弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アフリカ

2023年12月30日

母を失うこと


(霧山昴)
著者 サイディヤ・ハートマン 、 出版 晶文社

 奴隷制を意味するスレイヴァリーという用語は、スラヴという言葉から派生している。中世の世界では、東ヨーロッパ人が奴隷だったことによる。うひゃあ、知りませんでした・・・。
 アフリカのガーナは、よその国より奴隷制のため地下牢や牢獄、奴隷小屋を残している。地下に埋もれた狭く、うす暗い牢室、格子つきの洞窟のような牢室、細い円柱型の牢室、じめじめとした牢室、にわか作りの牢室。15世紀末以来、金(ゴールド)と奴隷をめぐって、ポルトガル人、イギリス人、オランダ人、フランス人、スウェーデン人そしてドイツ人は、アフリカの奴隷交易における拠点を確保するため、50もの恒久的な駐屯地と要塞、そして城を建造した。地下牢や貯蔵庫、また収容所には、大西洋をわたって輸送されていくのを待つ奴隷が収容されていた。18世紀末ころ、ガーナには60もの奴隷市場が存在していた。
 1950年代、60年代、アメリカにいたアフリカ系アメリカ人は大挙してガーナに押し寄せた。パン・アフリカ主義という夢のもとに、明日にでも奴隷制と植民地主義の遺産が崩壊するかのような気運にあふれていた。
 ガーナのエンクルマ大統領は独裁者だった。エンクルマは、世界中の黒人の自由のために妥協なく闘った。エンクルマが失脚したとき、アフリカ系アメリカ人は涙したが、地元のガーナ人は歓喜し、街頭に繰り出して踊った。
 ガーナは自由通貨を発行せず、ヨーロッパで製造された米ドルが通用していた。
 アフリカでも、アメリカに劣らず、黒人の命が消耗品同然に扱われている。
 ポルトガル人に捕えられた女性の右腕には十字架の焼印が押された。
 コンゴにおける王侯貴族はカトリックに改宗し、奴隷貿易で財を成した。
 奴隷は家系をもたなかった。奴隷は人間を数えるときの単位ではなく、家畜のように「頭」と数えられていた。
 商品としての奴隷は、生きた積荷と呼ばれ、またオランダ人は「ニグロ」という言葉を「奴隷」と同義として使った。奴隷船は「ニガー・シップ」呼ばれていた。
 ヨーロッパに連れてこられたアフリカ人「捕虜」は、自分たちはヨーロッパ人から食べられるために連れてこられたと、恐怖心を吐露した。白い人食いへの恐怖は、暴動と自死を誘発した。
 奴隷所有者は、奴隷の記憶を根こそぎ、つまり奴隷制以前の存在する証拠をことごとく消し去ろうと努めた。過去のない奴隷は、復讐すべき相手が分からない。
 奴隷制度から生まれた子どもは、母親とともに何も相談することなく、完全に父親の系図に組み入れられた。奴隷の母親は、子に引き継がせ得る生得権を何ひとつ持たないので、女奴隷の子に触れるのはペニスだけだと言われた。
 コンゴを何度も訪れたアメリカの学者による紀行文でもあります。奴隷制が現代になお生きているという指摘には、ぞぞっとさせられます。
(2023年9月刊。2800円+税)

2023年11月29日

太陽の子


(霧山昴)
著者 三浦 英之 、 出版 集英社

 アフリカはコンゴの山奥に日本人の子どもが大勢いるという衝撃のルポです。
 中国の残留孤児は『大地の子』でも有名になりましたし、フィリピンにもいると聞いていましたが、アフリカにまでいるとは...。
 舞台はコンゴ民主国(旧ザイール)です。アフリカには、もう一つコンゴ共和国というのもあります。日本企業(日本鉱業)は1970年代にコンゴで鉱山開発をすすめていて、日本からも若い労働者を1000人ほども送り込んだのでした。
 日本鉱業という会社は、日立鉱山を発祥の地としていて、JR日立駅前には資料館「日鉱記念館」がある。そこには、日本鉱業がコンゴでムソシ鉱山を開設していたときの資料も展示されている。このムソシ鉱山は1970年代に銅を採掘し、精鉱していた。
 しかし、1971年の「ニクソン・ショック」によって、1ドル360円の固定相場が1ドル308円前後へと変動相場制になり、コンゴ経済も独裁者モブツ大統領による無謀な経済政策によってコンゴ経済が崩壊した。さらに、隣国アンゴラで内戦が始まり、輸送コストが高騰。
 しかし、世界の合同価格が急速に下落していった。
 結局、総額720億円もの巨大プロジェクトは、その投資額さえ、回収できないまま。
 1983年に日本はコンゴから完全に撤退した。それまで、日本鉱業の社員など日本人が670人ほど現地に住みつき、コンゴ人など4000人ほどの従業員の住宅が整備され、人口1万人をこえるビッグタウンが突如として出現し、やがて、すべて消え去った。
 この地に単身赴任で働きに来ていた日本人社員が現地で次々に結婚し、子どもが産まれたのです。
 この本の真ん中に、父は日本人と主張する人たち(男も女も)の顔写真が紹介されています。ユキもケイコもユーコも、まごうことなく日本人の顔をしています。DNA鑑定なんかするまでもありません。男性のムルンダ、ケンチャン、ヒデミツも日本人の顔そのものです。
 日本鉱業の幹部だった人たちは、著者の質問に対して全否定しましたが、これらの顔写真はまさしく動かぬ証拠です。
 コンゴの日本大使館は、日本人残留児の父親探しには協力できないという態度でした。日本鉱業が全否定することが影響しているのでしょう。
 笹川陽平(日本財団)は、日本食レストランを現地に開設するとき、その全資金を提供したとのこと。
 日本人労働者たちは単身赴任でコンゴにやってきて、ここで家庭を築いたものの、泣く泣く日本に戻ってからは、アフリカ(コンゴ)とは例外なく完全に縁を切ったようです。
 父系制の強いコンゴで、父親のいない家庭で育った子どもたちの苦労がしのばれます。
 ところが、著者の取材に応じ、顔写真まで撮らせた男女は、いずれも、あらゆる困難にめげず、アフリカの地で、「日本的」勤勉さを発揮して、それなりの仕事と生活を切り拓いた人も少なくないというのです。顔だけでなく、性格までもが日本的だという記述を読むと、その大変な苦労を想像して思わず涙があふれ出ました。
 日本に戻った人たち(父親)を探すのは止めたほうがいいと何人からも言われ、実際にも父親が死亡したりして、父親探しは難航しています。でも、アフリカにいて、日本人の名前と顔もして、心を持つ人たちが自分の父親を知りたい、会いたいというのも自然な人情です。はてさて、いったいどうしたらよいのか、分からなくなりました。
 新潮ドキュメント賞、山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞したのも当然と思える労作です。ご一読ください。
(2023年9月刊。2500円+税)

2023年11月13日

私の職場はサバンナです!


(霧山昴)
著者 太田 ゆか 、 出版 河出書房新社

 南アメリカ政府公認、そしてただ1人の日本人女性サファリガイドである著者がサファリを案内してくれる、読んで楽しく元気の出てくる本です。
 サファリとは、ヒスワリ語で「旅」という意味。大自然の中で、野生動物を観察しに行くアクティビティのことです。
 サファリガイドは午前3時45分に起床し、4時15分に出勤(といっても自宅兼職場)。サファリに出発するのは午前5時。3~4時間ほどのコースです。戻って午前9時に朝ごはんを食べて休憩し、午後4時ころから2回目のサファリに出発します。同じく3~4時間かけます。夜8時に仕事を終え、ときにはツアー参加者と一緒に食事。
 自宅といっても、著者は同僚6人との共同生活(部屋は個室)なので、夕食は交代制でつくります。
 著者は子どものころの夢は獣医になることでした。でも、理系科目が苦手だったのであきらめて、環境保護の分野へ転身。サファリガイドの訓練校があり、南アフリカ政府公認のガイド資格があることを知って、まだ英語に自信はなかったものの、大胆にも入学したのです。
 この訓練校では、実地での教育・訓練と教材を使っての授業を受けます。英語の授業はついていけなかったので、スマホで録音して夜に自分のテントで聞き直します。
 このとき、「生まれて初めて、勉強をするのが楽しいと心から思えた」とのことです。やはり、目的意識がはっきりしていたからでしょうね。
6ヶ月間の訓練のあと、サファリガイドになるための試験を受けました。200種類以上の鳥の鳴き声を覚え、鳴き声を聞いたら、すぐに鳥の名前を言わなくてはいけません。また、動物の足跡を見て、動物の種類、右足か左足か、前足か後ろ足か、どれくらいのスピードで歩いているかを答えます。
 著者は、なんと、1回でパスしました。次は、6ヶ月間の実習。すぐに実際のツアーを案内させられました。これで無事に終了しても、次なる難関は、就職先が見つからないということでした。
 外国人(日本人)であることは不利。道なき道をサファリカーで進むなんて女性に出来るはずがない、パンクしたタイヤの交換ができるのか...。そんな偏見にあい、困難にもめげずに探していたら、環境保護のボランティアを運営する団体にめぐりあえ、ついにサファリガイドとしてスタートできたのでした。日本の両親は猛反対でしたが、結局は、渋々、追認してもらったとのこと。すごいです。
私はNHKテレビ『ダーウィンが来た』を毎週欠かさず楽しみにしていますので、ライオンの生態も少しは知っているつもりでしたが、ライオンのオスは8頭のうち1頭しか無事に大人になることが出来ないというのには驚きました。
 また、ライオンを狙った密猟も知りませんでした。ライオンの歯や爪を装飾品にする、骨はトラの骨の代替品として、伝統薬として高値で取引されているとのこと。ひどい話です。
 過去を20年間で、ライオンは43%も減少したといいますので、半減したわけです。まったく人間は罪つくりの存在です。
 密猟対策として、サイの角(つの)が狙われるので、あらかじめ切除してしまう作業がすすめられています。ところが、オスのサイは角で戦って、メスを得るわけですので、その武器を取り上げてしまったら、どうなるのかが心配されているとのことです。悩みは尽きませんね...。
 「大好きな動物を守る」という幼いころからの夢を実現し、サファリガイドを始めて7年たった著者による若さと喜びにあふれたレポートです。ぜひ、サファリ・ツアーに行ってみたいと思いました。でも、朝5時出発して、3時間とは...。
(2023年5月刊。1562円)

2023年10月14日

ナイル自転車大旅行記


(霧山昴)
著者 ベッティナ・セルビー 、 出版 新宿書房

 52歳のイギリス人女性がナイル川の源流まで一人で自転車旅行した体験記です。
ときは1986年のこと。カイロに着いたのは11月初め。7200キロに及ぶナイル川源流への旅を思い立ったのは、前年冬に大英博物館にいたとき。といっても、著者は、その前にヒマラヤ、中近東そしてトルコを自転車旅行しています。また、フリーランスのカメラマンとして活動していたこともあります。
夫と成人している3人の子どもをイギリスにおいて、エジプトから自転車で南下していきます。
 自転車はロンドンで特注したもの。著者自らデザインし、車体を鮮やかな赤に塗り、ギアは18段。現地を走ると、この赤い自転車は目立つこともあって「アーアガラ」と呼ばれた。「アガラ」はアラビア語で自転車。「アー」は感嘆のコトバ。
最少の荷物にしても、結局は30キロの重さ。今どきの電動自転車なら、スイスイでしょうが、いくら18段とはいえ、自分の足でこぐのですから大変です。
 10リットル入りのプラスチック容器に水を入れ、それとあわせて、固形セラミックコアを使うスイス製浄化ポンプを携行し、これで助かったのでした。
 本は持っていかない。驚くべきことに、私は絶対まねできませんが、著者は本がなくても読書を楽しむことができるというのです。ええっ、ど、どうやって・・・。
 著者は学校で時代遅れの教育を受けたので、散文や詩をたくさん暗記させられた。それで、頭の中にしまってある本から、一説ひねり出すというわけ。これは、すごいことですね。
 ウォークマンもスマホもありませんので、音楽を聴きながらの自転車旅行でもありません。もっとも、耳にイヤホンをつけていたら、周囲の状況を察知するのが遅れて危ない目にあったことでしょう。
 猛獣に襲われるということはありませんでしたが、学校帰りのガキ連中には何度もひどい目にあったとのこと。「宿敵」とまで表現しています。いたずら小僧というのは、どこにでもいるのですね。
 コース周辺の貧しい村人からは歓待されることが多かったようです。そして、英語を話せる若者がところどころにいて、助けられもしました。
 イザベラ・バードというイギリス人女性が明治の初めに東北から北海道を日本人の若者を従者として一人旅しています。この女性も勇気がありましたが、この本の著者もすごいものです。エジプト奥地のきちんと舗装されているわけでもない道路を1日最高200キロも赤い自転車で走行したというのです。信じられません。
エジプトからスーダンに入り、ウガンダに入国します。どこも軍隊が反乱したり、治安の良くないところです。著者は少年兵が銃をもち、手りゅう弾を持っているのを見て怖いと思いました。ガキに鉄砲なんか持たせたら、面白半分に何をやるか分かりませんよね。少年兵はどこの国でも怖い存在です。
野外トイレは、砂と灼熱の太陽が、すべてを乾燥させるから、衛生的と解釈したというのも、さすがアフリカならではのことです。そこはイギリスや日本とはまったく異なります。
大体は1日に30キロから40キロを走るのがやっとだったと書かれています。見知らぬエジプトの地を走るのですから、それはそうでしょうね。
この当時、アフリカの女性は、6歳のころ割礼された。なかでもスーダンは徹底していた。少女の外陰部は切除され、小さな穴だけを残して、切り口はきつく縫い合わされる。なので、自然分娩(出産)するときは、陰部を切開して広げなければならないので、自宅で出産するのは難しい。いやはや、とんでもない習慣です。アフリカでは、少なくなったようですが、まだ根絶はしていないと聞いています。
このころ、アフリカの悪路を走るのは、トヨタ、三菱、いすゞなどの四輪駆動車。その優れた性能に、著者も感嘆しています。今は、どうなんでしょうか・・・。
日本の女性もタフですが、イギリス人女性も負けず劣らずタフのようです。
(1996年1月刊。2400円)

2023年9月24日

サハラてくてく記


(霧山昴)
著者 永瀬 忠志 、 出版 山と渓谷社

 アフリカのサハラ砂漠を日本人青年がリヤカーをひっぱりながら1人で横断した体験記です。信じられません。
古い本です。1994年10月に出版されていて、アフリカをリヤカーで横断(縦断か)する旅を出発したのは1989年6月のこと。そして、最終目的地のフランスのパリに着いたのは翌年の6月でした。このとき著者は33歳。高校での教員生活4年を経て、貯金300万円をはたいて旅に出たのです。
サハラ砂漠をリヤカーで旅をすると、どうなるか...。砂嵐に見舞われる、何もかもが砂だらけ。リヤカーの中から、耳の穴、髪の毛まで砂だらけ、目を細くして砂が入らないようにする。ターバンを頭に巻いて歩く。
 顔中がヒゲ面の青年が砂漠でリヤカーをひっぱっている写真が本の表紙になっています。柔らかいフワフワの砂地がある。リヤカーがぐっと重くなる。力いっぱい引っぱる、汗ダクダクだ。腕は汗をかいて塩で白くなる。シャツも塩分で白くなる。リヤカーの車輪が砂にはまり込んで、どうにも動かない。板を敷くことにする。2枚の板を1列に置き、片方の車輪を乗せて前へ引く。2枚目の板まで引くと、後ろの板を前へ持ってきて置く。また、前へ引く。また、後ろの板を前へ置く。もう片方の車輪は砂にめり込んだままだ。
 1回で1m80cmだけ前進する。10回くり返して18メートルの前進。100回くり返して180メートルの前進。200メートル進むのに40分から50分かかる。夕方5時半まで歩く。そこでテントを張る。ハードな1日だった。
朝食のあと、また歩き出す。周囲の地平線を見渡し、ふと我に返る。周囲は砂漠のみ。誰もいない。一人ぼっちだ。朝、起きたときの気温は13度。日によっては5度まで下がって、冷え込む。
何を求めてサハラ砂漠に来たのだろう...。目の前にあるサハラは、ただ砂と太陽の地獄のような姿しか見せてくれない。
歩いている時間だけで6から8リットルの水を飲んでいる。朝食と夕食で使う水も入れると、1日に10リットルの水を使っている。
こうやって、砂漠のなかを1週間も歩いたのです。とてもとても信じられません。たまに砂漠を車で走る旅行者から水や冷えたビールをもらったこともあったようですが、このたくましさ、精神力には、圧倒されすぎて声も出ません。
ケニアを出発して西の方へ行って北上しています。リヤカーを引きながら1日に40キロも歩いたというのです。これまたそのタフさに息を呑みます。タフとはいうものの、何回も下痢をして1時間おきに便所にかけ込んだこともあります。そして、途中でマラリヤにもかかりました。また、リヤカーもパンクして、その修理をしたり、タイヤを交換したり、大変です。
靴は5足を、それこそ履きつぶしました。傑作なのは、この5足を途中で捨てないで、5足全部を写真にとっています。また、ボロボロになったシャツ5枚を並べた写真もあります。見事にボロボロのシャツです。
33歳の日本人青年ですが、パリに着いたときの写真では、まるでライオン丸のように濃いヒゲの中に顔があるという感じです。
このヒゲがなければもっと若く見られて、危い目に遭ったのでしょうね。ともかく、1年後、無事に日本に戻れたというので、ホッとする旅行記でした。

(1994年10月刊。1700円)

2023年7月20日

獣医師、アフリカの水をのむ


(霧山昴)
著者 竹田津 実 、 出版 集英社文庫

 大分県に生まれ、北海道で獣医師として活動してきた著者がアフリカに出かけて出会った動物たちの話を生き生きと語っています。
サファリとは、「旅」を意味するスワヒリ語だそうです。
 小倉寛太郎(ひろたろう)ともアフリカで出会っています。かの『沈まぬ太陽』(山崎豊子)の主人公のモデルです。
 マサイ族の男性を写真に撮ってはいけないと禁じられたのに、こっそり撮った旅人がいた。それを60キロ先からやってきて「自分を返せ」と叫んだ。マサイの人の視力は、なんと6.0。いやはや...。
 福岡の女性がマサイ族の男性と結婚して、ガイドしていましたよね。今も元気にガイドしておられるのでしょうか...。きっと、コロナ禍で大変だったことでしょうね。
 フラミンゴは、赤くないともてないとのこと。つまり、たっぷり食物を食べた健康体であることが必要十分条件。羽毛の赤は、藻類の中に含まれるカロチノイド系色素によるもの。ミリオン(百万)単位の群れのなかで、集団お見合いの儀式が終日、少し儀式を変えて、パレードよろしく演じられる。
アフリカには、ツェツェバエがいるところがある。ところが、乳牛が放牧されているところは、ツェツェバエのいないところなので、安心できる。
 シロアリが雨季が始まると、アリ塚から飛び立っていく。そのハネアリは捕まえて食用としてマーケットで売られている。酒のつまみに最高。
 サバンナ・モンキーが木にのぼって両手を広げて飛んでいるハネアリをはたき落とし、口の中へ入れてモグモグ、クチャクチャと食べる。シロアリの脂肪は牛肉の2倍、タンパク質は同じくらい。「肉よりうまい」とのこと。本当でしょうか...。
人間の乗れるゾウはアジアゾウで、アフリカゾウには乗れない。これまた、本当でしょうか...。そんなに気性が荒いのですか、人間は飼い慣らせないのですか。
アフリカにもバナナはあるが、バナナの原産地は東南アジアで、アフリカには2千年前に導入された。
 アフリカに50年前はライオンが45万頭いたのが、今では3万頭にまで激減した。今はどうなっているんでしょうか...。ライオンとか虎って、見るからに怖いですよね。でも、ゾウもカバも本当はライオンより怖いんだそうですね...。
アフリカに行く勇気も元気もありませんので、「アフリカの水をのむ」人の話を読むだけにしておきます。といっても、近所の知人の娘さん一家は今もナイロビ在住なんです。案外、アフリカも身近な存在でもあるのが世の中ですよね。
(2022年12月刊。840円+税)

2023年6月22日

生命の旅、シエラレオネ


(霧山昴)
著者 加藤 寛幸 、 出版 集英社

 国境なき医師団日本会長をつとめ、昨年はウクライナ現地での医療活動にも参加した小児科医による、2014年に西アフリカのシエラレオネに派遣され、エボラ患者に対する医療活動の体験記です。
シエラレオネは、アフリカ西部の、日本の5分の1ほどの国土に814万人が住む国。クーデターが繰り返され、内戦もあっていた。ダイヤモンドなどの鉱物資源に恵まれている。平均寿命は55歳(2020年)。2000年は39歳だった。シエラレオネでは、5歳の誕生日を迎えられない子どもは1000人のうち109人(日本は2人)。同じく妊産婦の死亡数(10万人あたり)は1120人(日本は5人)。
エボラ患者に接するときは、宇宙飛行士のような完全防備の黄色い防護服を着用する。上下つなぎの作業服のような構造で、防水性の高い素材。一度着用したら焼却するので、高価なゴアテックスは使えないから透湿性・通気性が悪い。そのため、防護服の中はとても蒸し暑く、蒸し風呂のような状況。
 そのうえ、さらに安全を図るため、目以外の頭が全部覆われるフードを被り、特殊なマスクで鼻と口を覆い、その上にスキーのゴーグルをかける。また、二重の手術用手袋をつけて長靴をはき、最後にゴムでできた腹から膝下までの分厚いエプロンを巻いている。この暑さは、想像を絶する。いやあ、聞きにまさる重装備ですね...。
防護服を脱衣するとき、エボラに感染してしまう危険がある。なるほど、コロナでも、たしかそうでしたよね...。また、ハイリスクエリアでの針刺し事故に感染も避けなければいけない。
エボラ患者のいるハイリスクエリアは三つに区画されている。まずはサスペクト(疑い)エリア。エボラ患者との接触歴はあるが症状がなかったり軽かったり、血液検査による確定診断の出ていない人のいるエリア。次は、プロバブル(かなり可能性の高い)エリア。重い症状があるが、まだ確定診断が出ていない人のいるエリア。最後のエリアは、コンファームド(確認された)エリア。
エボラウイルス病は非常に致死率が高い。60~90%と言われている。エボラウイルスの自然宿主はアフリカの熱帯雨林に住むフルーツコウモリと考えられている。ひとたびエボラウイルスに感染すると、最短で2日、最長で21日間の潜伏期間(平均4~10日間)を経て発症する。病気の進行は急激で、発症して5日以内に亡くなることが珍しくない。
医療従事者がハイリスクエリアで活動するのは60分以内という厳格なルールがある。著者は、このルールにわずかに違反したとして、結局、国外退去となったのでした。
「熱心に診察していることは誰もが認めるところだけど、針を捨てる容器を準備せずに点滴確保した今回の過ちは重大であり、見逃すことはできない。任期を短縮して帰国してもらうことが決まった」
いやあ、厳しいルールですね。毎日を精一杯やっていても、そういうことが世の中にはありうるわけなんです...。
欧米がアフリカのエボラウイルス病にあまり関心をもたず、対策をとらなかった(とらない)のは、欧米のエボラ患者が減少したから。つまり、アフリカにエボラ患者がとどまっている限り、自分に危険が及ばないのなら、無関心であり続けるということ。
国境なき医師団の活動の実際を知ることのできる貴重なレポートです。
(2023年2月刊。1800円+税)

2023年3月29日

ヒエログリフを解け

(霧山昴)
著者 エドワード・ドルニック 、 出版 東京創元社

 エジプトでロゼッタストーンが発見されたのは1799年。ナポレオンのエジプト遠征のとき。
 そこには、3種類の文字が彫られていた。最下段にギリシャ文字、最上段はヒエログリフで、真ん中部は何か不明。学者はギリシャ文字は解読できたが、上の2種類の文字は、まったく分からなかった。
 この謎は、フランス人とイギリス人という2人の天才によって解明された。どちらも幼いときから神童として呼ばれていた。
 イギリス人のトマス・ヤングは世にまれな多芸多才の天才。フランス人のシャンポリオンは、エジプトを偏愛する一点集中型の天才。クールで洗練されたヤングと、熱血漢で激しやすいシャンポリオン。
 エジプトの文化は驚くほど「死」に執着している。ピラミッド、ミイラ、墓、神々、死者の書など、これらすべては、死を追い払い、ねじ伏せ、死後の世界で迷うことなく生きていくためのもの。祈祷文や呪文は、どれも死は終わりではないと訴えている。
 ファラオは、「あなたは、まだ若返って再び生きていく、また若返って永遠に生きていく」という呪文とともに死後の世界へ送られていった。だから、エジプトでは輪廻転生(りんねてんしょう)は信じられていなかった。もし信じていたら、魂が新しい肉体に宿るわけだから、わざわざ古い肉体をミイラ化して保存する必要はない。人間のミイラをはるかに上まわる数の動物のミイラがつくられた。ネコ、イヌ、ガゼル、ヘビ、サル、トキ、トガリネズミ、ハツカネズミ、はてはフンコロガシまで...。
 麻布でくるまれたネコのミイラが無数に出土している。
 ロゼッタストーンのギリシャ文字はやがて解読された。それによると、次のとおり。
 「この宣言は、神々の文字(ヒエログリフ)、記録用の文字(真ん中の段の文字)、ギリシャの文字をつかって堅牢な石版に刻み、永遠に生き続けるファラオの像とともに、最高位の神殿、二位の神殿、三位の神殿に置くものとする」
 楕円形のカルトゥーシュは、支持標識。この楕円形の中に入っているヒエログリフは、王の 名前をつづったもの。そして、クレオパトラが判明した。
 ガチョウと卵と思われていたのは、アヒルと太陽だった。この二つを合わせると「太陽の息子」。アヒルは息子を意味する。
 ヤングとシャンポリオンはライバル関係にあった。だが、天才の二人が競いあったことで、ヒエログリフは解明されたのだと、この本の著者はまとめています。そうなんでしょうね...。
(2023年1月刊。税込2970円)

2021年4月11日

ちょっとケニアに行ってくる


(霧山昴)
著者 池田 正夫 、 出版 彩流社

団塊世代より少し上の著者がフランス経由でアフリカに渡って、ケニアでオーナー・シェフとして活躍する話です。日本人男性も捨てたものではありません。最近の日本人の若者も料理の世界でがんばってるよね、感心だなと思っていると、そんな日本人男子は昔からいたのですね...。
著者はケニア人女性と結婚して、ケニアで無国籍料理(フュージョン料理)で人気のフランス料理店「シェ・ラミ(友だちの家)」をはじめた。2009年にケニアの内乱のため営業不可能となって閉店して日本に帰国し、今もコックとして活躍しているとのことです。
静岡の中学校を卒業して上京し、芝大門の精養軒での修行を皮切りに国内でコック見習いを始めた。そして、海外に行きたくて、まずはフランスへ。
パリの屋根裏部屋(7階)に日本人の若者3人で住む。家賃は1ヶ月900フラン。フランス語学校の学費は1ヶ月40フラン。日本食レストランのアルバイトは1ヶ月600フラン。1フランは70円。1968年のパリ「五月危機」のころのこと。
パリの次は南フランスのエクサンプロヴァンス。ここは私も2回訪れたことがあります。1回目は40代前半で、学生寮に3週間泊まりました。外国人向けのフランス語集中講座を受講したのです。今思えば夢のような毎日でした。2回目は、還暦前祝い記念旅行で2泊3日しました。ともかく夏の南フランスは最高です。夜は8時まで昼間と同じく明るく、雨は降らない。そのうえ、食べもの、飲みものが美味しくて、たまりません。著者はフォアグラの美味しさに魅せられたようです。そして、フランスの生クリームの味...。
そして、ついにアフリカへ...。コンゴ、アルジェリア、サハラ砂漠。羊の丸焼きは4時間ほどかけて焼く。柔らかい。ただただ、焼いた羊を手づかみで食べる。肉をはぎ取って、「熱い、熱い」と言って、手で食べる。うむむ...、そんな食べ方、したことがありません。
ケニアに、日本人向けのスワヒリ語学院を開設した人がいるのですね。星野芳樹という1909年生まれの人です。戦前の活動家で、戦後は撰議院議員も1期つとめ、1974年アフリカ・ケニアに移住したのでした。
著者の営むレストラン「シェ・ラミ」では野生の肉も供したとのこと。シマウマのフィレ肉が一番柔らかかった。ダチョウの肉も柔らかいが、シマウマにはかなわない。
店の庭の隅にバーベキュー小屋をつくった。ゲームミート(野生の肉類)専用のバーベキュー。インランド(鹿の一種)、シマウマ、キリン、ヌー、ガゼル、そしてダチョウとワニ。欧米人の客が好んだ。フォンデュ鍋にゲームミートを入れて、6種類のソースをつけて食べるのは、フランス人に大好評だった。
ワニ肉料理は、ムニエルにする。ワニの肉質はチキンと同じで、匂いもなく、黙っていたらワニ肉とは分からない。ワニの焼き鳥風は、鶏肉の焼き鳥を食べている感じ...。
著者は、各国をまわって、郷に入れば郷に従えを実践したとのこと。そうですよね、大切なことですよね。そして、フランス語、英語、スワヒリ語を話せたのが人々と交流するうえで欠かせなかった。語学は大切だ、と強調しています。なので、私は、今もフランス語を毎日、勉強しているのです。
とても面白い本でした。読んで元気が湧いてきます。ますますの活躍を祈念します。
(2020年8月刊。税込1980円)

2020年9月17日

あれから―ルワンダ・ジェノサイドから生まれて


(霧山昴)
著者 ジョナサン・トーゴヴニク 、 出版 赤々舎

1994年4月から6月にかけての100日間で、中央アフリカのルワンダで80万人もの人々が「インテラハムウェ」と呼ばれるフツの民兵によって残虐に殺された。そして、このとき多くの女性民兵によって繰り返し暴行された。この性暴力によって、2万人と推定される子どもが産まれた。また、母親の多くはHIV(エイズ)に感染して苦しんだ。
著者は2006年に訪れたときに撮った写真と、それから12年たった2018年に撮った写真を並べ、母親と子どもたちに心境をたずねています。
子どものなかに大学に進んだという人もいて、救われる気持ちでした。もちろん、母親も子どもも生物学的な父親を許すはずもありません。ところが、ここでも父親に会いに行ったり、許すと言う子どもがいるのです。まことに人生は複雑・怪奇です。
自分が人殺しで暴行犯の子だと知ったことによる悪影響はある。人殺しと暴行犯の娘だというレッテルを貼られたくないので、もし父親が生きていても、あんなことをした人と自分とを結びつけたくはない。母にひどいことをしたのだから、許すことなど考えられない。きっと他の女性も暴行したことだろう。いったい、どうやってそんな人を許せるというのか...。
性暴力の結果とともに生きていくのは、簡単なことではない。今でもフラッシュバックがある。これはきっと死ぬまで続くんだろう。
娘が性暴力から生まれたことによる最悪の結果は、娘には家族も、祖父母も、父も叔母も、私以外には誰もいないということだ。
一度だけ、父親と会った。父が刑務所にいるときに会いに行った。父にひとつ質問した。なぜ、刑務所にいるの、そしてぼくが聞いたことは本当なのか...と。父は恥じて、話したがらなかった。真実を伝えることを避け、沈黙が流れた。
自分の経験を子どもに話せていなかったら、おそらく気が狂っていただろうと思う。自分の心を解放してやる必要があった。今はもう、何も恥ずかしいことはない。
自分の父親が誰かを知る必要はない。知っても悲しくなるだけだろう。父親は人殺しで、ひどいことをしたんだから、そんな父親と自分を結びつけたくはない。知りたくない。父親は普通の人間ではないだろうから、知らないほうが、まだいい。ジェノサイドのときの性暴力から生まれたことによって、悲しさ、恥、そして低い自己肯定感が自分に植えつけられた。自分が誰であるかをめぐる真実を知ったことで、ようやく自分自身を受け入れることができた。
自分の父親が誰かを知る気はまったくない。自分が人殺しから生まれたと、人間性にとって何の価値もない人間から生まれたと考えるだけで、とてもひどい気持ちになる。正直に言って、自分の民族性が何なのか分からない。自分はフツでもツチでもない。ツチかフツのどちらかとして認められたいとも思わない。ぼくはルワンダ人として認められたい。
自分の父親を許せるかどうかは分からない。難しい。父がフツなので、自分もフツだと思う。子どもは父親の民族を受け継ぐものだから、私はフツ。
ジェノサイドの追悼週間になると、母はトラウマのせいで、私を人殺し呼ばわりする。母にジェノサイドの犯人と言われるのは、やはり辛い。母は私が父親と同じフツだという。でも、自分がツチかフツかというのは、自分にとっては重要なことではない。私はルワンダ人であり、それが大切。
以上、いくつか紹介しましたが12年たって、大学に行く年齢の子どもたちにもインタビューした結果が紹介されているのが大きな特徴の写真付きの証言集です。
ビフォー・アフターというか、2006年に撮った母と子(息子または娘)の写真が、12年後の2018年に撮った写真と対比させられていて、子どもたちが、内面の苦悩はともかくとして、たくましい大人になっていることに、少しだけ安心できます。それにしても、人物写真がくっきり鮮明に、よく撮れていることに驚嘆しました。
(2020年6月刊。3500円+税)

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