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生きて帰ってきた男

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 小熊 英二   出版 岩波新書
 
著者の父親の伝記です。さすがに社会学者だけあって、裏付け調査がすごいのです。父親の語る話が細かいところまで具体的なのには驚かされます。この親にして、この子あり、という気がしました。よくぞ、ここまで調べ尽くしたものです。
実は、私も父の聞き書きをもとにして、同じような伝記を完成させたことがあります。父が病気(癌)のため入院しているときに、テープレコーダーを病室に持ち込み、その生い立ちを語ってもらい、あとでテープ起こしをし、また、私なりに歴史を調べ、父が語った事実を裏付けていったのです。
たとえば、私の父は「三井」の労務係の一員として、朝鮮半島に徴用に行っています。朝鮮人の強制連行は炭鉱でひどかったのですが、化学工場では無理でした。勤労意欲のない人を、精密な化学工場で無理に働かせても、まともな商品はつくれなかったというのです。なるほど、と私は思いました。強制労働は単純肉体労働でしか役に立たない、このことを父からの聞きとりで理解しました。
この本は新書版で390頁もある、大変な労作です。最後に紹介された言葉がいいです。さまざまな質問の最後に、人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったかを訊いた。
父親はシベリアに抑留され、また戦後の日本で結核療養所に入っていた。未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったか?
「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
この答えだけでも、本書はここに紹介する価値があると思いました。
著者は、最後に、こう書いています。
父はやがて死ぬ。それは避けえない必然である。しかし、父の経験を聞き、意味を与え、永らえさせることはできる。それは、今を生きている私たちにできることであり、また私たちにしかできないことである。
なるほど、そうなんですよね。団塊世代の私たちは、みな定年退職してしまっていて、自分を振り返っています。先日、私が母のことをまとめた本(こちらも新書版)をネットで知ったとして、私の見知らぬ人から手続をもらいました。なんと、私と同じ年に生まれ、同じ年に東大に入った人でした。母の異母姉の夫の孫にあたる人ですから、私とまんざら縁のない人ではありません。世の中は狭いものだと痛感しましたし、ネットの威力を改めて思い知らされました。
1937年12月、南京が陥落したとき、「提灯行列」があった。下のほうは冷めていた。戦争について、勝った話ばかりが伝わってきて、そのたびに日本軍が占領した場所に地国の上に旗を立てる。ところが、いくら旗を立てても、戦争が終わらない。
なるほど、こんな冷めた見方が当時もあったのですね。
旧制中学の国語教師は、乃木希典について、こう言った。
「乃木さんは、日本では偉いことになっていますが、外国では、軍人としては能力不足で、そのため多くの犠牲者が出たと言われている」
ホント、そうなんですよね、、、。
サイパンで日本軍が「玉砕」し、東京が空襲されるようになって、日本の敗北が論理的に考えると必至になった。このとき、人々は、それ以上のことは考えられなかった。考える能力もなければ、情報もなかった。考えたくなかったのかもしれない、、、。人間は悪いことは信じたくない。 いつでも希望的観測をもってしまう。
シベリア抑留で、日本人が次々に死んでいった。おそらくロシア人は、日本兵がこんなに寒さに弱くて、犠牲者が続出するとは思っていなかったのだろう。
栄養失調になると小便が近くなる。もう少しひどくなると、下痢になる。夜中に、みんな頻繁に起きて小便に行っていた。便所で尻を出しても、尻は丸いから凍傷にはならない。凍傷になるのは、鼻とか指だ。鼻が赤くなっていたら、気をつけてゆっくり暖めないと、鼻が落ちる。誰もが、他人の消息を気づかうような、人間的な感情が失せていた。
戦前、「生きて虜囚の集めを受けず」という戦陣訓を教え込まれていた将兵は、自決に失敗した東条英機を軽蔑したし、昭和天皇は終戦の責任をとって自決すると思っていた。
著者の父親は、日本に帰ってきた昭和26年から4年間、結核のために療養所生活を余儀なくされた。
淡々と、体験した事実を具体的かつ詳細に語っていくのには、言葉が出ないほど圧倒されてしまいます。でも、こうやってフツーの日本人の戦前・戦後の歩みが語られ、明らかにされるのは、とてもいいことだと思いました。そこには「自虐史観」というナンセンスな非難は存在する余地がありません。
(2015年6月刊。940円+税)

空のプロの仕事術

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 杉江 弘   出版 交通新聞社新書
 
月に1回か2回は上京しています。もちろん飛行機を利用します。本心は、飛行機は怖いのですが、もはや新幹線に乗って上京しようとは思いません。時間がかかるうえに疲れてしまうからです。大学時代には、上京するときは寝台特急「みずほ」を利用していました。夕方ころ出発して、翌朝遅くに東京に到着していたと思います。今では、このブルートレインはなくなってしまいました。
私の身近には、飛行機は怖いから乗らないという人が何人もいます。その一人、福岡の弁護士は、北海道まで新幹線を乗り継いで行ったというのです。すごく疲れたことでしょうね、、、。飛行機は、なんといっても安全を第一にしてほしいと思います。
アメリカの政府専用機、いわゆるエアフォースワンは、エンジンが4基あるボーイング747の200Bを使っている。なぜか? 安全性で優れているから。エンジンが4基あると、一つのエンジンが故障しても、残りの3基のエンジンによって目的地まで飛行できる。エンジンが2貴だと、一つのエンジンが故障したら、ただちにも最寄りの空港へ緊急着陸しなければならない。シベリア大陸の上を飛んでいたら、なかなか空港は見つからない。太平洋上だと海上着水しか選択肢はないこともありうる。
エアフォースワンには、航空機関士1人、航空士1人も搭乗して、2人のパイロットとあわせて4人で運航している。
日本のボーイング新型機は、エンジン2基で、パイロット2人でしかない。本当に大丈夫なのだろうか、、、。
航空会社の経営陣にとって、コスト削減で一番かんたんなのは整備費を少なくすること。今では、自主整備をしている会社は一社もなく、すべて整備専門の会社に外注している。これでは自社に人材が育たない。育つはずがない。
飛行機の運航の安全性を確保するうえで大切なものの一つに労働組合を尊重し、きちんと対話することだと思います。労組を統制の対象としてしかみない古いやり方から一刻も早く脱してほしいと思います。『沈まぬ太陽』(山崎豊子)を読んだとき、JALの理不尽な労務政策を知って怒りを燃やしました。今もJALとたたかっている人たちがいます。私は飛行機に乗るたびに、彼らが現場作業を監視してくれていると感謝しています。
飛行の安全性は、ぜひ今後ともぜひ厳守してほしいものです。
(2015年2月刊。800円+税)

ステーキ!

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 マーク・シャッカー   出版 中公文庫
 
私は、マックは食べません。昔、食べたことがありますが、牛肉を食べているのか、添加物を食べているのか分からないようなものは今では食べる気がしません。恐ろしいからです。
牛肉だったら何でもいい。安ければいいというのは、私の信条にあわないのです。
そして、久しくアメリカには行っていませんが、アメリカに行きたくもありません。ステーキといったら、とてつもないボリュームです。しかも、塩とコショウの味つけのみ。繊細な牛肉の味わいを楽しむことができません。もちろん、高級な店では違うのでしょうが、、、。
1850年ころまで、牛は地元で解体されるものだった。生きた牛をカウボーイが都市部まで連れていって、肉屋がステーキやロースト用に切り分けていた。一切の品質管理は、カウボーイにゆだねられていた。
今や、牛肉は、とうもろこし、砂物、ゴム、大豆、ウラン、原油、銅、パーム油と同じ、量産品である。大量に生産され、画一的で、生産の予測ができる。
霜降り牛肉を手に入れるには、蒸したとうもろこしフレークを牛に大量に与える。
餌にまぜこまれた抗生剤のおかげで、肝臓や他の臓器の働きが保たれるため、98%の牛が精肉工場からのトラックで迎えに来るまで生きている。牛を大きくして肉を安くするために投与するホルモン剤は、味に影響しない。
牛はストレスに弱い。牛も鶏も豚も、なんでもかんでも早く成長させようとしすぎだ。それでは、風味は生まれない。
おいしい牛を育てるには草を食べさせること。自然な状態にある牛は草を食べたがる。草を食べていると肝膿瘍にならないし、第一胃も酸性化しない。穀物肥育の牛の体脂肪は、飽和状態で、脂分過剰で動脈を詰まらせかねない。これに対して、草肥育の牛の脂肪は、天然の鮭の脂肪に似て、より健康的。草肥育牛は、牛肉らしい味がする。
日本の名産牛も、もちろん登場します。ここでは、九州の佐賀牛と鹿児島牛についての記述を紹介します。
どっちも、サイコロ型の肉を上下の奥歯でつぶすとジェル状の中味がプシュッと飛び出す食感が面白い。牛肉のおいしさがあふれ出す様子は強烈。完熟バナナみたいにやわらかくて、かといってベチャベチャでもドロドロでもないし、組織はちゃんとあるのに、嚙んでも抵抗がない。
日本の牛は30ヶ月かけて完成する。アメリカの肥育場の5ヶ月と比べて、ずい分長い。松坂では、35ヶ月かけて仕上げた牛には、検査官が5よりもさらに高いランクを付ける。特産松阪牛と呼ばれるその肉の霜降りとやわらかさは、他の追随を許さない。
現代のステーキの風味は、牛肉の風味とは違う。大量生産されるものと、甘酸っぱいソースの風味。そんなものは混じり気のないおいしさとは言えない。本物のステーキを一度でも味わったら、とてもおいしいとは思えなくなる。
福岡の西中州にある「和田門」で、私も本当の牛肉の美味しさに開眼しました。また、地元の肉屋さんから、とび切り美味しい牛肉を何回か分けていただきました。いずれも素材の違いを実感しました。食べる餌と飼育方法がまったく異なるのですね。 
アメリカ式の大量生産方式の牛肉は、マックのように化学調味料で味付けして、ごまかすわけです。
美味しい牛肉を食べたら、あとは、もうベジタリアンになるしかないですよね、、、。
(2015年1月刊。1100円+税)
 

ウルフ・ウォーズ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者  ハンク・フィッシャー 、 出版  白水社
 アメリカのイエローストーン公園にオオカミを復活させる取り組みをたどった本です。
 オオカミは、かつては嫌われものの筆頭でした。赤ずきんちゃんの話でも、オオカミは悪い奴として登場します。なので、オオカミを打ち殺すのは当然という風潮がしっかり社会に定着していました。同じようにピューマが家畜を襲っても、ピューマを根絶やしにしろという声が起きたことはありません。ピューマを見た人が少ないこともありましょうが・・・。
 アメリカ北部のオオカミの回復は軌道に乗っている。そのための一つは、家畜生産者がオオカミの被害にあったとき、民間の基金によって補償金を支払うという制度をつくったことです。その二は、自分の土地でオオカミが子を産んだとき、その土地の所有者に5000ドルを提供するようにした。
 オオカミを復活させるためには、やはり、このような経済的手当も必要なのですね・・・。
 1930年、アメリカのほとんどの州からオオカミの姿は消えてしまった。かつて、イエローストーン地域だけでも、オオカミは3万5000頭以上いると推定されていた。オオカミがいなくなると、シカが急速に増えはじめた。
 1995年1月、アメリカの魚類野生生物局は、カナダから空輸してきたオオカミ4頭を原生地域に放した。
 いま、イエローストーン公園には、年間350万人もの観光客が押し寄せる。そして、その相当部分がオオカミ目当てだ、ここではオオカミによる人身事故は起きていない。オオカミ目あての観光客は、地域経済をうるおし、オオカミの復帰で回復した自然は世界中から来る観光客を魅了するだけでなく、教育の場として、多くの親子連れや学生たちでにぎわっている。
 オオカミの大半は、発信機なしの野生のままの状態で生息している。人々は、それを見て、当たりまえのことと思っている。
日本でも、北海道でエゾシカやキタキツネが増えすぎていることが以前から問題になっています。それもオオカミがいないことによる現象の一つです。
 日本でオオカミを復活させるのはできないのでしょうか?
 ちなみに、オオカミが人を襲う心配は、ほとんどないということです。
            (2015年4月刊。2600円+税)

ごみと日本人

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  稲村 光郎、 出版  ミネルヴァ書房
 江戸時代の末期、開港させられた日本は、ヨーロッパにボロを輸出していた。金額にして8千ドル。これは、磁器や和紙より多い。ヨーロッパは、日本のボロを洋紙の原料にしていた。
 当時の日本では、ボロは主として衣類の補強材として使われていた。
 さらに、もっと価値ある輸出品として屑まゆや屑糸が、ヨーロッパでは工業製品である「絹糸」の素材になった。絹糸は、まゆから直接製糸する生糸とは異なり、屑糸や真綿など短い繊維を紡いでつくるもの。ヨーロッパは、絹糸紡績の原料をアジアで求めていた。
 以上、二つは私の知らない話でした。
 江戸時代、屎尿と同じようにごみも農村へ運ばれ、有機系肥料として利用されていた。 
 明治10年ころの日本にいたモースは、日本人の清潔さに驚いている。しかし、他方で、日本人は、町内のごみが腐敗臭を放っているのを問題とし、新聞は投書を載せていた。
 明治10年代の日本でコレラが流行し、8000人が死亡した。
 紙屑が本格的に洋紙原料として、重要視されるのは、さらに昭和になってからであり、古雑誌や新聞は一般市民が日常生活上で再使用するのが常識だった。
 ごみをめぐる日本社会の扱いの変遷がまとめられていて、大変興味深い内容でした。
 
(2015年6月刊。2200円+税)

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