弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

中国

2018年6月17日

日本人は知らない中国セレブ消費


(霧山昴)
著者 袁 静 、 出版  日経プレミアムシリーズ

日本人と中国人の生活習慣の違いを知っておくのは必要ですよね。
たとえば、日本人にとって、レストランに入って、氷の入った水をコップでウェイトレスが持って来るのは当然のサービスです。ところが、中国人は熱いお茶を飲むのを習慣としているため、氷水なんて飲みたくない。
日本人はホテルや旅館で角部屋にあたると大喜びする(見晴らしがいい)が、中国人は、鬼(幽霊)がいるのを心配して嫌う。
日本人は白いお米のご飯がないと物足りなく感じるが、中国人は、ご飯は外食で食べるものではないと考える。なので旅館が夕食前に小腹の足しにおにぎりを出しても中国人は喜ばない。
日本人は今でも店で現金支払いを好む人が多い。中国人はスマホ決済一辺倒。
中国人はウィーチャットを偏愛している。中国人はウィーチャットで自分を高く売りつけるように努める。日本人の多くはそんなことはしないし、したくない。
中国人は、子どもを学校に上げると、競ってPTAの役員になりたがる。子どもが学校でいい扱いを受けるために親は必死になる。日本ではPTA役員の希望者が少なく、いつだって押しつけあいで決まる。
知っておいて損のない話だとおもいます。みんな違って、みんないい。金子みすずの世界です。
(2018年2月刊。850円+税)

2018年5月27日

13・67

(霧山昴)
著者 陳 浩基 、 出版  文芸春秋

妙ちきりんなタイトルの本です。13とは2013年のこと。香港の雨傘革命前夜です。67は1967年、香港で反中ではなく反英暴動が勃発した年です。関係ないけど、私が大学に入った年でもあります。
いわゆる警察小説です。腐敗した警察官を内部にかかえる香港警察のなかにいて、事件の犯人を推理していくところは本格派の推理小説です。したがって、グリコのように一粒が二度おいしい本になっています。
どんな悪事でも、賄賂さえ払えば、警察官は片目をつぶった。非合法の賭場や売春、薬物販売などを警察が捜査・摘発したときも、それは悪を一掃するためではなく、マフィアから金を得るためだった。警察にお金を払えば、期限付き許可証を買ったも同然で、しばらくは警察が邪魔することはないという仕掛けだ。
犯罪者は、買収した捜査員が上司に顔向けできるように刑務所に行ってもよいという仲間を定期的に差し出し、身代わりにする。こうやって暴かれる麻薬取引や賭博行為が実際に行われているものの氷山の一角なのは言うまでもない。
最前線の取締りが出来レースなのだから、警察上層部はまったく目隠しされた状態で治安が悪化しているなど、つゆ知らず、むしろ部下たちががんばって犯人をひとり挙げたと喜ぶ始末だ。警察に入れば、その一員となる、すると、どんな真正直な人間でも、まっすぐ胸をはって生きていくことはできない。
どんなに自分の力を買いかぶった自信家であろうと、いったん「船」を押しとどめようとすると、あっという間にいびられ、爪はじきにされ、警察組織で孤立無援となって、その先に出世のチャンスはない。
あまりに面白くて、車中で夢中になって読みふけってしまいました。
(2017年9月刊。1850円+税)

2018年5月26日

1967、中国文化大革命

(霧山昴)
著者 荒牧 万佐行 、 出版  集広舎

私が東京で大学生になった年(1967年)の2月、中国各地の状況を活写した貴重な写真集です。2月ですから、私は大学受験の直前ということになります。中国で大変なことが起きているという報道はありましたが、その実態は紹介されませんでしたし、解説記事もほとんどありませんでした。なにしろ竹のカーテンのなかで何が起きているのか、情報が伝わってこなかったのです。
この本で紹介されている写真を眺めると、北京でも上海でも、どこでも中国の各地で大勢の人々が路上にあふれ出てきていて、口々に何かを叫んでいます。
今では、文化大革命とは、文化革命なる美名をかりた毛沢東による権力転覆策動、独裁者としての自らの復権運動を本質とする権力闘争であることが歴史的にはっきりしています。しかし、この文化大革命のなかで三角帽子をかぶらされて街頭をひきずりまわされた多くの人々が無惨な死に追い込まれてしまいました。文化大革命終結後になんとか復権できた人は少ないし、きわめて幸運だったのです。
それにしても、街頭の壁一面に貼り出された壁新聞のボリュームには圧倒されてしまいます。人々が必死に手書きで壁新聞(大字報)を書いて貼り出したのです。そして、人々はそこに何が書かれているのかを読んで時勢(時流)を感じとっていました。
毛沢東語録をかかげながら、ふたてに分かれて激しく武力抗争するという事態が中国全土で進行していきました。やがて、それは毛沢東支配そのものをも脅かすほどになり、毛沢東自身がブレーキをかけ始めたのです。
このころ、日本にも文化大革命を礼賛する人が多数うまれました。毛沢東主義者と呼ばれる人たちです。その人たちは日本でも暴力を賛美して、社会を混乱させました。
やっぱり暴力からは、決して、まともな文化は生まれません。つくづく私はそう思います。貴重な写真集の頁をめくりながら改めて中国の文化大革命の悲惨さを実感しました。
(2017年11月刊。2500円+税)

2018年4月29日

出土遺物から見た中国の文明

(霧山昴)
著者 稲畑 耕一郎 、 出版  潮新書

中国の古代文明が次々に地下から発掘されていて、その素晴らしさに圧倒されてしまいます。この本で紹介されている、いくつかは幸いなことに私は現地で拝観させてもらいました。
なんといっても、第一番にあげるべきなのは、秦の始皇帝の兵馬俑です。福岡市の博物館などの特設展で見たこともありますが、現地に行けば、口を開くことができないほど、(いえ、開けた口を閉じることを忘れるほど)圧倒され、感嘆のきわみに陥ってしまいます。なにしろ想像を絶するスケールです。東西230メートル、南北62メートル、6000体の実物大の将兵が地下で並び立っているのです。
日本ファーストなんて馬鹿げたことを言っている日本人は、これを現地で見てから死んでほしいものです(日光を見ないで死ねないのモジリです)。
曾候乙墓(そうこういつぼ)も、信じられないほどの見事さです。古代中国の音楽そして舞踏が、いかに発達していたかを十分しのばせてくれます。武漢の北側の湖北省から出土しました。紀元前433年ころに亡くなった曾国の君主の墓から出土した巨大な楽器です。長さ7.48メートル、高さ2.65メートル、総重量5トンというものです。
我が家には、感動のあまり現地で買い求めたミニチュアの楽器が今も飾られています。
四川省広漢市で発掘された三星堆(さんせいたい)は、残念ながら現地で拝んでいませんが、まことに奇妙な顔と眼をした青銅製の仮面です。黄金のマスクをした青銅の人頭像は、まるでピカソの抽象画を形にしたかのようです。
中国では、地下に埋もれている遺跡を慎重に発掘し続けているようです。現代人の好奇心を満足させるために掘りあげるだけなら簡単なことだけど、その科学的分析ときちんと永久保存するためには、最適の環境を保証する場所と最新の技術が必要だというのです。なるほど、と思います。
日本でも高松塚古墳などの保存には苦労しているわけですし、なにより「天皇陵」の発掘を少しずつ慎重にすすめていくべきだと思います。「日本民族」のルーツを探るのは国家の使命の一つなのではないでしょうか。いつまでも「タブー」であってはなりません。
(2017年11月刊。899円+税)

2018年1月25日

興隆の旅


(霧山昴)
著者  中国・山地の人々と交流する会 、 出版  花伝社

 日本軍・三光作戦の被害にあった中国の村を日本人一行が訪れた記録集です。
 中国河北省興隆県は北京市の北東に位置し、三方を長城で囲まれた山深い地域。1933年の日本軍による熱河作戦によって満州国に組み込まれた。それ以降、抗日軍と日本軍の激しい攻防が繰り返された。
 興隆県は1996年まで外国人に対して未開放区だった。そこへ、1997年8月、日本の小中高校の教師集団が訪問したのです。
ここには、人圏があった。人を集中させて、八路軍を人民から隔絶させ餓死させようと考えて日本軍がったこと。人々は、着るものも食べるものもなく、すべて日本軍に奪いとられた。
 日本人訪問団は日本から持っていった算数セットをつかって算数の授業をした。授業が終わると、校庭で教材贈呈式。そのあとは子どもたちとフォークダンス。宿泊は、村内の農家に25人が分宿。ホテルも宿泊施設もない村で、25人もの訪問団を泊めるのは、村にとって一大事件だった。
日本軍の蛮行で被害にあった体験を村人が語りはじめます。本当は、今日、ここに来たくはなかった。日本人を恐れていた。でも、今日来ている日本人は前に来た日本人とは違うと言われてやってきた。
日本軍の憲兵は、中国人を捕まえて投降させ、スパイにて中国人を殺させた。男たちは全部捕えられ、女と子どもしか残らなかったので、ここは「寡婦村」と呼ばれるようになった。無人区で中国人を見つけたら、一人残らず殺す。それが当時の日本軍のやり方だった。
2010年8月まで、11回も続いた日中交流の旅でした。日本人のゆがんだ歴史認識は、その加害の真実を知らない、知らされていないことにもよると思います。私自身もそうでした。しっかり歴史の真実を知ることは、真の日中友好の基礎ではないかと思います。日中友好の旅の貴重な記録集です。
(2017年3月刊。1600円+税)

2017年11月28日

中国はなぜ軍拡を続けるのか


(霧山昴)
著者 阿南 友亮 、 出版  新潮選書

中国の軍事的脅威を真顔で語る人がいるのに、私は驚きます。中国へ実際に行ってみると、とても「共産主義の国・中国」とは思えません。日本以上に資本主義国として発展しているとしか思えないのです。
なるほど、中国の「国防費」は90年代以降ほぼ毎年10%以上増え続けていて、その総額はアメリカに次いで世界第二位の規模に達している。しかし、中国の軍事力は、その内実が問題です。この本は、中国の軍事力の実体を描き、議論しています。
中国をよくみると、国家、とりわけ主権を独占していると共産党と主権へのアクセスを事実上もっていない民間社会とのあいだに根深い相互不信と緊張状態があることが分かる。
習近平政権は「7つの禁句」(七不講)を示してる。普遍的価値、報道の自由、市民社会、市民の権利、党の歴史的な誤り、特権資産階級、司法の独立。うひゃあ、司法の独立もタブーなんですね。そう言えば、中国司法官のトップがナンバー2とともに最近、逮捕・失脚しましたよね・・・。2兆円の不正蓄財というのですから、本当だとしたら、恐るべき構造的汚職構造があることになります。そんなシステムが出来ていたということでしょうから、決して一人ではやれるはずがありません。
中国の人口の6割以上を占める農村戸籍保持者は、社会保障面で制度的にないがしろにされていて、不当に厳しい生活を強いられてきた。
中華民族が太古の昔から存在したというのはフィクションにすぎず、実は100年前から提唱されているものにすぎない。
中国は、一見すると強大な国に見えるが、実はまとまりに乏しい。中国社会の内部で富の偏在が深刻化し、これが中国社会を引き裂きつつある。
中国の特権サークルにいる人々は、中国国内よりも海外にお金を落とすことを好んでいる。中国の富裕層の6割が移民の準備をすすめている。党幹部の多くは、相も変わらず権力と国有資産を駆使して大金を蓄え続けている。習政権の唱える「反腐敗」闘争も、党幹部の広範な利権を守るための巧妙な「人治」の一手段である。
中国解放軍は、実質的に共産党内の武装部門の担い手。軍隊の最重要任務は、共産党の独裁体制を防衛することにある。
解放軍の将兵は230万人。中国人民武装警察は66万人。そして人民警察が200万人。民兵部隊は400万人。合計1000万人ものボディガードによって中国共産党は守られている。
中国解放軍は戦争経験の豊富な部隊である。大躍進と文化大革命は、中国社会にあった共産党に対する高い期待と信頼を著しく傷つけた。
中国における究極の権力の源泉は、国家主席でも共産党の総書記でもなく、共産党中央軍事委員会主席である。
毛沢東は、40年間、軍隊の最高指揮権を握っていたからこそ、文化大革命という暴力の祭典を開催しえた。
中国解放軍はベトナムの民兵に対しても大苦戦を強いられた。中越戦争によって解放軍はショック状態に陥った。
鄧小平は、解放軍が部門・部隊ごとに自前で企業を設立し、ビジネスを展開することを期待した。軍ビジネスの発展は、当然ながら、解放軍の腐敗を進行させた。
解放軍の兵力は90年代以降、増えていないどころか、減り続けている。ところが人件費は増えている。そこには解放軍将兵の待遇改善をはかる意図が見えてくる。
解放軍の空軍のもつ航空機は4000機をこえている。しかし、そのうち3000機は、1950年代のソ連が開発した代物である。解放軍のもつ唯一の空母は、ソ連の空母をスクラップ状態になっていたのを解放軍が格好の値で購入して、改修したもの。
解放軍の海軍・空軍の戦力は、ようやく1980年代のソ連軍の水準にまで来たばかりということ。
共産党は、中国国内からの一党支配体制に対する異議申立を暴力で封じ込め、アメリカを中心とする同盟のネットワークに力で対抗する意図をすてない限り、党の軍隊の待遇改善と装備充実について手を抜くことができない。
最後のところに、この本のタイトルにある疑問が解明されます。中国の現在(とくに政治・社会)をふまえた的確な現状分析本だと感嘆しました。一読をおすすめします。

(2017年8月刊。1500円+税)

2017年10月10日

「空白の五マイル」

(霧山昴)
著者 角幡 唯介 、 出版  集英社文庫

命がけの冒険とは、こういうのを言うんだろうなと、つくづく思いました。
読んでいるほうの私まで、遭難して命を落としてしまいそうな気分になってくる本です。
早稲田大学探検部のOBである著者は、2002年12月、一人でチベットのツァンボー峡谷の探検に挑戦した。ツァンボー川はチベットの母なる川。ツァンボー川は、チベット高原を西から東に流れたあと、ヒマラヤ山脈の東端に位置する二つの大きな山にはさまれた峡谷部で円弧を描き、その流れを大きく南に旋回させる。そこはツァンボー川大屈曲部と呼ばれる。
山で一番こわいのは毒ヘビ。夏には、ヘビにかまれて死ぬ村人もいる。冬ならヘビは冬眠している。だから雪が積もっていても、冬のほうが探検には適している。
密林に足を踏み入れると、日本の山とはまるで勝手が異なることを知った。地面の土は柔らかく、傾斜が強いので、一歩足を踏み込むたびに半歩ずるっと滑る。灌木はつかむとメキっと柔らかい音を立てて折れてしまう。滑落の原因になる。障害となる岩場が頻繁にあらわれる。
ツァンボー川で1993年9月に遭難死した日本人青年の相棒で生き残った人が、いま東京で弁護士をしているという話も紹介されます(只野靖弁護士)。そんな経歴の弁護士もいるのですね、驚きました。
著者の場合は、15メートルほども滑落したけれど、幸いなことに途中のマツの木にひっかかって、運良く助かります。2時間あまりに到達できると予測した沢を渡るのに、実際には20時間以上もかかったのでした。
川に温泉があるのを見つけて、衣服を脱ぐと、自分の体に不気味な異変が生じていた。手の指先から足のつま先に至るまで、全身が赤いぶつぶつで覆われている。手のひらで触れてみると、ハ虫類のうろこのようにぼこぼこしている。数え切れないほどのダニが体に群がっていたのだ。ダニの咬傷はどんどん増え、表面からすき間がなくなてしまうくらいに、体はかゆいぶつぶつに覆われた。
こりゃあ、ヘビも怖いけれど、ダニも怖いっていうこうとですね・・・。ようやく3日後、なんとか村にたどり着くことができたのです。
そして、2009年12月に再び著者は挑戦するのです。
せっかく就職できた朝日新聞記者の職を投げうってからの挑戦です。そして、再び最悪の死の危険に直面します。
体の状態は疲労を通り越して、衰弱の域に入った。すでに出発してから20日がたっている。朝食をとって出発して1時間半くらいは普通に動けるのだが、それから急に疲れが襲ってくる。疲れというより、エネルギーが足りなくて体を動かせないという感じだ。斜面に傾斜があると、四つんばいにならないと登れない。倒木に足先がひっかかったら、手で足をもちあげなければならなかった。しかも大きな声で気合いを入れながら。その大声を逃すにも疲労を感じた。体内に蓄えられていた脂肪がついに完全に燃え尽きたのかもしれない・・・。たくましかったはずの太ももはモデルのように細くなり、肋骨は見事に浮き出て、なでるとカタカタと乾いた感触が手に残る。
すさまじいばかりの探検記です。真夏の夜にゾクゾクさせる涼味あふれる本だと言えましょうか・・・。
(2012年9月刊。600円+税)

2017年9月21日

モンゴル帝国誕生

(霧山昴)
著者 白石 典之 、 出版  講談社選書メチエ

チンギス・カンの実像を垣間見た思いのする本です。
なにしろ、チンギス・カンの宮殿跡が発掘され、その遺跡からチンギス・カンの国のなり立を推測しているので、具体的根拠があります。なかでも私が注目したのは、鉄との結びつきと気候変動の点です。
チンギス・カンの宮殿は、大草原の大天幕というのではなく、鉄と骨角でつくられた武器を用い、土とレンガでつくられた家に住む、そんな暮らしぶりだった。
チンギス・カンの生まれた年は1154年、1155年、1162年、1167年と定まっていない。没年は1227年と確定しているが、死因や死んだ場所には不明なところが多々ある。
チンギス・カンの「カン」は王という意味。息子で第二代君主からは「カアン」と名乗った。これは唯一無二の君主という意味で、皇帝にあたる。ではなぜチンギス・カンは、カアンを名乗らなかったのか・・・。
モンゴルに逆らわなければ、信教の自由と自治を認めた寛容さは、抵抗すれば容赦なく殺戮するという残虐さの裏返しでもあった。
アウラガ遺跡には、チンギスの宮殿、その死後に霊を祀った廟、武器をつくった工房跡が見つかった。
天幕の大きさは、とても100人入れないくらい。基礎に掘立柱と日干しレンガを使った質素な構造だった。鍛冶だけに特化した鉄工房も見つかった。
貴族の墓の副葬品には、馬具一式のほかは、鉄製武器、金メッキの青銅帯金具と銀椀が出土するくらいだ。
モンゴル高原は、際だって気候の厳しい地域だ。夏は最高40度、冬にはマイナス40度まで下がる。なんと、80度も上下する。
草原は意外にデリケートで、夏季の気温が1度上下しただけで、草の生育に大きな影響が出る。それが2度も上下すると、遊牧にダメージを与える。
樹木の年輪を利用してチンギスの時代の気候を探ると、やや温暖で湿潤な時期だった。
アウラガ遺跡の周辺では、農耕もおこなわれていた。そして、アウラガ遺跡の食物残渣からは、サケ科やコイ科の魚骨が少なからず出土した。チンギスのころは魚を食べない仏教が普及しておらず、魚をふつうに食べていたのだ。
モンゴル高原に暮らす人々の馬への愛着は強く深い。モンゴルでは3600万頭の家畜が飼育されているが、その6%の200万頭が馬だ。
モンゴルの男子は15歳になると、兵士として戦争にかり出された。歩兵ではなく、騎兵だ。チンギスの騎馬軍団の主力は、モウコ種、小柄の馬が中心だった。モウコ種は、体高が低いため、乗りやすく安定もいい。持久力にも優れている。耐塞性があって、餌の少ない状況に耐え抜く能力をもっている。大草原では、平時でも戦時でも、長距離移動が欠かせないので、このモウコ種が適役だ。
オルズ川の戦いの勝利で、「金」側の部将として頭角をあらわしたチンギスは、鉄資源の入手に大きな関心をはらった。チンギスが親金派に寝返り、そのうえ、ジュルキンからバヤン・オラーンを奪ったのは、「金」の鉄資源を手に入れ、それを大量に運ぶ交通路の確保のためだった。チンギスにとって、鉄は国づくりの基本だった。
鉄は鉄鉱石ではなく、製錬を経た加工しやすいインゴットとして運んだ。
小型で、軽量のインゴットをモンゴルの鉄器生産に導入したのは、チンギスのオリジナル。インゴットと簡便な鍛冶道具を携えると、戦いの前線でも武器の製作や防具の修繕が可能だった。これにより臨機応変で、機動・可動的な鉄生産が可能になった。チンギス当時の軍隊の進軍スピードは、1日20キロメートルほどだった。
こんなふうにチンギス・カンの時代の具体的な状況を紹介されると、イメージが一新されますよね。
厳しい気候のモンゴル現地に著者は何ヶ月間も滞在したこともあるそうですが、その労苦が、こうやって本にまとまり、居ながらにしてチンギス・カンのことを教えていただけるというのは、まことにありがたいことです。
(2017年7月刊。1650円+税)

2017年6月15日

中国経済を読み解く

(霧山昴)
著者 室井 秀太郎 、 出版  文眞堂

このところ中国へ旅行していませんが、北京や上海・大連には何回か行ったことがあります。その都度、どんどん超巨大都市になっていくのを目のあたりしました。
中国共産党による一党支配下にあるにせよ、「共産中国」などと呼ぶより資本主義を謳歌している国としか見れません。
シルクロードにも行きましたが、ウルムチも大都会だと思いました。重慶や北京、西安も、いずれも日本の東京に勝るとも劣らない巨大都市です。
この本は、日経新聞の記者として中国に常駐していた体験もふまえて、中国経済をみるときに欠かせない視点を提供しています。わずか150頁ほどの薄っぺらな本ですが、いくつかの大切な欠かせない視点が盛り込まれていて勉強になりました。
日本人は、中国経済が移行経済であることを、よく認識していない。
中国にも証券取引所があるが、地方政府に上場企業の枠を割り当てたことから、地方政府は、効率の悪い地方の国有企業を救済するために株式市場を利用した。株式市場は、成長性のある企業を育てる場はなく、赤字企業を救済する手段になっている。
株式市場では個人投資家が中心で、個別株式の値動きに着目して、短期的な売買で値上り益を確保しようとする行動をとることが多い。
中国の株式市場には、うさんくささが付きまとう。中国的な市場経済とは、あくまで「社会主義」の冠がかぶせられた、資本主義国のものとは異質のものだ。
都市と農村の実質的な所得格差は5~6倍もある。東部地域の1人あたりの平均可処分所得は2万8223元、中部地域は1万8442元と、東部の65%。そして西部地域は1万6868元で、東部の60%。
業種でみると、最高の金融業と最低の農・林・牧・漁業では3.6倍の差がある。
これらの格差は固定化する傾向にある。
中国では、土地は国有であり、土地そのものを売買することはできない。しかし、土地の使用権は売買できる。そこで、地方政府は、農民から安い価格で収用した土地の使用権を不動産開発会社に高く売却して、差額を得ている。
インテリやマスコミ関係者のあいだでは共産党が求心力を失っている。
アメリカは、中国の最大の輸出先である。2015年の中国のアメリカ向け輸出は4095億ドルで、中国の輸出の18%を占めた。そして、中国のアメリカからの輸入は1487億ドルで、輸入全体の8.8%を占める。つまり、輸入額は輸出額の3分の1でしかない。
中国の外貨準備は3兆ドルを維持しており、日本の外貨準備の3倍。
外貨準備の大半はドルで運用されている。なかでも、アメリカの国債の保有額は1兆ドルを超えており、中国は世界最大のアメリカ国債保有国である。
中国にとって、ドルの価値が低下すると、外貨準備が目減りしてしまうという問題がある。中国はアメリカとの貿易で黒字をため込み、蓄積された外貨でアメリカの国債を購入してアメリカの借金を支えているという相互依存関係ができあがっている。
習近平は、毛沢東を除くと、新中国の歴史上初めての後ろ盾をもたない共産党トップである。このため習近平は、就任直後から、自らの立場を正当化する必要に迫られた。そこで習近平が実行したのは、反腐敗闘争の推進と、自らへの権力の集中と、宣伝の強化である。
北朝鮮の金正恩政権がいつまでもつのか、はなはだ疑問ですが、中国共産党による一党支配だって、その内実は危いようです。しかし、ひるがえって、わが日本はどうでしょうか。「一強多弱」と言われる安倍政権だって、もろいものだと思います。加計学園はひどいものですし、森友学園問題だって、まだまだ収拾したはずはありませんし・・・。
(2017年1月刊。1600円+税)

2017年4月28日

張作霖

(霧山昴)
著者 杉山 祐之 、 出版  白水社

満州某重大事件とも呼ばれる日本軍による張作霖爆殺(暗殺)事件までの経緯が刻明にたどられている本です。
張作霖というと、なんとなく馬賊の頭目というイメージですが、この本を読むとなかなかの人物だったようです。中国の政争、派閥抗争史としても興味深く読みましたが、著者の筆力はたいしたものだと感嘆しました。読み物としても面白いのです。
ちなみに、最近の日本の「ネトウヨ」一味のなかに、張作霖暗殺はコミンテルンによるものだという人がいるようです。昭和天皇が、この事件の報告をめぐって田中義一首相を嫌って退陣に追い込んだ事実が明らかとなっている今日、あまりにナンセンスな説であり、ネトウヨの知的レベルの低さをあらわしているだけだと思います。
張作霖爆殺事件は1928年6月に起きたが、この事件は、日本敗戦に至る亡国の軌跡への決定的な分岐点だった。
張作霖は、1875年3月、奉天近くの農村で、雑貨店主の三男として生まれた。父親は博徒でもあった。張作霖は、13歳のころ、3ヶ月間だけ教育を受けた。要するに、張作霖は正規の教育は受けていないのです。ところが、軍の近代化など教育には熱心でした。単なる馬賊ではなかったのです。
張作霖の14歳のころ、父親は殺され、そのあと一家は生活に苦労したようです。
張作霖は、獣医を始めた。馬の治療が出来たということです。
張作霖は、誰にでも、好かれる面をもっていると同時に、激しい衝動、人を凍りつかせる冷酷さももちあわせていた。張作霖は小柄で、身長162センチだった。
張作霖が匪賊に加わったのは1897年春ころの2ヶ月間のみ。人質の見張り役をしていた。22歳のころということになります。
張作霖は、人を見きわめ、信じ、用い、報いた。徹頭徹尾、人を生かした。いろんな事業に力を入れ、稼いだお金は部下にばらまいた。
袁世凱の下に張作霖は入り、38歳の若さで中将位の師団長となった。奉天最大の武人であった。張作霖は、日本との対立を慎重に避けた。張作霖は、44歳にして名実ともに「東北王」になった。
日本政府は、張作霖を完全には信用しなかった。張作霖は、日本の支援を得たいとき、困ったときには、日本との協力を口にする。だが、張作霖は、満州で日本が権益を拡大しようとすると、表面では笑顔を見せながら、のらりくらりと、裏では頑強に抵抗した。満州では、外国人への土地家屋貸借を禁じる条例が次々に施行されていった。
張作霖にすれば、何かと口実を設けて権益を拡大しようとする日本にフリーハンドを与えるわけにはいかない。中国では親日的であることが「売国」行為と見なされつつあった。義俠を誇る張作霖にとって、中国人から売国奴呼ばわりされることは耐えられない屈辱である。
張作霖は、若いころから、ためらうことなく新兵器を採用した。機関銃を導入し、迫撃砲を外国から買いいれた。
ソ連と国境を接し、その力や冷酷さ、詐謀を目にしてきた張作霖は、ソ連と共産党を恐れ、心底から嫌っていた。
1927年6月、張作霖は北京で大元師となった。国家元首である。
張作霖暗殺のシナリオは、張作霖を殺し、治安が乱れたところで関東軍を出動させ、一気に満州を制圧するというものだった。日本の朝鮮軍から呼び集められた工兵隊が橋脚の上部に200キロの黄色爆薬を仕掛けた。張作霖の乗っていた車両は吹き飛ばされ原形をとどめていなかった。張作霖は10メートルも飛んでいたが、まだ生きてはいた。亡くなったのは4時間後だった。起爆スイッチを入れたのは、鉄橋から300メートル離れた監視所にいた独立守備隊の東宮(とうみや)鉄男(かねお)大尉だった。亡くなったとき、張作霖は53歳だった。日本軍は爆破「犯人」として中国人3人を捕まえようとして2人を殺したが1人に逃げられた。この3人は日本軍に騙されたカムフラージュ用の浮浪者だった。逃げた1人は、張学良のもとに駆け込んで、すべてを話した。
張作霖を抹殺すれば満州問題は解決するというのは河本大佐らの甘い期待は、妄想でしかなかった。
日本政府は、日本軍の手による暗殺事件だと判明しても、それを発表することは出来なかった。国際社会からの批判を恐れて、満州某重大事件として、あいまいにしてしまった。
やはり、正すべきときに正しておかないと、あとで大変なことになるというわけです。
今の「森友学園事件」だって、権力行使の事実を明らかにすることが何より大切なことで、うやむやにしてはいけないということです。
大変な力作ですので、戦前の満州に関心のある人は強くご一読をおすすめします。
(2017年4月刊。2600円+税)

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