弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アメリカ

2007年9月12日

インド世界を読む

著者:岡本幸治、出版社:創成社
 1820年に、世界におけるGDPは、第一位の中国(清)が28.7%で、インドは 16%と第二位。フランスは5.4%、イギリス5.2%、ロシア4.9%、日本3.1%。当時のインドは日本の5倍以上の経済力を誇っていた。
 インドの言語は312とか800以上とも言われている。小学校では、3言語政策がとられている。3言語とは、英語とインド公用語とその地域の公用語である。そして、エリート層の共通言語は英語だ。
 インドの宗教人口は、ヒンドゥ教81.4%、イスラム教12.4%、キリスト教  2.3%、シーク教1.9%、仏教0.8%、ジャイナ教0.4%。
 ヒンドゥ教徒は微減、イスラム教徒は微増。インドの人口は11億人台であり、そのうちイスラム教徒が1億3000万人いる。世界有数のイスラム大国でもある。
 ムガル朝の太祖であるバーブルは、中央アジアのモンゴル族系の出自である。アラビア人の歴史家がモンゴルをムガルと呼んだので、ムガル朝という名で知られるようになった。
 マハトマ(偉大なる魂)・ガンジーの最大の業績は、それまで都市中間層に片寄っていた民族運動組織を全国に支持基盤をもつ大衆組織、民族を代表する運動体に脱皮させたことにある。彼自身は、イギリスに4年間留学したエリート知識人であったにもかかわらず、インドの多数が居住する農村に注目し、都市インテリが好んで使用する英語ではなく、民衆に土着の言葉で語りかけたこと、そして会議派支部組織の役員は天下りに指名するのではなく、支部会員の選挙を通じて地元で人望のある者を選ぶというやり方を採用した。
 独立当時のインドは、識字率がわずか16%だった。就学率は、小学校で35%、中学校は9%、高校は5%にすぎなかった。
 今や、インド経済の発展は、印僑の存在を抜きにしては語りえない。印僑とは、外国に移り住んでその国の国籍を取得している人々や、インド国籍を残しつつ外国で研究・貿易・生産に従事する人々のことを指す。
 印僑はアメリカに168万人、カナダに31万人、イギリスに105万人いる。
 新たな印僑は知的コミュニティーを形成している。IT分野のほか、文学や経済学でも世界水準への貢献度は高い。経済界への進出が目立ち、政界進出もはじまった。
 最近の印僑は、インド国内の中流以上の家庭出身である。在米印僑の子弟の学歴は高く、印僑の子弟の7割前後は大卒の学位を取得する。これは全米平均の21%の3倍をこす。
 カリフォルニアのシリコンバレーでは30万人の印僑が就業しており、全米に5000人の印僑の大学教授が教壇に立っている。
 アメリカにいる印僑の家庭の収入は、全米平均の2倍、年に6万ドル。シリコンバレーで働く技術者の平均収入は年間30万ドル。
 インド本国への送金は急上昇中で、1994年に78億ドルだったのが、2003年には220億ドル。10年間で2.8倍にふくれあがった。
 インドのバンガロールには、77もの工科大学があり、3万人の学生を毎年送り出している。インド企業に働くソフト技術者は34万人。これはアメリカに次いで世界第二位。大学卒の技術者は全インドで毎年10万人をこえる。
 ソフトの売上げは、輸出が国内よりはるかに大きい。北米60%、ヨーロッパ20%、日本は4%。
 イギリスの国鉄にかかる電話は年間5000万件あるが、その半分はインドでインド人が英語で応答している。
 アメリカにいる外国人留学生56万人のうち、インド人は8万人。7人に1人を占め、断然第一位。中国人より多い。
 最近、インド人が積極的に移住しているのは湾岸諸国である。とくにアラブ首長国連邦である。これは、石油関連産業への出稼ぎが目的である。
 最近のインドの実情をいろいろ知ることができました。
(2006年10月刊。800円+税)

2007年8月21日

CIA秘密飛行便

著者:スティーヴン・グレイ、出版社:朝日新聞社
 9.11以降、既成概念にとらわれない発想が大はやりとなり、新たなテロの脅威に対する新たな戦争手法が模索されだした。新たな手法は、非合法(イリーガル)とはされなかった。そのかわり、ブッシュ政権は、それを超法規(エクストラリーガル)と呼んだ。これは、あらゆる法の枠外にあるということ、つまり無法状態ということである。
 エクストラ・リーガルシステムの目的は、囚人をあらゆる法律家、アメリカの裁判所、あるいは軍事法廷による保護の届かないところへ連れていくことにあった。テロリストは、なるべくなら、彼らを厳しく扱う国にその対応をまかせる。それこそ、ふさわしいやり方だと政治家たちは信じた。
 モロッコでの拷問は、剃刀の刃をつかって、全身くまなく、性器にいたるまで、切れ目を入れるもの。そんな目にあうと、政府の望むことは何でも「白状」することになる。
 それは、そうでしょう。私なんか、自慢じゃありませんが、いちころでしょう。とてもそんな拷問に耐えられる自信なんかありません。
 食事のなかに麻薬みたいなものが混じっていたり、ハンガーストライキを始めると静脈への点滴で何かの物質を体内に注入された。また、尿の臭いの立ちこめる部屋に一人入れ、ポルノグラフィーを見せたり、全裸や半裸の女性を一緒にさせ、罪を犯させようとした。
 キューバのグアンタナモ米海軍基地への700人をこえる囚人移送はレンディション(国家間移送)である。なぜなら、公式に「戦争捕虜」と認められたものは一人もおらず、全員が法的手続きも、条約もなしに、国家間を移送されたケースだからだ。アメリカの管理下へ「レンディション」されてきた人間の大多数は、アフガニスタンの戦闘地域以外から送られてきた者たちである。グアンタナモに収容所が設けられて以降の4年間に、  300人以上がそれぞれの出生国に再「レンディション」され、釈放されるか、再収監されるかしている。アメリカ軍がこれまでおこなった「レンディション」は1000件をこえている。
 CIAのテネット長官は、特殊作戦グループを復活させた。それは軍事、準軍事、隠密作戦にかかわる要員と、自前の専用航空資産、特殊装備を融合させたもので、命令ひとつで、世界のどこへでも展開できた。レンディションの実施には、輸送の足が必要だった。そこでCIAは傘下の偽装会社エアロ・コントラクターズ社に目を向けた。
 9.11のあとは、アメリカで裁判にかけることを目的にした従来型のレンディションはほぼ完全に放棄された。外国の刑務所に向けた秘密レンディションが通常の形態になった。有力テトリスとが捕まり、アメリカに戻されて裁判にかけられたというケースは  9.11後の5年間にただの1例もない。
 アブグレイブでの囚人の取調では、3つの組織が互いに競いあっていた。第1は、CIAの命令で動くイラク調査グループ。価値の高い囚人の大半を握っていた。第二は、各特殊部隊の寄り合い所帯であるタスクフォース121で、これにはCIAも参加していた。第三は、アブグレイブに集められたアメリカ軍の自前の情報部隊である。
 CIAもアメリカ軍情報部も、憲兵隊に対して、虐待しろという公式命令を下していたわけではなかった。たとえば囚人に性的虐待をおこなえという命令は、軍の指揮命令系統のいずれの者によっても出されてはいない。むしろ、ワシントンの政治指導者から出された一連の命令や法的見解の果たした役割が大きかった。
 CIAの尋問テクニックは、拷問そのものとは言えない、強化型テクニックを利用可能にしようとするものである。たとえば、囚人の睡眠を奪ったり、溺死すると勘違いさせるなどのテクニックを駆使したいのである。
 ペンタゴン内で映画「アルジェの戦い」が2003年8月に上映されたそうです。この「アルジェの戦い」は、1966年の映画です。私が大学に入ったのは1967年ですが、入試が終わって、大学に入学するまでの間に渋谷の映画館でみたような記憶があります。まだフランス語を勉強する前でしたが、フランス語の「アタンシヨン、アタンシヨン」という言葉を、今もくっきり覚えています。
 フランス軍(空挺部隊)は拷問と処刑の双方をふくむ残酷な戦術を用いて、アルジェリアの独立を目ざす民族解放戦線(FNN)の指導層をほぼ全員検挙し、一掃することに成功した。しかし、この勝利は一時的なものにすぎず、フランスはやがて戦争に敗れた。アルジェリアで、拷問は戦闘に勝ち、戦争に負けた。
 なーるほど、そういうことなのですね。久しぶりに40年前の映画「アルジェの戦い」を見てみたいと思いました。
(2007年5月刊。2500円+税)

2007年8月20日

歌姫あるいは闘士、ジョセフィン・ベイカー

著者:荒 このみ、出版社:講談社
 ジョセフィン・ベイカーって、名前は聞いたことがありましたが、どんな女性だったのか、この本を読んではじめて知りました。
 ジョセフィン・ベイカーはアメリカ生まれの生っ粋の黒人。アメリカでの黒人差別に嫌気がさして、パリで成功するとフランスに定住する。成功した歌姫としてアメリカで公演するときも、黒人なので会員制クラブではおろか、レストランでもホテルでも公然たる差別を受けた。それに対してジョセフィン・ベイカーは敢然とたたかった。人種差別のない世界を目ざして、世界中から12人の養子をとった。1954年4月、日本にも来て、1人を養子にするはずが、2人の男の子を養子にした。
 第一次世界大戦のとき、40万人以上のアメリカ黒人が兵役につき、そのうち20万人がフランスに送られた。アメリカ側では黒人兵がフランス人と接触することを回避しようと、禁止令を出したが、効果はなかった。
 ジョセフィン・ベイカーたちはフランスでの公演でパリ市民を熱狂させた。
 写真を見ると、すごいのです。パリ市民がそれまで見たこともないような踊りだった。観客を戸惑わせ、それ以上に歓喜させ、狂喜させた。ほとんど裸体の踊りなのだが、エロチックというより躍動美であり、ついつい見とれてしまったのである。
 ジョセフィンの茶色の肌は観客にとってエキゾティックで蠱惑(こわく)的、本能的だった。踊りの速さ、動き、奇妙さは、それまでパリが経験したことのないものだった。ジョセフィンの官能的で機知に富んだ性格の輝きがあった。
 ジョセフィンの踊りから、人間の身体の根源的な美しさが感じられ、生の躍動がじかに魂に伝わってきた。だからこそ、パリの観客の心は激しく揺さぶられた。
 パリのレストランで、ジョセフィン・ベイカーが友だちと食事をしていると、アメリカ人の女客が店長を呼びつけて叫んだ。「あの女を追い出してちょうだ。私の国では、ああいう女は台所にやられるのよ」 ところが、どうぞお立ちくださいと言って店長が追い出したのは、そのアメリカ人の女客だった。
 いやあ、アメリカ人の黒人差別(実は黄色人種の差別も)は、昔も今も変わりませんよね。日本への原爆投下も猿以下とみなしていた日本人蔑視によるものであることは、歴史的事実ですからね。これはホントのことです。
 ジョセフィン・ベイカーは、フランス南部に城(シャトー)と所有し、そこで12人の養子を育てました。商業的には結局、破綻してしまうのですが、その夢は今も生きている気がします。
 そして、ジョセフィン・ベイカーは、第二次世界大戦中には、ナチスの支配に抵抗するレジスタンス運動に加担するのです。たいしたものです。情報員に求められるのは、勇気と直観と知性。この三つとも彼女には備わっていたと、レジスタンス運動に引っぱりこんだ幹部が語っています。
 ジョセフィン・ベイカーは、アメリカに帰ったとき、若い黒人大学生に語りかけた。一つは、社会で何かを成しとげるときには努力が必要なこと。自分の才能というのは天性であるとともに、努力するからこそ花が開く。二つ目に、黒人は劣等感にさいなまれているが、自分たちの人種的劣等感を捨てて、これまで自分たちの仲間が立派に活躍してきたことを誇りに思うこと。三つ目に、黒人の文化を教育することの重要性と緊急性である。これって、今の日本人の若者にも、すごくあてはまる大切なことのように思いますが、いかがでしょうか・・・。
(2007年6月刊。1890円)

2007年8月 9日

ブッシュのホワイトハウス(上)

著者:ボブ・ウッドワード、出版社:日本経済新聞出版社
 ブッシュにとって、直観は第二の信仰にひとしい。わたしは教科書どおりにはやらない。勘でやるんだ。これは、ブッシュの言葉です。あまりたいした勘ではありませんよね。
 ブッシュ大統領は、ブッシュ・シニア(パパ・ブッシュ)と典型的な父と子の確執があった。50年以上にわたる父と息子の緊張関係、愛・喜び、ライバル意識、失望という、傍目(はため)に分かりにくい微妙なものも、あからさまなものもあった。
 モルモン教徒であるスコウクロフトの推測によると、ブッシュは、45歳まで自分が何者か分かっていなかった。それが今、大統領になった。恐るべきことだった。
 2001年7月10日、CIAのテネット長官は、アルカイダが近々アメリカを攻撃する可能性が強まっていることを会議の席上、報告を受けた。48歳のテネット長官は夜もおちおち眠れなくなった。確実な情報は得られていないが、データの量は莫大だった。なにかが起きると、情報機関の長としての勘が告げていた。
 NSAは、ビン・ラディンの配下の不気味な会話を傍受していた。全部で34件あった。ゼロ・アワー(決行時刻)は近いという不吉な宣言や、めざましい出来事が起きるというきっぱりした言葉が聞かれた。
 国家安全保障会議の全体秘密会議で、ビン・ラディンに対する武力行使が検討された。ヘルファイア対戦車ミサイルを発射できるプレデター無人機で、ビン・ラディンとその副官たちを暗殺するという計画だった。秘密工作の予算は5億ドル。ビン・ラディンの殺害を許可するという大統領のサインがあれば実行されただろう。しかし、予算をどこが出すのか、ミサイル発射の権限はどこがもつかで、CIAは国防総省と激しく論争した。
 2002年1月18日、ブッシュ大統領は、身柄を拘束しているアルカイダやタリバンのテロリスト容疑者にはジュネーブ条約を適用しないことを決定した。彼らは不法な戦闘員であり、戦時捕虜ではないから、ジュネーブ条約によっては守られていない、と宣言した。しかし、これでは、捕虜になったアメリカ人将兵の虐待を引きおこしかねない。アメリカ政府部内でも異論がおきた。
 そこで、ジュネーブ条約は、タリバン兵の被拘束者には適用されるが、アルカイダの国際テロリストには適用されない。ただし、タリバン兵は戦時捕虜とはみなされない。こんな声明がなされた。
 なんだか、分かったようで分からない声明です。ウソかホントか分かりませんが、フセイン元大統領の次のような言葉が紹介されています。
 わたしは、目を見れば、その人間のことが分かる。忠誠かどうか見分けられる。瞬(まばた)きをしたら、そいつは裏切り者だ。そうしたら処刑する。裏切り者かどうかがはっきりしなくても、裏切り者を見過ごしてしまうよりは、殺しておいたほうがいい。
 ムムムッ、ホントにこんなことを言ったのでしょうか・・・。でも、いかにも、ありそうですね。
 CIAのテネット長官は、腹心の部下にこう言ったそうです。
 自分の勘では、イラク侵攻は適切とは思えない。ブッシュ政権上層部は、イラクに侵攻して政権を倒せばいいと考えているが、あまりにも考慮が浅い。まちがいだ。正気の沙汰じゃない。
 しかし、テネット長官はブッシュ大統領にこの自分の意見を進言しなかった。
 テネット長官はブッシュ大統領に訴えた。イラク国内のアルカイダ支援にサダム・フセインの「権限、指示・統制」がある証拠は何もない。チェイニー副大統領はフセインとアルカイダとの結びつきをことさら強調する演説をしようとしているが、CIAは、それを支持できないし、支持するつもりもない。ブッシュは、このときテネットの肩をもった。
 こんなブッシュ大統領がリーダーのアメリカに日本がいつでも、まるで言いなりなんて、もうそろそろ止めましょうよ。
 お気づきのかたもおられると思いますが、この書評を愛読していただいている大坂の石川元也弁護士より、本の発刊日と値段を書いてほしいとの要望が寄せられましたので、なるべく末尾にのせるようにしました。
(2007年3月刊、1890円)

2007年7月24日

巨大政府機関の変貌

著者:チャールズ・O・ロソッティ、出版社:財団法人大蔵財務協会
 IRS、アメリカ合衆国内国歳入庁を民間実業界出身者が長官として乗り込んで大改革していったという話です。
 アメリカの税制は、すべての市民が自ら支払うべき税金を計算して納付するという、自発的意志に依存している。市民がそうしないときにはIRSが介入することになる。
 個人の確定申告書の調査において、およそ4分の1は是認される。
 1999年には、本来納付されるべき税額のうち、2770億ドルが納付されなかった。IRSはこれを追跡して、そのうちの17%を徴収することができたが、残り2300億ドルは徴収されずに残った。このような巨額の未納額は年々増加している。
 IRSは、富裕層への調査を減らし、貧乏人を調査する傾向がある。不正行為に対するIRSの警告にもかかわらず、富裕層は税金の調査を回避している。IRSについて、このような評価が定着していました。まるで日本と同じです。日本も巨大企業には大甘の税法と税務調査がまかりとおっています。日本の活力を保全するためという論法です。
 税金を「合法」的に回避するためのタックスシェルターが大企業から裕福な個人にまで広く流行している。
 もっとも富裕な所得階層に属する納税者は、そのほとんどが大企業の全部または一部の所有者である。100万ドルをこえる所得のある個人納税者層は、大企業上位1000社の合計とほぼ同じくらいの額の税金を納めていたが、大企業上位1000社のほうが
100%毎年調査を受けているのに対し、所得100万ドル超の個人納税者については、提出された申告書の2.5%しかIRSは調査していなかった。
 そこで、2002年2月、IRSの優先順位を変更した。10万ドル超の所得のある個人納税者の調査により多くの調査スタッフをふり向け、そのなかでもとくに100万ドル超の所得のある納税者の調査にはさらに手厚くふり向けることにした。
 日本でも、このようにしてほしいものです。ところが、現実に日本の税法改正は超富裕層を温存する方向ですすめられています。重い税負担感から金持ちが日本を逃げ出さないようにするため、という口実です。
 いま、私の周囲では市県民税が2倍いや3倍になった、給料が1万円以上もダウンしたという悲鳴ばかりです。与党である公明党が提唱して実現した定率減税廃止のための増税です。空前の好景気が続いているというのに、その大企業のための法人税減税のほうは廃止されずに続いています。おかしな話です。富める者がますます富める社会、貧乏人は野垂れ死にしてかまわない。それが安倍首相のうたう「美しい国」の内実です。ホント、許せません。
 消費税にしても、導入するときも、税率をアップするときも、選挙で争点にしたわけではありませんでした。別のことが争点となっていて、勝った自民党が信を受けたと称して実施したものです。今また、参院選の争点とせず、秋に消費税を7%へアップする方針をうち出すというのです。こんな国民を馬鹿にしたやり方をいつまでも続けさせてはいけません。納税者はもっと怒りを声に出しましょう。私たちが主権者であるのは選挙での投票行動をすることのみであらわすしかないからです。マスコミの予想によると、民主党の一人勝ちのようですけど、それでいいのでしょうか。「2大」政党はまやかしではありませんか。とても大切な憲法改正問題について、この「2大」政党は、どちらも基本的に同じ考えですし・・・。

2007年7月20日

ブッシュのホワイトハウス(下)

著者:ボブ・ウッドワード、出版社:日本経済新聞出版社
 いまイラクに駐留するアメリカ軍は13万人。当初の計画では、3万人ほどにするということであり、最大でも6万人のはずだった。ところが激しい武力衝突が絶えないため、アメリカは減らすことができない。1ヶ月にアメリカ軍が攻撃される件数は500件もある。2003年9月は750件、10月には1000件になった。1日に30件以上の武力衝突が起きている。
 イラクに大量破壊兵器があるか調査していた調査団のケイ団長は、公式に発言した。
 私自身を含めて、我々は間違っていた。イラクで大量破壊兵器の備蓄が発見されると考えられる根拠は何もない。過ちを認めることが大切だ。イラクは、あたかも大量破壊兵器を保有しているかのようにふるまっていただけ。
 そうなんです。ことは明白です。アメリカのイラク侵攻に何の根拠もありませんでした。ところが、ブッシュ大統領も日本政府もいまだに自分の誤りを認めていません。ひどい国際法違反です。
 アメリカ政府の高級スタッフがイラクに派遣されて見たものは、次のとおりです。
 イラクは、見た目も雰囲気もまさに戦場だった。攻撃は一ヶ月に1000件。アメリカ軍の食堂が迫撃砲で攻撃を受けたこともあった。ヘリコプターで移動するときには、常にドア銃手が機関銃を下に向けていた。スタッフは抗戦ベストを着用した。
 2004年8月から、攻撃を受けるのは月に3000件になった。
 2003年5月にブッシュ大統領がアメリカ軍の輸送機で到着し、大規模な戦闘は終わったと宣言した時点と比べると、武力衝突は10倍に増えている。
 2005年9月、アメリカ政府の高級スタッフがイラクを視察した。反政府勢力がイラクの大部分で自由に作戦行動できるのに、アメリカ軍は兵力を分散して、手薄になっていることを知った。武装勢力は、従来よりも殺傷性の高いIEDを使用し、それがアメリカ軍将兵多数の死因となっている。
 3年のあいだにイラク人3万人が死んだ。イラクの人口がアメリカの15分の1だということを考えると、この3年間、毎週、9.11同時多発テロの被害者と同数の死者が出ていることになる。9.11が毎週くり返されたら、アメリカの社会にどれほどの心理的打撃を与えるか、想像できる。イラクの社会にもそういう打撃を与えているわけだ。
 いやあ、本当です。この指摘はあたっていると私も思います。
 世論調査によると、スンニー派の50%が反政府運動に賛成している。スンニー派は、人口の20%を占めているので、イラク国民の10%、つまり200万人が武力抗争に賛同していることになる。
 ブッシュは、景気のいい楽天的な発言をするばかりで、イラクの陥っている状況について、アメリカの国民大衆に真実を伝えていない。
 これは、ちょうど安倍首相が貧困層が日本に増大している現実を無視して美しい国・日本を愛しましょうという美辞麗句を並べたてているのと同じことです。

2007年6月29日

グアンタナモ収容所で何が起きているのか

著者:アムネスティ・インターナショナル日本、出版社:合同出版
 グアンタナモというのは、キューバにあるアメリカの基地です。キューバ政府はアメリカに返還を求めていますが、キューバを敵視するアメリカ政府は無視して居座り続けています。その根拠は100年前に結んだ条約で半永久的な借用が認められているというものです。アメリカって、ホント、厚かましい国ですよね。日本にもアメリカ軍の基地がたくさんあって、治外法権のように我が物顔してのさばっていますけどね・・・。
 このグアンタナモ基地については、アメリカにとって国交のない国の領内にあるため、アメリカの法律も国際法も適用されないというのです。本当に、そんなことってあるのでしょうか。信じられません。
 アメリカは、「テロリスト」として逮捕した人500人を、ここに収容していますが、なんの司法手続きも経ていません。裁判待ちというのでもないのです。これが「民主主義国家アメリカ」のやり方なんですね。
 2002年1月に「テロリスト」の収容が始まりました。しかし、映画『グアンタナモ、僕たちが見た真実』は、収容所のなかに無実の若者がいたことを明らかにしています。たまたまイギリス警察に捕まっていたことが判明したのでした。刑事司法手続きは、そこにありませんでした。裁判で無実が判明したので釈放されたというわけではありません。
 グアンタナモに収容されている人々は「敵性戦闘員」だとされています。捕虜ではないのです。法的地位をもちません。ジュネーブ条約にもとづく捕虜としての保護も受けられません。刑事被疑者としての権利も認められません。尋問についても何の制限もありませんから、肉体的また精神的な拷問が日常的です。
 家族の面会はおろか、弁護士の面会すら認められていません。
 これは、ブッシュ政権の公然たる方針なのです。ブッシュ大統領は、タリバンやアルカイダには、捕虜の人道的取り扱いを定めたジュネーブ第三条約は適用しないと高言しています。
 それでも、アメリカの弁護士たちの取り組みによって、2004年6月、アメリカ連邦最高裁は、「グアンタナモの被収容者は人身保護請求手続きによって、自らの拘束の違法性に関する法的審査を受ける権利を有する」という判決を下したのです。ところが、アメリカ政府はこれに応じませんでした。
 そのうえ、なんと、人身保護請求を認めない法律というのは国会で成立させたのです。
 敵性戦闘員としてグアンタナモに収容している者に対しては、いかなる司法裁判所も人身保護請求の権限を行使することは許されないという法律です。
 ええっ、そんな、バカな。アメリカの野蛮さが、ここにはっきり浮かび出ています。
 国連は、グアンタナモ基地は早く廃止されるべきだという見解です。
 世界に自由と民主主義を広めているはずのアメリカが、とんでもない野蛮な人権蹂躙を公然としているなんて、ホント、許せません。

2007年6月28日

ブログ・オブ・ウォー

著者:マシュー・カリアー・バーデン、出版社:メディア総合研究所
 おどろきました。アメリカのイラク侵略戦争に従軍しているアメリカ兵の生の声がミリタリー・ブログにのっていたのです。
 テクノロジーに詳しい若い兵士は、イラクにいるあいだにも祖国の家族や友人と連絡を欠かさないための手段としてブログを活用しはじめた。これらのブログは、ミリタリー・ブログ(ミルブログ)と呼ばれた。
 イラクにおいて天気は兵士にとって重要な話題である。天気は、恩恵にもなれば、災いにもなる。雨が降れば簡易爆弾(IED)の信管が湿って爆発しにくくなるが、頼みの武装ヘリコプターの援護も難しくなる。
 かつて輸送車の運転は、比較的安全な任務だと思われていた。だが、イラクやアフガニスタンの戦場では違う。
 前線作戦基地ではイラク人スタッフがメンテナンス業務の大部分を受けもつ。維持管理全般、食堂での料理運びなど。イラク人は全部で30人。シーア派もスンニー派もいる。
 イラクの握手はアメリカの握手とは違う。アメリカの握手は、しっかりと手を握ることで、こちらの強さを示し、本気だぞというところを見せるものだ。イラクの人たちは、もっと優しく手を握る。さらに、握手のあとで胸に手を置き、友情や敬意を示す場面が多い。
 士官になれるのは大学を出た人間。たいてい軍アカデミーか予備仕官訓練所の研修を受けてから着任する。したがって、少尉の大半は子どもだ。ほとんどがせいぜい22歳である。彼らは大学を卒業すると、すぐに小隊長として、15人から40人の兵士をまかせられる。この小隊長をきちんと訓練して軍隊に慣れさせ、リーダーとしての決断を助けるのが小隊長軍曹のつとめだ。
 戦場で耳にする言葉の中で、もっとも恐ろしいもののひとつが「衛生兵、メディック」という叫びだ。そして、もっともうれしいものが「今行く!」と大声で答えながら衛生兵が走ってくる足音である。
 IEDによって女性通訳者サラが顔を吹っ飛ばされた。既に手遅れだった。24時間ともたなかった。医師は、彼女の脚の残骸から皮膚を移植して顔の治療に当たったが、おそらく彼女自身がもうあきらめてしまっていたのだろう。両足をなくし、顔もあんな状態では、生きようという気力を搾り出せるとも思えなかった。
 ここでは、毎日、一ブロック一ブロック、すべての家で戦闘だ。どの家の正面にも金属製の門がつけられ、内側から鍵がかけられている。だから、どんなやり方をしようと静かに門を破ることなんか出来ない。中の敵はすでにこちらの動きをすっかりつかんでいて、突入の瞬間に、発砲しようと待ち構えている。
 M1エイブラムズ戦車かD九装甲ブルドーザーで武装勢力もろとも家をぶっつぶす。攻撃ヘリや砲弾をつかって、侵攻する予定の市街地を掃討しておく。何でも大統領の言ったとおりにしろ、そして政府に従え。さもないとオレがおまえを殺す。負傷にとどめるような撃ち方はするな。威嚇射撃をする必要はない。我々はルールを守り、ルールに従って戦う。我々が死ぬのはルールに従ったため、でなければルールに従わない者がいるためだ。戦争とは野蛮なものだ。戦争とは地獄だ。戦争とは、自分の心を鬼にして敵にぶつかるものだ。
 これでは若いアメリカ兵の心がすさむのも当然です。
 イラクという戦域では、民間人がきれいに姿を消すということは武装勢力の攻撃が近いことを意味する。民間人には誰が反体制側か分かるから、危害が及ぶ前に自身で身を守るのだ。
 これは、アメリカ兵は、全イラク人を敵にしているということとほとんど同じことを意味していますよね。
 そう、たしかに彼らは兵士だ。でも、こんな生き方、自分が望む人間がどこにいる?四六時中脅威にさらされていて、誰がうれしい?そんな奴がいたら、そいつは、どこかおかしい。僕は、自分の子どもに軍隊の経験をさせようとは思わない。僕で打ち止めにするかもしれない。
 戦争は、すべてをむさぼり食っていく。慈悲など、一切存在しない。そこには論理などないのだ。戦争は、ただ破壊のためにあり、そして愚かな人間が政治を行っているかぎり、この先も戦争がなくなることはない。
 このミルブログは、軍上層部に気づかれ、閉鎖に追いやられ、検閲されてしまいました。そりゃあ、そうでしょう。戦争の悲惨さ、バカさかげんがこんなにもリアルタイムで伝えられたら、たまりません。私なんか、この本を読んだだけで戦争するアメリカの狂気がひしひしと伝わってきて、恐ろしい思いをしました。

2007年6月20日

そのとき、赤ん坊が私の手の中に

著者:アレン・ネルソン、出版社:K9MPなんで、なんで、ブックレット
 私と同世代の元アメリカ海兵隊員の体験談を本にしたものです。何の体験記かというと、私たちが20歳前後ころにあっていたベトナム戦争の体験談です。この本を読むと、戦場の悲惨さがかなりの実感をもって想像することができます。若い人たちにぜひ読んでもらいたい本です。
 沖縄で小学4年生の子がこんな質問をしました。大人はしない質問です。
 ジャングルで、トイレに行くときは怖くなかったの?
 戦争映画にカッコいい主人公がトイレに出かけることはまずない。
 私は二度ほど、トイレに腰かけるシーンのある映画を見た覚えがあります。でも、それは基地の中のトイレでした。ドラム缶にたまったものを重油をかけて焼かされる兵隊を描いた場面も見たことがあります。でも、ジャングルの中ではありません。著者は次のように答えました。
 そう。戦場でトイレに行くときほど恐ろしい瞬間はない。仲間の兵士と離れてジャングルに入って、そこで武器を降ろし、ズボンをおろす。これほど心細い瞬間はない。
 昨年暮れにベトナムへ行ったとき、ホーチミン市(旧サイゴン)の郊外にあるクチへベトナム戦争のときの状況を見学に行ったことがあります。まさにジャングルのなかで、アメリカ兵をだまし打ちにして殺す仕掛けをいくつも見ました。
 著者は海兵隊員として、13ヶ月のあいだベトナムのジャングルで戦闘に従事しました。敵のベトナム人を大勢殺し、また、仲間の海兵隊員が殺されて死んでいくのを見た。そこで思い知ったことは、本当の戦争は、映画の中の戦争とは、まったく別のものだということ。カッコいい主人公なんかいない。正々堂々ということもない。戦場で女性や子どもを助けることもない。本当の戦争にはルールなんか何もなく、敵と思えば、見つけ次第に殺すだけ。食事中であっても、トイレしていても、その格好のまま撃ち殺してしまう。
 殺したら終わりではない。死体を集めて、数をかぞえなければいけない。ジャングルの中にある死体探しも仕事のひとつ。その方法は二つある。その一つは、ジャングルの中に入って、ハエのとぶ羽音に聞き耳をたてること。ブーンというハエの音をたどっていくと、そこに死体がある。
 その二は、鼻でにおいを嗅ぎまわること。死体の腐る臭いが漂っている。腐乱死体の臭いのすさまじさといったら、思わず胃のなかの物がこみ上げてきて、ゲロを吐いてしまうほどひどい。目に涙がたまり、鼻汁がたれ、全身の力が抜けてしまう。それほど強烈だ。
 もし、戦場の臭いをそのまま伝える戦争映画ができたとしたら、観客は二度と戦争映画なんか見ようとは思わなくなるだろう。戦争の臭いとは、死体の腐る臭い、死体の燃える臭い、血の臭い、そして弾薬・硝煙の臭いだ。
 著者は、ベトナムのある村を攻撃し、人家の裏手にある防空壕に入り、ベトナムの若い女性の出産現場に直面してしまいました。思わず両手を差し出したところ、赤ん坊が生まれ落ちたのです。そこで、ベトナム人も同じ人間だと初めて自覚したというのです。
 今の日本は、アメリカの一つの州みたいで、ブッシュ大統領の言いなりになっている。著者はこのように主張します。本当にそうですよね。
 カッコイイ戦場にあこがれている日本の若者に、本当の戦場の様子を自分の体験にもとづき伝えたいという著者は、日本全国を話して歩いています。その講演料は10万円以下だということです。すごい安さです。私の知人はネルソン氏の講演会を企画して本当に良かったと言っていました。
 講演の初めと終わりに、著者はギターでひき語りと歌ってくれるそうです。これも素晴らしいとのことです。ぜひ私も一度、著者の話を聞いてみたいと思いました。

2007年6月12日

イラク占領

著者:パトリック・コバーン、出版社:緑風出版
 イギリスの勇気あるジャーナリストがイラクのバクダッドで取材を続けていて、アメリカによるイラク戦争後のイラクの実情をレポートした貴重な本です。思わず居ずまいをただして読みすすめました。本当に悲惨な現実がそこにあります。こんなひどいイラク占領に日本は加害者として加担しているのです。情けない話です。いったいテレビや大新聞のジャーナリストはどうして沈黙を守り続けるのでしょうか。イラクで日本の航空自衛隊が何をしているのか、ぜひとも報道してほしいと思います。
 1991年の湾岸戦争でパパ・ブッシュが国連の支持を背景に多国籍軍を率いて完勝できたのは、中東をイラクのクウェート侵攻以前に戻すという、いわば保守的な戦争だったことが大きい。それは世界が慣れ親しんでいた原状回復のための戦いだった。だから、支持は世界中から、中東の内部からも集まった。しかし、20年後、息子ブッシュが始めた戦争は、とんでもなくラジカルな企てだった。世界の権力バランスを変えてしまうものだった。アメリカは単独で産油国を征服しようとした。アラブ世界でもっとも強大な国だったイラクを植民地として支配しようというものだった。
 ブッシュの終戦宣言(2003年5月1日)から3年たった。アメリカ軍はこれまで2万人もの死傷者を出しているが、その95%がバクダット陥落以降である。今でも毎月  100人以上のアメリカ兵が死んでいます。前途あるアメリカの青年たちが、イラクの民衆の憎しみを買って殺されているのです。しかし、イラク人の死者が桁違いに多いことも忘れるわけにはいきません。
 イラク戦争がベトナム戦争とよく似ているものの一つにゲリラ戦法がある。即席爆発装置(IED)は、重砲弾を数発、ワイヤでつないで、路肩に埋め、有線あるいは無線でリモートコントロールして爆発させるものである。アメリカ軍の死傷者の半数はこの犠牲だ。
 アメリカはイラク人の基本的な生活レベルの向上に失敗した。
 サダム政権下ではイラク人の50%が飲料水にありつけたが、2005年末には32%。電力供給も、石油生産も同じ。労働力の50%以上が失業している。仕事のない数百万の怒れる若者たちは、絶望のあまり、武装勢力に入るかギャングになるしかない。
 アメリカの統治者のいる安全なグリーンゾーンに入るためには8ヶ所もの検問所をくぐり抜ける必要がある。グリーンゾーンとそれ以外のイラクとの違いは、サファリパークと本物のジャングルの違いだ。
 イラク社会とは、中央政府への忠誠以上に地域的な忠誠心の網の目である。スンニ派、シーア派、クルドの三大社会がある。しかし、イラクの人々は部族とか氏族とか血縁の大家族とか、村や町や都市にも強い忠誠心を抱いている。
 イラクの人口2600万人。うちシーア派1600万人。スンニ派とクルド人がそれぞれ500万人ずつ。イラク人のほとんどが自動化された近代兵器で武装している。
 ジョージ・ブッシュはイラクで実際起きていることに対し、知識もなければ、関心も持っていない。同じく、イラク暫定統治機構(CPA)のブレマーも、イラクのことなど何も知らないと自分で認めた男だった。アメリカのイラク当局者は、イラク人が考えていた以上に無能で、官僚主義だった。アメリカは世俗的なイラク人指導者の影響力を誇大視し、宗教指導者の力を軽視した。サダム後のイラクで勝利をおさめたのは、伝統宗教ではなく、宗教民族主義である。
 イラクの自爆者とは一体、何者なのか? 自爆攻撃するには、ゲリラ戦と違って、軍事的な経験や訓練を必要としない。必要とするのは、ただひとつ、死を覚悟したボランティアがいればいい。そして、そのボランティアは常にありあまっている。
 当初は、イラク人よりサウジアラビア人、そしてヨルダン、シリア、エジプトから来ていた。しかし、今ではほとんどがイラク人であり、スンニ派アラブ人だ。
 イラクを破壊しているのは、次の三つだ。占領とテロと汚職。
 アメリカ軍の2004年の犠牲者は、戦死848人、戦傷7989人。2005年は戦死846人、戦傷5944人だった。
 自爆攻撃があるのは午前7時半から10時までのあいだ。自爆者はペアか三人でチームを組んで攻撃するようになった。最初の一人が少し離れたところで自爆して注意をそらしたすきに、二人目がホテルのコンクリート防壁に突っ込んで自爆、それによって出来た防壁の開口部に爆薬を満載したトラックの三人目が突進していく。
 スンニ派の88%がアメリカ軍への攻撃を容認(うち積極的が77%)。シーア派でも、攻撃容認が41%。 アメリカ軍は、イラク軍に供与した新鋭兵器が自分たちにつかわれるのではないか。武装抵抗勢力に売り飛ばされるのではないかと恐れている。
 イラク復興のため、過去3年近くに数十億ドルもの巨費が投じられたはずなのに、バクダットに工事用クレーンは一つも見かけない。月に20億ドルもの石油収入は一体どこに行ったのか。ブレマー指揮下に、88億ドルが使途不明となった。アラウィ首相の政府の下で、20億ドルものお金が消えてしまった。アメリカの再建事業経費のなかで警備費が占める割合は、全支出の4分の1を占めるまでになった。
 バクダットは平穏な日でも、1日に40体ほどの遺体が死体保管所に運びこまれる。バクダットは、殺戮が増えているのかどうかさえ見当のつかない、異常な暴力の街と化している。こんなイラクにしてしまったアメリカとイギリスの責任は重大です。そして、それを強力に支えている日本政府は、それを黙認している私たち日本人の責任もまた決して軽くないと思います。
 こんなイラクの殺伐としたなかで子どもたちが育っています。いったい彼らが大人になったとき、イラクに平和な社会は実現するのでしょうか・・・。

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