弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

朝鮮・韓国

2017年5月19日

関釜連絡船(上)

(霧山昴)
著者 李 炳注 、 出版  藤原書店

1992年に亡くなった著者の長編小説が日本語になったものです。
1921年に韓国に生まれた著者は、日本の明治大学や早稲田大学で学んでいます。戦後は、釜山で新聞社の編集局長をつとめて、44歳で小説家となったのです。
『智異(チリ)山』『小説南労党』などを出版しています。日本語になっていれば私も読んだと思いますが、私の書棚には見あたりませんでした。読んだような気はするのですが・・・。
この本は、どこまでが実話で、どこから小説なのか、その境界線がよく分からない不思議な体裁の小説として進行していきます。舞台は主として、日帝から解放された直後の韓国の農村部です。高校を舞台として話が展開していきます。
アメリカ軍の軍政下にあって左翼の教師と生徒たちが騒ぎたてます。それに反発した右翼の学生も学生大会を妨害するのでした。
教員のなかで、中立を保つことは至難の状況に置かれ、論争の渦中に身を投じる破目になるのです。
賢明なやり方と不可避なやり方とは違う。抗拒するにしても、効果的な方法で、みんなで結束してやるべきだ。左翼は、アメリカ帝国主義の威力を恐ろしいものだと口では言いながら、行動ではアメリカを侮るようなまねをする。秩序維持に対する観念の差があるだけで、アメリカは、日本以上に強硬な国だということを知るべきだ。日本の統治下で不可能だったことがアメリカ軍政下は可能になるなどと考えるのは、とんでもない錯覚だ。その錯覚でもって民衆を引っぱったところでどうなるものか・・・。
なかなか難しい選択を余儀なくされたわけです。そして、同胞同士が殺し、殺される状況に突入してしまうのです。
やはり、平和のために暴力をつかうと、いつまでたっても暴力の連鎖は続いてしまいます。ですから、一見すると迂遠なようであっても、平和のために暴力をつかうのではなく、平和を実現するのは平和的な言論によるしかないのです。ただし、これって、口先で言うのは簡単ですけれど・・・。
西洋のことわざに、こういうのものがある。友人は100人いても多過ぎることはない。しかし、敵は1人でも多過ぎる。
私も、敵はなるべくつくりたくはないのですが、かといってもちろん聖子君子とはほど遠い存在ですので、「敵」というべき存在が何人もいた(いる)ように思います。申し訳ないことです。トホホ・・・。
(2017年2月刊。3200円+税)

2017年4月18日

ルポ・思想としての朝鮮籍

(霧山昴)
著者 中村 一成 、 出版  岩波書店

ネットをみていると、いまの安倍政権を批判している人に対して、「反日思想を抱いている連中は、日本から出ていけ」と簡単に言う人がいて、本当に悲しくなります。
日本という島には多種多様な人がいるのを許容できない心の狭い、哀れな人です。きっと、幼いころから、周囲の人に愛されて育ったという実感のないまま成人してしまったのでしょうね。気の毒ではありますが、そんな自分の狭い体験にもとづく間違った考えを他人に押しつけてはいけません。
日本に朝鮮人がなぜ存在するのか、それはアメリカ人が日本にいるのとは違った歴史的経過があるということを、きちんと認識すべきだと日本人の一人として、そう思います。私の父も、戦前、三井の労務係員として強引に朝鮮人を日本へ連れてきたということを私自身は忘れてはいけないと考えています。
高史明、朴鐘鳴、鄭仁、朴正恵、李実根、金石範、という6人の「朝鮮籍」にこだわっている人たちに、その理由をインタビューしたものをまとめた本です。なるほど、歴史は個人のなかに生きていると思いました。
2015年末現在の朝鮮籍者は3万4千人ほど。在日外国人全体の1.5%。韓国籍者は、その13.5倍。特別永住者に占める朝鮮籍者の割合は1割弱でしかない。
日本共産党が戦後の短い期間に無謀な軍事路線をとっていたとき、山村工作隊の隊長だった人物もいます。そこへ、元党員のナベツネ(渡辺恒雄)が取材に来るのです。その結果が、ナベツネの特ダネ(スクープ)となったのでした。
「潜水艦や金属活版だって朝鮮人が初めてつくった。天文観測を初めてやったのも朝鮮人だ」
本当なのでしょうか、私は知りませんでした・・・。
祖国とは、第一に民族。南か北か、総連か民団か、とかではなくて、民族としてどうあるべきかを考えてほしい。若い人に対して、こう言ってきた。
なーるほど、そうですよね。私も同感です。
1955年ころ、在日朝鮮人の生活保護受給率は2割をこえていた。これは全体の10倍になる。このころ、多くの「在日」は「今日のメシ」が課題だった。今では、世界有数の超大金持ちになった孫氏も鳥栖の朝鮮人集落で生活していたようです。
済州島4.3事件を描いた『火山島』の著者である金石範は、こう語った。
「私は、あくまで統一祖国を求める。実現すれば、そこの国籍をとり、国民となる。ただし、そのとき私は、もはや民族主義者ではない。それ以降は、必要に応じて国籍を放棄するつもりでいる」
この本を読むと、戦前と戦後は連続していること、そして、それが今につながっていることを実感させられます。私にしても、50年前の日本がどうだったのか、そう問われたら、思い出せないはずはありません。それは大学1年生の私がいたわけです(現在、68歳)。そして、大学1年生の経験があって、今の私があるわけなのです。連続性があってあたりまえなのです。
大変重たい内容の本でした。ずっしり感があります。
(2017年1月刊。2000円+税)
日曜日、春の陽気に誘われて庭に出て畑仕事をしようとして長靴に足を入れると、ふにゃりとした感触。あれ、どうしたんだろうと、逆さまにすると、なんと死んだ若モグラが出てきました。先日、風が吹いて長靴が倒れていましたので、起こしたのですが、倒れていたあいだに地上に出てきたモグラがトンネルと間違えて入っていたようです。可哀想なことをしました。
チューリップはそろそろ終わりかけていて、アイリスが咲きだしました。これからジャーマンアイリスそしてクレマチスが咲きそうです。
紫色のシラーもあちこちに咲いてくれています。ウグイスの美声の下、アスパラガスを収穫しました。太さも十分で、少し甘味があって美味しいアスパラガスでした。春らんまんの午後を楽しみ英気を養いました。

2017年4月 7日

北朝鮮の国家戦略とパワーエリート

(霧山昴)
著者 玄 成日 、 出版  高木書房

 これはすごい本です。北朝鮮の現状、そのトップの人事構造と統制の仕組みについて、これほど詳細かつ具体的に分析できるとは、見事というほかありません。
 著者は脱北者の一人です。父親は、万景台革命学院を卒業し、政府護衛総局、東欧留学を経て労働党中央員会組織指導部副部長、第1副部長、幹部部長、検関委員長、道党責任秘書などを歴任している。まさしく北朝鮮の権力の核心に長く身を置いていた。そして、叔父もまた、著者が脱北したあとも軍部にいて、金正日の側近として体制に忠誠を尽くしている。著者自身は、権力層家族のための平壌南山高等中学校と金正日総合大学英文科を卒業し、同大学の教員、外務省と海外公館の外交官として勤務していた。ですから権力上層部の動向が身近なものでもあったようです。
金正恩権が誕生して3年たったが、この政権を構成している核心権力エリートの大部分は依然として金日成と金正日によって育成され補充された人物たちである。
 基本的に先代の路線と政策の枠組みから抜けられずにいるのも、継承を通した正当性確保が世襲政権の生命であり、先代の遺産である既存統治システムと権力エリート構造が世襲政権の基礎になっている。
北朝鮮では、全住民を多くの階層に分類し、各個人に一定の成分を付与することで、入党と各種人事に活用している。
 1971年末までに全住民を3階層51部類に分類した。基本階層391万人、動揺階層315万人、敵対階層793万人。北朝鮮の半数以上が動揺階層と敵対階層に属している。
北朝鮮では、すべての住民が出身成分と社会成分の2種類の成分を付与される。出身成分は生まれたときに家庭が置かれた社会階級的関係によって区分される成分。つまり、本人が出生した当時の父母の成分を意味する。出身成分は、日帝時期や朝鮮戦争のような過去の身分と職業を反映したものが大部分である。社会成分は、主として現在の身分と関連したもので、本人が直接社会生活を始めたあとの職業と社会階級的関係によって規定される成分を意味する。すなわち、職業を基準としている。
 思想性の強調は出身成分の強調を意味し、思想性中心の幹部選抜は、結局、労働者階級出身中心の選抜を意味する。政治性中心の原則は、結局のところ一般的な幹部補充よりも政治エリート補充に目的を置いている、金正日時代に、北朝鮮の指導思想がマルクス・レーニン主義から金日成主義に転換された背景には、既存の指導思想と理念が、金正日の絶対的権威と金正日の後継体制構築に障害になるという判断によるとみられる。過去、権力層で金正日の権威と路線に挑戦したエリートは、ほとんどマルクス・レーニン主義の理念と党性で武装した理論家だった。いくらマルクス・レーニン主義理論に精通して能力を備えたとしても、忠誠心に問題があると判断された者は、幹部はおろか、北朝鮮社会で生きていくことさえ困難になった。
幹部対策の重要な原則の一つが、派閥形成遮断の原則である。人事担当者は、血縁、地縁、学縁、人縁などによって人事問題を処理できないよう、厳格な禁止事項が定められている。幹部政策として、学縁や学閥による補充も原則として排除された。金正日総合大学出身者が派閥を形成する可能性はまったくない。
「散れば生き、まとまれば死ぬ」。
北朝鮮が強調する専門性は、忠実性の別の表現であり、忠実性が欠如した専門性、金日成と金正日の路線に反する専門性は、幹部政策では絶対に許されない。
 密室政治を通じて、側近は金正日に自身の見解を表明する空間が与えられ、北朝鮮の政治に実質的影響力を確保することができた。
 金正日後継体制において、組織指導部は、4~5人の第1副部長と10人余りの副部長、300人ほどの職員で構成される巨大な組織に拡大した。ここは、金正日の直属部署として唯一指導体制確立の核心道具だった。側近の資格は、金正日の意図を事前に十分に把握し、それにあうように自己啓発をし、建議できる人にあること。側近になるには、飲酒と歌唱力、ユーモア感覚のようなパーティー文化に必要な資質や、最小限その雰囲気に適応できる融通性が求められた。このパーティー文化は、少なくない側近の寿命を縮めた。飲酒運転による死亡事故、過度の飲酒が原因の病気による早死などである。
 金正日政権下の北朝鮮の権力構造の特徴は、金正日が場・軍・政の各分野をタテの従属関係ではなく、ヨコの並列関係において、自分が直接政治する方式が定着したことにある。
側近といっても、絶対に油断も隙も見せられない。突然の左遷、そして粛清もありうる。
過去に党政治局が行っていた上層部での政策決定の役割を金正日時代には側近政治が代替した。
 張成沢にとって、党組織指導部との対立関係を解決できなかったのは、致命的な失敗だった。張成沢の電撃的で公開の粛清は、北朝鮮権力層とエリート、住民に金正恩を幼いと見くびり、もしくは金正恩の「権威」と指導に挑戦する者は、誰であれ容赦しないことを明確に示した恐怖政治の典型だった。
 北朝鮮トップに君臨しているエリートたちが氏名をあげて論じられています。実に具体的で、なるほどという分析が続きますので、430頁の本を一日で一心に読みふけってしまいました。北朝鮮に関心をもつ人々には一読を強くおすすめします。

(2016年9月刊。3000円+税)

2017年2月22日

少年が来る

(霧山昴)
著者  ハン・ガン 、 出版  クオン

 1980年5月18日。韓国全羅南道の道庁所在地である光州で、市民による自発的な民主化闘争が戒厳軍によって無惨にも武力鎮圧される事態が起きました。いわゆる光州事件です。当時、日本のマスメディアは手のつけられない暴徒を軍部がようやく鎮圧したと報道し、まるで、市民が暴徒化したのが悪いかのように描いたのでした。
 なにより厳重な情報統制により、詳細かつ正確な情報が日本に入ってこなかったのです。私自身も何か大変なことが韓国で起きているけれど、何が起きているのか分からないという、もどかしい思いで一杯でした。
 光州事件の真相が広く知られるようになったのは、7年後の1987年6月に軍部出身の廬泰愚(ノテウ)大統領候補が民主化宣言をしてからのことです。
 この本は光州事件をテーマとする小説です。いろんな手法で事件の真相、実情にアプローチしていますので、小説の作法として目新しさを感じました。
 軍人が殺した人々に、どうして愛国歌をうたってあげるのだろうか。どうして対極旗で柩を包むのだろうか。変だと感じた。まるで、国が彼らを殺したのではないとでも言うみたいだ。軍人が反乱を起こしたんじゃないの、権力を握ろうとして。真っ昼間に人々を殴って、突き刺して、それでも足りないみたいに銃で撃ったのを見たでしょ。そうしろって、彼らが命令したの。そんな彼らを、私たちの祖国の人たちだと、どうして呼べるのか・・・。
 機関銃と戦車がある精鋭部隊の戒厳軍が、朝鮮戦争のときに使っていたカービン銃をもっている市民軍を怖がるなんて考えられない。作戦の段取りをしているだけのこと。
軍人が撃ち殺した人たちの遺体をリヤカーに載せ、先頭に押したてて数十万の人々とともに銃口の前に立った日、不意に発見した自分の内にある清らかな何かに自分で驚いた。もう何も怖くはないという感じ。いま死んでもかまわないという感じ。数十万の人々の血が集まって、巨大な血管をつくったようだった新鮮な感じを覚えている。その血管に流れ込んでドクドクト脈打つ、この世で最も巨大で崇高な心臓の脈拍を感じた。
この日、軍人に支給された弾丸は80万発。当時、光州の人口は40万人。光州にすむ都市全住民に2発ずつ死を打ち込むことのできる弾丸が支給された。
 できる限り過激に鎮圧せよという命令が下っていた。そして、特別残忍に行動した軍人には、軍の上部から数十万ウォンずつの褒賞金が渡された。
 畜生のアカどもめ、降伏するってか、命が惜しくなったってか、くそったれめ、いかす映画みてえじゃないか。
両手をあげて前にすすんできた五人の生徒たちをM16自動小銃で撃ちまくった。
 特別に残忍な軍人がいたように、特別に消極的な軍人もいた。人に弾を当てないように銃身を上にあげて撃った兵士たちがいた。軍歌斉唱のとき、最後まで口をつぐむ兵士もいた。
 光州事件の実際をまざまざと思い起こさせてくれる小説集です。
(2016年10月刊。2500円+税)

2016年11月15日

忘却された支配

(霧山昴)
著者 伊藤 智永 、 出版  岩波書店

中国人の強制連行は、日米開戦の1年後、産業界の要請を受け、日本政府が「内地移入」を閣議決定し、1944年2月から本格化した。3万8935人が拉致同然に連行され、鉱山、土木、建設、造船、港湾荷役など、35社の全国135事業場で、「牛馬にも劣る」労役を課せられ、6830人が死亡した。
敗戦後、日本政府は中国人強制連行について連合国側からの追及に備えて、専門調査員16人を全国に派遣して詳細な実態調査を行っていた。その調査結果は30部限定で極秘だったが、何者かが東京華僑総会にもち込んだりして世に出た。
ところが、韓国についての強制動員は、政策的に黙殺、封印した。
日本に侵略され交戦した戦勝国の中国、日本に支配され解放された植民地の朝鮮。実態は同じ戦時での強制連行労働でも、情報の整理と開示、補償と決着のつけ方が、これほど違っている。
紀州鉱山には英軍捕虜300人、朝鮮人労働者1350人が働かされていた。朝鮮人の半数は氏名すら分からない。国の施策にもとづき和歌山県が「朝鮮人労働者募集要綱」で毎年度の目標人数を承認し、会社が労務係を朝鮮に派遣していた。労務係は朝鮮に渡ると総督府そして割り当て地域の地元警察署に出向き、「手間賃」か「心付け」を100円ずつ渡し、警察署から朝鮮人の里長や区長に割り当て人数が伝えられた。日本へ行かされる人間は区長が選んだ。労務係は郡の警察署で待っていて、予定の人数だけ集められた徴用者を名簿と一緒に引き渡され、集団で紀州鉱山へ引率した。これは「強制連行」ではなかったが、同じようなものだ。
実は、戦前、私の父も同じ労務係として朝鮮から300人の労働者を三井化学に引率したことがあります。「喜んで日本に来る人もおったばい」と語り、悪いことをしたという罪悪感をもっていませんでした。それは、当時の朝鮮半島には、日本が激しく収奪していたことから、食うに困った人々が多かったことの反映です。
日本人は過去の負の遺産を忘却してはいけない。そのことを痛感させてくれる本です。歴史の掘り起こしは大切だと私はつくづく思います。
(2016年7月刊。2200円+税)

2016年11月 6日

おにぎりの本多さん

(霧山昴)
著者 本多 利範 、 出版  プレジデント社

 韓国にセブン・イレブンを定着・展開させていく苦労話です。日本と韓国の食習慣の違いなどもよく分かり、面白い本です。
 ダイエット中の私は、ときにお昼をコンビニのおにぎり(ねり梅)1個ですますことがあります。パリパリした海苔と梅干がご飯によくあって美味しく食べられます。コンビニにとって、1個100円のおにぎりは主力商品なのですね・・。
現在、セブン・イレブンでは平均して1日1店舗が320個のおにぎりが売れている。店舗は1万8千店なので、セブン・イレブンだけで1日に576万個も売っている。コンビニ全体では1日に1228万個が生まれている。1年間にすると、44億8220万個という途方もないおにぎりが売られている。
 ところが、韓国人にとって、冷めた食べ物を食べる人は、お金のない人。だから、はじめのうち、韓国ではおにぎりが売れなかった。
 韓国海苔は、あえて繊維を残して厚さにムラを出し、硬い触感を楽しむタイプ。そして、塩と油で味付けされた味付け海苔が主流。海苔という食べ物は、すでに双方の国で、形も味も、ともに理想形が確立していて、国民的食べ物にまで昇華されている。そこで、妥協の産物として韓国のコンビニで売られているおにぎりは、シートに入った海苔は、ところどころ向こうが透けて見える韓国海苔風だが、食べると日本の絶妙なパリパリ感も味わえるものとなっている。
韓国ではキムチを具としたおにぎりは売れなかった。なぜか・・・。韓国の食堂では、キムチは無料。だからキムチおにぎりは、無料の具材を入れただけでお金を取ろうとしていると思われ、価値を見出してもらえなかった。なるほど、ですね。
 韓国でおにぎりがブームになったのは2001年から。そのころ、日本では年間28億個だった。この年、韓国は2000万個。翌2002年に、ようやく1億個になった。
ハンバーガーは年間17億個が売れているので、まだまだおにぎりも売れるはずと踏んだ。
著者は韓国のテレビに出演して「おにぎりの本多さん」として有名になったとのことです。
韓国では、天ぷらおにぎりもダメだった。韓国では天ぷらの地位が低すぎた。天ぷらは高級料理ではなく、屋台料理か刺身屋のおかずでしかない。うひゃあ、信じられません・・・。
この本を読んで、私はスーパーマーケットとコンビニの根本的な違いを認識しました。
スーパーマーケットは、生鮮三品(肉・魚・野菜)を核として売り場がつくられている。いつもと変わらない売場のほうが客にとって買い物もしやすいし、安心。変化は緩やかなほうが好まれる。
 コンビニは、季節はもちろん、その日その日の天候、店舗周辺のイベント、そして朝、昼、晩の時間帯と、消費者を取り巻くあらゆる微細な変化に対応していく必要がある。コンビニだからこそ出来る細やかな「変化対応」にこそお客は価値を見出す。そのための売り場づくりを日々考え抜いている。
コンビニの面積は、日本は30坪、韓国はもっと狭くて22坪。
韓国のコンビニの平均日販は20万円ほど。日本は50~70万円。
コンビニには、1日3回の商品搬入がある。コンビニでは、人は自宅にストックするための高い商品は買わない。その時々に必要になったものを買いに走る。商品の消費期間は短いものが多い。
韓国にはインスタントラーメンを食べさせる粉食店が街のいたるところにある。そして、町中が不動産屋だらけ。さらに、韓国の受験戦争は厳しく、子どもたちはコンビニのおにぎりを口にして塾を飛びまわる。
韓国人は、荷物を手に持って行動するのは貧乏くさいとして嫌う。周囲から軽く見られないためには、重い荷物を自分で持ってはいけない。
コンビニでコーヒーやフライドチキン・ドーナツを売るようになった。そのとき、「美味しすぎてはダメ」なのだ。美味しすぎるというのは、すぐ飽きられるということに直結する。ここが商品の開発の難しいところであり、肝でもある。
ふむふむ、そうなのか、そんなに日常生活習慣が違うものなのか・・・。驚くばかりでした。
著者は、私と同じ団塊世代ですが、今もファミリーマートの専務として、現役で頑張っています。
 
(2016年8月刊。1500円+税)

2016年10月16日

受難

(霧山昴)
著者  帚木 蓬生 、 出版  角川書店

済州島に行くフェリーが沈没し、修学旅行のために乗船していた韓国の高校生が300人も亡くなった、世にも悲惨な事件は、私にも忘れることが出来ません。本当にひどい話でした。
この本は、その実話を取り込んだ小説です。事件の背景がよく分かる展開です。
沈没してしまった船は、もとは日本の船でした。それを韓国の船会社が買って大改造したのです。乗客を積め込めるだけ積め込む利潤本位でしたから、安全性は完全に無視。問題は、それを見逃した当局の監視体制の甘さです。
そして、事故が起きたときの対処にも問題がありました。なにしろ、船長たち幹部船員が真っ先に船から脱出し、高校生たち乗客には、じっとして動くなという船内放送を繰り返して、脱出のチャンスを奪ったのでした。こんなひどい話はありません。
ところが、船員は船長以下、ほとんど非正規社員だったというのです。愛船精神が生まれる余裕なんて、なかったようです。となると、オーナーと海運当局、そして救難体制の不備が問題となります。
それはともかく、300人もの前途有為な高校生をいちどに失った親族の悲しみはなんとも言えない深さです。国家的損失でもあります。本当に思い出すだけで悲しい、悔しい話です。
この本は、この事故で水死した少女が細胞再生技術によってよみがえる話を中心にして進行していきます。やや出来すぎという感を受けましたが、それも小説だから許せます。
日本だって、安全第一のはずの原発で大事故が起きたのに、今なお原発の安全神話にしがみつき、金もうけしか念頭にない電力会社と政治屋の一群がいます。それには、本当に許せない思いです。
それにしても、人間の再生技術って、簡単なことではないでしょうが、それは是非やめてほしいと思いました。人間が人間ではなくなりますから・・・。
(2016年6月刊。1800円+税)

2016年9月19日

沸点

(霧山昴)
著者  チェ・ギュソク、 出版  ころから

韓国の1987年6月の民主抗争の推移をマンガで紹介しています。
1979年10月26日、朴正熙大統領が側近のKCIA部長の銃弾に倒れた。それによって「ソウルの春」が訪れたが、それも束の間、全斗煥を中心として軍部がクーデターで権力を掌握した。
1980年5月、金大中が内乱罪で逮捕された。5月には、光州で民衆抗争が始まった。
1983年、全政権は融和措置をとり始めた。
1985年、金大中が帰国して、野党が躍進した。
1987年1月、ソウル大生の朴鐘哲が治安本部で拷問により死亡した。
朴鐘哲の死は、それまで民主化運動とは無縁だった母親たちの怒りを呼び起こした。民主大連合がつくられ、宗教界そして、マスコミも呼応していった。
1987年6月10日、全国一斉デモが起きた。全国のデモは2145回、参加者500万人。治安当局がつかった催涙弾は3万発にもかかわらず、6月民主抗争は成功した。
それでも、1987年末の大統領選挙では、民主陣営の分裂によって、盧泰愚が36%の得票で大統領に当選した。
韓国では、学校で「アカ」の恐ろしさを徹底してたたきこまれるようです。ところが、大学に入り、社会に入って現実を知るようになると、「アカ」と言われているものが、実はまっとうな権利を主張している人々であって、そのために当局から嫌われているだけだということが実感できるようになります。これは一定の確率で、それほど増えていくわけではありませんが、少なくとも一定の固い支持者層がいるようですね。
韓国現代史の一断面を知る有益なマンガ本です。一読をおすすめします。
(2016年6月刊。1700円+税)

2016年9月 1日

金日成と亡命パイロット

(霧山昴)
著者  ブレイン・ハーデン 、 出版  白水社

 朝鮮戦争が休戦となってまもなく、北朝鮮のパイロットがソ連製の新鋭ミグ15戦闘機に乗ったまま韓国に亡命した。本当にあった話なんですね、驚きました。
ミグ戦闘機といえば、函館空港に降り立ったソ連のパイロットがいたことを思い出しました。ベランコ中尉と言ったでしょうか・・・。函館でも、韓国の金浦空港でも、警戒されることもなく、無事に着陸できたのでした。
北朝鮮のパイロットの父親は、実は、日本の「日窒コンツェルン」の幹部社員でした。あのチッソの前身の企業です。このような父親の出身成分をうまく隠して、北朝鮮のエリートとも言うべきパイロットになったのでした。
1950年6月25日、北朝鮮は南侵を開始した。朝鮮戦争の始まりです。北朝鮮軍は怒涛の勢いで南下していった。しかし、北朝鮮には、戦闘の初日から克服しがたい弱点があった。空から攻撃されたら、壊滅しかねないということ。空軍は生まれたばかりで、訓練されたパイロットは、まったく足りない。当時の朝鮮人民軍にはパイロットが80人しかいないうえ、いくらか役に立つのは、そのうち2人だけだった・・・。
北朝鮮の空軍は、パイロットの飛行技術より、政治的忠誠を重視していた。政治将校はパイロット訓練生を注意深く観察し、単独飛行の機会をとらえて韓国に亡命しそうな者を特定して排除しようとしていた。亡命を考えていた盧は、それを隠すために愛国心の隠れ蓑を着る必要があった。そこで、親共産主義の新聞を創刊し、熱狂的共産主義者として、その編集長に就任した。
ソ連製のミグ15は、アメリカのどの飛行機より時速160キロも速かった。ソ連は、ミグ戦闘機を1万2000機も製造した。しかし、ミグ15は、速度は速くても、壊れやすく、乗り心地は悪く、操縦が難しかった。
1953年3月5日、スターリンが死んだ。
1953年9月21日、盧は北朝鮮を朝9時7分に飛び立ち、韓国の金浦空港に9時24分に着陸した。5年8か月かけて亡命計画を立てたが、実際の亡命飛行に要したのは17分間のみ。金浦空港にいたアメリカ軍は不意打ちを喰った。誰も敵のミグ戦闘だとは気がついていなかった。
北朝鮮はこの亡命を発表できずに「無視」した。そのため、ミグ15機は、今もアメリカの空軍博物館にあって展示されている。そんなこともあるんだねって、不思議な気がしました。
(2016年6月刊。2400円+税)

2016年8月23日

韓国軍と集団的自衛権

(韓国)
著者 裵 淵弘 、 出版 旬 報社 

 日本でも安保法制が施行され、いつ日本の若者たちがアフリカの戦場で殺し殺されるか分からない事態が迫っています。戦後70年間、一人の戦死者も出さなかった日本ですが、戦死者続出という事態になれば日本社会の雰囲気が一変し、今より一層ギスギスした社会状況になるのではないかと本気で心配しています。もちろん、被害者になるだけではありません。加害者となり、「敵の一味」として、テロリストによる報復を恐れなくてはならなくなるでしょう。新幹線や地下鉄、飛行機に安心して乗れない、50ケ所以上もある原発が狙われてしまったら、狭い日本列島どこにも住めなくなってしまいます。
安倍首相のいう国際安保環境が激変してから、しまった、あのときアベに反対しておくんだったと後悔しても手遅れだった、、、。   
そんな日が来ないことを、私は心から願っています。
べトナム戦争のときの、日本アメリカからの参戦要求を断ることができました。安保法制がなかったからです。お隣の韓国は、アメリカの命じるまま大量の韓国軍をベトナムに派遣しました。その結果、韓国社会には経済的発展がもたらされた一方で、多くの韓国の若者たちが人知れず泣きました。その深刻な実情が明らかにされています。
1964年から1973年までの8年あまりの間にベトナムに派遣された韓国兵は25万3000人。今も生存しているのは19万人。うち14万人がベトナムで浴びた枯葉剤による後遺症に苦しんでいる。 除隊後に病死した6万人の死因も疑わしい。
ベトナム帰りの元韓国兵の平均年齢は70歳。韓国人の平均寿命は80歳なので、死亡率がとても高い。しかも、6万人近くの人が重篤な患者だ。
アメリカがベトナムでつかった枯葉剤の毒性は強く、イペリットやサリンよりも強力。10億分の1グラムでガンを引き起こす。
ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵は259万人。その1割に枯葉剤の被害が認められる。
ところが、当時は誰もが害のない除草剤か殺虫剤だと思い込み、アメリカ軍隊から散布された霧状の薬品を、わざわざ服を脱いで浴びていた。そうすると気持ちがいいし、蚊にも刺されなかった。
朴正煕大統領は、在韓米軍の削減を恐れていた。そして、アメリカの要求にこたえることで、1億5000万ドルが韓国に提供されることになった。日本とアメリカの援助によって、朴大統領は「漢江の奇跡」を演出することができた。
国家存亡にかかわる安保危機が経済建設の利権に様変わりした。
アメリカの求めに応じて戦闘部隊を送り出したのは韓国だけだった。オーストラリア4533人、フィリピン2063人など、派遣はしたが戦闘部隊ではなかった。
しかし、現地で指揮をとった韓国軍司令長官は、誰より戦争に悲観的だった。
「ベトナムでのゲリラ戦に勝つ見込みはない」
行かないわけにもいかず、しかも勝つこともできない戦争だった。
韓国軍の戦費は、兵士の月給をふくめて、すべてアメリカ政府から支給された。兵士の給料の8割は本国に送検され、残り2割も現地で韓国産テレビを買わせるなどして、100%が韓国に流れ込んだ。それは総額2億ドルをこえ、高い失業率と外貨不足に悔やんでいた韓国経済を救った。
ベトナムに「現代建設」や「韓進高事」がアメリカ軍の下請として入って、事業規模を大きく拡大し、韓国の高度経済成長を牽引していった。ベトナム特需は10億ドルに以上のぼった。
 いま、韓国でも兵役を拒否する人がいる。10年間で5723人。毎年500人以上の若者が兵役に応じず、刑務所に入っている。
 大変勉強になりました。考えさせられます。憲法違反の安保法制を一刻も早く廃止しましょう。
(2016年 6月刊 1400円+税)

前の10件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー