多数が日本の武断政治に不満をもっていて、植民地支配の継続を望んでいないことを明確に示した。その参加者は空前の規模であり、旧来の地方有力者である両班(ヤンバン)や儒生、郡参事、郡書記、面長など総督府の支配機構の末端を担う者も含まれていた。
日本の安保法制法が成立する前、国会前では空前の規模の反対行動が展開していましたが、その参加者のなかに文科省のトップ(事務次官)になる直前のエリート官僚(前川喜平氏)も参加していたことを急に思い出しました。
私と同じく団塊世代の著者による丁寧な歴史叙述です。ぜひとも多くの人に読んでほしいと思いました。日韓関係が一刻も早く改善することを心から願っています。
(2020年8月刊。1800円+税)

2020年12月21日

私は私のままで生きることにした


(霧山昴)
著者 キム・スヒョン 、 出版 ワニブックス

心にしみる言葉のオンパレードです。韓国で100万部、日本40万部が売れたというのも、なるほどとうなずけます。
私の知人(弁護士)に、ときどきネット上で自分の悪口が書かれていないか確認するようにしているという人がいます。一喜一憂するのだそうです。私は一度もしたことはありません。もちろん、ほめ言葉なら、シャワーのように浴び続けたいのですが、悪口ばかりだと落ち込んでしまいそうで、それが怖いのです。
この本は、根拠のない悪口だったら犬が吠えているだけだと思えばいいとしています。
それでも犬が吠え続けたら、黙って聞いていないで、しっかり責任を追及しようと呼びかけています。弁護士である私は、責任追求するのも、相手の人によりけりだと思います。かえって、反応があったとばかり、相手を喜ばせてしまうだけのこともあるからです。
お互いに傷つけあうような社会では、誰も幸せになんかなれない。
人を侮辱するのが一番の楽しみだという人は、「負け犬」そのもの。
韓国の社会は、日本と同じように、自分の感情を尊重するよりも、他人の考えや感情に注意を払うような教育を受けてきた。
社会的地位、経済的安定そして周囲の人々から認められること、こればかりを追い求めてきて、自分を見つめることを知らずに生きてきたため、内面が空虚なままだった。なので、幸せという実感がもてない自分がいる。これって悲しいことですよね...。
韓国社会には反共主義が深く根づいているが、それは決められた答え以外を口にするのは思想的に不純であるとみなすような社会をつくりあげてきた。韓国社会は、正解とされた少数派の傲慢と、誤答とされた少数派の劣等感が凝縮された、病みきった社会だ。
韓国には、「6.25心性」というものがあるとのこと。朝鮮戦争という非人間的な惨事を経験した韓国人が身につけた、極端な生存競争、物質万能主義、手段を選ばない個人主義をさす。
人生を豊かにするには、自分の好みを探さないといけない。そのためには、自分の感覚に正直になること。
自分の好みを見つけ、それを深く掘り下げるために、いろいろなものに触れる努力も大切。でも、好みというのは開発するものではなく、感じるもの。
「政治から目を背けることの最大の代償は、もっとも俗悪な人間たちに支配されることだ」
これはプラトンの言葉だそうです。まるで、いまの日本のアベ・スガ政治と投票率50%の状況を言いあてている言葉ではありませんか...。
「機械のように毎日を送ってきた人は、80歳まで生きたとしても短命だ」
毎日、似たようなパターンの生活をするのは、人生の無数の可能性と多様性を圧縮し、自分の人生を失うこと。だから、週末には海を見に行こう。仕事の帰り道に違う道を歩いてみたり、新しい人に会ったり、勇気を出して、これまで経験したことのないことをやってみよう。
自分に対する固定観念を脱ぎ捨てて、自分にも予測できない自分になってみよう。
ふむふむ、なるほど、なるほど...。うんうんと強くうなずきながら、読みすすめ、一気に280頁ほどの、絵本のような本を読み終えました。
(2020年10月刊。1300円+税)

2020年12月 3日

韓国の若者


(霧山昴)
著者 安 宿緑 、 出版 中公新書ラクレ

日本の若者も大変な状況だと思いますが、韓国の若者はどうやらもっと大変そうです。
韓国は、高学歴貧困者の数が世界トップレベルにある。一流大学卒業でなければ、希望の職に就くのは、まず無理。
韓国では日本と違って、新卒採用者にも即戦力を求める。そのため、インターン経験の有無が重要となる。これって、フランスでも同じようです。日本だったら、入社して早々に社内で缶詰め研修を受けたりするわけですが...。
韓国では、どんな会社でも、学歴のほかに、実務とは関係ない資格を要求する。たとえが、英語のTOEIC700点とか、コンピューターのライセンス、また韓国史検定とか...。
文在寅政権が最低賃金を上げたため、アルバイトが激しい競争にさらされている。最低賃金を上げたのはいいことだと思うのですが、そのため、競争率が激化して、アルバイトにすらありつけない若者があふれるようになった。これも、たしかに困りますね...。
韓国では、財閥はもちろん、高い地位にいる人が貴族のように横暴な振るまいをすることが多い。熾列な競争を潜り抜けてきたから、そのあげくに支配層の一員にすべりこんだら、その自意識が肥大化し、ときに暴走してしまう。
ナッツ・リターン・ナッツ姫のとんでもない横暴さは、なんと氷山の一角だというのです。
大企業40代定年説という見方もあるそうです。実際、大企業を退職する平均年齢は49.1歳だといいますからね...。
韓国の大学進学率は日本よりも高い。国内の7割の若者が大学に進学している。
階層が親の経済力によって固定されやすいのが韓国社会の特徴だ。
韓国の婚姻件数は、1996年の43万5千件をピークとし、2019年に史上最低の24万件となった。出生率も0.94人。
過保護に育てられ、生活能力が身につかなかった若者が少なくない。
現在の韓国社会では、階層がほぼ固定化し、経済的に同じレベルでしか結婚しにくい状況にある。
韓国の20代の男性は、女性のほうが自分たちよりも優遇されていると感じている。
彼らは、徴兵に対して被害者意識をもち、軍隊は時間の浪費で、損失と考えている。
これは真理ではないでしょうか。徴兵制度のない日本に生まれて、私は本当に良かったと思います。
韓国の軍隊のなかでは、女性兵に対する性的暴行よりも、男性同士の性行為のほうが厳罰化している。うひゃあ、本当ですか...、信じられません。
韓国には「地雑大」というコトバがあるそうです。日本の「駅弁大学」と同じニュアンスのようです。「地方の雑多な大学」のことを指摘します。
韓国の若者に新興宗教に走る人が少なくない。韓国内には、自らをイエスの生まれ変わりと主張する人が40人近くいる。そして、その信者が200万人もいることになっている。死んだ文鮮明の統一協会のような宗教団体が韓国内にはびこっているようです。
いやはや大変なんですね。日本に働きにくる韓国人を応援したいと本気で思いました。
(2020年9月刊。820円+税)

2020年11月11日

植民地支配下の朝鮮農民


(霧山昴)
著者 樋口 雄一 、 出版 社会評論社

日本が戦前、朝鮮半島を植民地として支配していたときの実情を詳しく調査した本です。
日本の植民地下の朝鮮の人口の8割は農民であり、2500万人の2割、500万人もの人々が日本だけでなく、中国東北部(満州)や中国、そして南洋へ移動した。それは16歳から50歳までの稼働労働人口だった。その主たる要因は食の窮迫にあった。
朝鮮総督府のレポート(1941年版)にも、食糧の不足から、人々は食を山野に求めて草根木皮を漁り、かろうじて一家の糊口をしのいでいるとしていた。
当時の朝鮮の乳幼児の死亡率は30%ほどで、2歳か3歳まで生きていて初めて出生届をした。なので、平均寿命を統計的に明らかにすることができなかった。
本書が分析の対象としている江原道は、平均寿命が43歳と低かった。
江原道は高地が多く、冷害の被害を受けやすかった。自作率の高いことが特徴。
江原道は、畑作地帯で、大豆・小豆とも良質の品種がとれた。農家の半数は牛を飼養していて、養蚕も盛んだった。
朝鮮社会の主食は87%が混食で、米や麦も粟などと一緒に炊かれていた。魚も肉もほとんど食べられず、副食はキムチと味噌が大半だった。
トウモロコシとジャガイモだけでは人々の成長は遅く、皮膚病にかかりやすかった。
江原道でも蜂起があり、日本軍と戦った。蜂起には5千人以上が参加し、銃器も3千丁ほど所持していた。しかし、日本軍は砲兵隊や機関銃をもち、最新式の軍隊だった。
蜂起軍は、「暴徒」というレベルをこえ、指揮と戦闘体制がととのっている部隊もあった。日本の支配に反対するという明確な目標をもつ、民衆の自覚的な運動だった。
日本軍は、正規軍と憲兵隊そして警察が一体となって殺戮を行い、蜂起軍を鎮圧した。
朝鮮総督府はケシ栽培とアヘン生産を統制し、推進した。そして、戦前の朝鮮には少なからぬ、麻薬中毒者がいた。そして、日本は今度は、麻薬を朝鮮や中国に輸出した。
朝鮮総督府は軍部をバックとしてケシの生産を割りあてていた。朝鮮における麻薬生産は総督府の指導のもとで、大々的に行われていた。
江原道庁には、日本の敗戦間近なころから不穏な動きがあった。住居などを朝鮮人が日本人から買い取るという申し込みもあっていた。朝鮮人は知識人を中心として、ラジオで世界情勢を知り、日本の敗戦が間近に迫っていることが共通認識となっていた。
日本敗戦時、日本内地に200万人の朝鮮人が居住していたが、満州にも200万人、中国各地に計100万人の朝鮮人が暮らしていた。2500万人の朝鮮人の2割が国外に暮らしていた。
朝鮮半島の中央部にある貧しい江原道の戦前の実態が紹介されている労作です。
(2020年3月刊。2600円+税)

2020年9月 1日

元徴用工和解への道


(霧山昴)
著者 内田 雅敏 、 出版 ちくま新書

2018年10月30日、韓国大法院(日本の最高裁判所にあたる)は、戦時中、日本製鉄で強制労働させられた韓国人元徴用工が損害賠償を求めた裁判で、会社に賠償を命じる判決を言い渡した。その後、三菱重工についても、同じような判決がなされた。
徴用工は、戦前に日本の植民地下にあった朝鮮半島から多くの人々が日本に連れてこられ、鉱山、炭鉱そして工場で過酷な労働に従事させられた人々のこと。初めは募集、官斡旋(あっせん)、そして国民徴用令による徴用となったが、形式の違いはあっても実態として強制労働だった。
私の父も三池染料の徴用係として朝鮮半島から徴用工を連れてきたと生前に語り、驚きました。
日本社会では、この大法院判決を安倍内閣を先頭として「ちゃぶ台返し」として非難する人々がいる。それは、1965年6月の日韓基本条約・請求権協定で決着ずみだという。しかしながら、実は日韓請求権協定で放棄されたのは、国家の外交保護権であって、個人の請求権まで放棄されたわけではない。
ところが、日本のマスコミの多くは、そこを区別せず、避難の大合唱に加わっています。
たしかに、1961年12月に韓国政府が8項目12億2千万ドルを日本政府に要求したなかには、徴用工についての賠償として3億6400万ドルがふくまれていた。これに対して日本政府は、元徴用工に対する賠償を否定しながら、12億ドルの要求を3億ドルに値切って政治決着させた。なので、韓国政府としては、請求権協定のあとは日本政府に元徴用工についての賠償は求めていない。
なるほど、そういうことだったんですね...。
そして、日本の国会では、個人の請求権が消滅していないことは繰り返し、政府答弁で名言した。
「これは、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということ。したがって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない」(1991年8月27日、柳井俊二・外務省条約局長)
河野太郎外務大臣も、最近の国会で、個人請求権が消滅していないこと自体は認めた(2018年11月14日)。
ところで、同じように強制連行された中国人元徴用工について日本の裁判所は時効だ、除斥期間を過ぎているとして請求棄却して大きく批判された(1997年12月10日、東京地裁判決)。この判決を原告側が控訴したところ、東京高裁(新村正人裁判長)は和解を勧告し、2000年11月29日、和解が成立した。そして、その後も、2009年10月23日、西松建設広島安野の和解、2016年6月1日の三菱マテリアル和解と続いた。ただし、鹿島建設が和解において法的責任を認めたわけではないとしたことから、日中間で、いくらかゴタゴタが起きた。
責任といっても法的責任と道義的責任がある、また三菱マテリアル和解のときには「歴史的責任」と表現された。そして、原告側が被告の主張を「了解した」というのも、承認・了承ではないということなのだが、その差(違い)は微妙なところだ。
この本によると、朝鮮人元徴用工との裁判で新日鉄や日本鋼管、そして不二越が和解に応じて、解決金200万円、410万円、3000万円を支払ったことも紹介されています。
判決だけでなく、和解による解決金支払いという決着もありうるわけです、
そのとき、最高裁判所に「付言」があったことの意義も著者はきちんと評価しています。
最後に、裁判官の苦悩を少し紹介します。
2006年3月10日の長野地裁・T裁判長(この人だけ、なぜか実名ではありません)
「和解が成立できなかったことを残念に思い、お詫びします。自分は団塊の世代で全共闘世代に属するが、率直に言って私たちの上の世代は随分ひどいことをしたという感想を持ちます。裁判官をしていると、訴状を見ただけで、この事案が救済したいと思う事案があります。この事件も、そういう事件です。一人の人間としては、この事件は救済しなければならない事件だと思います。心情的には勝たせたいと思っています。しかし、どうしても結論として勝たせることができない場合があります。このことには個人的葛藤があり、釈然としないときがあるのです。最高裁の判決がある場合には、従わざるをえません。判決を覆すには、きちんとした理論が立てられないとやむをえません。この事案だけに特別の理論をつくることは、法的安定性の見地から出来ません...」
2007年3月26日、宮崎地裁・徳岡由美子裁判長
「当裁判所の認定した本件で強制連行・強制労働事実にかんがみると、道義的責任あるいは人道的責任という観点から、この歴史的事実を真摯に受けとめ、犠牲になった中国人労働者についての問題を解するよう努力していくべきもの...」
2005年3月7日、福岡高裁宮崎支部・横山秀憲裁判長
「被告弁償によって解決すべきであると判断した。当裁判所も和解に向けた努力をしてきたが、現在に至るも解決できず、判決することになった。今後とも、関係者の和解に向けた努力を祈念する」
2009年11月20日、仙台高裁・小野定夫裁判長
「強制労働により、きわめて大きな精神的・肉体的苦痛を被ったことが明らかになった。その被害者らに対して任意の被害救済が図られることが望ましく、これに向けた関係者の真摯な努力が強く期待される」
大変、時宜にかなった、すばらしい内容の新書です。広く読まれることを心から祈念します。あわせて、著者の今後ひき続きの健筆を期待します。
(2020年7月刊。880円+税)

2020年5月 2日

あやうく一生懸命生きるところだった


(霧山昴)
著者 ハ・ワン 、 出版 ダイヤモンド社

韓国で25万部も売れてベスト・セラーになった本です。
イラストレーターになって、しゃかりきにがんばったこともある著者が、ある日、ふと、いったい自分は今、ここで何をしているんだろう...と振り返ってみたのです。すると...。
必死に努力したからといって、必ずしも見返りがあるとは限らない。
必死にやらなかったからといって、見返りがないわけでもない。
人生とは、実に皮肉なものだ。
2000年代の初め、テレビで有名女優がカード会社のCMで、こう叫んだ。
「みなさーん、お金持ちになってくださーい」
私はテレビを見ることはありませんが、日本のテレビでこんなCMが流れるとは、とても思えません...。この「お金持ちになってください」という言葉は、韓国では、またたく間に国民的流行語になった。それ以降、韓国では、「お金持ちになろうフィーバー」が吹き荒れた。そして、韓国は、お金が最高という、物質万能主義社会になった...。そういうものなんでしょうね。
ほかの選択肢はないと妄信(もうしん)してしまうのは、いかに愚かなことか...。
世の中、そして人生は、決して一筋縄ではいかない。世の中のすべてが自分ひとりで解決できるレベルの問題ではないからだ。
理想どおりにならなくても人生は失敗じゃない。人生に失敗なんてものはない。
自分が自分の人生を愛さずして、誰が愛してくれるだろうか。自分の人生だって、なかなか悪くないと認めてからは、不思議とささいなことにも幸せを感じられるようになった。
幸いにも、万人ウケしそうなものをやっても結果は変わらない。
結果なんか分からないのだから、自分の好きなことをやったほうがいい。
「一生懸命がんばります」と言うとき、嫌いなことを我慢してやり遂げるという意味が含まれている。つまり、楽しくないのだ。
だから、一生懸命に生きるのは、つらい。それは我慢の連続だから。同じ人生、どうせなら「一生懸命」より、楽しく、のほうがいい。
天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てない。
つまるところ、人生は一回こっきり、あまり肩肘張らず、ゆったり気分で、1日を過ごしたい。たしかに、そんな気にさせてくれる本でした。
(2020年3月刊。1450円+税)

2020年4月 3日

夜は歌う


(霧山昴)
著者 キム・ヨンス 、 出版 新泉社

民生団事件、すなわち1930年代の中国・満州を舞台として、そこにいた朝鮮人の民族主義者(独立派)、共産主義者と中国共産党のあつれきをテーマとする小説です。民生団事件は中国共産党の恥部、暗黒の歴史の一つと言えるものですが、それが小説とし再現されています。これは大変重たいテーマですが、単なる歴史解説書とか弾劾本ではなく、じっくり読ませる小説となっています。
当時の満州は、もちろん日本が支配していました。そして、日本軍は現地の討伐軍を配下としながら、抵抗勢力を野蛮に武力でもって鎮圧していくのです。
日本軍の指揮する討伐隊は住民50人あまりを集団虐殺し、村に火を放った。
満鉄調査部には東京帝大卒で、共産主義者として活動していたところを逮捕・起訴され、転向して日本を逃れてきたという人間もいた。これは歴史的事実です。
1933年1月26日、コミンテルン駐在の中国共産党代表団は、満州の共産党員へ「1.26指示書簡」を送った。すなわち、日本軍の討伐によって深刻な危機に瀕していた抗日闘争の情勢からみて、各民族間の葛藤こそが根底的な問題であるとみなし、日本に対抗しうる統一戦線の結成を要求した。
 抗日民族統一戦線の樹立は、抗日という目標のもと、各派、各党、各民族を結合するものであると同時に、いったん抗日民族統一戦線に加わった者は、右傾、派閥主義、民族主義といった名目で、いつでも粛清されうることを意味していた。そして、派閥主義とならんで民生団が指導部に入りこんでいるとして粛清の対象となった。
満州の北間島は朝鮮人を主体とする抗日武装勢力が活動していたのに、中国人幹部が乗り込んでくることになったのです。民生団は日帝のスパイ組織であり、朝鮮人共産主義各派は、この民生団の片腕だと決めつけられ、粛清の対象となっていきました。民生団とみなされた元朝鮮共産党のメンバーに対して自白が強要されたのです。
党組織、革命政府、遊撃隊、群衆団体の70%が民生団員と認定され、6ヶ月もしないうちに、60余名のなかで生き残ったのは、わずか1人だけという大惨事が起きた。
なかには、一族を連れて逃げる党員もいた。遊撃区の人民はほとんどが朝鮮人だったので、逃げるのは100%が朝鮮人だった。当然、彼らは民生団とみなされ、捕まると拷問され自白を強要されて処刑された。
著者は、まだ50歳の若さですが、現代韓国文学の第一人者とみられています。詩人としてデビューし、たくさんの話題作を出しているとのこと。
日本語に訳されたものもあるそうですが、私は初めて読みました。しっかり考えさせられる小説です。
(2020年2月刊。2300円+税)

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