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いい経営者は「いい経営」ができるのか

カテゴリー:社会

(霧山昴)

著者 高家 正行 、 出版 海士の風

 私は学生からすぐ弁護士になりましたし、企業を経営したことなんかもちろんありませんし、会社員になったこともありません。ところが、依頼者には中小零細といえども企業の経営者が少なくありませんし、また労務管理を含めて倒産・閉鎖について相談に乗ったりすることも多いのです。なので、いわゆるビジネス書もたまに読むようにしています。

 著者はホームセンター大手のカインズの社長です。カインズはワークマンを傘下に置き、ハンズもその一つです。慶応大学を卒業して三井銀行に入り、「プロ経営者」を目ざして40歳になって脱銀行でミスミに入社。45歳でミスミグループの社長になって、プロ経営者の仲間入りを果たした。

 経営者とは、多くの社員がまだ危機を実感していない平時に、社員にコンフォートゾーンから抜け出てもらい、変革を成し遂げていくもの。変化は持続させなければならない。変革とは、一時的な「変化」ではなく、それが持続すること。変化を持続させる理想の経営を実現するには、最終的には、経営者の存在感が小さくなっていくことこそ望ましい。

 経営者の意思決定は、ときに合理性を超えた道理性にもとづく。

変革においては、何でもやるのではなく、やるべきことに絞る、着眼大局・着手小局でブレずに続ける。リスクをとって勝負する。最後の、リスクをとって勝負する、というのは勇気と決断がいりますよね……。

 経営者は人間観察業。これは弁護士にも共通します。依頼者・相談者の人間性を見抜き、それに適合する解決法を一緒に探っていくのです。と、一口で言うのは簡単ですが、実際はいつも至難の技(わざ)です。

 工場閉鎖は社員の責任ではなく、経営者の責任。これをやると、会長と経営者に対する不信感は拭(ぬぐ)えない。

 カインズのメンバー(従業員)は、パート・アルバイトを含めて2万人を超える。いやあ、大変な大企業なんですね…..。

「いい経営者」に必要な3つの素養。

 その一つは、論理的・戦略的にものごとを分析し、課題を整理し、意思決定に導く力。

 その二は、自らの意思と覚悟をもって決断し、組織を引っぱり結果を出すまでやり続けるリーダーシップを備えた企業家精神。

 その三は、合理性を超える道理性を備え、信頼と共感によって人を動かし、組織や社会を変えていくことの出来る力。

 「いい経営」をするには、人が育つ環境を整えること。そのためには、人が育つ時間的猶予のある状況をつくる必要がある。必要なのは「自律的」なリーダー。人は育てるものではなく、育つものだから、著者は、衆議独裁を体現するようにしていると言います。

衆議が成立するためには、組織の多様性が不可欠。会議ごとに議長を決め、発言しない人は会議に参加しない、会議に参加する以上は発言してほしい。発言するのには勇気がいる。しかし、発言しないかぎり、賛同も反論も得られない。

 私は、あらゆる出席した会議で1回は発言するよう心がけています。少なくとも質問はします。そして、司会・議長になったら、参加者を指名してまで「全員発言」を求めます。発言していくことで、その組織との関わりが深まりますし、他の人の反応からみて、賛同・反動が足りないように思ったら、考え直すのです。

 大変勉強になるビジネス書でした。

(2025年12月刊。2420円)

私の幕末維新史

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)

著者 渡辺 京二 、 出版 新潮選書

 大変な博識で知られる著者が幕末の動きを詳しく解説しています。講演録なので、とても分かりやすいです。

たとえば、明治維新になってすぐに「万機公論に決すべし」というのが出てきます。有名な「五ヶ条の御誓文」です。ええっ、どうして、こんなに早く出てきたのかなと疑問に思っていました。すると、幕府の政治が行き詰って、徳川将軍があてにならないことが内外で明らかになったことから、幕府内でも、有力大名が寄り集まり、会議して決めていく方式が考えられていたのです。薩摩の島津久光もその一人でした。

将軍慶喜の大政奉還は土佐藩の山内容堂の勧めに応じて決断されたものですが、慶喜は自分が議長になって国政を運営していくという腹づもりだったようです。ところが、明治新政府は、それにとどまらず領地を慶喜からも取り上げてしまったのです。これは完全に将軍慶喜の目論見違いでした。

島津久光は、薩摩藩の藩主の父親というだけで、無位無冠でした。ある本に島津久光は幕府の高官から嫌われていたので、何の成果も上げることなく、すごすごと京都へ引き揚げたとありました。ところが、この本によると、久光がお伴した勅使の大原秀徳が持ってきた幕府に対する朝廷の要求は、3点とも受け入れられたというのです。こんなに違うのです。もっと詳しく調べる必要があります。

そして、久光一行が江戸から京都に戻る途上で発生したのが有名な生麦事件です。生麦事件でイギリス人男性が殺害され、その賠償金の支払いを薩摩藩が拒否したため、イギリスは7隻の軍艦で鹿児島を攻撃します。ところが、この薩英戦争で、薩摩藩は大きな得点をあげました。両者は互角の戦いを展開したのでした。たとえば、イギリスの旗艦に乗っていた司令官と副官が同時に戦死してしまったのです。また、イギリスは兵隊が上陸することもありませんでした。

この薩摩戦争の2年後に英米仏蘭の四国連合軍が下関を砲撃するときは、17隻の軍艦によって、一方的に長州側は敗退したのです。薩英戦争を教訓にしたようです。

歴史は続いている、関連していることを実感させられます。幕末に関心ある方には強く一読をおすすめします。 

(2025年12月刊。1760円+税)

43歳頂点論

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 角幡唯介 、 出版 新潮新書

 極地探検家として高名な著者が43歳が人間として頂点だと主張している本です。その根拠になっていることの一つが、植村直己、長谷川恒男、星野道夫という名だたる冒険家やクライマーが、この年齢で亡くなっていることにあります。

 年齢(とし)とともに落ちる体力と経験値のほうは上がっていくギャップ。これは魔の領域だ。体力の衰えは経験でカバーできるという先輩の話を内心ひそかに馬鹿にしていた20代だった著者も、50代を目前にしてそれは言い訳ではなく、真理だと思い至った。

 加齢によって経験を重ねることになる一番の負(マイナス)は、刺激を感じなくなること。感性の鈍磨。これこそ加齢の最大の敵。

これは 弁護士にとっても共通する部分があります。事件によって依頼者の顔も特徴も全部違うのですが、法理論構成が共通していることから来るマンネリズムに陥ってしまう弊害です。新鮮な刺激を感じなくなる危険があります。そこをなんとか克服する工夫が求められるのです。

 探検家のはずなのに、未知なる大地そのものが日常化し、庭のようなものに変質してしまう。その反作用として、成長と発見の喜びは薄れ、行為は全体的に淡々とし、盛り上がりに欠ける。そして、淡々と旅は続いていく……。

 43歳が人生の全盛期だ。著者のこの主張を、77歳である今の私にあてはめたらどうなるのでしょうか…。43歳のとき何をしていたのか、今度、当時の訟廷日誌をめくって振り返ってみようと思います。25歳で弁護士をスタートしていますので、18年目の弁護士生活をどんなに過ごしていたか……、ということです。私は51歳のとき弁護士会長をしていますので、それより8年も前の43歳はまだまだ全盛期というのは早過ぎると思います。

 著者は、生きることを赤裸々に全力で経験したいから、山に登り、極地を彷徨(さまよ)い歩いてきた。著者には、今どきの若い人に多い、安定重視の考えはありません。そんなの、面白い人生を送れないじゃないの……と考えるわけです。

私自身も安定思考というのはあまりありませんでした。安定志向より、自分の思ってること、信念をあまり曲げずにしかも無理せずにやっていきたいと考えて、弁護士になり、50年以上も弁護士生活を続けてきました。

 著者は、経験の浅い若者に旅に出ることを勧めています。旅のなかで、いろいろの出会い、事件にぶつかって成長していくのはとても大事なことだと強調しています。これは、私もまったく同感です。日本人の外国への留学生が前に比べてぐんと少なくなっていますが、それは残念な事実です。

著者は何年間か新聞記者もしていますので、書くことに抵抗はなかったのでしょうが、それにしても探検記の生々しい迫力には圧倒されます。言葉が内側からドバドバ噴き出してきて、自分でも抑えきれないほどだったというのです。ある種のトランス状態(恍惚こうこつ状態)のなかで書き続けていった。いやあ、私はそこまではありませんね。そこが迫力の違いなんでしょうね。

結論に賛同はできませんが、さすがの指摘が満載の本ではありました。

(2025年11月刊。940円+税)

 1月末に受験したフランス語検定試験(準1級)の結果が分かりました。大型の封筒で来たので、開封する前から合格だと分かります。不合格のときは、ハガキなのです。開封して合格証書を取り出しました。ちょうど孫たちがいて、カスタネットを叩いて、一緒に合格を喜んでくれました。

 前にも5回か6回は合格したはずと思って合格証書を数えてみると、なんと10枚もありました。2009年から合格しています。その前、2級に合格したのは1994年のことですから、15年もかかっています。

 準1級に11回合格したといっても、聞きとりはなんとか出来ても、話すほうはいつまでたっても、ちっともうまくなりません。

 でも、あきらめずに続けるつもりです。

ブラックホールについて、あなたは間違っている

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)

著者 ベッキー スメサースト 、 出版 山と渓谷社

 この本の正しいタイトルは、「あなたがブラックホールについて知っていることは、ほぼすべて間違っている」です。失礼しました。

 E=MC²

 これは、史上もっとも有名な方程式。もちろん、アインシュタインの考案した方程式です。この方程式はエネルギーと質量が等価だということ。両者は本質的に同じであり、分かちかたく結びついている。つまり、質量はエネルギーに変換できる。たとえば、太陽は自らの巨大な質量をじかにエネルギーに変えている。でも、どうやって…?太陽はもちろん、夜空に光るすべての恒星は水素を燃料にしている。水素原子の核融合が星々を輝かせている。

 質量の大きい恒星は太陽よりずっと多量の水素から出来ていても、その水素を核融合させるペースも速いため、寿命は短い。大型星になればなるほど、生き急いで早く死ぬ。

 ブラックホールとは、「何かが欠如した状態」ではなく、「あらゆるものが存在する状態」である。それ以上は不可能なほどの高密度で物質が詰め込まれている。それは、地面の「穴」というより、「物質の山」。

重力は、空間自体のゆがみに他ならない。

 一般相対性理論を使ってアインシュタインが一度も予測しなかった(予測していたというのは誤解)のは、ブラックホールの存在だった。ブラックホールの脱出速度が光速より大きいため、光はブラックホール内に閉じこめられている。この脱出速度とは、天体の重力にうち勝って、その天体から離れるために必要な速度のこと。地球の脱出速度は秒速11.2キロメートル。これは、音速の3.3倍だ。ブラックホールの脱出速度を超えられるものは宇宙に一切存在しない。光でさえも脱け出せない。

 宇宙が始まったとき、大部分が水素原子であり、当時の宇宙にはほぼ水素しかなかった。なので、初期宇宙を「水素のスープ」と呼んだ。

X線電波も光の形態であり、ただ波長が違うだけのこと。降着のせいで、ブラックホールは少しも「ブラック」ではない。結局のところ、宇宙全体でもっとも明るい天体だ。

 太陽は100億年ほどの寿命がある。今は45億歳なので、「中年」の星。最大級の恒星の寿命は運がよくても10万年ほど。

 ブラックホールが質量の上限に行きついて成長や輝きを止めたら、宇宙全体でクェーサーの光が消えはじめる。ホーキング放射を生み出すためにブラックホールがエネルギーを失うと質量も失うことになる。ブラックホールは、ゆっくりと「蒸発」していく。

観測できない見込みの一番大きいのは、天の川銀河の中心にある超大質量ブラックホールである。

 ブラックホールって、いったい何なのか…。肝心なことが分からないなりに最後まで読んでみました。

(2025年6刊。2530円+税)

気象学者・増田義信

カテゴリー:人間

(霧山昴)

著者 小山 美砂 、 出版 本の泉社

 101歳で亡くなられた気象学者である増田義信氏(以下、「増田」)の一生をたどった本です。

 広島原爆の被爆者たちが直後の黒い雨を浴びたと訴えているのに、国はずっとそれを否定していました。そこで、増田は現地に出かけ、被爆者の聞き取り調査を始めたのです。気象庁を定年退職したあとのことです。

 原爆投下後は、街が焼き尽くされたことから、積乱雲が発達した。激しい積乱雲からは非常に不規則な形で雨が降る。なので、「きれいな卵形」に雨が降るとは考えられない。そのことを増田は現地で指摘された。このとき、頭をガーンと殴られたようなショックを増田は受けた。そこで、現地に出かけ被爆者から聞きとって「増田雨域」を完成させたのでした。さすがですね。執念を感じました。

 増田は1923年9月、京丹後市で生まれた。貧乏な農家の次男として…。お金がないので、本当なら中学校に進学できなかったところ、父親が小作人となって、その小作費を学資に充ててくれた。当時、地主に納付する小作料は高かった。収穫した33俵のうち25俵を地主に年貢として納めた。

 中学を出たあと、増田は体格不良のため、軍人にはなれず、測候所に「雇員」として働くようになりました。

 戦争が始まると、天気予報まで国家機密とされました。報道できないのです。そして海軍に入り、いじめられるのです。ところが、海軍ではテンプラとも呼ぶインチキが横行していた。最後の最後まで海軍は腐っていたと、増田は怒りを込めて告発しています。要するに、上官の私的な官品持ち出しが公然となされていたのです。

右翼青年だった増田は終戦後に労働組合に入り、また共産党にも入党して活動を始めたのです。

 増田は、どんなに忙しくても研究の心を忘れなかった。研究の基礎にあるものは、自然現象の観察とアイデアだ。なーるほど、きっとそうでしょうね…。

 そこで、増田は時間をひねり出すため、自宅での晩酌を一切やめた。大したものです。

 全気象労組の執行委員長をしていたときには、労働現場に出かけていった。そして、トイレの落とし紙に何が使われているかに注目した。それによって、暮らしぶりが分かるのです。

 増田は昨年(2025年)6月9日に、101歳で亡くなりました。増田の温かい人柄のにじみ出てくる、いい本でした。

 

(2025年12月刊。2200円+税)

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