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日露戦争・諷刺画大全(上)

カテゴリー:日本史(明治)

著者    飯倉 章  、 出版   芙蓉書房出版
 日露戦争は、東アジアの地域強国に過ぎなかった日本が、大国ロシアに果敢に挑んだ決死の闘いでした。その戦争の推移が世界各地の新聞・雑誌に掲載された諷刺画(ポン千絵)で紹介されています。文字だけの歴史・分析書とは違って視覚化(ビジュアル化)されていますので、とても面白く読めました。
 諷刺画は、戦争をリアルに伝えることを意図したものではなく、また戦場の様子をリアルに伝えるのに優れていたわけでもない。諷刺を生業とする画家は、常に戦争や戦闘を斜に構えてとらえる。そこで、諷刺画は、奥深く幅広い人間の精神がとらえた戦争の一面を表象している。
 日露戦争は避けることの出来た戦争だった。それは日露の対立を背景とし、日露両国が相手の動向を相互に誤解したために起きた戦争だった。日露戦争の原因をロシアの拡張主義のみに求めることは出来ない。その他の深層原因として、日清戦争後の陸海軍における日本の軍拡もあげることができる。
 ロシア側は、日本から戦争を仕掛けることはないと勝手に決め込み、日本側に弱腰と受けとられないため、譲歩を小出しにした。他方、日本側は、戦うなら早いほうがよいという考えもあって早期決着を求めていた。ロシア側が、非効率なうえ、回答を遅らせることに無頓着であったことも、日本の誤解を増幅させた。
 日露交渉では、お互いに政治外交上の妥協点をはっきり示していれば、ロシアが満州を支配し、日本が韓国を支配することをお互いに認める形で決着がついていた可能性もある。日本軍、とくに陸軍の戦略思考を拘束したのは、シベリア横断鉄道が全通したときの動員力の増強だった。日本陸軍としては、相手側の動員力が増強されないうちに優位に戦いをすすめたかった。
 ロシアのツァーは戦争を望む性格ではなく、戦争を欲してはいなかった。そして、明治天皇も、日露開戦をもっとも心配し、開戦に消極的だった。明治天皇は対露戦争に乗り気ではなかったが、国内の主戦派に押し切られた。
 アメリカの世論は、日露戦争の期間、おおむね親日的であり、とくに戦争初期の段階ではその傾向が強かった。
 日露戦争はメディアを通じて、戦争が数日の間隔はあるものの、リアルタイムに近い形で報道された。
 開戦当初、ロシア社会は熱狂的に戦争を支持した。しかし、この戦意高揚も長くは続かず、春ごろから戦争支持は急速に下火になった。敗戦が続いて士気がそがれ、しかも戦争の目的が不明確であったからである。
旅順総攻撃で日本軍は第1回のとき1万6千名もの死傷者を出して悲惨な失敗に終わった。このときロシア軍の死傷者は、その1割以下の1500名でしかなかった。そこで、ミカドが機関銃を操り、機関銃弾として「日本の青年」が次々に発射されていく絵が描かれています。まことに、日本軍は人間の生命を粗末に扱う軍隊でした。
 日露戦争の実相をつかむためには必須の本だと思います。
(2010年11月刊。2800円+税)

花の国・虫の国

カテゴリー:生物

著者   熊田 千佳慕   、 出版  求龍堂
 理科系美術絵本というサブタイトルのついた本です。
 野山の花に虫や蝶が集まっている様子が見事にスケッチされています。
 この前の日曜日、我が家の庭にはクロアゲハチョウが花のミツを吸いに何度もやってきました。暑い夏に咲く花は少ないので、チョウも大変なんだろうなと思いました。
 トンボのデッサンもあります。なんだかトンボの姿を見かけませんね。うちの庭にやって来るのは夏の終わりころのアキアカネくらいのものです。オニヤンマとかシオカラトンボなど、久しく見かけません。いったい、どこへ行ってしまったのでしょうか。それとも絶滅しかかっているのでしょうか・・・・。
 セミの泣き声もまだまだです。今年の夏は、アメリカに素数セミがあらわれているそうです。17年に1度なんて、不思議なこと限りがありません。地球が氷河期に入ったときに生き延びたセミのようですから、すごいものです。セミの身を凍らしてアイスクリームにして食べるという記事を読みました。美味しいということですが、信じられません。セミはアフリカではフライにしてパリパリかじると言います。まだそっちのほうがよほど美味しそうです。
 日曜日には見かけませんでしたが、マルハナバチもやって来ます。丸っこいお尻をさらけ出して、夢中になって花のミツを吸っている姿を見ると、いとおしくなります。
自然は美しいから美しいのではなく、愛するからこそ美しい。まったくそのとおりだと思います。
さすがはチカボ先生のデッサンです。目も心も洗われます。
(2011年5月刊。1800円+税)

津波と原発

カテゴリー:社会

著者    佐野 眞一  、 出版   講談社
 この本を読んで、福島第一原発がなぜ、あの地に立地したのかが分かりました。要するに貧しい地域だったからです。そして、共産党が強くなく、反対運動は強くならないだろうという読みもありました。
大地主の一人である堤康次郎は3万円で買い、原発の敷地を3億円で売った。東電の木川田一隆社長、地元選出の木村守江代議士(後に福島県知事になる)、そして、この堤康次郎の3人で原発誘致は決まった。ボロもうけしたのですね・・・。
 作業員の被曝の許容量は国際基準の20ミリシーベルト。その許容すれすれの人がほとんどだ。だからといって素人では作業がうまくいかないので、全国から経験者を集めている。柏崎や東海の人が多い。最近は、九州からもかなり来ている。
 原発労働は、今は危険手当は1日5万円。ある会社は、日当5万円、危険手当10万円の計15万円という。ある元請会社は20ミリシーベルト浴びると、5年間、作業現場の仕事を補償するという覚書を作業員と交わしている。ここは、人間の労働を被曝量測定単位のシーベルトだけで評価する世界だ。一定以上の被曝量に達した原発労働者は、使いものにならないとみなされて、この世界から即お払い箱となる。炭鉱労働者の炭鉱節と違って、原発労働からは唄も物語も生まれなかった。
 津波は恐ろしい。しかし、それ以上に恐ろしいのが原子力発電所です。日本経団連のトップたちは一斉に、それでも日本は原発が必要だと声をそろえて強調しています。そんな人は、子や孫を飯舘村に住まわせることが出来るのでしょうか。自分と家族だけはぬくぬくと安全なところにいながら、よく言うよと私は思います。
 いったいメルトダウンした燃料棒の始末は誰が、いつ、どうやってするというのですか・・・。住友化学(日本経団連会長の出身の会社)の敷地に引き取るとでもいうのでしょうか。とても、そんなはずはありません。日本の最高の経営トップの無責任さに、泣きたくなります。
原発が安全だなんて、そんな神話にしがみつくのは、この際キッパリ止めましょうよ。
(2011年7月刊。1500円+税)

天平の阿修羅  再び

カテゴリー:日本史

著者  関橋 眞理    、 出版  日刊工業新聞社  
 阿修羅像は、彫刻作品として見ても、空間構成の美しさ、三角のお顔に六臂の腕が、合掌から手が解き放たれて、天空に挙がっていく。そういった時空間が表現されている。バランスの美しい傑作である。鎌倉彫刻のような筋肉隆々の肉体美を見せるものでもないし、ヨーロッパのビーナスのようなものでもない。何もないところに時空間を作り出して行くという表現の素晴らしさがある。
 阿修羅像は、まさしく神々しい仏像の最高傑作ですよね。久しくおがんでいませんが、ぜひまた見てみたいものです。
 模造の阿修羅像は、肉身も裳の部分も朱色の鮮やかな姿で、興福寺にある実物とは印象がまったく違う。しかし、造られた当初はまさしくこの色だった。この色は日本画のエキスパートが一日中ルーペをのぞいて、布と布の間に隠れている色の粒子を見つけ出した。それは執念だ。その人が心の眼で見ている。ぼんやりしている人には見えてこない。
模造とは、単に形を真似るのではなく、使われている材料、構造、制作技術に至るまで、すべてを復元するということ。模造制作の目的は、材料、構造、製作技法を解明し、それを学ぶことによる修理技術者の養成と修理技術の向上である。模造は、現状維持修理を支えるという面をもつ。
 模造のためにつかう道具も、最終的には自分でこしらえる。大工道具は、播州とか新潟東京で主に作っている。彫刻の道具は東京に注文する。計測する道具が必要だが、金属だと図るものを傷めるので、木や竹にして、使い勝手がいいように自分で工夫する。
 像の部品を接着するだけなら誰にでも出来る。肝心なことは、いかに美しく処理できるかということ。プロの仕事はそういうもの。
粘土で原型をつくるとき、師匠が「腕は丸いんじゃない。四角いんだ。丸い腕も本来は四角なんだ。丸い腕でも正面があって、側面があって、背面がある。つまり、球だって四角い。必ず正面があって、側面があって、底面があって・・・・」なるほどですね。
美術院の修理技術者は有機溶剤取扱免許、危険物取扱免許、クレーンの運転免許、レントゲン技師など、各種の免許を取得している。
 奈良の興福寺の阿修羅立像はとても素敵なものですが、実は制作当時は朱色の像で、頭髪も金泥で、まさに茶髪なのでした。まあ、しかし、それはそれでいいものです。
いい本でした。奈良時代の技術が、しっかりしていること、それが現代に再現できるのを知ってうれしくなります。
(2011年2月刊。1000円+税)

リンカン(下)

カテゴリー:アメリカ

著者    ドリス・カーンズ・グッドウィン  、 出版   中央公論新社
 南北戦争が進行していきますが、北部軍の将軍には問題行動が目立ったりして、なかなか南部軍に勝てません。
 それでも、リンカンは、政府と広く全国の両方で派閥の均衡を巧みに操縦するという無類の手腕を発揮した。半島での大敗退で、連邦を救うには並々ならない政策を必要とすることが明白になった事態は、リンカンに、より直截に奴隷制度に取り組む突破口を与えた。
戦場から日々届く戦報は、南部連合がいろいろの方法で奴隷を使役している様子を歴然とさせた。奴隷たちは、軍のために塹壕を掘り、防御施設を建造した。奴隷たちは駐屯地に連行され、御者、料理人、病院の付き添いとして働いたので、兵士たちは雑務から解放されて戦闘行為に専念できた。
 1862年、奴隷解放宣言は、奴隷の身分にあった350万人の黒人に自由を約束した。この宣言書には軍事上の価値があった。北部軍は兵站の問題に直面していた。奴隷の提供する膨大な労働力が南部連合から連邦側に移るなら、とてつもない利益が得られることになる。奴隷解放宣言は、その適用範囲が叛乱軍の戦列の背後にいる奴隷身分の黒人に限られるという点で即効性には乏しかったが、それは、中央政府と奴隷制度の関係を永遠に変革した。それまで中央政府が奴隷制度を保護していた地域で、今やそれは禁止されたのだ。
 黒人連隊を結成しようとする、やる気満々の動きに、リンカンは大々的に賛意を示した。当初は黒人を武装させる提案に抵抗を示したものの、今では、その計画の実施に全面的に打ち込んでいた。
 南部連合議会は、捕虜になった「武装ニグロ」と「ニグロ隊」を指揮する白人士官は死刑か奴隷刑に処すという条例を議決した。したがって、下手すると自由身分あるいは生命まで失う危険があった。
 1863年11月19日、リンカンがケティスバーグの戦場跡で演説したときの状況も紹介されています。このとき、9000人もの聴衆が演台を囲むように半円をなして広がっていた。リンカンの前の演者は、2時間かけて劇的な3日間にわたる戦闘の一部始終を見事に再現した。そのあと、リンカンが演説しはじめた。わずか2分間の演説だった。
 我々がここで語る内容に世界はまず注意を向けないでありましょうし、記憶に留めもしないでしょうが、ここで彼らの成し遂げたことを世界が忘れ去ることは絶対にありえないのです。・・・この国家に、神の道に適った新たな自由の誕生を実現せしめることなのであり、かつまた、人民による、人民のための、人民の政体をこの地上から死滅させないためなのであります。
 聴衆は微動だにせず、言葉なく立ち尽くした。聴衆は、演説のあまりの簡潔さとその唐突な幕切れに息を呑み、その場に釘付けされた。
 リンカンは祖国の物語と戦争の意味を、すべてのアメリカ国民に通じる言葉と現実に置き換えて話した。父親から聞いた作り話を、少年なら誰でも理解できる物語に夜を徹して手を加えた子どもが、今や祖国のために、過去、現在そして未来を編み込んだ理想の物語を完成させたのであった。そして、それは学生たちによって永遠に朗読され、暗誦されることになる。
 常日頃から緊張をほぐすために物語を人前で話すことを習い性にしていた人間(リンカン)にとって、芝居見物は清涼剤であった。リンカンは、定期的に劇場に通い詰めていた。
 リンカンを生涯支え続けたのは、その内面的な底力であった。そして、大統領としての4年間は、彼の自信を計り知れなく増進させた。就任の初日から直面させられた耐え難いほどの重圧にもかかわらず、リンカンが自信を喪失することはなかった。リンカンは周囲にいる者たちの意気を折にふれて鼓舞し、快活さ、やる気、一貫した目的意識をもって同僚たちを心優しく引っぱった。リンカンは最初の過ちに自ら学び、そのおかげでライバルたちの嫉妬を超越し、また年が改まるごとに人間と事象を貫徹する洞察力を深めていった。
リンカンは内閣のなかの内輪もめに気づいていたが、各自がそれぞれの職務を十分にこなしている限り、陣容の改造はまったく不要だと固く心に決めていた。内輪ゲンカを繰り返す内閣たちも、最終的にはほとんど全員が、自分たちのライバル意識と短気に仁慈をもって対応し、ユーモアに訴えで緊張感をやわらげるリンカン大統領に忠節を尽くし続けた。
暗殺犯が3人いて、リンカンだけでなく、副大統領と国務長官の三人を同時に謀殺する企てだったことを知りました。副大統領を暗殺するはずだった男は直前に気が変わった。国務長官は事故にあって寝ていたところを襲われたが、なんとか助かった。
 そして・・・。きちんとしたいでたちの男があらわれて、ホワイトハウス付きの従僕に名刺を渡し、ボックス席に案内された。ひとたびなかへ入ると、拳銃を構え、リンカンの後頭部に狙いを定めて引き金を引いた。
 南北戦争の実情、奴隷解放宣言が出されるまで、そしてゲティスバーグ演説、さらに大統領暗殺・・・。どれもアメリカという国をよく知るうえで不可欠の出来事だと思いながら興味深く、上下2巻の大作に読みふけってしまいました。
 オバマ大統領の愛読書だそうです。本当かもしれないなと思いました。
(2011年3月刊。3800円+税)

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