法律相談センター検索 弁護士検索

脱ダムへの道のり

カテゴリー:司法

著者  編集委員会 、 出版  熊本出版文化会館
 熊本県の住民が川辺川ダムを苦労の末に止めた闘いの教訓を学ぶことのできる本です。
ハードカバーで、400頁をこえる大作ですので、手にとるのに少し勇気がいりました。正月休みの人間ドックのときにホテルに持ち込んで読了しました。
とても勉強になりました。とりわけ、行政とのたたかい方は、大いに参考になりました。広く、多くの国民に知ってもらいたいと思います。何事によらず、権力の横暴とたたかうためには、あきらめないことが肝心です。
川辺川ダムを建設する話がもちあがったのは、今から60年も前の1954年(昭和29年)のこと。すごーく古い話です。そして、そのときのダム計画は、水力発電を目的とするものでした。
1950年(昭和25年)ころ、五木村の人口は6000人をこえていた。ところが、1970年(昭和45年)には4000人、2007年(平成19年)には、わずか1400人にまで減ってしまった。
それは、気象災害、ダム計画がもたらした村内対立そして、展望のないまま外へ移住していったことによる。
1966年、建設省は治水を主たる目的として川辺川ダム建設構想を打ち出した。
1968年に、利水(かんがい)を含む多目的ダム構想によって、ダム反対を叫ぶ五木村は孤立化していった。国と県は、五木村を孤立化させながら、「所得」と「札束」で揺さぶりをかけた。
行政処分に対して異議申立したとき、口頭審理の申立ができる。申立があれば、法によって審査は口頭でしなければならない。
私も、公害認定審査会における口頭審査を何回も体験しましたが、これは、裁判の口頭弁論以上に面白いものです。行政とのあいだで丁々発止のやりとりができます。真剣勝負です。もちろん、そのためにそれなりの準備が必要です。
弁護団は、口頭審査申立書を農水大臣あてに送付した。その回答が来ないので、九州農政局へ抗議に行った。すると、課長や次長は「口頭審理の申立など知らない」とうそぶき、抗議団を立たせたままで応対した。次長に至っては、足を机に乗せてスポーツ新聞を読むという対応だった。そして、抗議団の一人が帽子をかぶっていると、「帽子を取れ」と高飛車に命令した。
弁護団が、行政手続は送達主義であって、裁判の到達主義とは違う。このように説明しても、農政局は、口頭審理申立書を受けとっていないと繰り返した。やむなく弁護団が抗議したあと事務所に戻ると、九州農政局の課長らが追いかけてきて、「口頭審理申立書が来ていました」と言いながら、土下座して謝罪した。
なんということでしょうか・・・。しかし、まだその次があります。今度は、口頭審理の日時・場所を一方的に指定したうえ、発言は代理人に限るとしたのです。とんでもないことです。
発言する人のための椅子は一つだけ。農政局側は十数人が机を前に座っている。そして、窓のカーテンを閉める。隣のビルからのテレビ局の撮影を妨害しようとする。それで、閉めたカーテンを開けさせた。そのうえ、農政局側は、本人の発言を許さないという。
そこで農政局の法律スタッフに「使者」という概念があるのを確認させ、弁護士が「私の使者である○○さんに発言させる」と言って、本人発言を認めさせた。結局、こうやって本人発言を認めさせていって、合計207人もの住民が口頭意見陳述を実行した。
このたたかいによって、はじめは弁護団に依頼しなかった人たちも、裁判のときには弁護団に委任するようになった。
川辺川ダムの裁判では、一審の熊本地裁では敗訴したものの、福岡高裁では逆転勝訴します。福岡高裁の井垣敏生裁判長は、第一回口頭弁論で、双方の主張をスライドなど絵を使ってするよう求めた。そこで、原告弁護団は動画を作成し、4×4メートルのスクリーンで上映し、国を圧倒した。井垣裁判長も偉いと思いますが、それにこたえた原告弁護団も見事ですね。
そのうえで、原告弁護団は、4000人の農家を調べて、その3分の2以上の同意がないことを立証するという大変な作業にとりかかったのです。土、日、祭日に農家の人たちに地域公民館に来てもらって、調査したのでした。大変な作業です。しかし、この作業を立派にやり終えたことによって、原告側の勝訴判決が得られたのでした。
住民運動とともに裁判をすすめていくときの弁護団の苦労がしのばれる本として、とても教訓にみちた貴重な本だと思いました。恵贈いただいた板井優弁護士に感謝します。
(2010年11月刊。2800円+税)

日本人は人を殺しに行くのか

カテゴリー:社会

著者  伊勢崎 賢治  、 出版   朝日新書
 昨年末の西日本新聞に、アフガニスタンで活躍中のペシャワール会の中村哲医師の活動が写真とともに大きく取り上げられていました。中村医師は福岡県出身で、自宅も福岡県内にあります。わが郷土の誇るべき偉人です。
 中村医師は、安倍首相とはちがって、アフガニスタンの復興に必要なのは銃ではないと強く訴えています。中村医師は患者を治療する前に病気にならないようにすることが大切だとして、農業用水路を自ら開設していったのです。
 丸腰で働く中村医師には、絶えず二人の護衛が銃をもって付き添っているとのこと。それでも戦後一度も戦争をしたことのない平和な国・ニッポン人だからこそ、中村医師は丸腰のままアフガニスタン復興に身を挺することができているのです。ある意味で、「美しい誤解」を日本人は受けていて、中村医師もその恩恵を蒙っています。
いま、安倍首相のやっていることは、日本をフツーの戦争する国に変えることですから、これでは中村医師の活動を誤解する人が生まれても不思議ではありません。安倍政権は、中村医師の足をひっぱり、ひいては日本人全体の信用を害していることになります。
 この本は、「紛争屋」と自称する著者が、安倍首相の集団的自衛権行使の問題点を徹底的に究明したものです。
安倍首相の唱える「集団的自衛権」の行使が容認されると、間違いなく日本と日本を取り巻く国際環境に劇的な変化が起きる。
 現時点で、すでに日本人が海外で人を殺し、殺される一歩手前まできている。
 「集団的自衛権」は、あくまで国益のために行かれるものであるため、ときに国のエゴがむき出しになることがある。これまで、権利としては持っているけれど、集団的自衛権はあくまでも使うことができないものだと解釈されてきた。集団的自衛権の問題は、アメリカとの関係に左右される。
アフガニスタンでは、武装解除を免れ、武器を与えられてきたアフガンの警察は、いまは腐敗国家のシンボルと言ってよい存在だ。アフガニスタ警察を腐敗させたのは、アメリカのブッシュ政権に帰属する。
 ブッシュ大統領は、もともと地方軍閥の子飼いの民兵だった連中に、ロシアから輸入した大量の武器を与え、その連中を地方の警察として各地に配置した。わずか数か月で5万人もの促成地方警察を生み出した。日本の掲げた「治安分野の支援」は、腐敗の象徴であるアフガン警察に給料を払い、それを肥大化させることにつながった。
安倍内閣は、「集団的自衛権の行使」に際して、自衛隊の出ていく範囲を限定するつもりは全くない。
 日本に50ケ所以上ある原発(原子力発電所)の排水口に向けてRPG(携行ミサイル)が発射されたとき、日本全体が破滅してしまうことになる。
 「売れるから」という理由だけで書店に並べられている本が、日本人の好戦性を少しずつ、しかし確実に煽っている。これはなんとも不気味で恐ろしい話だ。人々の「熱狂」というのは、核兵器も超える真の大量破壊兵器になりうるものである。
 シリーズ累計100万部の『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)、27万突破。『呆韓論』(産経新聞社)、20万部を突破した『韓国人による恥韓論』(扶桑社新書)など、ヘイトブックと批判されている本が大変売れている。
昨年末の衆院選で、得票を減らし、議席数も本当は減らしているのに「圧勝した」と間違った情報をたれ流し、マスコミは安倍政権を助けています。
何度も武装解除の現場に立ち向かったことのある著者ならではの本です。ご一読ください。
 
(2014年10月刊。780円+税)

自己が心にやってくる

カテゴリー:人間

著者  アントニオ.R.ダマシオ  、 出版  早川書房
意識の明らかな成果としては、生命の効率的な管理と安全の確保があげられる。
脳なんかまったくない生物ですら、単細胞生物にいたるまで、一見すると知的で目的性のありそうな行動を示す。
ニューロンは再生産しない。つまり、細胞分裂しないし、再生もしない。
植物はニューロンを持たず、ニューロンがない以上、決して心を持てない。水頭無脳症の子どもは何年も生き続け、思春期を迎えることさえある。決して、植物状態などではない。それどころか、目を覚まして行動している。世話係とも無視できないほどの意思疎通ができるし、世界ともやりとりできる。彼らは明らかに心をもっている。頭や目は自由に動き、顔には情動表現があり、おもちゃやある種の音にはほほえむ。くすぐられると笑って、通常の喜びさえ表現できる。痛い刺激には顔をしかめて手を引っ込める。
渇望する物体や状況に向けて、移動もできる。たとえば陽のあたっている床へはいって、日向ぼっこをして、明らかに暖かさから便益を引き出し、満足しているように見える。
さらに、特定の人物に対する選好を示す。知らない人にはおびえ、いつもの母親や世話係の近くにいると、もっとも幸せそうだ。好き嫌いは明確で、とくに音楽の場合には、それが著しい。子どもたちは、一部の音楽をことさら気に入る。耳の方が目よりもいいらしい。水頭無脳症の少女たちは、思春期には、生理にさえなる。
身体から脳への通信と同じように、脳には神経と化学の両方の経路で身体に語りかける。神経経路は神経を使い、そのメッセージは筋肉の収縮と行動の実行を引きおこす。化学経路は、コーチゾル、テストステロン、エストロゲンなどのホルモンを使う。ホルモンの放出が体内状態を変え、内臓の働きを変える。
脳内で生じた思考は、体内で生じる情動状態を引き起こせるし、身体は脳の風景を変え、したがって思考の基盤を変えられる。
脳の状態は、ある精神状態に対応するが、特定の身体状態を引きおこす。そして、身体状態が脳にマッピングされて、継続中の精神状態に組み込まれる。情動と感情とは区別される。情動と感情は、緊密に結ばれた周期の一部ではあるが、プロセスとして区別できる。重要なのは、情動の本質と感情の本質とか違っていることを認識すること。
情動の世界は、もっぱら体内で実行される行動の世界であり、たとえば顔の表情や姿勢から、内臓や内部状態の変化などが含まれる。これに対し、情動の感情は、情動が動いているときに、心や身体の中で起こることについての複合的な知覚だ。
感情は、行動そのものではなく、行動のイメージだ。感情の世界は、脳マップ内で実行される知覚の世界だ。情動は、アイデアやある考え方を伴う行動である。
情動は、脳内で処理されたイメージが各種の情動の引き金となる部位を活性化させると機能する。
目を覚ましているというのは、意識をもつ前提条件だ。
人は、レム睡眠中には活発に夢を見るし、一晩に何度も見ている。だけど、もっとも記憶に残るのは、睡眠から目を覚ましかけてだんだん水面下から、徐々にまたは急激に水面、つまり意識状態に戻ってくるときの夢らしい。
麻酔薬は、ニューロンを過分極させて、アセチルコリンをブロックすることで作用する。アセチルコリンは、通常のニューロン間通信では、重要な分子だ。
アルツハイマーは、人間にしか見られない病気である。典型的なアルツハイマー病をもつほとんどの患者は、病気の初期も、中期も、意識は阻害されない。初期には、新しい事実情報の学習がだんだん阻害されるようになり、過去に学んだ事実情報を思い出すのも、だんだん困難になっていく。初期には、この病気の影響は小さく、社会的な穏やかさは維持され、平常な生活に近いものがある程度は維持される。しかし、やがて自伝的記憶の基盤が浸食され、そのうちあっさりと消えてしまう。
意識と脳について、深く知ることのできる本です。
(2013年11月刊。2900円+税)

筑紫の磐井

カテゴリー:日本史(古代史)

著者  太郎良盛幸・鹿野真衣 、 出版  新泉社
今から1500年も前の日本で、福岡県八女の地に「大和王朝」に対抗した偉大な大王(おおきみ)がいました。その名を、筑紫(ちくし)の磐井(いわい)と言います。
マンガで古代日本のあり方を考える手がかりを与えてくれます。マンガって、本当にバカになりませんよね・・・。
原作者の「太郎良」って、どう読むのでしょうか・・・。「たろうら」と読むのです。八女郡に生まれて、社会科の教師でした(教頭・校長もつとめています)。 そして、岩戸山歴史資料館の館長もつとめています。
皆さん、八女市にある岩戸山古墳に行っていない人は、ぜひ行ってみてください。私も最近、久し振りに行ってきましたが、すごい石人像があります。私の個人ブログでも写真つきで紹介しています。
マンガの絵のほうは、なんと八女市出身の養蜂家の男性と結婚したという神奈川県出身の女性が描いています。とても品格のある絵です。大王(おおきみ)というのは、こうでなくてはいけないと思いました。威厳と慈愛がよく描けています。
北部九州を支配する筑紫君(つくしのきみ)一族は、大分君(おおいたのきみ。大分県)や火君(ひのきみ。熊本県)をまとめて筑紫連合王国を形づくっていた。そして、自分の子弟を「大和王朝」に留学させると同時に、朝鮮半島の国々にも子弟を留学させるなどして、深い関係をもち、交流していた。
磐井の祖父の墓といわれる石人山(せきじんざん)古墳、磐井の墓である岩戸山(いわとやま)古墳が今も八女に残っているのです。そこに行ってみると、古代日本が文明先進国である朝鮮半の国々と深くかかわりながら、まだ大和王朝と緊張関係にあったことを想像することができるのです。
この歴史マンガはそのことをちょっぴり実感させてくれます。ぜひ、あなたも手にとって、古代日本を想像してみてください。
意外に、日本は国際交流は昔から盛んだったのですよ・・・。
(2014年12月刊。1500円+税)

憲法を守るのは誰か

カテゴリー:司法

著者  青井未帆 、 出版  幻冬舎ルネッサンス新書
 今、大いに行動し、声をあげている気鋭の憲法学者による本です。
 憲法は道徳本とは違う。
 自らの人生をどう生きるかは、個人の選択に委ねられるべきこと。国家は、人の心に入り込んで、その選択に介入してはいけない。
 自民党の憲法改正草案は、憲法に定めるべきでないことを盛り込んでしまっている。
 明治憲法には、人々の自由や人権という概念や、その保障のための制度が大いに欠けていた。
 選挙で勝った「時の多数者」によって、簡単に人権規定などの思い意味をもつ憲法の規定がコロコロと変えられたら、選挙という民主的政治過程で負けてしまいがちな少数者の人権を危機にさらすことにほかならない。
 小選挙区制は、選挙区から一人しか当選しないので、振れ幅が大きくなってしまう。
 憲法9条の「キモ」は第2項にある、9条1項だけでは、武力行使の全面的な放棄にはならない。第2項があってはじめて、いかなる戦争をも放棄し、武力をもたないという我が国の憲法独自性が発揮されることになる。
 9条が規範力を及ぼした結果、他国とはひと味ちがう独自の安保政策が70年近くのあいだに積み重ねられてきた。
 日本は、関係機関と協力して、小型武器の回収・廃棄プロジェクトや、元兵士、元児童兵の武装解除・社会復帰事業などを実施してきた。
 軍縮・不拡散の取りくみへの日本による努力は、もっと広く知られてよい。
 平和的な外交の蓄積が、日本人が世界各国を観光やビジネスで訪問するとき、目には見えていないけれど、日本人の安全を保障する貴重な財産となってきた。これを改めて認識すべきだ。
いま、安倍首相が、それを根底から覆そうとしています。怖いです。
 まさしく、憲法を守るのは、私たち国民一人ひとりの声です。あきらめることなく、声を上げていきましょう。
(2013年7月刊。838円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.