弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アフリカ

2010年1月31日

現代アフリカの紛争と国家

著者 武内 進一、 出版 明石書店

 アフリカの紛争をすべて「部族対立」で説明する単純な議論は、基本的に間違っている。万の単位で犠牲者を出し、国際社会の介入が議論されているような現代アフリカの紛争は、いずれも何らかの形で国家が関与し、国際関係の力学のなかで生じている。
 1990年代のアフリカの紛争を特徴づけるのは、単なる発生件数ではなく、その人的・物的被害の甚大さである。そして、膨大な数の民間人が紛争に「関わる」ことが近年の顕著な特徴である。
まず第一に、民間人犠牲者が増加している。第二に、暴力行為に民間人の関与が目立つ。犠牲者としてであれ、加害者としてであれ、民間人が紛争に深くかかわるようになっている。多数の民間人が紛争に参加する(紛争の大衆化)、政府側が国軍以外の暴力行使主体に依存する(紛争の民営化)、紛争に関与する主体が多様化するという特質がある。
 独立以降のアフリカ諸国においては、合理的な法体系による統治の体裁をとっていても、実体としては支配者を頂点とする恣意的な統治体制が構築されていた。国家統治における権威がフォーマルな法・制度ではなく個人に置かれ、支配者は「国父」として国民の上に君臨する。
 支配者は個人的忠誠にもとづくパトロン・クライアント関係に立脚して国家機能を運営し、その資源を私物化(家産化)してクライアントに分配する。クライアントもまた、与えられた地位を利用して蓄財し、自分のクライアントに資源を分配する。こうしたパトロン・クライアント関係の連鎖が国家を内的に支えている。
 大統領は出身部族を全体として優遇するわけではない。実際に恩恵を被っているのは、大統領と親密な関係にある少数の人々だけである。
 アフリカでは、1950年代に独立を勝ち取った国々が、独立直後は多党制を採用していた国が多いが、1960年代末ごろから、一党制を採用する国が次第に増加し、1980年代には、それがもっとも一般的な政治体制となった。
 ルワンダのジェノサイドも深く突っ込んで分析しています。現代アフリカを認識できる、460頁もの労作です。
(2009年2月刊。6500円+税)

2009年12月25日

国境なき医師が行く

著者 久留宮 隆、 出版 岩波ジュニア新書

 すごいです。偉いです。勇気があります。感嘆しました。40代の日本人男性医師が国境なき医師団(MSF)に加わり、アフリカに渡ったのです。この本では、アフリカ西海岸にあるリベリアの首都モンロビアに3カ月間あまり滞在したときの体験記がつづられています。いやはや、すごい体験記です。勇気のない私にはとてもまねできそうもありません。
 アフリカに渡ると、まもなく(著者は5日目)下痢するとのこと。すると同僚の医師に笑顔で「アフリカへようこそ!」と告げられたそうです。やっぱり、水が合わないのでしょうね。そして、仕事の疲れからか、脱水症状になり、危うく死にかけたのでした。
 もちろん、仕事をきちんとこなしています。日本にいるときには、手術は週に3日か4日、そして1日に2例か3例。ところが、リベリアでは、1日に5例か6例、それを週のうち5日間ぶっ通しでこなすのです。門外漢の私にも、そのハードさはなんとなく想像できます。はっきりいって、体力の限界に挑戦しているようなものでしょう。夜に産科の緊急手術が入ることがあるので、昼休みの1時間は貴重な睡眠時間だったというのですから、そのすさまじさが伝わってきます。
 そして、英語が十分に話せず、手術器具や薬品も十分ではないなかで、仕事に追いまくられるのですから、それはそれは大変です。
 そのうえ、医療チーム内には不協和音が生じます。アメリカやらフランスやら、いろんな国の人々が善意で参加しているのですから、そのまとまりをつくるのにも一苦労だったようです。そんな困難に耐えて、何カ月もよくぞがんばっていただきました。心から声援の拍手を送ります。パチパチパチ……。著者の次の言葉には、思わず襟を正されました。
 外科手術そのものに関しては、20年のキャリアを持っているから、どんなケースであっても集中し、あるレベルの精神状態にもっていく訓練はできているつもりだった。高校生のときからずっと剣道をやってきて、現在、五段。手術室に向かう心持ちは、剣道の試合にのぞむときのそれに通じるところがある。
 剣道の試合では、いかに自分の気持ちを落ち着かせるかが肝心だ。起こりうるさまざまな場面を想定し、どんな状況にあってもあわてふためくことのないよう、自分の中でシミュレーションして向かう。
 手術も同じで、どのような症例に臨んでも、気持ちを落ち着けて精神を集中することが必要だ。
 なるほど、なるほど、よくわかります。形こそ違いますが、弁護士にしても同じようなことが言えます。
 アフリカで診察したほとんどすべての患者に共通して言えることは、大変たくましいというか、苦悩すべき状況に対して受容する心の準備がとてもよく出来ているという印象を受ける。彼らの経験してきた戦争の悲惨さから比べれば、病気やけがなどは大したことではないのかもしれない。それでも、その気構えは、大したものだと言わざるを得ない。
 日本人の男性にも、こんなに勇気のある人がいて、しかも20年ものキャリアを持つ医師がアフリカに飛び込んで行ったというのです。心から敬意を表します。
 日本の若者のなかに、続いてくれる人が出ることを願います。

 
(2009年9月刊。740円+税)

2009年10月23日

ルポ・資源大陸アフリカ

著者 白戸 圭一、 出版 東洋経済新報社
 南アフリカの2006年度の人口10万人あたりの殺人発生率は40.5件。これは日本の40倍。イギリスの28倍。あのアメリカと比べても7倍である。
 そんな南アフリカでサッカーW杯があるのですが、大丈夫でしょうか。ブラジルでオリンピックが開催されることになりましたが、犯罪の撲滅はよろしくお願いします。それのためには、なんといっても格差のこれ以上の拡大を食い止めることですよね。南アフリカも同じことですが、日本だって他人事(ひとごと)ではありません。
 日本では、このところ年に5000件の強盗事件が発生している。南アでは20万件。南アの人口は日本の3分の1にすぎないから、発生率は120倍となる。南アフリカでは、よほど社会的に注目される事件でもない限り、日常発生する強盗事件について、捜査自体がされない。うへーっ、これは恐ろしいことです。
 南アフリカでは、芝生の庭とかプールのある暮らしというのは、半ば要塞化した警備体制の上にかろうじて成り立っていることを意味している。南アのプロの強盗団にとって、警備会社による厳戒体制というのは、赤子の手をひねるようなもの。番犬にしても、毒をまぜた肉を庭に投げ込まれたら、おしまい。
南アフリカでは、アパルトヘイト時代以上の、いびつな格差社会になっている。富裕層上位20%の総所得は、貧困層下位20%の35%に達する。今の南アフリカでは、国民の11人に1人が1日1ドル以下で暮らしている。
 南アフリカの外国人犯罪者には、大まかなすみわけがある。ナイジェリア人は麻薬密売と旅券偽造・詐欺。ジンバブエ人は自動車強盗。エチオピア人とモザンビーク人は住宅襲撃。アフリカ系以外の犯罪組織として、中国人・ロシア人・パキスタン人のものがある。
 使用人の黒人は、みんな安い給料で働かされているから、お金を払うと主人を裏切ってこっそり情報を流してくれる人が少なくない。金持ちは貧乏人のことを何も知らないが、貧乏人は金持ちの生活のすべてを見ている。
 アフリカに日本のマスコミは記者を置いていない。毎日・朝日・読売の3社と共同通信は、特派員を各1人おいている。つまり、広大なアフリカに日本人記者は4人しかいないのである。
 アフリカに居住する日本人は7千人ほど。ニューヨークに5万人以上、上海に5万人近く住んでいるのと、すごく違う。
ヨハネスブルグ中心部のビル街には、黒人でない者が外を歩くのは、昼間でも事実上、不可能である。世界中をめぐってきた日本人のバックパッカーも、ここでは身ぐるみはがされ、泣いてしまう。
 南アフリカにナイジェリア人が10万人も滞在していて、犯罪組織が活発に動いている。ナイジェリアは、2004年から2006年まで、3年も連続して「最も危険な国」とされた。
 独立後のほとんどの期間を軍事政権に支配されたナイジェリアでは、石油産業によって国庫に入る多額の収入の行方をチェックする民主的制度の欠落により、政治腐敗が世界でも最悪に近い水準まですすんだ。石油は、ナイジェリアを不幸な国にした。
 コンゴでは、住民に恐怖心を植え付ける残虐行為は、混乱を持続させる重要な戦術の一つになっている。そのコンゴにはコルタンがある。埋蔵量では、コンゴが世界一。コルタンは鉱石の一種で、精錬すると、携帯電話やゲーム機のコンデンサに使われている粉末状タンネルを得ることができる。1980年代はじめ、日本のタンネル消費量は年間100トンに満たなかったが、今やハイテク製品の普及で、237トンにまで増えた。
 スーダンから日本は石油を輸入している。スーダンの輸出総額の82%は中国向けで、日本は8.4%であり、スーダンにとって第2の輸出国である。
 ソマリアでは、市街地の信号機が動いていない。そして、中央銀行がないのに通貨が運用されていて、アメリカドルとの交換レートも存在する。ソマリアの紙幣は、民間人が印刷している。中央銀行が「民営化」しているのだ。
 このところ、中国のアフリカ進出には目を見張るものがある。無政府国家のもっとも危険な町でも、ケータイ電話企業の技術指導を担当している。
 日本の記者が、アフリカで生命の危機にさらされながら書いた体当たりルポです。
 アフリカって、こんなに豊富な鉱物資源があるのですね。そして、悲しいことに、戦争・暴力・テロが日常化し過ぎています。そのとき、軍隊なんて、まったくあてにならないのですね。日本とアフリカの遠さと案外な近さを感じさせるいい本でした。
(2009年8月刊。1900円+税)

2009年6月10日

アフリカ、苦悩する大陸

著者 ロバート・ゲスト、 出版 東洋経済新報社

 アフリカが貧しいのは、政府に問題があるからだ。あまりに多くの政府が国民を食い物にしている。政府は正しく統治するためではなく、権力を行使する人間が私腹を肥やすためだけに存在しているように見える。官僚たちは、仕事の見返りに袖の下を要求する。警察官は正直な市民から金品を奪い、犯罪者たちは野放しだ。多くの場合、国で一番の大金持ちは大統領だ。大統領に就任してから、地位にものを言わせて富をためこんできた。
 うひょう。すごいですね。これでは政治とか国家とかいうものに対する信頼関係が成り立つはずがありませんよね。
 取材に訪れたカメルーンで、ビールを運ぶトラックに同乗した。途中47回も警察の検問で停止を命じられた。そのたびに警官たちにお金をつかませていた。おかげでビールは割高になっていった。賄賂は商売の潤滑油というが、アフリカほど蔓延すると、ほとんど商売にならない。
 富を手にするもっとも確実な道が「権力」だとなれば、人々は権力を求めて殺し合う。アフリカではしばしば内戦に悩まされ、おかげで開発もままならない。
 今やムガベ政府は、ジンバブエという腹に巣食ったサナダムシ同然だ。他人の労働の成果を食い物にし、国民の活力を吸いつくしている。白人は人口の1%にも満たない。白人よりも象の方が多い。そんな白人に、もはや政治力はない。
 アフリカの吸血国家の改革がなかなか進まないのは、多くの場合、必要な改革を断行すれば、国を牛耳っている連中から権力と富を奪うことになるから。彼らは、特権を手放そうとしない。いやはや、どうしようもないという印象を与えます。小泉とか麻生が、まだ善人に見えてくるのですから、やはり異常すぎます。
 銃を持った十代の少年兵はいつ見ても恐ろしい。年長の兵士なら、撃ってくる前に撃つべきかどうか自問する。それに比べて、子ども兵士の行動は予測しがたく、説得するのも難しい。酒やドラッグをやっているときには、なおさらだ。
 1999年に、アフリカの5人に1人が内戦や隣国との戦争に揺れる国に住んでいた。死傷者の90%が民間人で、1900万人が家を捨てて非難を余儀なくされた。アフリカの土の下には、2000万発の地雷が埋もれていると推定されている。
 貧困が戦争を生むだけでなく、戦争も貧困を悪化させる。内戦は、平均所得を毎年2.2%押し下げる。
 アフリカでは、2002年までに1700万人がエイズで死亡し、2900万人がHIVに感染している。4600万人ものアフリカ人が死亡あるいは死すべき運命にある。2002年の時点で、エイズで両親を亡くしたアフリカの孤児は推定1100万人。
 南アフリカでは、2002年のHIV感染率は15倍に跳ね上がり、世界のトップとなった。450万人の感染者がいた。これはアパルトヘイト廃止までの政治暴力による犠牲者の200倍になる。うむむ、これって、すごすぎますよね。政府がきちんと機能しているとはとても思えません。
 カメルーンでは、瓶詰めされた水でも品質は怪しい。しかし、コカ・コーラなら、これを飲んで恐ろしい細菌性の病気にかかることはないという安心感を与えてくれる。だから、アフリカではコカ・コーラを飲むしかない。私は日本では絶対にコーラを飲みませんが、アフリカに行ったら飲むしかないようです。
 ダイヤモンドに本質的な価値はほとんどない。だから、デ・ビアス社は価格を維持するために供給量を抑え、常にこの石ころのイメージアップを図ってきた。世間がダイヤモンドを、永遠の愛よりも恐ろしい戦争と結び付けるようになったらイメージ戦略が苦しくなる。
 紛争ダイヤモンドとか、血のダイヤモンドというイメージを払拭しようと必死なのは、このためなんですね。むかし、映画館のコマーシャルで、ダイヤの指輪を婚約者に贈りましょう。月給の3倍が標準です。こう言っていましたが、これもデ・ビアス社の単なる広告だったのですね。それを知ったとき、私も欺かれた愚かな大衆の一人であったことを自覚しました。
 前途多難なアフリカ大陸ですが、この本の最後のあたりでいくらか光明も見えてきたような気がするのが救いです。

(2008年5月刊。2200円+税)

2009年4月13日

サバンナの宝箱

著者 滝田 明日香、 出版 幻冬舎 

 すごいですね、若い日本人女性が、愛犬・愛猫とともにアフリカで一人暮らしをしているというのです。お肌の曲がり角を走りぬけ、あっというまに三十路に突入してしまった顛末がことこまかに語られていて、ハラハラドキドキの展開です。胸のトキメキのほうはあるのかないのか、さっぱり語られていませんので、その点は分かりません。福岡出身の日本人女性(永松さん)がマサイの男性と結婚した話は前に紹介しましたが、著者も同じようにマサイの人々が住む地域で獣医として活躍しています。
 表紙の写真からしてド迫力です。サバンナの大地でジープを止めて、帽子をかぶってお昼寝中なのです。ぐっすり眠っていて、ライオンの群れが来たら、一体どうするんでしょうか。実際、夜のテントで一人寝ているうちに、ライオンがやって来た体験が語られています。
 夜中の3時、ぐっすり眠っていたのに身体に響く低い声で目が覚めた。ウォッ、ウォッ、ウォッ、ウォッ、ウォッ、ウォッ……。テントの5メートル以内にライオンがいる。お腹まで震動が響いてくるほどの声。低音震動が身体に響いてくるので、寝てなんかいられない。少し声が遠ざかったとき、寝袋を持ってすぐ近くの車に走り込んだ。やがてライオンの声は遠ざかった。車の中は寝苦しかったので、またテントに戻った。
 うへーっ、こ、これはまいりました。百獣の王、ライオンなんかと決してお近づきになんかなりたくありません。動物園のオリ越しのご対面で十分です。それにしても、そんなライオンが夜中にうろつくようなところにテントで寝て、また、テントに戻ってきて寝なおすなんて、なんとまあ図太い神経の持ち主でしょうか。いやはや、大和撫子のたくましさには、九州男児の一人として、まさに脱帽です。
 著者は、アフリカで獣医になりたいと思って、アフリカの名門大学の獣医学部に入学します。そこでのハードワーク(猛勉強)はすごいものです。睡眠時間を削りに削って、ようやく卒業することができました。
 獣医だから、牛の直腸検査もします。左手を牛の直腸に突っ込み、直腸の中で手を動かす。このとき、牛は思い切り肛門を締め付けるから、腕は血が通わず、麻痺してくる。腸の動きに負けないように手を動かすので、ものすごく疲れる。途中で腕を牛の尻から出してしまうと、空気が入って直腸がふくれて内臓に触れなくなるので、お尻に腕を入れたまま、牛の腰の上に頭を乗せて休憩する。こんなことを2時間も続けると、牛のウンコまみれとなるばかりか、腕も手もふやけてしまう。
 うひょひょ、そんなー……、牛の尻に2時間も腕を突っこんだまま休憩するだなんて、いやはや、まったく信じられません。
 ケニアのナイロビ郊外に住みながら、ホームページを開設し、ブログで活動日誌を発信中とのことです。ぜひ、人間の立派なオスもゲットしてください。そして、これからも身の安全と健康にはくれぐれも注意して、アフリカの大地でがんばってほしいと思いました。
 きのう、庭にボタンの花が咲いているのに気が付きました。やはり、これだけ初夏みたいにあたたかいと、ボタンの開花も早まったようです。
 淡いクリーム色の大輪の花弁の真ん中に黄色い部分があります。とても気品のある花です。さすが美女の代名詞にふさわしい雰囲気が漂っています。
 近くで小鳥がにぎやかにさえずっています。最後にジジジと特徴のある声で鳴くものですから、ツバメだと分かりました。ひとり楽しげで、聴いている私まで何だか嬉しくなってきました。ツバメは駅舎にもたくさん来ていて、元気に飛び交っています。はるか南方のインドネシアあたりからはるばる日本へ毎年やってくるツバメたちです。お疲れさまと声をかけたくもなります。ツバメが安心して住める平和な日本であり続けたいものです。
(2006年12月刊。1400円+税)

2008年11月 4日

アフリカ・レポート

著者:松本 仁一、 発行:岩波新書

 この本を読むと、アフリカの現状には絶望的な気分に陥ってしまいます。アフリカ解放運動の栄光が地に堕ちてしまったようで、残念でなりません。
 列強の植民地からの脱却を目指した指導者がとてつもなく腐敗し、堕落してしまったというのを知ると、ええっ、どうして・・・・・!?と、つい叫びたくなります。
 まずはジンバブエ。その人口1300万人の4分の1にもあたる300万人が隣国の南アフリカへ越境出国していった。しかも、不法出国者のほとんどが40歳以下の男性。働き盛りが大量出国するようでは国は壊れてしまう。
 ジンバブエのインフレ率は、政府発表でも年率7634%(2007年7月)。それが2008年には16万%という。まるでなんのことやら、わけの分からない数字ですよね、これって。
 かつて、アフリカには希望の星とも言われたルムンバ大統領がいた。1960年6月にベルギーから独立したコンゴ(旧ザイール)の大統領だ。ルムンバは獄中で暗殺される前に遺書を書いた。
 「子どもたちよ、私はもうお前たちに会えないかもしれない。しかし、お前たちに言っておきたい。コンゴの未来は美しい、と」
 しかし、それから半世紀がたった今、コンゴは美しくない。ルムンバ政府をクーデターで倒したモブツ将軍は、独裁者となった。1997年にモブツ政権が崩壊しても、今なお政情は不安定だ。銅、コバルト、そして希少金属に恵まれたアフリカ最大の鉱物資源国でありながら、その富は国家の会計に寄与することなく消えていく。
 1960年代から70年代にかけて、アフリカの国の多くは農業輸出国だった。しかし、腐敗した指導者たちは、農業に関心を払わなかった。その結果、アフリカは農業輸出国から輸入国に落ち込んでしまった。そのマイナスは年間700億ドルにものぼる。
 アフリカのほとんどの国で、指導者は自分の部族に属するもの、地縁、血縁者に国家利益を分配し、それによって自分の地位の安定を図っている。その結果、国づくりが放置される。指導者が私物化した巨額の公金は海外の銀行に蓄財され、国内の市場に出回らない。蓄財したお金が社会資本として回転しないため、経済の進展もない。指導者は「敵」を作り出すことで自分への不満をすりかえる。そして、それは国内の対立を激化させ、国家的統一とは逆の方向へ国民を駆り立てる。
 南アフリカの国民解放組織(ANC)も、政権の座に就くと、幹部たちはあっけなく腐敗しはじめた。その結果、治安が悪化する。マンデラ政権が誕生した1994年に、1ヶ月平均の殺人事件は1400件を超した。1日あたり47人が殺された。警官殺しも月に15件あった。そして、2005年度は、殺人が1万8千件を超し、強盗は20万件に近く、強姦事件は5万件を超す。
いま、アフリカでは、中国が新植民地主義の主役となろうとしている。中国政府がアメリカの石油を持ち出し、中国人商人が安価な中国製品を持ち込んで、その国の市場を占拠しようとしている。そこで、中国人は、ギャングに目を付けられている。アンゴラで中国批判はご法度だ。
 そんな大変なアフリカにおいて、何人かの日本人が国の再建に貢献している話も最後に紹介され、少しだけほっとします。いやあ、ともかく大変すぎる深刻な状況です。南アメリカで進んでいる革新の息吹とは違って、アフリカには残念なことがあまりにも多すぎますね。人間も大変ですけれど、シルバーバックのゴリラなども破滅の危機にあるようで、こちらも心配です。 
(2008年8月刊。700円+税)

2008年8月22日

「アフリカに緑の革命を!」

著者:大高未貴、出版社:徳間書店
 南アメリカには次々にアメリカの言いなりにならない自立的な政権が出来て、国づくりが前進しているように思いますが、アフリカの方はなぜか遅々とすすみません。
 1960年代初頭のガーナのエンクルマ大統領(アメリカによって暗殺)をはじめとして、すごく新鮮な独立の息吹を感じたものですが・・・。一体、どうしたのでしょう。この本は、そんな困難なアフリカで地道な活動を続けている日本人の団体を紹介したものです。なるほど、なーるほど、大変な苦労があるのだろうな、本当にご苦労さまです、と思わずつぶやいたことでした。
 その仕掛け人は、なんと右翼の大立者のあの笹川良一です。うへーっ、そ、それだけでうさんくさい。つい、そう思ってしまいますが、この本で語られていることは、なかなかどうして、アフリカでは立派なことをやっているようなのです。
 当時の日本財団の会長であった笹川良一は、物資援助では根本的な解決にならないと考えて、アメリカのジミー・カーター元大統領にも協力を求めてNGOを設立した。アジアに「緑の革命」をもたらし、ノーベル平和賞を受賞したノーマン・ボーローグ博士に協力してもらった。SG2000とよばれるNGOだ。飢えた者に一匹の魚を与えるよりも、魚を釣る方法を教えるほうが、ずっと効果的で効果がある。なるほど、それは、そのとおりです。
 アフリカに出張するときの必需品は、下痢止め、痛み止め、マラリアの薬、トイレットペーパー、そしてミネラルウォーター。どんなときでも必ず薬とトイレットペーパーをもち歩く。食欲がないときでも、無理にビスケットを食べて紅茶で胃に流しこむ。アフリカではミネラルウォーターでも信じられない。安心して飲める冷たい飲み物はコーラだけ。それから、薬も飲んだらいけない。インドやブラジルから安くて悪質な偽薬が大量に入り込んでいる。うひゃあ、そ、そうなんですか。でも、信じて飲んだら効くのが薬ですよね。
 アフリカでは、今日は1食たべられたぞ。オレはリッチだ!が標準である。アフリカでは、人々は明日どう生きるか、より、今日どういきるのかに主眼を置いている。
 農民は字が読めないので、ビラやパンフレットをつくっても意味がない。アフリカのマスメディアはラジオである。
 アフリカの男性が怠惰な理由はマラリアによる。何度も発病すると、体に力が入らなくなって、だるさから通常の日常生活が送れなくなる。
 アフリカには援助貴族という言葉がある。国連などからの莫大な援助収入の大半が政府高官のポケットに収まってしまう。たとえば、ナイジェリアでは、年間外貨収入120億ドルのうち100億ドルは政府高官のポケットにおさまってしまう。そこで、援助する側が現金でダメなら現物援助にしたら、今度は現物が消えて闇市で高く売られていた。
 SG2000は、無料配布はしない。あくまで農民の経済的自立を促すためのものであるから。従来の援助方式が本当に有効なものだったら、いまアフリカに饑餓や貧困の問題は起きていないはず。
 SG2000は、現地アフリカに甘えの構造をつくらないよう努力している。たとえば、現金のやりとりを一切しない。すごいですね。心からの拍手を送ります。
(2008年4月刊。1500円+税)

2008年7月31日

ぼくは少年兵だった

著者:イシメール・ベア、出版社:河出書房新社
 初めて戦争の巻き添えをくったとき、ぼくは12歳だった。
 激しい内乱の起きていた西アフリカのシェラレオネで12歳から15歳まで少年兵士として戦闘に従事し、生き抜いた著者の体験記です。この本は「戦場から生きのびて」というのがメイン・タイトルになっていますが、この本を読むと、まさしく実感させられます。よくぞ戦火のなかを生きのびられたものです。大勢の友人・仲間が次々に銃弾で倒れていくなか家族をみんな失い、著者ひとり生きのびました。それだけ運が強かったのです。
 戦争を賛美する人がいるが、戦争にロマンなどはなく、あるのは悲惨さだけ。人間を殺すことは、相手を非人間化させる行為だが、それは同時に自分の人間性もうしなわせてしまう。
 シェラレオネでなぜ内乱が起きたのかは、この本を読んでもさっぱり理解できません。ルワンダのツチ族とフツ族のような争いという明確なものはなかったようです。政府軍と反乱軍との戦いとしか書かれていません。そして、反乱軍はデビル(悪魔)というべき存在でしかありません。
 反乱軍に捕まった少年はすぐに兵士にされ、熱した銃剣で身体のどこかに反乱軍を意味するRUFを刻みつけられる。これは一生消えない傷痕になるばかりか反乱軍から絶対に逃げられないことを意味した。反逆者のイニシャルの刻印をつけて逃げるのは、殺してくださいと言っているようなもの。政府軍の兵士はそれを見たら一も二もなく殺すだろうし、好戦的な民間人だってそうするだろう。
 歌と踊りが大好きだった著者たち6人の少年は、戦争から逃げようとジャングルの中をさまよったあげく、政府軍に組み込まれてしまいます。そして、わずかの訓練を受けると、たちまち本物の戦場へ駆り出されていきます。
 戦闘行為の前に白いカプセルが渡される。それをのむと夜じゅう目がさえて眠れないのが一週間も続いた。そのうち、平気で銃をうてるようになった。
 火薬とコカインを混ぜたブラウン・ブラウニと呼ぶものを吸引し、白いカプセルを大量に飲む。それがたっぷりのエネルギーをくれる。汗びっしょりになり、着ている服をすべて脱いでしまった。身体がふるえ、目はかすみ、耳も聞こえない。あてもなく村を歩きまわる。そわそわした気分になった。何に対しても無感覚になる。何週間も眠れなくなるほどの莫大なエネルギーを感じた。夜にはみんなで戦争映画をみる。『ランボー』や『コマンドー』だ。
 ぼくらは獰猛になった。死という考えは頭をよぎりもしなかった。人を殺すのが、水を飲むのと同じくらい簡単になった。ぼくの頭は、初めて殺しの最中にぷつんと切れた。良心の呵責に耐えられないことを記憶するのをやめた。
 ぼくらは2年あまり戦い続け、殺人が日常茶飯事になっていた。誰にも同情しなかった。
 そんな元少年兵の社会復帰訓練センターに収容されます。収容所のなかで、元少年兵たちは元いた政府軍と反乱軍の2派に分かれて殺しあいもしてしまいます。
 薬の助けを借りずに眠れるようになるまでに数ヶ月かかった。ようやく寝入ることができるようになっても、1時間とたたないうちに目が覚めてしまう。夢のなかで、顔のない武装兵がぼくをしばりあげ、銃剣ののこぎり刃でぼくの喉を切り裂きはじめる。ぼくはそのナイフが与える痛みを感じる。汗びっしょりなって目を覚まし、虚空にパンチをくり出す。それから外に飛び出し、サッカー場の真ん中まで走って行って、膝をかかえこんで身体を前後に揺らす。子どものころのことを必死で思い出そうとしても、できなかった。戦争の記憶が邪魔をするのだ。
 樹皮に赤い樹液がこびりついている木のそばに行くと、捕虜を木にしばりつけて撃つという、何度も実行した処刑の光景を思い出す。彼らの血は木々を染め、雨期の最中でさえ、決して洗い落とされなかった。
 著者は社会復帰訓練センターを経て、おじさんの家庭にあたたかく迎えいれてもらって社会復帰できました。ところが、シェラレオネそのものがまた内乱の危機におそわれ、ついに国外へ脱出することになるのです。
 少年兵士たちのおかれている厳しい現実、そして少年兵士を社会復帰させることがいかに大変な事業であるかを理解させてくれる本です。
 表紙にうつっている、いかにも聡明そうで、明るい笑顔からはとても想像できない過去をもつ元少年兵士です。
 庭にある小さな合歓(ねむ)の木が花を咲かせています。紅い、ぽよぽよとした可愛らしい花です。
(2008年2月刊。1600円+税)

2008年7月25日

地獄のドバイ

著者:峯山政宏、出版社:彩図社
 北大理学部を出た日本人の若者が海外で寿司職人となって一旗上げようと、いま世界最先端のドバイで渡って体験した悪夢のお話です。世の中、何ごとも表があれば裏があるというわけですが、このドバイの話は、ちょっといくらなんでもひどすぎる。そう思いました。ドバイは地獄だという英文タイトルのとおりです。大金持ちにとっては天国のような国なのですが・・・。
 ドバイはアラブ首長国連邦(UAE)の一つ。いま大変な建設ラッシュのため、世界のクレーン車の25%が埼玉県ほどの面積しかないドバイに集まっている。ドバイの経済成長率は16%。いくらでも入れ替えのきく外国人労働者は奴隷のように扱われる。出稼ぎ労働者のために職場環境をよくしようという発想はない。高層ビル建築現場に働く外国人労働者の賃金は105ドル。一流ホテルの従業員であっても、月給3万円もあればいいほうだ。
 著者は東京の江戸前寿司職人養成学校に入った。3週間で一人前にするというふれこみだ。受講料はなんと40万円。しかし、ドバイでは寿司職人にはなれませんでした。何のコネも紹介状もなかったからでもあります。やむなく肥料会社に入り、大金持ちの社長邸宅の芝生に水やりをする仕事につきます。水道管のパイプがよく詰まるのです。
 外国人労働者の賃金をケチるから手抜き工事が蔓延し、結果的に水をロスすることになってしまう。そんな皮肉な現実があっても、大金持ちは、何とも思いません。すべてはお金で解決できるからです。
 著者は肥料会社に勤めていた。パスポートもあり、3年間のUAEの居住許可証も労働ビザも持っている。そのうえ、日本に帰ろうとして飛行機も手配していた。にもかかわらず拘置所へ入れられた。ええーっ、なぜ、なぜ・・・?
 勤めていた会社が閉鎖されたら、次の職場に移る前に拘置所に入れられることになっている。そんなバカな・・・!?
 しかし、それがドバイという国の法律。うひょう、し、信じられませんよね、これって。
 拘置所に入れられる。そのときスーツケースに拘置所の係官がわざと番号を間違える。荷物を行方不明にして巻き上げるため。な、なんと、そんなことが堂々とまかり通っているとは・・・。
 そして拘置所内のひどい生活ぶり。読むだけで鼻の曲がりそうな汚濁にみちみちた雑居房に前科もない日本人が一人ほうりこまれるのです。心細いですよね。200畳ほどの部屋に300人をこえる囚人が押しこまれている。囚人には、くの字になって寝るだけのスペースしか与えられていない。新参者は悪習臭を放つトイレの側で寝るしかなかった。そして、1年以上も風呂に入っていない囚人たちの強烈な体臭が押し寄せる。
 幸運にも、わずか4日間で出所できた著者による、この世の地獄ドバイだよりでした。あなたもドバイに行く機会があったら、その前にぜひ読んでみてください。
 私の娘がドバイへ一人旅に出かけ、無事に戻ってきましたが、旅行中にこの本を読みましたので、それなりに心配したことでした。
(2008年5月刊。590円+税)

2008年7月18日

アフリカ、子どもたちの日々

著者:田沼武能、出版社:ネット武蔵野
 著者が世界の子どもの写真を生涯のテーマーに決めたのは、今から40年以上も前の 1966年、37歳のとき。初めてアフリカの大地を踏んだのは1972年。
 黒柳徹子はユニセフの親善大使となって毎年アフリカを訪問している。そのとき著者は必ず同行し、写真をとる。写真家は大変だ。撮影日時、難民キャンプの呼び名、キャンプの人口、子どもの名前、年齢、親の名前などなど。夜遅くまで撮ったフィルムと一緒にデータをきちんと整理し、次の朝を迎える。うひゃー、すごいんですね。
 アフリカでは6000万人の子どもが貧困のために学校へ行けない。アフリカでは内戦と同じくらいにエイズが重大問題だ。世界の人口65億人のうち11%がサハラ以南に暮らす。その63%がエイズウィルスの感染者、エイズ孤児の80%がアフリカに集中している。
 そんなアフリカに住み、生活している子どもたちですが、写真に登場しているアフリカの子どもたちの目はキラキラと輝いています。弟妹の守りをし、みんなと楽しそうに遊んでいます。
 手製のギターを弾きながらコーラスに興じる子どもたちもいます。娯楽の少ない村では、著者の乗る車を子どもたちはどこまでも走って追いかけてきます。
 サッカーで遊ぶ子供たちの写真もありますが、よく見ると、普通のサッカーボールではありません。古新聞を丸めて、ぼろ布で包み、ひもで巻いただけのものです。でも、そんなサッカーボールで一日中遊んで飽きません。女の子たちは民族衣装で踊ります。
 水運び、市場での物売り、畑づくり。子どもたちはたくましく生きていきます。家造りだって手伝います。
 学校で勉強もしたいのです。コーランを朗唱します。青空教室のこともあります。内戦犠牲者のカロン君は政府軍の少年兵となり、ゲリラに両腕を鉈(なた)で切り落とされてしまいました。栄養失調で死んでいく子どもも大勢います。その前にガリガリにやせ細ってしまいます。
 1年間に世界の子どもの22%がアフリカで生まれ、5歳未満の子どもの死の49%がアフリカの子ども。50万人の女性が妊娠と出産に関連して亡くなるが、その大多数がアフリカでのこと。世界にいる1520万人のエイズ孤児の80%がアフリカの子ども。アフリカではHIV感染者の61%が女性。マラリアによる犠牲者100万人のうち、95%がアフリカの人々で、その大多数が5歳未満の子ども。
 いやあ、アフリカを見殺しにはできませんよね。日本という国はいったいアフリカのために何をしているのでしょうか・・・。
(2008年5月刊。1900円+税)

前の10件 1  2  3  4  5  6  7  8

カテゴリー

Backnumber

最近のエントリー