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平清盛の闘い

カテゴリー:日本史(平安)

著者  元木 泰雄 、 出版   角川ソフィア文庫
 平安末期の貴族と武士たちの動きをダイナミックに描いている本です。なるほど、そういうことだったのかと思わず唸ってしまいました。小説以上に面白い歴史の本です。
 平清盛は幸運に恵まれましたが、そのうえ実力を思う存分に発揮して情勢を切り拓いていったのでした。中国との貿易も積極的にすすめ、福原遷都もそれを念頭に置いていたというのです。平清盛がもっと長生きしていれば、強大な平氏政権が誕生していたのではないでしょうか。
 私は中学生のころより、なんとなく平清盛に魅力を感じていました。源頼朝には、いささか距離感があったのです。その理由は自分でもよく分かりません。
 この本に市川雷蔵が若き日の平清盛を演じる映画(『新平家物語』)のあったことが紹介されています。一度見てみたいと思いました。
 平治の乱のあと、13歳の源頼朝のみは池禅尼(いけのぜんに)の嘆願で助命され、伊豆に配流された。自力枚済が貫かれていた武士の社会では、少年とはいえ戦闘員である以上、仇討ち(あだうち)などの報復を防ぐために処刑するのが当然とされた。ところが、平清盛は、その原則を破ってしまった。しかし、頼朝の助命は単なる池禅尼の仏心と、平清盛の油断の所産ではなかった。
 まず、池禅尼は家長として強い発言力をもっていた。さらに、池禅尼の助命要請の背景には、院近臣家出身の池禅尼を通した、後白河上皇や女院からの働きかけが存在したものと考えられる。
 永治元年(1165年)、新政をはじめていた二条天皇が23歳の若さで死去した。
 当時の王権は、王家の家長である治天の君と天皇が一体となって構成されていた。正当な天皇とは、治天の君が即位を希望した天皇にほかならない。その意味で正統に位置した二条が死去し、逆に治天の君となった後白河自身が、偶発的に即位し、正当性に疑問を抱かれる存在であったことから、皇統をめぐる対立は混迷を深めた。平清盛と後白河上皇とは、高倉天皇の即位という共通の目的に向かって提携した。
 仁安元年(1166年)、平清盛は内大臣に昇進を遂げた。権大納言に昇進してからわずか1年あまり、公郷の仲間入りをしてから6年しかたたないうちに、居並ぶ上臈公卿を超越してしまった。院近臣伊勢平氏出身の平清盛の内大臣昇進は、破格の人事であった。
 当時の人々に、平清盛は皇胤と信じられていた。それ以外に大政大臣まで上り詰めることのできた理由は考えられない。しかし、平清盛は、わずか3ヵ月後に辞任した。短期間で辞任した原因は、高い権威をもつ反面で、大政大臣が名誉職だったためと考えられる。そして、平清盛は、院やかつての信西らと同じように、自由な立場で政治的な活動をしようと考えていたのではないか。
 中国(宋)との日宋貿易は、平清盛と後白河上皇という、王朝の制法や因習を無視する大胆な個性の結合によって軌道に乗っていた。
 平清盛は、仁安3年(1168年)に出家して福原に引退するまで、除目(じもく)に大きな発言力をもっていた。平清盛は後白河院の中心的権限である人事権を規制し、その専制を阻止していた。表面では二人は協調関係にあったが、その裏側では後白河院政が確立したあと、当初から両者は常に緊張関係にあり、平清盛は後白河院や院近臣に反発していた。
 天皇こそが正統な君主であり、天皇と対立すれば父院といえども政治的に後退を余儀なくされた。このため、嘉承2年(1107年)に堀河天皇が死去して後白河院政が確立したあとは、原則として天皇が成人を迎えると退位させることが原則化していた。
 うひゃあ、20歳になったら即位して天皇でなくなるなんて、信じられませんよね。
治天の君は、王家の家長として自身が擁立した天皇に対する人事権を有しており、それを行使することで譲位を強制できた。意のままになる幼主を擁立した院は、院近臣とともに専制政治を行った。
院政というのは、こんなシステムだったのですね。ちっとも知りませんでした。
 後白河院を停止したとき、その代わりとなる院がいないという問題があった。当時の王権は、院と天皇の二元権力によって構成されており、治天の君である父院の皇位に対する保障が必要だった。強い不信感によって後白河院の退位を目ざす平清盛と王権の確立を目ざす後白河院の対立はきわめて鋭く、間に立つはずの平重盛の立場は厳しいものとなった。
 治承3年(1179年)、平清盛は数千騎にのぼる軍勢を率いて福原から京都に入った。平清盛は、直ちに基房と師家を解職した。いかに摂関家が優勢にあるとはいえ、摂関の解任は前代未聞の大事件であった。そして、治天の君が臣家によって院政を停止され幽閉されるという重大な事態となった。
福原遷都の直接的な理由は、軍事的見地から求められる。興福寺、圓城寺や延暦寺の一部など、権門寺院の悪僧の多くが以仁王(もちひとおう)挙兵に与同しており、彼らに包囲された平安京はきわめて危険な宮都となっていた。それと対照的に、福原周辺は平氏の勢力に固められていた。すなわち、平清盛は、桓武天皇の例にならって新王朝の宮都の新規造営を目ざした。平清盛の長年の根拠地として、そして、軍事拠点であるとともに、日宋貿易の舞台として宋にもつながる国際都市福原以外には考えられない。
平清盛は発病から1週間で急死した(64歳)。インフルエンザからの肺炎の可能性もあるが、あまりに繁忙で重圧を受けた生活を送っていたことが健康を害したことは疑いない。
 平清盛は生涯たたかう人であったようです。
(2011年11月刊。667円+税)

「決着!恐竜絶滅論争」

カテゴリー:恐竜

著者   後藤 和久 、 出版   岩波科学ライブラリー
 この本を読んで明確に認識したことが二つあります。その一は、鳥は恐竜の一部だということです。ジュラ紀後期に出現した鳥を加えて恐竜と呼ぶ。だから、恐竜絶滅論争はあくまで、非鳥型恐竜のみを扱っている。
 その二は、恐竜が絶滅したのは6550万年前の白亜紀末にメキシコ・ユカタン半島に小惑星が衝突したことによるものだというのは、30年来の論争の末に決着がついているということです。もちろん、反対説を唱えている人は今もいますが、それは実証的な反対論ではないということなのです。
衝突説にとって決定的な証拠は、1991年に、チチュルブでクレーターを発見したこと。これは直径180キロメートルの円形構造のクレーターであり、地下1キロに埋没している。
 小惑星は、地球表面に対して30度の角度で南南東の角度から現在のメキシコ・ユカタン半島に迫ってきた。その直径は10~15キロ、衝突速度は秒速20キロ、そして放出エネルギーは広島型原爆の10億倍。衝突地点では、時速1000キロをこえる爆風が吹き、衝突地点から立ち上る柱状の噴流(ブルーム)の温度は1万度。大気や地表が過熱され、地球上のいたるところが灼熱状態になった。地表面温度にして260度。
 衝突地点付近はマグニチュード11以上の地震に襲われた。メキシコ湾岸を襲った津波の高さは最大300メートルに達した。衝突によってダスト(塵)が舞いあがり、火炎にともなうスス、そして衝突地点に厚く堆積していた硫酸塩岩が蒸発することで放出された硫黄が塩酸エアロゾルとして大気に長期間の滞留し、太陽光を数ヶ月から数年にわたって遮った。これによって寒冷化が起きる。いわゆる「衝突の冬」である。最大10度は温度が下がる。硫黄が大気中に大量に放出されたことから、硫酸の酸性雨が地球上に降り注いだ。
 恐竜って、何億年も生きていたのですよね。それが一回の小惑星との衝突によって絶滅させられなんて、世の中はミステリーだらけですね。
(2011年11月刊。1200円+税)

春告げ坂

カテゴリー:日本史(江戸)

著者   安住 洋子 、 出版   新潮社
 小石川養生所を舞台とする物語です。読んでいる途中から心からじわーんと温まっていきます。読後感は小春日和のように穏やかな暖かさです。日だまりのぬくもりを感じます。うまいですねー、いいですねー・・・。ストーリーといい情景描写といい、えも言われない筋立ての運びで、胸にしっくり迫ります。
 小石川養生所で医師として働いている高橋淳之祐が主人公です。淳之祐自身が複雑な事情をかかえる家庭の出身です。幼いころに両親と死(離)別して、養子に入り、いまは医師となっています。養家では大切に育てられたのですが、心にわだかまりをもちながら成人しています。
小石川養生所には町医者にかかれない貧しい人や身寄りのない老人など、弱い立場に置かれている人々が入所しています。
 ところが、病人を世話する看護人の質はよくなく、看護中間(ちゅうげん)たちは看護に手を抜いては博打に遊び呆けているのです。そして、病人が無料で入所できるというのは建て前で、看護中間にいくらかの干肴(ほしざかな)と称する挨拶金をしはらわなければいけません。そして、小石川養生所には、次々にわけありの病人が運び込まれてくるのです。
 医師が終末医療センターのように看病すると、病人を死なせてしまったとして成績が悪くなります。治らない病人を、さっさと退所させてしまうと医師の成績は上がるのです。そんな矛盾をかかえて主人公は医師として悶々としてしまいます。
 ところが、救いもあります。この小石川養生所のなかで黙々と患者に寄り添い看護に精を出す人々もいるのです。
 人間はお互い弱い身なので、できることから助け合い支えあっていく必要があるし、それをしていると心も豊かになる。
それをじんわりと実感させてくれる時代小説なのです。
(2011年11月刊。1700円+税)

盆踊り、乱交の民俗学

カテゴリー:日本史(江戸)

著者   下川 耿史 、 出版   作品社
 日本の女性が昔から弱かったはずはない。これは弁護士になって38年になる私の確信です。もちろん、弱い女性も存在します。しかし、そんなことを言ったら、日本の男性の方がよっぽど弱いのです。自殺する日本人の6割以上は男性です。私が弁護士になって驚いた三つのうち一つが、日本では(恐らく全世界で)、不倫というのは日常ありふれた出来事だということです。もちろん多くの場合、男性が仕掛け人です。しかし、その積極的な受け皿に女性がなっています。というか、それは、いわば男女「同罪」なのです。ですから、本書の冒頭に次のように書かれているのも納得です。
 「見知らぬ相手との性関係は、つい最近まで、日本人の性関係の基本とされていた」
 そうなんです。つい最近まで露天風呂どころか銭湯での混浴も平気だったのが日本人なのです。これは、私自身の体験にも裏付けられた事実です。
 盆踊りは、本来は年に一度の乱交の場であった。
 黒い覆面に目穴だけを開けた踊り子による盆踊りが日本各地にある。これは、好きあっている男女が誰に顔を見られることもなく、お互いは浴衣の柄などで確認しあって逢い引きを楽しんだ証しであった。
古代日本では若い男女は近所の山に登り、気が合ったら、その場で性的な関係を結ぶという風習があった。これが歌垣(孀歌。かがい)である。
 女性をものにするには、歌垣で歌を抜露することが慣例となっていた。同時に、女性が男性を歌で負かすことによって、性的関係を拒否することも可能だった。
 『万葉集』の額田王、平安時代の和泉式部など、奈良や平安時代の日本に優れた女流歌人が輩出したのは、まさに歌垣の伝統によるものだった。
 平安時代の初め、男女の混浴を戒むという混浴禁止令が出された(797年)。これは、そのころ潔斎という神聖な行動が混浴というどんちゃん騒ぎに堕ちていたことを表している。宮廷人たちは、決して品行方正ではなかった。
 夜這い(よばい)は、南北朝時代から鎌倉時代にかけて、村落共同体の構造の基本として定着していた。女性が男性の下へ通うケースも多く、こちらは「ヨバイト」と呼ばれた。
 若者組と娘組と夜這いの三つは不即不離の関係にあった。
 青森見黒石市の盆踊り「よされ祭り」は、3日間は、まったく性が解放されていた。奈良県吉野郡十津川村の盆踊り、四国山中の木頭村の盆踊りも同じく。この盆踊りは1961年ころまでは確実に存在していた。
もっとも、日本では、性関係は女性の主導で行われることが多かった。宮本常一も、「日本では女によってなされる踊りがきわめて多い。それは、もともと男を選ぶためのものであったと言っていいほど、踊りにともなって情事が見られる」と指摘している。この点、私もまったく同感です。
 強姦はひどいし、許せませんが、不倫の多くは女性主導ではないか、私は長年の弁護士経験をふまえてそう推察しています。
 女性は弱いし、されど強し。これが私の実感なのです。建て前ときれいごとだけに終わらせない日本史を語りあいたいものです。
(2011年10月刊。2000円+税)
 朝、雨がやんで、ウグイスの高らかに鳴く声が聞こえてきました。いよいよ春到来です。日差しもやわらかくなってきて、重たい外とうを脱ぎすてたように心もいくらか軽くなりました。
 夜、自宅に帰ると、大型の白封筒が届いていました。あっ、合格したんだ。うれしくなりました。1月に受験したフランス語の口頭試験に合格していたのです。21点が合格基準点で、26点とっていました。実際にはしどろもどろだったのですが、なんとか国の情報開示のあり方を語ろうとしたことを認めてくれたのでしょう。まあ、これからもあきらめずにがんばりなさいという合格証書をもらいましたので、引き続きがんばるつもりです。

コロンバイン銃乱射事件の真実

カテゴリー:アメリカ

著者   デイヴ・カリン 、 出版   河出書房新社
 1999年4月20日、アメリカ・コロラド州の片田舎の高校で男子生徒2人が教師1人をふくむ13人を銃で殺害し、多数の負傷者を出した。犯人の生徒たちはその場で自殺した。
 マイケル・ムーア監督の『ボウリング・フォー・コロンバイン』は観ていました。これは、アメリカが銃社会であることが前提となって発生した事件です。
 この本を読んで何より驚いたのは、18歳の男子生徒2人が1年も前から大量殺人を計画し、爆発物と銃器を準備していたということです。ですから、まったく偶発的な事件ではありませんでした。そして、周囲の人のなかには2人の犯行予告に気がついて警察に通報して、警察もそれなりには動いたものの、あまり本気になって未然に防止しようとしなかったのでした。
 2人はインターネットに銃や爆発物の準備状況を書き込み誇示し、詳細な日記を残していました。それを分析した捜査官によると、一人は自殺願望があり、もう一人は完全な精神異常者、サイコパスだということです。
襲撃の1年前、2人は結構の時期と場所を決めた。1999年4月、学校のカフェテリアで。エリック(こちらがサイコパス)は1年かけて計画を練り上げ、武器を用意し、これは現実なのだと相棒のディラン(こちらは自殺願望をもつ)に納得させた。
 サイコパスは自分の偉業がなによりも楽しい。エリックは丸々1年間ものあいだ期待に胸ふくらませて計画を練ることを楽しんだ。支配することにこだわるエリックは、人の生命を思いどおりにできる日が待ちきれなかった。その日がようやく訪れたとき、エリックは図書室で好きなように時間をかけて、一瞬一瞬をかみしめるように味わった。あるときは気まぐれに生徒を殺し、あるときはやすやすと逃がした。
 ところが、日頃のエリックは、バイト先でも、奉仕活動をしている施設でも、相変わらず大人受けが良かった。そして、エリックは日記に本心を書いている。
 「アメリカが自由の国だと?これが自由だなんて、ふざけるな。・・・バカは撃たれて死ね」
 ディランはエリックの大量殺人に付きあう気はなかった。話だけは冗談まじりに楽しんでいたが、心のなかではひそかにエリックに別れを告げていた。
 ディランは、もうすぐ死ぬつもりだった。
エリックは日記に次のように書いた。
 「できるだけたくさん殺すことが目標だ。だから、哀れみや情けといった感情に流されるようなことがあってはならない」
 エリックは人をなんとも思っていなかった。自分は優れていて、それを証明したかった。人々が苦しむ姿を見るのを楽しみにしていた。できるだけ多くの人間を、できるだけ派手に殺すという目的は揺るがなかった。
 エリックが攻撃したのは、彼にとっては憂鬱でたまらないロボット工場であり、青春の象徴である学校だった。
エリックは、どんなとき真実が大人を喜ばせるか、誰に対してどこまで明かせばよいかを本能で知っていた。適切なふるまいを本能で知っていた。そして、適切なふるまいを演じ分けるのはエリックの最大の武器だった。
 エリックの成績は上がって、教師たちは非常に満足していた。他方、ディランの方は成績が低下する一方だった。
エリックもディランも両親がそろっていて、2人兄弟。静かな田舎町で不自由のない暮らしを送る白人の4人家族の次男。2人とも、自分より大きくて力の強い兄の陰で育った。
 エリックの父親は軍人で、転勤が多く、何回も引っ越した。空軍少佐だった。
 この事件は人質をとった立てこもり事件ではない。犯人の2人は、襲撃を始めた49分後、昼12時8分にそろって自殺した。
 2人は、実は大型爆弾を2つ高校内に持ち込んでいた。それが爆発すれば500人もの生命が奪われるところだった。しかし、2人の技術が未熟だったため、幸いにも爆発しなかった。だから、この事件は本当は銃乱射事件ではなく爆発事件というべきものだった。
 エリックには人をだますことが快感だった。エリックは神を信じていなかったが、神と自分を比べるのは好きだった。
 ディランの方は、非常に宗教心の強い若者だった。ディランは道徳、倫理、雷政というものを信じていて、肉体と魂は別物だということについてもよく日記に書いていた。肉体は無意味だが魂は不滅で、行き着く先は安らかな天国か地獄の責め苦のどちらかであると考えていた。
 サイコパスには2つの際立った特徴がある。一つは、他人に対して非常なまでに無関心なこと。ささいな個人的利益のために人をだましたり、傷つけたり殺したりする。二つ目は一つ目の特徴を隠す驚異的な才能だ。この偽装こそがサイコパスの危険なゆえんである。サイコパスは人を欺くことを誇りにし、そこにとてつもない喜びを見出す。楽しみで嘘をつくのは、サイコパスの核心であり、彼をサイコパスたらしめている特徴だ。
 サイコパスを生むのは、先天的なものと後天的なものがからみあっていると考えられている。サイコパスの基本は感じないということだ。サイコパスの治療は難しい。
 攻撃を始めて17分後、彼らは飽きてしまった。退屈しはじめていた。手柄を立てるのは楽しくても、人を殺すのに飽きてしまう。エリックは自分のしたことに満足し、得意になっていたが、すでに退屈しはじめていた。ディランは、躁鬱状態になって自分の行動にあまり関心がなくなる。ディランは死を覚悟してエリックに合わせ、そのリードに従ったのだろう。
 アメリカでは、コロンバイン以降の10年間に、80件以上もの学校における銃乱射事件が起きている。
 500頁をこす大作です。読みすすめるうちに背筋に何度も氷水が流れるのを感じました。本当にアメリカって怖い国です。若者が簡単に銃や爆発物を手にできるなんて間違っていますよね。もっとも、日本でも暴力団があちこちで銃を乱射する事件がよく起きています。そして残念なことに日本の警察は犯人を検挙できなくなっています。心配です。アメリカのような国に日本がなってしまわないことを心から願っています。
(2010年7月刊。2600円+税)

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