アメリカ
2007年01月17日
大統領の品格
著者:宮本信生、出版社:グラフ社
外務省に入り、キューバやチェコの大使も歴任した元外交官が、ブッシュ大統領を厳しく糾弾しています。
この本のオビには、元外務事務次官で駐米大使もつとめた人が推薦文をのせています。日本にも心ある外交官がいたことを知って、少しは安心します。いつだってアメリカの言いなり、対米追随外交で定評のある日本ですが、少しは気骨のある人もいるということなのでしょう。
ブッシュはその願望に反し、アメリカ史上最低の大統領として適しに名を残しかけている。ブッシュ大統領は、偉大な大統領という個人的目的達成のためには手段を選ばない。その結果、彼我に多大の死傷者を出し、しかも平然としている。イラクにおけるアメリカ兵の死者は9.11の死者を上まわり、3000人を超えてしまいました。
この傲慢な自己中心主義者とその側近は、平和に対する罪に加え、通例の戦争犯罪、人道に対する罪の下でも、その責任が厳しく問われて然るべきである。
公の場に出てくるたびにスター気取りで新しく豪華なスーツを着用しているライス国務長官は、その背後にある優越感と傲慢をまず除去する必要がある。ライスは、メイドか付き人のようにブッシュに忠実な非白人である。
西暦2世紀に書かれた、「ローマ皇帝伝」において、傲岸不遜なカエサルは暗殺されて当然だと断じられている。ローマ皇帝にしろ、独裁者にしろ、テロリストにしろ、また自由・民主主義を標榜する「皇帝的」大統領にしろ、その傲慢に起因する背徳性、違法性、自己中心主義のために、結果的に、無辜の民を大量に死に追いやる為政者は万死に値する。ブッシュ大統領は、ビンラディンやサダム・フセインと同罪である。
うむむ、胸のすくような判決です。
ブッシュは、裕福で甘い両親の下、無理が通る環境で育ったためか、自己中心主義的で、わがままな幼児性を大人の世界にまで持ち込んだ感がある。長じて、それは傲慢となったように思われる。
アメリカは今、人も物も、電話による会話も、ことごとく国家の監視下に置くことによって、テロの国内への浸透を食い止めることに、とりあえず成功している。しかし、将来に向けて成功し続ける保証はどこにもない。テロは極度に予知しがたい。テロの根源を除去すべきであるのに、現状は蚊が発生する汚水を清掃することなく、そこから発生する蚊を一匹一匹たたき殺すか、都市全体に蚊帳を張りめぐらしているようなものである。まずなすべきことは、反米テロが発生する汚水を清掃すること。汚水とは、アメリカの傲慢である。
よくぞここまで言ったと思われるほど、ブッシュ大統領を明快に裁いた本です。日本人は、一刻も早く目が覚めるべきだと私はつくづく思います。
2007年01月26日
テスタメント
著者:ジョン・グリシャム、出版社:新潮文庫
出だしからあっと言わせます。
世界的な大富豪が自分の書いた遺言書を前に3人の精神科医から質問を受け、その様子はビデオで撮影されています。大富豪はまったく正常です。ところが、精神鑑定が終わったところで、その大富豪は別の自筆遺言状を取り出し、署名するのです。そして、そのまま窓の外へ飛びおり自殺します。うーん、なんということ・・・。
小説は、この最後の遺言書が有効かどうか、有能なアメリカの弁護士たちが何組も登場して、この自筆遺言状を無効のものにするため策略を練るところから展開していきます。
3人の精神科医を解任し、大富豪は実は精神的に正常ではなかったという召使いの偽証が成功するかのように思えます。何回も何回もリハーサルを重ねて、完璧に嘘を塗り固めようとします。しかし、所詮、嘘は嘘。たちまちバケの皮をはがされてしまうのです。アメリカの有能な弁護士たちは、まさしく顔が真っ青。
アメリカの民事裁判のすすめ方は日本とはかなり違うようです。正式な事実審理の前に裁判所で証人調べがあるのです。ここで相手方の弁護士の反対尋問にさらされます。そこをパスできなければ、次へ進みようがないわけです。
アメリカの弁護士にも、もちろん守るべき弁護士倫理があるわけですが、倫理を足蹴にして高額の弁護士報酬を得ようと狂奔する醜い弁護士たちが描かれています。これは、あくまでも小説です。でも、日本でも身につまされる話になってきましたね。
2007年02月09日
ハーバードMBA留学記
著者:岩瀬大輔、出版社:日経BP社
東大在学中に司法試験に合格し、卒業したあとハゲタカ・ファンドと呼ばれるコンサルタント会社に就職し、それからハーバード・ビジネススクールへ留学した青年の体験記(ブログ)を本にしたものです。あのハーバードで成績上位5%の優秀性だったというのですから、すごい秀才であることはまちがいないのでしょう。それでも、そんなに優れた日本の著者が、ビジネススクールへ入っていかに金もうけをするかしか念頭にないかのように見えるのは残念なことだと、つくづく思いました。
社会的弱者の存在に温かい目を向け、その人たちとの連帯をどう考えていくのかを自らの課題とする。また、自然環境の保全に身を挺するなかで自分の生き甲斐を探る。そんな方向に日本の優秀な若者の英知を向けられないものなのでしょうか。
お金は所詮はお金。あればあるだけムダづかいするという人のなんと多いことでしょう。
前にアメリカのMBAは、実は企業にまったく役に立っていないと厳しく批判したMBA教授の書いた本を紹介しました。実は、私もまったく同感です。
アメリカのMBAについて私が反感を抱くのは、MBAを卒業して経営者として成功した人たちの報酬が、とてつもなく高いという点です。著者も、この点については、次のように批判しています。
それにしても、アメリカの経営者の報酬は高すぎる。社長が就任して数年たつと数千万ドルから1億ドルの報酬を普通に受けとっている。アメリカも決して昔からこうだったわけではない。アメリカの底辺労働者は日本と同等かそれ以下の給料しかもらっていない。それなのに、トップは100億円の報酬をもらっているなんて、これだけでもアメリカとアメリカのMBAが飢えた野獣を放置しているような野蛮な国だということが分かる。
著者は日米の医療サービスの質を次のように比較しています。
お金持ちにとっては、アメリカが圧倒的に上。しかし、普通の人や低所得層にとっては、日本は夢のような国だ。日本の医療は、全国津々浦々、所得に関係なく医療サービスを低コストで提供してきたという点で素晴らしい。
ホント、そうなんです。ところが、小泉・安倍と歴代の自公政権は日本の良さを破壊し、アメリカ並みに引き下げようとしています。本当に困った連中です。
この本は、日本の学校給食は世界に類のない素晴らしい制度だと絶賛しています。幼稚園でピザとコーラを食べているアメリカの食生活の貧しいことといったらありません。
アメリカでハリケーン・カトリーナが襲ったとき、真っ先に逃げ出したのは営利の病院スタッフであり、最後まで残って市民を介護し続けたのは非営利の病院だった。なーるほど、ですよね。
なんでもお金が万能。そんな生き方を礼賛するMBAって、本当に人間社会に必要なのでしょうかね・・・。
2007年03月20日
証券詐欺師
著者:ゲーリー・ワイス、出版社:集英社
振り込め詐欺の黒幕が暴力団だということは、五菱会事件における暴力団山口組との結びつきが明らかになって、今では広く知られています。
先物取引や株式取引の仕手戦その他のインチキ取引でも暴力団が絡んでいると思われますが、その確証はまだまだ十分とは言えません。
この本は、アメリカの証券業界(ウォール街)における詐欺商法がマフィアの資金源となっていたことを明らかにしています。読めば読むほど、おぞましい手口です。こうやって、日本でもアメリカでも、お人好しで無知・善良な市民が大金を欺しとられているのですね。
ノドから手が出るほど金に飢えているルイスのような人間が、大金を手に入れるには、お金は既にたっぷり持っているかのような見てくれが肝心だ。腕時計はプラチナ仕上げのロレックス・プレジデンシャル。文字盤の周囲にダイヤがはめこまれた逸品だ。1万 7000ドルはする。スーツも一着2000ドルするのを仕立てた。
しゃべり口調はニューヨークの下町なまり丸出しだが、物腰は丁寧で、そつがなく、辣腕ブローカーというそぶりはみじんも見せない。初めて会う人は、その整った身なりと、物腰に上品さを感じる。
狙ったお客と話すときには、物理的な接近が親近感を生む。親近感は大金を引き出すのに必要不可欠だ。財布の口をこじ開けるのにつかうのは舌先三寸のみ。
小企業の超低位株を扱う証券会社をチョップハウスという。外から見る限り、普通の証券会社と何ら変わらない。バケツショップとは無認可営業のブローカーのこと。
1990年代のアメリカにおいて、チョップハウスの詐欺行為は前代未聞のスケールで、しかも公然と行われた。その収益は年間100億ドルにのぼると見積もられた。
チョップハウスとバケツショップは、ウォール街の公然の秘密だった。
マスコミの餌食になるな。世間の注目を浴びるのは禁物。
ボールドルームは、普通は役員室を意味する。しかし、いわゆるクズ株を商うチョップハウスでは、ブローカーや電話勧誘係が詰めている大部屋だ。
朝7時から夜11時まで休みなしで働く。電話をじゃんじゃんかけまくる。
これはセールスの電話じゃないと、真っ先に告げる。「今日お電話したのは、いずれこちらからとっておきの情報をお知らせできるよう、お宅様がどういった投資に関心がおありか、うかがおうと思いまして」と言う。簡単な仕事だ。要は、相手の心を開かせ、話を聞く気にさせて、ブローカーに受話器を渡せばいい。
相手が興味がないとか言ったら、さっさと電話を切る。そして30秒してもう一回電話をかける。
「さっきは失礼しました。こんな有利な話をお知らせしておきながら、あっさり引き下がるなんて、どうかしてましたよ。絶好のチャンスです。・・・」と、とにかく相手が買う気になるまでしゃべりまくる。
いやあ、これって日本でもまるで同じ手口ですよね。というか、アメリカの手口をそのまま日本に輸入したのですね。
投資家連中のお間抜けぶりは不治の病だ。個人投資家なんてのは、馬鹿ばっかりだ。
顧客リストは、大手会社のそれを横流ししてもらう。
電話一本で、相手が何者かもわからないのに、100万ドルを見ず知らずの人間にほいほい送ってくれるんだ。売っては買い、売っては買いをどんどん差し引いていく。残高が3万ドルまでいったところで、あとはごっそり手数料の形でパクってしまう。
あれあれ、これも日本の先物取引のだましの手口そのものですね。
3000人に電話して、2000人は引っかかる。こんな楽な商売って他にない。名簿にはずいぶんお金をつかった。数千人分だと1万ドルかかることもある。ひとりあたり2ドル払ったこともある。
ブローカー何人かで組んでワラントの相場を操縦した。それで、誰をもうけさせ、誰をカモにするかは、ルイスの胸三寸だった。誰もが得をする。そんなバカな話があるはずもない。お金には必ず出所がある。
ルイスはお客を無名人と有名人の2種類に分けた。狙いはセレブから何百万ドルもの大金を引き出すことにある。彼らをおびき寄せるには、餌がいる。取引で損をかぶるのは常に無名人で、セレブは常に勝ち組にまわる。
客なんて特別扱いにされたい奴ばっかり。あんたがいちばん大切な客だって持ち上げとけばいい。
本気で大もうけできると信じている連中のお金を巻き上げるから、ときには後ろめたくなることもある。そんなときには、何を今さらくよくよしているんだ、ほいほいお金を送ってくるような間抜けが相手なんだから、気にすることなんかないと、自分に言い聞かせるんだ。
こうやってルイスは20歳で巨額のお金を手にします。そして、それにマフィアが目をつけ、ルイスの上前をはねるのです。一度マフィアに頼ったら、もう抜けることは出来ません。
マフィアは刑務所暮らしをなんとも思っていない。受刑という代償を払うからこそ地位と権力と自由をほしいままにできる。だから、誰かが他人様から盗んだお金を平然と巻き上げる。
ウォール街にひしめくブローカー業者は、特定のファミリーに牛耳られてはいない。ウォール街で重要なのは個人対個人の関係、つまり、どのマフィアとどのブローカーがつながっているかだけ。
チョップハウスで働く若者やマフィアを潤していたマネー・ロンダリングは、主にロシア出身のユダヤ人とイスラエル人の手で行われていた。
バケツショップは、客からお金をただ取りするだけで、株を仕入れてもいない。書類もあまりつくられない。書類がなければ犯罪の証拠もないから、取り締まりようもないということだ。
この本を読むと、マフィアがアメリカからなくなったなんてとんでもないということがよく分かります。それは、まるでウォール街全体をマフィアが裏から動かしているように見えてくるほどです。日本の株式市場の仕手戦にも暴力団の影が見え隠れしていますので、アメリカも日本も同じことなんでしょうね。それでも、ホントいやになりますよね。
2007年03月27日
日本は略奪国家アメリカを棄てよ
著者:ビル・トッテン、出版社:ビジネス社
ついに母国アメリカの国籍を捨ててしまった元アメリカ人による警鐘の書です。うんうん、大きくうなずきながら最後まで一気に読んでしまいました。
著者は1941年生まれのアメリカ白人です。私がまだ大学生のころの1961年に日本にやってきて以来、日本に住んでいて、日本で会社を経営しながら、京都に住み、ついに2006年に日本へ帰化しました。在日38年目のことです。
著者は、その前、アメリカに帰国するとき、要注意人物としてブラックリストにのせられ、空港では徹底した身体検査を受けたといいます。テロ防止法の対象者とされたわけです。ひどい話ですね。アメリカ政府を単に批判したというだけなのに・・・。
日本政府は在日米軍基地を維持するために、年間5000億円を負担している。在日アメリカ軍兵士1人あたり1400万円。日本政府が日本国民1人あたりにつかっている社会保障費はなんと、その100分の1の13万円でしかない。にもかかわらず、アメリカ軍が日本を守ってくれる保障は何もない。
日米安保条約があるから、アメリカは日本を守ってくれるというのは、実は脳天気な幻想に過ぎない。
つい最近、福岡県内の築城基地にアメリカ軍がやってきて演習をはじめました。ついに本土が沖縄なみになったわけです。
アメリカ軍の公務中による民間人への損害賠償について、日米地位協定では、アメリカだけに責任があるときの賠償金は、アメリカが75%、日本が25%を負担することになっている。アメリカだけに責任があっても、日本は賠償金を分担させられる。いかにも不平等な協定である。これには、私もまったく同感です。
アメリカでは、低所得層の家庭に生まれた子どもが、所得の上位5%の階層へと行ける確率はわずか1%。残る99%は、そのまま低所得層にいるか、せいぜい中所得層に上がるのが現状だ。それに対して、上位5%の階層に生まれた子どもが成人してもそのままの階層に属することができる確率は22%。まるで違う。
アメリカでは、貧しい家に生を受けた人は、生涯貧しい。いつも解雇に怯え、公共料金の支払いを危惧し、医療保険にも入れない。努力すれば幸せになれるという夢や希望は、微塵もない。ところが、裕福な家に生を受けた人は生涯、裕福な人生を送ることができる。そして、生涯、快適に安全に人生を満喫するために、一度得た権利を決して手放そうとはしない。
アメリカの二大政党というのは、実は表面だけで、その実体は一党支配に思える。共和党も民主党も、政策は似たり寄ったりである。表向きは違う顔をした政党だが、資産党ないし富裕党という、一つの大政党しか存在していない。
資産党(富裕党)の中に、共和派と民主派という二つの派閥があって、政権交代は単なる派閥争いにすぎない。そして、いずれの派閥(党)も、戦争が好きだ。クリントンになって以降の民主党は、民主党という看板を掲げた共和党になったという実感をもっている。
資本主義とは、資本家の所得や富を最大限にするためのシステムである。たしかに清算や消費は増大するが、地球環境に余計な負荷がかかってしまう。山や海、川は汚染され、ゴミは増え、石油などの地下資源は一層すくなくなっていく。資本主義はまったく不完全なシステムだ。
私は昨年、突然、花粉症になってしまいました。今年も、目や鼻がやられてしまいました。鼻の詰まりがひどいのです。人間って、鼻で息をしていることを、しみじみ実感させられてしまいました。この花粉症にしても、単にスギ花粉の大量発生だけでなく、ディーゼル黒煙など、大気汚染がバックグラウンドに必ずあると私は考えています。そうでないと、昔から花粉はあったのに、なんで、現代人が大量に花粉症にかかって悩まされているのか、十分な説明がつかないと思います。いかがでしょうか?
2007年04月06日
不都合な真実
著者:アル・ゴア、出版社:ランダムハウス講談社
地球環境は人間が悪化させていることを視覚的に訴えた写真集のような本です。アル・ゴアはクリントンが大統領のときの副大統領で、現ブッシュ大統領と接戦の末、当選できなかった人物です。アメリカの団塊世代の一人でもあります。
映画も公開されましたが、私は見ていません。世界的に評判になったあと、アメリカでは、ゴアも自宅ではエネルギーの無駄づかいをしていると問題にしたグループがいました。事実かもしれませんが、アル・ゴアが告発している資源の乱費、そして地球環境の悪化は事実だと思います。みんながライフスタイルを見直すべきだというのは、まさにそのとおりです。
ただ、アル・ゴアはアメリカ保守層のチャンピオンとしての限界があるせいなのか、マックなどのファースト・フードそして世界的大企業が環境悪化を加速させている促進要因であることを問題にしていないのが残念です。
地球の温暖化の例証として、写真がいくつも紹介されています。キリマンジャロの山頂に山岳氷河がなくなってしまった。スイス・アルプス、アラスカなどの氷河がすっかり消えたり、大きく後退している写真には息を呑みます。
巨大ハリケーンが次々に発生してアメリカを襲った。
地球全体の降水量は20世紀に20%増加した。しかし、逆にアフリカのサハラ砂漠などでは降水量がひどく減っている。
温暖化のため、北極も南極も氷が減っている。
南極の皇帝ペンギンを描いたドキュメンタリー映画「皇帝ペンギン」は実に感動的でしたが、実はこの50年間に70%も減ったという。恐ろしい。
地球を夜、衛星からとった写真が紹介されています。日本は夜でも明るい。もちろん、北アメリカも明るい。ところが、アフリカや南アメリカなどでは、火が燃えて赤くなっている。森林の破壊がすすんでいることを意味している。
アメリカは京都議定書を今なお批准していない。先進国ではアメリカとオーストラリアのみ。アメリカの我がまま勝手は許せませんよね。
庭に植えているタラの木の芽を初めて食べました。昨年は、芽がぐんぐん伸びているのを、あれよあれよと見守っていて食べ損ないました。タラの芽を天プラにして食べたのですが、柔らかくてとても美味でした。少しばかりえぐみも感じましたが、それがかえって春を感じさせてくれました。アスパラガスもついでに天プラで食べてみました。わが家の庭のチューリップは相変わらず毎朝、目を楽しませてくれます。2週間はたっぷり楽しめます。
2007年04月26日
人が人を裁くとき
著者:ニルス・クリスティ、出版社:有信堂
裁判員のための修復的司法入門というサブ・タイトルがついています。ノルウェーの学者による本です。ノルウェー事情も少し知ることができました。
日本とノルウェーは似ている。日本の人口10万人あたりの囚人は60人。ノルウェーは69人。いずれも極めて低い。ヨーロッパは通常、人口10万人あたり100人前後で、ロシアで569人という多さ。アメリカは、それよりもっと多くて、なんと763人。アメリカの刑務所人口を増やし続ける犯罪政策は、ナチスのホロコーストに類似していると厳しく批判しています。
ノルウェーでは、民事事件は、市町村における調停を経なければ裁判所に訴えることができないという調停前置主義がとられている。これは江戸時代の日本と同じですね。
ノルウェーでは、市町村ごとに刑事調停委員会がつくられており、主として少年犯罪を対象とし、一般市民から選ばれた調停員が斡旋することにより、加害者と被害者とが面談し、双方の合意が成立すれば起訴しないという刑事調停委員会が機能している。
アメリカでは囚人は210万人いる。このほか、保護観察や仮釈放など監視下にある人々が470万人いる。それを加えると680万人となり、これは10万人のうち2267人にもなる。これは人口の2.4%を占める。青壮年の男性(18〜44歳)に限って比率をみると、なんとその12人に1人が刑罰法令の監視下で生活している。
ロシアは囚人が減っている。2003年1月の囚人は86万人であった。
なぜ、アメリカでこのように爆発的に囚人が増えているのか。その原因の一つに、アメリカ中産階級の功利主義的な世論がある。
アメリカが犯罪が増加しはじめたのは1975年ころから。
アメリカでは、ここ15年間ほど、毎年1000人規模の刑務所が1000ヶ所ほど増設されている。それにともない、刑務所関連の建設・給食・警備などの刑務所依存産業が急成長し、それが囚人数増加への加力団体となっている。
刑務所が民営化すると、刑務所の公共的機能よりも、事業収入が刑務所産業に対する事業評価の基準となる。できるだけ少ない人員、経費、設備で、できるだけ多くの囚人を収容し、それを効率的に管理することが刑務所産業の目標となる。囚人数の減少は経営を悪化させる。犯罪があるから刑務所があるのではなく、刑務所があるから囚人が増加する。判断基準となるのは、犯罪人を放任した場合の犯罪取締の費用と、それを刑務所に収容した場合の費用との比較なのである。犯罪は、もはや矯正の対象ではなく、戦いの対象となり、隔離すること自体が目標となっている。
犯罪処罰手続は効率化され、刑罰量定表がつくられている。そこでは刑罰を緩和する事情は一切考慮されず、逆に犯罪状況はすべて刑罰を加重する事情として考慮される。
アメリカには選挙権をなくした成人が390万人いて、そのうち140万人は黒人である。これは黒人男性の13%にあたる。彼ら貧困層は選挙権を行使できないため、政治に対する影響も行使することができない。
アメリカでもイギリスでも、自らを、あるいは自分の党を、犯罪と戦うリーダーであると誇示するための激しい競争がある。通常、政治家や政党は、お互いにより厳しい手段を主張しあうのが政策になっている。ほかに残っている見せ場がほとんどないからである。犯罪との戦いが政治家の正当性を主張するのに不可欠となっている。
アメリカは世界でもっとも富める国である。にもかかわらず、福祉の代わりに刑務所を用いる国である。たえず自由について語る国でありながら、世界最大の刑務所を有している国である。
アメリカみたいな国に日本をしてはいけないとつくづく思います。悪いことをした連中はどんどん刑務所に入れてしまえばいいんだ。こういう考えを持つ国民は多いと思いますが、それはすごく危険です。だって、みんないずれ出てくるんですよ。お隣さんが社会への復讐心に燃えていたらどうしますか。やっぱり、いろんな人がいるわけなんですから、それなりに折りあいをつけて生きていくしかありません。
わが家の庭のチューリップは終わりかけ、今はアイリスがたくさん咲いています。青紫と白がほどよく調和した心優しいアイリスのほか、元気溌剌な真っ黄色のアイリスも咲き出しました。ジャーマンアイリスもようやく咲きはじめました。青紫の気品のある花です。アイリスより一段と豪華な雰囲気です。福岡県弁護士会館の通用口のそばに咲いているのは、わが家の庭から持ってきたものです。今が見頃ですから、ぜひ見てやってくださいね。朝、自宅を出るときにはフェンスに咲くクレマチスに向かって、行ってきますと挨拶しています。赤紫色の花です。春はいろとりどりの花が咲いて、いい気分です。
2007年05月10日
もう戦争はさせない
著者:メディア・ベンジャミン、出版社:文理閣
ブッシュを追いつめるアメリカ女性たち、というサブタイトルのついた本です。アメリカの「平和を求める女性たち」の運動は、コードピンクとも呼ばれています。
イラク戦争に送られて戦死した息子をもつシンディー・シーハンの次のような訴えが紹介されています。ブッシュ大統領がハード・ワーク(つらい仕事)と言ったことを受けて、シーハンは次のように言ったのです。
あなたは、テレビで見ているし、毎日、戦死者と負傷者の報告を受けているから戦争のつらさはよく知っていると言ったわね。でも、本当のつらい仕事がどのようなものか、分かってなんかいないわ。つらい仕事というのはね、かけがえのない自慢の勇敢な息子が、現実には何の根拠を今も持っていない戦争に連れ去られてしまって、二度と戻ってはこないことを思い知らされることよ。・・・。
でも、なかでも一番つらい仕事はなんだか分かるかしら。それは、家族が何世代にもわたって忠誠を誓い命がけで戦ってきた国家の指導者が、ウソをついて国民を騙していたという事実を受けとめなければならないことよ。
次は、自爆テロによって一人娘を失ったイスラエルの平和活動家(女性)のロンドンでのスピーチの一部です。
世界のすべての人々は、はっきりした二つのグループに分かれています。平和愛好グループと戦争屋グループとに。いま、地上では悪の王国が支配しています。指導者と名乗る人たちが、民主的手段をもって、神の名において、国家の利益の名であれ、あるいは名誉や勇気の名においてであれ、殺し破壊する権利と好むままに卑劣と不正をおこなう権利、そして若者を殺人屋にしたてる権利を得てきました。
私の娘は自分を殺した若者とならんで眠っています。騙された二人が眠っています。少女は両親と国が自分を守ってくれているから、良い子には誰もひどいことをする人はいないから、安全だと信じて町を横切ってダンス教室に行こうとしたのです。
パレスチナの若者は、自爆テロでは事態を何も変えることはできず、天国に行くこともできないのに、騙されて行けると信じていたのです。
うーん、そうなんですよね。若者を騙し、その未来を奪う大人たちの責任は重いですよね。
ブッシュ大統領は記者会見が嫌いだ。強いられなければ開かない。彼は、記者の座席表をあらかじめもらっていて、それを見ながら、お気に入りの記者を選んで質問させている。
記者たちは、大統領選挙の遊説中に取りこまれ、ごほうびとしてホワイトハウス詰め記者となっていく。選挙中に点数を稼いで、人脈をつくり、親しくなっておく。だから、相手の言うことに挑戦するような質問を避け、初めから自己規制をしている。
アメリカでは、黒人の子ども100万人が貧困生活をすごし、黒人の成人男女100万人が刑務所にいる。毎晩25万人をこえる退役軍人がホームレスとして路上に寝ている。
いやあ、なんど読んでもすごく悲惨な現実です。こんなアメリカを日本が見本とすることのないようにしたいものです。
アメリカでの女性運動の前進に大いに期待します。日本でも負けないように取り組まないと、アメリカみたいに可愛い息子たちを戦死させることになってしまいます。
2007年05月16日
軍産複合体のアメリカ
著者:宮田 律、出版社:青灯社
ブッシュ大統領の一族は、軍産複合体の出身である。ブッシュ大統領の曾祖父のサミュエル・ブッシュはオハイオ州の企業であるバッキー・スティール・キャスティングス社を経営していたが、この会社は兵器を製造していた。1917年にワシントンに移り、連邦軍事産業委員会の小型武器・弾薬・兵站部門のメンバーとなった。サミュエル・ブッシュは、アメリカの軍産複合体の創設に深く関わった人物だった。また、ブッシュ大統領の祖父にあたるプレスコット・ブッシュもアメリカの兵器製造を行う企業に関与していた。
ロッキード・マーティン社がアメリカで最大の軍需産業である。従業員16万5000人という巨大企業だ。1998年の国防総省からの受注額は123億ドルでトップ。第二位はボーイング社の108億ドル。ロッキード・マーティン社は世界最大の軍需産業で、核兵器や弾道ミサイル防衛の分野が主要な企業活動の分野である。2000年には国防総省から150億ドルの契約を得た。さらにエネルギー省から核兵器の開発のために20億ドルの予算を獲得している。
冷戦が終わっても、アメリカ政府が「ならず者国家」「イスラムの脅威」「悪の枢軸」など、「敵の脅威」を強調するのは、軍需産業の価値の低下を恐れるからである。アメリカは、経済構造自体が戦争によって支えられているといっても過言ではない。だから、アメリカは常に「次の敵」を探すことに躍起となっている。
アメリカの軍需産業は、9.11のテロによって多大の恩恵を受けた。その株価が9.11以降、上昇したことにも示されている。巨大な軍需産業のほかに「テロとの戦い」で利益を上げたのは民間の警備会社である。警備会社は、国防総省と関わりをもち、また退役軍人たちが主導的役割を果たし、アメリカの同盟国の軍隊に対する訓練や警察官の養成を行っている。
MPRIは、警備会社の代表的なものであるが、世界中の軍隊の訓練を行い、また、国防総省と契約している。MPRIは元陸軍参謀長のカール・ヴォノによって設立された会社で、20人の元軍幹部が取締役になっている。9.11のあと、このMPRIを所有する会社の株は2倍にはねあがった。
ベクテル社は、イラク復興で最大の恩恵を受けた企業である。戦後18ヶ月間に、6億8000万ドルの契約を確保した。
チェイニー副大統領がCEOをつとめたことがあるハリバートンは2004年に、その株価が3000%も上昇した。ハリバートンはブッシュ政権によるイラク占領と復興事業で数十億ドルの利益をあげた。
アメリカの政府高官が軍産複合体の幹部になることは、アメリカ政府と軍産複合体の癒着ぶりを如実に示している。
アメリカのテロ戦争開始後の軍事費の増加で潤ったのは、ロッキード・マーティン、グラマン、レイセオン、ボーイングといった巨大軍事産業である。
増額された軍事費は、アフガニスタンでの戦争につかわれたというよりも、新鋭の
F/A−18E、F−22戦闘機、現在は消滅したソ連の潜水艦を追跡する目的で計画されたヴァージニア級の潜水艦、トライデントD5潜水艦発射型の弾道ミサイルの購入に用いられた。これらの兵器が対テロ戦争とは何の関係もないことは明らかである。
アメリカの軍需産業は、農業に次いで多額の政府補助金を受けとっている産業である。そして、アメリカ製武器は世界各地に売却され、アメリカ製武器の購入国10位以内に中東の5ヶ国が入っている。エジプト、クウェート、サウジアラビア、オマーン、イスラエルである。
1976年以来、イスラエルはアメリカの経済的・軍事的援助の最大の受領国となり、2003年までに受けた援助総額は1400億ドルにもなった。イスラエルは毎年30億ドルの援助をアメリカから得ているが、それはアメリカの対外援助総額の5分の1を占める。このイスラエルは、アメリカからの経済援助の25%をその国防産業に投資している。イスラエルの労働力の5分の1は軍事関連の産業に雇用されている。イスラエルからイランへの武器売却額は毎年5億ドルから8億ドルであった。
中東は世界でもっとも武器を輸入している地域である。1950年から1999年までのあいだ、アメリカの武器売却先の38%が中東諸国であった。
2005年のアメリカの軍事費支出額は世界全体の48%、1兆1180億ドルだった。
アメリカが軍事力を行使しようとしたとき、私たちは戦争で巨利を得る軍産複合体の存在を想起し、戦争に対して疑義や反対の声を上げ、アメリカの戦争の不合理さを説いていかなければならない。
著者は最後にこのように強調しています。まったく同感です。資料にもとづく説得力ある明快な論理に思わず拍手を送ってしまいました。日本がアメリカに引きずられると、とんでもないことになってしまいます。クワバラ、クワバラです。
2007年05月18日
ナイトフォール
著者:ネルソン・デミル、出版社:講談社文庫
ニューヨークのJFK空港を飛びたった民間飛行機がミサイルによって撃墜される。テロリストの仕業か。しかし、そうではないらしい。では、一体誰がした・・・。
飛行機が墜落していく情景をたまたまビデオ撮影していたカップルがいた。しかし、それは不倫のカップルだったため、名乗り出ることができない。でも、そこをなんとか突きとめないと真相に迫ることができない。ところが、真相究明しようとする一線の捜査官に対してFBI上層部から、なぜか圧力がかかる。一体どうなってるんだ、この国(アメリカ)は・・・。
上下2巻の文庫本ですが、上巻の出しを読んでしまったら、いったいこのジレンマを乗りこえて、どうやって解決にたどり着くのか。その謎ときはどうなるのか。ついつい最後まで引きずりこまれてしまいます。実は、1996年7月17日に実際に起きたTWA800便墜落事故で乗客、乗員230人が犠牲になった話が、ついにはあの2001年9月11日のWTC崩落事故に行き着いてしまうのです。著者の構想力のすごさに、思わず、うーんと唸ってしまいました。
暗転する大国アメリカの闇を描く大傑作小説というオビの文句も、あながちウソではありません。
5月の半ばとなり、雨が降ったあと、蛙の鳴き声を聞きました。下の田圃もそろそろ田植えの準備が始まります。田圃に水をはると、蛙たちが一斉の鳴きはじめます。求愛の歌だそうですので、やかましいけれど我慢するしかありません。わが家の門柱のくぼみに小さなミドリ蛙が棲みついています。インターフォンを押す横にいて、顔だけのぞかせています。まるでわが家の守り蛙みたいです。
借りまくる人々
著者:ジェイムズ・D・スカーロック、出版社:朝日新聞社
アメリカのクレジット依存症社会の実情を紹介した本です。
かつてのアメリカでは、黒人や移民といったマイノリティが質素に倹約をして生活しているコミュニティが存在し、倹約と勤勉によって強い絆で結ばれた中産階級の地域ネットワークを作りあげていた。ところが、この地域コミュニティやネットワークは、「お手軽な」クレジットが怒濤のように流れこんできたために、わずか数年で崩壊してしまった。それほど豊かでない地域では銀行に代わって、小切手換金所や質屋といった消費者金融と小口の高利貸しが軒を連ねている。
借金の文化の基本は恐怖の文化である。秘密にせず堂々とさえしていれば恐怖を感じないですむなどとは、現実を知らない単純な考え方である。
取り立て業は消費者の愚かさを利用する。回収代行業界には100万人もの業者がいる。その数は10年間で2倍に増えた。この業界の転職率は非常に高い。月末にノルマを達成できない場合は即座に解雇される。クレジット会社が年に何度も取り立て業者を代えるのもまれでない。
最近のテクノロジーは革新的で、債務者が電話に出ると、回収代行業者の手元のスクリーンには、債務者のクレジットの明細が自動的に表示される。これによって業者が債務者の困窮状態を知ることができるし、また債務の完済に利用できる別のクレジットカードも画面に示される。回収業者がまず探すのは、限度額に達していないクレジットカードで、まだ残高があれば、それで借金を支払ってもらうことができる。大部分の人は急病や失業などの不測の事態にそなえて、この残高には手をつけないようにしている。それを回収業者から隠しおおせるものではなく、確実に取り立てられてしまう。回収業はどうやっても債務者を追いつめ、支払わせる。
取り立て業で成功するには、相手をいかにたくみにだますかにかかっている。電話の相手に対して返済の義務があると思わせることである。経験のある回収代行業者なら、相手に返済の倫理的義務を追及しているものと思いこませることができる。回収代行業者は、自分が実際の債権者であるかのように振る舞う経験を積んでいる。取り立て屋の手取りは回収分の20〜50%だ。
秘訣は、相手をどこまで追いつめられるかだ。甲板の端まで追いつめれば、彼らは恐怖からパニックに陥る。そこで引き戻してやれば、欲しいものは何でも手に入る。狙いは債務者がひた隠しにしておいた貯え、つまり緊急時に備えて貯えておいた資金である。
アメリカの連邦破産法の改正は、債務から解放されたいとする人に、一律に資産調査を義務づけている。これによって申請者の半分以上が排除される。また、破産を検討している者は、申立前の6ヶ月間は自費でクレジットの相談を受けなければならなくなった。
破産は基本的には中産階級のためのセーフティネットのはずだった。
アメリカ人の2000万人から4000万人が銀行口座を持っていない。
アメリカでは年間150万人もの中産階級が破産申立をしていました。それを止めようとするのが今回の連邦破産法の改正です。そんなに政府の狙いどおりうまくいくものか、しばらく様子を見守りたいと思います。
2007年05月25日
陰謀論の罠
著者:奥菜秀次、出版社:光文社
9.11テロはアメリカの自作自演だというビデオは私も見ました。全面的に信用したわけでは決してありませんでした(アポロが月世界には実はおりていないという説については、一時、まんまと信じこまされてしまったのですが・・・)が、どうもおかしいところがあるとは思っていました。でも、この本を読んで、なーんだ、そういうことだったのかと、納得できました。9.11がアメリカの自作自演でないこと、そして、この陰謀論は反ユダヤ団体がかきたてているものだということを知りました。実に説得力ある本です。
著者は日本で最強のオタクを自称しています。いったい本業は何なのでしょうか。9.11に関する報告書全文を読んだというのですから、それだけでもすごいものです。
WTC(世界貿易センター)の残骸はスクラップとして外国に輸出された。しかし、それは証拠隠滅工作ではない。大事な部分は保管されている。そして、瓦礫のなかから、ボーイング機の残骸、乗客の遺体や持ち物が見つかっている。
陰謀論はWTCに衝突したのは軍用機だというけれど、ボーイング機だということです。この点は、私も信用していませんでした。
WTCをつくった設計者はボーイング707を想定して、707が衝突したくらいでは大丈夫だと考えていた。しかし、767は707よりも、タテも横も1割長く、重さで2割も重い。だから、767の満タンのガソリンが燃え上がったこともあってWTCが崩壊したのは合理的な説明が可能なのだ。
ペンタゴンに突っこんだボーイングの残骸がなく、開いた穴と機の形状があわないという指摘がある。実は、この点を私も疑ったのです。しかし、実は、ペンタゴンに開いた穴はボーイングの形どおりだったし、機の残骸はそこらじゅうに散らばっていた。機長を殺めたカッター、自分証明書、お金、宝石、遺体の一部も見つかっている。子どもの靴、小さなスーツケース、動物のぬいぐるみ、制服を着た搭乗員の遺体の一部も見つかった。そして、ボーイングの機体にみあう穴があいていたのです。
ユナイテッド93便については、回収された遺体のうち、10数人は身元が判明した。これは遺体の指紋や歯科治療記録にもとづく。単に穴があいているだけではない。
乗客は携帯電話ではなく、機内電話をつかって地上へ電話をかけて話した。
テロリストたちが飛行機を操縦できた理由については、通常のハイジャックと違って、着陸とか離陸という高度のテクニックを必要としなかったことがあげられています。
目を開かせる本でした。うかうか騙されないようにしないといけませんね。
2007年06月04日
アメリカを揺り動かしたレディたち
著者:猿谷 要、出版社:NTT出版
著者には大変失礼なのですが、どうせアメリカのファースト・レディたちを天まで高く持ちあげるばかりの本かなと思って全然期待しないまま読みはじめたのでした。ところが、意外や意外、大変に面白いアメリカのレディーたちの話が満載でした。
帝国主義国家、世界の憲兵気取りのアメリカのなかでも、人種差別に反対し、民主主義と弱者のために全身全霊うちこんでたたかう女性たちの伝統が、昔も今も根強く生き続けているのですね。読んで、うれしくなりました。
ポカホンタスというアメリカ先住民の女性の名前は聞いたことがあるだけでした。
ときは1603年です。日本では関ヶ原の戦いが終わり(1600年)、徳川家康が江戸に幕府を開設した年です。イギリス人がアメリカにやって来て、餓死寸前の状態になったとき、先住民のインディアンが救いの手を差しのべました。そのときの首長の娘がポカホンタスです。やがて逆にイギリス側に捕らえられ、植民地のなかで英語を教えこまれ、キリスト教を信じるようになり、名前もレベッカと変えるのです。そして、ポカホンタス19歳のとき、イギリス人青年と結婚し、子どもを生みます。イギリスに渡り、国王とも会見します。ところが、天然痘にかかって、わずか22歳でなくなってしまいます。
アメリカ大陸の先住民は、天然痘やチフス・インフルエンザなどへの免疫力をまったくもっていなかったため、次々に死亡し、人口が激減したのです。
ストウ夫人の『アンクルトムの小屋』は、私は小学生のころ、ラジオの読み聞かせ番組で聞いていたように思います。この本にはストウ夫人も紹介されていますが、同じころ、奴隷救出に生命を賭けていたハリエット・タブマンという黒人女性をここでは紹介します。ハリエット自身も奴隷の生まれでした。そのころ、アメリカ南部から北部へ黒人奴隷を逃亡させるための地下鉄道が組織されていました。ハリエットも、その車掌に救われたのです。地下鉄道といっても、地下鉄ではなく、線路を走る鉄道でもありません。秘密裡に黒人を安全な北部へ脱出させる人々のことです。
そして、ハリエットは、今度は救う側にまわります。10年間にメリーランドに潜入すること19回、あわせて300人もの奴隷の救出に成功したというのです。たいしたものです。当時、メリーランドの奴隷所有者はハリエットの首に4万ドルの賞金までかけていたそうです。
フランクリン・ローズヴェルト大統領夫人のエレノア・ローズヴェルトも注目すべき女性だと思いました。エレノアは幼いころに両親に死別し、厳しいしつけを受けたので、内気でおどおどした、愛情に飢えた少女だったというのです。
ローズヴェルトは、小児マヒにかかり、脚がマヒした。そのうえ、秘書との浮気もあった。しかし、エレノアは離婚せず、大統領である夫を支えた。たとえば退役軍人たちが政府に抗議行動を起こしたときには、エレノアはそのなかに乗りこみ、話し合い、一緒に歌をうたった。エレノアは国連のアメリカ代表の一人になり、国連の人権委員会の議長にもなって、広島の原爆被災地をはじめヨーロッパの戦禍の跡はほとんど見てまわった。
すごいものですね。日本でいうと、三木元首相の奥さんが平和憲法擁護という革新的立場で活躍しておられるのを知っていますが、ほかに誰かいるのでしょうか?
同じくフランクリン・ローズヴェルト大統領を支えたもう一人の女性が紹介されています。フランシス・パーキンズです。
フランシス・パーキンズは大学を卒業したあと中学校の教員となった。しかし、それにあき足らずにシカゴへ向かった。貧しい人たちのセツルメントで働くようになったのです。私も大学生時代、セツルメント活動に没頭していましたので、とても共感を覚えました。そして、ここでの経験を生かして、労働長官に指名され、就任するのです。アメリカで初めての女性閣僚でした。フランシス・パーキンズは、1935年に社会保険法を成立させた。このときまで、アメリカには養老年金や失業保険の制度がなかった。彼女は、シカゴでのセツルメント運動をしていたときの夢を実現することができた。
フランシス・パーキンズは、アメリカ史上に残る不況時代の労働長官として、12年間FDRの下でがんばった。すごいアメリカ女性がここにもいました。アメリカの民主主義はこういう人たちに支えられてきたのですね。
1870年に憲法修正15条によって黒人に参政権が認められた。しかし、それは男性だけだった。黒人奴隷の解放をめざしてたたかった白人女性には、まだ選挙権が認められなかった。女性の選挙権は、第一次大戦が終わったあとの1920年のこと。
レディー・ファーストは偽善的な性格をもつもの。強者である男性が弱者である女性へのいたわりと庇護なのである。アメリカは、今も昔も、完全に民主主義が貫いている国ということでは決してないのです。もちろんアメリカに学ぶべきところは多々あります。しかし、アメリカ一辺倒というわけにはいきません。
2007年06月12日
イラク占領
著者:パトリック・コバーン、出版社:緑風出版
イギリスの勇気あるジャーナリストがイラクのバクダッドで取材を続けていて、アメリカによるイラク戦争後のイラクの実情をレポートした貴重な本です。思わず居ずまいをただして読みすすめました。本当に悲惨な現実がそこにあります。こんなひどいイラク占領に日本は加害者として加担しているのです。情けない話です。いったいテレビや大新聞のジャーナリストはどうして沈黙を守り続けるのでしょうか。イラクで日本の航空自衛隊が何をしているのか、ぜひとも報道してほしいと思います。
1991年の湾岸戦争でパパ・ブッシュが国連の支持を背景に多国籍軍を率いて完勝できたのは、中東をイラクのクウェート侵攻以前に戻すという、いわば保守的な戦争だったことが大きい。それは世界が慣れ親しんでいた原状回復のための戦いだった。だから、支持は世界中から、中東の内部からも集まった。しかし、20年後、息子ブッシュが始めた戦争は、とんでもなくラジカルな企てだった。世界の権力バランスを変えてしまうものだった。アメリカは単独で産油国を征服しようとした。アラブ世界でもっとも強大な国だったイラクを植民地として支配しようというものだった。
ブッシュの終戦宣言(2003年5月1日)から3年たった。アメリカ軍はこれまで2万人もの死傷者を出しているが、その95%がバクダット陥落以降である。今でも毎月 100人以上のアメリカ兵が死んでいます。前途あるアメリカの青年たちが、イラクの民衆の憎しみを買って殺されているのです。しかし、イラク人の死者が桁違いに多いことも忘れるわけにはいきません。
イラク戦争がベトナム戦争とよく似ているものの一つにゲリラ戦法がある。即席爆発装置(IED)は、重砲弾を数発、ワイヤでつないで、路肩に埋め、有線あるいは無線でリモートコントロールして爆発させるものである。アメリカ軍の死傷者の半数はこの犠牲だ。
アメリカはイラク人の基本的な生活レベルの向上に失敗した。
サダム政権下ではイラク人の50%が飲料水にありつけたが、2005年末には32%。電力供給も、石油生産も同じ。労働力の50%以上が失業している。仕事のない数百万の怒れる若者たちは、絶望のあまり、武装勢力に入るかギャングになるしかない。
アメリカの統治者のいる安全なグリーンゾーンに入るためには8ヶ所もの検問所をくぐり抜ける必要がある。グリーンゾーンとそれ以外のイラクとの違いは、サファリパークと本物のジャングルの違いだ。
イラク社会とは、中央政府への忠誠以上に地域的な忠誠心の網の目である。スンニ派、シーア派、クルドの三大社会がある。しかし、イラクの人々は部族とか氏族とか血縁の大家族とか、村や町や都市にも強い忠誠心を抱いている。
イラクの人口2600万人。うちシーア派1600万人。スンニ派とクルド人がそれぞれ500万人ずつ。イラク人のほとんどが自動化された近代兵器で武装している。
ジョージ・ブッシュはイラクで実際起きていることに対し、知識もなければ、関心も持っていない。同じく、イラク暫定統治機構(CPA)のブレマーも、イラクのことなど何も知らないと自分で認めた男だった。アメリカのイラク当局者は、イラク人が考えていた以上に無能で、官僚主義だった。アメリカは世俗的なイラク人指導者の影響力を誇大視し、宗教指導者の力を軽視した。サダム後のイラクで勝利をおさめたのは、伝統宗教ではなく、宗教民族主義である。
イラクの自爆者とは一体、何者なのか? 自爆攻撃するには、ゲリラ戦と違って、軍事的な経験や訓練を必要としない。必要とするのは、ただひとつ、死を覚悟したボランティアがいればいい。そして、そのボランティアは常にありあまっている。
当初は、イラク人よりサウジアラビア人、そしてヨルダン、シリア、エジプトから来ていた。しかし、今ではほとんどがイラク人であり、スンニ派アラブ人だ。
イラクを破壊しているのは、次の三つだ。占領とテロと汚職。
アメリカ軍の2004年の犠牲者は、戦死848人、戦傷7989人。2005年は戦死846人、戦傷5944人だった。
自爆攻撃があるのは午前7時半から10時までのあいだ。自爆者はペアか三人でチームを組んで攻撃するようになった。最初の一人が少し離れたところで自爆して注意をそらしたすきに、二人目がホテルのコンクリート防壁に突っ込んで自爆、それによって出来た防壁の開口部に爆薬を満載したトラックの三人目が突進していく。
スンニ派の88%がアメリカ軍への攻撃を容認(うち積極的が77%)。シーア派でも、攻撃容認が41%。 アメリカ軍は、イラク軍に供与した新鋭兵器が自分たちにつかわれるのではないか。武装抵抗勢力に売り飛ばされるのではないかと恐れている。
イラク復興のため、過去3年近くに数十億ドルもの巨費が投じられたはずなのに、バクダットに工事用クレーンは一つも見かけない。月に20億ドルもの石油収入は一体どこに行ったのか。ブレマー指揮下に、88億ドルが使途不明となった。アラウィ首相の政府の下で、20億ドルものお金が消えてしまった。アメリカの再建事業経費のなかで警備費が占める割合は、全支出の4分の1を占めるまでになった。
バクダットは平穏な日でも、1日に40体ほどの遺体が死体保管所に運びこまれる。バクダットは、殺戮が増えているのかどうかさえ見当のつかない、異常な暴力の街と化している。こんなイラクにしてしまったアメリカとイギリスの責任は重大です。そして、それを強力に支えている日本政府は、それを黙認している私たち日本人の責任もまた決して軽くないと思います。
こんなイラクの殺伐としたなかで子どもたちが育っています。いったい彼らが大人になったとき、イラクに平和な社会は実現するのでしょうか・・・。
2007年06月20日
そのとき、赤ん坊が私の手の中に
著者:アレン・ネルソン、出版社:K9MPなんで、なんで、ブックレット
私と同世代の元アメリカ海兵隊員の体験談を本にしたものです。何の体験記かというと、私たちが20歳前後ころにあっていたベトナム戦争の体験談です。この本を読むと、戦場の悲惨さがかなりの実感をもって想像することができます。若い人たちにぜひ読んでもらいたい本です。
沖縄で小学4年生の子がこんな質問をしました。大人はしない質問です。
ジャングルで、トイレに行くときは怖くなかったの?
戦争映画にカッコいい主人公がトイレに出かけることはまずない。
私は二度ほど、トイレに腰かけるシーンのある映画を見た覚えがあります。でも、それは基地の中のトイレでした。ドラム缶にたまったものを重油をかけて焼かされる兵隊を描いた場面も見たことがあります。でも、ジャングルの中ではありません。著者は次のように答えました。
そう。戦場でトイレに行くときほど恐ろしい瞬間はない。仲間の兵士と離れてジャングルに入って、そこで武器を降ろし、ズボンをおろす。これほど心細い瞬間はない。
昨年暮れにベトナムへ行ったとき、ホーチミン市(旧サイゴン)の郊外にあるクチへベトナム戦争のときの状況を見学に行ったことがあります。まさにジャングルのなかで、アメリカ兵をだまし打ちにして殺す仕掛けをいくつも見ました。
著者は海兵隊員として、13ヶ月のあいだベトナムのジャングルで戦闘に従事しました。敵のベトナム人を大勢殺し、また、仲間の海兵隊員が殺されて死んでいくのを見た。そこで思い知ったことは、本当の戦争は、映画の中の戦争とは、まったく別のものだということ。カッコいい主人公なんかいない。正々堂々ということもない。戦場で女性や子どもを助けることもない。本当の戦争にはルールなんか何もなく、敵と思えば、見つけ次第に殺すだけ。食事中であっても、トイレしていても、その格好のまま撃ち殺してしまう。
殺したら終わりではない。死体を集めて、数をかぞえなければいけない。ジャングルの中にある死体探しも仕事のひとつ。その方法は二つある。その一つは、ジャングルの中に入って、ハエのとぶ羽音に聞き耳をたてること。ブーンというハエの音をたどっていくと、そこに死体がある。
その二は、鼻でにおいを嗅ぎまわること。死体の腐る臭いが漂っている。腐乱死体の臭いのすさまじさといったら、思わず胃のなかの物がこみ上げてきて、ゲロを吐いてしまうほどひどい。目に涙がたまり、鼻汁がたれ、全身の力が抜けてしまう。それほど強烈だ。
もし、戦場の臭いをそのまま伝える戦争映画ができたとしたら、観客は二度と戦争映画なんか見ようとは思わなくなるだろう。戦争の臭いとは、死体の腐る臭い、死体の燃える臭い、血の臭い、そして弾薬・硝煙の臭いだ。
著者は、ベトナムのある村を攻撃し、人家の裏手にある防空壕に入り、ベトナムの若い女性の出産現場に直面してしまいました。思わず両手を差し出したところ、赤ん坊が生まれ落ちたのです。そこで、ベトナム人も同じ人間だと初めて自覚したというのです。
今の日本は、アメリカの一つの州みたいで、ブッシュ大統領の言いなりになっている。著者はこのように主張します。本当にそうですよね。
カッコイイ戦場にあこがれている日本の若者に、本当の戦場の様子を自分の体験にもとづき伝えたいという著者は、日本全国を話して歩いています。その講演料は10万円以下だということです。すごい安さです。私の知人はネルソン氏の講演会を企画して本当に良かったと言っていました。
講演の初めと終わりに、著者はギターでひき語りと歌ってくれるそうです。これも素晴らしいとのことです。ぜひ私も一度、著者の話を聞いてみたいと思いました。
2007年06月28日
ブログ・オブ・ウォー
著者:マシュー・カリアー・バーデン、出版社:メディア総合研究所
おどろきました。アメリカのイラク侵略戦争に従軍しているアメリカ兵の生の声がミリタリー・ブログにのっていたのです。
テクノロジーに詳しい若い兵士は、イラクにいるあいだにも祖国の家族や友人と連絡を欠かさないための手段としてブログを活用しはじめた。これらのブログは、ミリタリー・ブログ(ミルブログ)と呼ばれた。
イラクにおいて天気は兵士にとって重要な話題である。天気は、恩恵にもなれば、災いにもなる。雨が降れば簡易爆弾(IED)の信管が湿って爆発しにくくなるが、頼みの武装ヘリコプターの援護も難しくなる。
かつて輸送車の運転は、比較的安全な任務だと思われていた。だが、イラクやアフガニスタンの戦場では違う。
前線作戦基地ではイラク人スタッフがメンテナンス業務の大部分を受けもつ。維持管理全般、食堂での料理運びなど。イラク人は全部で30人。シーア派もスンニー派もいる。
イラクの握手はアメリカの握手とは違う。アメリカの握手は、しっかりと手を握ることで、こちらの強さを示し、本気だぞというところを見せるものだ。イラクの人たちは、もっと優しく手を握る。さらに、握手のあとで胸に手を置き、友情や敬意を示す場面が多い。
士官になれるのは大学を出た人間。たいてい軍アカデミーか予備仕官訓練所の研修を受けてから着任する。したがって、少尉の大半は子どもだ。ほとんどがせいぜい22歳である。彼らは大学を卒業すると、すぐに小隊長として、15人から40人の兵士をまかせられる。この小隊長をきちんと訓練して軍隊に慣れさせ、リーダーとしての決断を助けるのが小隊長軍曹のつとめだ。
戦場で耳にする言葉の中で、もっとも恐ろしいもののひとつが「衛生兵、メディック」という叫びだ。そして、もっともうれしいものが「今行く!」と大声で答えながら衛生兵が走ってくる足音である。
IEDによって女性通訳者サラが顔を吹っ飛ばされた。既に手遅れだった。24時間ともたなかった。医師は、彼女の脚の残骸から皮膚を移植して顔の治療に当たったが、おそらく彼女自身がもうあきらめてしまっていたのだろう。両足をなくし、顔もあんな状態では、生きようという気力を搾り出せるとも思えなかった。
ここでは、毎日、一ブロック一ブロック、すべての家で戦闘だ。どの家の正面にも金属製の門がつけられ、内側から鍵がかけられている。だから、どんなやり方をしようと静かに門を破ることなんか出来ない。中の敵はすでにこちらの動きをすっかりつかんでいて、突入の瞬間に、発砲しようと待ち構えている。
M1エイブラムズ戦車かD九装甲ブルドーザーで武装勢力もろとも家をぶっつぶす。攻撃ヘリや砲弾をつかって、侵攻する予定の市街地を掃討しておく。何でも大統領の言ったとおりにしろ、そして政府に従え。さもないとオレがおまえを殺す。負傷にとどめるような撃ち方はするな。威嚇射撃をする必要はない。我々はルールを守り、ルールに従って戦う。我々が死ぬのはルールに従ったため、でなければルールに従わない者がいるためだ。戦争とは野蛮なものだ。戦争とは地獄だ。戦争とは、自分の心を鬼にして敵にぶつかるものだ。
これでは若いアメリカ兵の心がすさむのも当然です。
イラクという戦域では、民間人がきれいに姿を消すということは武装勢力の攻撃が近いことを意味する。民間人には誰が反体制側か分かるから、危害が及ぶ前に自身で身を守るのだ。
これは、アメリカ兵は、全イラク人を敵にしているということとほとんど同じことを意味していますよね。
そう、たしかに彼らは兵士だ。でも、こんな生き方、自分が望む人間がどこにいる?四六時中脅威にさらされていて、誰がうれしい?そんな奴がいたら、そいつは、どこかおかしい。僕は、自分の子どもに軍隊の経験をさせようとは思わない。僕で打ち止めにするかもしれない。
戦争は、すべてをむさぼり食っていく。慈悲など、一切存在しない。そこには論理などないのだ。戦争は、ただ破壊のためにあり、そして愚かな人間が政治を行っているかぎり、この先も戦争がなくなることはない。
このミルブログは、軍上層部に気づかれ、閉鎖に追いやられ、検閲されてしまいました。そりゃあ、そうでしょう。戦争の悲惨さ、バカさかげんがこんなにもリアルタイムで伝えられたら、たまりません。私なんか、この本を読んだだけで戦争するアメリカの狂気がひしひしと伝わってきて、恐ろしい思いをしました。
2007年06月29日
グアンタナモ収容所で何が起きているのか
著者:アムネスティ・インターナショナル日本、出版社:合同出版
グアンタナモというのは、キューバにあるアメリカの基地です。キューバ政府はアメリカに返還を求めていますが、キューバを敵視するアメリカ政府は無視して居座り続けています。その根拠は100年前に結んだ条約で半永久的な借用が認められているというものです。アメリカって、ホント、厚かましい国ですよね。日本にもアメリカ軍の基地がたくさんあって、治外法権のように我が物顔してのさばっていますけどね・・・。
このグアンタナモ基地については、アメリカにとって国交のない国の領内にあるため、アメリカの法律も国際法も適用されないというのです。本当に、そんなことってあるのでしょうか。信じられません。
アメリカは、「テロリスト」として逮捕した人500人を、ここに収容していますが、なんの司法手続きも経ていません。裁判待ちというのでもないのです。これが「民主主義国家アメリカ」のやり方なんですね。
2002年1月に「テロリスト」の収容が始まりました。しかし、映画『グアンタナモ、僕たちが見た真実』は、収容所のなかに無実の若者がいたことを明らかにしています。たまたまイギリス警察に捕まっていたことが判明したのでした。刑事司法手続きは、そこにありませんでした。裁判で無実が判明したので釈放されたというわけではありません。
グアンタナモに収容されている人々は「敵性戦闘員」だとされています。捕虜ではないのです。法的地位をもちません。ジュネーブ条約にもとづく捕虜としての保護も受けられません。刑事被疑者としての権利も認められません。尋問についても何の制限もありませんから、肉体的また精神的な拷問が日常的です。
家族の面会はおろか、弁護士の面会すら認められていません。
これは、ブッシュ政権の公然たる方針なのです。ブッシュ大統領は、タリバンやアルカイダには、捕虜の人道的取り扱いを定めたジュネーブ第三条約は適用しないと高言しています。
それでも、アメリカの弁護士たちの取り組みによって、2004年6月、アメリカ連邦最高裁は、「グアンタナモの被収容者は人身保護請求手続きによって、自らの拘束の違法性に関する法的審査を受ける権利を有する」という判決を下したのです。ところが、アメリカ政府はこれに応じませんでした。
そのうえ、なんと、人身保護請求を認めない法律というのは国会で成立させたのです。
敵性戦闘員としてグアンタナモに収容している者に対しては、いかなる司法裁判所も人身保護請求の権限を行使することは許されないという法律です。
ええっ、そんな、バカな。アメリカの野蛮さが、ここにはっきり浮かび出ています。
国連は、グアンタナモ基地は早く廃止されるべきだという見解です。
世界に自由と民主主義を広めているはずのアメリカが、とんでもない野蛮な人権蹂躙を公然としているなんて、ホント、許せません。
2007年07月20日
ブッシュのホワイトハウス(下)
著者:ボブ・ウッドワード、出版社:日本経済新聞出版社
いまイラクに駐留するアメリカ軍は13万人。当初の計画では、3万人ほどにするということであり、最大でも6万人のはずだった。ところが激しい武力衝突が絶えないため、アメリカは減らすことができない。1ヶ月にアメリカ軍が攻撃される件数は500件もある。2003年9月は750件、10月には1000件になった。1日に30件以上の武力衝突が起きている。
イラクに大量破壊兵器があるか調査していた調査団のケイ団長は、公式に発言した。
私自身を含めて、我々は間違っていた。イラクで大量破壊兵器の備蓄が発見されると考えられる根拠は何もない。過ちを認めることが大切だ。イラクは、あたかも大量破壊兵器を保有しているかのようにふるまっていただけ。
そうなんです。ことは明白です。アメリカのイラク侵攻に何の根拠もありませんでした。ところが、ブッシュ大統領も日本政府もいまだに自分の誤りを認めていません。ひどい国際法違反です。
アメリカ政府の高級スタッフがイラクに派遣されて見たものは、次のとおりです。
イラクは、見た目も雰囲気もまさに戦場だった。攻撃は一ヶ月に1000件。アメリカ軍の食堂が迫撃砲で攻撃を受けたこともあった。ヘリコプターで移動するときには、常にドア銃手が機関銃を下に向けていた。スタッフは抗戦ベストを着用した。
2004年8月から、攻撃を受けるのは月に3000件になった。
2003年5月にブッシュ大統領がアメリカ軍の輸送機で到着し、大規模な戦闘は終わったと宣言した時点と比べると、武力衝突は10倍に増えている。
2005年9月、アメリカ政府の高級スタッフがイラクを視察した。反政府勢力がイラクの大部分で自由に作戦行動できるのに、アメリカ軍は兵力を分散して、手薄になっていることを知った。武装勢力は、従来よりも殺傷性の高いIEDを使用し、それがアメリカ軍将兵多数の死因となっている。
3年のあいだにイラク人3万人が死んだ。イラクの人口がアメリカの15分の1だということを考えると、この3年間、毎週、9.11同時多発テロの被害者と同数の死者が出ていることになる。9.11が毎週くり返されたら、アメリカの社会にどれほどの心理的打撃を与えるか、想像できる。イラクの社会にもそういう打撃を与えているわけだ。
いやあ、本当です。この指摘はあたっていると私も思います。
世論調査によると、スンニー派の50%が反政府運動に賛成している。スンニー派は、人口の20%を占めているので、イラク国民の10%、つまり200万人が武力抗争に賛同していることになる。
ブッシュは、景気のいい楽天的な発言をするばかりで、イラクの陥っている状況について、アメリカの国民大衆に真実を伝えていない。
これは、ちょうど安倍首相が貧困層が日本に増大している現実を無視して美しい国・日本を愛しましょうという美辞麗句を並べたてているのと同じことです。
2007年07月24日
巨大政府機関の変貌
著者:チャールズ・O・ロソッティ、出版社:財団法人大蔵財務協会
IRS、アメリカ合衆国内国歳入庁を民間実業界出身者が長官として乗り込んで大改革していったという話です。
アメリカの税制は、すべての市民が自ら支払うべき税金を計算して納付するという、自発的意志に依存している。市民がそうしないときにはIRSが介入することになる。
個人の確定申告書の調査において、およそ4分の1は是認される。
1999年には、本来納付されるべき税額のうち、2770億ドルが納付されなかった。IRSはこれを追跡して、そのうちの17%を徴収することができたが、残り2300億ドルは徴収されずに残った。このような巨額の未納額は年々増加している。
IRSは、富裕層への調査を減らし、貧乏人を調査する傾向がある。不正行為に対するIRSの警告にもかかわらず、富裕層は税金の調査を回避している。IRSについて、このような評価が定着していました。まるで日本と同じです。日本も巨大企業には大甘の税法と税務調査がまかりとおっています。日本の活力を保全するためという論法です。
税金を「合法」的に回避するためのタックスシェルターが大企業から裕福な個人にまで広く流行している。
もっとも富裕な所得階層に属する納税者は、そのほとんどが大企業の全部または一部の所有者である。100万ドルをこえる所得のある個人納税者層は、大企業上位1000社の合計とほぼ同じくらいの額の税金を納めていたが、大企業上位1000社のほうが
100%毎年調査を受けているのに対し、所得100万ドル超の個人納税者については、提出された申告書の2.5%しかIRSは調査していなかった。
そこで、2002年2月、IRSの優先順位を変更した。10万ドル超の所得のある個人納税者の調査により多くの調査スタッフをふり向け、そのなかでもとくに100万ドル超の所得のある納税者の調査にはさらに手厚くふり向けることにした。
日本でも、このようにしてほしいものです。ところが、現実に日本の税法改正は超富裕層を温存する方向ですすめられています。重い税負担感から金持ちが日本を逃げ出さないようにするため、という口実です。
いま、私の周囲では市県民税が2倍いや3倍になった、給料が1万円以上もダウンしたという悲鳴ばかりです。与党である公明党が提唱して実現した定率減税廃止のための増税です。空前の好景気が続いているというのに、その大企業のための法人税減税のほうは廃止されずに続いています。おかしな話です。富める者がますます富める社会、貧乏人は野垂れ死にしてかまわない。それが安倍首相のうたう「美しい国」の内実です。ホント、許せません。
消費税にしても、導入するときも、税率をアップするときも、選挙で争点にしたわけではありませんでした。別のことが争点となっていて、勝った自民党が信を受けたと称して実施したものです。今また、参院選の争点とせず、秋に消費税を7%へアップする方針をうち出すというのです。こんな国民を馬鹿にしたやり方をいつまでも続けさせてはいけません。納税者はもっと怒りを声に出しましょう。私たちが主権者であるのは選挙での投票行動をすることのみであらわすしかないからです。マスコミの予想によると、民主党の一人勝ちのようですけど、それでいいのでしょうか。「2大」政党はまやかしではありませんか。とても大切な憲法改正問題について、この「2大」政党は、どちらも基本的に同じ考えですし・・・。
2007年08月09日
ブッシュのホワイトハウス(上)
著者:ボブ・ウッドワード、出版社:日本経済新聞出版社
ブッシュにとって、直観は第二の信仰にひとしい。わたしは教科書どおりにはやらない。勘でやるんだ。これは、ブッシュの言葉です。あまりたいした勘ではありませんよね。
ブッシュ大統領は、ブッシュ・シニア(パパ・ブッシュ)と典型的な父と子の確執があった。50年以上にわたる父と息子の緊張関係、愛・喜び、ライバル意識、失望という、傍目(はため)に分かりにくい微妙なものも、あからさまなものもあった。
モルモン教徒であるスコウクロフトの推測によると、ブッシュは、45歳まで自分が何者か分かっていなかった。それが今、大統領になった。恐るべきことだった。
2001年7月10日、CIAのテネット長官は、アルカイダが近々アメリカを攻撃する可能性が強まっていることを会議の席上、報告を受けた。48歳のテネット長官は夜もおちおち眠れなくなった。確実な情報は得られていないが、データの量は莫大だった。なにかが起きると、情報機関の長としての勘が告げていた。
NSAは、ビン・ラディンの配下の不気味な会話を傍受していた。全部で34件あった。ゼロ・アワー(決行時刻)は近いという不吉な宣言や、めざましい出来事が起きるというきっぱりした言葉が聞かれた。
国家安全保障会議の全体秘密会議で、ビン・ラディンに対する武力行使が検討された。ヘルファイア対戦車ミサイルを発射できるプレデター無人機で、ビン・ラディンとその副官たちを暗殺するという計画だった。秘密工作の予算は5億ドル。ビン・ラディンの殺害を許可するという大統領のサインがあれば実行されただろう。しかし、予算をどこが出すのか、ミサイル発射の権限はどこがもつかで、CIAは国防総省と激しく論争した。
2002年1月18日、ブッシュ大統領は、身柄を拘束しているアルカイダやタリバンのテロリスト容疑者にはジュネーブ条約を適用しないことを決定した。彼らは不法な戦闘員であり、戦時捕虜ではないから、ジュネーブ条約によっては守られていない、と宣言した。しかし、これでは、捕虜になったアメリカ人将兵の虐待を引きおこしかねない。アメリカ政府部内でも異論がおきた。
そこで、ジュネーブ条約は、タリバン兵の被拘束者には適用されるが、アルカイダの国際テロリストには適用されない。ただし、タリバン兵は戦時捕虜とはみなされない。こんな声明がなされた。
なんだか、分かったようで分からない声明です。ウソかホントか分かりませんが、フセイン元大統領の次のような言葉が紹介されています。
わたしは、目を見れば、その人間のことが分かる。忠誠かどうか見分けられる。瞬(まばた)きをしたら、そいつは裏切り者だ。そうしたら処刑する。裏切り者かどうかがはっきりしなくても、裏切り者を見過ごしてしまうよりは、殺しておいたほうがいい。
ムムムッ、ホントにこんなことを言ったのでしょうか・・・。でも、いかにも、ありそうですね。
CIAのテネット長官は、腹心の部下にこう言ったそうです。
自分の勘では、イラク侵攻は適切とは思えない。ブッシュ政権上層部は、イラクに侵攻して政権を倒せばいいと考えているが、あまりにも考慮が浅い。まちがいだ。正気の沙汰じゃない。
しかし、テネット長官はブッシュ大統領にこの自分の意見を進言しなかった。
テネット長官はブッシュ大統領に訴えた。イラク国内のアルカイダ支援にサダム・フセインの「権限、指示・統制」がある証拠は何もない。チェイニー副大統領はフセインとアルカイダとの結びつきをことさら強調する演説をしようとしているが、CIAは、それを支持できないし、支持するつもりもない。ブッシュは、このときテネットの肩をもった。
こんなブッシュ大統領がリーダーのアメリカに日本がいつでも、まるで言いなりなんて、もうそろそろ止めましょうよ。
お気づきのかたもおられると思いますが、この書評を愛読していただいている大坂の石川元也弁護士より、本の発刊日と値段を書いてほしいとの要望が寄せられましたので、なるべく末尾にのせるようにしました。
(2007年3月刊、1890円)
2007年08月20日
歌姫あるいは闘士、ジョセフィン・ベイカー
著者:荒 このみ、出版社:講談社
ジョセフィン・ベイカーって、名前は聞いたことがありましたが、どんな女性だったのか、この本を読んではじめて知りました。
ジョセフィン・ベイカーはアメリカ生まれの生っ粋の黒人。アメリカでの黒人差別に嫌気がさして、パリで成功するとフランスに定住する。成功した歌姫としてアメリカで公演するときも、黒人なので会員制クラブではおろか、レストランでもホテルでも公然たる差別を受けた。それに対してジョセフィン・ベイカーは敢然とたたかった。人種差別のない世界を目ざして、世界中から12人の養子をとった。1954年4月、日本にも来て、1人を養子にするはずが、2人の男の子を養子にした。
第一次世界大戦のとき、40万人以上のアメリカ黒人が兵役につき、そのうち20万人がフランスに送られた。アメリカ側では黒人兵がフランス人と接触することを回避しようと、禁止令を出したが、効果はなかった。
ジョセフィン・ベイカーたちはフランスでの公演でパリ市民を熱狂させた。
写真を見ると、すごいのです。パリ市民がそれまで見たこともないような踊りだった。観客を戸惑わせ、それ以上に歓喜させ、狂喜させた。ほとんど裸体の踊りなのだが、エロチックというより躍動美であり、ついつい見とれてしまったのである。
ジョセフィンの茶色の肌は観客にとってエキゾティックで蠱惑(こわく)的、本能的だった。踊りの速さ、動き、奇妙さは、それまでパリが経験したことのないものだった。ジョセフィンの官能的で機知に富んだ性格の輝きがあった。
ジョセフィンの踊りから、人間の身体の根源的な美しさが感じられ、生の躍動がじかに魂に伝わってきた。だからこそ、パリの観客の心は激しく揺さぶられた。
パリのレストランで、ジョセフィン・ベイカーが友だちと食事をしていると、アメリカ人の女客が店長を呼びつけて叫んだ。「あの女を追い出してちょうだ。私の国では、ああいう女は台所にやられるのよ」 ところが、どうぞお立ちくださいと言って店長が追い出したのは、そのアメリカ人の女客だった。
いやあ、アメリカ人の黒人差別(実は黄色人種の差別も)は、昔も今も変わりませんよね。日本への原爆投下も猿以下とみなしていた日本人蔑視によるものであることは、歴史的事実ですからね。これはホントのことです。
ジョセフィン・ベイカーは、フランス南部に城(シャトー)と所有し、そこで12人の養子を育てました。商業的には結局、破綻してしまうのですが、その夢は今も生きている気がします。
そして、ジョセフィン・ベイカーは、第二次世界大戦中には、ナチスの支配に抵抗するレジスタンス運動に加担するのです。たいしたものです。情報員に求められるのは、勇気と直観と知性。この三つとも彼女には備わっていたと、レジスタンス運動に引っぱりこんだ幹部が語っています。
ジョセフィン・ベイカーは、アメリカに帰ったとき、若い黒人大学生に語りかけた。一つは、社会で何かを成しとげるときには努力が必要なこと。自分の才能というのは天性であるとともに、努力するからこそ花が開く。二つ目に、黒人は劣等感にさいなまれているが、自分たちの人種的劣等感を捨てて、これまで自分たちの仲間が立派に活躍してきたことを誇りに思うこと。三つ目に、黒人の文化を教育することの重要性と緊急性である。これって、今の日本人の若者にも、すごくあてはまる大切なことのように思いますが、いかがでしょうか・・・。
(2007年6月刊。1890円)
2007年08月21日
CIA秘密飛行便
著者:スティーヴン・グレイ、出版社:朝日新聞社
9.11以降、既成概念にとらわれない発想が大はやりとなり、新たなテロの脅威に対する新たな戦争手法が模索されだした。新たな手法は、非合法(イリーガル)とはされなかった。そのかわり、ブッシュ政権は、それを超法規(エクストラリーガル)と呼んだ。これは、あらゆる法の枠外にあるということ、つまり無法状態ということである。
エクストラ・リーガルシステムの目的は、囚人をあらゆる法律家、アメリカの裁判所、あるいは軍事法廷による保護の届かないところへ連れていくことにあった。テロリストは、なるべくなら、彼らを厳しく扱う国にその対応をまかせる。それこそ、ふさわしいやり方だと政治家たちは信じた。
モロッコでの拷問は、剃刀の刃をつかって、全身くまなく、性器にいたるまで、切れ目を入れるもの。そんな目にあうと、政府の望むことは何でも「白状」することになる。
それは、そうでしょう。私なんか、自慢じゃありませんが、いちころでしょう。とてもそんな拷問に耐えられる自信なんかありません。
食事のなかに麻薬みたいなものが混じっていたり、ハンガーストライキを始めると静脈への点滴で何かの物質を体内に注入された。また、尿の臭いの立ちこめる部屋に一人入れ、ポルノグラフィーを見せたり、全裸や半裸の女性を一緒にさせ、罪を犯させようとした。
キューバのグアンタナモ米海軍基地への700人をこえる囚人移送はレンディション(国家間移送)である。なぜなら、公式に「戦争捕虜」と認められたものは一人もおらず、全員が法的手続きも、条約もなしに、国家間を移送されたケースだからだ。アメリカの管理下へ「レンディション」されてきた人間の大多数は、アフガニスタンの戦闘地域以外から送られてきた者たちである。グアンタナモに収容所が設けられて以降の4年間に、 300人以上がそれぞれの出生国に再「レンディション」され、釈放されるか、再収監されるかしている。アメリカ軍がこれまでおこなった「レンディション」は1000件をこえている。
CIAのテネット長官は、特殊作戦グループを復活させた。それは軍事、準軍事、隠密作戦にかかわる要員と、自前の専用航空資産、特殊装備を融合させたもので、命令ひとつで、世界のどこへでも展開できた。レンディションの実施には、輸送の足が必要だった。そこでCIAは傘下の偽装会社エアロ・コントラクターズ社に目を向けた。
9.11のあとは、アメリカで裁判にかけることを目的にした従来型のレンディションはほぼ完全に放棄された。外国の刑務所に向けた秘密レンディションが通常の形態になった。有力テトリスとが捕まり、アメリカに戻されて裁判にかけられたというケースは 9.11後の5年間にただの1例もない。
アブグレイブでの囚人の取調では、3つの組織が互いに競いあっていた。第1は、CIAの命令で動くイラク調査グループ。価値の高い囚人の大半を握っていた。第二は、各特殊部隊の寄り合い所帯であるタスクフォース121で、これにはCIAも参加していた。第三は、アブグレイブに集められたアメリカ軍の自前の情報部隊である。
CIAもアメリカ軍情報部も、憲兵隊に対して、虐待しろという公式命令を下していたわけではなかった。たとえば囚人に性的虐待をおこなえという命令は、軍の指揮命令系統のいずれの者によっても出されてはいない。むしろ、ワシントンの政治指導者から出された一連の命令や法的見解の果たした役割が大きかった。
CIAの尋問テクニックは、拷問そのものとは言えない、強化型テクニックを利用可能にしようとするものである。たとえば、囚人の睡眠を奪ったり、溺死すると勘違いさせるなどのテクニックを駆使したいのである。
ペンタゴン内で映画「アルジェの戦い」が2003年8月に上映されたそうです。この「アルジェの戦い」は、1966年の映画です。私が大学に入ったのは1967年ですが、入試が終わって、大学に入学するまでの間に渋谷の映画館でみたような記憶があります。まだフランス語を勉強する前でしたが、フランス語の「アタンシヨン、アタンシヨン」という言葉を、今もくっきり覚えています。
フランス軍(空挺部隊)は拷問と処刑の双方をふくむ残酷な戦術を用いて、アルジェリアの独立を目ざす民族解放戦線(FNN)の指導層をほぼ全員検挙し、一掃することに成功した。しかし、この勝利は一時的なものにすぎず、フランスはやがて戦争に敗れた。アルジェリアで、拷問は戦闘に勝ち、戦争に負けた。
なーるほど、そういうことなのですね。久しぶりに40年前の映画「アルジェの戦い」を見てみたいと思いました。
(2007年5月刊。2500円+税)
2007年09月12日
インド世界を読む
著者:岡本幸治、出版社:創成社
1820年に、世界におけるGDPは、第一位の中国(清)が28.7%で、インドは 16%と第二位。フランスは5.4%、イギリス5.2%、ロシア4.9%、日本3.1%。当時のインドは日本の5倍以上の経済力を誇っていた。
インドの言語は312とか800以上とも言われている。小学校では、3言語政策がとられている。3言語とは、英語とインド公用語とその地域の公用語である。そして、エリート層の共通言語は英語だ。
インドの宗教人口は、ヒンドゥ教81.4%、イスラム教12.4%、キリスト教 2.3%、シーク教1.9%、仏教0.8%、ジャイナ教0.4%。
ヒンドゥ教徒は微減、イスラム教徒は微増。インドの人口は11億人台であり、そのうちイスラム教徒が1億3000万人いる。世界有数のイスラム大国でもある。
ムガル朝の太祖であるバーブルは、中央アジアのモンゴル族系の出自である。アラビア人の歴史家がモンゴルをムガルと呼んだので、ムガル朝という名で知られるようになった。
マハトマ(偉大なる魂)・ガンジーの最大の業績は、それまで都市中間層に片寄っていた民族運動組織を全国に支持基盤をもつ大衆組織、民族を代表する運動体に脱皮させたことにある。彼自身は、イギリスに4年間留学したエリート知識人であったにもかかわらず、インドの多数が居住する農村に注目し、都市インテリが好んで使用する英語ではなく、民衆に土着の言葉で語りかけたこと、そして会議派支部組織の役員は天下りに指名するのではなく、支部会員の選挙を通じて地元で人望のある者を選ぶというやり方を採用した。
独立当時のインドは、識字率がわずか16%だった。就学率は、小学校で35%、中学校は9%、高校は5%にすぎなかった。
今や、インド経済の発展は、印僑の存在を抜きにしては語りえない。印僑とは、外国に移り住んでその国の国籍を取得している人々や、インド国籍を残しつつ外国で研究・貿易・生産に従事する人々のことを指す。
印僑はアメリカに168万人、カナダに31万人、イギリスに105万人いる。
新たな印僑は知的コミュニティーを形成している。IT分野のほか、文学や経済学でも世界水準への貢献度は高い。経済界への進出が目立ち、政界進出もはじまった。
最近の印僑は、インド国内の中流以上の家庭出身である。在米印僑の子弟の学歴は高く、印僑の子弟の7割前後は大卒の学位を取得する。これは全米平均の21%の3倍をこす。
カリフォルニアのシリコンバレーでは30万人の印僑が就業しており、全米に5000人の印僑の大学教授が教壇に立っている。
アメリカにいる印僑の家庭の収入は、全米平均の2倍、年に6万ドル。シリコンバレーで働く技術者の平均収入は年間30万ドル。
インド本国への送金は急上昇中で、1994年に78億ドルだったのが、2003年には220億ドル。10年間で2.8倍にふくれあがった。
インドのバンガロールには、77もの工科大学があり、3万人の学生を毎年送り出している。インド企業に働くソフト技術者は34万人。これはアメリカに次いで世界第二位。大学卒の技術者は全インドで毎年10万人をこえる。
ソフトの売上げは、輸出が国内よりはるかに大きい。北米60%、ヨーロッパ20%、日本は4%。
イギリスの国鉄にかかる電話は年間5000万件あるが、その半分はインドでインド人が英語で応答している。
アメリカにいる外国人留学生56万人のうち、インド人は8万人。7人に1人を占め、断然第一位。中国人より多い。
最近、インド人が積極的に移住しているのは湾岸諸国である。とくにアラブ首長国連邦である。これは、石油関連産業への出稼ぎが目的である。
最近のインドの実情をいろいろ知ることができました。
(2006年10月刊。800円+税)
2007年09月26日
日本人だけが知らないアメリカ世界支配の終わり
著者:カレン・ヴァン・ウォルフレン、出版社:徳間書店
カール・マルクスに対する支持が再び広がりつつある。イギリスのBBC放送は、2005年に史上もっとも偉大な哲学者は誰なのかについて世論調査を行った。その結果、最高の票数を獲得したのは、ほかでもないカール・マルクスだった。
マルクスは再び、多くの人々が直面する現実を理解するための指針となっている。
ひゃあ、そうなんですか・・・。私も大学生のころ、マルクスの本をたくさん読みました。その深い洞察力に、ただただ感嘆していました。
マルクスの哲学は、社会の現実、とりわけすべてを包含する政治経済における現実を説明するものだった。そして、これは人類すべてにとっての真実であるとされている。
マルクスは教条的であるが、彼の思想は『資本論』にとどまらぬおびただしい著作に展開されており、その視点は世界を認識するうえで、いまなお優れている。マルクスのもっとも重要な貢献とは、現実にかんする思想において主流となるものは、支配エリート層、すなわち経済的に優位な立場にある人々によって形成され、維持されるという指摘だろう。
うむむ、なるほど、そのとおりですよね。日本のテレビだって、自民党と金持ち礼賛であふれています。
アメリカは、もはや世界の覇権国ではない。もはやアメリカは覇権国として世界に君臨してはいない。なぜなら、覇権というのは、軍事力だけでは成り立たない。それは、強力な国家の存在を受け入れることから発声する恩恵をこうむっていると理解している国々からの、集団的な尊敬の念に依存している。もちろん、アメリカは軍事的には世界最強の国である。しかし、皮肉なことに、このような強大な軍事力を備えていることは、同時にそのパワーの衰えをも示している。
アメリカがいかに無能で無力になりつつあるかが顕著にあらわれたのが、イラク侵攻と占領だった。アメリカはイラクを占領していると言われているが、現実にはアメリカはイラクを支配することができないため、占領しているとは言いがたい。占領というより、不法占拠という言葉のほうが適切だろう。
いやあ、この点も指摘されているとおりですよね。私はまったく同感です。
9.11のあと、ブッシュ政権は恐怖をあおった。一般的に言って、政治家たちは恐怖におののく有権者を歓迎する。なぜなら、恐怖に凍り付いている人々はコントロールしやすく、権力者に容易に従うから。ブッシュ政権は、アメリカでもっとも富裕なわずか数パーセントの人々のみに恩恵を与える減税や、大統領権力の拡大といった重要なアメリカ右派の政治的プランの一部を推進するとき、恐怖をもって人心を操る政治手法を利用した。
このような手法が現実に可能となったのは、アメリカの一般社会が無知だからである。アメリカの人々は、常にマスメディアからの大量のメッセージとイメージを浴びている。だが、それらの中で、真の生活、真の政治、世界の新なる発展に役立つものは実に少ない。アメリカの人々が浴びているのは、ほとんどがエンターテインメントである。
アメリカ人は、自分たちの国家こそが最高で、偉大であり、最も成功をおさめたと考えている。そして、アメリカ人は歴史を知らない。アメリカの外交エリートたちというのは、過去の栄光の影のような存在だ。
テロに対して闘いを挑むという思想はばかげている。なぜなら、テロというのは手法を示す言葉であって、われわれが闘いを挑むことのできる組織などではないから。テロは組織ではないから、テロとの戦いに終わりがあるはずもない。テロリストの最後のひとりを抹殺しても、おそらくもっと多くのテロリストが新たに誕生することだろう。
テロに対する闘いという虚構が危険なのは、正義を求めて対立的な姿勢をとるあらゆるグループが、国際テロリストというカテゴリーに組み込まれてしまう危険があるからだ。
アメリカは大金をつぎこんで捜査した結果、アルカイダのメンバーであると確認された者を、ひとりとして見つけることができていない。
よほどすばらしい映画やニュース番組を除いて、テレビをほとんど見ない。なぜなら、テレビは重要な情報をほとんど与えてくれないからだ。情報源として、テレビは役に立たない。しかし、その影響力は、きわめて大きい。
ふむふむ、テレビを見ないという点では。私もまったく同じです。私にとってはテレビを見る時間があるなら、本を読みます。同じ時間で得られる情報量は断然ちがいます。
投機家はアンテロープ(羚羊)の群れに似ている。アンテロープは危険を察知すれば、すぐさま全速力で同じ方向へと駆け出す。これと同じように投機家たちも、お金がふんだんにあると見るや市場に殺到し、わずかな変化が起きれば、たちまち市場からどっと逃げだし、市場に壊滅的な打撃を与える。
そうなんです。投機って、詐欺と同じです。要するに、庶民は欺され、お金をまき上げられるだけです。証券会社と大銀行がもうかるだけです。
先進諸国によって推進されてきたグローバリゼーションというのは、ある種の奇妙な帝国主義なのだと結論づけることができる。帝国主義を生み出したのはアメリカであるが、それを支持してきたのは、冷戦時代の同盟国であるヨーロッパや日本、そしてそれたの国々の大臣やマスコミの人間、そして政治経済界のエリートたちだった。最大の利益を獲得したのは誰なのか?ほとんど企業幹部、とりわけアメリカの企業幹部だ。
グローバリゼーションは、ひところ大いにもてはやされましたが、要するにアメリカ大企業の幹部に不当なもうけを保障しただけでしたね。問題の解決には何も役に立っていないどころか、かえって、環境汚染や貧困の問題を深刻化させました。
アメリカは世界最大の債務国であり、アジアとヨーロッパからの資金供給に過度に依存している。アメリカは巨額の経常収支赤字をかかえている。アメリカは、その差が毎年1100億ドルの割合で増えている。その額は、2005年には8000億ドル、2006年度には、一日平均40億ドルのお金を毎日借りていた。この状況をいつまで続けられるのか誰にも分からない。しかし、いずれ終わりが来るだろうという認識では、みんな一致している。アジアからの資金供給がなければアメリカ経済は破綻する。
なーるほど、こうみてみると、アメリカが近いうちに行き詰まるのは必至ですよね。
(2007年7月刊。1600円+税)
2007年10月09日
エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー
著者:前田詢子、出版社:角川選書
前に『エルヴィスが社会を動かした』(青土社)を紹介しました。その本の訳者だった著者による本です。エルヴィスプレスリーは、私より少し上の世代ですが、メンフィスにあるプレスリー邸を訪問したことがありますので、興味深く読みました。
あらかじめマテリアルが用意されることはなく、音を出しあって、あれこれやってみる。そして、これというサウンドが得られるまで試行錯誤を繰り返す。だから、どんなものが生まれてくるかは、誰にも予想がつかなかった。何もうまれてこないことがあったが、そんなときは、翌日か翌々日にまた同じことをやり直した。もしも、楽譜だけの、紙の上の作業であれば、このような思いがけないサウンドが生まれることは決してなかっただろう。
それは、黒人のブルースの上に白人のカントリーをのせたもの、逆に白人のカントリーの上に黒人のブルースを乗せた音の重ね方の問題ではなかった。それは、ブルースでもカントリーでもない、カラー・ラインが溶け落ちた危険な音だった。そして、それは何よりも、農村の音楽と都会の強烈なビートの融合だった。
なーるほど、だから、白人青年も黒人青年も、ひとしくエルヴィスに熱狂したのですね。まさしく危険な音楽をエルヴィスは広めたのでした。
1950年代のアメリカ人の生活にもっとも大きな変化をもたらしたのはテレビだった。1950年にテレビをもつ家庭は390万世帯。そのとき、ラジオ聴取者4000万人。1950年代前半にはアメリカ全世界の88%がテレビをもっていた。劇的な普及ぶりだった。
若者たちから絶賛され、大人たちから罵倒されたエルヴィスの独特のパフォーミング・スタイルは、ステージ用の振り付けとして学んだものではなかった。それは、エルヴィスが幼いころからなじんだ教会の牧師や、ゴスペル・シンガーたち、黒人ブルース歌手などを見て、自然に身につけてきたものだった。
エルヴィスは意識的な社会活動家ではなかったが、黒人を対等の人間として受容する勇気を持っていた。エルヴィスは尊敬する黒人に敬語をつかい、若い黒人ミュージシャンとは肩を組み、友人として平気でつきあった。
南部社会は、極貧の者に極貧の者の生き方があることを教えていた。エルヴィスは絶望的な貧困から彼ら一家を救い出してくれた神に心から感謝し、初めて手にする贅沢なモノに感動した。親孝行だったエルヴィスは、1956年9月、運転免許さえ持たない母親にピンクのキャデラックを贈った。キャデラックこそ、貧しい者にとって最高の富の象徴だった。
エルヴィスは、この世における自分の役割は何かという長年の自問に対して、ついに答えを見出した。エルヴィスのコンサートは、音楽の不思議な力を通して、人々の心に直接メッセージを送る場であり、アメリカの本源的な自由と希望、未来への可能性と期待を呼び覚ます場であった。
エルヴィスは1973年10月、妻と離婚した。そのことでエルヴィスは悲しみに打ちひしがれ、怒りで荒れ狂い、絶望あまり健康を害した。もともと過労がもとで内臓に複合障害があった。妻の行為は、エルヴィスにとって、夫である自分に対する重大な裏切りであり、男の威信を打ち砕く破滅的な一撃だった。
油断のならない取り巻きに囲まれて、エルヴィスは一人でいるよりもさらに孤独だった。強い照明とカメラのフラッシュで痛めつけられていた眼は緑内障を起こしていた。肝臓や腸、腎臓、心臓にも障害が見られ、慢性の低血糖症や高血圧、肥満があった。精神面でも極度のうつ状態に陥ることが多かった。
エルヴィスは、多量の処方薬を摂取することで症状を抑えて、コンサートを続行した。
1977年8月16日、エルヴィス・プレスリーは突然、この世を去った。バスルームに入って本を読んでいるところを心臓発作に襲われ、そのまま倒れた。救急車で運ばれ、蘇生処置がほどこされたが、その甲斐なく死亡した。解剖の結果、死因は不整脈による心不全と判定された。心臓は肥大し、肝臓や腸にも障害が見られた。遺体からは14種類の処方薬が検出され、鎮痛剤に関しては処方規定の10倍の量が測定された。薬物によるショック死も疑われた。
あまりに過重なコンサート・スケジュールをこなすため、体調の悪化を処方薬の大量摂取で切り抜けてきたことが遠因であることは明らかだった。
偉大な歌手も、コンサートの重圧には耐えられなかったというわけです。痛ましい事実ですよね。それにしても、まだ42歳の若さでした。同じように、フランスのエディット・ピアフは 47歳で薬づけの状態で亡くなりました。
札幌のススキノでシャンソニエに行きました。昔からお世話になっている藤本明弁護士の行きつけの「プチ・テアトル」というお店です。申し訳ないことに、お客はなんと、私たち2人だけでした。若い女性の伸びやかなデュエット、いぶし銀のようなママさんの歌を堪能して、夜のススキノの雑踏をホテルまで歩いて帰りました。ありがとうございます。
(2007年7月刊。1600円+税)
2007年10月15日
世界がキューバ医療を手本にするわけ
著者:吉田太郎、出版社:築地書館
キューバ憲法の第9条には「治療を受けない患者はあってはならない」と明記されているそうです。国民に医療を保証することを国に義務づけているわけです。すごーい。
キューバでは人々は医療費はタダ。医科大学もタダ。6年間の研修期間中の授業料、下宿代、食費、書籍代、衣服代のすべてを国が負担し、一切の経費がかからないうえ、毎月100ペソの奨学金が支給される。ただし、成績は求められる。全部の学科試験で平均 90点以上とらないと入学できない。それと、条件として、卒業したら、貧しい農山村や先住民のいるところで働くことを誓わなければならない。今、キューバの医科大学には世界の27ヶ国から、1万人以上の留学生が勉強している。そのなかには、アメリカのハーレム地区など、黒人もいる。学生の51%は女性である。はて、日本人の留学生はいないのでしょうか?
キューバの人口は1126万人。100歳以上の長寿者が2800人以上いる。日本には2万8395人いるが、人口比ではキューバは日本と同じくらいの長寿国だ。
キューバは長寿国である。1960〜65年には平均寿命は65.4歳だった。1980〜 85年には73.9歳に、1995〜2000年には76.0歳、2006年には77.5歳にまで伸びた。
キューバでは、2000年9月に全小学校で20人学級が達成され、多くは15人学級になった。中学校でも15人学級だ。
医科大学の教授陣は、英語などを除いて、80%は第一線で働く医師である。医師になるには、知識とともに人格形成が必要だという考えによる。
うむむ、これはすごいことです。
キューバでは医師は特権階級ではない。キューバの平均月給は334ペソだが、医師のそれは575ペソ。
キューバの医療で重視されているのはファミリー・ドクター。ファミリー・ドクターが120世帯、700〜800人と、顔が見える範囲で各家族の健康状態をチェックし、増進することにある。2005年にはキューバの医師7万6000人のうち、3万4000人がファミリー・ドクターで、ほぼ同数の看護士とともに全国民をカバーしている。
これって、本当にいいですよね。安心して生活できますからね。
キューバがユニークな医薬品を開発し、外貨を大いに稼いでいることを初めて知りました。たとえば、PPGという抗コレステロール剤がある。その副作用とは、なんと性欲を高めてしまうというのです。ええーっ、すごーい。私もぜひ・・・。
1日1錠、5ミリグラムを飲むだけで、動脈硬化や心筋梗塞が治るうえ、性欲減退にも威力を発揮するというのです。ところが、アメリカが認定しないため、日本でも売られていません。損な話です。
キューバの医療を受けたいために、世界各国からヘルス・ツアーがやって来るといいます。マイケル・ムーア監督の最新作の映画『シッコ』にも、アメリカから、9.11の被害者がキューバに渡って高度な治療をタダで請け、安い薬を大量に買って帰るというシーンが出てきます。キューバで治療を受けようというヘルス・ツアーだけで、年間6000万ドルの外貨をキューバは獲得しているというのですから、すごいものです。
キューバの医師たちは、全世界に出かけて行って活躍しています。これまだ偉いものです。日本は、この面でもすごく遅れています。青年海外協力隊はありますが、医師を世界派遣するシステムはありません。
2005年現在、2万5000人のキューバ人医師が世界68ヶ国で働いている。人口1100万人しかいない国でこんなことが出来ています。日本ならその10倍の25万人の医師が海外で貧困者のために活躍しているということに相当します。
これから始まろうとしている日本の後期高齢者医療制度なんて、あれは本当にひどいものです。75歳以上の高齢者に医療費を負担させようという考え方そのものが間違っています。国は、お金がないから仕方がないと言いますが、ウソッぱちですよ。軍事予算はどうですか。アメリカ軍に巨額の思いやり予算を提供してますよ。大型公共工事なんて、ひどいものです。つくりはじめたとたんに沈みはじめた橋があります。あれって、医療費を削ってまで必要なものだと言うんですか?できたら赤字必至の九州新幹線の工事がすすんでいます。それでも、お金がないから、医療費負担を上げるのは仕方がないと言うんです。エエッ、ウソでしょ。もっと私たちは政府に対して怒るべきではないでしょうか。
(2007年9月刊。2000円+税)
2007年10月19日
世界を不幸にする原爆カード
著者:金子敦郎、出版社:明石書店
ルーズベルトはなぜ、原爆投下の目標を早い段階でドイツから日本へと転換させたのか。そこに人種差別があったことを否定することはできない。
トルーマンは、原爆投下を非人道的だと批判されたとき、野獣には野獣の扱いをしたと言い放った。結局のところ、日本への原爆投下が人種差別によるとか、あるいはその背景に人種差別意識があったと判断する材料はない。しかし、黒人差別が当たり前だった時代である。アメリカ指導者の意識の底流にそれがなかったとは言い切れないだろう。そこには報復・懲罰の意識もからんでいた。
原爆の威力を確認するためには、空からの目視と写真撮影が不可欠だった。そのため、原爆投下には晴天が条件になっていた。7月25日の原爆投下命令には、原爆の威力を観測、記録するため科学者を搭乗させることが盛りこまれていた。実際、広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」には科学者を乗せた観測機2機が同行していた。
皇居も原爆投下目標の有力な候補のひとつとして検討された。原爆投下が日本に対して最大限の心理的効果をあげること、最初の原爆使用を十分に「見せ場効果」のあるものにすることが委員会内で合意されていた。皇居は心理的効果は大きいが戦略的効果は一番小さいとして除外された。そこで、最終的には、目標を京都、広島、新潟の3都市に絞りこんだ。次いで、広島、小倉、新潟、長崎が目標となった。
小倉の上空が天候不良のため、長崎に目標が変更されたようです。
原爆投下は、軍事的にみて必要なかったし、アメリカ軍将兵の生命を救うという意味でも必要はなかった。アメリカ政府の首脳陣は、これを分かっていた。それでも原爆をつかった最大の理由は、ソ連を扱いやすくするためだった。原爆投下は軍事的というより、政治的な理由によって決まった。トルーマンがポツダム会談を引きのばしたのは、原爆実験の結果をもって臨みたかったからである。
アメリカは原爆の開発に20億ドルもの巨額の資金と資源を投入した。
アメリカが第二次世界大戦で兵器生産に投じた金額は120億ドルだった。
アメリカの軍事産業は、産軍複合体とも呼ばれ、アメリカが戦争をしかけるごとに肥え太っていきました。肥大する軍事産業のおこぼれにあずかるような会社とか、それに寄生するような法律事務所であってはならないとつくづく思いました。
(2007年7月刊。1800円+税)
2007年10月22日
神は妄想である
著者:リチャード・ドーキンス、出版社:早川書房
神が実在するのか、と考えたときに一番に思い浮かべるのはナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺です。神が実在するのに、それを防ぐことができなかったなんて、私にはとても理解できません。カトリックとプロテスタントの殺し合い、イスラム教徒とキリスト教徒との殺し合い、どうして、それぞれの神が止められないのでしょうか?
むしろ、宗教を強く信じている信者のほうが憎悪にみち、いや単に憎しみあうだけでなく、殺しあうのですから、一層たちが悪いのです。
そのような私の疑問を、この本は、あますところなく裏づけてくれます。だから私は、昔も今も、無神論者なのです。といっても、苦しいときの神頼みは今もしていますが。
ヒトラーは、カトリック教徒の家に生まれ、子どものころはカトリックの学校と教会に通っていた。スターリンは、神学校をやめたあと、ロシア正教を捨てた。しかし、ヒトラーは、自らのカトリック信仰を公式に放棄したことはなく、むしろ生涯を通じて信仰を持ち続けたのではないかと思われる。ヒトラーは、キリスト教徒としてユダヤ人を非難する長いキリスト教の伝統に影響を受けていただろう。
マルチン・ルターは、激烈な反ユダヤ主義者だった。すべてのユダヤ人は、ドイツから放逐すべきだと、議会で語ったことがある。
ヒトラーは、マルクスと聖パウロが二人ともユダヤ人であるとしつつ、イエス自身がユダヤ人であったことは頑として認めなかった。
宗教的信念が危険なのは、その他の点では正常な人間を狂った果実に飛びつかせ、その果実が聖なるものだと思わせることにある。
未遂に終わったパレスチナの自爆犯は次のように語った。
イスラエル人を殺すように自分を駆りたてたものは、殉教へのあこがれであり、復讐したいなどとは決して思ってはいなかった。私は、ただ殉教者になりたかっただけだ。
私は、もうすぐ永遠の世界に行くのだという気持ちのなかで、ふわふわと漂い、泳いでいた。何の疑問もなかった。
キリスト教、そしてイスラム教でもまったく同じことだが、疑問を抱かない無条件の信仰こそ美徳であると、子どもたちに教えこむ。
世論調査によると、アメリカの全人口の95%が自分は死後も生き続けるだろうと信じているという。もし本当にそう思っているのなら、年老いて、あるいは病気のため臨終を迎える人に対して、「おめでとうございます。これはすばらしい報せです。私もおともしたいくらいです」となぜ言わないのか。それは、本当は、死後について信じているふりをしているだけで、実は信じていないということを証明するものではないのか。
ホント、そうですよね。死後に永遠の平和な世界があると子どもたちに語り聞かせる大人は、もしそれが本当なら、自分こそ真っ先に「やるべき」でしょう。ところが、彼らは「卑怯にも」そんなことはしないのです。それは、彼らの「宗教心」が実はホンモノではないから、ということではありませんか。私は、この本を読んで、そのことにますます強い確信を抱きました。
(2007年5月刊。2500円+税)
2007年10月23日
ワーキング・プア
著者:ディヴィッド・K・シプラー、出版社:岩波書店
アメリカの下層社会、というのがサブ・タイトルです。日本は相変わらずアメリカを手本として同じような社会になることを目ざしていますが、この本を読むと、アメリカのような社会になってはいけないと、つくづく思います。
アメリカは経済的に繁栄したあげく、富める者と貧しい者の格差は拡大する一方だ。上位10%では、世帯平均83万ドル以上の純資産があり、下位20%では、わずか 7900ドルしかない。アメリカの平均寿命は短く、乳児死亡率は高い。
アメリカ政府は大人1人と子ども3人の家族で年収が1万8300ドル以下の家庭を貧困と定義する。2002年には、その貧困率は12.1%となった。4240万人である。
アメリカで働くためには、ソフトスキル、つまり仕事に就くために必要な、簡単なスキルを教える必要がある。そのスキルに欠けている人々の脱落率は高い。
たとえば、バスの乗り方を知らないため、遅刻ばかりしている若い女性従業員がいた。時刻表が読めないし、バスに乗ったことがないため、バスの乗り方も知らなかったのだ。
アメリカの成人の37%は、計算器をつかっても、値段の10%引きの計算の仕方が分からない。同じく10%の人々がバスの時刻表を読めず、クレジットカードの請求額の誤りに関するクレームの手紙一本も書けない。
アメリカの大人の14%は預貯金入金票に記入した額を合計できないし、地図上で交差点の位置を探しあてることも、家電製品の保証書を理解することも、薬の正しい服用量を判断することもできない。
親のなかには、ただの一度も自分の子どもたちを一緒に遊んだことのない人たちがいる。そうした子どもたちが親になったとき、親に遊んでもらった経験がないため、自分の子どもたちと一緒に遊ぶことが重要な仕事とは気づかない。
私たちの大半は、親であるとはどういうことか、明確なレッスンなど受けることはない。私たちが知っていることは、すべて自ら少しずつ学んだ結果である。たとえば、両親から無意識のうちに吸収したり、ときには彼らと同じ失敗をくり返したり、ときには両親を反面教師にして彼らの過ちを逆手にとったりしている。
最貧困層においては、子育てという仕事は、多くの困難があいまに起こる破壊的な相乗効果のダメージにさらされやすい。
自分自身が愛に包まれていなければ、子どもにも多くの愛を捧げることができない。子どもたちを傷つけている親たちは、そうした状況にある。燃え尽きている。彼らは子ども時代に燃え尽きてしまった。人間として、親と良好な関係を築こうとしたにもかかわらず、親からあまりかわいがってもらえなかったからだ。だから、心を閉ざしてしまった。ストレスがたまりすぎていると、思考力が働かなくなってしまう。
アメリカ人は、所得と学歴が低くなればなるほど、投票が重要だと信じる割合が低くなっていく。個人生活の試練に疲れ、権力機構について冷笑的であり、選挙はつまらなく、政治家は信用できないと考えている。
アメリカ人は自分自身の階級的利害に即して投票しておらず、投票率が高まったときでも、貧しい人々は、階級的利害にそって投票はしない。
投票は、不満よりも願望によって動機づけられている。アメリカ人の19%は賃金労働のトップ1%に入っていると考え、次の20%は将来はそうなると思っている。
今の日本でも、年収300万円以下の労働者が全労働者のほぼ半数を占めている。貯蓄残高ゼロ世帯は1981年の5.3%から2003年の21.8%に増加した。
日本の貧困層の増大も深刻です。ところが、自・公政権は相変わらず医療費や福祉の予算を削っています。アメリカ軍がグアムに基地をつくるのに3兆円も出してやるという「気前の良さ」があるのに、日本人に対してはこれだけ冷酷になれる日本政府って、いったい何なのでしょうね。
(2007年1月刊。2800円+税)
2007年11月02日
チョコレートの真実
著者:キャロル・オフ、出版社:英治出版
私はチョコレートが大好きです。といっても、それほど食べているわけではありません。高級チョコのおいしさはなんとも言えません。それにしてもバレンタインデーが私の子どものころになかったのは良かったと思います。だって、あれって露骨に差別を見せつけるじゃありませんか。私は嫌いです。いえ、もらったチョコレートは喜んで食べます。
この本はチョコレート生産現場の苦い真実を伝えています。
世界のカカオの半分近くが、高湿な西アフリカの熱帯雨林に生まれている。カカオの木とは神々の食べ物ということ。熟した実をナタで切り落とし、割って中の宝物を取り出す。パルプと呼ばれる淡黄色の果肉に包まれて、くすんだ紫色をした、アーモンド大の種が数十個ある。向こうを見ると、バナナの葉を敷いた台の上に、取り出した種を果肉ごと積み上げてある。そうやって数日間、湿気と熱気の中で発酵させると、驚くべき錬金術が行われる。熱帯の強い日差しにさらされるうちに、果肉から甘くとろりとした液が浸み出し、種がその中に浸る。強烈な臭いを発しながら、微生物が働き出す。これが何の変哲もない豆を魔法のように、世界でもっとも魅惑的なお菓子に欠かせない原料に変える。異臭の中で、5、6日発酵させたあと、台に広げて乾燥させる。さじ加減の難しい、こうした手作業の積み重ねとチョコレート製造技術のおかげでチョコレートがつくられている。
1万5000人のマリ人のこどもたちが、コートジボワールのカカオ、コーヒー・プランテーションで働いている。多くは12歳以下で、140ドルで年季強制労働に売られ、一日12時間、年に135ドルから189ドルで働く。
『ブラッド・ダイヤモンド』という映画がありました。2003年にクリーンダイヤモンド貿易法が出来て、奴隷労働が規制されています。同じような規制がカカオについても必要だと思いました。
フェアトレード運動は、途上国の農民に恩恵を与えるよりも、先進国の人々の罪悪感をなだめるためのものだった。それでも、途上国の人間に多少なりとも公正になるようにはした。
有機食品運動は、現在では、ほぼ全面的に市場原理主義に吸収されてしまった。この原理がアグリビジネスを動かし、世界中で農民を貧困に追いやった。
コストは最小に、利益は最大に。この風潮を招いている本当の要因は消費者だ。安全性、手軽さ、手頃な値段がある限り、消費者は、生産者が誰なのか、原料が何なのか、あまり関心を持たない。
駅にあるケンタ、赤坂交差点にあるマックに群がって買い求めている人々を見るにつけ、地球環境の保全は道遠しだな。私はつくづくそう思います。
(2007年9月刊。1800円+税)
2007年11月15日
ウォルマートに呑みこまれる世界
著者:チャールズ・フィッシュマン、出版社:ダイヤモンド社
毎週1億人以上が、アメリカ国民の3分の1がウォルマートで買い物している。1年を通すと、アメリカの全世帯の93%が少なくとも一度はウォルマートで買い物をしている。2005年のアメリカでのウォルマートの売上げは、一世帯あたり2060ドルをこす。
ウォルマートは、メキシコ、カナダにおいても最大の小売企業である。イギリスでは食品小売業として第2位。全世界で2006年にウォルマートで買い物した客は72億人にのぼった。世界の人口65億人よりも多い。
ウォルマートの従業員は160万人。エクソンモービルの従業員は9万人。300万人もの人がウォルマートに商品供給する仕事に従事している。
ウォルマートは旧態を打破できず、進化できないでいる。つまり、労働環境に問題がある。2005年秋までにアメリカ各地でウォルマートに対して従業員から40件もの訴訟が起こされた。休憩時間なしで働かされたとか、退社時刻のあとも無給で働かされたというもの。そして、外国人従業員245人が不法就労者として逮捕され、ウォルマートは連邦政府へ1100万ドルもの制裁金を支払った。
サム・ウォルトンが1992年に亡くなったとき、ウォルマートの年間売上げは440億ドル、従業員は37万人だった。死後13年たった2005年に従業員はさらに120万人、売上高は2400億ドルも増えた。
ウォルマートには、長年、一サプライヤーの売上げの30%以上のシェアは占めないという非公式のルールがある。一企業の運命を左右するという見られ方をしたくないから。つまり、ウォルマートと最大30%まで取引している企業でも、残り70%は他の販路を通じて販売している。
ウォルマートは、やはり最後は価格がものを言うと主張している。他社より少しでも安く、というわけだ。
ウォルマートの新規出店は、アメリカの雇用を増やしているのか、単に自社の従業員を増やしているだけなのか。
過去7年間のアメリカ小売業界の雇用増加分の7割以上はウォルマートの成長によるものだった。ウォルマートが新規出店すると、最初の年は、地域の雇用は100人ふえる。つまり、ウォルマートの従業員が150人、同じ地域内で小売の仕事についていた50人は職を失う。ウォルマートの出店後、数年にわたって、小売業の雇用数は減り続け、5年たつと小売業の新規雇用数は100人ではなく50人にまで減る。
人口500人から1000人の小さな町で小売店の売上げが47%も減っている。住民の多くがウォルマートへ来るまで買い物に出かけたからだ。アイオワ州内のウォルマートの店舗が45にまでふえたため、男子・紳士衣料品店の43%が閉鎖した。
ウォルマートは、進出した地域の食品小売ビジネスの15〜30%程度のシェアを一気に地元の既存の食品店から奪いとる。
従業員が20人未満の小さい小売店の数が減る。ウォルマートの新規出店から2年以内に3店がつぶれ、5年内に4店が閉鎖する。つまり、ウォルマートの出店とその成功は、既存の地元小売店の犠牲の上に成りたっている。新しく出店したウォルマートは、たしかに従業員を新規に300人雇用するかもしれない。しかし、その一方で、近くの小売店の従業員250人が職を失い、小売店4店が姿を消している。
つまり、ウォルマートは何百人もの従業員を雇うが、新規出店から5年たつと、創出された新規雇用数合計は50人ではなく、20人を差し引いて30人になってしまう。たったの30人である。結論として、世論の関心度の高さに比べて、ウォルマートの新規出店による雇用創出効果はそれほど大きいものではなかった。
私の生活する町の近くにイーオンが、でっかい郊外型ショッピングセンターをつくると言います。先日、宮崎に行ったら、郊外にありました。町中のシャッター通りはひどいものです。便利さの裏で、歩いて安心して買い物できる地域環境がなくなっています。
ウォルマートで買い物する人は、ふだん忙しくて一度に大量に物を買う人たち。安くて質が悪くても、あまり気にはしない。
ウォルマートが原因で地域に貧困世帯が増えている。アメリカ全国にすると2万世帯が貧困に陥っている。ウォルマートが新規出店して5年内に4つの小規模ビジネスが姿を消している。ジョージア州の貧困世帯の健康保険制度に加入していた子どものうち1万人以上が親はウォルマートで働いていた。
ニューヨークにも、インドにもウォルマートは一店もない。ドイツや日本でも苦戦している。
アメリカで消費されるサケのほとんどはアトランティック・サーモンだ。養殖サケの 95%を占める。チリ産だ。養殖サケは、養豚場の豚と同じ。狭いところに押しこまれ、病気を治すためでなく、予防のために大量の抗生物質がつかわれている。海底には大量の排泄物が堆積し、その周囲は死の海と化す。100万匹のサケが出す排泄物の量は、人口6万5000人の町の排泄量に相当する。そのうえ、サケに与えるエサも海洋汚染の原因になっている。
大きいことはいいことだ。安いことはいいことだ。価格破壊、万歳。こう叫んでいるツケは高いと思いました。
(2007年8月刊。2000円+税)
2007年12月10日
古代メソアメリカ文明
著者:青山和夫、出版社:講談社選書メチエ
アメリカ大陸を最初に「発見」したのは、いうまでもなくコロンブス一行ではない。最初のアメリカ人は、モンゴロイドの先住民たちであった。彼らは、今から1万2000年以上前の氷河期にベーリング海峡が陸つづきになったころ、アジア大陸から南北1000キロに及ぶ広大な陸橋ベーリンジアをこえて、無人のアメリカ大陸に到達した。モンゴロイドの先住民たちは、1万年以上にわたって生活を営みつづけていた。
チョコレートの原料のカカオは、メソアメリカの先住民が栽培化した。ジャガイモは南米で最初に栽培された。メソアメリカ原産のトウモロコシは、古代から先住民たちの主食である。古代メソアメリカでは、タバコは単なる嗜好品ではなく、重要な儀礼用植物であり、主として王族・貴族のあいだで、宗教儀礼を清め、儀礼的な病気治療にもちいられた。
日本の秋の代名詞であるコスモス、クリスマスに人気のポインセチア、ダリア、マリーゴールドなども、みなメソアメリカ原産の花である。
日本人と同じモンゴロイドである先住民が、コロンブス以前に「四大文明」をはじめとする旧大陸と交流することなく、メソアメリカ古代文明を独自に築き上げた。
古代メソアメリカ文明は、石器を主要利器とした、きわめて洗練された「石器の都市文明」だった。
メソアメリカの人々は、手だけ(十進法)ではなく、手足両方の指をつかって20進法で数字をかぞえたのが特徴。南米のインカ文明は、日本人と同じく十進法だった。ゼロの概念は、旧大陸ではインダス文明、新大陸ではマヤ文明が、それぞれ独自に編み出した。
メソアメリカでは家畜はイヌと七面鳥くらいで、耕したり運んだりする大型家畜はいなかった。すべて人は徒歩だった。牛や馬も利用していない。
マヤの王は、政治指導者であるとともに、国家儀礼では最高位の神官であり、戦時には軍事指揮官でもあった。専業の神官は存在せず、王や貴族が神官の役割を果たした。神聖王であったマヤの王は、先祖・神々と人間の重要な仲介者であり、神々と特別な関係をもつことによって自己の権威・権力を正当化した。
戦争では王がしばしば捕獲・人身供犠にされ、戦争の勝敗は、都市の盛衰に大きく影響した。しかし、一つの王朝が遠い別の王朝を征服して直接統治することはなかった。
古代メソアメリカは政治的に統一されなかった。これは、南米で、インカ帝国が15〜16世紀に中央アンデスを統合したのと対照的だ。16世紀からのスペイン人の侵略によって、古代メソアメリカ文明は破壊された。しかし、その後も影響は今に至るまで残している。
トウモロコシは、乾燥・貯蔵が容易で、その余剰生産は、古代メソアメリカの都市文明をうみ出した原動力の一つとなった。
トウモロコシ、マメ、カボチャはメソアメリカの三大作物である。
鏡はあったが、それは鉱石を磨いたもので冶金ではない。鏡は支配層の威信財だった。
マヤ民族という単一民族は過去も現在も存在しない。共通語の「マヤ語」はなく、30のマヤ諸語が、800万人以上の現代マヤ人によって話されている。
マヤ文字は、漢字かなまじりの日本語とよく似ており、一字で一単語をあらわす表語文字、一字で一音節をあらわす音節文字からなる。マヤ文字は全部で4〜5万あり、60%くらい解読されている。
暦は365日暦がある。古典期マヤ文明は、南北アメリカ大陸で、文字、算術、暦、天文学をもっとも発達させ、ゼロの概念を独自に編み出した究極の石器の都市文明だった。
メキシコ中央高地のテオティワカンは、最盛期の200〜550年には、23.5平方キロの面積に12万5000人〜20万人の人口が密集する、南北アメリカ大陸で最大の都市であり、ローマに匹敵する世界的な大都市として繁栄した。
アステカ人にとって、戦争とは敵を活かしたまま人身供犠のための捕虜として捕らえ、貢納を確保することが一大目的だった。スペイン人のような、敵を無差別に皆殺しにするという概念は存在しなかったのである。
数百人のスペイン軍より最終決戦では20万人に及ぶ敵対先住民の同盟軍によってテノチティトランは陥落させられた。アステカ王国の敗北はここに原因があった。
知らなかったことがたくさんありました。日本人の学者が、この分野でも活躍しているのですね。
(2007年8月刊。1600円+税)
2007年12月14日
失われた文明マヤ
著者:恩田 陸、出版社:NHK出版
メキシコ南部からグアテマラあたりにあったマヤ文明を現地の写真つきで紹介する本です。マヤ文明が高度に発達していたことは残された石造の遺跡の素晴らしさからもよく分かります。本当にすごく立派な石造りの建物がたくさんありますし、彫刻もきめ細かいものです。
マヤ文明は中央集権型の構造ではなかった。マヤ文明が長持ちしたのは、ネットワーク型の都市文明だったから。ネットワーク型組織は故障に強い。マヤでは、そこそこの規模の都市がゆるやかにつながっていたので、どこかがつぶれても残りは生き続けることができた。
1695年、古代マヤ文明の中心地ティカルの遺跡が再発見された。密林のなかに忽然とピラミッドがそびえ立つ。1号神殿は高さが45メートルもある巨大な建造物だ。ところが、当時の古マヤの人々は鉄を知らず、つかったのは石の道具だけ。また、牛も馬もつかわず、すべて人間が担いで運んだ。
うむむ、これはすごいことですね。
ティカルには、およそ6万人が住んでいたと推定されている。
この本では深紅に塗られた建物が建ち並ぶティカルの町の様子がCGで再現されています。まさに圧巻です。荘厳とでもいうべき眺めです。
さらに驚くべきことは、ここに人工の貯水池が3つあったというのです。ティカルには川も湖も沼もなく、そのままでは乾期に人々は生活できないので、貯水池をつくった。それも、高度、中度、低度と、水の汚染度の違いで、水の利用を区別していたというのです。すごいですね。
チチュン・イツァーのピラミッドには、春分の日になると、大蛇の頭にうねるような光の胴体がつながった、豊穣の神・ククルカンが出現する。
これは、ピラミッドが真北から17度傾いていて、古代マヤ人は、太陽の観測から、それがつくる影の位置を正確にとらえて精巧な建築で再現したのです。
こういっても、言葉だけでは分かりにくいと思います。しかし、特定の日に、影だけで大蛇を出現させるなんて、きわめて高度の天文学と建築学の知識を要することです。いやあ、まったく驚いてしまいます。
このククルカンが降臨すると、それからひと月後に雨期が始まる。つまり、ククルカンの出現は、大事な農作業を始めるタイミングを教えるわけである。
古代マヤ文明の遺跡からは、古代マヤの戦争を描いた壁画も発見されています。カラー写真で、迫力ある戦闘場面が描かれていることがよく分かります。
インカ帝国とが別の高度に発達した文明があったことが、たくさんの写真を眺めているだけでも、よく分かります。
今日は、私事ですが、私の50代で最後の誕生日なのです。そうなんです。来年は、ついに私も還暦を迎えるというわけです。我ながら信じられませんが、このブログを読んでいただいている方々へのお願いです。そのことについての一言コメントをぜひお寄せください。辛口コメントでも、もちろん結構です。
還暦を目前にして、私も、もう一回、何か新しいことをしたいと考えています。
(2007年6月刊。1600円+税)
2007年12月19日
戦争する国、平和する国
著者:小出五郎、出版社:佼成出版社
ノーベル平和賞を受賞したコスタリカのオスカル・アリアス・サンチェス大統領の話を中心にまとめた本です。
コスタリカは300年ものあいだスペイン総督の支配下におかれた植民地だった。そして、コスタリカは1821年にスペインからの独立を宣言した。
コスタリカとは、コスタ(海岸)とリカ(豊)かというスペイン語による。
コスタリカは人口430万人。うちスペイン人と先住民との混血が95%、アフリカ系3%、先住民2%。
中米にあるコスタリカは、50年前から軍隊をもたず、また、自然保護で有名な国です。
コスタリカは、九州と四国をあわせたほどの面積しかもたない。しかも、国土の3分の1は3000メートル級の高山。活動中の火山も多い。変化に富む高山の存在が、動植物の宝庫である理由のひとつで、首都のサンホセも高原盆地にあり、標高が高いので、熱帯のイメージから遠い快適な気候。まるで軽井沢みたい。日本の四季より多様な自然環境がある。
少し前のことですが、福岡の後藤富和弁護士がコスタリカに視察に行ってきたことを聞いて、うらやましいなと思ったことでした。
コスタリカは、平和主義をとり、非武装・永世中立の国。そして、教育に投資する国。国家予算の20%を教育費が占める。
1948年、大統領選挙の不正問題をきっかけに内戦が始まった。内戦は1ヶ月以上続き、犠牲者は2000人をこえた。勝利したのは革命軍で、リーダーはフィレーゲスであった。
コスタリカの現行憲法は、翌1949年に成立した。軍は、恒常組織としては、禁止する。警備および公安維持のため、必要な警察力をもうける。こうなっています。
コスタリカの教育水準は高い。教育水準が高いということは、国民の政治に対する関心が深いということ。選挙で政治に参加し、自分たちの未来を決めたい。みんながそう考えている。
コスタリカ憲法に、国内総生産の6%は教育費にあてると明記している。ちなみに、福祉のための予算は、同じく9%をあてている。義務教育は9年間。学費はタダ。落第もある。大学も、国立が4校、私立が36校ある。国民の2%、8万人が大学生。つまり、大学適齢期の人口4人に1人は大学生だ。
ひゃあ、すごいですね。日本では今4人に1人なんでしょうか?
コスタリカ憲法には環境権が明記されている。そして、エコツーリズムが盛んであり、年間100万人をこえる人が海外からやってくる。
コスタリカでは、選挙はお祭りである。投票率は70%ほど。4年に1回、国中が沸きかえる。同じ年にサッカーも試合もある。選挙権のない18歳未満の子どもたちも、選挙権はないが、投票権があり、投票する。そして、その結果は公表される。
投票所の雑用は年長の子どもたちがこなす。また、選挙をとり仕切るのは選挙裁判所である。たとえば、投票日前後3日間のアルコール販売は禁止される。
いやあ、感心しました。コスタリカっていう国は「親米」の国なのですが、アメリカの言いなりには決してならない国のようです。そこが日本とは決定的に違います。見習うべき国だと思いました。
仏検(準一級)の結果を知らせるハガキが届きました。自信をもって開きます。合格の文字が目にとびこんできました。やれやれ、です。問題は得点です。86点でした。合格基準点が79点で、合格率は25%ですので、まずまずです。ちなみに、自己採点では87点でした。実は、準一級のペーパーテストの合格は、これで5回目です。だいたい7割はとれるようになりました(一級のほうは3割台で低迷中です)。口頭試問のほうは3回受けて、1回だけパスしましたが、あと2回は不合格でした。
口頭試問は個人面接です。3分前にフランス語で書かれたテーマ(そのときどきの時事問題が多いようです。たとえば狂牛病問題とか、学校5日制の導入とか)2つのなかから一つを選び、3分間、それについてフランス語で話すのです。これは本当に難しいです。そのあと、フランス語での質問にこたえます。全部で7分間ですが、とても緊張します。思ったようにフランス語の単語が出てこないのです。まあ、それでも、せっかくですから、もちろん今回も受けます。
(2007年9月刊。1400円+税)
2007年12月26日
オッペンハイマー(上)
著者:カイ・バード、出版社:PHP研究所
第二次大戦前のアメリカで、知識人のなかに共産党の影響がすごく強かったことを改めて認識させられた本でした。
オッペンハイマーとは、日本に落とした2つの原子力爆弾をつくったロスアラモス研究所の中心となった天才的物理学者です。
オッペンハイマーは、その名のとおり、ドイツ移民の家系であるが、民族的にも文化的にもユダヤ人だった。ただし、シナゴーグには属していなかった、という意味で、正統派のユダヤ教徒ではない。
オッペンハイマーは歴史、文学、数学、物理のコースに加えて、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、ドイツ語、すべてで優をとった。博士論文を提出して、口頭試問を受けたとき、試験管の一人が、「うまく逃げ出せたよ。彼は試験管の私に質問を始めたのだ」と同僚に話した。ひゃあ、信じられませんね。さすが、天才です。
オッペンハイマーは、愛する弟に次のようにアドバイスしました。
一緒にいるためにキミの時間を消費させようとするのは、若い女性の職業みたいなもので、それを払いのけるのがキミの職業だ。デートというものは、浪費する時間のある人にとってのみ重要である。キミやぼくには重要ではない。
うむむ、なんという言葉でしょうか。天才って、やはり浮き世離れした存在なんですね。
オッペンハイマーは、ユダヤ人としての出自を自己宣伝することは決してしなかった。オッペンハイマーはユダヤ人であったが、ユダヤ人でなければよかったと思っており、また、そうでないふりをした。
オッペンハイマーはバカは人間(ときには、普通の物理学者もここに入る)を相手にすることを拒んだ。
オッペンハイマーには、一つの問題にあまり長く固執する忍耐力がなかった。オッペンハイマーの才能は、すべての学問分野を合成する能力にあった。
アメリカの共産党は1938年に7万5000人のメンバーをかかえていたが、入党1年未満の新人が大部分だった。1930年代に、合計すると25万人のアメリカ人が短期間でもアメリカ共産党と関係をもった。
オッペンハイマーの彼女となったジーン・タトロックは共産党員であり、共産党の太平洋沿岸の機関紙である「ウエスタン・ワーカー新聞」に寄稿していた。
オッペンハイマーは、『資本論』3巻を隅から隅まで読み、レーニン全集も読破した。これはすごいですね。私も『資本論』は分からないながらも2回読みました。1回目は大学生のとき、2回目は弁護士になってからです。でも、私には難しすぎて、よく理解できませんでした。レーニンの主要な著作はだいたい読んだつもりですが、全集の読破なんて、だいそれたことは考えたこともありません。それでも10巻選集は全部読んだように思います。レーニンの本は分かりやすく、かなり理解できました。
オッペンハイマーは、どこかの時点で共産党員であった親類、友人、同僚に囲まれていた。左翼のニューディール政策支持者として、オッペンハイマーは共産党が支持する運動に相当額の資金を寄付した。しかし、オッペンハイマーは、本人が常に主張したように、決して正式党員ではなかった。
1939年8月に結ばれたナチス・ドイツとソ連との不可侵条約によってアメリカでは多くの共産党員が脱党した。この条約は今からすると、明らかに独裁者スターリンの大きな誤りの一つです。
オッペンハイマーは、常にフランクリン・ルーズベルトと彼のニューディール政策に夢中だった。オッペンハイマーは、1940年11月にキティ・ハリソンと結婚した。キティは誰もが共産主義者として扱った女性である。
オッペンハイマーは、原子爆弾だけが、ヨーロッパからヒトラーを追い払うことができるという絶対の信念をもっていた。しかし、アメリカ軍はオッペンハイマーが機密に近づくことを懸念した。共産主義との結びつきが強いことからだ。
ロスアラモスが1943年3月に開所したときは100人の科学者とスタッフがいた。6ヶ月後に1000人になり、1945年夏には、民間人4000人と軍人2000人がいた。住人の平均年齢はわずか25歳だった。研究所の統括者であったオッペンハイマーは39歳だった。
アメリカでは、このあとマッカーシー旋風がすさまじく吹き荒れ、赤狩りが始まり、インテリが一斉に共産党から逃げ出しました。いまでは、大学のごく一部に細々と共産党の影響力が残っているだけのようです。もっとも、この状況は、日本でもあまり変わりませんよね。
(2007年8月刊。2000円+税)
2007年12月28日
慟哭のハイチ
著者:佐藤文則、出版社:凱風社
1988年から今年(2007年)まで、ハイチを訪れ続けている日本人カメラマンによるハイチ・レポートです。
ハイチ共和国はカリブ海のイスパニョラ島の西側3分の1で、東側はドミニカ共和国。日本の四国の1.5倍の面積です。国土の4分の3が山地だが、森林は5%でしかない。それほど環境破壊がすすんでいる。人口は870万人で、人口の95%が黒人で、残る5%は混血と白人。カトリック教徒が80%で、プロテスタントが16%。しかし、同時にブードゥー教徒が8〜9割いる。日常語はクレオール語でフランス語も通じる。
熱帯性の気候で、平均寿命は52歳。識字率は53%、失業率は60%。1人あたりの国民所得は450アメリカ・ドル。
民主化への希望の星として現れたアリスティドは、1991年に軍のクーデターによって失脚する。しかし、10年後に2期目の大統領に就任した。ところが、2004年2月、反政府武力勢力の反乱によって再び失脚し、ハイチの混乱は2007年も続いている。
ハイチは、世界初の黒人共和国として歴史に名を残す。音楽、絵画など、文化的にも豊かな才能にあふれている。キューバは対岸にある。
ハイチ軍は、いわばギャングの連合体である。高級将校たち個々の利益を背景に、微妙なバランスで成り立っている組織だ。弱みを見せたら、すぐに抹殺される弱肉強食の世界である。
コロンブスが1492年にイスパニョラ島に着いたとき、50万から100万のタイノ・アラワク族が住んでいた。
これほど善良で、しかも従順な人間は全世界のどこにも見あたらない。
スペイン王に対して、コロンブスは、このように報告しています。
1681年に2000人だった黒人奴隷は砂糖の輸出量が増加するにつれて増え、 100年後には50万人に達した。苛酷な労働と待遇のために死亡率は高く、20年ごとに奴隷の総数が入れ替わった。
アメリカは1915年7月に海兵隊300人を派遣してハイチを19年にわたって支配した。
1957年、デュヴァリエが大統領に当選した。デュヴァリエ政権を支えたのは私的軍隊であるトントンマクートである。秘密警察であり、スパイであり、言論、人権弾圧機関でもある。不穏な動きがあると徹底的に弾圧した。犠牲者は3万〜6万人と言われる。
アリスティド派の武装民兵をシメールと呼ぶ。軍隊のように統制されているかのように思うと間違いで、その実態は武装した若者の寄せ集め集団。スラム街をナワバリとするギャング団や戦闘的な政治グループに属する若者たちのこと。教育の機会もなく、職もなく、将来への期待をもてない若者たちが、拳銃をふりまわし、ギャングに憧れるのだ。
アリスティドが最初に失脚した1991年9月のアメリカ大統領はジョージ・ブッシュ、再び失脚した2004年2月は息子のジョージ・W・ブッシュだ。
アメリカ政府は、反米色の濃いアリスティドを「信用できない人物」として、反アリスティド政策をとってきた。キューバやベネズエラに対するアメリカの政策と同じですね。
絶え間ない政権抗争、国際社会の極端なまでの圧力と無関心、そして、その背後にはいつもアメリカの影が漂う。すべてが無力。これがハイチの政治風土である。すべてゼロからの出発を余儀なくされる。いま、ハイチには9000人の国連平和維持部隊が駐留している。日本に居住するハイチ人は十数人、ハイチに居住する日本人は12人。
早く安定した、平和な国になってほしいと思いました。それにしても、こんな危ない国に長く滞在し、日本へ貴重なレポートを送り続けている著者の勇気を称賛します。
(2007年7月刊。2700円+税)
2008年01月08日
女たちの単独飛行
著者:C・M・アンダーソン、出版社:新曜社
女性が一人で生きていくことの意味、そしてどう生きていくのかを語った本です。でも、同じようなことが男性の一人暮らしについても言えることは多いと思いました。
シングル女性が自分は間違いなく幸せだという確信をもっても、メディアは、そんな幸せなんて一時的なもので、年月がたつとたちまち消えてしまうと喧伝する。
しかし、中年は終わりの始まりではなく、大きな可能性を秘めた時期が到来し、自分のときとなったことを実感する。自分が常に求めてきたことを探り出し、若いときにはなかった熱意とたしかな目的をもって、それを追い求めるという甘美な課題に支配される時期である。内なる満足感とリスクを冒して自分を伸ばすという新たな意欲とが微妙にまじりあっている。自由、冒険、自己満足、気楽さ、そして喜びと発見の瞬間を味わう可能性が広がっている。
既婚か未婚かにかかわらず、中年期は、人生を新しい視点で眺める機会を与えてくれる。女性は自分の苦闘を個人的なものと見なしがちだが、中年になると自分個人の歴史がアメリカ社会の政治的・社会的な歴史という背景のなかで起こったという事実を実感できるようになる。
うむむ、なるほどなるほど、そうなんですね。でも、一人で生活すると日常生活のなかに不便があることも確かですよね。
シングル女性は、仕事のうえで密接な関係にある相手とのロマンチックで性的な誘惑や落とし穴に陥りやすい脆さがある。自分のキャリアを危うくせずに上手に断わるのが、とても難しい。シングル女性だと、嫉妬に狂う夫の出現を匂わせて、近づいてくる相手をやんわり断ることができない。拒否されたと思った男性は、とかく職場をその女性にとって居心地の悪い場所にしてしまう。シングル女性は、どのように振る舞ったとしても、職場のゴシップのタネにされかねない。
シングル女性は、生計のためには仕事が頼りなので、昇進への努力を促される可能性があり、したがって「ガラスの天井」とか「レンガの壁」にぶつかる経験を人並み以上に味わいがちだ。
シングル女性が、自営か雇われの身であるかにかかわらず。成功を達成したときのマイナス面は、職業と私生活とのバランスを維持するのが難しいこと。
シングル女性が充実した生活を送るのに、男性は不用だ。
中年の女性が男性を探そうとしないのは、デートは時間のムダで、退屈であり、恥さらしにさえなると思っているから。男性にとって魅力があるのは、若い女性のぴちぴちした肉体だけでなく、従順さでもある。
シングル女性は単独飛行を気に入っているが、ひとり住まいにともなう日々の雑用では苦労している。
シングル女性は、たいてい金銭的な問題をかかえたことがあるか、現在かかえているか、将来かかえるのではないかと恐れている。孤独と貧困の脅威は不安感をうみ、十分なお金があるかどうかという実際問題をはるかにこえた脆弱感をうみ出す。
アメリカのシングル女性90人にインタビューしたものをまとめた本です。大いに勉強になりました。
(2004年10月刊。2500円+税)
2008年01月23日
タイガーフォース
著者:マイケル・サラ、出版社:WAVE出版
ベトナム戦争のさなかに起きたアメリカ軍によるベトナム住民の虐殺事件を40年たってアメリカのオハイオ州の地方紙「トレド・ブレード」が掘りおこしました。この本は、その過程を明らかにしています。
それにしても今ごろ、なんで、という思いが、ふと、してしまいました。でも、ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵士というのは、ちょうど私と同じ団塊世代が中心なのです。ということは、アメリカ社会を動かしてきた世代だということでもあります。その彼らが今どうしているのか、かつてベトナムで何をしていたのかは、やはり忘れることのできない出来事なのでしょう。
タイガー・フォースは、1965年11月、デービッド、ハックワース陸軍少佐が「ゲリラの非ゲリラ化」を目的に創設した小隊だった。リコネサンス(偵察)とコマンド(奇襲)の機能をあわせもつことから「リコンド」と呼ばれた。
タイガーに入隊を許されたのは、わずか45人。タイガーは、グリーンベレーでもあり、戦闘部隊でもあった。2人ないし3人の小単位にわかれてジャングル深く忍びこむ。「やりたいことは何でもやれ」、このように命令されていた。
索敵行動に加えて、タイガーたちは、しばしば無理な作戦行動を命令された。1966年2月、中央高地の田んぼと山に覆われた場所でタイガーが重装備のベトナム解放民族戦線の軍隊に包囲されたとき、隊長のジェームズ・ガードナー中尉は敢然と3つの掩蔽壕を攻撃した。ガードナー隊長は戦死したが、彼の行動で小隊は脱出することができた。1966年6月、ラオス国境付近の戦闘で11人のタイガー兵士が殺された。
アメリカ兵はベトナム人を嫌っていた。南ベトナムに足を踏み入れたときから、ベトナム原住民は下等であると言いきかされた。やつらは人間じゃない。将校でさえ、ベトナム人をサル、チビ、つり目などと呼んでいた。新兵訓練キャンプでも、サルという言葉がつかわれた。銃剣術の教練のときには、新兵たちは「サル!」と叫びながら、的を突き刺した。ベトナム戦争を扱ったアメリカ映画『フルメタル・ジャケット』『ハンバーガーヒル』『プラトーン』『7月4日に生まれて』などで、その状況が生々しく再現されています。
兵士の教育プラグラムでは、敵は人間ではないと思わせる。敵から人間的価値をはぎとってしまえば、殺しやすくなる。
1967年の半年で5000人近いアメリカ兵が殺されていた。その半分は5月以降の死者だった。1966年の1年間の死者総数に近い数字だ。
不気味な場所だ。闇、ジャングル、前線中隊から隔絶された。道らしい道はない。太いツタが木々にからみついて光を遮断し、熱を密封している。遠くで咆哮するゾウ、近くで悲鳴をあげる野生の猿が、ひっきりなしに沈黙を破る。ミドリ毒ヘビにかまれると、はげしく痙攣しながら、たちどころに死ぬ。黒いジャングル・ヒルは長さ3センチで、木から落ちてきて肉に吸いつく。吸われたところは、痛いミミズばれが残る。
新兵たちが朝、隊に入り、夕方には死ぬ。衛生兵は、タイガー兵士がいきなり無防備のベトナム人を撃ち殺すのを目撃した。それは、彼ら自身が非難していた行為だった。ドミノが倒れはじめた。ひとりまたひとり、兵士がこわれていった。多くは恐怖と脅しに屈した。一夜にして起きたことではない。徐々に腐食していった。兵士たちがこわれるなんて、誰も予測していなかった。だが、現実にそれは起きた。
個々の兵は、死の淵に立たされたとき、倫理と自己破壊の境をこえる危険性を内包している。兵は僚友が殺されるのを見たり、死の恐怖に直面したりすると、指揮官に命を預けられるかどうかを考える。もし指揮官が民間人を殺せば、兵はそれにならおうとするだろう。自分の行動を正当化しようとする。この指揮官は、自分を活かしてくれているのだから、正しいことをしているに違いない。そこで兵は、一気に殺戮に加わっていく。
アメリカ陸軍がベトナム中央高地の地上戦で敗れつつあることは今や公然の秘密だった。1967年2月以来、陸軍と空軍が何百回もの出撃で何千発の爆弾を落としても、戦況にはまったく影響がなかった。
兵士は覚せい剤やマリファナがなければ一日をやり過ごすことができなくなっていた。体重は減り、眠れない。スピードと銃撃で神経がすり減っていた。たとえば、ある兵士は昔は医学部に行くことを夢見ていたのに、今は何の夢ももてない。
カーニーは、ひとつの部隊が完全に崩壊していくのを見ていた。6月には、同志意識と善意の感覚があった。あのころのタイガーは蛮勇の兵士だったが、殺人者ではなかった。隊には大勢いい奴がいた。自己規律が働いていた。しかし、ここ1、2ヶ月のあいだに、小隊は暗黒の力に征服されてしまった。その力を、どう表現したらいいだろう。人間が集団で暴虐と殺戮におちていくのを見るのは、耐えられない。誰もそんなものを目撃したくない。カーニーの場合、罪悪感は圧倒的だった。殺戮を身ながら、止めることができなかった。もし止めようとしたら、自分の命が危なかっただろう。
こわかったのは、誰も攻撃を止める者がいなかったこと。しかも、指揮官たちが、現実にそれを奨励していた。
タイガーは凶暴モードに突入したまま、外部から遮断された。この状態におちいると、兵士は戦闘の局外者は理解できない生理学的変化をもろに引き受ける。中脳が情報を処理する前脳にとってかわる。生存本能が支配する。その結果、兵士は理性の働きより、反射神経に頼る。戦闘においてはいいことである。兵士が生き残りモードに入っているからだ。そして、殺す。これこそ兵士のあるべき姿なのだ。
タイガーという特別部隊が日常的に罪を犯していたにもかかわらず、それを罰する司令官は一人もいなかった。
タイガー・フォースの元隊員たちは等しく問題をかかえていた。神経が破壊されていた。PTSDをわずらっていた。そして、ベトナム帰還兵の6人に1人がPTSDにかかっていることが分かった。戦争体験の後遺症に悩まされていた。戦争の記憶を心の奥深く押しこんできたが、心理的症候群、記憶の再現、悪夢、うつ症状が、毎日のように思いおこさせた。苦痛を忘れるため、麻薬やアルコールに逃げこむ者も少なくない。彼らは戦争体験を話したがらない。
しかし、彼らの心は、戦場での行動を、そのつどスナップ写真におさめていた。射殺した者や頭の皮をはいだ者の映像は、コンピューター・プログラムのように脳内に蓄積され、忘れたころに戻ってくる。かつての兵士たちは、一家団欒のさなかに、突然、血まみれのスナップ写真を、目の前に突きつけられるのだ。
なーるほど、そういうことだったんですね。これって、なんとなく分かる気がします。
1968年3月13日に起きたミライ事件は一日で504人ものベトナム人を虐殺した。しかし、タイガーフォースは7ヶ月間ものあいだ罪のない普通のベトナムの農民たち、女性や子どもたちをも虐殺しつづけていた。
タイガーフォースは11日間に49人を殺したと報告した。しかし、同時に発見した武器はゼロとも報告している。これは、明らかにおかしい。報告を受けた司令部が奇妙な事実に気がつかないはずはない。
タイガーフォースが無差別に殺したベトナム民間人は数百人にのぼる。タイガーフォースの45人編成の小隊に7ヶ月間に在籍したのは120人。そのうち10人が戦死した。
今もベトナム戦争の後遺症がアメリカ社会に沈潜していることを思い知らされる本です。日本もイラクへ軽々しく出兵すると同じ事態を迎えることになります。
それにしても防衛省トップだった守屋元次官の汚職はおぞましい限りです。あんな連中が、日本の安全を守るとウソぶいているのですよね。表で言ってることは勇ましくても、その本音は自己の私腹を肥やすことと名誉心でしかないのが、昔から軍人の体質であり習性なのです。
(2007年9月刊。1900円+税)
2008年01月31日
1491
著者:チャールズ・C・マン、出版社:NHK出版
1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見した。私は、これをコロンブス、石の国(1492)発見というゴロあわせで暗記して今も覚えています。
我々が今日アメリカと呼んでいる大陸には、人類も、その文明も存在しなかった。
これは、1987年版のアメリカ史の高校教科書です。それって本当でしょうか?
15世紀。カナダのオンタリオ地方に当時すんでいたウェンダット(ヒューロン)族は、フランス人を自分たちに比べて頭が悪いと考えていた。ヨーロッパ人は体が弱く、性的にだらしがなく、ぞっとするほど醜くて、とにかく臭くてたまらない。イギリス人やフランス人の多くは、生まれてこのかた風呂に入ったこともなかった。インディアンが身体の清潔を心がけていることに驚いていた。
インカ帝国は、アンデス史上最大の国家だったが、短命だった。15世紀に誕生し、たった100年続いただけで、スペインに滅ぼされてしまった。
インカの経済制度の特徴は、金銭をつかうことなく機能したこと。インカには、市場さえなかった。
インカ人は、恐るべき発明をしていた。たき火で石を熱して真っ赤に焼き、松ヤニをたっぷりつけた綿で包んで、標的に向かって投げるのだ。綿は空中で燃え出す。敵にしてみれば、突然、火を噴くミサイルがばらばらと降ってくるわけだ。
ピサロの成功には、鉄よりも馬のほうが大きく貢献した。当時、アンデスで最大の動物といえば、平均体重130キログラムのリャマだった。馬は、その4倍もあった。インカの人々にとって馬は、得体の知れない何とも恐ろしいけだものだった。
天然痘には12日間の潜伏期間がある。そのあいだに感染者は、自分が病気にかかっているとは知らずに、会う人みんなにうつしてしまう。すぐれた道路網を発達させ、大規模な民族移動を敢行してきたインカには、強力な伝染病の広がる下地ができあがっていた。天然痘は、インキの染みがティッシュペーパーに広がるようにして、またたくまに国中に広がった。何百万人もの人々が一斉に同じ症状を出した。住民の9割が伝染病で死んでいった。アメリカ先住民は、獲得免疫をもたなかっただけでなく、もともと免疫システムがヨーロッパ人ほど強くはなかった。感染源は、歩く食肉貯蔵庫、つまり、連れてきた300頭の豚だった。豚は馬と同様、なくてはならないものだった。
ほかの穀類は放っておいても勝手に繁殖するが、トウモロコシは、粒がじょうぶな苞葉に包まれているため、人の手で種を播いて増やしてやらなければいけない。つまり自生しないのだ。6000年以上も前に、メキシコ南部の高地で、インディオがはじめてトウモロコシの祖先種を栽培した。
アンデスの高地の主要作物はジャガイモだった。トウモロコシとちがって、これは標高4000メートルでも安定した収穫が見込める。品種は何百種にも及び、一年でも地中に埋めて保存しておくことができる。
インディアンが主張する個人の自由には必ず社会的な平等がともなっていた。北東部のインディアンは、ヨーロッパ人社会では人が階級によって分類され、下位の者は上位の者に従うべしとされているのを知って仰天した。人は、誰もが自分自身の主人であり、同じ土からできているのだから、差別や優劣があってはならないと固く信じていた。
男女を問わず、白人の子がインディアンに捕らえられ、しばらく彼らと暮らしたときには、身代金を払って取り返し、手を尽くして温かく迎えて居心地よいように配慮してやっても、ほどなく、イギリス人の暮らしにうんざりし、隙をみてまた森に逃げこんでしまう。そうなれば、もう呼び戻すことはできない。うむむ、なんということでしょう。
インカの神聖暦は、天文学者が金星の動きを丹念に観測していたことによる。金星は263日間、明けの明星として地球から見ることができ、その後、50日ほど太陽のうしろに隠れてしまう。そして、263日間、今度は宵の明星として見ることができるようになる。インカの暦は、同時代のヨーロッパの暦よりも複雑で正確だった。
ユーラシア大陸で四大文明が興った時代には、アメリカ大陸でもきわめて高度な文明が誕生していた。また、人口も多かった。さらに、景観に手を加えて、驚くべき知恵をもってたくみに生態を管理していた。
そうです。コロンブスの「発見」の前に、アメリカ大陸には大きな人口をかかえた国があり、高度に発達した文明があったのです。
(2007年7月刊。3200円+税)
2008年02月05日
ホメイニ師の賓客(下)
著者:マーク・ボウデン、出版社:早川書房
イランのアメリカ大使館が占拠されて人質にとらえられている人々を救出するため、カーター政権は秘密のプロセスをたどっていた。そうです。人質救出のための直接的な軍事行動に出ることにしたのです。ところが、アメリカ軍の粋をきわめ、精鋭兵士を何ヶ月も訓練し、万全を期してのぞんだはずなのに、この救出計画はみるも無惨に失敗してしまいました。そのプロセスをこの本は明らかにします。
デルタ・フォースは、カリフォルニアの海兵隊基地で6度目の徹底した予行演習を行い、上々の結果を出した。デルタ戦闘員は眠りながらでもほぼ完璧にこなせるくらい、自分たちの動きを知り尽くした。
しかし、不測の事態を考えるべきだ。デルタはあくまで軽歩兵部隊だ。戦車や装甲をほどこした兵員輸送車が出てきたら、長くはもちこたえられない。その心配にこたえて作戦当夜は、ACー130ガンシップがテヘラン上空を旋回することになった。ACー130なら、イラン軍の装甲車が救出作戦に介入しようとしても破壊できる。
デルタ兵士たちは何ヶ月ものあいだ隔離され、延々と訓練してきた。誰にも、自分のやっていること、行く先、戻ってこられそうな時期を教えるのを禁止されていた。何ヶ月ものあいだ、昼も夜も狭い空間で一緒に生活させられるのは、大人にとってじわじわと拷問にかけられるのにひとしい。意見がとげとげしくなり、あらゆることが口論の火種となった。
カーター大統領は、イランの不法行為に並々ならぬ自制で応じた。国益と53人の人質の両方を重視し、慎重に対応した。それは国内外から高く評価された。支持率は、占拠の当初は2倍に上昇した。しかし、月日がたつにつれ、カーター大統領のとった自制策は弱さと優柔不断のあらわれと見られるようになった。
MCー130は、アラビア半島の南東先端にあるオマーンの沖に浮かぶマシラという小島を夕暮れに飛び立った。1時間後には、MCー130機の1機とCー130の4機が続いて離陸した。MCー130の二番機には総勢132人に増えた急襲部隊の残り全員が乗っていた。地形に沿って飛べるよう、各機とも空軍の最新鋭の地形回避航法システムを装備していた。
アメリカ軍のさまざまな部門から志願してきたペルシア語のできる兵士(全員がイラン系アメリカ人)や元イラン軍将校2人が、デルタ隊員とともに飛行機で運ばれた。
MCー130一番機は目的地にふんわりと着陸できた。やわらかい砂のおかげだ。そしてMCー130の二番機も着陸した。ところが、そこへ、屋根に荷物を積み、驚いた顔のイラン人乗客40人を載せた大きなバスがやってきた。さらに、近くを走っていたトラックを撃つと、燃料を積んでいるトラックが爆発し、真昼の陽光なみのまばゆい閃光がひらめいた。バスは、タイヤがパンクし、走行不能となった。乗客のほとんどはチャドル姿の女性で、泣き叫ぶ。
万事が予定の時刻表より遅れていた。ヘリコプター部隊が潜伏地点2ヶ所に夜明け前に到着するのは無理だった。 兵士たちは2時間も地上で待たされた。砂嵐が兵士たちの顔を激しく叩き、目をあけていられなかった。
8機でイラン領内に侵入したヘリコプターのうち2機が、故障で引き返し、6機となった。そして、目的地に着いたとき、1機がエンジンを止め、使えるのは5機になった。
仮に5機が潜伏地点まで行けたとして、翌朝、5機すべてが飛び立てるのか。
一機か二機が飛び立てず、他のヘリも被弾したときには、人質と兵士をどうやって運ぶというのか?
救出作戦の中止が決定された。ヘリコプターが飛び立つと、Cー130は四機とも、幸いにもイラン空軍から攻撃されることもなく、脱出することができた。戦闘機の護衛なしでイラン領内から脱出できたのは幸運としか言いようかない。
アメリカの精鋭救出部隊は、何ヶ月もの訓練を経て、科学技術の粋を尽くしたにもかかわらず、敵との交戦がないまま兵士8人とヘリコプター7機とCー130一機を失った。完全な敗北だった。大潰走という言葉どおりであった。
この大失敗を聞いたアメリカ人の多くは、救出作戦には賛成しつつ、失敗に終わったことを悲しみ、落胆したが、カーター大統領を非難することはしなかった。
救出部隊の派遣を決断したカーター大統領には66%の支持が寄せられた。
カーター大統領はその後も人質救出に全力を傾注したが、次のレーガン大統領はまったく関心をもたなかった。すべて前大統領の責任問題だとみなしていた。
イランのアメリカ大使館の人質救出作戦の大失敗の実情を知ることができました。やはり、何ごとも力による解決には限界が大きいということですよね。
(2007年5月刊。2500円+税)
2008年02月27日
自動車爆弾の歴史
著者:マイク・デイヴィス、出版社:河出書房新社
怖ーい本です。読んでいると、ゾクゾク寒気を覚えます。でも、これが世界の現実なんだからと、自分に言い聞かせて最後まで読み通しました。核攻撃も怖いですけど、自動車爆弾、それも自爆攻撃にあったら、とても防ぎようがないことが、この本を読むと、よく分かります。結局のところ、暴力による報復の連鎖を早く止めるしかないのです。日本国憲法9条2項の意義は、今日ますます高まっていると改めて思いました。
初めての自動車爆弾は、1920年9月、アメリカのウォールストリート街で起きた。サッコとヴァンゼッティが無実の罪で処刑されたあと、復讐心に燃えるイタリア系移民のアナーキストであるマリオ・ブダが荷馬車に積んだ爆破物と鉄の散弾を爆発させた。ウォールストリートは史上初めて株式取引を中止した。ブダは、1800年のパリでナポレオンを殺しかけた荷馬車の装置にヒントを得ていたと思われる。
アメリカの占領するイラクでは、2003年7月から2005年6月にかけて、乗物爆弾によって9000人以上の負傷者(そのほとんどが民間人)を生んだ。2005年秋には月あたり140件。2006年の1月1日だけでバクダットで13件起きた。
平凡な交通手段と見分けのつかない武器による攻撃にさらされて、行政金融の中心機構が安全地帯に撤退していった。自動車爆弾には、7つの特徴がある。
第1に、驚くべき威力と効率的な破壊力をもつ隠密(ステルス)兵器だ。
第2に、自動車爆弾は、非常にけたたましい。宣伝効果が抜群である。
第3に、自動車爆弾は非常に安くつく。盗難車と500ドルの化学肥料と海賊版電子部品だけで、4〜50人を殺せる。アメリカの用いる巡航ミサイルは1発100万ドルするが、アメリカのオクラホマシティでビルを破壊して168人を殺したとき、5000ドルもかからなかった。
第4に、自動車爆弾は作戦として組織するのが容易だ。
第5に、自動車爆弾は、本質的に無差別である。自動車爆弾は主義主張の倫理的信頼を失墜させ、大衆的支持基盤を失わせるようにも作用する。自動車爆弾は、純真無垢な爆破要員を必ず見捨てる、根っからのファシスト的武器である。
第6に、自動車爆弾は、非常に匿名的で、科学捜査にひっかかる証拠をほとんど残さない。
第7に、自動車爆弾のもたらした最大の驚くべき衝撃は、現代政治の辺境にいる担い手たちに市民権を与えたこと。
ベトナムに対するアメリカの侵略戦争、いわゆるベトナム戦争のとき、ベトナム解放民族戦線(アメリカの呼ぶベトコン)は、サイゴン(今のホーチミン市)にいるアメリカ軍への攻撃を何回となく仕掛けた。それは、きわめて洗練されたパルチザン組織であった。些細なことに異常にこだわり、徹底的に予行演習し、秒刻みで実行に移され、実行後に延々と吟味された。その組織には、地図作製者、カメラマン、解体作業専門家、独自の融資部門、通信交通部門、腕時計を時限爆弾の点火装置に改造する専門まであった。
ベトナムの次に、イギリス(アイルランド)で、そして、中東で自動車爆弾がつかわれます。1983年4月、レバノンのベイルートにあるアメリカ大使館前で、907キロもの爆薬を積んだトラックが爆発した。これによって、ベイルートのCIA支局の6人全員が殺された。
1983年10月23日の日曜日、5443キロもの高性能爆発物を積んでいたトラックがアメリカ海兵隊宿舎の1階に激突して爆発した。241人のアメリカ海兵隊員が死亡した。1945年の硫黄島以来、1日で最大の人的損失だった。
ほとんどの自爆テロリストは、実は、外国による占領という屈辱に対して反撥した地元の愛国者である。社会的にはみ出し者であったり、触法精神障害者あるいは、常態的な社会的敗者であるというのは少ない。むしろ、まったく逆の経歴を有している。心理学的に正常で、所属共同体で標準的な経済的見通しをもっていて、社会的ネットワークに深く結合し、自らの民族的共同体へ情緒的に帰属している。彼らは、自らの生を国家的善のために犠牲にすると理解している。つまり、自爆テロとは、主として外国による占領に対するひとつの返答なのである。
イギリスには何千ものカメラのネットワークがある。しかし、巧みに計画され、上手に偽装された乗物爆弾攻撃から巨大な首都を守る手段としては、ほとんど役に立たない。監視カメラでは防げないのですよね。私も、そうだと思います。
近くの山の中腹に古いお寺があり、臥龍梅で有名です。日曜日に散歩がてら見に行きました。まだ三分咲きでした。なぜか例年とちがって、まったく花芽のついていない枝が目立ちました。今年は一休みなのでしょうか・・・。大晦日に除夜の鐘を撞きに行ったのは、つい昨日のように思いますが、あれからもう二ヶ月もたってしまいました。本当に月日のたつのははやいものです。
いま、わが家の庭には水仙のほか、可憐なクロッカス、あでやかなアネモネの花が咲いています。陽も長くなり、春はもうすぐです。
(2007年11月刊。2600円+税)
2008年02月29日
戦争格差社会アメリカ
著者:田城 明、出版社:岩波書店
テロとの戦争のもとで、アメリカに今なにが起こっているのか、ヒロシマ記者が歩く。そんなタイトルのついた本です。いやあ、ホントに、日本がアメリカのような国になったら大変だと、つくづく思わせる本です。
2001年9月11日のテロ事件から5年たったアメリカにおいて、現場で救助活動にあたった人のなかに、その後遺症に悩む人々がいかに多いか。マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』にあるとおりです。
9.11テロの直後、被災者の救援活動にあたった人々の大半に呼吸器疾患がみられる。ぜん息、のどや胸部の痛み、頭痛、全身の倦怠感。PTSDも見逃せない。
現在、WTC崩壊現場で働いた人たちによる、障害者年金や労働補償を求める訴訟が 8000件にのぼる。
アメリカから危険人物と一方的に認定されて国外追放された人は、2005年だけでも10万人にのぼる。
アメリカの退役軍人省は、全米で20万人のホームレスがいると推定している。男性のホームレスの3人に1人は、退役軍人だ。年間では、40万人の退役軍人が1日以上ホームレスの状態を体験している。退役軍人のホームレスのうち、ベトナム戦争関係が45%ともっとも多く、湾岸戦争、イラク・アフガニスタン戦争の関係者も10%はいる。
イラクへの派遣を拒否して軍法会議にかけられた兵士が10人いて、うち2人は服役中。イラク派遣を避けてカナダに移った兵士が200人。イラク戦争が始まって、無許可の隊離脱者は6400人。
アメリカでの軍隊勧誘は、貧困層の若者をターゲットにしている。
アメリカでは、ベトナム戦争中の1973年に徴兵制が廃止された。志願制になったが、その勧誘の標的は圧倒的に貧困層だ。軍人を勧誘する年間のリクルート予算は40億ドル(4800億円)。
メディアとして、イラク戦争に加担したことへの反省も、ニューヨーク・タイムズなどを除いて、ほとんどない。
新聞もテレビも寡占化がすすみ、多様な意見が反映しにくくなっている。利益優先主義がジャーナリズムの質を低下させている。
イラク戦争にアメリカは3780億ドル(45兆3600億円)をつかっている。追加予算が承認されたら、4560億ドル(54兆7200億円)に達する。これはアメリカの納税者1人あたり1500ドル(18万円)になる。1時間あたり1150ドル(13億8000万円)、1日だと2億7500万ドル(330億円)の出費となる。
気狂いじみたアメリカのイラク戦争遂行状況がよく分かる本です。こんな国に追随するなんて、日本をますます不幸にしてしまうだけですよね。
(2007年11月刊。1900円+税)
2008年03月04日
エコノミック・ヒットマン
著者:ジョン・パーキンス、出版社:東洋経済新報社
この本の序文に、次のように書かれています。エコノミック・ヒットマン(EHM)とは、世界中の国々を騙して莫大なお金をかすめとる、きわめて高収入の職業だ。EHMは、世界銀行やアメリカ国際開発庁(USAID)などの国際援助組織の資金を、巨大企業の金庫や、天然資源の利権を牛耳っている富裕な一族のふところへと注ぎこむ。その道具につかわれるのは、不正な財務収支報告書や、選挙の裏工作、賄賂、脅し、女、そして殺人だ。EHMは、帝国の成立とともに古代から暗躍していたが、グローバル化のすすむ現代では、質量ともに驚くほど進化している。
EHMは、いったん仲間入りしたら、一生抜けられない。EHMは、汚い仕事をする特別な存在。どんな仕事をしているのか、誰に話してはいけない。妻に対しても・・・。
EHMの仕事は、世界各国の指導者たちを、アメリカの商業利益を促進する巨大なネットワークにとりこむこと。EHMは、マフィアのヒットマンと同じく、まずは恩恵を施す。それは、発電プラントや高速道路、港湾施設、空港、工業団地などのインフラ設備を建設するための融資という形をとる。融資の条件は、プロジェクトの建設をアメリカ企業に請け負わせること。要するに、資金の大半はアメリカから流出しない。ワシントンの銀行から、ニューヨークやサンフランシスコなどの企業へ送金されるだけ。しかし、融資を受けた国は、元金だけでなく、利息まで返済を求められる。EHMの働きが成功したら、融資額は莫大で、数年たったら債務国は返済不能になる。そのとき、マフィアと同じように、厳しい代償を求める。たとえば、アメリカ軍の基地の設置など。もちろん、それで借金が帳消しになるわけではない。
エクアドルは、EHMが政治的経済的にトリコ(虜)にした国の典型だ。エクアドルの産出する原油100ドルあたり、石油会社のとり分は75ドル。残り25ドルのうち4分の3は、対外債務の返済にあてられる。その大半は軍備などに充てられ、公衆衛生や貧しい人々への援助や教育に充てられるのは、2.5ドルほどでしかない。
ウガンダ(アフリカ)の悪名高い独裁者だったアミン元大統領は、1979年に失脚し、サウジアラビアに亡命した。反体制派の国民を10〜30万人も虐殺したという暴君が、サウジアラビアの王族から保護され、車や召使いを与えられ、豪華な生活を過ごした。アメリカも、反対はしなかった。アミンは2003年、80歳で病死した。
EHMは、エクアドルを破産に追いこんだ。何十億ドルもの貸付をして、アメリカのエンジニアリング会社に工事を依頼させ、もっとも裕福な人々の利益になるプロジェクトをつくった。その結果、この30年間で、生活困窮者の割合を示す公式な貧困線は50から70%へ、不完全失業者と失業者の割合は15%から70%へと大きく増えた。国家の負債は2億4000万ドルから160億ドルへと増加した。その一方、最貧層のために配分される国家予算の比率は、20%から6%へと減少した。
今日、エクアドルは借金の支払いのためだけに、国家予算のほぼ半分をつかわなければならない。
アメリカの実情を再認識させられました。サブ・プライムローン破綻で世界中をゆり動かしましたが、今のままでいくとアメリカの経済繁栄はいずれなくなってしまいますよね。でも、そのとき日本がどうなっているか、お互いにますます心配です。
庭にミカンを半分に切っておくと、すぐにメジロが二羽飛んできて、ついばみはじめます。可愛らしいですよ。そこへヒヨドリが飛んできてメジロを追い払います。ジョウビタキもやって来ますが、ミカンは食べません。ジョウビタキは茶色で、尻尾が少しだけ長いスズメくらいの大きさの小鳥です。人の見えるところまで近づいてきて、鳴きながら尻尾をチョンチョンと下げて挨拶してくれるのが愛敬です。それよりもうひとまわり大きいツグミのような茶色の小鳥も庭にやって来るようになりました。図鑑をみて調べるのですが、アカハラに似て、それほど赤味はありません。もちろん、常連のキジバト、そしてわが家にすみついているスズメたちも庭中をかっ歩しています。ようやく春になりました。チューリップの咲くのも、もうすぐです。待ち遠しくて、しかたありません。
(2007年12月刊。1800円+税)
2008年03月07日
グーグルとの闘い
著者:ジャン・ノエル・ジャンヌネー、出版社:岩波書店
アメリカのグーグル社が、6年間で、1500万冊、45億ページをデジタル化すると発表した。2004年12月14日のこと。
英語(アメリカ語)が他のヨーロッパ言語のほとんどすべてを犠牲にして、いっそう優勢になる。果たして、それでいいのか。著者は鋭い警鐘を鳴らします。
グーグルは検索者と広告主のニーズを的確にとらえた。グーグルの検索エンジンに占める広告のウェイトは大きい。これまで、本は広告を含まない唯一の情報媒体だった。これは大切なこと。
グーグルは羽振りの良さの陰にもろさを隠している。もし、グーグルが破産したら、そこでデジタル化された遺産は誰のものになるのか。グーグルの計画の弱点の一つは、長期的な保管・保護について明らかに無関心なこと。これは、商業的な計画に隠された短期性による。投資は何があろうと早々に回収されなければならないからだ。
英語は多くの国でつかわれているものの、アメリカの影響力が強い。情報ソースがアメリカに集中する可能性が強い。情報ソースの集中は、知らず知らずのうつにアメリカ的な発想へと誘導する。しかし、文化には多様性が不可欠である。
フランス国立図書館は、1300万冊を収容し、8万点をデジタル作品を所蔵している。フランス文化省によると、国内30の図書館がデジタル化に乗り出している。
インターネットによって、本の効用がなくなることはない。本は必ず生き残る。インターネット利用者も、結局は、古典的な本の文化に戻る。ウェブは、確実に、書架の奥に埋もれていた作品に光を当てるようになる。
アメリカが世界を支配しようとしているとき、アメリカはどんな国なのか。改めて確認しておく必要がある。死刑制度が存続する。200万人もの刑務所人口がいる。選挙では、お金が決める。京都議定書を拒否する。人道に対する罪を裁く国際刑事裁判所を拒否する。アメリカ軍はイラク戦争でバクダッドに進駐すると、文化施設ではなく、石油省を保護した。
アメリカ(ライス長官)は、自由こそがすべての幸福そして平和を保証する手段だという考えを振りかざした。しかし、フランスでは、昔から、自由にも代償があると理解されてきた。
あのグーグルの言いなりになったら世界の文化の多様性が失われてしまう、そんな危機感をひしひしと感じました。さすがはフランス人です。私もフランス語を勉強し続けて良かったと思いました。
(2007年11月刊。1600円+税)
2008年03月18日
反米大陸
著者:伊藤千尋、出版社:集英社新書
9.11と言えばアメリカ人も日本人も、2001年のテロ事件を思います。ところが、南米チリの人は、1973年の9月11日を思い出すというのです。そういわれると私も思い出します。チリのアジェンデ大統領が軍部クーデターのために殺された日です。そうです。あのピノチェトです。ピノチェトは後に大統領になりましたが、最近、殺害責任を追及されました。今の大統領は、軍部から迫害を受けた体験者です。
中南米でアメリカの介入を受けなかった国はない。アメリカは中南米を「アメリカの裏庭」として、自国の勢力圏とみなしてきた。これらの国は、「天国からはあまりに遠く、アメリカにはあまりに近い」といわれる悲劇に泣かされてきた。うむむ、そういう表現があるのですね。日本も同じようなものですよね。
「南米のABC」と呼ばれる主要3か国のアルゼンチン、ブラジル、チリをふくむ、南米12ヶ国のうち9ヶ国が左派政権となった。今や南米で明確な親米右派政権はコロンビアだけ。コロンビアは旧ソ連派ゲリラとの内戦が続き、アメリカから膨大な軍事援助を受けている。
ベネズエラ、エクアドル、ボリビアと、キューバ革命が南に輸出されている。
南米に反米政権が次々に生まれたのは、アメリカの圧力によって、中南米の各国で1990年代にすすめられた新自由主義の経済政策によるものだ。
ボリビアでは、高地に住む先住民にとって、コカは高山病の症状をいやす薬である。高山病を防ぐためコカ茶を飲む。コカは化学精製して初めて麻薬になる。化学精製しなければ、まっとうな作物である。
キューバにはアメリカのグアンタナモ基地が今もある。今から100年以上も前、キューバが独立するとき、アメリカが力づくで奪ったもの。アメリカの借り賃は年間4000ドルにすぎない。キューバ政府は、グアンタナモ基地の即時返還を要求し、小切手の現金化を拒否している。キューバ人は、はじめアメリカを解放者と思ったが、実は、支配者がスペインからアメリカに変わっただけだった。
アメリカはパナマ運河の利権を維持するため、パナマの完全支配を目ざした。国家の経済政策に介入し、中央銀行の設立を許さなかった。そのため、パナマには、今でも通貨を管理する中央銀行がない。独立国として当然の独自の通貨をもたない。紙幣は米ドルがそのまま流通している。
アメリカは、1946年に米軍アメリカ学校を設立した。年に1000万ドルにのぼる学校経費は、アメリカの国防費から出ている。米軍アメリカ学校は、年間1000人の中南米エリート軍人を集めて教育している。主眼は、国内の反政府派の鎮圧と弾圧である。心理作戦や尋問方法という科目があり、拷問法を教える。拷問の実際のビデオを上映しながら、アメリカ人医師が人間の神経系統の図を示し、身体のどこを、どう責めたら効き目があるのか教える。
うひゃあ、ひどーい。むごい教育です。いえ、こんなのは教育とは言わないでしょう。
アメリカがあとで捕まえたパナマのノリエガ将軍も、この学校の卒業生です。ペルーのフジモリ大統領とともに秘密警察の親玉として弾圧した張本人のモンテシノスも卒業生でした。この学校の卒業生は6万人にのぼります。「民主主義」を標榜するアメリカっていう国は、反民主主義を実践する国家だっていうことを、日本人の私たちも忘れてはいけませんよね。
日曜日はポカポカ陽気でした。庭仕事の楽しい春となりました。庭のあちこちに土筆(つくし)が顔を出しています。アネモネがあでやかな紅、紫、白、ピンクの花を咲かせています。チューリップもぐんぐん伸びて、あと10日もしたら咲き出すことでしょう。アジサイを植えかえてやりました。増えすぎた水仙を泣く思いで掘り上げてコンポストに放りこみました。増えすぎても困るのです。これからジャーマンアイリスの移しかえ、梅の木の剪定などが待っています。
庭仕事をして、しっかり汗をかいたところで早々と風呂に入って汗を流しました。湯船につかりながら、庭仕事をしているとき、一度もくしゃみをせず、目も痒くならなかったことに思いあたりました。あれっ、花粉症じゃなかったのかな・・・、と。でも、夜にはやはり鼻で息ができずに口を開けて苦しい思いをしました。
(2007年12月刊。700円+税)
2008年03月26日
オッペンハイマー(下)
著者:カイ・バード、出版社:PHP研究所
日本に原爆が落ちたことを知ったアメリカ人は、ゴミ入れのふたなどを叩き鳴らしながら練り歩き、喜びをあらわした。そうなんですか・・・。ジャップは、黄色い猿であって、人間ではない。そう考えていたようです。映画『猿の惑星』に出てくる猿も、日本人がモデルだというのです。ご存知でしたか?日本人って、そう見られていたのです・・・。
その一方、原爆開発にたずさわった科学者たちは、日がたつにつれて自己嫌悪感が高まり、戦争終結が爆弾の使用を正当化すると信じていた人たちにさえ、きわめて個人的な後ろめたさを経験させた。
オッペンハイマーは、良心の呵責から不安と疲労を抱えた。
原子兵器の使用を防止する適切で効果的な、いかなる軍事的対抗策も見つからない。それを可能にするのは、ただ一つ、将来の戦争を不可能にすることしかない。
トルーマン大統領は、そんなことを言うオッペンハイマーについて、「原子力を発見したために手が血だらけ、とぬかした泣き虫科学者」と叫んだ。
アメリカに外国からテロリストが核兵器を持ちこむのを見つけることができるか、と問われたオッペンハイマーの答えは?
それにはネジ回しがいる。すべてのスーツケースを開けるための。
つまり、核テロリズムへの対抗策はなかったし、今後も絶対にないということ。
ふむふむ、なるほど、そうなんですよね。ましてや自爆攻撃するテロリストをくいとめる手だては何もないと私も思います。
オッペンハイマーはFBIによって危険人物と見なされ、その電話は盗聴された。
私の電話を盗聴するためにアメリカ政府がつかったお金は、ロスアラモスで私に支払った給料より多かった。そうなんですよね。いつの時代でも盗聴というのは、まったく割のあわない行為だと思います。
オッペンハイマーの家庭生活は、この世の地獄のように思えた。最悪なのは、2人の子どもも必然的に苦しまなければならなかったことだ。
なるほど、そうなんでしょうね。天才の子どもというのは辛いものがあると思います。
1949年8月29日、ソ連がカザフスタンでひそかに原爆の実験をしたとき、アメリカ政府は誰もそれを信じたくなかった。
トルーマン大統領は、ソ連に対する核優位を保つため、10年内に300の核弾頭から1万8000の核兵器をもつようになった。次の50年間に、アメリカは7万個の核兵器を生産し、核兵器プログラムに投入される予算は5兆5千億ドルになった。核生産競争の悪循環に陥ったのです。
オッペンハイマーに対する聴聞委員会は1954年4月12日に開かれた。その容疑は、オッペンハイマーがアメリカ共産党の多くの前線(フロント)組織に加わったこと、共産主義者(共産党員)と判明している数多くの人々と新しい関係ないし交際したこと、原爆プロジェクト共産党員を雇ったこと、サンフランシスコで月150ドルを共産党に寄付したこと、だった。
ええーっ、こんなことが罪になるのですか・・・。
「自由」の国、アメリカの怖い、暗い本質がよくあらわれています。
オッペンハイマーの妻(キティ)も証人席に座らされ、質問を受けた。共産党員としての過去があることを認めて、堂々と反論しました。
5月23日、2対1の評決によってオッペンハイマーを忠実なアメリカ市民ではあるが、保安上の危険人物 であると見なされました。
ところが、皮肉なことに、この裁判と評決の報道は、オッペンハイマーの名声を国の内外で高めた。かつては「原爆の父」とだけ知られていたが、今度は、もっと魅惑的な「ガリレオのように迫害された科学者」のイメージが加わった。ドレフェス事件のような扱いだ。
オッペンハイマーの敗北は、アメリカ自由主義の敗北でもあった。オッペンハイマーが少しでも秘密を漏らしたという証拠はなかった。ルーズベルトのニューディール支持者の多くのように、オッペンハイマーはかつて広い意味での左翼であり、人民戦線運動を支持し、多くの共産党員とつきあいがあった。しかし、オッペンハイマー自身は、自分を反体制派とは考えていなかった。この評決のあと、オッペンハイマーは所長の座を維持できたが、以前のような機知と活気が失われた。オッペンハイマーは、1967年2月、62歳で病気(ガン)により死亡した。
天才科学者を取り巻くアメリカの狂気を知ることができました。
(2007年8月刊。1900円+税)
2008年04月01日
貧困大国アメリカ
著者:堤 末果、出版社:岩波新書
サブプライムローン破綻が世界経済をゆるがしています。いったい、何のこと・・・?
アメリカの住宅ブームが勢いを失いはじめたとき、業者が新たに目をつけたターゲットは国内に増え続けている不法移民と低所得者層だった。破産歴をもつ者やクレジットカードがつくれなくても、住宅ローンが組めるといって顧客をつかんだ。利率は同じ所得層の白人に比べて3〜4割も高い。2005年、アメリカで黒人(アフリカ系のアメリカ人)の55%、ヒスパニックの46%がサブプライムローンを組んでいる。白人は、わずか17%だ。
2007年1月から6月までの半年間で差押物件は全米で57万件をこえた。これは前年比58%増。このサブプライム債権を担保とした証券は、一般の住宅ローンを担保とした証券よりリスクは高いけれど、金利自体が高いために利回りが大きく、ヘッジファンドや銀行が飛びついた。住宅価格が下がって貸し倒れが増えはじめると、日米欧の中央銀行は銀行間の決済が滞ってパニックになるのを防ぐため、巨額の資金を市場に供給しはじめた。しかし、2007年7月にアメリカの大手格付機関が格下げを発表し、8月にフランスのBNP銀行がファンドの一部凍結を実施したことから、世界中を大パニックに追いこんだ。
むひょう。いやですね。大金持ちが貧乏人を食い物にしておいて、破綻したら、また貧乏人にしわ寄せするというのですからね。許せません。
貧困は肥満を生む。メタボになりかけ、ダイエットに励んだおかげで半年で5キロの減量に成功し、標準体重まであとわずかというところまで来ている私にとっても、他人事(ひとごと)ではありません。ニューヨーク州では、公立小学校の生徒の50%が肥満児だというのです。それは、ひどーい。家が貧しいと、毎日の食事は、安くて調理の簡単なジャンクフードやファーストフード、揚げもの中心になってしまう。学校予算が切り詰められているため、給食しようとしても、メニューは、安価でカロリーが高く、調理の簡単なインスタント食品かジャンクフードになってしまう。
アメリカ国内の「飢餓状態」を経験した人は3510人(全人口の12%)。うち2270万人が成人(10%)、1240万人が子どもである。「飢餓人口」の特徴は、6割が母子家庭、子どものいる方がいない家庭の2倍、ヒスパニック系かアフリカ系に多い。収入が貧困ライン以下。その39%が何らかの職業についている。
国民の生命にかかわる部分を民間に委託するのは間違いだ。国が国民に責任をもつべきエリアを絶対に民営化させてはならない。
私も、まったく同感です。国は税金を徴収する以上、やるべき最低の義務があるのです。
2005年にアメリカで個人破産した204万人のうち、半数以上は高額の医療費負担によるもの。私も、20年以上も前に、アメリカでそのことを聞いて耳を疑いました。アメリカには国民健康保険制度がなく、民間の保険会社が適当にやっているので、医療費負担がものすごいのです。映画『シッコ』を見るとよく分かりますが、貧乏国のキューバで市民が安心して生活しているのは教育費も医療費もまったくタダだから、なのです。
病気になって医療費が支払えずに自己破産した人のほとんどが中流階級であり、民間の医療保険に加入していた人なのです。
アメリカの医療保険制度(日本でいう生活保護)であるメディケイドの受給者は、 5340万人であり、貧困層が急増しているため、50%もの増加率となっている。
アメリカの巨大病院チェーン(HCA社)は、全米に350の病院をもち、年商200億ドル、従業員28万5000人。市場原理とは、弱者を切り捨てていくシステムである。
軍隊に若者が入る理由の一つに医療保険がある。貧困層の高校生は、家族そろって無保険のことが多く、入隊したら本人も家族も兵士用の病院で治療が受けられるようになる。これは、非常に魅力的だ。
2003年の時点で、アメリカ国籍をもたない兵士が4万人近くもいる。軍は年間26億ドルをリクルート費用につぎ込んでいる。
アメリカには350万人以上ものホームレスがいて、その3分の2は帰還兵である。心の病いが深刻になっている。2007年8月の時点で、イラクにおいて死んだアメリカ兵は3666人(最新のニュースでは、ついに4000人をこえました)。その5%が自殺によるもの。
トラック運転手を募集という広告。しかも、2年間の契約で、高額。応募すると、勤務地はクウェートと書いてあったのに、実際に連れていかれたのはイラクのアメリカ陸軍基地だった。派遣社員がイラクで死んでも、民間人なので戦死者にはならない。政府には発表する義務がない。
ネパールから生活のために派遣会社を通してイラク入りするネパール人が1万7000人もいる。月収2500ドル。そんなハリバートン社は、イラクでの売上が日本円にして7500億円にもなる。そして、ハリバートン社に対してアメリカ軍は、業務奨励賞と7200万ドルというボーナスを与えた。
まさしく、戦争で肥え太っているアメリカ企業がいるのですね。許せません。
日本人がアメリカ兵の一員としてイラクにまで出かけている実情があることを初めて知りました。日本人もアメリカ軍の一員としてイラクへ出かけているのですね。もちろん、例の自己責任の原則の範囲内のことでしょうが、ひどいものです。日系アメリカ人将校は、イラク出兵を拒否して軍法会議にかけられてしまいましたが・・・。
アメリカに永住権さえ持っていれば、国籍に関係なく入隊できるのです。そういえば、40年前のベトナム戦争のときにも、清水君という日本人青年がアメリカ軍の一員としてベトナムの戦場へ派遣され、戦争の現実を知って脱走して日本に帰国してきたということがありました。
今は、黒人も白人も、男も女も、年寄りも若者も、みな目の前の生活に追いつめられたあげくに選ばされるのに戦争があるというだけのこと。格差社会の下層部で死んでいった多くの兵士にとってこの戦争はイデオロギーではなく、単に生きのびるための手段にすぎない。貧乏人の黒人だけがイラクの最前線に行くわけではない。
アメリカ社会は憲法25条を奪った。人間らしく生きのびるための生存権を失ったとき、9条の精神より目の前のパンに手が伸びるのは、人間としてあたり前のこと。狂っているのは、そのように追いつめる社会の仕組みの方である。
そうなんですよね。アメリカのような社会にはなりたくないものです。
(2008年1月刊。700円+税)
2008年04月24日
イラク戦争のアメリカ
著者:ジョージ・パッカー、出版社:みすず書房
ネオ・コンはアメリカの戦争推進論者です。その一人ウォルフォウィッツは学生だったので、徴兵猶予でベトナム戦争に従軍していない。ディック・チェイニーは学生であることを理由として5回も徴兵猶予を受けている。60年代には兵役よりも他にしたいことがあったと本人は弁明している。ジョン・ボルトンはブッシュ大統領と同じで、州兵になった。東南アジアの水田で死にたくなかったというホンネを語っている。
官僚組織の重鎮はチェイニーとラムズフェルドだったが、9.11以降の政策における精神的指導者はウォルフォウィッツだった。才気あふれる俗世派のユダヤだ。
ブッシュ大統領とウォルフォウィッツは同じ世界観をもっていた。悪の存在を信じ、アメリカは救世主としてそれに立ち向かわなければならないと考えていた。
イラク問題はブッシュ大統領にとって、エディプス・コンプレックスから脱却して男を上げるチャンスだった。父親よりもうまく宿敵に対処できることを証明する、またとない機会だった。
ネオコンの第一世代は、かつて左派そのものだった。トロツキストもふくまれていた。イラク戦争の大物タカ派の中に左派出身者が混じっているのは、そのためだ。
左派とか右派という視点は無意味になった。存在するのは、介入主義者と非介入主義者、革命論者と現実主義者という違いだけだった。共和党主流派の守旧的な現実主義者は、気づくと反帝国主義の左派や極右の孤立主義者と同じ陣営にいた。一方で、かつて人道的戦争を支持していたリベラルたちが、ブッシュ政権のタカ派を不本意ながら支持していた。
2002年夏の終わりから秋にかけて、過剰に攻撃的な表現を用いて、イラクを先制攻撃する必要性をアメリカ国民に納得させるための派手なキャンペーンが始まった。イラクは無法国家で、5年もたてばアメリカに脅威を与えかねないと言われていたのが、突然、一刻の猶予もならないということになった。明確な証拠があるかどうかは問題ではなかった。理由を考える前に、戦争することを決めてしまったため、ブッシュ政権はあとに引けなくなっていた。
彼らは、これは解放の戦争であり、復興はすぐに終了するので、比較的簡単でやりやすい戦争だと考えていた。ウォルフォウィッツは小規模な兵力、戦後復興への最小限の関与という条件を認めた。復興費用はそれほどかからないし、イラクの石油収入でまかなうことができると国民に説明した。ホワイトハウスが推算した復興費用は桁外れに低かった。4月に行政管理予算局は戦後復興費用を25億ドルと見積もった。戦争費用は2000億ドルに達すると予想した。ブッシュ政権は、戦争費用の試算を意図的に公表しなかった。
フランクス将軍の革新的な戦略に動員された兵力は、国を制圧するには十分だったが、治安を維持するには不十分だった。それでも組織的に対応していれば、最悪の略奪を阻止したり、警告を発して暴力行為を予防したりできたかもしれない。ところが、略奪の現場にいたアメリカ兵は、介入するように命令されていなかったので、それを傍観していた。
バクダッド市民による施設の破壊は、爆撃や銃撃による被害を上回った。アメリカ兵は黙ってみていただけでなく、略奪者をたきつけて協力した。アメリカ兵に警備されていた石油省だけは略奪を免れた。
戒厳令はしかれず、夜間外出禁止令もすぐには発令されなかった。しかし、アメリカ軍は、早くから権力を確立していた。すべての元凶は略奪だった。そのときに、無秩序であることが明らかとなった。最初の数週間におきた略奪の経済的損失は、120億ドルと概算された。それは、戦後1年間のイラクの予想収入に等しかった。しかし、物質的な損害よりも、壊滅的な打撃を受けたのは、数値化できない損害だった。イラク人の経験した最初の自由は、混乱と暴力だった。新たな得体の知れない恐怖が解き放たれた。
CPA(連合暫定施政当局)は、地理上はバクダッドの中心に位置しながら、完全に孤立していた。人権担当のイギリス人職員は、5週間のうち、グリーンゾーンを出たのは3回だけ。グリーンゾーンで働いていた職員は、まるで家の外に放火犯が集まっていることも知らずに、新築家屋の内装の仕上げに余念のない作業員のようだった。
イラクに行ってみると、バクダッド国際空港と市の中央部を結ぶ道路をパトロールする十分な兵力がなかったので、イラクに到着するや否や命の安全は保証されなかった。
アメリカ人にとって一番難しいのは、尊厳と敬意をもってイラク人に接すること。なぜなら、信用できるイラク人に会ったことがないから。ここでの最大の戦いは、イラク人に親切にするべく自分と戦うこと。
アメリカのイラクへの侵略戦争が誤りであり、失敗していることは明らかです。少なくとも日本はアメリカのためにお金をつぎこんではいけないし、自衛隊は一刻も早く撤退させるべきです。ところで、先日の名古屋高裁判決は久々に感動しました。日本国憲法に定める平和的生存権は具体的な権利だというのは、まったくそのとおりです。にもかかわらず、「傍論だ」とか、「そんなの関係ねえ」という政府高官の発言は許せません。行政が司法を尊重しなければ三権分立なんてありません。軽々しく見過ごすことのできない暴言です。
(2008年1月刊。4200円+税)
2008年05月02日
私はこうして受付からCEOになった
著者:カーリー・フィオリーナ、出版社:ダイヤモンド社
アメリカ屈指の大会社の社長(CEO)にまでなった女性の語る自叙伝です。それなりに、読みごたえがあり、教訓にみちています。アメリカでは、恐らく日本でも同じことでしょうが、大会社のなかで勝ち抜くのは大変のようです。
スタンフォード大学では、フランス語でカミュの『異邦人』を読んだ。少し荷が重すぎた。ヘーゲルの弁証法も学んだ。これは、ビジネスでも応用している。
UCLAのロースクールに入学して、一日目で選択を誤ったことに気がついた。過去のことばかりで、新しいことが何もない。そう感じられた。しかも、正義ではなく、判例法で決められたことに従うだけ。まったく魅力を感じなかった。毎日、頭痛がして、眠れない夜が何ヶ月も続いた。父が様子を見に来たとき、法律が嫌いだと言ってやった。
いやあ、こんなふうに言われると弱ってしまいます。過去をふまえてこそ、明日に生きる解釈もできると思うのですが・・・。
ある朝、シャワーを浴びながら、頭痛の原因に思い至った。そのとき私は22歳だった。両親を喜ばせるための人生はありえないことに気がついたのだ。私の人生は、私のもの。やりたいことをやらなければ。そう気がついた瞬間、私の頭痛はウソのように消え去った。
たしかに、私の人生は私のもの。その点はまったく同感です。一度しかない人生ですからね。やはり、親の束縛はごめんです。
怒ったときには、低い声で話す。大声は出さない。静かに言う。最後までやり抜く覚悟がないなら、人を脅かしてはいけない。こちらが絶対に正しいという確信がないなら、そして本当に重要な問題でないなら、脅してはいけない。
このまま黙って罵られていたら、女がすたる。こう考えて、バーンと両手で机を叩いた。「黙んなさい。この、すっとこどっこい。黙って聞いていれば、いい気になって。よくも、私をタコ呼ばわりしたわね。ふざけるんじゃないわよ」
いやあ、激しいですね。見上げたものです。
上手に交渉をすすめるためには、相手を知ること、相手に敬意を払うことが欠かせない。相手が大切にすることも自分も大切にし、時間をかけて信頼を得る。ビジネスの世界では、人は信頼と尊敬で結ばれている。信頼と尊敬だけが交渉を成功させ、対立する人同士を結びつける役割を果たせる。
ひゃあ、こんなことを成功したアメリカのビジネス・ウーマンが言うのですね・・・。トップ・ビジネスの世界では、人情みたいなものを全部切り捨てるのかと思っていましたが、違うのですね。
部下が何かしらの成果を上げたとき、ことの大小を問わず、認めて評価した。これが自分にできる最善のことだった。なーるほど、ですね。
自分をビジネスウーマンだと思ったことはない。私はビジネスパーソンだ。たまたま女だというだけ。いつも、こう答えた。なるほど、なるほど。そうですよね。
有名人というのは、公共物である。血の通った人間ではなく、公園の銅像のようなものだ。じろじろ眺められ、批判され、風刺の対象にもなる。スターの誕生は喝采で迎えられるが、転落にも同じくらいの喝采が送られる。
ヒューレット・パッカードのCEOになる前、2つの心理テストを受けさせられた。一つは、ウェブ上で質問に答える。3時間かかった。もう一つは、2人の心理学専門家との面接で、こちらも2時間以上かかった。
うひょー、社長を選ぶのに、アメリカでは心理テストなんてものをやるのですか、ちっとも知りませんでした。日本では、とても考えられないことだと思いますが・・・。
リーダーが求められる資質は3つ。第一は、人格。率直で勇気があること。第二は、能力。自分の強みを知り、それを生かせること。足りないところを知り、他人に任せたり、学習したりできること。第三は、協調性。いつ助けが必要かを見越して手を差しのべること。広い人脈をもち、すすんで情報の共有ができること。
誰でも、いつでも、どこでも、リーダーになることは可能だが、言動が終始一貫していなければならない。
会社を改革するには、一人ひとりがこれまでと違う状況に身を置いて考えることが必要だ。自分の地位を守ろうとしたら、共通の立場に立つことはできない。
リーダーは生まれながらにしてリーダーなのではなく、つくられるもの。リーダーシップは、放っておいても自然に身につくものではなく、教え、育てるものだ。
さすが、ビジネスと経営に苦労した人の言葉であると感心しました。資本家、恐るべし。
(2007年11月刊。1600円+税)
2008年05月07日
カランパ!
著者:高野 潤、出版社:理論社
アマゾン奥地を生命がけで旅をする話です。怖いもの見たさに読みました。
著者は、30年来、アマゾン源流に通っている団塊世代の写真家です。南アメリカのアンデス高地やアマゾン奥地を歩き続け、著書や写真集をたくさん出しています。怖い、こわーい、ぞっとするような話がたくさん登場してきます。なかでも怖いと思ったのが、ジャングルで道に迷って、ひとり取り残されたという話です。まさに生きた心地がしなかったでしょうね。
セスナ機で目的地まで飛び、目的地まで達したら、現地の人たちのすむ集落の上からお菓子を入れた小さな袋をハンカチ大の布とむすんで落下傘形にして落とす。それが飛行場に着陸する知らせとなって、河に舟を走らせ迎えに来る。
なんという連絡のとり方でしょう。電話も無線も利用されないわけです。
現地の人々には一日3食という決まりはない。一日中、何もせずハンモックで休んでいることが多い。突然、腹が減ったという感じで、近くの畑に出かけ、とってきたものを焼いたり煮たりして食べる。吹き矢で野生のサルを仕留めて、それをぶつ切りにし、鍋で煮こんで食べることもある。
家づくりも簡単なもの。ヤシの葉をすき間がある程度に重ねて屋根とする。ぎっしり重ねると空気が流れず暑さが増すし、真っ暗くなってしまう。だから大雨のときに困って、ヤシの葉をつぎ足さなくてはいけないくらいがちょうどいい。いやあ、そういうことなんですか。やはり、現地の風土にあった家づくりなんですよね。
家族ごとに住んでいて、そのあいだは、徒歩で半日以上かかる。この距離が大切で、それはお互いの猟の領域がぶつからないようにする意味がある。
な、なーるほど、そういうことだったんですね。それにしても淋しい気がします。子どもたち同士で遊べませんよね。
糖分は、ミツバチの巣からとり、木の実や野生のイモ類で空腹をおさえる。森を歩きまわっていると、それほど食べるのに不自由はしない。
住居の建材や槍、吹き矢は固い木やヤシの樹皮や葉を利用し、矢先にぬる毒はつるの樹皮からとる。すべて森のめぐみの中から得る。
ジャングルの中にはジャガーがいる。川にはワニがいる。そして森の中、足元には蛇がいる。何がこわいといっても、いちばんこわいのは、やはり毒ヘビだ。タキギをひろおうとしていると、ズルズルと黒くて大きなヘビが動き出したこともある。
足元にタランチュラの巣があったこともある。だから、たとえ1メートルであっても、森の中にふみこむときには、必ず長靴をはくことにしていた。ひゃあ、ぞくぞくしてきます。
カランパ、という言葉は、日本語でいうと、こりゃまた、しまった、なんてこった、という意味で使われる。
いやあ、怖い、こわい。いかにも軟弱な私は、本と写真だけで結構です。高野さん、ご苦労さまです。ありがとうございました。
連休中に熊本城の大広間を見に出かけましたが、1時間待ちと表示されていましたので断念し、市街地の裏通りにあるレストランで美味しいランチをゆっくりいただきました。そこで出されたオードブルの塩トマトの味がとても良かったので、あとでデパ地下で買って家でも食べてみました。小ぶりでしっかり実がしまっています。ちょっぴり塩気もあり、すばらしいトマトです。初めて食べました。
ジャーマンアイリスが盛りです。青紫色、純白、チョコレート色、黄色と、たくさんの花が咲いてくれています。頭上にはサクランボもたくさん紅いルビー色の実をつけています。佐藤錦のように甘くないのが残念です。
(2008年1月刊。1500円+税)
2008年05月13日
無実
著者:ジョン・グリシャム、出版社:ゴマ文庫
上下2冊の文庫本です。いやあ、こんなことって、本当にあったのかと憤りを覚えながら重たい気分で読みすすめました。冬、寒いので厚着をしているところに、首筋から氷のカケラを投げ入れられた。そんなゾクゾクする、いやな思いをさせられてしまいます。でも、アメリカ・オクラホマで実際に起きた冤罪事件だというのですから、途中でやめるわけにはいきません。最後まで辛抱して読み通しました。いえ、面白くないというのではありません。面白いのですが、ノンフィクションだというので、どうしても、この世にこんなことがあっていいはずはないという思いが先に立ってしまい、頁をめくって次の展開を知りたい衝動にかられる反面、ああ、いやだいやだ、人間って、こんなにも無責任かつ鉄面皮になれるものかという底知れぬ不信感を抱いてしまうのでした。このときの人間というのは、無実の人間を寄ってたかって有罪(しかも、死刑執行寸前にまでなりました)に仕立てあげた警察官、検察官そして裁判官です。おっと、無能な弁護人も、それを助けたのでした。
これはオクラホマだけの問題ではない。その正反対だ。不当な有罪判決は、この国のあらゆる国で、毎月のようにくだされている。原因はさまざまでありながら、常に同じでもある。警察の杜撰な捜査、エセ科学、目撃証人が誤って別人を犯人だと断定すること、無能な弁護人、怠惰な裁判官、そして傲慢な警察官。大都市では科学捜査の専門家の仕事量が膨大になり、結果として、プロらしからぬ仕事の手順や方法をとってしまう。
アメリカの中南部のオクラホマ州にある人口1万6千人の町エイダで、1982年12月の夜、21歳の独身女性(白人)が殺害された。警察から犯人と目されたのは白人青年のロン。ロンは、社交性に欠け、社交の場では強い不安を感じる。怒りや敵意から攻撃的になる可能性がある。周囲の世界を危険きわまる恐ろしい場所と考え、敵対的な姿勢をとるか、内面に引きこもることで自分を防御する。ロンはかなり未成熟で、物事に無頓着な人間の典型だった。
小さなエイダの町では、数十年のあいだ、私刑(リンチ)を誇りとする伝統があった。いやあ、まるで、西部劇の世界ですね。裁判によらずに、町の人々が「犯人」を吊し首にするわけです。
「犯人」を逮捕したら、拘置所では密告競争が始まる。警察も大いに奨励する。重要事件の被疑者が犯行の一部始終なり一部なりを告白する言葉を耳にいれるか、あるいは耳にしたと主張し、それを材料として検察と旨味のある司法取引をするのが、自由への、あるいは刑期短縮への最短の近道だった。
ただ、普通の拘置所では、密告者がほかの囚人からの仕返しを恐れるので、それほど多くはない。しかし、エイダでは、この作戦の成功の多さから、さかんに密告があっていた。
場当たり的な貧困者弁護制度は問題だらけだった。あまりにも手当が少額のため、大半の弁護士は、そういう避けたがった。そこで裁判は、刑事裁判の経験が浅かったり皆無の弁護士を任命することがあった。そんなとき、弁護人は専門家を証人に呼ぶことや、お金のかかることは何もできなかった。
死刑の可能性のある殺人事件となれば、小さな街の弁護士たちの逃げ足は一段と速まった。多くの時間が費やされるという負担が重くのしかかり、小さな法律事務所なら実質的にほかの仕事はできなくなる。それだけの労力に対して、報酬はあまりにも少ない。そのうえ、死刑事件では上訴手続がだらだらと永遠に続く。
ロンが拘置所に勾留されていたとき、看守はソラジンの量を微調整した。ロンが独房にいて、看守がゆっくりしたいときには、薬を大量に投与した。これでみんな大満足だった。出廷予定のときは薬の量が減らされ、ロンがより大きな声を出し、より荒々しく好戦的になるよう仕組まれた。
ロンについた弁護人はベテランではあった盲目のうえ、一人だけだった。しかも、その盲目の弁護人は、ロンを怖がっていた。弁護人は、この裁判に大きな時間をとられ、ほかの、きちんとした弁護料を支払ってくれる依頼人にまわせる時間が削られていった。その弁護人は、被告人から突然おそわれないように、屈強な若者となっていた息子を机の横に待機させたほど。
毛髪分析では同一という言葉はありえないのに、「同一」という言葉が鑑定でつかわれた。毛髪鑑定はあまりあてにならないようです。
オクラホマの死刑執行は、致死薬注入による。まず、静脈を拡張させるために食塩水を注入し、最初はチオペンタルナトリウムを注入する。これで死刑囚は意識を失う。もう一度、食塩水を注入したあと、二つ目の薬品である臭化ベクロニウムを続いて注入する。これで呼吸が停止する。食塩水があと一回流しこまれて、3つ目の薬品である塩化カリウムが注入され、これによって心臓が停止する。
この方法による死刑が、最近、アメリカで相次いでいるという記事を読んだばかりです。
別の冤罪を受けたフリッツは刑務所内にある法律図書室で毎日午後、4時間ほども勉強した。そして獄中弁護士を自任している囚人に専門書や判例の読み方を教えてもらった。指導料はタダではない。フリッツは、タバコで、その料金を支払った。
生死のかかった裁判にかけられたら、街で最高の弁護士か、最低の弁護士を雇うべきだ。最低の弁護士の手抜き弁護によって、あまりの弁護のひどさによって再審が認められるこというわけです。
刑務所の看守たちの一部は、ロンをからかって多いに楽しんだ。
「ロン、わたしは神だ。おまえはなぜデビー・カーター(被害者)を殺した?」
「ロン、わたしはチャーリー・カーターだ。なぜ、わたしの娘を殺したのかね?」
ロンが叫びをあげて抗議するので、ほかの囚人にとっては苛立ちのもとだったが、看守にとっては格好の気晴らしだった。こんな面白いことがやめられるわけがない。
たまたま、裁判官が記録の洗い直しを命じ、矛盾点を発見してロンは助かりました。ただし、11年もたってからのことです。そのとき、DNA鑑定が役に立ちました。しかし、起訴した検察官と警察官たちは、最後で自分たちの非を認めませんでした。DNA鑑定にしても、それを隠したのは自分たちではないかのように知らぬ顔をしてしまいました。
ようやく無罪放免になったロンですが、エイダの町はあたたかく迎え入れるどころではなく、いぜんとして「殺人犯人」扱いでした。
ロンは、この長い絶望状態のなかで、心身ともに病みきっていました。冤罪事件の罪深さは、人ひとりの人生を大きく狂わせてしまうところにあります。
(2008年3月刊。762円+税)
2008年05月16日
米軍再編
著者:梅林宏道、出版社:岩波ブックレット676
米軍再編とは、ペンタゴン(アメリカ国防総省)の世界的国防態勢の見直しによる再編のこと。その目的は、機敏で柔軟な世界的展開を可能にするための能力を高めることにある。
ペンタゴンは、西ヨーロッパと東北アジアにアメリカ軍が過剰に配置されているという現状認識を強調した。
米軍再編前の2002年、アメリカは海外に19万7000人の軍隊を配備し、70万エーカーの基地をもっていた。海外配備アメリカ軍の95%、海外の基地面積の51%が西ヨーロッパと東北アジアに集中している。つまり、ドイツと日本と韓国の3ヶ国だけで、海外配備アメリカ軍の81%を占めていた。このような現状をペンタゴンは適切でないとした。それは冷戦後の世界情勢を考えたら当然と言える。
再配置されたアメリカ軍は、同じアメリカ軍であっても、これまでとは一変した存在である。アメリカ軍は、同盟国の承認のもとに、世界のどこにでも跳躍できる部隊として世界各地に配置されることになる。アメリカ軍は、どの地域にいても、いわば「地球軍」なのである。
ペンタゴンのとっている「蓮の葉戦略」とは、地球上のさまざまな場所に大小さまざまのアメリカ軍基地が配置されるということ。カエルが蓮の葉を跳びながら移動するように、それらの基地を跳躍台として、世界中のどこにでも短期間に兵を送り、そこで持久力のある戦争を行えるようなシステムの構築をめざすのである。
ペンタゴンは、基地機能に、従来にないメリハリをつけ、大型で費用のかかる「主要作戦基地」の数を減らし、機動性のある基地ネットワークを再構築しようとしている。
基地(ベース)と名の付くものは主要作戦基地だけで、あとは、場所(サイト)や地点(ロケーション)と呼ばれる。
グアムは、本格的な海兵隊の基地となる。アメリカ海兵隊は、「蓮の葉戦略」上、沖縄にいるよりも、好位置につくことができる。そして、アメリカは、それを日本人の払う税金で実現しようとしている。
うむむ、こんなことって、絶対に許せませんよ。怒りが噴き出します。
アメリカのイージス艦の日本海配備は、あくまでもアメリカ本土の防衛用である。
そうなんですよ。アメリカは日本人を守るなんて考えたこともないでしょう。黄色いサルなんか原爆でみな死ねばよかった、今でもそう考えているアメリカ軍人は多いのではありませんか。
イラク国内に、アメリカは4ヶ所の巨大基地を建設中だ。ここは、1万人をこえるアメリカ兵の住む町の様相を呈している。うへーっ、ちっとも知りませんでした。知らないって、恐ろしいことですね。先日、日弁連会館で著者の話を聞いたときに買って読んだ本です。
(2006年5月刊。480円+税)
2008年06月02日
不倫の惑星
著者:パメラ・ドラッカーマン、出版社:早川書房
社会人経験のない私が弁護士になって早々に経験したのが夫婦間の離婚事件でした。いやはや大変でした。つくづく司法修習生のときに結婚していて良かったと思いました。離婚事件の多くは一方の不倫が原因となっています。そして、そのかなりのケースで、不倫を無理に否定する配偶者がいます。私は、今も、そんなケースをかかえて苦労します。だいたい、男のほうが攻め落としやすいものです。女性の多くは開き直って、したたかな対応をしてきます。
この本を読むと、世界各国、どこでも不倫はありふれています。ところが、ビル・クリントンの国(アメリカ)では、不倫が罪悪視されているというのです。私にとって、これほどイメージとかけ離れていることはありませんでした。キリスト教の原理主義者が多いため、今でもダーウィン流の進化論を学校で教えることができないという国だからの変な現象です。
現在、ほとんどのアメリカ人は17歳までに初体験をするが、26歳にならないと結婚しない。活発な性生活を送りながらも、独身のままでいる時期が、9年間つづく。
アメリカ人は、2006年の調査でも、道徳的な観点からみて、不倫は、一夫多妻制やヒトクローン以上に許しがたいと答えている。
不倫が大目に見られたり、勧めたりする特殊な環境もアメリカにはある。シーズン中のスポーツチームや法律事務所である。スポーツ選手のほうは例示があって私も分かりましたが、その一つが法律事務所とは、私にとって理解しがたい驚きです。
クリントン大統領への弾劾をアメリカ下院が可決した直後にCNNとギャラップが行った世論調査によると、クリントンの支持率が10ポイント上昇して過去最高の73%となった。一方、共和党の支持率は12ポイント下がって31%だった。ほとんどのアメリカ人は、情事は私的な罪でしかないと考えていた。
アメリカでは、浮気をした人が信頼を回復するには、浮気相手の名前、密会や性交渉の詳細など、伴侶が知りたがることは、どんな細かいことでも隠しだてせずに洗いざらい話す必要があるとすすめられていた。クリントンは、このアドバイスどおりの行動をとった。まず否認するのをやめ、情事を認めた。
著者(女性)が、アルゼンチンに出張したとき、夫ある身と知りながら男性が口説いたセリフに私はじびれてしまいました。
「ぼくの妻が、どうして出てくるのか分からない。これは、ぼくときみだけの問題だろう。君に、すばらしい喜びを味あわせてあげようと思っているんだ」
いやあ、私も一度は、こんなセリフで女性を口説いてみたいと思いました。アルゼンチンの男性には負けてしまいます。
配偶者の浮気について、ポーランドでは、伴侶のいないところで風船をふくらますと言い、中国では、妻に裏切られた男性は緑色の帽子をかぶると言う。
ゲイが集まるバーやナイトクラブでは、行きずりのセックス相手を見つけるのに格好の場所だ。一方、ストレートの男性が女性と知り合う場所は学校や職場だから、交際は長く続く。ゲイの男性の43%が、これまで60人以上と関係をもったと答えた。同じ地域に住むストレートの男性では、4%にすぎない。
ウソをつくのが問題になっているので、真実を話すことがアメリカ人にとっての不倫の解決法になっている。しかし、それを聞いた外国人は、口をそろえて信じられないと言う。裏切られた側としては、不倫の詳細を知ったら心の傷が広がるばかりだろうと考えるわけだ。私も、この考えに同調します。夫婦といえども、やはりお互いに知らないことはあってもいいし、その方がかえって夫婦仲は円満にいくと考えています。
アメリカ人の夫が嫌うタイプの妻は1950年代の「不感症の女性」から、1990年代には「退屈な女性」に変わった。夫はセクシーな若い秘書と不倫せず、妻より年上で容姿は劣るが一緒にいて楽しい女性を浮気相手に選んでいた。
ふむふむ、なるほど、ですね。やはり話のあう女性がいいですよね。
フランス人の不倫は、秘め事はあくまでも秘め事としておく姿勢で貫かれている。嘘をつかないで不倫をすることはできない。
1991年にソビエト連邦が崩壊すると、セックスが勢いよく表舞台に登場した。ロシアは国民がめったにセックスの話をしない国から、セックスが商品となる国へと変貌した。
ロシアに不倫が多い理由の一つに、男性が極端に少ないことがあげられる。1980年以降、ロシア人男性の平均寿命は、65歳から58歳に下がった。死因はアルコール、タバコ、業務中のけが、交通事故など。65歳のロシア人は、女性100人に対して男性はわずか46人。ちなみに、アメリカでは女性100人に対して男性は72人。
ロシアの人口比での男女のアンバランスが、男女のロマンスに影響を与えている。
40代の独身女性にとって、既婚男性とつきあわなかったら、デートの相手がほぼ皆無。30代、40代そしてそれ以上のロシア人女性にとって、未婚の男性やアル中でない男性は、ロマノフ王朝の豪華な宝石と同じくらい、めったに手に入らない存在となっている。
ロシア人はアメリカ人に負けずおとらずロマンチストである。そして、ロシア人男性のほとんどは、熟年期を迎える前に死亡してしまう。
ひゃあ、そうだったのですか。辛いロシアの現実があるのですね・・・。
イスラム教徒とユダヤ教には、アメリカの税法が簡単に思えてしまうくらいに複雑な戒律があるが、ともに婚外セックスを正当化する抜け穴もある。
世界は同じようでもあり、違うようでもあるのですね。
(2008年1月刊。1600円+税)
2008年06月06日
戦争
著者:Q.サカマキ、出版社:小学館
パレスチナ、ハイチ、スリランカ、コソボ、アフガニスタン、リベリア、イラクの戦場を生々しく伝える写真集です。よくぞ、こんな写真がとれたものだと感心します。目をそむけてしまいたい写真ばかりです。でも、現実から目をそらすわけにはいきません。そして、その大多数にアメリカが関わっています。まさに「世界の憲兵」としてのアメリカです。いえ、むしろ、アメリカ帝国主義の世界制覇の野望の実証的写真と言ったほうがいいのでしょう。アメリカは、イラクのように、自国に有利な利権があると思えばいち早く石油省だけはなんとしても確保します。自国にとって当面の利権がなければ、現地でどんな虐殺が起きようとも、「そんなのカンケーねえ」と無視してしまいます。
パレスチナのガザでは、ユダヤ人入植者の子どもたちは、イスラエル政府が提供した装甲車で通勤通学していた。ひゃあ、毎日の生活の始まりが、装甲車だなんて、とんでもないことですよね。
ハイチでは、クーデターが33回もあったというのです。すごいことです。これでは、国民は、ずっと政争の犠牲になってきた、というのは、まさにそのとおりですよね。
2004年2月29日、アリスティード大統領が2度目の亡命を余儀なくされた。どうして、こんなに小さく、貧しい国で、何度も何度も凄惨な殺しあいが起きるのでしょうか。アメリカは、イラクとは違って、小国ハイチに利権が乏しいことからでしょうか、まったく無策のままです。
スリランカもコソボも、アメリカの注目をひかないためか、戦争が続いたままです。
アフリカのリベリアでは、ドラッグとアルコールでハイとなった少年兵が、耳元を弾丸がつんざいているにもかかわらず、激しい戦闘を楽しんでいるかのようにゆっくり闊歩し、マシンガンを撃ち続ける。「今まで何人殺したかなんて覚えていないし、気にもかけていない」とうそぶく。こんな狂気が、14年間に25万人の生命を奪い、わずか300万人のリベリアの人口の3分の2を難民にしてしまった。
リベリアには、アメリカを招き入れるほどの利益がないから、アメリカは介入しない。
最後はイラク。2003年4月のバグダッドの病院の写真があります。フセイン政変崩壊による混乱のなかで、我が身と患者を守るために医師たちが銃をもつ状況です。
戦争が日常生活のレベルにきたときの悲惨さがよくとらえられている写真集です。こんな写真を見て今夜はよく眠れるかどうか、つい心配してしまいました。といっても、お互い現実から逃げ出すわけにはいきません。
われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
いい言葉です。日本国憲法の前文にあります。自民党は、これを削除しようとしています。先日の名古屋高裁判決は平和的生存権は具体的権利として、その侵害をやめさせることができるものだ。このように高らかにうたいあげました。世界に戦火の絶えない今こそ、憲法9条2項を世界中に広げたいものです。
(2007年10月刊。3000円+税)
2008年06月19日
アメリカを売ったFBI捜査官
著者:デイヴィッド・A・ヴァイス、出版社:早川書房
最近、映画『アメリカを売った男』をみましたので、その原作本として読みました。ところが、書店にはなく(絶版のようです)、古本屋にもありませんでした。それで、やむなく近くの図書館で取り寄せてもらった本です。さすがに、映画より詳しい事情が分かりました。まさに、事実は小説より奇なり、です。
2001年2月18日、FBI特別捜査官のボブ・ハンセンは公園を出たところで武装したFBI捜査官の一団に取り囲まれて逮捕された。スパイ容疑である。
そのとき、ハンセンが発した言葉は、「なんで、こんなに時間がかかったんだ?」
ボブ・ハンセンは、警察官の息子として育った。父親は息子のボブを精神的に虐待した。父親は、息子に対して大学にすすみ、高級学位をとって医師になってほしいと願っていた。ところが、息子をほめて育てるのではなく、あらを捜し、くりかえし息子を叱った。男になれと諭(さと)しつつ、息子が自信をもてないようにいじめ続けた。だから、息子は父親を内心、大いに憎みながら大きくなった。
息子が結婚するとき、父親は、妻となろうとする女性に対して、「なにがよくて、こんな男と結婚するんだ?」と問いかけた。ええーっ、うそでしょ。信じられないほどのバカげた父親の言動です。
ボブ・ハンセンは1970年代はじめにシカゴ警察に入った。そこでは、警察官の非行を摘発する仕事についた。そして、1976年、FBIに移った。
やる気にみちたボブ・ハンセンだったが、周囲のFBI捜査官にやる気のなさを感じ、幻滅した。しょせんFBIはソ連との戦いには勝てないというあきらめを感じた。そして、自分より劣る捜査官からのけものにされていると感じて、父親を恨みに思ったのと同じようにFBIを恨みはじめた。その恨みはだんだん強くなっていった。だから、FBIには本当に親密な友人はできなかった。
ボブ・ハンセンはカトリック教徒として洗礼を受け、オプス・デイというカトリック団体に入った。
ボブ・ハンセンはFBIでソ連の情報関連の仕事をしていたため、KGBに秘密情報を売る行為は、大きな危険を冒すときの高揚感に飢えていたハンセンを満足させた。
ワシントンのKGBのナンバーツーのチェルカシンにボブ・ハンセンは秘密の手紙を送った。ひゃあ、すごいですね。自らスパイに志願したというのです。それも、個人的な動機から・・・。
ハンセンは、いつもと何かが違うと疑われないように、家族の面倒やFBIの毎日の仕事に手抜かりがないように気をつけた。
ハンセンに満足感と活力を与えたのはスパイ行為だった。FBIを翻弄し、ソ連が自分の正体を何も知らないと考えるのは楽しかった。秘密を愛し、自分の担当者との関係で感じられる優位性や支配力がとても気に入っていた。
KGBのスパイを演じるとき、ハンセンは影響力をもち、自分が支配する立場にたった。ようやく主導権を握る男となったのだ。
子どものときに父親から受けた虐待の傷は消えなかった。思考を細分化し、隠匿する方法を学んでいた。
ハンセンは、FBIがいかにして二重スパイをつきとめるかを正確に知っていたので、いくら用心してもしすぎることはないと分かっていた。
ハンセンは、史上最大のスパイになりたいという冷酷で非情な欲望に駆り立てられていたのだと考えられている。
FBI捜査官、子ども6人をかかえる一家の長、そしてKGBのスパイという三役をこなすハンセンは忙しかったが、スパイ活動においても日々の生活においても自重して発覚しないようにした。人目につく散財などはしなかった。
しかし、ハンセンの妻の兄(FBI捜査官をしていた)が、ハンセンが自宅に隠していた数千ドルの現金を家族に見られたとき、スパイ行為をしているのではないかと疑い、FBIの上司に報告した。それは1990年のこと。ところが、FBIは、この報告を取り上げなかった。
では、ハンセンはスパイ活動で得たお金を何につかったのか。
1回に2万ドルとか、多いときには5万ドルをハンセンはソ連(KGB)から現金で受けとった。また、モスクワの銀行に80万ドルもの預金があった(ただし、ハンセンが逮捕されて刑務所に入ったため、結局、引き出さないままに終わった)。
ハンセンは親友と2人で、ワシントン市内のストリップ店でショーを見ながら昼食をとるのが楽しみだった。そして、そこのストリッパーに貢いだ。彼女が歯の治療費が2000ドルいるといえば、すぐに差し出した。そして宝石も贈った。香港旅行に行ったり、ベンツを贈ったり。ところが、彼女がクレジット・カードを勝手につかったことから、ハンセンは直ちに切り捨てた。
やっぱり、妻以外の女性につかったわけなんですね。そして、ハンセンにはもう一つの趣味がありました。映画にも出てきますが、何も知らない妻をポルノ・スターに仕立てあげたのです。自分たち夫婦の性交渉をビデオで隠しどりして親友に見せたり、のぞき穴を提供していたというのです。インターネットの掲示板に、妻とのセックスを空想して投稿するのを楽しんでいました。敬けんなカトリック教徒でありながら、一方ではハードポルノを楽しむという二面性があったわけです。
1991年にソ連が崩壊したあと、スパイとして摘発される危険がハンセンに迫った。
ハンセンをスパイと疑ったFBIは特別な捜査本部を極秘のうちにたちあげて、ハンセンを24時間体制で追跡した。映画にもその様子が出てきます。ハンセンの自宅のすぐ近くの家も借りて監視したというのです。
ハンセンは、アメリカのスパイとして働いたソ連の将軍やKGB士官の正体を明かした。彼らは直ちに処刑された。このようにハンセンのソ連に対する貢献度は画期的に大きいものがあった。ハンセンは、スパイとして逮捕されたが、終身刑の囚人として、今もアメリカの刑務所に暮らしている。
この本を読むと、父親の息子への「しつけ」の度が過ぎると、とんでもないことが起きることがよく分かります。でも、本当にそれだけだったのだろうか・・・、という気もするのです。いずれにしろ、実話ですので、興味は尽きません。
(2003年4月刊。2200円+税)
2008年07月02日
君の星は輝いているか
著者:伊藤千尋、出版社:シネ・フロント社
星よ、おまえは知っているね。
これは、福岡県の生んだ偉大な作曲家・荒木栄のつくった歌です。私も、これをタイトルとする本を書きました(花伝社)が、残念なことにさっぱり売れませんでした。私が大学生時代に没頭した学生セツルメント活動の楽しく切ない思い出を書きつづった本です。まだ売っています。良かったら、買って読んでみてください。
この本は、もっとストレートに君の星は輝いているか、と問いかけます。思わず、ドキリとさせられます。著者は私とほとんど同世代の朝日新聞記者です。でも、海外滞在がすごく長いので、九州の片隅でうごめいている私なんかとは比べものにならないほどの、まさに文字どおりの国際派ジャーナリストです。その記者が見た映画について、それこそ縦横無尽に語り尽くされています。私も、ここで紹介される映画の多くはみていましたが、ここまで背景を掘り下げされると、とてもかなわないと頭を垂れるばかりです。
この本で取りあげられ、私がみた(と思う)映画のタイトルをまず紹介します。
『華氏911』『チョムスキー9.11』『フリーダ』『JSA』『二重スパイ』『ボウリング・フォー・コロンバイン』『蝶の舌』『レセ・パセ』『戦場のピアニスト』『この素晴らしき世界』
9.11テロ事件のあとにアメリカで起きた現象は興味深いものです。たとえば、サンフランシスコの金門橋(ゴールデンゲイト・ブリッジ)が爆破されるという噂が広がり、完全武装した州兵が出動した。街中がアメリカ国旗の洪水となったので、交差点に立って数えてみた。すると、1割でしかないのに10割という錯覚に陥っていたことが分かった。
刑務所では、囚人に食べさせる食事代がなくなったので、刑期の軽い囚人を大量に釈放した。いやあ、すごいことですね、これって・・・。
アメリカのチョムスキー教授は次のように指摘する。
アメリカは、自分が被害を受けると悲しむが、自分は他人にどんな迷惑をかけてもいいと思っている。同じように、アメリカはイスラエルかレバノンで2万人を殺しても何にも言わないが、イスラエルがちょっとでも被害を受けると、残虐だと言ってパレスチナを非難する。
ブッシュ政権がなぜ「悪の枢軸」という言葉をつかうのか。それは、国民を服従させるのに一番いいのは、恐怖を利用することだからだ。
そして、エジプトの監督は次のように言う。
アメリカは他の文明を破壊している。代償を払うのは、いつも他の国民だ。アメリカ以外の国の人々なら死んでもかまわないのか。そうなんですよね。この地球上で大切にされるべきなのはアメリカ人だけなんていうことは絶対にありませんよね。
ブラジルのカーニバルが、実は日本でいうデモ隊のようなものだということを初めて知りました。一つのサンバチームだけで2千人から4千人いるが、カーニバルは単なる乱痴気騒ぎではない。それぞれのチームが、その年のテーマを決めて、テーマに沿って衣裳も曲もつくる。たとえば、テーマは「民主化の喜び」「黒人奴隷解放」「報道に自由を」「対外債務の重圧」などの硬派のテーマも目立つ。単に、お遊びだけで踊っているのではない。カーニバルは、それ自体がデモ行進なのだ。政治的、社会的な主張を踊りという形で訴えるのだ。「報道に自由を」のチームは、ペンの格好をした帽子をかぶるなど、それなりの工夫をしていた。
観客席には5万人がいる。その人々も、ただ黙って見ているのではない。観客もリズムにあわせて踊りながら見る。同じリズムで踊るから、コンクリートの観客席がユサユサ揺れる。踊りの幕開けは土曜の夜8時で、翌日曜日の昼前まで延々と続く。
うひゃあ、す、すごーいエネルギー、ですね。かないません。単に裸体を売りものにしたエロチックな祭りかと思っていました。まったく違っているようです。そういえば、ブラジルのルラ大統領も反米左派政権の一角を占めていますね。いつまでたってもアメリカのいいなりになっている日本人も、そろそろ目を覚ますべきときだと思います。アメリカ本国で「黒人」大統領が誕生しそうなほどの地殻変動が起きているのですからね・・・。
久しぶりに雨の降らない日曜日になりましたので、庭に出て手入れしました。雑草が伸び放題でしたので、徒長枝も切ったりスッキリさせて見通しよくしました。今、黄色い花が庭に目立ちます。ヘメロカリス、カンナそしてフェンスのノウゼンカズラです。グラジオラスの花が何本も倒れていましたので、切り花にして玄関を飾りました。ピンクや赤そして白色の花で一気に華やかな雰囲気の玄関となりました。
(2005年11月刊。1600円+税)
2008年07月09日
ハロー、僕は生きてるよ
著者:カーシム・トゥルキ、出版社:大月書店
イラク戦争が始まったのは、私が弁護士会の役員をしていたときですから、もう5年以上前のことになります。アメリカ軍がイラクに侵入する直前に弁護士会の役員としてベルリンに飛びました。9.11のあとでしたから、どんなテロがあるかも分からないと脅され、決死の覚悟でした。国際刑事裁判所を国際司法裁判所とは別に設立する必要がある。そのとき、弁護士は弁護人としての職責を果たすために何をするべきか、という国際会議でした。日本のなかにも東澤靖弁護士のように、ほとんど手弁当で国際司法(刑事)分野で活躍していることを知り、頭の下がる思いをしたことでした。
この本は、元イラク兵だった著者が高遠菜穂子さん(例の人質事件の1人であり、多くの心ない日本人からひどいバッシングを受けた人です)たちと連携しながら、イラクの平和のために非暴力主義でがんばっている様子を伝えるブログを活字にしたものです。
先日、アメリカ映画『告発のとき』を見ました。小さな小さな映画館でした。イラク戦争の戦場に駆り出されたアメリカの青年の心身がボロボロになっていることが見事に描かれていました。人を殺すことが何でもなくなったとき、それは仲間同士でも殺しあいがありうるという衝撃的な事件をふまえて、アメリカ軍を告発する映画です。これ以上は書けませんが、一見の価値はあると思いますので、ぜひ映画館へ足を運んでください。イラクでアメリカ軍がしている非道な行状も画面で少し紹介されます。やはり、戦争は狂気を生み出します。
この本は、そんな状況をイラク人の立場から描いています。毎日毎日、罪なき市民がアメリカ兵や、その下のイラク兵に殺されています。その仇をうつためにテロリストを志願する人を、どうして止められるでしょうか。
ぼくたちにとっての唯一の敵は、アメリカ軍戦車とアメリカの狙撃兵なんだ。みんな、どこが安全な通り道か分かっているし、危険を避ける術も身につけている。ところが、バグダッドでは安全なはずの場所で犯罪が多発している。犯罪者はやりたい放題。しかも、警察が犯罪者と収入を分かちあっている。
アメリカ軍は、ザルカウィのグループはアンバール州に潜伏していると言って掃討作戦をしている。そういうことにしておけば、アメリカ軍がいくらアンバール州の住民を殺したり、建物を破壊しても誰も気にしない。アメリカ軍がやっていることからイラク人の目をそらすいい方法だ。占領に抵抗するラマディの人々を殺しているなんて絶対に言えないから、言い訳が必要だ。だから、ザルカウィというテロリストがアンバール州にいることになっている。なーるほど、ですね。そういうことなんですね。日本の警察が暴力団とか反共右翼を泳がす理由と同じですね。ときどき世間の耳目を集めるような悪いことをやらせたりする理由もよく判ります。
このように、殺し、殺されが日常化しているもとで育つ子どもたちの心はどうなんでしょうか。未来は子どもたちのものです。そのとき、家族や友人が殺し、殺されて平然としていいなんてことを身につけたとしたら、日本はそれこそ、お先まっ暗でしょう。
日本のマスコミがアメリカ軍発表という「大本営」発表と同じことしかしない、つまり現地のイラク人民衆の立場からの情報発信をしていないとき、この本はイラクに住むイラクの人々の実感の一端をうかがい知る貴重な本だと思います。
日曜日、ようやく梅雨が明けましたので、庭に出て、少し手入れをしました。雨が降り続いたためか、ライラックやサザンカの木が枯れていました。グラジオラスが終わりかけています。ヒマワリはまだ咲きません。半畳分を掘り上げ、コンポストの枯れ草や生ごみを埋め、その上に日々草やカスミ草などを植えました。サボテンもたくさんの子をつくって親は死にかけていますので、整理してやらなければいけません。代替わりの季節です。何ごとにも、何物にも寿命があります。諸行無常の響きあり、です。蛇もチョロチョロしていますので、用心しながら庭仕事をしました。といっても、蛇は、我が家の守り神様です。
(2008年4月刊。1500円+税)
2008年07月11日
モーターサイクル南米旅行日記
著者:チェ・ゲバラ、出版社:現代企画室
チェ・ゲバラというと、キューバのカストロ前首相を連想し、てっきりキューバ人だと思いますが、実はアルゼンチンの人です。裕福な家庭に生まれ育ち、医師の資格を得て、南米旅行に出かけます。
この本は、いかにも冒険好きの若者らしい、旅先で遭遇した数々の出来事を日記のように書きつづった日記をまとめたものです。
チェ・ゲバラのとった写真と、とられた写真が何枚も紹介されています。とてもハンサムであり、なにより目の輝きがすごいです。ゲバラは、キューバ革命に成功したあと、アフリカにも渡り、次いでボリビアに潜入して政府軍と戦っているうちに負傷して捕まり、射殺されてしまいました。39歳でした。世界は、実に有能な人物を失いました。
それはともかくとして、ゲバラ青年はオートバイで、気のあった仲間(男性)と2人で、あてのない旅に出ます。そのうち、そのオートバイは故障して走れなくなってしまいます。
1952年6月14日。土曜日。貧乏な僕は、24歳になった。
こんなくだりが出てきます。24歳のとき、私は何をしていたんだろう・・・。私は、司法研修所にいて、せっせと青法協(青年法律家協会)の活動にいそしんでいました。そのときの仲間は今も私にとって貴重な「財産」になっています。
チェ・ゲバラの演説が紹介されています。キューバに学ぶ医学生の前で話したことです。
戦争に備えるための仕事や、そのために投資される資本は、すべて無駄な仕事であり、捨て銭だ。戦争に備える者たちがいるばっかりに、ばかばかしいことに、我々もそうせざるを得ないのだが、私の誠心誠意と、兵士としての自負を込めて言うが、国立銀行の金庫から出ていくお金で一番わびしく思えるのは、破壊兵器を購入するために支払われるお金である。
なーるほど、そうなんです。まったく同感です。
いま、改めて南アメリカの各地でチェ・ゲバラが見直され、評価されているそうです。39歳で凶弾に倒れた前途有望な青年政治家をしのび、世界の平和のために、我々は今何をなすべきか考えるのも悪くないように思いますが、いかがでしょうか・・・。
(2004年9月刊。2200円+税)
アトミック・ゴースト
著者:太田昌克、出版社:講談社
いま、地球は核爆発5分前です。なぜなら、今もアメリカとロシアが依然として2万6000発もの核兵器を保有し、うち1000発以上が即時発射態勢にある。そのうえ、今や軍のコンピューターへのハッカー侵入による偶発的核戦争が始まる恐れさえある。うへーっ、怖いですね。冷戦後も、さまよい続けるアトミック・ゴーストが人類の「終末」を2分だけ早めたわけなんです。一刻も早く、核兵器を文字どおり全廃すべきです。問題は北朝鮮のチャチな核製造能力だけではありません。
1969年1月。大統領に当選したニクソンは、次のような核戦略の説明を受けた。
アルファ作戦で先制攻撃用につかわれる核兵器は合計1750発。全標的を先制核攻撃するなら、合計3018発。さらに全面的な核戦争をソ連に仕掛けたときには、ソ連の全国民の40%、最大9000万人が死ぬ。・・・・
むひょう、これはひどい・・・です。レーガンとゴルバチョフが冷戦に引導を渡した 1988年の段階で、アメリカの核兵器は2万3000発もあった。ソ連の崩壊した 1991年には1万7300発。その後、ブッシュ大統領のときまでに1万5000発にまで減った。それでも、まだ、とんでもなく多いですよね、これって。
核実験をしないまま、核兵器の信頼性をどう保つのか、も問題となっているようです。 ソ連が冷戦中に製造し、世界各国に輸出したウラニウム(HEU)は判明分のみで 2245キログラムある。これは核兵器90発分に相当する。同じように、アメリカ産のHEUは合計7335キログラム。実に290発以上もの核兵器を製造できる核分裂物質が各地へ輸出されている。
今年も、核兵器をなくそうという平和大行進が始まろうとしています。日本各地、隅々から、核兵器を一刻も早く地球上からなくしてしまおうと呼びかけて歩く行進です。まったく同感です。
(2008年4月刊。1800円+税)
2008年07月15日
戦争の心理学
著者:デーヴ・グロスマン、出版社:二見書房
怖い話が多いのですが、人間とは何かを知ることもできる本です。そして、子どもたちを取り巻く環境がひどく危険なことに警鐘を乱打しています。耳を傾けるべきです。
恐怖を感じるとアドレナリンが増える。生き残りの確率を高めるために増加する物質にコルチゾールがある。これが増えると、血液の凝固速度が上昇する。
すごいですね、人間の身体って、本当によく出来ています。
第二次大戦に出たアメリカ兵の4分の1が尿失禁の経験があり、8分の1が大失禁を経験した。激戦を経験した兵士の場合には、半分が尿をもらし、4分の1が大便をもらした。
多大なストレスのかかる生きるか死ぬかの状況に直面したとき、下腹部に荷物が入っていたら、それは放り出される。膀胱がどうした?括約筋なんか知ったことか、と身体が言ったわけだ。全身のあらゆる資源が、ただひとつ、生き残りのためという目的にふり向けられる。な、なーるほど、そういうことなんですか・・・。
継続的な戦闘状態が60昼夜も続くと、全兵士の98%が精神的戦闘犠牲者になる。
スターリングラードの戦いに参加したソ連軍の復員兵士は40歳前後で死亡した。この戦いでは、長く苛酷な6ヶ月間、1日24時間たえまないストレスにさらされていたからだ。
2003年のイラク侵攻のとき、アメリカ軍は兵士にストレス過重の徴候があらわれたら交代させ、シャワーを浴びたり軽い休養をとったりできる場所へ送ったのち、すぐにまた元の部隊に戻すという方針をとった。
精神的なストレスから回復するのに睡眠は特効薬となる。逆に、ストレスの犠牲になりたければ、物理的に一番簡単なのは睡眠時間を削ること。睡眠不足は、精神衛生に悪影響を及ぼし、がん、かぜ、抑うつ、糖尿病、肥満、心筋梗塞の誘因となる。
24時間、一睡もしないと、生理状態も心理状態も、法的に酒酔いとされるのと同じ状態に陥る。ベテラン兵士は寝られるチャンスは絶対に逃さない。眠りの甘さを知っているのは兵士だけ。そうですよね、あのウトウト感って、たまりませんよね。いい心もちです。
心拍数が高まると、微細運動の抑制と近視野が失われる。落ち着いているときは簡単に思えることでも、ふだんから練習しておかないといけないのは、このためだ。そして、深い腹式呼吸をすると、心拍数が下がる。
耳は聞こえ、目は見えていても、生き残るという最大の目標に集中していると、その目標に無関係と思われる情報は、大脳皮質が意識からはじいてしまう。感覚刺激を遮断してしまう。たとえば、戦闘中には銃声が聞こえなくなる。
似た例として、私は列車内で読書に夢中になっているときには、車内アナウンスがまったく聞こえません。そのときは、本に大あたりして、はまっているのです。
アメリカでは10代の青年による大量殺人がしばしば起きている。これは歴史はじまって以来のこと。この大量殺人を可能にしているのは大人であり、親であり、ゲーム業界である。子どもたちが遊んでいるゲームは大量殺人シミューレーターである。画面の人物を残らず殺し、高得点をあげるように日々、訓練されている。犯人たちはコンピューターゲームの狙撃シミュレーターをつかって、殺人に対する心理的障壁を取り除いていた。
もちろん、暴力的なゲームで遊ぶ子どもが、みな大量殺人者になるわけではない。しかし、なる者もいるのだ。
アメリカの学校で銃乱射事件を起こした生徒たちはみな、規律の厳しい団体活動には参加したがらず、逆にメディアの暴力表現に耽溺していた。暴力的なテレビや映画、そしてとくにコンピューターゲームが子どもに多大の影響を与えた。
暴力的なメディアの影響は、子どもにとっては新兵訓練のようなものだ。子どもたちはテレビの前に何時間もすわり、暴力は善であり必要なものだと学ぶ。それを見、それを経験し、そして信じる。暴力という成分はいやというほど浴びているのに、規律はかけらも与えられない。テレビで見る映像は、子どもにとっては現実なのである。血や殺戮や復讐を見ると、世界はそんなところだと学習することになる。
暴力的なメディアにさらされ、精神的に傷を負い、残酷な行為に慣らされたとしても、ほとんどの子どもは暴力をふるうことにはならない。しかし、抑うつと恐怖に悩むようにはなる。
文字で書いたものが幼児に影響することはない。しかし、暴力的な映像は早くも生後 14ヶ月で完全に処理できる。幼児のみる映像は、目からまっすぐ感情の中枢に入り、そのこの世界観に直接の影響を及ぼす。いやあ、これって、ホント、怖いことですよね。
コンピューターゲームに影響された新世代の殺人者は、爆弾を仕掛けたあと、すぐに立ち去らない。目標は全員を殺すこと、なのだから。
メディアの暴力にひんぱんに接した子どもの脳は、論理的な部分の活動が減少する。事後にストレス障害を予防する決め手は、事後報告会をおこない、感情と記憶とを切り離し、喜びを掛け算し、苦しみを割り算することである。
なるほど、よくよく日本人の大人も考えるべき指摘だと思います。ゲーセンでは「人殺し」がありふれています。多くの若者がそれに没頭している光景はおぞましいものです。
銃で撃たれたら、まず第一にパニックを起こさないこと。撃たれたと分かるのは生きている証拠であり、これは良い徴候だ。非常に強烈な警告の一発を受けたと考えよう。最高の状態じゃないが、最悪でもない。自分にそう言い聞かせる。目下の目標は、2発目を浴びないこと。そうなんですか。こう考えるといいのですね。
送りこまれる兵士のうち100人に10人は足手まといだ。80人は標的になっているだけ。9人はまともな兵士で、戦争をするのは、この9人だ。残りの1人が戦士で、この1人がほかの者を連れて帰ってくる。敵によって殺された兵士より、ストレスで戦えなくなった戦闘員のほうが多かった。
白兵戦のさなかの兵士は、たいてい文字どおり正気を失うほどおびえている。矢や弾丸が飛びかいはじめると、戦闘員は人を人たらしめている脳である前脳で考えるのやめ、思考過程は中脳に集中する。中脳は、脳のなかでも原始的な部分であり、ほかの動物の脳とほとんど区別がつかない。
戦場における人間の行動と生理面を分析したこの本を読み、人間というものを少し理解しました。それにしても暴力的メディア(とくにコンピューターゲーム)の怖さを再認識させられました。
(2008年3月刊。2400円+税)
2008年07月23日
嘘発見器よ、永遠なれ
著者:ケン・オールダー、出版社:早川書房
嘘発見器は、今日もなお、容疑者の尋問や不正の摘発や核兵器の機密保持、テロとの戦いにつかわれている。しかし、アメリカ以外に、この方法を積極的に取り入れている国はない。
そのアメリカでも、嘘発見器は、刑事法廷から門前払いを受け続けているし、アメリカ科学アカデミーなどの一流科学者団体からも不信の目で見られている。いやあ、そうだったんですか・・・。日本でも、昔は刑事裁判手続のなかで嘘発見器の結果が出てきたことがあります。今では、とんとお目にかかりません。
嘘発見器が被験者の罪悪感を探知できた率には、大きなばらつきがある。成功率は55〜100%があって、どうみてもまちまちである。勘であてるのと大差がない。
にもかかわらず、アメリカではいぜんとして大々的に使われ続けている。なぜか?
法が頼りにならないとき、アメリカの伝統的な解決策には2つあった。1920年代のロサンゼルスでは、その2つともおこなわれていた。一つは群衆によるリンチ。人々は当然の報いを受けさせるために集まり、みずからの正義に酔いしれながら犠牲者を殺害した。もうひとつは、第三度(サード・ディグリー)。これは、警察官によるもので、リンチの代替手段として、警察署内でおこなわれていた。
1920年代のシカゴは、犯罪にひかれる者にとって、おあつらえ向きの町だった。世界一の殺人多発都市であり、ギャングや酒類密造者の新興都市であり、犯罪組織とその構成員のすみかだった。
警察は腐敗し、怠慢で、誰もが賄賂を要求した。警官は残忍で、検事は不誠実で、判事や看守は買収されていた。政治家は堕落し、犯罪組織のボスの意にかなう人物を判事や看守につけていた。うひゃあ、これぞまさしく、アル・カポネの『アン・タッチャブル』の世界ですね。
嘘発見器が容疑者の尋問や従業員の審査につかわれた。それはアメリカだけのこと。外国では、アメリカのいつもの怪しげな機械だとして相手にされなかった。
政治の舞台で嘘発見器が強力な武器になりうることを初めて見いだしたのは、リチャード・ニクソンである。ニクソンは嘘発見器の検査を実際におこなおうとおこなうまいと、新聞の大見出しになることに気づいた。な、なーるほど、そういうことだったのですか。
ラベンダーの恐怖。同性愛者への攻撃は、共産主義者を攻撃するときと、よく似た恐怖心を利用していた。すなわち、ラベンダーの恐怖というのは、赤の恐怖より多くの人々の生活を破壊し、アメリカの国内政治と外交政策を強硬右派のものへと変えるとき同じくらいの大きな役割を果たした。外交政策を決めるエリートたちが躍起になって男らしさを示そうとするあまり、アメリカをベトナム戦争へ導いたのである。
嘘発見器は科学から生まれたものではない。だから、科学では抹殺できない。嘘発見器のすみかは研究室でもなければ法廷でもなく、新聞印刷用紙であり、映画であり、テレビであり、大衆誌やコミックやSFである。嘘発見器は需要に主導されている。
政治の舞台では、嘘発見器はずっと出番を与えられている。2003年、アメリカ科学アカデミーは数十年にわたる嘘発見器の研究結果を分析し、これを職員の審査につかっても効果はなく、むしろ保守体制への過信を生んで国家の安全保障を損なうと警告した。
いまも昔も、ポリグラフの罠にかかるのは無実の人間であり、悪人は動揺しないことが多い。FBIはテロリストの疑いがある者を何人も嘘発見器にかけているが、必ずしも成果は出せていない。
ポリグラフは医療技術を利用した平凡な機械にすぎない。つかわれている生理学機器は、どの先進国でも1世紀前から入手できるもの。にもかかわらず、それに尋問という新たな目的を与えた国はアメリカ以外にない。
いやあ、この本を読んでも、アメリカっていう国は、つくづくいい加減な、野蛮な国だと思いました。そんな国に、いつもいいなりになる日本って、ホント、もっといい加減ですね。いやになってしまいます。
真夏の夜の楽しみは、ベランダに出て望遠鏡で月面をながめることです。真夏でも、さすがに夜は涼しいので身体のほてりを冷ますこともできます。遠い月世界のデコボコした地表面をみていると、いさかいにかこまれた毎日の生活が嘘のように思え、心のほうも静まります。
(2008年4月刊。2500円+税)
2008年08月12日
戦争熱中症候群
著者:薄井雅子、出版社:新日本出版社
アメリカの元海兵隊少将が次のように言った言葉は有名です。この言葉は何回引用しても、そのとおりだと、ついつい首が上下に動いてしまいます。
戦争は、やくざな金もうけだ。いつもそうだった。たぶん、これはもっとも古くからあり、苦もなく最大の利益を得る、もっともあこぎな商売であるのは確かだ。世界をまたにかけて稼ぎ、利益はドルで勘定するが、損失は生命で勘定する。自分は33年間、海兵隊で過ごした。その間、大企業やウォール・ストリート、銀行家のための高級な殺し屋として。資本主義のために働くヤクザだった。
スメドラー・バトラーという元少将が1933年、1935年に語った言葉です。
イラク、アフガニスタンに派兵された15万5000人の女性兵士のうち、1割をこす1万6000人がシングル・マザーである。兵士になるしか収入がないというシングル・マザーは多い。
軍隊に入ると、初任給の月給は1250ドル(14万円)。つまらない田舎から出て独立し、違う世界を見たいという若者にとって魅力このうえない条件だ。
CNNテレビの社長は、戦争報道ではバランスをとれ、アフガニスタン民衆の被害にばかり焦点をあてるのではなく、なぜアメリカが攻撃しているのか、その理由を視聴者に思い起こさせるようにと社内に指示した。この「バランス報道」の結果、アメリカの攻撃にさらされた現地の人々の被害はアメリカではほとんど放映されない。少しでも被害の生々しさが伝わると、怒りの電話やメールが殺到する。兵士を出している家族からすると、命がけで戦っている夫や父を悪者にするのか、という怒りがわくからだ。
大規模な反戦運動のニュースが一面トップに来ることもない。
これって、日本でも同じことですよね。被害の実情はおろか、サマワ(イラク)の自衛隊基地の実情すらほとんと紹介されることがありませんでした。政府が報道を禁止したからです。日本のマスコミは政府の言いなりでした。日本人のまじめな若者が人質になったときには「自己責任」を大々的に喧伝するばかりで、本当にガッカリさせられました。
そして、日本のささやかな反戦集会やデモ行進が記事になることはめったにありません。無力感をマスコミが植えつけ、広めています。
先日、福岡県弁護士会が福岡市内でペシャワール会現地代表の中村哲医師を招いて講演会を開いても、テレビ局はどこも取材に来ませんでした。テレビは、ひたすら、面白おかしくという路線をとり、シリアス番組はどんどん少なくなっています。
イラクでアメリカの民間軍事会社の一つであるブラックウォーター会社がイラク人を殺しても訴追されないことになっている。ひえーっ、これって重大な主権侵害ですよね。
アメリカの連邦予算の半分を軍事費が占めている。アメリカには軍事にお金をつぎこみ、巨大な軍隊組織と軍需産業をつくれば、豊かな経済を維持できるという神話がある。
軍事中心の政治・経済が長く続いてきた結果、アメリカ国内の産業は直接・間接に軍需産業への依存を強めている。ミネソタ州にあるアライント・テクニステムズは、劣化ウラン弾やクラスター爆弾を清算しているが、従業員が全米に1万6000人いる。その反対に自動車をつくるフォードの工場はかつて1万人いた労働者が今や数千人に減り、やがて閉鎖されることが決まっている。
アメリカの帰還兵が2005年に6256人も自殺した。20〜24歳の帰還兵の自殺率は、同年代のそれの4倍。
2005年、ホームレスの退役軍人が20万人近くいる。推定74万人をこえるホームレス人口の4分の1を占めている。
イラク開戦以来のアメリカ兵の死者は4000人をこえました。もちろん、イラク人の死者は、ケタが2つも違います。それでも、これはアメリカ社会に大きなマイナスをもたらすに違いありません。戦場の狂気を社会にもちこむことになるからです。アメリカって、本当に厭な国です。そんなアメリカにいつもいつも犬のように尻尾をふり続けている日本って、ホント馬鹿みたいな国ですね。
(2008年3月刊。1600円+税)
2008年09月14日
アンディとマルワ
ユルゲン・トーデンヘーファー 岩波書店
イラク戦争で、アメリカ兵が既に4000人も亡くなりました。イラクの人々はその何十倍も殺されています。こんな数字の裏に、一人ひとりにかけがえのない人生があったこと、それがある日突然に奪われてしまったことに、私たちはなかなか思いが行きません。この本は、アメリカとイラクの二人の子どもを通じて、アメリカによるイラク侵略戦争の悲惨な実態を浮き彫りにしています。
そのとき、誰がこの本を書いたのか、それはどういう立場の人物なのかが問題になるでしょう。著者は、なんとドイツの保守的政治家だった人物です。ドイツ最大の保守政党CDU(キリスト教民主同盟)の議員であり、親米と反米主義を唱える右派議員として名高い人物でした。今は政界を引退していますが、ソ連によるアフガニスタン侵略にも抗議する勇気ある行動を起こしています。そのような経歴のドイツ人の語る言葉に耳を傾けるのも悪いことではありません。
不正には不正で、テロにはテロで抵抗すべきではない。その国が民主的な法治国家であるかどうかは、敵をどのように扱ったかによって分かる。テロリストと同じ土俵に乗ってはならない。
戦争は人間の卑しい本能を呼び起こす。アブグレイグ刑務所の捕虜虐待事件は事故ではない。イラクに対する横暴な戦争の当然の結果なのだ。残酷さや人間に対する軽蔑は伝染する。フェアな殺人や強姦がないように、フェアな侵略戦争もあり得ない。
侵略戦争はまた、政治学や戦略家たちによる前線の若い兵士たちに対する裏切りでもある。兵士たちはいつも、侵略ではなく、防衛だと思わされている。そして、政治家たちは、自分やこどもたちが戦争へ送られる心配なしに、書斎や居間でのうのうと戦略を練っている。
アメリカ海兵隊員(予備兵)として、18歳でイラクにおいて戦死したアンディはヒスパニック系で、フロリダ州立大学で経営学を学ぶつもりだった。ある日、アンディは海兵隊の広告を読んだ。資料を請求した人には、もれなく重量挙げ用のグローブをタダでくれるという。アンディはそのグローブが欲しかった。資料を請求すると、格好いい徴募係がやってきて、熱心に海兵隊入りをすすめた。予備兵として登録するだけなら・・・。アンディはいつのまにかイラクの戦場へ送られ、戦場で砲撃に当たって即死してしまった。
イラクの少女マルワは12歳。イラク戦争が始まり、妹を殺され、自分も右足切断の大ケガをした。父親は戦争前に病死していた。著者は、マルワをドイツに招いて治療を受けさせた。そして、マルワの医師になりたいという夢を叶えてやるべく奨学金を送り続けている。
個人の善意には明らかに限界があります。でも、こうやってイラク戦争で殺され、傷ついていった人々の詳しい実情を知らされると、この間違った戦争は一刻も早く止めなければいけない。そのために、日本と世界は何をしなければならないのか考えさせられます。
(2008年3月刊。1700円+税)
2008年09月18日
マネーロンダリング
著者:平尾武史、出版社:講談社
ヤミ金の五菱会がスイスに51億円も預金していたと報道されたとき、あっと驚きました。ヤミ金が儲かる商売だとは知っていましたが、それほどだとは思っていなかったからです。この本は、そのスイスの銀行に51億円もの預金があることが発覚した経緯と、その後の顛末を追跡しています。
プライベートバンクとは、個人資産を専門に管理したり運用したりする銀行のこと。ここでは1億円以上の預金ができるような富裕層のみがお客であって、それ以下の庶民はゴミ以下の存在に過ぎません。
東京芝公園近くの超高層マンションは、私も上京して浜松町から霞ヶ関にある日弁連会館に向かうタクシーの中からよく眺めます。マンションの23階から35階は賃貸マンションとなっていて、家賃は月85万円。うひゃあ、誰がこんな高い家賃を支払えるのでしょう。なんと、そこにヤミ金の帝王たちが住んでいたのです。
五菱会グループのトップに君臨していた梶山進は34階に家賃92万円の一室を借りていた。梶山は工業高校を中退した後、塗装工などをしていたが、新宿でヤクザとなり、ダイレクトメールや電話で勧誘するヤミ金を始めて大当たりした。そして、梶山は稲川会系から山口組へと転身した。
ヤミ金でボロもうけしたお金の一部は、ラスベガスのカジノで遊ぶための保証金として日本国内の銀行の貸金庫に預けることが出来る。梶山は200万ドル(2億円)も預けていた。梶山はカジノでVIP待遇を受けていた。そのなかでも最上級の「鯨」クラスである。
カジノでは上客用の特別個室を利用していた。ディーラーをこの部屋に呼び込み、一回の掛け金は通常で100万〜200万円。多いときは1時間7000万円ももうけた。
梶山は香港在住で、クレディ・スイスのプロパーを通じて、スイス銀行に51億円預けることが出来た。
組織犯罪処罰法で問題となる犯罪収益の中には脱税が入っていない。そして東京地裁は、ヤミ金グループ幹部に対して、クレディ・スイス香港に不正送金されたお金について追徴(国による没収)を認めなかった。追徴しないと、被告人の手に戻ってしまう可能性もある。そこで、法律を改正して、このようなときには国が没収して被害者へ分配することが出来るように改正された。
今、その被害者への分配が進行中です。ところが、ヤミ金グループがあまりにも多くいるため、どのヤミ金が五菱会に該当するのか、資料不足もあって多くのヤミ金被害者が届け出しにくい実情があります。
それにしても、こんな違法な犯罪収益を暴力団から確実に取り戻し、吐き出させるのは、税務署当局の今すぐなすべきことではないでしょうか。 シカゴのギャング王であったアル・カポネを逮捕して下獄させたのは、エリオット・ネスの脱税取り締まり班でした。日本にも「アンタッチャブル」が欲しいように思います。
フランスで久しぶりにトラベラーズ・チェックを使いました。パリのホテルで50ユーロ使ったのですが、おつりをくれません。今やトラベラーズチェックなんて、時代遅れで、嫌がられるだけの存在のようです。
エクサンプロヴァンスのホテルのフロントで両替を頼んだところ、銀行でしてくれと断られてしまいました。土曜日なのにどうしましょう。そこで、カードで現金を引き出せるか試してみることにしました。すると、暗証番号を入力したらユーロのお金が出てきたのです。日本のカードをフランスで使ってユーロ札が出てくるなんて、不思議な気がしました。街角にある両替所より、きっと手数料は安いと思います。カードさえあれば、現金をあまり持ち歩かずにすむというわけです。帰国して一週間もしたら、口座から引き落としましたという報告書が届きました。早いものです。ホント、便利になりました。この便利さって、正直言って、ちょっと怖いです。
(2006年9月刊・1700円+税)
2008年09月21日
NGOの選択
著者:日本国際ボランティアセンター、 発行:めこん
日本国際ボランティアセンター(JVC)が発足したのは、1980年のこと。インドシナ難民の支援に始まり、カンボジア、アフガニスタン、イラクなど、さまざまな紛争地で活動してきた。JVCの特徴のひとつは、紛争状態にある地域での人道的支援活動と併せて、長期的な開発協力をもうひとつの柱としている。
アメリカ軍はアフガニスタンで、PRTと呼ばれる軍による人道的支援活動を展開している。アメリカ軍によるPRTは、対テロ軍事作戦と一体となっている。そのため、PRTが活動する地域では、NGOが軍事衝突に巻き込まれやすい。危険な地域だからアメリカ軍が人道支援をするのではなく、アメリカ軍が人道支援をするためにNGOが危険にさらされている。
テロリストから攻撃される危険のあるところで、丸腰のNGOは活動できない。だから、武装した軍が復興支援を担うしかないというのがPRTの論理だ。しかし、アメリカ軍は、アメリカ軍自身による援助が必要だとされる治安の悪化を自ら作り出しているのが現実の姿である。そして、PRTの援助自体が復興開発支援で不可欠の住民参加、公平性と持続性という原則からかけ離れているために、一時的に住民の歓心を買うことができても、長期的に住民の自立を促すことには繋がらない。
先日、JVC代表理事の谷山博史氏の講演を聞く機会がありました。ペシャワール会の伊藤さんがアフガニスタンで殺害された直後でしたので、その点にも触れた講演でした。以下、谷山氏の講演要旨を紹介します。
第一に、アフガニスタンの情勢は最近になって急に悪くなったのではない。
第二に、地元の人に信頼されてペシャワール会は守られてきた。それでも今度のような事件が起きた。地元の長老が犯人と交渉中だという報道があったので、地元の論理で解決されるものと期待した。ところが、警察が犯人を追い詰め、アメリカ軍がヘリコプターで追跡している報道があったので、これは危ないと思った。
第三に、日本のメディアの動きを注目していたが、先の「自己責任論」大合唱のようなバッシングは幸いにも起きなかった。それでも、アメリカ軍が支援をやめたらタリバン以前に後戻りしてしまうという論法が一部で声高に出ている。しかし、これは国際社会への不信を駆り立てるものでしかない。
軍隊による人道支援というのは、とても危険なもの。NGOの活動と軍事行動との境界があいまいになってしまう。軍隊を派遣していないからこそ、日本の援助はアフガニスタンの人々から高く評価されてきた。日本は、軍事的な支援に固執することなく、周辺国を含む紛争当事者の包括的な和平に向けた協議を主導して進めてほしい。
これらの指摘に、私はまったく同感でした。
(2008年5月刊。740円+税)
2008年10月01日
世界を不幸にするアメリカの戦争経済
著者:ジョセフ・E・スティグリッツ、出版社:徳間書店
ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者です。クリントン政権では、大統領経済諮問委員会の委員長であり、世界銀行の上級副総裁兼チーフエコノミストもつとめています。現在はコロンビア大学教授です。そのような保守本流の経済学者のズバリ直言ですから、重みがあります。
今となっては、アメリカのイラク侵攻が恐ろしい過ちだったことは明らかだ。4000人のアメリカ兵が死亡し、5万8000人が重軽傷ないし深刻な病いを負った。10万人のアメリカ兵が深刻な精神障害になって帰還しており、慢性的な症状に苦しめられるだろう。
サダム・フセインの統治はお粗末だったが、今のイラク国民の生活はその頃よりも悪化している。イラクに侵攻して中東に民主主義をもたらすというアメリカの大義名分は、今ではむなしい夢に思える。
イラク開戦の決断は、数々の間違った前提にもとづいていた。
イラク侵攻して5ヶ月の2008年の運用費は、イラクだけで月に125億ドルを超える。
2003年に比べて44億ドルも増えた。アフガニスタンと合わせると月160億ドルになる。
この160億ドルという金額は、国連の年間予算、またアメリカの13州分の年間予算と同じ。しかも、この金額には国防総省が通常の支出として一年間に支出した5000億ドルを含んでいない。
イラク侵攻は、民間の軍事警備会社に新たな機会を与えた。国務省が支出した金額だけでも、2007年には40億ドルになる。3年前は10億ドルだった。
2007年にブラックウォーターやダインコープなどの戦争請負会社で働く警備員は1日にして1222ドル、年間44万5000ドルを稼いだ。それに対して、陸軍軍曹は1日に140〜190ドル、年間で5万〜7万ドルだった。このように請負兵は軍人より費用がかかるうえに、軍の規律や指揮の下に置くことが出来ない。
このような民間業者との契約が増えて、今では10万人以上がイラクで活動している。
今や、アメリカは兵士と将校の補充・確保に苦労している。それは戦争反対の声の高まりと、死傷者数の多さによる。入隊年齢の上限を35歳から42歳に引き上げた。また、重罰犯の元受刑者も兵隊として受け入れるようになった。そして、経験豊かな兵士が軍を離れて民間の戦争請負会社に移らないように、再入隊ボーナスとして最高15万ドルを支払っている。
2007年末までにイラクとアフガニスタンで重軽傷・病気になったアメリカ兵は6万7000人。少なくとも4万500人が戦争に直接起因しているとみられている。
多くの退役軍人がM-1戦車とA-10攻撃機から発射された対戦車砲弾に含まれる劣化ウランにさらされた。退役軍人の障害手当は3000億ドル前後になると見込まれている。
イラクとアフガニスタンで任務につく兵士の大多数は、その危険性を十分に理解していなかった。その3分の1は州兵軍や予備軍から召集された者であった。彼らは自分が長期間にわたって国外に配置されるなど想像もしていなかった。
イラクとアフガニスタンからの帰還兵の健康問題の最大のものは精神障害だ。自殺率は10万人につき19.9人にまで高まっている。その自殺者の4分の1がイラクやアフガニスタンでの軍務中に起きている。
アメリカは、アフガニスタンとイラクに戦争を仕掛けたため、2008年度末には9000億ドルの負債を抱えることになるだろう。今のアメリカは、滅亡直前のローマ帝国である。
アメリカはイラクを長期占領すべく巨大な軍事基地をイラク国内にいくつも築き上げた。
バラド基地は、縦7キロ横5キロの広さがあり、2万2500人の兵士を収容する。アサド基地には1万7000人の兵士のほか、民間の戦争請負業者が入っている。
バグダッドにあるアメリカ大使館は、ニューヨークの国連本部の6倍以上の規模だ。
アメリカによるイラク戦争が間違っていたこと、そしてそれがアメリカ国民にも不幸をもたらしつつあり、アメリカ国家経済を危機に導いていることがよく分かる本です。
庭の酔芙蓉の花が咲いています。朝のうちは見事な純白の花なのに、お昼過ぎると昼食をとった時に軽く一杯やってほろ酔い加減になったように朱がさし始め、夕方になる頃にはすっかり出来上がって赫味の強い花になってしまいます。酔芙蓉とは、よくぞ名づけたものです。
(2008年5月刊・1700円+税)
2008年10月04日
ドット・コム・ラヴァーズ
著者:吉原 真里、 発行:中公新書
いやあ、団塊世代であり、インターネットと日頃とんと無縁な私にとっては、とてもショッキングな本でした。
この本のサブタイトルは、ネットで出会うアメリカの女と男です。オビに書かれているフレーズは、「インターネットは愛の救世主か?!」です。もっというと、アメリカ男たちとオンライン・デーティング。大手サイトに登録した著者は、ニューヨーク、そしてハワイで、さまざまなアメリカ男たちと「デート」する。メールのやりとり、対面。交際、そして別れの中から、人間臭いアメリカが見えてくる――。
40歳の東大卒で、ハワイ大学教授の独身女性が良き伴侶を求めるうえで、ハードルが高いことは、それなりに想像できます。この本は、そんな経歴の著者が活路をインターネットに求めて格闘した人生の日々を、かなり赤裸々に語りつづったものです。
うむむ、知りませんでしたね。アメリカでこれほどインターネットが出会いの場として活用されているとは。日本でも出会い系サイトで知り合ったという弁護士を知っていましたが・・・。
オンライン・デーティングというのは、要するにインターネット上のサイトを使ってデートの相手を探すこと。2006年度の業界の総売上は6億4900万ドル。現在、有料で合法なインターネット・サービスの中で最高の収益をあげている。アメリカでは、オンライン・デーティングはすっかりメインストリームになっている。主流として定着している。ええーっ、そ、そうなんですか…。
登録料は、月に20ドル(2000円ほど)。あるサイトは、ここを介して出会った男女1万組が結婚している実績を誇っている。
ストレートの女性がゲイの男性に惹かれる理由はいくつかある。さまざまな困難の中で、あえて自分に正直に生きる選択をしているゲイの男性は、人間関係において非常に真面目であることが多い。友達を大切にし、まめに連絡をとり、よく話をするし、こまめに気をつかう。一般的に言うと、ゲイの男性は平均的なストレートの男性に比べて、人間関係に意識的な努力を払う人が多い。そして、話を良く聞いてくれる。ゲイの男性は、おしゃれや身だしなみ、インテリアにこだわる人が多い。
ところが、ゲイの世界のインターネットの勧誘サイトでは、あまりに性的露出度が高い。つまり、ペニスのアップ写真などがこれでもかとばかりに載っている。ひえーっ、これって信じられませんね。
オンライン・デーティングでは、多くの人は同時進行的に複数の相手とデートを重ねており、そのこと自体に腹を立てる筋合いはない。ううむ、そういうことなんですね。
著者の相手になった男性には、ユダヤ系の人が多かったのですが、それは、会話や議論が好きで、感情表現が豊かであり、濃厚に人間臭いやりとりができるからでした。
アジア人女性(もちろん日本人女性も含みます)は、アメリカ人女性よりも性的に奔放である、というのは嘘ではないようだ、とも書かれています。うーん、そうなんでしょうか。
著者は、この本によると、10人以上もの男性との出会いをそれなりに「楽しんだ」ようです。そして、月20ドルの料金は十分に元が取れた、と考えています。
オンライン・デーティングでは、安全のために、本人同士が連絡を取り合って相手に知らせない限り、本名やメールアドレスは分からないようになっている。なーるほど、ですよね。むやみに変な人に知れたら、面倒ですからね。
ベッドの中での行動やセックスについての態度には、その人の人間性がよく現れるから、相手のことを良く知るためには性的関係を持つのが大事だとも思う。むむむ、このセリフは、なかなか簡単にはいえませんよね。
いやあ、世の中はこうなっているんだな、と改めて認識を新たにしたところです。こんな本を書くと、ますます男性の多くは引けてしまうと思います。でも、子供好きだということですから、ぜひ良き伴侶を見つけて子供をもうけてくださいね。
(2008年6月刊。780円+税)
2008年10月08日
サブプライムを売った男の告白
著者:リチャード・ビトナー、 発行:ダイヤモンド社
アメリカのサブプライムローンをめぐる破綻が全世界の経済を大きく揺り動かしています。この本は、サブプライムローンの実体が、いかにインチキであったか、体験を通して暴露しています。
アメリカでは、夫婦の一方が病気になれば、たちまち経済的に破綻してしまう。国民皆保険制度がなく、営利企業である保険会社に加入できなければ、高額の自費負担を余儀なくされるからだ。
サブプライムローンの借り手の大半、少なくとも80%の人々は期日通りに返済している。滞納件数がかなり多いのは明らかだが、5人のうち4人は返済している。
サブプライムローンの借り手は、伝統的な住宅ローンなどを借りる資格のない人々である。信用度は良くない。前にローン返済が延滞したり、不履行になったりした事実がある。だから、借り手はリスクの増加と相殺するため、より高い利息やローン手数料を支払わされる。
クレジットスコアというのがある。300点から850点までの範囲がある。
2000年までに、アメリカでは、25万人以上のモーゲージブローカーが活動していた。モーゲージブローカーにライセンスを要求する州は少なかったので、業界への参入障壁は低かった。
住宅ローンで不正行為が横行した。本来なら住宅ローンを借りる資格のない借り手が融資を受けた。たとえば、居住物件のはずが、投資物件であった。借り手が友人や親類の会社で勤めているとして職歴をデッチ上げる。ローンに関わる重要情報を隠してしまう。
信用度の高い人が、第三者に自分の借入の実績を使わせ、その都度、手数料をもらうということもあった。このような「信用強化」は人を欺くものである。
不動産鑑定士が価値以上の評価を出すこともある。あらゆる数字をぎりぎりまで操作して評価額の数字を導き出す。借り手は望みのものを手に入れ、レンダーとブローカーは手数料を稼ぎ、投資家は優良債権を受け取ることになる。
しかし、こんなことは長続きはしない。いずれは破綻する。
アメリカの非金融企業で、最上級のトリプルAに値するのは、ほんの一握りの企業にすぎない。それなのに、格付けされた債務担保証券の90%がトリプルAというタイトルを授けられている。
これから数年のうちに、200万人もの人々が差し押さえによって住居を失う危険がある。
抵当流れのピークは2009年だと予測されている。総件数は200万件に達する。そして、ラスベガスやマイアミという住宅に最高額が付けられてきた町でも、今後の数年のうちに住宅価値は40〜50%も下がるという推測がある。
今、アメリカ発の世界恐慌が起きるのではないかと、みんなが心配しています。アフガニスタンやイラクへ戦争を仕掛けたアメリカの国内経済がガタガタになっているのです。それなのに、大企業の救済・優遇措置だけはしっかりとろうとしています。アメリカの国民が猛反発したため、一度は国会で否決されました。ことは日本にも大きく響いて来る問題です。対岸の火事だといってすまされないことだと思います。
(2008年7月刊。1600円+税)
2008年10月09日
最後の授業
著者:ランディ・パウシュ、 発行:ランダムハウス講談社
ドーデーの『最後の授業』ではありません。46歳の教授がすい臓がんで余命いくばくもないと宣告され、カーネギーメロン大学で最後の授業を行ったのです。
いやあ、すごいですよ。自分の生命があとわずかだと告知されたとき、あなたなら、何をしますか?
私も父を癌で亡くしましたので、癌という病気についてはすごく関心があります。そして、癌の告知については、してほしい反面、怖さに耐えられるだろうかという不安があります。
それにしても、あなたの生命はあとわずか数ヶ月だと宣告されたら、どうするでしょうか。
最近、私の大学時代のセツルメント仲間から、亡きご主人の追悼集(『一途に進む私の道』)が贈られてきました。私も近くに住んだことのある神奈川県川崎市の法政二高の英語の教師だった人(故橋本保氏)についての追悼集です。それによると、2月に「夏まで」と家族は告知されたそうです。癌が再発・転移したわけですが、本人はそのこと自体は知っていても、どうやら「あと何ヶ月」というのは知らされなかったようです。知ったところで、既に入院中の身であれば自由に行動できるわけでもありませんので、どうしようもなかったのでしょう……。緩和ケアー病棟での生活をご本人が報告しているのを読むと、大変に意思の強い人だと感嘆してしまいました。私なんか、いったいどうするだろうと思いながら、追悼集を読み進めました。
さて、この本に戻りますが、最終講義は無事に終了し、これがインターネットでも配信され、のべ600万ものアクセスがあったそうです。私は戦争好きのアメリカなんて大嫌いなのですが、こんなアメリカは大好きです。アメリカの草の根民主主義は今の日本国憲法にも生きていると思っています。アクセスした「600万人」は、そんな草の根民主主義を体現していると勝手に思い込んでいるのです。
大切なのは完璧な答えではない。限られた中で最善の努力をすることだ。
うーん、これって、なかなかいい言葉ですよね。
今回の講義がなぜ大切なのか考え直した。生きていると自分も確認したいし、みんなにも分かってほしいから? まだ講義をする元気があることを証明するため? 自分の最期を見てほしいという目立ちたがり屋の精神? この答えは、すべてイエスだ。傷を負ったライオンはまだ吼えられるかどうかを確かめたいものだ。これは威厳と自尊心の問題だ。虚栄心とは少しだけ違うんだ。だから、僕の講義は死ぬことについてではなく、生きることについてでなくてはならなかった。な、なーるほど、ですね。最後の最後まで、自分の存在というのを世の中に認めてほしいものです。
子供はなによりも、自分が親に愛されていることを知っていなくてはならない。
ホント、そうなんですよね。
幼い子供たちと、やがて悲しい別れがやってくる。そして、彼らには父親の記憶が残らない。これほどつらいことがあるでしょうか・・・。ここを読んでいるうちに、ついつい涙してしまいました。 著者はお元気のようです。ぜひ、これからもお元気にお過ごしください。
世界遺産に登録された白川・五箇山のうち、五箇山のほうへ行ってきました。気持ちよく晴れ上がった秋の日の朝のことです。大きな萱葺きの家がよく保存されていました。そこで生活する人にとってはかなり不便を多いことでしょうが、やはり、こういう風景はぜひ攻勢まで伝えたいと思ったことでした。稲穂が重く垂れたそばで、コスモスが咲いていました。チューリップのような淡いピンクの花が珍しかったのですが、名前が分かりませんでした。あとで、ぺシニアという花だと教えられました。大きな村上邸では、火の起きている囲炉裏のそばでお年寄りが語り部として故事来歴を語ってくれ、また、ササラを演じて見事なコキリコ節を聞かせてくれました。
川向こうに流刑小屋が唯一つ残っているというので、見学してきました。独房です。これでは冬の寒さに耐えられません。富山は加賀百万石の一部になっていたそうです。
(2008年6月刊。1500円+税)
2008年10月23日
格差は作られた
著者:ポール・クルーグマン、 発行:早川書房
今度、ノーベル賞(経済学)を受けた学者の本です。たまたま読みました。ブッシュ政権を強い口調で批判しています。はっきり言って反政府系の硬骨漢です。こんな学者によくぞノーベル賞が授与されるものです。いえ、批判(非難)しているのではなく、ノーベル賞選考委員会をほめているのです。
第2次大戦後のアメリカでは、富裕層は少数で、中産階級と比べるときわめて裕福というわけではなかった。貧困層は富裕層より多かったが、それでもまだ相対的には少数だった。アメリカ経済には驚くほどの均質性があり、ほとんどのアメリカ人は似たような生活を送り、物質的にも非常に恵まれていた。
経済が平等であったことに加えて、政治も穏便だった。民主党と共和党の間に外交や国内政策で広いコンセンサスがあった。
ところが、1990年代に入ると、アメリカは政治的に中道で中産階級が支配的な国へと成長していくのではないことが徐々に明らかになっていった。小数のアメリカ人が急激に裕福になっていく一方、ほとんどの人々が経済的には、まったくか、ほんの少ししか向上していなかった。政治が両極に分裂し始めていた。
今日、所得格差は1920年代と同等の高い水準にあり、政治的な分裂はかつてないほど進んでいる。共和党は右傾化し、所得の不平等が広がるのと同時に、今日の厳しい党派主義が生まれている。
急進的な右派が力を得たことで、ビジネス界は労働運動にたいして攻撃を仕掛けることができるようになり、労働者の交渉力は劇的に減退した。経営陣の給与に対する政治的社会的抑制力は消えうせ、考慮特赦に対する税金は劇的に軽減され、そのほか実に様々な手段によって不平等と格差は助長されてきた。
すべて諸悪の根源は、アメリカの人種差別問題にある。今でも残る奴隷制度の悪しき遺産、それはアメリカの原罪であり、それこそが国民に対して医療保険制度を提供していない理由である。
うむむ、な、なーるほど、そういうことだったのですか。アメリカに国民皆保険制度が今なお存在しておらず、民間の営利会社である保険会社が保険制度を担っている本当の理由がやっと分かりました。
先進諸国の大政党のなかで、アメリカだけが福祉制度を逆行させようとしているのは、公民権運動に対する白人の反発があるからなのだ。
第二次大戦前のニューディール政策が始まると、富裕層は、所得税率が今35%なのに対して、63%から79%へと大幅に上昇した。最高時は91%にまでなった。法人税も14%だったのが、45%以上にまで上昇した。これによって富の集中が弱まった。
ニューディール政策は、金持ちの資産の多くを税金でもっていった。ルーズベルト大統領は、その階級からは「裏切り者」だと見られていた。逆に、ニューディール政策の下で組合員の数と影響力は増大した。
アメリカで起きたベトナム反戦運動は、1960年代そして1970年代初めのアメリカ社会に重くのしかかっていた。1973年に徴兵制度が終わり、ベトナムからアメリカ軍が撤退したあと、驚くほどのスピードで消滅した。反戦運動家はほかの事に関心を移し、過激な左派主義は重要な政治勢力として根付くことは無かった。
レーガンは、共産主義の脅威に対する大衆の被害妄想をくすぐることに成功した。
アメリカ人は自国を危うくするものは非常に簡単に運動力によって排除できると思い込んでいる。自制を唱えるものは、よくて弱腰、悪くて国家への反逆。
保守派は、一般大衆の感情にアピールするための二つのことを発見した。その一は、白人の黒人解放運動に対する反発と、共産主義に対する被害妄想であった。
1970年に平均的な労働者の給料の30倍だったCEOの所得は、今日では300倍以上にも跳ね上がっている。1970年代、大企業のCEOは平均120万ドルの給与を得ていた。ところが、2000年に入ると、その報酬は年900万ドルを平均とするまでに上がった。これにより、今や平均して307倍になっている。
アメリカの経営者には羞恥心というものがないのでしょうか。まさに自分さえ良ければということです。これでは、他人からも馬鹿にされてしまいます。ところが、今、日本の経営者もアメリカの経営者にならおうとしています。あの御手洗日本経団連会長(キャノン)も、自分のことしか考えていません。いやですね。口先では偉そうなことを言うのですからね。
一人当たりの医療保険額で一番低いのはイギリスで、アメリカはその2.5倍。カナダ、フランス、ドイツと比べて2倍も高い。
アメリカ国民全員に健康保険を与えるとしたら、当然のことながら、黒人、ヒスパニック、アジア系などの非白人を含むことになる。それを税金によって一番多く負担するのは、アメリカの富裕層である。そのほとんどは白人だ。一般の白人にとってはそれはとうてい受け入れられない。一部の白人は、黒人と同じ病院を使用することに猛反対した。
今日でも、白人と黒人とが同化した教会はアメリカ全土で10%に満たない。え、えーっ、そうなんですか。博愛精神って、フェアプレイの精神と同じく今も生きる名言だと思いますけどね・・・・・・。
(2008年6月刊。1900円+税)
2008年10月28日
イラク米軍脱走兵、真実の告発
著者:ジョシュア・キー、 発行:合同出版
陸軍に入るとき、海外に送られることはないと徴兵担当者は固く約束した。きみはアメリカ本土で橋を建設し、夜は毎日、家族と一緒に過ごせる、と。ところが、実際に軍隊に入って練兵担当軍曹から言われた言葉は、次のようなものだった。
お前らがサインした契約書に書いてあったことは、みんな大嘘だ。そんな約束は、すべて破られるだろう。
うん、うん、そうなんです。軍隊って、どこの国でも大嘘つきなんですよね。
アメリカ陸軍の将校と兵士にとって、イラク人は決して人ではなかった。イスラム教徒は決して市民ではなかった。ぼろ頭であり、砂漠のニガーであり、軽蔑すべき奴らだった。人権があるなんて、誰も微塵も考えなかった。
イラクでは、家宅捜索へ行くと、ほしいと思ったものは何でも盗んだ。だって、我々はアメリカの軍隊なのだから、何でも好きなことが出来るのだ。家宅捜索の後は、いつもアドレナリンのせいで興奮し、2時間以上続けて眠ることは決してできず、常にぼんやりと麻痺したような状態だった。
ファルージャに派遣され、その2週間で10数人の市民を殺した銃撃音を聞いた。分隊が2人の市民を殺すのを見た。もう十分だと思えるほどの血と死を見た。このような暴虐を市民に対してふるうのは間違っていると考えた。それでもまだ、イラクにアメリカ軍がいるのは正しいと考えた。テロを根絶するために、イラクにいるのだと信じていた。
イラクでもっとも恐ろしい任務は、小隊で行う徒歩のパトロールだ。パトロール中、まったく無防備で、敵にさらされていると感じていた。アメリカ兵に笑いかける人はなく、多くの人は憎悪を隠そうともしなかった。
それは奇妙な戦争だった。アメリカ兵を狙って銃撃する者の姿も、迫撃砲も、アメリカ兵を目がけてロケット弾を飛ばす者の影も、まったく見えない。いつまでも敵が姿を現さないことで、アメリカ兵の恐怖といらだちは頂点に達した。そして、そのいらだちは、いつでも一般市民に向けることができた。
戦場を知らない人には奇妙に思えるだろうか、イラクでは手榴弾はごく普通の日用品である。これというはっきりした敵がいないので、アメリカ兵は無力で抵抗できない市民に攻撃の矛先を向けた。自分たちの行為に対して責任を持たなくていいことは知っていた。恐怖でいっぱいで、眠りを奪われていて、カフェインやアドレナリンやテストステロンで興奮していた。上官は、いつも兵士に、イラク人は全員が敵だ。民間人もだと言っていた。
2時間以上のまとまった睡眠をとれたためしはほとんどなかった。
アメリカ兵自身がテロリストなんだということに、初めて気がついた。アメリカ兵はイラク人に対してテロ行為を働いている。脅かしている。殴っている。家を破壊している。アメリカ人は、イラクで、テロリストになってしまっている。もはや戦場に戻ることは良心の呵責に耐えかねる。そこで、著者は法務担当者に電話し、問いかけた。担当官は次のように答えた。
君に出来ることは、次の2つのどれかしかない。一つは、予定されている飛行機に乗ってイラクへ戻ること。二つ目は、刑務所に入ること。このどちらかだ。
この言葉を聞いて、著者はアメリカ軍に戻らないと決め、アメリカ国内で家族とともに潜伏生活を過ごし、インターネットで見つけたカナダの脱走兵支援事務所の援助を受けてカナダに入国したのです。すごい行動力です。
この本を読んだあと、いま上映中の映画『リダクテッド』を見ました。イラクに派遣され、サマラの町の警備を命じられた兵士たちの日常生活が紹介されています。そして、イラクの人々を人間と思わず、ストレスもあって、15歳の少女をレイプしたうえで一家皆殺しにした実際に起きた事件を想像をまじえて再現しています。もちろん、許されない犯罪であることは言うまでもありませんが、そのような状況を作り出しているアメリカ政府の責任を厳しく弾劾しないことには、末端兵士を厳罰に処しても問題は何も解決しないと思わされたことでした。今のイラク戦争がいかに間違ったものなのか、すさまじい映像に圧倒されました。背筋の凍る映画というのは、こういうものを言うのでしょうね。でも、現実を直視するために、ぜひ多くの人に見てほしいものだと思いました。「リダクテッド」というのは、編集済みの、という意味だそうです。マスコミが報道するニュースは、すべて当局、つまり政府の都合のいいように編集されているということです。日本も、アメリカとまったく変わりません。イラク戦争の実情なんて、ちっとも放映されませんよね。
(2008年9月刊。1600円+税)
2008年11月07日
シャドウ・ダイバー(上)
著者:ロバート・カーソン、 発行:ハヤカワ・ノンフィクション文庫
水深が20メートルより深くなると、判断力と運動能力が低下する。これは、窒素酔いとよばれている状態だ。深く潜れば、窒素の作用はいっそう顕著になってくる。沈没船のある水深30メートル以上になると、条件は著しく不利になる。
もし、何かが起きても、ただちに海面へ泳いであがることはできない。深い海で一定の時間を過ごしたダイバーは、水圧に身体を慣らしながら、あらかじめ決められた時間をおいて、徐々に上昇していかなければならない。空気が足りずに窒息することが分かっていても、そうしなければならない。パニックに陥って、「太陽とカモメ」を目ざして一目散に浮上するダイバーは、ベンズとも呼ばれる減圧症を発症する危険がある。重症のベンズでは、身体に障害が一生残ったり、麻痺したり、死に至ることもある。重症のベンズの苦痛にもだえ苦しみ、悲鳴を上げる患者を目にしたことのあるダイバーは、長時間のディープ・ダイビングのあとで減圧せずに浮上するよりは、いっそ海底で窒息して死ぬ方がましだと口をそろえて言う。
水深40メートルでは5気圧となり、ほとんどのダイバーの頭は正常には働かない。手先がぎこちなくなり、紐を結ぶといった簡単な作業にも苦労する。知っていることでも、苦労して思い出さなくてはいけない。
さらに、50〜55メートルに降りると、幻覚を見ることもある。
水深60メートル以上になると、窒素酔いによって、恐怖、喜び、悲しみ、興奮、失望などの感情を、いつものようにうまく処理できない。
急速に浮上すると、気圧は急激に下がる。それによって、組織に蓄積した窒素ガスは、ソーダのボトルのふたをポンと開けたときのように、大量の大きな泡となる。この窒素の大きな泡が、ディープ・ダイバーの憎き敵である。血流の外側で大きな泡が生まれれば、それが組織を圧迫して、血液循環を妨げる。関節内部や神経のそばなら激痛を引き起こし、痛みは数週間、悪くすれば終生つづく。脊髄や脳で発生した泡は、身体の麻痺や致命的な発作の原因となりかねない。大量の大きな泡が肺に流れ込むと、肺機能が停止してチョークスと呼ばれる障害が起き、呼吸が停止する恐れがある。大量の大きな泡が動脈系に入り込むと、空気塞栓症という肺気圧障害を陽子お越し、卒中、失明、意識不明もしくは死に至ることもある。
水深60メートルに25分間もぐったダイバーは、1時間かけて海面へ浮上する。まず水深12メートルで5分間停止し、ゆっくり9メートルまで上がって、そこで10分間待ち、そのあと6メートルで14分、3メートルで25分を費やす。減圧のための時間は、もぐった深さと時間で決まる。時間が長くなるほど、水深が深くなるほど、減圧停止の時間は長くなる。2時間もぐったとすると、なんと9時間もの減圧が必要になる。
うひゃーっ、す、すごーいですね。ダイビングってこんなに危険な行為なのですね。そういえばスキューバダイビングを趣味とする私の姪っ子が沖縄に飛行機で行ったら、その日は海中に潜れないって言ってました。
沈没船を見つけて、そこに入り込んだダイバーは、死の危険と隣りあわせだ。出口を見つけられなかったら溺れて死ぬ。出口を見つけても、それまでに空気を使い果たしたら、適切な減圧をするための空気がもはやないことになる。
大西洋の沖の海底でドイツ軍のUボートを発見したダイバーの話です。ダイビングって、こんなに死の危険と隣り合わせのものだということを知って、大変驚いてしまいました。
(2008年7月刊。700円+税)
2008年11月18日
ジェローム・ロビンスが死んだ
著者:津野 海太郎、 発行:平凡社
アメリカのアカ狩りの様子が分かる本です。
映画「ウェスト・サイド・ストーリー」が上映されたのは、私が中学生の時でした。おそらく3年生だったと思います。新しい友人だった古田君が、「オレはもう3回見た」と言ったのを聞いて驚きました。私も1回は見たのですが、同じ映画を3回も見るなんて、私には考えられもしないことでした。そして、古田君は、ジェスチャー入りで歌をうたいはじめるのです。このシーンは、なぜか今でもよく覚えています。
この本は、その『ウェストサイド物語』 の監督兼振付家だった人が、アカ狩りのとき密告者になった状況を描いています。「密告者」という点では、エリア・カザンが有名です。『波止場』や『エデンの東』の名監督として有名なのですが、密告者として、よぼよぼの老人になって死ぬまで非難を浴びていました。
ロビンスは、1953年2月にワシントンの非米活動委員会室で証言し、5月にニューヨーク連邦裁判所の法廷で証言した。
「あなたが共産党員だったという情報は正しいですか?」
「正しいです」
「党員だった期間は?」
「入党申請したのは1943年のクリスマスのころ。初めて会合に出席したのは1944年春。最後に出席したのは1947年春です」
「グループにいた人の名前をあげてください」
ロビンスは、その問いに答えて、次々と人の名前をあげていきます。これでは密告者と呼ばれても仕方がありません。
非米活動委員会は、すべてのアメリカ人に、のっぴきならない場に追い込まれた左翼やリベラル派のぶざまなふるまいをリアルタイムで見せつけるのが狙いだった。
アカ狩りの背景として、1948年6月にベルリン封鎖、1949年8月にソ連が原爆実験に成功、1949年10月に中華人民共和国の成立、1950年6月に朝鮮戦争の勃発があげられる。それまで戦勝気分もあって未来に対して楽観的だったアメリカ社会の空気が一変し、ソ連による原爆攻撃と共産主義による世界制覇への恐怖が広がった。機を逃さず、非米活動委員会は、共産主義者はソ連のスパイとみなし、すべて死刑ないし終身刑に処すべし、という法案を提出した。この脅迫に、ハリウッドの世論は屈してしまった。
エリア・カザンは、アメリカでもっとも有名な監督だった。誰もが、彼こそはその影響力で非米活動委員会と戦えるだろうと思っていた。なのに、カザンは屈してしまった。
ロビンスに対して、質問した下院議員は次のように問いかけた。
「ここで証言して、ほかの人びとの名前を挙げた人をイヌとか密告者と呼んだ者がいる。もちろん、あなたは、他の人の名前をあげた以上、その部類に入れられることは覚悟していますよね?」
「はい」
非米活動委員会は、彼らを地獄の底に突き落とすこと、その裏切りと自滅の現場をマスメディアを通じてアメリカ国民にしつこく見せ続けること、みせしめと宣伝と愛国イデオロギー教育、これが目的だった。
ロビンスが若いころ、ナチスの反ユダヤ主義を恐れるアメリカのユダヤ人の多くが、スターリンのソ連に親愛感を抱き、そのうちの少なくない若者がアメリカ共産党に入党した。
1919年の結成当初から、アメリカ共産主義の中心にロシア系のユダヤ人移民がいた。
1930年代のアメリカ社会で、ユダヤ人差別が比較的少ない場が2つあった。芸能界と共産党である。そして、ロビンスは同性愛者(ゲイ)だった。それこそがロビンスにとって最大の問題だった。ロビンスに対する脅迫の核心は、ゲイであることを暴露するということだったのだ。その当時、公然とゲイだと名指しされるのは、今考えるよりずっと致命的なことであった。
非米活動委員会によるアカ狩りは、単なる反共キャンペーンというだけでなく、ニューディールの申し子世代に対する集団的リンチであった。それはニューディール時代に冷や飯を食わされた共和党や右派勢力による報復という性格をもっていた。いやあ、そんなこととはちっとも知りませんでした。そうだったんですか……。
いまさらアカ狩りでもあるまいという気がする。しかし、9.11同時多発テロ以来のアメリカ社会の空気は、急速に変化し、自分と異なる人間の在り方に対して、またたく間に不寛容になっていった。これでは、とうていアカ狩りが過去のものになったとは言えない。
なるほど、なるほど、そうなんですよね。「自由・平等の国」というイメージのアメリカですが、実際にはひどく民主主義に反することをたくさんやっています。日本にも乗り移ってきましたが、毛色の変わった人をすぐ異端視して排除しようとする不寛容な社会になりつつありますよね。日本で死刑賛成の人が増えているというのも、そのあらわれだと私は考えています。困ったことです。つい最近、国連は日本政府に対して、世論の動向にとらわれず死刑廃止に向かって行動するように、また、国民に対して死刑廃止の意義をよく普及するよう勧告しました。私も、まったく同感です。
(2008年6月刊。2800円+税)
2008年11月26日
アメリカの宗教右派
著者:飯山 雅史、 発行:中公新書ラクレ
アメリカ人と宗教というのが密接不可分のものだということを改めて認識させられました。アメリカでは州によって多数派の宗教が異なっているのですね。そして、そこそこの州は自分のところの多数派宗教を守るために連邦政府の介入を排除したいわけで、そのために憲法で政教分離がうたわれている。これって、初めて知りました。
バージニア州では、イギリス国教会が唯一の公認教会だった。ピューリタンはマサチューセッツを拠点とした。クエーカーはペンシルバニアをつくった。バプテストは、ロードアイランドに移り住んだ。カトリックはメリーランドに住んだ。アメリカ独立のときの13植民地は、こんな状態だったから、合衆国憲法を定めるにあたって、「連邦政府は国教を樹立してはいけない」という項目が入ったのも当然だった。それぞれの州が長い歴史と犠牲の末に樹立した宗教政策に対して、連邦政府が干渉するなんて言語道断だった。それに対して、州政府が州内に公認宗教をもつのは違憲ではなかった。ううむ、なるほど、なるほど、ですね。
会衆派はハーバードとエール大学。イギリス国教会(聖公会)はウィリアム&メリー大学とコロンビア大学、長老派はプリンストン大学を建設した。
アメリカ国民の8割以上は、信仰は自分の生活にとって重要だと考え、同じくらいの人が何らかの教派に所属している。
アメリカの宗教右派はこれまで3度にわたって隆盛を誇った。第一期は1980年代のこと。このとき共和党は奇妙な新興勢力が票を集めることを歓迎したが、あまり真剣に相手はしなかった。第二期は1990年代で、共和党はモンスターに成長した宗教右派のパワーに恐れをなし、ギングリッチの暴走をコントロールすることもできず、黄金の中間世帯からそっぽを向かれて支持率を落とした。第三の全盛期である2000年代になると、共和党は宗教右派を同志として受け入れ、赤い絨毯を敷いて厚遇したが、決して宗教右派の囚われの身になっていたわけではない。むしろ、共和党の集票マシーンとして、宗教右派のほうを手なずけた。ううむ、なるほど、このように荒廃を繰り返していたのですか……。ところで、今はどうなんでしょうか?
かつて何十万人もの信徒を熱狂させたカリスマ的な宗教右派の指導者たちは高齢化して、力を失い、他界する人も出てきた。最強の選挙マシンだった「キリスト教連合」は指導部の内紛や分裂から、もはや弱小組織にすぎない。そして、オバマ候補に敗れ去ったが、共和党の候補者として、マケインの選出を許してしまった。マケインは宗教右派をこけにしてきた人物だとのことです。
アメリカ人の70%は、死後の世界を信じている。フランス人は35%だ。悪魔を信じるアメリカ人は65%もいる。イギリス人は28%でしかない。
アル・カポネの名前と結びついて有名な禁酒法の制定(1919年)は、カトリックへのプロテスタントからの嫌がらせという側面を無視できない。アメリカ新参者のカトリックは貧困層が多く、強い飲酒癖をもっていた。
アメリカにおける「家族の崩壊」は、幻想ではなく、現実である。1994年の政府統計によると、母親と子供だけのシングル・マザー世帯は全世帯の3割近い。ワシントンの黒人でみると、9割の子どもが非嫡出子である。黒人社会では、親と子どもとおばあちゃんで暮らすのが「普通の家族」なのである。
アメリカのカトリック教徒は6600万人もいて、単一の教派としては最大の勢力をもっている。そして、この膨大なカトリック票が共和党から民主党へ激しく揺れ動く、究極の浮動票なのである。民主党も共和党も、カトリックの意識にはぴったりはまらない。だから、選挙のたびごとに投票先が変わる。
黒人教会は、もっとも忠実な民主党支持層である。ユダヤ教徒も、黒人有権者と同じくらい忠実な民主党支持層である。
アメリカの宗教右派運動には、しばらく冬の時代が到来しそうである。宗教右派運動は絶頂期を過ぎて、今後は長期的にも下降線をたどっていくのでしょうか・・・・・・。
(2008年9月刊。760円+税)
2008年12月06日
貧困と怒りのアメリカ南部
著者:アン・ムーディ、 発行:彩流社
アメリカ南部の黒人(今では、アフリカン・アメリカンと言われていますし、それが正しいと思いますが、ここでは黒人とします)が、公民権を獲得するまでの苦難のたたかいの最前線で活躍していた黒人女性の自伝です。アン・ムーディは1940年9月に生まれました。
公民権運動の指導者はキング牧師だというのは正しくないという訳者あとがきが、この本を読むと素直にうなずけます。
白人の女を見つめただけで、黒人の男は絞首刑にされた。エメット・ティルが殺された事件は、ミシシッピ州ではニグロの男が白人の女に口笛を吹くだけで罪となり、死によって罰せられることを示した。
人というものを私が憎み始めたのは、15歳のころだった。エメット・ティルを殺した白人の男たちを憎んだ。しかし、私は、ニグロたちこそ憎いと思った。立ち上がって、殺人に対し何かしようともしないニグロを憎んだ。ニグロを殺す白人よりも、白人にニグロを殺されてなにもしないニグロに対する憎悪の方が強かった。人生のこの時期に、私はニグロの男たちを臆病者だとみなすようになった。
若い白人夫婦の家庭では、ニグロの少女を家において主婦が出かけることは少なかった。夫がニグロの少女に誘惑されることを心配したからだ。その反対のことは考えられなかった。
白人男性が黒人奴隷(女性)を犯していたのが、いつも黒人女性が白人男性を誘惑したからだと白人女性も信じていたなんて、とんでもない笑い草ですよね。
著者は大学生になって、黒人の公民権獲得運動に生命がけで挺身しました。KKKがダイナマイトと鉄砲で運動を圧殺しようとしていた時期のことですから、まさに生命をかけた闘いでした。
ミシシッピのニグロの将来は年配の人々によって決まるのではないことが明確になっていった。彼らはあまりにもおそれ、疑い深くなっていた。長いあいだ閉ざされてきた心に新しい考えを吹き込もうとするのは絶望的に近かった。
著者の顔写真もKKKのブラックリストに載った。著者はフリーダム投票に取り組んだ。黒人の投票は8万票だった。これは州の正式な選挙登録者数より6万票も多かった。しかし、ミシシッピ州には21歳以上の黒人有権者が40万人いたから、8万票というのはその2割でしかなかった。
ミシシッピ州では、経済的に余裕のある白人家庭の子弟は、人種統合に対抗して用意されていた私立高校に通った。子どもたちを通学させる裕福な白人たちが公立学校の教育に全く興味を示さないので、公立学校の基本的資金源として必要な税金が減少した。公立学校は白人貧困層と黒人のための機関だからという理由で見捨てられた。
アメリカ南部で黒人による公民権獲得運動が進行する過程と軌を一つにして成長していった黒人インテリ女性の自伝ですので、スリルもあり、大変興味深い内容です。白人の黒人に対する強烈な差別意識に今さらながら驚かされます。要するに、白人はインディアンを人間を思っていなかったのと同じく、黒人についても自分とおなじ人間だとは思っていなかったということなのでしょうね。
アメリカ南部における公民権運動において、キング牧師は指導者の一人でしかなかった。キング牧師を中心として運動がすすんでいたわけでは決してない。
著者は、このことを再三再四強調しています。
また、公民権運動は「非暴力」ですすめられたというイメージをともなっているが、現実には運動に従事していた人の多くは散弾銃などで武装していた。つまり、公民権運動は自衛のための武装をともなっていた。
公民権運動のすさまじい実態を改めて知ることができました。白人には黒人を殺す自由があったのですね……。アメリカのおぞましい真実の一端がここにあります。
(2008年6月刊。3500円+税)
2008年12月14日
オバマ、勝つ話術、勝てる駆け引き
著者:西川 秀和・池本 克之、 発行:講談社
オバマ大統領が誕生することになりました。その大統領就任式には300万人がワシントンに集まるだろうと言われているそうです。アメリカが軍事優先の国家から少しでも平和志向の国へ変化することを願うばかりです。
この本は、はじめヒラリー・クリントンより劣勢だったオバマがなぜ逆転勝利へ駆け上がることができたのか、その秘密を明らかにしています。読むと、なるほど、と思います。インターネットを使って膨大な資金カンパを集め、惜しみなくテレビCMなどに注ぎこんだという物量作戦もバックにあって支えたのでしょうが、やはりオバマ自身の演説のうまさは決定的だったようです。
リーダーとなる者は、人の心を動かす言葉を持っていなければならない。とくに政治家は、自らの理想を、自らの信念を、人々に明確に伝えなければならない。まさに、言葉は人なのである。記憶に残る一言と明確なコンセプトがもっとも求められる。
漢字が読めず、空気も読めない麻生さんは、首相として失格と言うだけでなく、そもそも政治家になったのが間違いなんですよね。
オバマの演説には、信じること、希望など、人々に勇気と自信を与える言葉が随所に散りばめられている。不信に凝り固まった人々の心をほぐすためには、大ゲサでしつこいほど、そうしたポジティブな言葉を繰り返す必要がある。
オバマは、ネガティブ・キャンペーンに対して反撃はできるだけせず、希望と連帯を前面に打ち出すことで勝利した。ネガティブ・キャンペーンに対していちいち反撃すれば、相手のペースに巻き込まれるし、きりがない。相手を落としめ自分を上げようとすると、心ある有権者は言葉に耳を傾けてくれなくなる。ネガティブ・キャンペーンが行き過ぎれば、いずれ自滅する。
オバマは、過去の政治からの脱却と未来の新しい政治の導入を約束して多くの人々の支持を集めた。過去対未来という2項対立は、連帯を呼びかけるのに好都合なのだ。
オバマが有権者に黒人の代表だと判断されたら、幅広い得票ができない。オバマは白人と黒人の連帯を訴えかけ、圧倒的な黒人票に加え、一定数の白人票も集めることに成功した。
オバマとヒラリーの両者には政策の面で根本的な争点があまりないため、イメージ戦略の勝負だった。「経験のヒラリー」対「変化のオバマ」というイメージがすっかり定着した。
変化、きっと私たちは出来る、そして過去対未来という人々の脳裏に強烈に刻まれるイメージ戦略で、オバマは支持層の急拡大に成功した。
重要なことは何度でも繰り返す。どんなことでも一度聞いたくらいでは、記憶には残らない。訴え掛けるテーマがいけると思えば、くどいと言われようが中身がないと批判されようが、とにかく繰り返す。そうすれば、多くの人々に浸透する。
ヒラリーは理性に訴えかけ、オバマは情勢に訴えかけた。
多くの人々が今のままではダメだという漠然とした不安を抱いていたが、何をどうすればよいのか分からないでいた。そんなときには、まずは希望を与えることが大事だ。不安で心がいっぱいのときに理性に訴えかけても効果がない。オバマは情勢に訴えかける言葉で人々の不安を行動に変えさせた。人々の持つ不安を汲み取り、それを打ち消す力強い言葉の力を発揮することこそ、オバマの真骨頂だった。自分の思いを語るだけではダメ。人々が待ち望む言葉、そして人々が待ち望む物語を語らなくてはならない。
そうなんですよね。不況のとき、ヒットラーのようなデモゴギーではなく、素直に現実を直視しつつも明日への希望を持たせる呼びかけのできる政治家が日本にもいてほしいですね。
オバマのカリスマの秘密は、人々の心を代弁することに、そして人々に夢と希望を与える救世主というイメージをつくることに成功したことにある。
オバマが人々の心をぐっと掴む演説のうまさに、日本人とりわけ弁護士は大いに見習うところがあると思いました。
先週の日曜日、庭の一隅を半畳分ほど掘り上げ、水仙などの球根類を植えかえてやりました。掘り上げたところには近ポストに入れていた枯草などを埋め込みます。球根を植えているうちに陽が落ちてしまいました。夕方5時です。急に冷え込み、背中に冷気さえ感じるようになり、しばらく辛抱して夕方5時半まで頑張りました。庭仕事を終えて空を見上げると、天高く半月が煌々と輝いていました。
今日は私の誕生日です。ついに還暦を迎えてしまいました。20代のころ、自分が60代になるなんて考えたこともありませんでした。先日、依頼者の方から、「まだ40代に見えますよ」と言われましたが、私の頭のなかはまだ20代のままなのです。といっても、身体の方は確実に老いを実感させてくれます。そこがつらいところです。
(2008年10月刊。1400円+税)
2008年12月23日
プラネット・グーグル
著者:ランダル・ストロス、 発行:NHK出版
グーグルの収入は2002年に4億ドル、2003年に14億ドル、2005年に61億ドル、
2007年に165億ドル。純利益のほうも、2002年の1億ドルから、2007年には42億ドルになった。収入の99%は、例のシンプルなテキスト広告によるもの。
といっても、グーグルの規模はマイクロソフトには遠く及ばない。2007年にマイクロソフトは510億ドルの売り上げ額があったのに、グーグルは165億ドルでしかない。
グーグルが業務につかっているコンピューターは100万台にも及んでいる。これが世界最大規模のスーパーコンピューターを形成している。
グーグルの求めている人材は、単に高い教育を受けた人ではなく、きわめて高い教育を受けた人。採用した100人のうち40人は、博士号取得者だ。
グーグルは16億500万ドルでユーチューブを買収した。
グーグルは地球の全人口の3分の1をカバーする地域では、住宅や自動車までも認識できる写真を提供する。グーグルアースそしてストリート・ビューの出現だ。
ユーチューブは、2007年末の時点で月に30万本の動画を提供している。そしてグーグルは、その運営によって、それなりの収入得たとは言っていない。
グーグルを使って個人情報を調べてみると、アメリカでは個人の純資産・政治献金・趣味などが簡単に見つかった。
グーグルって、怖い存在なんですね……。
(2008年9月刊。2000円+税)
2008年12月24日
われとともに老いよ、楽しみは先にあり
著者:リング・ラードナー・ジュニア、 発行:清流出版
タイトルの文句はロバート・ブラウニングの言葉である。著者は、80歳になっても、自分を年寄りだとは考えていない。その理由の一つは、生涯を通して、どのようなグループ属していても、いつも最少年者だったという感覚が残っているから。また、自分が余計ものであるとか、他人の邪魔になっているとか、そういう感覚がないからだ。なーるほど、ですね。
この本は、ハリウッド・テンの一人として、アメリカの強烈なアカ狩り時代の犠牲者となったシナリオ・ライターが、自分の一生を振り返ったものですが、その楽天的ともいえる処世観には感嘆するほかありません。すごいです。その才能も偉大なものです。というのも、著者とその友人たちがシナリオをつくったという映画は、いずれも私たちもよく知る、今も見たい映画として必ず登場するようなものばかりなのです。そんな才能のある人々を、アカ狩りの対象としてハリウッドから追放しようとしたなんて、狂気の時代のアメリカとしか言いようがありません。著者の映画として有名なのは、1942年の「女性No,1」と1970年の「M☆A☆S☆H」です。残念なことに、私はどちらも見ていません。
著者はアメリカの国会に喚問され、当時6万4000ドルと言われた質問を次のように投げかけられた。
「あなたは、今、共産党員ですか。あるいは、これまでに共産党員であったことはありますか?」
その答えは、「質問に答えようと思えば、答えられるでしょう。でも、答えてしまえば、あとで自分が嫌いになる」というものだった。トーマス委員長は、著者に退廷を命じた。
著者はアメリカ共産党員だった。しかし、ソ連のスパイでは決してなかった。そして、アメリカをソ連の路線にそって再建させようとは考えてもいなかった。アメリカにおいては、合理的な経済システムへの転換は、選挙によって平和のうちに成し遂げられるものと信じていた。むしろ、ソ連のスパイにとって愚行中の愚行は、アメリカ共産党に入ってFBIの対象となることだった。
ところで、著者に退廷を命じたトーマス議員は、3年後、連邦刑務所で著者と同じ受刑者仲間として顔を合わせた。著者はトーマス委員長の質問に答えなかった罪で1年の服役を命じられていた。そして、トーマス議員は部下の職員をでっちあげて給与を着服したとして、横領罪で刑務所に入って来た。なんということでしょう。皮肉ですね。
それまで、ハリウッドでは、共産党員の脚本家ほど、高い生活水準を維持し、社会と融合で来ていた者はいなかった。共産党員であることに伴う不文律のひとつに、党員であることを喧伝しないという暗黙の了解があった。
著者は、プリンストン大学に入ると、社会主義研究会に入り、活動を始めた。著者が共産党に好意を寄せたのは、ファシズムに対して、真っ向から反対の姿勢を守り通していたからである。
著者は、ハリウッドで共産党に入党した。その当時、25人ほどの党員が、5年後には200人をこえていた。25人の半数は脚本家で、ほかは俳優、監督、スクリプト・リーダー、事務職員だった。党活動には、やたらと時間を奪われた。出席しなければならない夜の会合や行事などが週に4回も5回もあった。
ただし、誰もソ連と同じ政治体制をアメリカに持ち込もうとは考えていなかった。独裁判はごめんだったし、批判者に対する圧政も、ごまかし選挙も、芸術のプロパガンダ化も、みなお断りだった。アメリカを社会主義に変えられると確信していたが、それは現在もっているアメリカの自由を損なわず達成できるものであり、ロシアにはそもそもそんな自由がなかった。
スペイン市民戦争の激化とナチスの強大化にあわせて、ハリウッドの共産党は党員を増やし、勢力を拡大した。党員は、いわゆるリベラリスト・確信主義者と良好な関係にあった。ところが、1939年8月、独ソ不可侵条約が締結され、翌月、第二次世界大戦が勃発すると、左翼リベラル連合はまっぷたつに引き裂かれた。
この困難な時期に共産党を離れる者は増え、新しく入党する者は少なかった。その入党者の一人に、著者の友人のドルトン・トランボがいた。
トランボは、『ジョニーは戦争へ行った』の作者である。私も、この映画を見ましたが、強烈な印象を受けました。
戦争中、アメリカ国民に同盟国ロシアの美点を理解させるための映画がつくられた。ローズベルト政権の肝入りで、ワーナーとMGMが映画を作った。
うひゃあ、そうだったんですか……。
戦後、アカ狩りが始まったとき、共産党員であるか否かの質問にどう答えるのかが問題だった。トランボと著者は、唯一悔いを残さない答え方は、質問に答えないことだと主張した。
ところが、カリフォルニア州の前検事総長だったロバート・ケニー弁護士は、証言拒否に反対した。それぞれの方法で、質問に答えるべく努力したと主張できるようにすべきだというのである。ケニー弁護士の策戦に従った結果、同情的だった第三者には、ハリウッド・テンの狡猾でがさつな姿を印象付けただけだった。そのため、応援していたリベラリストたちに深い落胆を与えてしまった。このとき、一切の質問に答えないという単刀直入の姿勢のほうが、もっと威厳を得たし、著者たちの主張をはっきりさせるうえで、もっと効果的だった。
うむむ、なるほど、なるほど、そうでしょうね。でも、当時のアドバイスとしては難しい判断だったろうとしか、言いようがありません。
著者を含めたハリウッド・テンは刑務所に入り、やがて1951年に出所した。戻っていった先のハリウッドは、まだパニックの渦中にあった。著者もゴースト・ライターとして生きるしかなかった。ゴースト・ライターとしてハリウッド・テンの人々が脚本を書いた映画の題名がすごいんです。『戦場にかける橋』『スパルタカス』『アラビアのロレンス』『野生のエルザ』『M☆A☆S☆H』などなど。
ハリウッド内のアメリカ共産党の影響力の大きさとその活動の実情がてらいなく紹介されている本として特筆されます。それにしても、彼らの才能のすごさには脱帽します。
東京・四谷にある小さなフランス料理店で食事してきました。筑後市出身のシェフががんばっていて、本で紹介されていましたので、一度ぜひ行ってみたかったのです(北島亭)。ついた時は先着の客は1組のみでしたが、やがて6つほどあるテーブルが全部埋まりました。オードブルは生ガキでした。ほっくり身の厚いカキを久しぶりにいただきました。口中に入れてとろけると、うむ、今夜の食事はいけそうだと幸せな予感で一杯になります。ワインはこの夏にはるばる行ったシャトー・ヌヌ・デュ・パープです。05年のハイ・ベルナールを注文します。見事に大きなワイングラスにワインの赤い色がよく映えます。おいしいワインは料理とともに舌になじみ、食欲をそそります。お任せコースで次々に魚料理、そして肉料理が出てきます。しっかりした味付けでした。ああ、おいしい……。
(2008年5月刊。2500円+税)
2008年12月25日
ランド、世界を支配した研究所
著者:アレックス・アベラ、 発行:文藝春秋
「研究と開発」Research and Development から来ているランド研究所は、カリフォルニア州の海岸沿いの都市サンタモニカにある。
どのように戦争を展開し、どのように勝つかについて、政府、なかでもアメリカ空軍に助言すること。これがランドの設立目標だ。
ランドは、その時代とともに、その本来の使命を巧妙に隠していった。
ランド出身は多い。ノーベル賞経済学賞受賞者のポール・サミュエルソンもその一人。
私は、大学1年生の時、このポール・サミュエルソンの大都市経済学の本を手にとって、途方に暮れました。さっぱり分からないのです。まるで理解できませんでした。なにやら数値と数式がたくさん書いてありますが、それらが何を意味するものか、全然理解できません。よほどの名著だと言われていたわけですが、なにしろ全く理解できないのですから、悲しくなってしまいます。マルクスの『資本論』は、同じく難解でしたが、こちらのほうは何回か読み直すと、少しは理解できました。ですから、ポール・サミュエルソンという名前を聞くと、私は大学時代の悲しいショックがまざまざとよみがえってきます。
この本ではランドで中心的に活躍してきたウォルステッターが焦点にすえられています。ウォルステッターは1930年代にトロツキー派の革命労働者党同盟の一員だった。1920年代のアメリカには、大学生の中に、ボルシェヴィキ派とトロツキー派とが競合していた。まるで1960年代の日本の大学のような雰囲気があったようです。そして、そのトロツキー派だった学生たちが、ネオコン(新保守主義)の理論家になっている。うひゃあ、これまた日本と似てますね。西部すすむとか青木なんとか、いろいろいますよね。
ウォルステッターは、古いトロツキー主義にとらわれ、ソ連は、完全に思想統制されており、世界征服を目指しているという国家信念にこり固まっていた。そうではないという事実があっても、思いこみは終生変わらなかった。
ウォルステッターは、1950年代以降ランドの教祖的な存在だった。
1979年、電話交換手のミスによって、アメリカが核攻撃を受けているとの誤情報が流れ、三つのアメリカ空軍基地から戦闘機10機が緊急発進した。翌1980年にも、コンピュータの誤作動で、ソ連がアメリカを攻撃中という情報が流れ、危うくB52爆撃機100機が出動、ICBMが反撃準備に入ろうとした。うへーっ、これってケネディのキューバ危機より怖いですよね。
ユダヤ人のハーマン・カーンは、話好きだった。カーンは次のように力説した。
核シェルターは、物理的に民間人を守るだけでなく、ソ連に対する抑止力にもなる。たとえば、アメリカ人2億人のうち、核戦争によって3000万人が死んでも、まだ、1億7000万人が生きている。核シェルターによって死者を1000万人減らせば、国を再建するのに十分な数のアメリカ人を確保できる。核攻撃を受けてもアメリカ人が生き残って反撃に出るとわかっていたら、ソ連は先制攻撃を仕掛けては来ない。
うひょう。こ、これって、中国の毛沢東の「ハリコの虎」理論とウリ二つではありませんか。毛沢東は中国人の1億人か2億人が死んでも、まだ3億人も4億人も残っていると言い放ちました。どちらも人命軽視です。とんでもない連中ですよね。
アメリカの核戦争の発射ボタンは大統領が一つ持っているはずだった。ところが、アイゼンハワーは、核攻撃開始の権限を作戦現場の司令官に委譲していた。そして司令官は、直属の部下へ委譲していた。だから、ちょっとした間違いや職権乱用によって核攻撃が始まる危険は高かった。
ペンタゴン・ペーパーをマスコミに流したダニエル・エルスバーグは、ランド研究所のホープだった。アメリカがベトナム戦争で負けたら東南アジア全体が共産主義化し、最悪の専制政治と国民抑圧体制を招くと信じ込んでいた。ところが、ベトナムへ実情視察に行ってみると、ベトナム戦争が間違いであることをたちまち気づかされた。無意味な領土拡大、 汚職、殺人。そして、ベトコンとは熱烈な愛国者たちであることを深く実感した。
1969年10月10日、エルスバーグはペンタゴン・ペーパーをランド研究所から持ち出した。たとえ売国奴として有罪判決を受け、残りの人生を監獄で暮らすことになってもいいと決意していた。
ダニエル・エルズバーグの行動がなかったら、ニクソン大統領のウォーターゲート事件は起きなかった。そして、民主党の支配する国会はベトナム戦争拡大への歳出をストップした。その後、2年たたないうちにサイゴンは陥落し、ホーチ・ミンは勝利した。
レーガン大統領はランドの進言に沿って個人所得税率を70%から28%へ、法人所得税率を40%から31%へと一気に引き下げた。最大の減税効果を受けたのは高所得者層だった。自由主義の成長と合理的選択の普及を促すレーガンの改革路線は、ランドの改革路線であり、これは現在も続いている。
そうなんです。今世界に金融危機をもたらしている新自由主義経済。なんでも自由にして、強い資本を思うままに野放しにする政策です。今まさに、それが世界市場を滅茶苦茶にし、私たち市民の生活を破壊している元凶となっています。
ベトナム戦争の時、当時の北ベトナムに激しい爆弾の雨を降らせたカーチス・ルメイ将軍もランド研究所に深く関わっていました。ベトナムを石器時代に戻すとうそぶいた男です。そして、このカーチス・ルメイこそ、日本に焼夷爆弾攻撃を仕掛けた張本人です。軍隊や兵器工場だけでなく、一般民間人を無差別に殺しても構わないと指令したのです。戦後、日本政府はそんなカーチス・ルメイに対して、なんと勲章を授与しています。とんでもないことではないでしょうか
ランド出身者のリストを見ると、いやはや、すごいものです。ウォルフォウィッツもコンドリーザ・ライスも出身者ですし、古くは、マクナマラやキッシンジャーもそうです。
日本がアメリカのようになってはいけないと強く思わせる本でもあります。
朝、雨戸を開けると、鮮やかな紅葉が目に飛び込んできます。目が洗われる思いのするほど、輝くばかりの紅色です。かすみの木とも言われますが、スモークツリーの木が紅葉しているのです。そばにある小さなモミジの木も顔負けです。道ぎわにあるロウバイも見事に黄変しています。冬至は過ぎ、春が待ち遠しくなりました。
(2008年10月刊。2095円+税)
2008年12月28日
悩めるアメリカ
著者:実 哲也、 発行:日経プレミアシリーズ
アメリカの国民は、いま3つの大きな不安を抱えている。
一つは安全に対する不安。9.11同時テロ以来、大きな不安が消え去らない。国民は、どう対応していいのか分からないもどかしさを感じている。
二つ目は、暮らしの不安。失業や病気になっても病院に行けない、マイホームも値上がりしない。この不安の背景には、急成長する中国やインドが経済大国としてのアメリカの立場を危うくしてしまうのではないかという脅威認識もある。
三つ目は、社会の変容に対する不安。不法移民を含む移民の増加に対する警戒感である。
アメリカでは借金を支払えなくなって破産する人が多いが、その半分は治療費が支払えないため。だから、病気になっても医者にかからない人が増えている。それには、医療費の高騰と無保険者の増加がある。
テキサス州ヒューストンは、世界でも最高レベルの病院が集まっている。しかし、ヒューストンでは無保険者の比率が3割をこえている。テキサス州に中小企業が多いことが、無保険者を作り出している。
イラクに派遣されているアメリカ軍の3分の1は、パートタイム兵士である。つまり、予備役や州兵である。予備役と州兵の総数は130万人。これは、正規軍140万人とほとんど同数である。
イラクのアブグレイブ刑務所の虐待事件に関わり処分された女性兵も、予備役だった。大学費用稼ぎが予備役志望の動機になっている。お金にゆとりのない家庭の若者たちが人員募集のターゲットになっている。アメリカの若者にとって、軍隊に入るのは、非常に現実的な選択肢なのである。その意味で、戦争は遠い存在ではない。
国務省にいたときには、公式答弁から外れることのなかったアメリカの外交官たちは、退官した時に、口をきわめてブッシュ政権の外交を批判する。
アメリカでは、大学教育さえ受けていれば所得が落ち込む心配はないという時代は遠い昔になってしまった。
差し押さえによって、せっかく手にしたマイホームを失う人は、2007年は前年比5割アップの150万件、2008年には250万件に達する見込みだ。
アメリカ発の金融危機が世界の経済を直撃し、日本でも次々に首切り旋風に見舞われています。でも、日本では、まだ赤字になってもいないのに、早々と労働者の大量首切りを断行しようとしています。まさに、大企業は社会的存在ではなく、目先の利益ばかりを追う私企業にすぎないわけです。そんな大企業に対して、税制面で手厚く優遇しているなんて、許せません。
(2008年10月刊。850円+税)
2009年01月02日
アメリカ・不服従の伝統
著者:池上 日出夫、 発行:新日本出版社
イギリスからアメリカに渡ってきたピューリタンは「天命」の正しさを信じ、おのれの行為の神聖さを疑うことがなかった。だから、インディアンがピューリタンたちの持ち込んだ伝染病で死に、また、病気を恐れて逃亡していくことを見て、「神」がピューリタンにくだされた恵みであると信じた。
ピューリタンのインディアン討伐の戦術は巧妙で、インディアンのある部族を懐柔して他の部族と戦わせ、そのあとで、その戦いで活躍した勝者の部族を壊滅させるということをした。また、別のところでは、インディアンの戦士を攻撃する代わりに非戦闘員である女や子どもを襲って虐殺した。戦士に恐怖心を起こさせ、戦闘意欲を喪失させることを狙ったのである。
ピューリタンにおいては、人間的な良識や思想は異端視されることが普通だった。ピューリタンは宗教的・政治的に偏狭で非人間的な世界に生きていた。
したがって、インディアンの生存権や人格の正当性を認めようとする意志や感情を持たず、ひたすら邪教・異端の野蛮人ばかりの大陸を「約束の地」に変えなければいけない、という「明白な天命」に従う意思だけで生きていた。
そのなかにあって、ロジャー・ウィリアムズはインディアンがヨーロッパの文明人よりも仲間に対して、また、よそ者に対しても礼儀正しく、人間愛や慈悲の心において優れていることを具体的に明らかにした。
アメリカの独立宣言(1776年)には、「すべての人間の平等の権利」が明文化されているが、インディアンは「すべての人間」のなかには入っていなかった。インディアンは「無慈悲な野蛮人で、無差別な人殺し」であると規定されていた。
この規定にもとづき、アメリカ政府は、インディアンの生活圏を一方的な条約や武力をつかって強奪していった。その後は、白人所有の大農園と黒人奴隷制がついていった。
1831年8月、黒人奴隷ナット・ターナーの反乱が起きた。7人の奴隷が決起し、70人もの参加者を得て60人の白人を殺害したが、すぐに鎮圧された。
ナット・ターナーを尋問した白人は、黒人に対する偏見の持ち主でありながら、ナット・ターナーについて「生まれながらの聡明さと鋭敏な理解力の持ち主であり、彼よりすぐれた人間にはこれまで会ったことがない」とまで書いたほどだった。
1832年、ブラックホークはすべてのインディアンに団結を呼びかけ、4ヶ月の間アメリカ軍と戦った。最後に旗を掲げて降伏したのに、アメリカ軍は降伏して無抵抗のインディアン戦士だけでなく、女性も子どもも皆殺しにした。
ブラック・ホークはアメリカ軍に降伏したとき、次のように述べた。
「土地を取り上げる白人たちと戦ってきた。白人たちはインディアンを見下し、悪意ある目つきで見る。しかし、インディアンは嘘をつかないし、盗みもしない。インディアンでありながら白人と同じように悪いことをする者は、インディアンの社会では生きていけない」
アメリカ軍がメキシコに攻めていってテキサスを併合するとき、メキシコの住民はインディアンと大差のない劣等な人種であり、我々がインディアンを根絶させているように、メキシコの住民もまた、より優秀な住民の餌食となって絶滅するだろうと公然と語られていた。それは聖職者も口にしていた言葉であった。
このメキシコ戦争について、教会の牧師であったパーカーは次のように強い口調で述べている。
「兵隊というのは、人間の飼育することのできる動物のなかで、もっとも無益な動物である。兵隊は鉄道を敷設しない。開墾しない。穀物を作らない。自分の食べるパンをつくることも、自分の靴を直すこともしない。役立たずなのに、費用の多くかかる動物である。
侵略戦争では、略奪と殺人が規範になり、兵士の栄誉になる。兵士は町を焼き払い、父や息子たちを殺すことを組織的に教え込まれる。そうすることが栄誉であると考えるように教えられる。しかし、これらの『栄誉』に加担した兵士たちは、生まれ育った故郷に帰って来ても市民としての生活に不向きになってしまっている」
一見して白人ではないオバマ氏がアメリカの大統領に就任することになりましたから、かなりの変化が加速していくことでしょう。しかし、それにしてもアメリカの白人(ピューリタンを含む)の差別意識の強さと、その言動のひどさには、日本人にとって想像を絶するものがあります。
(2008年5月刊。2200円+税)
2009年01月08日
潜入工作員
著者:アーロン・コーエン、 発行:原書房
カナダ生まれ、ビバリーヒルズ育ちのユダヤ人青年がイスラエルに渡って猛特訓を経て対テロ特殊部隊員になる展開です。その訓練のすさまじさがひしひしと伝わってきます。
両親が離婚し、母親はハリウッドで脚本家、プロデューサーとしての仕事をしはじめた。そのためアーロンは、子どものころ、幾度となく引っ越し、学校もしばしば変わった。
こんな生活が幼い精神にどれほど混乱を与えたか。ためらいや不安を押し隠し、思考的な壁をめぐらせて、何事にも動じないふりをする術を身につけた。なーるほど、そういうことなんですね。ふり、でしかないのですか・・。
若い世代のイスラエル人は、もはや分かち合いの犠牲的精神に魅力を感じなくなっている。そのため、キブツでは、手作業や工場での労働に、パレスチナアラブ人やアフリカやアジアからの移民を雇わざるをえなくなっている。そして、キブツの青年たちの中に、麻薬中毒患者の割合が非常に高くなっている。キブツも変わりつつあるようです。
訓練が始まった。運が良ければ疲労困憊のすえに4時間ほど居眠りできた。将校たちは、1日20時間、ノンストップランニングや腕立て伏せや腹筋運動を課した。そのうえ、24時間内、ずっと眠らせてくれない日もあった。まるで悪夢だ。絶叫、ストレス、苦悩、落胆、そして涙。
体力的にも精神的にも強さが試されると同時に、あらゆる人格的側面も評価された。誠実さ、スタミナ、正直さとチームワーク、プレッシャーの中での思考力に、状況判断力。教官は、訓練生をバラバラに分解し、ひっくり返し、心の深部に潜む真の姿に迫ろうとする。そして1週間、毎日24時間、ヘブライ語で怒鳴り続けられた。
毎日の訓練は、適者生存の法則に支配されていた。少しでも弱みを見せると、たちまち攻撃され、食いものにされ、容赦なく罰せられる。100人の内99人までが送り返される。ここで生き残るためには、思情のないロボットに、戦うための機械になりきらねばならなかった。
基礎訓練のあいだ中、共感は嵐のように訓練生を容赦なく苦しめる。教官は何度もこう言った。
「お前らは役立たずだ。お前らなど必要ない。」
肉体的苦痛だけでも十分きつかったが、精神的加圧はさらに耐え難かった。絶え間なくからかわれ、ののしられる経験は、それまで味わったことのない経験だった。
長い年月のあいだに、訓練中の若者が命を落としている。基礎訓練のあいだに、体力的にも精神的にも限界ぎりぎりまで追い詰められた。
基礎訓練で唯一良かったといえることは、睡眠のありがたさが身にしみて分かったこと。ごくわずかな時間でも、最大限の眠りを得られるような身体に鍛え直された。床につく時間が5時間あれば、きっかり300分のあいだ目を閉じていた。夢さえも見ることはなかった。消灯とともに目を閉じたかと思うと、次の瞬間には、起床ラッパとともに目が覚めた。
睡眠を奪われることは、軍隊生活のもっともつらい面の一つだった。ドゥヴデヴァンは、イスラエル軍で唯一、対テロ作戦を専門とする部隊である。占領地で、隠密に対テロ作戦を遂行することが唯一の目標なのだ。
そこの訓練は、たとえば、こういうもの。攻撃性トレーニング訓練は、長い一日の野外訓練のあと、バスに乗り込んだとたん、教官が叫ぶ。
「20番の席に座った者は、3番の席に移動しろ。残りの者は全力でそれを阻止せよ」
バスに乗っている者全員が車内で全力を尽くして戦わなければならない。殴られることへの本能的な恐れを克服するのが、この訓練の狙いだ。無差別暴力、全員参加の乱闘騒ぎだ。基地に着くまでのバス内の2時間、攻撃性トレーニングはノンストップで展開される。2ヶ月のあいだ、毎日30人から40人の相手と戦っていると、人間の精神に重大な変化が起こる。本来備わっていた攻撃性が強められ、常にスイッチが入った状態になる。攻撃性トレーニングは人間の精神に深く浸透し、永遠に人を変えてしまう。
射撃訓練は、一人につき、1週間に5000発を打つ。反応速度が向上するにつれ、1秒間に3発を続けざまに打ち、いずれの弾も狙った場所を正確に撃ち抜けるようになった。さまざまな距離から正確にターゲットを選んでの狙撃術や、走りながら、あるいはバリケードや壁をまわりこみながら銃を撃つ技術を磨くには、繰り返し何千発も実弾を撃つしか方法はない。
基礎訓練が始まるときに40人いた訓練生は、2週間も過ぎたときには14人に減っていた。特殊部隊の兵士を育成するには、1人50万ドルから100万ドルの経費がかかる。
実戦では、あらかじめ

