(霧山昴)
著者 山岡淳一郎 、 出版 集英社
もう、あれから6年半もたってしまいました。中村哲医師が襲撃されて、5人の護衛官とともに殺害されたのは2019年12月4日のことです。 犯人グループは中村医師に狙いをつけて待ち伏せしていました。生き残ったのは運転手1人だけです。中村医師は73歳でした。
日本に遺体が空輸されたとき、ガニ大統領(当時)も中村医師の棺をかついだ一人でした。 本当に惜しい人を亡くしたものです。かえすがえすも残念です。
この本によると、砂漠を緑地に変えたことを快く思わない勢力がいたり、それを金もうけのタネにしようと画策する人もいたようです。 アフガニスタンとパキスタンの間の水利権争いが背景にあるという推測が紹介されています。
朝日新聞が実行犯を特定したとして本にもなっていますが、それによると実行犯の首謀者は既に死亡しているとのことです。
中村医師の自宅はわが家から車で5分ほどのところにあります。大牟田駅のホームで熊本方面へ行く列車を待つ中村医師を見かけたこともあります。遺体解剖は大牟田警察署が担当したそうです。
中村医師は患者、とりわけ子どもたちが泥水を飲んでいる光景を見て、まず井戸を掘りはじめました。たくさんの井戸を掘りあげます。ところが、それでは追いつきません。救うには、水がとうとうと豊富に流れるクナール川があります。そこから水をひっぱって来たら砂漠を緑地に変えられる。とんでもないことを発想したのです。井戸掘りを担当していた日本人ワーカーは猛反対して、日本に帰ってしまいます。
中村医師が日本で訴えると、なんと7億円の浄財が集まりました。うち1億円は現地の食料支援に充てますが、6億円が残っています。この6億円を元手に用水路建設に取りかかるのです。
日本人のスタッフの務めは、地元のスタッフをゆっくり巻き込んで、彼らが仕事をやらざるをえないようにもっていくこと。
「アスタ、アスタ」とは、現地パシュト語で、ゆっくりゆっくりという意味だそうです。
日本人スタッフの一人が中村医師に尋ねた。難民キャンプの苦難の大きさに比べたら、診療所での医療なんて微々たるもの。なんでこんな 仕事をしているのか、腹が立ちながらの問いかけに対する答えは、一言。「わしは馬鹿やけんね」。いやあ、まいりましたね。なるほど、馬鹿ですよね。砂漠を緑地に変える。そのために大河から用水路を引っぱってくるなんて、まともな人なら考えもしないでしょうし、手をつけることもないでしょう。
井戸掘りでは、1年で、ダラエヌールに33本、ソルフロッドに258本の井戸が完成。でも、井戸って、維持・管理をきちんとしないと、すぐにかれてしまうもののようです。
2001年の9.11同時多発テロのあと、アメリカはアフガニスタンのタリバンを攻撃する。10月13日、衆議院で中村医師 は、「自衛隊派遣は有害無益」と断言しました。自民党の代議士が取り消せとせまりましたが、応じませんでした。日本に対する信頼感が軍事的なプレゼンスによって一挙に崩れ去ることを心配したのです。
「アフガン いのちの基金」への日本人のカンパは4億円近くも集まりました。日本人の善意は捨てたものではなかったのです。最終的には7億5000万円が集まり、うち1億5000万円が緊急食料支援に使われました。そして、残る6億円が用水路に使われたのです。
ダラエヌールとは、光の谷という意味。蛇籠と柳枝工で用水路をつくれば、地元の農民が維持補修できる。中村医師には先見の明 があります。
アメリカ軍の車両は、どこに仕掛けられているか分からない遠隔操作式の爆弾を爆発させないため、妨害電波をたくさん出しながら走行する。なので、アメリカ軍の車列が通り過ぎるまでの15分間はケータイも使えない。初めて知りました。路肩に埋められている簡易爆弾対策ですね。
中村医師が重機に乗って操作している動画を見たことがあります。中村医師は率先してやっているということなんですが、非力のため自身のやれることはこれくらいだという意味もあったそうです。
現地での中村医師の唯一のぜいたくは入浴。バスタブの湯に浸かるのです。やっぱり日本人はシャワーだけではがマンできませんね。
中村医師は、三つのUしか嫌いだと言っていた。USA(アメリカ)とUK(イギリス)、そしてUN(国連)です。国連の緒方貞子氏ともタリバンに関して意見が異っていました。
著者は2023年4月、緑地になった状況を現地に行って見ています。一面、濃い緑の森と畑が広がっていて、ここがかつて「死の谷」と 呼ばれた砂漠だとは思えなかったといいます。ガンベリ砂漠に達したマルワリード用水路は総延長25キロメートル。1日の送水量は40万トン。3120ヘクタールの土地をうるおす。
総工費14億円は、すべてペシャワール会が負担しました。日本政府は何も負担していません。
PMS方式とは、「斜め堰(せき)」「二重堰板(高さを変えて流量を調節する堰板を水面に、二列にもうけて激流の水圧を抑える)」「沈砂池とたまった土砂の排出」「細い沈砂池までは傾斜が急な主幹用水路」という4つの施設を高い水準でつくり、維持していくこと。
ガンベリの農地では、高く伸びた小麦の穂がゆれ、キャベツやニンニクが栽培され、レモンが実る。用水路にそって柳やユーカリの並木がつらなり、鳥が歌う。子供たちが用水路に飛び込み、遊ぶ。砂漠から自然の息吹に満ちた別世界に変わっている。人口が3千人から15万人に増えた。
18世紀の日本のかんがい 技術とアフガニスタン独自の伝統的な方法を組み合わせることで、非常に効果的なかんがいシステムが確立した。
中村医師による用水路事業が成功した最大の要因は、参加した農民自身に、この 水路施設は自分たちの財産だと信じて維持管理するオーナーシップを根づかせたことにある。アフガンの地域社会を深く理解し、尊重し、地域の人々を巻き込んで水利施設を建設した。農民は技能を高め、しかも収入が増える。この好循環がオーナーシップを はぐくんだ。その結果、用水路で引いた水を農民が自ら管理し、用水路を維持する伝統的な仕組みが機能している。これが、国際的な援助による事業と決定的な違い。
この本では、現地で働いている人たちのその後、現在をインタビューしていて、当時の困難な状況をふり返った話もとても興味深いものがあります。強くおすすめする一冊です。涙なくしては読み通すことができませんでした。本当に惜しい人を亡くしました。
(2026年5月刊。2860円)


