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医者、用水路を拓く

カテゴリー:アラブ

著者:中村 哲、出版社:石風社
 すさまじい本です。大自然との格闘の日々が描かれています。たいしたものです。私より少しだけ年長の団塊世代でもあります。九大医学部を卒業した医師です。1984年以来、パキスタン、そしてアフガニスタンで活動しています。心から尊敬します。
 ペシャワール会は年間3億円もの募金を集めているそうですが、この本を読むと、その浄財が決死の覚悟の人々によって有効活用されていることがよく分かります。私自身は、ほとんど献金らしきものをしてこなかったので恥ずかしさを覚えました。日本は自衛隊を送ったりしないで、こんな形での民間交流を支援すべきだと、つくづく思いました。
 ところが、中村医師が国会で証言したとき、自民党議員などが野次を飛ばし、はては発言の削除を要求したというのです。許せません。自衛隊の海外派遣は有害無益だという発言です。実体験をふまえていますので、重みがあります。中村医師は次のように言います。
 「人道支援」を名目に、姑息なやり方で自衛隊を海外に派兵することは、いかに危険で不毛な結末に終わるか。あまりにも浅慮だ。自衛隊派遣は有害無益、飢饉状態の解消こそ最大の課題だ。
 これに対して、自民党議員が野次を飛ばした。そして、亀井代議士は取り消しを求めた。
 自衛隊は侵略軍と受けとられる。理不尽な武力行使は敵意を増すばかり。対日感情は一挙に悪化するだろう。まことに正論です。これまで、アフガニスタンでは、日本人であることは一つの安全保障だった。それが壊れるというのです。それでは、いけませんよね。
 2007年6月現在、アフガニスタン復興はまだ途上であり、戦火は泥沼の様相を呈している。アメリカ軍と同盟軍の兵力は4万人をこえ、初期の3倍以上。そして、アメリカに擁立されたカルザイ政権は、300億ドルの軍事費が復興につかわれていたら、もっと復興はすすんでいただろうと語っている。
 なーるほど、ですね。軍事費にいくらお金をつぎこんでも、戦火は拡大するばかりで、人々の生活は回復・安定しないのですよね。
 この本は、2001年9月から2007年4月までのペシャワール会の6年間の活動を紹介しています。ペシャワール会は、アフガニスタンで「100の診療所よりも、一本の用水路」という合言葉で活動してきました。
 アフガニスタンを大干魃が襲った。100万人以上の人々が餓死線上にあった。子どもたちは栄養失調で弱っているところに汚水を口にして赤痢にかかる。食糧不足と脱水があると致命的。
 ペシャワール会の目標額は2億円だったが、2002年1月には6億円に迫った。天皇夫婦も募金した。
 タリバン政権というのは、攘夷を掲げるアフガン=パシュトン国粋主義に近い。アルカイダとは異なる。そのタリバン政権が崩壊するまでの2ヶ月間に、ペシャワール会は1800トンの小麦と食糧油20万リットルを送りこみ、餓死に直面していた市で15万人が冬を越せた。
 アフガニスタンへ食糧を届ける取り組みのときには、配給部隊をカブール内の3ヶ所に分宿させ、1チームが壊滅しても、残る2チームが任務を継続できるように手配した。
 うむむ、なんと、すごいことでしょう。
 すごい、すごーい。たいしたものです。
 そして、ペシャワール会は、井戸ではなく、用水路を掘り始めました。農業で食べられるようにしようというのです。
 アフガン農村と一口にいっても、緑の田園から想像されるような牧歌的なものではない。内実は、各勢力の抗争の場であり、同時に協力と妥協の場でもある。
 用水路をつくるために、荒れる川を制御しようと使ったのが蛇籠。蛇籠を1万5000個もつくったというのです。コンクリート3面張りは、今や日本でも評判悪いわけですが、アフガニスタンでは、そもそもコンクリートをつかいませんでした。アフガニスタン人は、ともかくきれいに積むのが習慣。石積みなら、お年寄りを中心に時間を忘れて没頭する。石に見とれている光景も珍しくない。無類の石好きだ。へーん、やっぱり、ところ変われば、品変わるですね。日本人なら木材が好きですよね。
 4年間で植えた柳の木が12万本。桑の木7000本、オリーブの木2000本、ユーカリの木2500本。桑の木は土手の外壁の強化に、ユーカリは土石流対策で遊水池の防災林造成、オリーブは乾燥に強く、地中深く根を張るので、高い土手の外壁に植えた。
 日本人スタッフは、ボランティアではなく、現地ワーカーと呼ぶ。動機を問わなかった。用水路が開通すると、子どもの病気が激減した。体を洗う機会が増え、飲料水の汚染が少なくなったからだ。
 アフガニスタンで用水路をつくるのに、筑後川で江戸時代につくられた山田堰の経験と教訓が生かされているというのを知って驚きます。著者の実家が福岡県南部にあるからでもあります。
 医師が聴診器をもつより、ユンボなどを自ら操作して用水路を切り拓いていく実情を知り、体が震えるほどの感動を覚えました。世の中には、こんなすごいことを日々している日本人がいるのですね。日本人みんなで後押しをする必要があると思います。
 やはり、世界の平和は、自衛隊の派遣なんかで得られるものではありませんよね。憲法9条2項の削除なんて、とんでもない間違いだと、ひしひしと感じました。
 福岡県弁護士会では5月23日に中村医師の講演会を天神にあるアクロスで企画しています。ぜひ、ご参加ください。
(2007年11月刊。1800円+税)

犬の科学

カテゴリー:生物

著者:スティーブン・ブディアンスキー、出版社:築地書館
 アメリカの犬は人間への咬みつき事故を年間100万件以上おこす。その被害者の多くは子どもで、年に12件は人が死んでいる。保険会社は犬による傷害事件で年に2億5000万ドルを支払っており、傷害保険費用の総額は10億ドルをこす。
 犬は、体重あたり人間の2倍の食糧を消費する。アメリカにいる1500万頭の犬は、ロサンゼルスの全人口と同じ量の食料を消費し、その費用は年に50億ドルをこえる。獣医にかかる費用が年に70億ドル。アメリカの公園や街路で回収される犬の糞は年に  200万トン。
 狼は犬ではない。原始犬の体型が化石となって残るよりはるか以前に、犬は狼から分かれて犬になっていた。犬は、狼より人間と親しくなった。犬の出現は、広く信じられている以上に古い出来事だった。
 300をこす現代犬の犬種は、過去2世紀内の、ごく最近に登場した。1870年にケネル・クラスが設立され、80種の犬を分類して登録した。
 化石によると、犬の体型の変化は、1万4000年前に始まった。
 犬の遺伝子プールは、何万年もの進化の過程で、世界中でよく混ぜあわされ、均質な大海のようなものになっている。
 犬は成犬でも子どもっぽく見える行動をする。犬はエサをねだり、子犬のような格好の服従姿勢を示し、必要もないのに吠えるし、大きくなっても遊び好きだ。野生狼にみられる狩猟行動のパターンを明らかに失っている。犬は、成長することのない子狼のようなものだ。
 狼たちも犬たちも、すべて出世主義者である。目上の者の弱み、躊躇、自信喪失の徴候をうかがっている。
 狼の群れの移動は、しばしば、リーダーに無条件に従うのではなく、多数決で決める。
 狼のアルファ雄とアルファ雌は、ふつう後肢を上げて排尿する。群れのほかのメンバーは、しゃがんで用を足す。
 犬には、広い場所をきれいにしておく本能がないだけではなく、反対に、すみかの周辺をくまなく糞や尿でマークしたくなる衝動がある。
 生後14週まで、まったく人間と接触しなかった子犬は、強い恐怖感を示し、床に静かに腰をおろしている人間に決して接触しようとはしなかった。
 子犬には、3週齢から12週齢の間の臨界期がある。子犬が人間を何とも思わず、恐れないようになるのは、生後3週間目に人間と接触するのが好ましく、いくら遅くとも7週目までのこと。
 子犬を6週齢で母犬や兄弟姉妹の犬と引き離すと、その後の健康にも、社会化にも悪影響がある。6週齢で子犬を新しい家庭に移すと、12週齢のときより強い不安感を示し、食欲も病気に対する抵抗力も低下する。子犬は生後2ヶ月間で、社会規範について決定的に重要な知識を獲得する。
 犬は、あらゆる点で狼と同じくらい利口だし、チンパンジーにも匹敵する。
 しかし、犬の脳は狼より25%は小さい。犬を訓練するのにエサを与える必要はない。実は、労働それ自体が犬にとっての喜びなのだ。犬にとって最高の報酬のひとつは、社会的に優位に立つ者とのきずなが強まること。自分をあるがままに受けいれてもらえること。
 なーるほど、なるほど、よく分かりました。
 犬が思考し、感情をもっていること、まわりの人や生き物の行動に絶えず気を配っていることは、まぎれもない事実である。
 アメリカでは、年に1500万頭の犬が収容所に送られるが、獣医師によって安楽死させられる。たいていは攻撃行動が原因であり、飼い主は犬に裏切られたのだ。
 飼い主が神経症の場合は、犬が問題行動を起こす割合が高い。
 ひとたび犬が自分をお山の大将だと確信すると、誰かがその権利を剥奪しようとしたとき、犬は真剣に反撃する。犬は、自分より優位にあると感じた相手からの攻撃に対して、いっそう攻撃的な反応を示すことも、またおびえることも、絶対にない。そんなときには、犬はひたすら服従的な態度を示す。
 犬が人間なら、ただの間抜けだ。犬は犬だからすばらしい。そのことを直視しよう。うーん、納得です。犬について、科学的に知ることができました。
(2004年2月刊。2400円+税)

継体天皇と即位の謎

カテゴリー:日本史(古代史)

著者:大橋信弥、出版社:吉川弘文館
 継体天皇はそれまでの大和王朝が途絶えて、外部から侵入してきた「革命」政権であるという見方があります。継体天皇は目が離せない存在です。
 6世紀に登場する継体天皇(当時の呼び名は天皇ではなく大王です)は、古事記では父母の名さえ書かれていない。
 雄略天皇(大王)が死んだあと、王統が断絶する危機が顕在化し、傍系の「王族」の中から葛城氏を中心とする勢力によって擁立された顕宗・仁賢と、和邇氏を中心とする勢力により擁立された継体が有力化し、2つの王統が対峙する展開となった。比較的長い並立状態が続いたあと、両王統のあいだで妥協が成立し、継体の即位が実現した。
 継体の擁立勢力の中心となったのは、あくまで越前三国の豪族であった。息長(おきなが)氏の役割は、それほど大きいものではなかった。
 継体は、近江あるいは越前から中央に進出し、武力で王位を簒奪した地方豪族ではなく、5世紀の大王家と系統譜的につながる傍系の王族であった可能性が高い。
 継体の母は、越前の諸豪族と婚姻関係のあった越前三国に本拠を置く地方豪族であったことは間違いない。
 継体天皇は、即位して20年もたって、ようやく大和の地に入ることができた。それまでは大和の周辺をうろうろするだけだった。継体は、実質的には新しい王統を切り開いた。 著者は、継体の出自を近江の古代豪族である息長氏とする説を否定しています。
 継体天皇の末期に北部九州(八女)で、筑紫君磐井を中心とする一大内乱が生起し、近江臣毛野(おうみのきみけぬ)を将軍とする新羅派遣軍の渡海が阻止された。今城塚古墳が継体天皇の墓だと推測される。ぜひ、発掘してほしいものです。宮内庁が発掘を許可しないのは間違いだと思います。日本が決して「万世一系」の国ではないことが実証されるでしょう。
 いずれにしても、日本の天皇家が単純に「万世一系」というようなものではないということは間違いないと改めて思いました。
(2007年12月刊。2400円+税)

脳内汚染からの脱出

カテゴリー:社会

著者:岡田尊司、出版社:文春新書
 ゲームが依存しやすいものとなってしまうのは、際限のない繰り返しが容易にできて、しかも、刺激のレベルが徐々に上がっていくように、巧みにつくられているため。耐性ができにくいように、さまざまなノウハウの粋を集めてつくられている。
 強い刺激に慣れっこになることは、単に刺激に対して無感覚になるということではない。強い刺激なしでは、神経のバランスが保てない状態に陥ってしまうのだ。その刺激が途絶えると、激しい渇望状態にとらえられる。禁断症状である。
 韓国では、複数の人が一緒に集まってゲームを楽しむことが多い。日本では、一人で孤独に楽しむのを好む傾向がある。
 1980年代以降に噴出するようになった子どもの問題の特徴は、大都市部と地方の差が少ないこと。校内暴力は、地方の農村部でも同じように見られた。
 ゲーム依存は、インターネット依存の場合、アパシー状態が生じていることや原因について、自覚のないことが大半である。何かやる気がない、何も他に面白いことがない、仕事も人間関係もわずらわしい、もうどうでもいいやという考えに陥っている。
 ヴァーチャルなメディアに依存した子どもや若者に共通するのは、表情が乏しくなり、非言語的コミュニケーションの能力が低下していること。
 視線が重要だ。目は口ほどにものを言う。視線をほどよく合わせることは、コミュニケーションの基本である。しかし、ゲーム、インターネットを長時間する人は、アイ・コンタクトが乏しくなる傾向がある。
 子どもの偏食は、発達の問題の一つのサインである。偏食がある子は、食べ物だけでなく、他の生活習慣や興味においても、偏りやすい傾向がある。
 依存症の理論からいって、毎日つかうのは、もっとも依存を形成しやすい。切れ目をつくるのが、依存を予防するのに大切なこと。30分であれ、毎日、ゲームをすることは、毎日、少量の覚せい剤を打っていることに等しい。
 タイトルから想像するより、よほど真面目で健実な提言が書かれている本です。大変勉強になりました。
(2007年5月刊。950円+税)

江戸人のこころ

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:山本博文、出版社:角川選書
 江戸時代の人が書いた手紙が自由自在に読めたら、どんなにいいかと思うのですが、私にはアラビア文字と同じで、さっぱり分かりません。それをスラスラ読み解く学者って、やっぱり偉いですよね。
 遊女がイギリス商館長のカピタンであるリチャード・コックスに宛てた手紙が紹介されています。江戸時代の平戸に1623年(元和9年)までイギリス商館があったのですね。この遊女の手紙は大英図書館の東洋・インド部に所蔵されているものです。
 優美なかな書きの手紙なので、大坂の陣で没落した武士の妻女出身とも考えられる。かなりの教養をもった女性だろうと著者は推測しています。
 さてさてあいたいぞ、見たいぞや・・・という文言があり、胸をうちます。
 多摩地方の上層農民(名主クラスの裕福な農家)の娘が、江戸城大奥や御三卿などの奥へ奉公に出ていた。これは、貧乏な家庭を助けるための「口減らし」ではなく、いわば田舎から都会の女子大へ行くような、行儀見習いのための奉公だった。
 多摩地方は、江戸城大奥の下級女中の供給源となっていた。その中の一人、御殿女中だった吉野みちの手紙115通が残されていて、紹介されています。
 みちは、奥奉公がやたらとお金がかかったため、実家の父親によく小遣いをねだっている。うーん、なんだか、今もよくありそうな親子のあいだの手紙です。ぴんときますね。
 滝沢馬琴の手紙も紹介されています。八犬伝の定価は、1冊あたり、1分3朱。金1両を現在の物価で換算すると、20万円になるので、八犬伝は1冊あたり8万7500円。初版500部で、江戸で300部を売り出し、上方へ200部を発送する。江戸ではすぐに増刷し、年末までに累計600部は確実。発売して半年で800部の売上げがあった。350両になる。経費を差し引いた純益金は300両なので、6,000万円のもうけだ。ところが、馬琴の手にしたのは、原稿料は1冊わずか2両が相場だった。なーるほど、江戸時代の出版事情って、そういう仕組みだったんですか・・・。
 赤穂浪士の何人かの手紙も紹介されています。大石内蔵助の手紙から、内蔵助は、たしかに祇園や伏見に踊りを見に行ったが、それは息子の主税と一緒だった。したがって、内蔵助の遊興は、こうした物見遊山が中心で、祇園の茶屋で派手に遊んだということではなかったのだろう。ふむふむ、そうなんですか・・・。
 すでに自分の命はないものと決め、盟約に加わった者たちの首領になっている内蔵助の手紙は、穏やかで、妻の身体を気づかい、周囲の人の気遣いに感謝し、妻への思いやりに満ちている。
 なぜ討ち入りをしたのか。武士が面子をつぶされることは、死に勝る屈辱である。これを回復するためには、吉良を討って喧嘩両成敗法を自らの手で実現しなければいけなかったのだ・・・。
 江戸人の心の奥底を少しだけのぞいたような満足感を与えてくれる本でした。
(2007年9月刊。1400円+税)

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