弁護士会の読書
※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。
社会
2016年3月31日
安保法制の正体
(霧山昴)
著者 西日本新聞安保取材班 、 出版 明石書店
西日本新聞で連載していた安保法制の問題点が一冊の本になりました。
「安保法に反対と言うけど、国民はすぐに忘れるよ」
アベ政権の側は、そう思って期待しているようです。それが現実にならないよう、新聞人として「知らせる義務」に汗をかき続けたい。その思いで走りまわった成果が、この本に結実しています。ですから、一人でも多くの人が本書を手にして、記者の労苦にこたえ、さらに励ます必要があると思いました。
アフガニスタンで今もがんばっている中村哲医師(ペシャワール会)は、こう言っています。
「平和には戦争以上の力があり、平和には戦争以上の忍耐と努力が必要だ」
ドイツはアフガニスタンへ国連の国際治安支援部隊(ISAF)として最大5000人を派兵した。それは、戦闘には直接かかわらない治安維持のはずだった。ところが現実には、何回となく戦闘に巻き込まれ、第二次世界大戦後はじめて本格的な地上戦を経験したドイツ兵となった。その結果、アフガンでのドイツ軍の殉職者は事故死や自殺をふくめて55人。戦死者も35人にのぼった。殺し殺される戦闘ストレスから帰還兵1600人がPTSD(トラウマ)を負った。
ドイツ人の画家は、記者にこうこう語った。「日本が戦後、海外で一人も殺さず、殺されずにきたことを恥じる必要はありません。誇るべきなんです」
私も、本当にそう思います。平和な国・ニッポン。この平和ブランドを自民・公明の安倍政権が汚れた手で黒く塗りつぶそうとしています。とんでもありません・・・。
日本の自衛隊が、アメリカでアメリカ軍と一緒になって戦闘訓練をしている。カルフォルニアの砂漠地帯です。明らかに中東での戦闘を想定した訓練です。
そして、自衛隊は今度、アメリカ軍海兵隊のつかう水陸両用車「AAV7」を計52両、2015年度だけで30両も導入する。1両6億円。うひゃあ・・・。国立大学の授業は年間40万円とか、どんどん値上げして日本の若者を苦しめているのに、軍事予算のほうは気前よくアメリカの高価な兵器をどんどん買っているのです。
「AAV7」って、実は、日本では使い勝手がいかにもわるい。サンゴ礁や岩礁の多い島には向かない。水上では時速13キロなので、攻撃を受けやすい。船酔いがひどくて、上陸直後は戦えない。海でつかうたびにアメリカ本土へ持ち帰って分解整備が必要。
まるで役に立たないおもちゃ、みてくれだけのバカ高い代物ですね、これって・・・。
弾道ミサイルを迎撃して撃ち落とせるはずはありません。それは鉄砲のたまを鉄砲で撃ち落とすようなものなんです。できっこありません。それを、出来るかのように多くの国民をペテンにかけて導入したのが「PAC(パック)3」です。福岡県内に4隊あるというのですが、危険なおもちゃの類です。ところが、この役に立たないシステムになんと国は1兆円もかけています。つまるところ、軍需産業を喜ばせているだけです。そして、自衛隊高級幹部の天下り先の獲得には確実に役立っています。私たちの税金が、こんなにしてムダに使われているのかと思うと腹が立ちます。それより、もっと人を育てるほうに、福祉のほうに税金をつかってほしいものです。
この本にも、中村哲医師の活躍ぶりが少しだけ紹介されています。砂漠と荒地に水を引いて、緑の農地に変えていくという苦難の取り組みです。なんで日本政府は、もっともっとこんな活動に力を入れないのか、援助しないのか不思議でなりません。中村哲医師のレポートを西日本新聞で読むたびに元気をもらう者として、この本にも紹介されていて、うれしく思いました。
日本が国際社会から求められているのは武力ではなく、この中村医師のような平和的貢献だと確信するのです。ぜひ、あなたも手にとってお読みください。
(2016年2月刊。1600円+税)
2016年3月29日
病める社会、相談現場から
(霧山昴)
著者 ふくみつ 洋一 、 出版 くらしの相談センター
横須賀市内で、くらしの相談センターを営んできた著者のすさまじい活動が活字になっています。今の日本社会のかかえている問題点を生々しく紹介した貴重な記録です。
私は、本書を読みながら、北九州市小倉北区で同じような活動をしていた西辰雄さんを思い出しました。西さんも、著者とまったく変わらず、いろんな生活相談を受けていました。大変な苦労を伴う活動だと思うのですが、いつもひょうひょうとした物腰で、疲れを見せませんでした。
「不況で勤め先が倒産。ハローワークに通っても求人はない。50歳を過ぎると、足を棒にして探しても就職先は見つからない。いま3人家族で、妻のパート給料の6万円で暮らしている。お先、真っ暗。どうにもならない」
「下町で事業をしていたが、共同経営者は蒸発。膨大な借金をひとり背負って倒産。59歳だが、妻は半年前に心筋梗塞で死んで、家賃も半年分滞納している。追い出されたホームレスになってしまう・・・」
「小学生2人をかかえた40代のシングルマザー。求人広告を頼りに面接に出かけても、子どもかかえた40代の女性は雇ってもらえない。今月中に支払わないと、電気・ガスも止められてしまう」
「生活保護を受けようと思って保護課に行くと、病気で働けないという医師の診断書がなければ、と断られた。週3日、パートで働いている。もっとたくさん働ける仕事を探してから来るように言われた。そう言われても働く場所なんて見つからない」
1ヶ月に100人ほどの相談を受けたことがあった。新規相談だけでも50人。平均して月30件の新規相談。土曜も日曜も休みなく、平日だって夜7時からスタートすることがある。一人の相談時間は平均して2時間。DVについて、親子をまじえて5時間かけたこともある。午前10時から夜8時すぎまで、びっしり。昼食が3時ころになったこともある。
不誠実な人、利用するだけしようという人には突き放すこともある。しかし、ほとんどの人は、悩み、苦しみ、すがる思いでやって来る。なので、どんなに疲れていても、疲れた顔を見せれられた信頼関係が成り立たない。どの人とも対等平等に話し合う。
事務所を維持するのに月30万円はかかる。すべてカンパに頼る。
「眠れなくなった。食欲もない。パートの仕事は出来なくなった。自殺も失敗した・・・」
「ケータイ料金を支払えずに止められた。ケータイがないと仕事も見つからない。ケータイを買うお金がない」
「ネットで知り合った男性と同棲するようになった。事業資金が足りないというので、親戚のおばさんを騙して借金して貸してやった。男性は、お金をもち逃げした。男に騙されていたことが分った・・・」
本当に深刻な相談のオンパレードです。それを20年以上も受け止めてきたのです。偉いですね。ゆっくりおやすみください。
横須賀の根岸義道弁護士から押し売りされた本です。いい内容なので紹介したくなりました。
(2015年10月刊。1500円+税)
わが家の庭はすっかり春満開となりました。色とりどりのチューリップがたくさん咲いています。朝、雨戸を開けるのが楽しみです。朝のうちは、三角おむすびのような形をしていて、昼には花が開いています。ハナズオウの木が小豆(アズキ)のような豆粒の花をたくさんつけ、アスパラガスが採れはじめました。春の香りを口中に感じる楽しみは、まさしく春を満喫していると実感します。
団地のソメイヨシノも満開です。
ビックリグミの木にとまってウグイスが澄んだ声で高らかにホケキョと鳴いているそばで、メジロが一心に花の蜜を吸っています。春は本当にいい季節です。花粉症さえ出なければ、、、。
2016年3月26日
夜中の電話
(霧山昴)
著者 井上 麻矢 、 出版 集英社
私のもっとも尊敬する現代作家である井上ひさしの貴重な言葉が記録されています。娘(三女)に対するものです。
自分の不幸さえも幸せに転化させる術、「書くこと」を見つけた父。中年期以降は本来が明るい性格だったのだろう。とても楽天家だった。
癌とたたかっていた父は、なるべく大好きな鎌倉の家に戻りたいと思っていた。なるほど、竹林を見ていると、心が落ち着く。
父は死ぬのが怖いので、人はいかに死んでいくのかを戯曲に書いてきた。病院嫌いだし、そうとう怖かったと想像できる。父は、よくも悪くも真面目な人だ。
父は元気になったら書く演目を決めており、それをいつから書き始めると計画を立てていて、強い意思をもっていた。
父は、生真面目なので、新しい家庭ができると決まった日から、娘たち3人とは一線を引いた。この事実も、娘たちには、大きなショックとしてのしかかった。
父にとっての幸せは作品を書くことだった。父とは行楽に行くこともなかった。父は眠る時間さえなかったのだから、子どもとの会話など、あろうはずもない。父は、忙しくて書斎にこもってばかり。机に向かって書いている父には、誰ひとり声をかけられなかった。
立食パーティに行ったら、食べ物を食べないこと。どんなにお腹が空いていてもダメ。私も、いくら高い会費を払っても、立食パーティでは食べないようにしています。それは、どれだけ食べたのか分からない食べ方はしないようにしているという、ダイエットの一環であると同時に、話すべき相手をつかまえて談論することを優先させていることによります。それがうまくいったときには手にした赤ワインが2杯、3杯となって酔いを感じてしまうのです。やはり、空きっ腹にワインは良くありません。
まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、まっすぐなことをひかえめに、ひかえめなことをわくわくと、わくわくすることをさりげなく、さりげないことをはっきりと書く。
井上ひさしの偉大さは、こんなにも分かりやすく課題を提起していることにもあります。
言葉は、お金と同じだ。一度だしたら元に戻せない。だから、慎重に、よく考えて使うこと。
絶対に成功するという強い心をもつことは、逃げ道をつくらないで進む覚悟にも通じる。
後ろ向きな言葉を言うときには、一日、置いてみる。仕事でも恋愛でも家族でも、決定的なことは最後まで口から出さない。
言葉は、自分が身につけられるものの中で、もっとも重要なもの。仕事場に行くとき、気分が落ち込む原因は、その場所で自分の立ち位置がよく分かっていないからだ。
井上ひさしが作品を書くために膨大な資料を調べたのは、想像力をかきたてる下準備だ。調べてはじめて想像することが容易になる。
プロというのは、自分で決めたことは、どんなことがあっても実行してしまう、強い魂の持ち主を言う。
交渉時は、まず相手にしゃべらせること。仕事では、まず相手の話を聞くこと。人間は、自分の意見を聞いてくれた人には、割と素直になれる。
突然「こまつ座」を率いる立場になった井上ひさしの三女の話です。井上ひさしも偉いですが、三女である著者もすごい、すごいと感じながら読了しました。
(2015年12月刊。1200円+税)
2016年3月25日
東芝・不正会計
(霧山昴)
著者 今沢 真 、 出版 毎日新聞出版
東芝といったら、経団連副会長の企業。いわば日本を代表する企業です。その東芝で最高トップ連中が醜い派閥抗争のあげく、違法な「利益」を操作していたというのです。許せません。そして、自らは手がうしろにまわるような犯罪行為をしているくせに、経団連は子どもたちに学校で道徳教育をもっとやるべきだと声高に叫びたてています。いったい誰を手本としろというのでしょうか。まさかアベ首相ではないでしょうね。「東芝の社長のような立派な人になれ」と子どもたちに言うのですか。とてもそんなこと言えませんよね・・・。
不祥事を起こした大企業の株主総会のときには、役員はズボンの下に大人用のおむつをつけて壇上にあがる。今では、これが常識となっている。というのは、質問に答えるべき役員がトイレに行っていて答えられないというのでは困る。とくに議長をつとめる社長がトイレだといって退席したら、株主総会は中断してしまう。そして、中断した時に株主が帰ってしまって議決ができなくなったら大変なことになるからだ。
うひゃあ、トイレ休憩もとれないのですか・・・。ちっとも知りませんでした。東芝なんて、自業自得ではあるのですが・・・。
東芝では、トップ(社長)の指示のもとで、たった3日間で119億円もの利益操作が行われた。佐々木社長(当時。経団連副会長)は、4年間にパソコン部品の押し込み販売による利益水増し額が654億円に達した。
ここから言えることが少なくとも二つあります。一つは、こんなインチキをしているといことは、まともに税金を支払っているはずもないということです。それなのに、アベ政権は法人税の減税を強引にすすめています。もう一つは、会計法人なんて無用の長物だということです。情けない存在です。
東芝で利益水増しが組織的に行われていた背景には「上司に逆らえない企業風土」があると指摘されている。いやな企業社会ですね、これって・・・。
結局、東芝は過去6年間に1500億円もの利益水増ししていた。そして、最終的には5500億円もの赤字をかかえる会社だと発表された。ここまでデタラメしても、東芝の元社長たちはのうのうとしています。刑事責任が厳しく追及されるべきではないでしょうか。
私は、弁護人としてスーパーの万引き(常習)事件をよく担当します。わずか1000円とか2000円の被害で懲役1年というのが珍しくありません。それと対比させると、東芝の社長たちだったら、懲役20年とか30年が相当なのではないでしょうか。
そして、東芝はウェスチングハウスというアメリカの原発企業をかかえているのも問題です。日本政府が原発を海外へ輸出しようというのに東芝も乗っていますよね。これまたとんでもない無責任な行動です。日本国民を裏切るものです。
自分たちの金もうけのためなら、何でもやっていいという企業風土を根絶してほしいものです。
(2016年2月刊。1000円+税)
2016年3月21日
ペコロスの母の贈り物
(霧山昴)
著者 岡野 雄一 、 出版 朝日新聞出版
『週刊朝日』に連載されたペコロスのマンガが本になっています。
著者は長崎に戻ってタウン誌の編集長になってから、認知症になった母親のエピソードをマンガで紹介しはじめたのでした。
父親は酒におぼれ、家庭内暴力がひどかったようです。それで、母親は若いころ裸足で家を飛び出して逃げたりしていたのです。
そんな父親が、認知症になった母親の前にとてもいい感じのお爺ちゃんになって現われるのです。そして、それが息子である著者のトラウマを癒し、リハビリの時間になっていくのでした。
母親の口癖がいいですね。「生きとかんば!」というのです。生きておきなさい、っていう言葉ですよね。
いろいろ大変なことがあっても、あきらめずに生きていこう。そしたら、いつかきっと、良いことがあるさ、という楽天的な言葉です。
飲んだくれの暴力父は、実は、若いころにはアララギ派の短歌をよんでいたそうです。斉藤茂吉のあとの土屋文明にケンカを売っていたとのこと。
著者のマンガは、そこはかとないペーソスを感じさせ、味わい深いものがあります。
(2016年1月刊。1200円+税)
2016年3月16日
この国の冷たさの正体
(霧山昴)
著者 和田 秀樹 、 出版 朝日新書
衝撃的な内容の本です。でも、ホント、そうなんだよね、いつの間に日本はこんなに冷たい国になってしまったのか・・・と思いました。
著者は、それは小泉元首相のときに始まったと言います。そして、テレビが冷たさを増幅させた共犯だと厳しく糾弾しています。テレビを見ない私ですが、まったく同感です。
「自力で生活できない人を政府が助ける必要はない」と38%もの日本人が、そう考える。アメリカ人は28%。でも、ほとんどの先進国では10%でしかない。うへーっ、そ、そんなに日本人って弱者に冷たいんですか・・・。これで、日本を愛せよ、なんて無理な注文ですよね。それにしても、あのアメリカより日本が冷たい国になっているだなんて、これまた大ショックでした。
この15年間で、日本社会は一変した。企業では年功序列や終身雇用がなくなり、大型店が繁栄する裏で個人商店がバタバタとつぶれていった。そして、働く人の非正規雇用が4割をこえる。弱者が増える一方で、何億円という資産をもつ富裕層は日本でも続々と生まれている。
そして、その仲立ちをしているのがテレビ。テレビは、弱者とは関わりたくないという感情の増幅装置になっている。
弱者が、自分より弱い立場の人間を攻撃することで、自分の不安を解消している。
安倍首相の言う「一億総活躍社会」というのは、「働かない人間を許さない」という社会のこと。これは戦時中の日本を想起せざるをえない。
テレビは常に画一化された情報をたれ流し、視聴者の認知的成熟度を低下させている。
ヨーロッパの消費税率はたしかに高い。しかし、それは医療費が無料、大学までの教育費もタダといった手厚い福祉を支えるためのもの。だから、国民は納得している。ところが、日本では福祉予算が切り捨てられ、軍事予算が増大しているなかで、消費税率のみ上げられている。とんでもないことです・・・。
高い消費税はヨーロッパ並み、お粗末な福祉はアメリカ並み。これでは困ります。
弱者である国民が、日本では「自己責任、自己責任」と言いつのる。この自己責任という言葉は、強者の責任のがれにすぎない。自己責任をもち出すことで大きなメリットを得ているのは強者である。自己責任を真面目に守っているのは、弱者だけ。自己責任論でものを考えたり、行動したりすることから決別する必要がある。そうでなければ、人生を強者のいいようにされてしまう。
日本人は、世界から奇異な民族だと見られている点が二つある。その一つは、借金が返せないから自殺すること。もう一つは、借金を返すために強盗すること。強盗したお金で借金を返すなんて、世界中の人はありえないと考える。
弱者を叩いて、一時的に「正義の味方」になるというのは、百害あって一利なし。強者と一緒になって弱者を叩くと、結局のところ、自分にはね返ってくる。
日本人は、世界一、自分を責めがちな国民だ。
テレビは、日本人の単純化思考に拍車をかけている。テレビは、思考のパターンを単純化させる装置だ。テレビは、エビデンス(証拠)にもとづく議論をする場ではなく、大多数の視聴者の感情に迎合するのが大前提のメディアなのだ。
50代の精神科医の指摘には、いちいちもっともだとうなずくばかりでした。
(2016年3月刊。720円+税)
2016年3月15日
牛肉資本主義
(霧山昴)
著者 井上恭介 、 出版 プレジデント社
日本人が「吉野家」で安い牛丼を食べられなくなる日が近づいているようです。
この本を読んで私が一番すごいと思ったのは、日本でも野放しにして飼育した「野生牛」がいること、そして、完全放牧酪農があるということです。アメリカ流の成長ホルモン漬けの牛肉だけでは困ると思います。「野生牛」というのは、エサは牛が食べるのにまかせるというものです。ですから、肉は今より少し固めになります。それでも、かめばかむほど味わい深いものがあります(あるそうです。私は残念ながら、まだ食べたことはありません)。あまりにも、薬(成長促進ホルモン剤など)に頼った牛肉は、いずれ良くない結果を人間にもたらすこと必至だと思うからです。
この本を読んで認識したのは、牛肉争奪戦が世界的規模で始まっているということです。その主役は、言わずと知れた中国です。なにしろ、スケールが違います。いま、私たち日本人は「爆買い」の恩恵をいささか受けています(私の住む町までは、まわってきていません)が、よくよく考えると、それは、私たちの食生活を根本から脅かしかねないレベルの話なのです。なにしろ、ケタ違いの数量なのですから・・・。
いま、中国人のビジネスマンは、牛肉がもうかりそうだというので、投資の対象としている。日本の牛丼屋は、アメリカ産バラ肉に頼ってきた。安く手に入り、味も触感もいい。それがショートプレートだ。ショープレと呼んでいる。
中国では、これまで「肉」と言えば、豚か鶏だった。しかし、今では、牛がそれらより先に来る。昔の硬い牛肉ではなく、輸入された柔らかい牛肉だ。中国では、いま空前の牛肉ブームが起きている。だから2013年に、牛肉輸入量は、中国が日本を追い越した。
そして、それは豚でも同じ。世界の半分を中国が食べるという豚肉でも同じで、2013年にアメリカ最大の豚肉加工業者を中国企業が47億ドルで買収した。
日本は牛肉をショートプレートしか買わないが、中国は、牛を丸ごと買うので、売り手は日本より中国を好む。
中国で「牛肉いため」は800円するのに、日本では牛丼は300円代でしかない。
札幌のジンギスカンは羊肉だが、その羊肉のニュージーランドからの仕入れ価格が3割も上がった。ニュージーランドの農家からすると、同じ面積なら、羊より牛を飼ったほうが、5倍以上も利益が違ってくる。
何でも安ければいいという発想を変える必要があります。そして、食料の自給率の向上とあわせて、食の安全というのにもっと私たちは気を使う必要があると思いました。
(2015年12月刊。1500円+税)
2016年3月12日
仕事のエッセンス
(霧山昴)
著者 西 きょうじ 、 出版 毎日新聞出版
著者は予備校(「東進ハイスクール」)のカリスマ教師のようですね。
人にとって働くことって何なのか、仕事するってどんな意味があるのかを根本に立ち帰って考えてみた好著です。いろんな仕事があることを改めて思い知らされます。
スペインでは、生活苦から卵子を売る女性が増えている。1回10万円もらえるけれど、大量に薬を飲んで、全身麻酔で手術をうけるなど、時間がかかり、苦痛をともない、身体面のリスクがある。
日本人にも、タイや韓国に渡って卵子を提供するドナーが100人以上もいて、1回60~70万円の謝礼をもらっている(2011年)。
タイで、代理母による男女産み分けを利用する日本人夫婦が年間100組以上いる。
介護士は、賃金の低さと仕事量の多さ、きつさから、離職率が他よりも高い。
同じ作業であっても、自分のしていることに意味を見出せるかどうか、大きな心理的違いを生む。
東北新幹線の車内販売員は平均して7~8万円の売り上げなのに、なんと片道で54万円を売った人がいる。そして、別の販売員は、全400席の乗客に187個の弁当を売った。弁当の注文を受けたとき、彼女は「お土産でしょうか?」と尋ねる。すると、客は弁当を土産にできることに気がついて弁当を買い求める。こんなわけです。
お客様の視点に立つ。自分のしてほしいことを相手にしてあげる。客の心を読み、その行動を予測する。なーるほど、ですね。たいしたものです・・・。
私は幸いにもしたことがありませんが、「宮仕えは辛いもの」です。ところが、フリーランスになったら、よりひどい隷属状態になることもありうるわけです。ですから、軽々しく会社を辞めるべきではないと著者は強調しています。これだけブラック企業があって、若者をとりまく雇用環境が悪化しているのだから、学校教育のなかで、身を守るすべや働くリスクまで教えるべきだ。そのとおりです。
好きで、個人がワーカホリックになっていくのではない。職場にそれを生み出すからくりが幾重にも埋め込まれている。そのシステムに踊らされながら、人は、それを自分が選んでいるという錯覚に陥っている。
英語力の習得とグローバル化というのは、ほぼ無関係だ。私もまったく同感です。英語が話せるかよりも、人間力のほうが大切だと思います。
諸外国では大学卒業の平均年齢は25歳なのに、日本だけが22歳。高校を卒業したらすぐに大学、そして大学を卒業したら、すぐに就職するというのは日本だけ。日本はとても不自由な国。しかも、日本では大学に100人が入学したとして、12人が中退し、13人が留年し(私も1年だけ留年しました)、残る75人のうち就職できるのは45人で、3年続くのは31。
新卒で正社員として入社し、できる限り長く勤めあげるのが正しい人生なのだ。それができない者は落伍者だ。これは、昭和の幻想的な教訓であって、そんなものに今どき縛りつけられる必要はない。
就活自殺が、2007年から2013年までの7年間で218人にのぼる。これは、いかにも悲惨な事態である。
仕事すなわち自己実現という等式は捨ててしまったほうがいい。仕事を続けるうちに、それが自分のしたいことと一致し、周囲にも認知されるようになることで自分も満足感を得、環境もより良くなっていく、そういうこと地味に続けることで人に必要とされ役に立っているという喜び、幸福感を高めていく。
仕事とは、自分と社会を持続的に接続するものであり、積極的に選択できるもの。仕事から「はたらく」(「はた」を楽にする)喜びを得られるようになると、「はたらく」ことで自他ともに幸福感を与えられる。そうして、自分が安心して生活できるコミュニティを形成し、維持することにつながる手段となりうる。
著者は、日々、苦労と工夫をしながら生き、そして考えている人なんだろうな、そう共感しながら読了しました。
(2015年11月刊。1350円+税)
2016年3月 9日
日本はなぜ米軍をもてなすのか
(霧山昴)
著者 渡辺 豪 、 出版 旬報社
著者は『沖縄タイムス』の記者を17年間つとめていました。
沖縄にいたら見えるもの。それは、日本が戦争に負けた国であるということ。沖縄では、敗戦と占領の残滓が日常にあふれ、日本がアメリカに従属している現実と否応なしに向き合わされる。
日本の政府中枢そして中央官僚は、アメリカの意向を忖度(そんたく)して自発的に隷従するという、信仰にも似た強固な意識や価値概念に支えられている。彼らには、アメリカの威光を背景として、既得権益の保持や権力の強化を図る意図が働いているのでは・・・。
日本の敗戦後、GHQの間接占領によって温存されたのは、天皇制であるとともに、官僚機構である。
日本は、憲法76条によって軍事会議を設置することができない。世界中で、軍法会議をもたない唯一の軍隊が自衛隊である。
政権中枢と防衛省サイドには、辺野古で甘やかすと、次は嘉手納基地の返還を求めてくるだろうから、辺野古で譲歩するわけにはいかないと本気で考えているようだ。
うひゃあ、お、おぞましい発想ですね。まさしくアメリカの奴隷の発想です。独立国日本の官僚ではありえません。恥を知れ、そう言いたくなります。
アメリカ軍への思いやり予算が始まったのは1978年度で、このときは62億円だった。それが、2015年度は、なんと年1899億円にも達している。このほかにも、年に5000~6000億円ものお金をアメリカ軍基地を維持するために使っている。
これではアメリカにとって、こんなにおいしい日本の基地を手放すはずがありません。
巨額の「思いやり予算」による恩恵を在日米軍に付与してもなお、アメリカへの従属的な対応から脱しきれていないのが、日本の実情だ。しかし、この「思いやり」の強要が、あたかも自発的意思にもとづくかのように、ならされているのは、日本政府だけではない。それは日本国民についても言えること・・・。
大半の日本人は、アメリカ軍の基地があるという、意識することが不快な事実から目をそむけている。
対米コンプレックスよりも、多くの日本人には対中国コンプレックスがある。他国の軍隊が長期間にわたって駐留し続けることから生じる、独立国家としての理念や制度の崩壊、そのことで生じる国民の犠牲や痛み、屈辱といった精神性の毀損をすべて、「カネでかたのつく問題」に転換して処理してきたのが、戦後日本の統治システムの本質だった。
たしかに沖縄から日本本土を見ると、日本という国の本質が良く見えるのですね・・・。それにしても寒々とした光景です。
(2015年10月刊。1500円+税)
2016年3月 3日
おひとりさまの最期
(霧山昴)
著者 上野 千鶴子 、 出版 朝日新聞出版
著者は私と同じ団塊世代です。団塊世代の私たちにも、いよいよ死が身近なものとなってきました。といっても、20代、そして50代のうちに亡くなった知人も一人や二人ではありません。老後をいかに過ごすのか、どうやって死を迎えるのかは、それぞれ重大な課題になっています。
おひとり様の数は増え、2013年には、高齢者世帯の4世帯に1世帯が単身世帯である。それに夫婦世帯が3割。両方を合わせると、5割以上。いまや、子と同居している世帯は3割台でしかない。
著者は、本当のことを言えば、死んだあとのことなんて、気にしちゃいないと書いています。私も同じです。宇宙のチリの一つにしかならないし、いずれみんなそうやって宇宙を漂っていく存在なのです。だから、宇宙に本当に果てがあるのかどうか、今から気になるのです・・・。
おひとり様人口は、これからも増えるし、これから先は、病院でも施設でも死ねなくなる「死に場所難民」が増える。
日本人の最新の平均寿命は、女性は86.83歳、男性が80.50歳。6歳も違うのですよね。それでも、男性も80歳を超えたのですね・・・。仕事人間、社会人間ばかりではなくなった、ということでしょうか・・・。
日本人の死に場所として、病院が80%、在宅が13%、そして施設が5%。
末期になると、脳から麻薬物質のエンドルフィンが出て、モルヒネと同じ作用をする。だから、苦しくはない。これが老衰のときの大往生。その自然死の過程に、医療は余計な介入をしないほうがいい。
病院では、死は敗北。しかし、高齢者施設ではゴールであり、達成。
住宅をただのハコとは考えるべきではない。記憶や経験が詰まった、暮らしの場。身体の延長のような装置系。
在宅医療には、病院にはない不思議な力がある。在宅では、医療職の想定をこえた「奇跡」がいくつも起きている。なんでもない日常が、家族にとって、かけがえのない時間となる。
本人が強い意志を持たない限り、周囲が意思決定して終末期は病院に送られてしまう。
日々の暮らしとは、口から食べて、お尻から排泄して、清潔を保つことの日々の積み重ね。食事介護、排泄介護、入浴介護というのが三大介護。
生きるとは、迷惑をかけあうこと。親子の間ならとめどもなく迷惑をかけてもかまわないと共依存する代わりに、ちょっとの迷惑を他人同士、じょうずにかけあう仕組みをつくりたいもの。
そうなんですね。もつべきは相互に支えあう人間関係なんですよね・・・。老後を真剣に考えされられる本でした。
(2016年2月刊。1400円+税)