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ルポ・ニッポン絶望工場

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 出井 康博 、 出版  講談社α新書
 日本に暮らす外国人は223万人。昨年より11万人が増えた。この外国人の半分以上が実習生と留学生。実習生は19万3千人(15%増)、留学生は24万7千人(15%増)。
日本語学校は、日本語のできない留学生も大歓迎。初年度の学費が70万円。半年分の寮費18万円(月3万円)も前払い。月3万円の寮は、風呂もトイレ、台所もない6畳間に3人が詰め込まれる。
ベトナム人留学生は、2010年に5000人だったのが、2015年には5万人。
 2015年にベトナム人の検挙件数は3315件で、前年比3割増。在日外国人の7%でしかないベトナム人が4分の1の犯罪を占め、中国人より多い。窃盗は34%、万引きは57%がベトナム人の犯行。
ベトナムでは、日本留学ブームの真只中にある。日本への留学は、欧米にない特徴がある。それは留学生でも、簡単にアルバイトが見つかること。
3.11福島第一原発事故のあと、中国と韓国からの留学生は減少したまま。いま増えているのは、ベトナムとネパール出身者。ベトナム人5万人、ネパール人2万人。
ベトナムからの出稼ぎを受け入れているのは、台湾、韓国そして日本くらい。ベトナムから日本にやってくるとき150万円ほどの費用がかかり、それを借金してやってくる。借金を返さないと、担保に入れた畑や家を没収されるから、日本で奴隷労働を続けるしかない。
ベトナム人留学生の多いのは九州に本部をもつN大学(日本経済大学のことでしょうか・・・)。このN大学は、出稼ぎ目的の偽装留学生で成り立つ大学なのだ。
フィリピン人の介護士、看護師の受け入れはうまくすすんでいない。日本語の国家試験を受けて合格しなければいけないのだが、その合格率が低い。
これまで来日した介護士は2000人をこえるが、国家試験に合格した介護士は400人ほどでしかない。2009年、インドネシア人看護師82人が受験したが、合格者はゼロ。2010年に、やっと3人が合格した。日本語のハードルは高い。
ブラジルからの日系人は、32万人いたが、今では17万人ほど。フィリピン人のほうが23万人で、上回っている。その多くは、「日系ビザ」で来日する日系フィリピン人。
著者は、「留学生30万人計画」は即刻中止すべきだと主張しています。出稼ぎ目的の留学生が歓迎される国は世界のなかで日本だけ。
日本人がやりたがらない仕事(きつい、やすい仕事)を留学生にさせるなんておかしいですよね、たしかに。いろいろ考えさせられる本でした。
(2016年7月刊。840円+税)

僕の日本みつばち飼育記

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 安江 三岐彦 、 出版  合同フォレスト
日本みつばちを飼うって、やさしいようで、やはり大変なんだと思いました。
日本みつばちは、在来固有種の野生の蜂だ。小ぶりで、おとなしい。
いま、日本みつばちは、洋蜂が闊歩する蜜源花のすき間を細々と、それでも粘り強く生きのびている。日本みつばちの飼育は、簡単だという人もいれば、むずかしいという人もいる。どちらも正しい。
野生蜂は、分蜂させて群を増やすに限る。分蜂は、春の4月だ。分蜂とは、新女王が生まれる前に、女王蜂が半分の蜂を連れて巣を出ること。そして、新たな場所で営巣を始める。その群を飼育箱に捕り込むことで飼育箱が増やせる。
日本みつばちは、気分を害すると、次の営巣場所へ逃去する。これは洋蜂にはない特異な性質。同じ場所で我慢するよりも、新しい場所でやり直すほうを選択する。日本みつばちは逃去性をもつ蜂なので、永住する気はない。
分蜂は突如として始まるというものではなく、その兆候がある。
分蜂は、5000匹とか1万匹といわれる蜂の子分かれの引っこし乱舞である。
分蜂から蜂球に固まるまで、30分間もかからない。
日本みつばちは、毒性も弱く、おとなしいが、群が攻撃モードのスイッチを入れると危ない。
巣箱のなかにセイヨウミツバチは3~5万匹いる。それに対して日本みつばちは、その半分が、多くても2万匹。そして、日本みつばちの蜜の生産力はセイヨウミツバチの1割ほどでしかない。だからこそ、日本みつばちの蜂蜜は3倍強の値段がついている。
日本みつばちの女王の寿命は、自然界では2年か3年。3年生だったら、夏に寿命を迎える。
セイヨウミツバチは、4キロも飛行するが、日本みつばちはその半分ほどしか飛べない。セイヨウミツバチは、12キロ平方キロを訪花する。日本ミツバチは、その4分の1、3キロ平方メートルしか訪花できない。
セイヨウミツバチの集蜜能力は日本みつばちの能力に比べて桁違いに高い。群勢で花畑にやってきて、日本みつばちを追いやる。
日本みつばちの天敵は、ツバメやスズメ、そしてクマ。ところが本当に怖いのはセイヨウミツバチだ。
日本みつあちをきちんと保存したいものです。ともかくハチがいなくなったら、人類の生存だって危ないのです。たかがハチなんて、軽蔑してはいけません。楽しい日本みつばち飼育の本です。
(2016年8月刊。1600円+税)

ルポ・保健室

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 秋山 千佳 、 出版  朝日新書
いまほど学校に保健室が必要なときはない。この本を読んで痛感させられました。
子どもたちが、もっと家庭で、学校で大切にしてもらっていれば、保健室の必要性はそれほどでもないのでしょう。でも、働く若者が使い捨てされる社会の仕組みが強固なものになっていて、生存競争を勝ち抜いた強者のみがのさばる世の中ですから、弱者の代表たる子どもたちにひずみがいくのは必至でしょう・・・。
生徒に学校で好きな場所アンケートをとると、保健室とトイレの人気が突出している。それだけ、子どもにとって自分の教室は緊張を強いられる場所なのだ。保健室は、子どもにとって大人から成績で評価されない、否定されることのない貴重な場所になっている。
子どもたちは苦しいことがあると、安らぎを求めて保健室へ吸い寄せられる。とはいえ、はじめから自分の悩みを差し出すわけではなく、お腹が痛い、熱っぽいとか体調不良を訴え、あるいはただ雑談する。
養護教諭は、そんな子どもたちの発するSOSの小さなサインに目を光らせる。そして他愛もない話から、子どもたちの抱え込んでいる悩みを探り、引き出していく。
一年中、マスクを手放せない「マスク依存」の子が少なからずいる。それは、自信のなさの表れ。顔をさらすのを怖がっている。貧しくなくても、いろんな理由からマスクで顔を覆う子がいる。
保健室に来るのは、先生たちからあまり良く思われていない生徒が多い。
LINEでのいじめ、スマホの使い方は、保護者より子どものほうが詳しく、ルール決めが不十分な家庭が多い。その対応に自信がなくても心配無用。相談を受けるときの根幹は、その教師が信用できるかというアナログなものだから・・・。
私は、今もガラケーひとつですし、いつもカバンの底に入れています。スマホなんて使う気もありません。それでも今のところは十分生きていけます。
保健室は社会の鏡。というより、実際には、子どもが社会の鏡で、その子どもの様子がよく見えるのが保健室だということ。
子どもたちを取り巻く社会と学校の深刻な状況の一端がよく分かる本でした。
(2016年8月刊。780円+税)

アフリカに進出する日本の新宗教

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 上野 康平 、 出版  花伝社
 このところ、創価学会に並んで幸福の科学の政治面での派手な活動が目立ちます。あちこちで候補者を立てています。よほど資金が潤沢なのでしょうね。
その幸福の科学など、日本の新宗教がアフリカに次々に進出しているというのです。驚きます。いったい言葉の壁、生活習慣の違いをどうやって乗りこえるのでしょうか。そして、その活動資金はいったいどうするのでしょうか。アフリカから日本まで来ると30万円はかかりますよね。アフリカの庶民にとっては高値の花ではないでしょうか・・・。
この本では、創価学会と幸福の科学のほか、崇教真光(まひかり)や統一協会、真如苑などが取りあげられています。
日本国内の新宗教の信者は3000万人。これは人口の23%にあたる。そして、宗教家が70万人いる。これは、全国の小中学校の教員数が67万人なので、それよりも多い。
幸福の科学は、東アフリカの小国ウガンダで流行している。ウガンダ国営テレビが大川隆法の講演と映画を放映した。そして、2012年には、国立スタジアムで大川隆法が1万人規模の講演会を開いた。
天理教は、コンゴ共和国で活動している。
真如苑は、日本では創価学会、立正校正会に次いで多い100万人の信者を有する。真如苑は、ブルキナファソで活動している。
崇教真光は、ヨーロッパ・アフリカ方面指導部をルクセンブルグの古城に置いている。1987年に1億6千万円で古城を購入した。西アフリカから日本へ、年に数回、岐阜県の総本山での祭礼に参加しようと、ビザを申請するアフリカ人が大勢いる。
コートジボワールでは、1990年に創価学会の支部が設立されていて、当初200人の会員が、今では3万人になっている(らしい)。
アフリカの地に日本の新宗教が本当に根づくことが出来るでしょうか・・・。疑問が深まりました。
(2016年7月刊。1500円+税)

日中映画交流史

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 劉 文兵 、 出版  東京大学出版会
 私にとって李香蘭(山口淑子)ってピンと来ない存在ですし、自民党の国会議員になったことから、どうせ自己中心のスターだろうという感じです。
 ところが、中国人にとっては、李香蘭というのは、日中のあいだに横たわる歴史問題の複雑さを物語るシンボリックな人間であり、また日中文化交流の歴史を語る際に欠かせない存在だというのです。
 李香蘭は、日中戦争のさなかに、日本人であることを伏せて中国人の映画スター歌手として活躍し、中国・日本はもとよりアジア諸国で抜群の知名度を得ていた。
満州生まれの日本人で、満州の日本人小学校を卒業したあと、華北の女子中学校に学び、満映に入社した。
 戦後、山口淑子として再出発してからは、中国に対して繰り返し謝罪し、日本の政治的指導者による靖国神社への参拝には断固として反対した。そして、日中友好に尽力し続けた。
日本映画が満州国の民衆に広く受け入れられたとは言い難い。そして、満州国の統治者側も、中国人向けの日本映画市場の開拓を積極的に行っていたとは言い難い。
満州国では、「協和語」という、中国語と日本語とが混在した奇妙な言語が流通していた。文法をまったく無視した「簡易な日本語」、中国語の単語を日本語の語順で並べる「和製中国語」である。
戦後、日本映画が中国に入った。 『二十四の瞳』は、『芙蓉鎮』の謝晋監督が演出を学ぶべき手本とした。
 小津安二郎、木下恵介、山本薩夫、山中貞雄、山村正樹といった多くの日本の映画人、は戦時中に一兵卒として中国戦線に出征した経験をもっていた。
文化大革命が終わった中国では、空前の日本映画ブームが起こった。
 『君よ憤怒の河を渉れ』は野外に巨大なスクリーンが張られ、正面の一等席に1万人が陣取り、スクリーンの裏側にも8千人の人々が裏返しで映画をみた。
これは髙倉健の主演する映画です。残念ながら、私はみたことがありません。
 この映画は、1978年に封切られて、北京だけで2700万人の観客動員を達成した。中国の人々はいまだ見知らぬ資本主義世界をスクリーンまで疑似体験した。そして、文革のなかで失脚した人々が無実を証明しようとする人々の気持ちにもぴったりのストーリーだった。
 1979年、日本映画『愛と死』は中国で熱狂的に歓迎された。ヒロインの栗原小巻は中国で絶対な人気を呼んだ。
そして、1980年には、『砂の器』が中国の観客に大きな衝撃を与えた。いやあ、これはいい映画、すごい映画でしたね。加藤剛の熱演が忘れられません。
当時の中国人観客にとって衝撃的だったのは、長期にわたって中国映画においては、善でも悪でもないキャラクターの描写はタブーとされていたから。それまでは善玉と悪玉が明確に分かれている図式の映画ばかりだった。
日本での中国映画ブームもすごいものがありました。私の好きなのは、なんといっても『芙蓉鎮』と『初恋のきた道』です。
 中国生まれで、今は日本に住んでいる中国人による、本格的な日中映画交流史です。貴重な労作でもあります。
まだ見ていない映画、見たい映画がこんなにあるのか・・・と思いました。ぜひ時間をつくってみたいものです。
 
(2016年6月刊。4800円+税)

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