弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
2025年8月26日
韓国・国家情報院
韓国
(霧山昴)
著者 佐藤 大介 、 出版 幻冬舎新書
韓国にとって、国家情報機関の歴史は、「暗黒の歴史」でもある。国情院の前身は、KCIAと安企部だ。いずれも大統領直属の情報機関であり、秘密警察でもある。
この本のなかに韓国の国情院が裁判官志願者に対して面接し、国家に対する忠誠心、誠実性及び信頼性について思想調査していることが問題になったことが紹介されています。日本では、司法試験の合格者に対して公安調査庁が身辺調査をしていました。私が司法試験に合格したとき、下宿先のおばさんから調査に来た人がいて、「いい人だと言ってやったわよ」と言われたことを思い出しました。市役所に勤めていた人から、市役所で訊いてまわっていたと後で教えられた、と聞きました。
今でもやっているのか、いつまでやったのか、私は知りませんが、その調査結果は秘密のルートで最高裁に届けられ、また司法研修所の教官の一部に届けられていました。これは私も体験した、間違いのない事実です。
KCIAは「ミリムチーム」を活用していた。これは、高級ホテルのバーや料亭などを拠点として、そこに働く女性の経営者や従業員を監視員として活用して政治家などの「生」の情報を収集していた。
今でいうと、国民民主の玉木とか、参政党ナンバー2の議員の不倫などを探知して、「ゆすりたがり」のネタとして活用していたということでしょうね。でも、今や「不倫」くらいでは国民の「支持」は減殺されなくなってしまいました。これって、本当に喜んでいい現象なのか、私としては悩ましいところです。
ところが、高度の情報収集能力をもつはずの安全部も国情院も、全日成の死も金正日の死も、いずれも北朝鮮政府の公式発表まで気づいていなかった。いやいや、内部情報で気づいていたのだけれど、気がついていなかったふりをしただけ、なのかもしれませんね。
KCIAを創設した朴正熙は結局、KCIAの部長から私的飲み会の場で至近距離で射殺されてしまいましたよね。
KCIAの歴代部長のほとんどが軍出身者。つまり、軍が支配していた。
KCIAの部長は、ほかの大臣よりも地位が高く、実質的な権限は首相よりも強かった。これって、まさに異常ですね。
朴正熙がKCIA部長から射殺されたのは1979(昭和54)年10月26日のこと。このKCIA部長は、翌1980年5月に絞首刑が執行された。
KCIAが安企部に名称を変更したのは全斗煥大統領のとき。映画「ソウルの春」で、そのあたりの状況が再現されています。ちょうど、光州事件が起きたころのことで、全斗煥は民主化へ進むのを必死で巻き返そうとしたのです。そのおかげで、たくさんの罪なき市民が死傷してしまいました。軍人に政治をまかせたら大変なことになるという典型的な出来事です。
日本でも、自衛隊出身の国会議員や県知事が前から大きな顔をしてモノを言っていますが、私は本当に心配です。もちろん、自衛隊出身だからダメだというのではありません。俺たちだけが国を守っているかのような言い方が許せないのです。
盧武鉉(ノムヒョン)大統領は叩き上げの弁護士として、私も大いに期待していたのですが、残念なことに汚職事件の渦中に自死してしまいました。この盧武鉉大統領は、国情院の院長に民弁(民主社会のための弁護士会)の初代会長を起用したのでした。
これまた、すごいことです。日本でいうと、自由法曹団の岩田研二郎団長を公安調査庁の長官に任命したということに匹敵します。
国情院の予算は1000億円(1兆ウォン)。それに対して、日本は1500億円と推計されている。ところが、この1000億円の使途は、すべて秘匿されている。日本も同じです。
韓国のKCIA、安企部そして国情院のことを少しばかり知って再確認しました。
(2025年5月刊。96円+税)