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昭和天皇

カテゴリー:日本史

著者   古川 隆久 、 出版   中公新書
 昭和天皇の実像を探求しようとした意欲的な新書です。
 昭和天皇の思い通りに軍部が動かない。動いてくれない軍部に対して昭和天皇は妥協を重ねるしかなかったというトーンが一貫しています。ということは、天皇を錦の御旗として、軍部が思い通りに日本を牛耳っていたことになります。そして、その軍部も内部を見れば、決して一枚岩ではありませんでした。強大な天皇がいて、その一言ですべてが決まっていたという見方は認識を改める必要があることを痛感しました。
 といっても、戦争中40歳だった昭和天皇の一言は実に大きいものがありました。にもかかわらず、容易に貫徹しなかったというのですから、やはり世の中は単純には割り切れないということです。
 少年時代の昭和天皇は、御学問所で歴史の講義を受けている。その時の講義に出てくる最多登場人物は明治天皇(36回)、2位は徳川家康(25回)、3位は仁徳天皇(24回)だった。さらに、アメリカのワシントン大統領やプロシアのフリードリヒ大王も好ましい指導者として繰り返し登場した。それは、天皇神格化とは無縁の内容だった。歴史の授業を担当したのは白鳥庫吉だった。神代については、あくまで神話であることを明示し、その言動が批判された天皇もいた。
 語学はフランス語が教えられた。ヒロヒト皇太子のヨーロッパ外遊は日本で大きく報道され、一種のスター、アイドル化していた。
 ヒロヒトは摂政時代、東京で発行される新聞全紙と大阪・台湾さらには地方新聞まで読んでいた。パリの新聞も取り寄せ、フランス語の勉強を兼ねて読んでいた。「改造」、「解放」、「中公公論」などの総合雑誌も読んでいた。とくにヨーロッパ旅行のあとは、幅広く読むようになった。
 1928年6月4日の張作霖爆殺事件について、昭和天皇は田中義一首相を叱責した。この点に、著者は、ここで政治に介入しなければ、政党政治を擁護するはずの昭和天皇の政治責任が問われることになる事態になると思ったからだと解説しています。
 「聖断」によって内閣が退陣したのは、これが初めてだった。その後、右翼は昭和天皇の側近を攻撃していたが、それは実質的には昭和天皇そのものを批判する狙いがあった。
 満州事変が勃発するときにも、昭和天皇の権威は揺らいでおり、軍部を抑えることができなかった。西園寺は昭和天皇の威信低下を痛感していた。国際関係の緊張が軍部の発言力を高めたため、昭和天皇が国政を掌握するのはますます困難になっていった。
 昭和天皇は美濃部達吉の天皇機関説を理解していた。しかし、対外的には国体論を認めたかたちになってしまった。その結果、昭和天皇は、国内政治に関する思想・政策に関して、もはや完全に孤立してしまった。
 1936年に2.26事件が起きたとき、昭和天皇は断固鎮圧を決意した。決起グループは皇道派に昭和天皇は同情的であると聞いていて、実は批判的であることが知らされていなかった。だから、決起グループは、あくまで天皇の真意実現を妨げる諸勢力を粉砕することが目的だった。しかし、昭和天皇からすると、大局的見地から工業化路線を優先した自分の判断が暴力的に否定されたと受けとめた。
 事件を即時鎮圧し、陸軍の下克上体質を改めよという意向を昭和天皇は示した。ところが、決起集団に同情的な陸軍は、なかなか鎮圧に動こうとしなかった。天皇と陸軍の意思が異なったとき、天皇の意思が「皇祖皇室の遺訓」に合致していないと陸軍が判断できるなら、最高指揮官たる現天皇の意向に反して問題はない。こういう考え方が陸軍の側にあった。このように、陸軍にとって天皇は絶対的な存在ではなかったわけですね。
2.26事件について、陸軍は天皇から叱責されたという不名誉な事実を組織ぐるみで隠蔽してした。
昭和天皇は、生物学を研究していたが、これについても、陸軍武官がこの非常時に生物学の研究なんてはなはだけしからんと批判していたので、昭和天皇は気兼ねしていた。
 うへーっ、好きな歴史学ではなく生物学を逃げ場としていたのに、それすら軍人から批判されていたとは、昭和天皇も大変です。そんなこんなで、昭和天皇は一時期、大変やつれていたとのことです。
 1938年7月、昭和天皇は次のように語った。
 「元来、陸軍のやり方はけしからん・・・。中央の命令にはまったく服しないで、ただ出先の独断で、朕の軍隊としてはあるまじきような卑怯な方法を用いるようなこともしばしばある。今後は朕の命令なくして一兵だも動かすことはならん」
 元老西園寺が老衰で政治的影響力を失いつつあった当時、昭和天皇はますます周囲から理解者を失いつつあった。
 結果的に日中戦争の進展を容認し、太平洋戦争開始の決断を下したのは昭和天皇であった。終戦の「聖断」まで時間がかかったのは、少しでも有利な条件で戦争を終わらせたかったため。昭和天皇は、少しでも有利な条件で講和しようと、局地的戦闘の勝利を期待する一撃講和論者だった。
 この本を読んでも、昭和天皇に戦争責任があることは間違いないところだと確信しました。
(2011年11月刊。1000円+税)

原発労働

カテゴリー:社会

著者   日本弁護士連合会 、 出版   岩波ブックレット
 原子力発電所で長く働いてきた労働者の証言が紹介されています。
 ひとつの検査工事に50人の作業員が必要だとすれば、一次下請業者が5,6人いて、残りの作業員は二次以下の下請業者の社員。東電からは作業員の日給が一人10万円出ていても、一次下請の作業員で日給2万5000円以下、一番下の作業員で1万円から1万2000円ほど。
 問題は社会保険。一次下請業者は社会保険を完備していても、二次以下下請業者は入っていないほうが多い。
 以前は、原発作業員の一日の実労働時間は3時間ほどだった。午前中に1時間、午後に2時間。このように、原発作業員は実労働時間が少ない割にお金になる仕事だ。だから原発で働いた人が他の普通の職場で働くのはかなり大変なことになる。
東京電力の社員は現場にはたまに見に来たり、検査のときに立ち会う程度。一次下請の東芝とか日立の社員が現場で指示を出す。
 放射線管理区域に入る人は放射線に関する教育を受ける。3時間の講習を受けたあと、テストがある。しかし、このテストで落ちる人はほとんどいない。
 3月11日の事故直後は、緊急事態なので資格も何も問われなかった。やっと4月になって正常化した。復旧作業は、東電の正社員ではなく、下請の作業員がしている。本当は東電の正社員にやってもらった方がいい。
 遠くで準備して、みんなで一斉に作業現場に出ていって、ヒット・アンド・アウェイで帰ってくる。全面マスクをしての作業は2時間くらいしかできない。照明がないから、暗くなると作業ができない。
 作業員に高年齢者が増えている、50代が圧倒的に多い。30代と20代はいない。
 東電の社員、元請(一次)の社員などは制服を着ているから一日でわかる。しかし、二次以下の下請けの作業員になると、自前の作業着なので、どこの会社の従業員なのか分からない。
 福島原発で働く7千人近い労働者のうち、事故後4ヵ月で6人は被曝量が250ミリシーベルトをこえ、111人は100ミリシーベルトをこえた。また、未検査の人も多い。
福島第一原発について政府が収束宣言して以来、なんとなく溶けた核燃料棒は心配ないムードになっていますが、本当は何も分かっていないというのが実態です。そんな危険な作業現場で働いている作業員の健康はとても心配です。かといって、そんな危険な現場で働く人たちがいるからこそ、その後は今のところ大惨事を招来していないのだと思います。
 そういう原発労働のすさまじい実態を告発してくれるブックレットです。ワンコインで読めますので、どうぞお読みください。
(2012年1月刊。500円+税)

「仮面の騎士」橋下徹

カテゴリー:社会

著者  大坂の地方自治を考える会 、 出版   講談社
 独裁者で何が悪いんだと開き直る弁護士がいます。同じ弁護士として悲しい現実です。そして、それを天まで持ち上げるマスコミには呆れてしまいます。小泉劇場と同じです、暴言を叩くのではなく、視聴率が稼げるからとそれをもてはやす営利本位の報道姿勢には怒りすら覚えます。
 この本は橋下大阪府知事(現在は大阪市長)の仮面をひきはがしています。
 書評で他人(ひと)の悪口なんか書きたくないのですが、公人とあれば、しかもマスコミだけでなく、今や多くの政党がすりよっている状況を見れば、この本を紹介せざるをえません。
 破たんする大阪の救世主として輝く橋下知事は、専横で空疎なパフォーマーにすぎなかった。そんな「仮面の騎士」の野望に騙され続けては、大阪、ひいては日本社会は、ますます崩壊の一途をたどるだろう。ヒトラーの例を出すまでもなく、「わかりやすさ」に与えられた独善的独裁者の仕掛けた「罠」に陥るわけにはいかない。
 世間の思惑の裏をかいて、意外な発言によって、さらにより以上の注目と支持を集める。これがマスコミを最大限に利用した橋下流の大衆操作の真骨頂である。
 構想の中身をはっきり示さない。制度設計は、あとから役人がすればより、この手法こそ橋下知事の得意技である。
橋下弁護士は商工ローン「シティズ」の顧問弁護士を8年間していた。かの悪名高いシティズの顧問をしていたなんて・・・。
 年収3億円を投げ打って大阪府知事に転身した。ええっ、弁護士として年収3億円だったのですか・・・。どうやってこんな大金を稼いでいたのでしょうか。まだ30代だったはずなのに・・・。
 大阪府を大阪都にすれば、なぜすべてがうまくいくというのか、その根拠が示されていない。本当にそうですよね。法律を変えて府を都にしたら、地自体の所管をちょっといじれば大阪の経済が一挙に好転するなんて、ありえませんよね。
橋下本人もそのことをよく知って自覚してるだけに、その具体策は何も示さず、ひたすら空疎なスローガンを叫び、反対者を糾弾し続けた。
 橋下知事の周囲には、常に大手メディアの橋下番の記者たちが待ちかまえていた。橋下のようなポピュリストは、衝動的な施策を次々を打ち出し、民意をつかんでおかなければ政治生命を維持することができない。そして、選挙で勝ちさえすれば、すべての権力を掌握したものとして、独裁が許されるとする政治哲学にもとづいて行動する。
 財界は、橋下は危なっかしいけれど、自分たちの政策に近い限り使っておこうとする。橋下知事の下で、自殺者が7人も出た。橋下知事に直言する上司が皆無であることが最大の原因だ。逆らえば飛ばされる。歯向かえば、つぶされる。物言えば唇寒し・・・。
 二面性をもつ橋下知事。その知事に唯々諾々と従っている府庁幹部たち・・・。
 橋下知事は自己愛性人格障害の典型、気に入られた者は死ぬまで働かされる。憎まれれば、とことん放逐される。注目を浴びないところで、ひっそりと生きていくのが一番。府庁内には、うつ状態の自殺予備軍が多数いる。
 橋下知事の意向にそわない府職員の首切りを用意にしようとする条例を提案しようとしている。そして「民意」をたてに首長の思いどおりに教育行政までも牛耳ろうとしている。 こんなひどい男をマスコミが批判もせずにもてはやし、それによって反逆児と錯覚した若者たちが拍手喝采しているというのが現状です。一刻も早く、こんなまやかしから目を覚ましたいものです。
(2011年11月刊。1400円+税)

越境する脳

カテゴリー:人間

著者   ミゲル・ニコレリス 、 出版   早川書房
 脳についての知識がさらに増えました。
右手を失った人が、その右手に痛みを感じることがある。これを幻肢という。
 幻肢とは、身体のある部分を失ったあとでも、その部分がまだあって身体にくっついているという異常な感覚のことである。この痛覚は脳内の構成概念である。手足を切断された人が体験する手の込んだ幻覚は、末梢の神経腫ではなく、患者の脳内に広く分布したニューロンの活動によって生じるものである。
脳は高度な適応性を有する多重様相プロセスによって身体の所有感覚を生成している。この過程では、視覚、触覚、身体位置の感覚フィードバックを直接操作することによって、数秒で私たちの別の新たな身体を自己感覚のありかとして受け入れさせることができる。
 これって、ちょっと分かりにくい説明ですよね・・・。
相互につながったニューロンの大集団と情報をコードする大規模な並行処理のおかげで、私たちの高度に発達した脳は部分の緩和が全体より大きくなる動的システムとなる。これが可能になるのは、個々の要素の特徴の線形和のみからは予測できない、活動の複雑な全体的パターン(創発性)が神経網全体の動的相互作用によって発生するからなのだ。数百万ないし数十億個のニューロンによって形成される分散神経網は、脳波発生などの創発性を示す。脳の創発性によって、さらに知覚、運動制御、夢、自己感覚などきわめて緻密で複雑な脳機能までもが生み出されている。私たちの知識は、ヒトの脳内で動物に相互作用する多数のニューロン回路の創発性から生まれていると思われる。
 脳のはたらきは、ニューロン時空が形成する切れ目のない連続体内にある数十億個のニューロン間の動的な相互作用から生まれるのだ。
 私たちの脳内では、つねに脳自身の視点と入力とが激しく衝突しており、脳は与えられた条件下で、その瞬間に最適な行動パターンを生成する。脳は外界からの刺激をただ待ち受ける受動的な情報解読器ではなく、能動的に外界のモデルを構築するシュミレーターである。シュミレーターの過程で脳は身体の枠をこえて外界を同化し、自己を延長する。
人間の意識が同時並行処理するニューロン集団の大量の相互作用にあるという主張なわけですが、この本を読んで、難しい内容ながらも何となく分かった気がしました。
(2011年9月刊。2400円+税)

日曜日の歴史学

カテゴリー:司法

著者  山本 博文  、 出版  東京堂出版 
 江戸時代について、たくさんの本を書いてきた著者の本を読むたびに目が開かれる思いです。伊能忠敬の目的が日本全国の地図づくりにあったのではなく、もっと大きな、地球の大きさを計算することだったというのを初めて知りました。しかも、歩いて算出した地球の外周(4万キロ近く)は、139キロの誤差しかなかったというのです。恐るべき精度ですね。腰を抜かしそうになりました。
家康も秀吉から豊臣の姓と羽柴の名字を与えられた。後に成立した江戸幕府は家康のこのような屈辱的な歴史を消そうとした。
 家康は秀吉に対して尺取虫のように平身低頭していたのが現実である。
家康が羽柴武蔵大納言と署名していたことがあるなんて、今の私たちからすると信じられませんよね。
嘆願すると住民は「恐れながら」と幕府を立てながら申し出た。しかし、それは武士が威張っていて、百姓が卑屈になっていたというものではなく、あくまで嘆願書の形式にすぎなかった。実際には、支配階級の武士といえども、被支配層の理解と支持なくして、自らの支配が成り立たないことを十分に承知していた。
  有名な桜田門外の辺について、彦根藩は、君主が傷つけられたというだけで、藩主の井伊直弼の首を取られたことを認めなかった。藩の面子があったからだ。そのため、この事件は殺人事件ではなく、幕府高官を集団で傷つけたという障害事件として処理された。ええーっ、ウソでしょ、と叫びたくなりました。ここまでホンネとたてまえを使いわけるのですね。まあ、これって、今でもありますね。
足軽というのは、最下層の武士かと思っていました。ところが、最近の研究では、足軽は百姓の出身者によって占められ、世襲されていない。つまり、足軽は士格ではあっても、武士とは言いがたい身分だった。
 私よりひとまわり若い著者ですが、さすがは東大史料編纂所教授だけあって、いつも史料を駆使した内容で、面白いうえに説得力があります。
(2011年11月刊。1500円+税)

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