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しずくと祈り

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)

著者 朽木 祥 、 出版 小学館

 1945年8月6日午前8時15分、広島市の上空にあらわれたB29爆撃機3機のうち1機が、原子爆弾を投下した。その瞬間、空に巨大な日の球が出現した。まるで、もう一つの太陽のように。異様な太陽はすさまじい光と熱を発し、大地を底から鳴らすや、恐ろしい風で町をなぎ倒した。

 人々は生きながら焼かれた。鳩が地に落ちて、ぶざまに跳ねた。横倒しになって、のたうち回る馬の脇で。男とも女とも分からない人々が、いたるところに倒れている。

 焼かれてボロボロになった身体を引きずりながら、懸命に逃げようとしている人々もいる。顔が赤むけになってパンパンにはれている者、目玉が飛びだしている者、皮膚がめくれて身体や指先からぶら下がっている者。ほとんどが裸同然だった。腰ひもだけの姿で呆(ほう)けたように歩いている女の人もいた。みんな、生きながら焼かれた。

皆実(みなみ)町にあった住友銀行も、外壁だけになっていた。ただ、玄関は形を留めていて、石の階段が残っている。いま、広島の原爆資料館にある「人影(ひとかげ)の石」の黒い部分には、たしかに人間が座っていた。

「石の上に緑色の影がはっきり残っていた」というのは、直後に「死の人影」の主を収容した男性の目撃証言。それは、「子どもかと思うくらい小柄な女性の遺体だった」。あれっ、「人影」の主は男性じゃなかったの…?私は、ふと疑問に感じました。

 1945年、米軍カメラマンが石段の影を撮影したとき、近くにいた男性をすわらせて再現写真を撮ったことから、石段にすわっていたのは男性だというのが、いつのまにか通説になっただけのこと。なーるほど、そうだったんですね…。

 この本は、すわっていたのは越智ミツノさん(当時42歳)だとしています。娘が名乗り出て、前後の目撃者の証言と合致しているからです。

この石段は黒っぽい御影石で出来ていた。原爆の熱戦を浴びて白変したとき、人間がすわっていた部分だけ、黒く人の形に残った。戦後しばらくは、影の部分はコールタールみたいに真っ黒だったらしい。すわっていた人間由来の成分が石に染みついて黒い影のように残った可能性がある。

 奈良文化財研究所の調査によると、「人影の石」は、有機物がついたものであり、人間の皮膚などの生体成分の可能性があるという。貴重な掘り起こしの成果です。

核爆発の恐ろしさを再認識しました。日本は非核三原則を絶対に投げ捨ててはいけません。

(2025年10月刊。1540円+税)

「東京物語」から「男はつらいよ」へ

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 吉村 英夫 、 出版 中日新聞社

 今の若い人に映画「男はつらいよ」を観たことのない人が多いのは残念でなりません。テレビで繰り返し放映されていますので、ぜひ観てほしいと思います。

 私は「男はつらいよ」第1作を東京で、大学3年生の夏に観ました。映画になる前、テレビで放映したというのは残念ながら観ていません。大学生ころは、テレビを観る時間も余裕もありませんでした。

 著者はシリーズ第8作『寅次郎恋歌』が出色の出来だとしています。 黒沢明の有名な映画『七人の侍』で主人公の一人を演じた志村喬が老学者として登場します。学問一途に生き、家庭を大事にせず、子育てにも関わらなかった。そして、妻は死んでしまった。

 「暗い夜道を歩いていると、一軒の農家が見え、灯りのついた茶の間で家族がにぎやかに食事している。りんどうの花が庭いっぱいに咲いていて、縁側はあけっ放し。これが本当の人間の生活ってもんじゃないか」と気がついた。

 この光景は、実はフランス文学のフロベール(「ボヴァリー夫人」の作者)の描写から来ているそうです。なかなか奥の深い話なんですね。ところが、寅さんが柴又のダンゴ屋の茶の間で紹介すると、みんながひやかし半分でまぜっかえすのです。 いやはや、すごい展開です。まさしく喜劇になってしまうのでした。

 もう一つ。著者はフランスの劇作家マルセル・パニョルの「ファニー」三部作の影響もあると指摘しています。パニョルの映画は、フランスかぶれの私はいくつか観ていますが、パニョルの映画が山田洋次の作品とつながっているとは、思ってもいませんでした。

 ちなみに、映画「男はつらいよ」は全シリーズフィルムによる撮影とのこと。デジタル作品ではないとのことです。

「男はつらいよ」の家族構成は複雑です。寅さんと妹のさくらは両親を共通する兄妹ではありません。

 家族は、血のつながりも重要で、基本的要素だが、血のつながりがいささかイレギュラーであっても、家族が家族であるという信頼と親愛の意思をもつことが、家族の重要条件だ。

 この指摘は、50年以上の弁護士生活を踏まえた私の実感とぴったりあいます。

家族というものが仲良くしていくためには、家族が家族であろうとする努力、そういう意思の力、それが必要なんじゃないか。

 山田洋次は、こう言っていますが、本当にそのとおりです。また、次のようにも言います。

 「血のつながりをとても大事にする考え方は、時として人間を不幸にするんじゃないかとすら思います」「血縁を強調する社会は、どうしても排他的になってしまう。」

いやぁ、まったくそのとおりです。「家族としてのつながりをお互いに見いだして、そのつながりをより豊かなものにするために努力していく苦労が必要なんだ」

よくよく考え抜かれた指摘だと思います。

 「男はつらいよ」シリーズは48作も続いた世界一長いシリーズですが、第9作に吉永小百合がマドンナとして登場したのが、長期シリーズとしての出発だったとのこと。吉永小百合は、自称サユリストの私からしても憧れの永遠の美女ですが、当時はまだ25歳で、絶大な人気を誇っていました。渥美清も吉永小百合の登場を期待したといいます。

 フランス人であるクロード・ルブランの「山田洋次が見てきた日本」(大月書店)は、このコーナーで先に紹介していますが、その本のなかで、著者の本も紹介されています。

 この本は小津安二郎についても触れられています。というか、その半分は小津安二郎の映画「東京物語」などを細かく分析し、論評しているのですが、私は「東京物語」以外は観ていませんので、ここでは割愛します。

(2025年9月刊。1800円+税)

 いま、我が家の庭は黄色いロウバイが咲き終わり、黄水仙の可憐な花があちこちに咲いています。水仙は白より黄色が私の好みです。

 そして、紅梅と白梅が隣同士に競いあって咲いています。今年は梅の当たり年になるのかもしれません。近所にカササギが巣をつくったせいで、庭によくやってきます。パンくずをまいておくと、すぐに見つけて運び去っていきます。

 日が長くなりました。春の近さを感じます。近く、ジャガイモの種を孫たちと植えつけます。

ヨルダンの本屋に住んでみた

カテゴリー:中東

(霧山昴)

著者 フウ 、 出版 産業編集センター

 これは面白い本です。特急電車のなかで読みふけりました。途中の停車駅で電車が停まって出発するのも気がつかないほど集中したので、しまいには下車駅を乗り過ごさないよう自分に言い聞かせたほどです。

 ヨルダンという国が中東のどこにあるのか今も知りませんが、治安はとてもいいようです。なにしろ若い女性2人がヒッチハイクで旅行できるというのですから(もちろん、彼女らなりに用心はしていますが…)。

 主人公の日本人女性は22歳。絵が描けるという特技を身につけていて、本屋の看板づくりに活かして喜ばれます。22歳なのに、すでに10ヶ国も一人旅をしたことのある猛者(もさ)です。勇気があるんですね、とても私には真似できません。いえ、今の私はもちろんのこと、22歳の私にも、そんな勇気がなかったと断言できます。

 ヨルダンの公用語はアラビア語。でも、英語は十分に通用する。著者も、アラビア語はダメで、英語で通した。

 ネットでヨルダンにある本屋を見つけて、ネットで「働かせてください」と送ったところ、すぐに「OK」という返事が来た。でも、泊まる部屋がどんなところか何も書かれていない。ネットで本屋の様子は教えてくれたけれど、部屋の案内まではなし。

 さて、そこでどうしたか。ただちに旅費をためて、突撃取材ならぬ、突撃訪問したのです。いやぁ、勇気ありますよね。怖いもの知らずとは、まさにこのことです。

 アラビア語で「本屋」というのは、一般に文房具屋ということ。しかし、ここは本物の「本を売る本屋」なのだ。しかも、カフェつき。写真で見ると、いかにもおしゃれな店です。店の構えも、店内も。なので、本を買うより、店内の写真を撮りに来る「客」が多くて、「写真撮影禁止」という張り紙をしている。それでも、こっそり写真を撮る人たちがいる…。

ジャパニーズガールと同じように、同じ年齢のイタリア人女性が同じ本屋に飛び込んできて、二人は同じ部屋で生活することになったのでした。まさしく超ラッキーです。世の中、偶然とはいえ、こんなこともあるんですね…。

 しかも、このイタリア人女性は英語もフランス語もペラペラの才女。そのうえ、最高なのは著者とまったく気が合ったのです。アラビア語も真面目に勉強しているというので、さすがの著者もたじたじとなりました。ただ、料理は不得意というので、まかない当番からははずれたそうです。

 本屋とカフェの写真がたくさんあって、そりゃあ、こんなところでしばらく働くのもいいかも…と、つい思ってしまいました。

本屋で働くスタッフの人物紹介がまた何とも言えないほど素敵です。世間的には奇人・変人の集まりとしか思えませんが、女性で大工をしているアリスは愛にあふれていて、英国紳士そのもののデイビッド。

この本で、アラビア語の数字が日本人には間違いやすいことを初めて知りました。5は0(ゼロ)、6は7にしか見えませんし、7と8はVと逆Vなのです。そして0は、なんと小さな黒丸(・)。いやぁ、これは困りますよね…。

アラビア語のなかで著者が真っ先に覚えたのは「ハビービー」。その意味は、なんと「愛する人」。ところが、声を荒らげるケンカの真最中にまで、この「ハビービー」が使われるというのです。信じられません。

ヨルダンでも日本のマンガやアニメは大人気で、「チビ・マルコ」まで知っているというのです。

店内に入って、うっかり壺を大量に割ってしまった話が笑えますし、泣けます。いやぁ、こんなこともあるんですよね。旅行保険をもとに弁償しようとすると…。その顛末は、ぜひ、この本を読んで下さい。

日記にネットに載せていたのが本になりました。面白いです。日本の若い女性の勇気に驚嘆、敬服しました。

(2025年8月刊。1980円+税)

自然に倣(なら)う広葉樹の森づくり

カテゴリー:生物

(霧山昴)

著者 清和 研二 、 出版 築地書館

 これまで、針葉樹林業では植栽木を育てるためにネズミを殺し、害虫を駆除し、殺菌剤をまき散らしてきた。特定の樹木は一瞬だけ守られる。しかし、同時に多くの生物がたおれる。

 鳥とともにネズミは種子を運び、病原菌や昆虫類は実生(みしょう)の密度を調整することで、多様な木々の共存を促している。広葉樹林業では、すべての生命体を生かす。これまでの人工林の常儀は通用しない。

 日本に今や原始の森は存在しない。大径、通直、高密度の三拍子が原始の森では、そろっていた。

 天然のスギ林は、手を入れなくても何百年も見事に太い木々が天を衝(つ)いている。これに対して、日本中のスギ人工林には、手入れ不足だと込みあって、ひょろひょろと細くなる。  

寿命の長いのは、カツラ620年、オノオレカンバ613年、アサダ600年、ミズメ525年、ハルニレ512年。ミズナラ、トチノキ、ハリギリは平均寿命350年で、最大樹齢は700年。

森の炭素貯留量を増やすには、気を太くし、太い木をたくさん森に残すことが大切。太い木ほど炭素の吸収・固定量が多い。太い木は早めに伐(き)って森を若返らせたほうが健全だという説は間違い。そうではなくて、森の中に太い木が多いことはきわめて大事なこと。太いものから順番に伐ってはいけない。

 ブナの実生は、ブナの樹冠の直下では、ほとんど死んでしまい、樹冠の外側で大きく成長する。

 外生菌根菌(ECM菌)は、芽生えを病原菌から守り、土壌の栄養環境を改善する。

 菌類の種特異性が、種の多様性をコントロールする。

  芽生えが生きのびるためには種子の重さは、きわめて重要。種子が重いほど、天敵の多い親木の下でも生きのびる確率が高い。

 杉の天然林は、種の多様性に富む針広混交林だ。

 森林は、本来、物質がムダなく、循環する生態系である。

 窒素濃度が高いほど葉の光合成能力も高くなるので、植物にとって、無機体窒素は、光合成を活発にして体を大きくするためには欠かせない大事な栄養素である。

土壌動物や土壌生物はスギより広葉樹を格段に好む。広葉樹の葉は柔らかく、スギに比べて難分解性のリグニンやフェノール化合物が少ない。それに窒素濃度が高いので、微生物が大挙して寄ってくる。

 ミミズなどの大型の土壌動物の消化管を通った腐植は、さらに細かく砕かれ、糞として排泄される。これらの排泄物は微生物の利用性を高めている。ミミズは広葉樹の葉を好むので、広葉樹の落葉が増える効果は二重三重となって現れてくる。

 ミミズは土壌に団粒構造をつくる。団粒構造とは、土壌粒子が緩(ゆる)くくっついて、団粒をつくっている状態を指す。団粒化することで土壌の孔隙率はふえ、団粒内部の狭い孔隙に毛管水を保持できる。同時に団粒外の大きな孔隙は排水性や通性を高める。保水性と排水性という相反する機能をあわせもつのが団粒構造である。その結果、雨水は土中に浸透しやすくなる。

 樹木にも最後まで生き通す権利がある。種々の寿命をまっとうする権利を認めながら行う林業があっても良い。いやあ、これはすごい提言ですよね。モノ言えない樹木にも権利がある、なんて痛快な直言です。

 実生の定着をさえぎる最大の難物はササ。ササには天敵がいない。不思議な生物。

 病原菌の蔓延は、混植によって回避できる。アメリカの草木群落では、種類が多いほど病気の被害が少ない。

 クマ被害が最近とくに目立つ。クマたちが秋に飢えるのは巨木たちが急激に失われたことで、餌の量が急激に減ったせいである。ブナやミズナラが不作のときは、クリは餌のない年のクマの避難所になっている。天然のクリを奥地の林や生山で大きくしていくことがクマを留めておくために必要なこと。種の多様性を高めていけば、いくつかの樹種が堅果の不作を補(おぎな)う。多様性とは、補いあうこと。森に多くの広葉樹が混在し、それらが太い木であることは、クマにとって、とても心強いこと。

著者は最後に二つの提言をしています。その一は、山間地の集落にもう一度、人を呼びこむこと。快適に住めるようにしなければいけない。その二は、山で働く、林業作業に従事する人の待遇を今すぐ改善すること。そうなんですよね。アメリカの押しつけで軍事費に膨大な予算が使われていますが、むしろ日本山林を保持し発展させるためにこそ予算は使うべきです。プンプンプン、読んでいると勉強になるとともに怒りも湧いてくる、貴重な文献です。

(2025年8月刊。2640円)

戸籍の日本史

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 遠藤 正敬 、 出版 インターナショナル新書

 今ではかなり知られていることですが、天皇には戸籍がない。住民票もない。氏や姓も持たない。皇族も氏姓はない。しかし、天皇を「無戸籍者」と同じに考えたら間違い。

 戸籍とは、人民を「天皇の臣民」として登録するもの、つまり「臣民簿」なのだ。だから、臣民ではなく、臣民を支配する天皇とその一族が戸籍に載るなどありえない。皇族が皇籍を離脱して臣民になるのを「臣籍降下」と呼んでいた。そこで、戸籍に代わるものがないのかというと、今はある。「皇統譜」である。ただし、これは昔からあったのではない。昭和になってからのこと。

なぜなかったのか…。それは、誰を天皇と認めるか、争いがあったから。たとえば、神功(じんぐう)皇后を天皇として認めるのか、南北朝時代の五代にわたる北朝方の天皇をどう扱うか、容易に決まらなかったから…。

 なお、天皇も皇族も参政権がない。これは「国民」ではないからであって、戸籍法の適用がないからという理解は間違い。

 著者は戸籍というのは、いわば無用の長物だといいます。戸籍がなくても、パスポートはつくれるし、住民票はつくれる。

マイナンバーは、戸籍より徹底した住民管理システムを目ざすもの。だから、私はそれが嫌なので、マイナンバーは持ちませんし、使いません。税金申告時にも、マイナンバーの欄には大きく×印をわざとつけておきます。だって、今の日本政府に管理なんかされたくありません。

戸籍は日本人しか載せない。排外主義を原則としている。

戸籍とは家。戸籍が「家族」を決める。明治民法によって生まれたもの。江戸時代には戸籍はなかったし、誰も自分が日本人だと考えてもいなかった。

日本も江戸時代までは夫婦別姓だったし、死んだら、夫婦はそれぞれ自分の実家の墓に入っていた。明治民法になって夫婦同姓を強制し、「常識」とした。

ただ、この本で江戸時代までの庶民が氏をもっていなかったとしているのは疑問です。持っていても、それを外部には簡単には明かさなかったから、氏を持たないと誤解されたという説があります。私もそうではないかと考えています。

 戸籍は徴兵制度と結びついている。徴兵から逃れるため、夏目漱石は25歳のとき、北海道に本籍を移した。いえーい、そんなこと初めて聞きました。誰だって兵隊にとられたくないもんですよね。屯田兵があったから、北海道の人は徴兵されなかった時期があったのです。

 戦前、戸籍には前科も載っていた。破産者も載っていたことがあります。そして、「私生子男」とか「庶子女」という記載もありました。

 日本が支配していたときの台湾戸籍には、種族・前科・アヘンの吸引歴まで載っていた。満州国には戸籍がなかった。

戸籍なるものは、弁護士の仕事としては便利なものですが、プライバシーの固まりなので、世界の流れにならってなくす方向にすべきです。大変勉強になる本でした。

(2025年11月刊。1090円+税)

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