(霧山昴)
著者 伊藤 千尋 、 出版 ミネルヴァ書房
ハラハラ、ドキドキしながら、そしてときにワクワクしながら読みすすめていきました。まさしくジュニア向きなのですが、私のような「年寄り」 が読んでも面白いのです。気分が一気に20代に戻りました。若返りさせてくれてありがとう。そんな気分です。
植村直己は、日本人として初めて世界五大陸の最高峰に登った登山家。さらに、アマ ゾン川をイカダで下り、犬ゾリで北極点に到達した冒険家でもある。みんな、ほぼ一人で達成した。
いやはや考えられない偉業です。そんな国民的英雄なのに、若いころは劣等感の塊(かたまり)だった。ええっ、と、信じられません。
「ぼくの原動力は、はっきりいって劣等感です」と、本人が語っています。
子どものころは、ごく普通の目立たない存在だった。勉強でもスポーツでも、ほかの子にかなわなかった。しかし、負けず嫌いで、忍耐強かった。
著者は若い読者に向かって、夢をもち、自分の人生を自分で切り開くことを呼びかけます。そのためには、植村直己の人生を知れば、それをやってみようという気になるというのです。
それでは、読んでみましょう。
北極点に向けて犬ゾリを走らせているとき、定時連絡で植村直己は、「今、シロクマに襲われています」と報告した。テントの中に鉄砲はあるのだが、銃弾は込めていない。動いて音を立てるとシロクマに気づかれる。じっとして運を天にまかせるしかない。生きのびるためには絶対に動かないこと。 そう言えば、写真家の星野道夫さんもシロクマに襲われて、亡くなりましたよね…。
シロクマの足がテントの上から、寝袋に入ったままの身体を押して、一回転する。危機一髪。ついにシロクマは立ち去っていった…。翌日、このシロクマは鉄砲で仕留めた。うひゃあ、肝が冷えますね…。
日大北極遠征隊が1日早く北極点に到達した。植村直己は悔しかった。でも日大の遠征隊は、総員22人、犬ゾリ12台、犬165頭という大がかりなもの。対して、植村直己は、たった一人。犬は17頭。
植村直己はイヌイットとは イヌイットの言葉で話し、イギリス の探検家とは英語で、カナダ 軍のフランス系将校とはフランス 語で会話した。これまた、なんとすごいこと…。
23歳の植村直己は、 1964(昭和39)年5月、横浜港からアメリカに向かった。 まったくお金をもたずに…。働いて なんとかしようと考えたのです。レストランでの皿洗い、農園でのブドウ摘み。
次はヨーロッパへ。フランスでは、 私も行ったことのあるシャモニーに行き、モンブランの氷河を踏みます。ところが、クレバスに落ちて死ぬところでした。そのあとは、スキー場でアルバイトとして働きます。なんでも嫌がらずに働きました。
そして、ヒマラヤ遠征時の声がかかるのです。いろいろなハプニングがあり、頂上に登り立つことが出来ました。ところが、日本に帰らずにフランスに留まったのです。
アフリカで、地元の若者はこう言った。
野牛にあったら木に登れ。ゾウがきたら大きな木の間をジグザグに逃げろ。ヒョウを見たら目を見つめたまま通過すればいい。
いやはや、そんなことが実際に出来るものでしょうか…。
アマゾン川をイカダで下ったあとは、エベレストの頂上に挑むのです。
日本に帰国して、植村直己は、日本列島を歩いて縦断した。北海道の宗谷岬から、鹿児島の南端まで、 約3000キロを52日かけて歩き通したのです。朝食は食べず、昼食はラーメンか、 歩きながらパンと牛乳。1日 300円の予算で、1日に 58キロ歩きました。駅のベンチや道端で寝ることもあったそうです。とてもとても…。
1984(昭和59)年2月12日、アラスカを訪れて、マッキンリーに向かい、 恐らくクレバスに落ちて行方不明となりました。43歳、精一杯、 駆け抜けた人生です。
著者は、本書を読んで、若き冒険家が生まれること、冒険とまでいかなくても自分らしい人生を歩んでいこうと考える若者が育つことを期待しますと最後に書いています。まったくそのとおりです。
コンサルタント会社に入って金もうけしようと考えている若者が増えているようなのが、私は本当に残念です。 金もうけばかりが人間のやることではありません。
年齢にこだわらず、今が青春まっただなかと思っている人に、 強く一読をおすすめします。
(2026年5月刊。2200円)


