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千年震災

カテゴリー:社会

著者  都司   嘉宣   、 出版   ダイヤモンド社 
 この本を読むと、日本は古来、いかにも地震の国だということがつくづくよく分かります。そんな地震の巣の上に危険な原子力発電所を50基以上もつくってきたなんて、歴代自民党・公明党の責任は重大ですよね。民主党のだらしなさを非難する前に、国民の前で真剣な自己批判こそが必要でしょう。反省もせずに依然として原発を推進しようとしてますし、海外へまだ原発を輸出しようとするなんて、まさしく狂気の沙汰ではないでしょうか。
 著者は私とほぼ同じ世代の東京大学地震研究所の准教授です。地震学者ですけれど、歴史地震学の権威でもあります。要するに古文書を読めるのです。
 平安時代の歴史書『三代実録』に記された貞観(じょうがん)地震は貞観11年(869年)に起きた。陸奥国で大きな地震が起きて、そのあと津波がやって来たと書かれている。今回の東日本大震災とよく似ている。
 慶長16年(1611年)の慶長三陸津波でも、伊達・南部の両藩で合計2913人が死亡した。田老地区でも海面から21メートルの高さにあった神社の参道の橋が津波で消失している。
 今回の東日本大震災では今のところ前兆が認められていない。しかし、まったく前兆がなかったとしたら、原理的に地震の予知は不可能という結論を出さざるを得なくなる。
本格的な鉄筋コンクリートのビルは津波に強いことが判明した。
 田老町の高さ10メートルの防潮堤は、4メートルずつ2段のコンクリート構造物が単に積み木のように重ねておいてあるだけだった。かみあわせのほぞがないし、鉄筋で上と下を一体化するというのもなかった。これでは見かけ倒しだ。
 江戸幕府が始まってから、東京には3回の大地震が起きている。元禄6年(1703年)の元禄地震、安政2年(1855年)の安政江戸地震、そして大正12年(1923年)の関東大震災である。安政江戸地震は直下型地震で、あと二つは海溝型の巨大地震だった。
 日本人は地震について、文献だけではなく、被害の状況・惨状を絵にも描いて残しているのですね。お城の破損状況を記録した図面まであります。昔から今に至るまで本当に几帳面な国民性なのですね。
 寛政4年(1792年)の島原大変・肥後迷惑のときには、地震も起きていて、大津波は熊本県側にまで被害を与えた。
 韓国は日本に比べて地震の少ない国だが、それでも16世紀から17世紀にかけての
200年間に、被害の出た地震が18回も起きたという歴史がある。
 地震学者って、あのミミズがのたくりまわっているとしか思えない難解な古文書をすらすらと読めることも求められるようです。すごいことです。
(2011年5月刊。1600円+税)

イカの心を探る

カテゴリー:生物

著者   池田 譲 、 出版   NHKブックス
 なんという奇妙なタイトルでしょう。イルカじゃあるまいし、イカに心なんてあるはずないじゃないのさ。そう思ってしまいました。ところが、どっこい、なのです。なんと、イカは意外なことに巨大な脳をもち、ちゃんと学習効果をあげるのです。
 しかも、ほとんど養殖できない。イケスに入れると、たちまち死んでしまうというのです。ウッソー、マサカでしょ・・・。そんな叫び声が聞こえてきそうです。食べて美味しいイカに、なんとなんと心があったなんて・・・。これから気安くイカが食べられなくなりそうです。
 イカは情報を伝達する細胞である神経が発達し、それを統合したところの脳が大きい。イカは海の賢者とも言える存在なのだ。
 南氷洋だけで、イカは年間3400万トンも捕食者に食べられている。これは人間が食べている量より、はるかに多い。世界の海洋には、総量でで2億トンのイカがいると推定されている。
 淡水に生息するイカ、そしてタコなんていない。海にだけいる生き物だ。イカは変態しない。卵から孵化した時点から親と同じイカの形をしている。
 イカの寿命は1年ほど。それなのに、日本列島を南北に往復する大回遊をしている。
 イカの親であるオスもメスも我が子を見ることなく死んでいく。
 イカの養殖はできていない。水族館で生きたイカを常時展示しているところは少ない。イカを水槽に入れると、半日もしないうちにポロリと死んでしまう。
 ヤリイカ飼育成功の秘訣は水質にあった。ヤリイカは清水を好む。
 イカ、とくにスルメイカは神経質というか慎重であり、人が与えるものを簡単には受けとってくれない。しかも、エサが生きた状態でないと受けとってくれない。
 イカは仲間のお互いの行動を実によく見ている。
 スルメイカは、今もって全生涯を水槽内で飼育することができない。
 イカの眼はヒトと構造がよく似たレンズ眼だ。コウイカの視力は0.6ほど。
 イカは、体の色もパターンも瞬間的に変えることができる。
 群れをつくるアオリイカには順位制が認められる。繁殖相手のメスをめぐり、また、エサをとるときにも順位が形成される。
 イカは奥行きがあることが分かり、記憶力を持つ。
 アオリイカを鐘の前に置くと、強い関心を示す。鐘に映っているアオリイカは自分だと認識している可能性がある。
 イカは体色を変えてカモフラージュするが、それは貝殻という楯を捨てた代替戦略として、神経系を発達させ、高精度のレンズ眼をもち、高度な情報処理が可能な巨大脳を手に入れた。
 うむむ、こうなると、イカの活きづくりも、ただ単に美味しいというだけでは食べられなくなりますよね。学者って、すごいです。
(2011年9月刊。1300円+税)

玉と砕けず

カテゴリー:日本史

著者   秋元 健治 、 出版   現代書館
 大場大尉、サイパンの戦いというサブタイトルのついた本です。最近、映画にもなりました(私はみていません)。
 日本軍が例によって玉砕戦法でバタバタ死んで行ったサイパン島で、終戦のあと、12月まで山中にたてこもり、ついにアメリカ軍と「停戦協定」を結んで投降してきた日本軍集団がいたなんて、驚きますよね。そのリーダーが31歳の大場大尉だったのです。戦後は日本で会社を経営し、市会議員にもなったということです。よほど運も良かったのでしょうし、リーダーシップ(統率力)があった人物なのでしょうね。たいしたものだと感嘆しました。
 サイパン島には、1943年8月、日本人が3万人近く、島人(チヤモロ人)4千人がいた。
 サイパン島ではサトウキビ畑から製糖工場があり、日本本土へ砂糖を販売していた。
 サイパン島の最大の町ガラパンは最盛時、人口1万4千人となり、「南洋の東京」と呼ばれるほどにぎわった。
サイパン島の日本軍守備隊は陸軍が2万8千人、海軍が3万人、合計3万1千人ほど。
 1944年6月15日、アメリカ軍4万3千人が上陸、攻撃を開始した。1週間で日本軍兵士は1万5千人と半減した。そして、民間人1万8千人以上が山中で北方へ逃避行を始めた。
 6月24日、東京の大本営は、サイパン島奪回作戦を中止した。生き残った日本軍将兵は見殺しにされたわけである。
 1945年12月1日、大場大尉の率いる日本兵47人がアメリカ軍と停戦協定を結んで投降した。
 よくぞ終戦後の半年以上も、山中に隠れて生きのびたものですね。アメリカ軍の方も無駄な戦闘でアメリカ兵の死傷者を出したくはなかったようです。
 それにしても、日本軍上層部の玉砕戦法、精神一到主義というのは、おぞましい限りですよね。この過ちが繰り返されないようにするのは、現代に生きる私たちのつとめです。
(2011年3月刊。2000円+税)

一瞬と永遠と

カテゴリー:社会

著者  萩尾 望都  、 出版  幻戯書房  
 私は著者の漫画を全部読んだわけではありませんが、そのいずれにも驚嘆したことを覚えています。『ポーの一族』『11人いる!』『残酷な神が支配する』は読みました。そのストーリーといい、画(絵)といい、その感嘆は言葉になりませんでした。
 本書は著者の長年のエッセーを集めたものです。絵だけでなく、文章も秀逸でなかなかのものです。奈良の復興寺で阿修羅像を見て、そのそばのソファーで著者がぐっすり眠ってしまったという話には笑ってしまいました。意外に図太い神経の持ち主のようですね。
 著者は17歳のときに漫画家になる決心をしました。それは手塚治虫の『新選組』を読んだときのこと。うひゃ、すごいですね。17歳にして早くも漫画家を志したとは・・・・。早熟なんでしょうね、きっと。
 著者の少女時代(もうちょっと年長かな・・・・)、母親との関係は最悪だったと語られて、います。マンガぐらい黙って描かせてよ。不良になっているわけでもないんだし・・・・。
 禁じられているマンガを描くなんて、なんて悪い娘でありましょう、申し訳ございません。怒りと罪悪感とをシーソーしていた。うむむ、今では偉大なマンガもかつては大変だったのですね・・・・。
 実は、私は著者の母親については、子どものころ、私の家によく来られているので知っているのです。母は女学校時代の仲良しだったようです。それで、著者の最近の顔写真が新聞に紹介されたとき、思わず、お母さんにそっくりじゃん、とうなってしまったのでした。       
子どもって、大きくなると親にますます似てくるものなんですよね。著者もその一人なのでした・・・・。ますますのご活躍を期待しています。
(2011年6月刊。1800円+税)

アイドル進化論

カテゴリー:社会

著者   太田 省一 、 出版   筑摩書房
 テレビをまったく見ない私にとって、アイドルというのは別世界の存在なのですが、それでも別世界で今何が起きているのかは気になりますので、こうやって本は読むわけです。グラドルという言葉があるのをはじめて知りました。グラビアアイドルのことです。今ではアイドルの中心勢力の一角として、すっかり定着した。うひゃあ、そうなんですか・・・。しかも、グラビアアイドルという呼び名は他人につけられて甘んじて引き受けるレッテルというよりは本人の意思による選択の証なのである。そうなのですね、知りませんでした。
 グラドルの台頭は、アイドルと名のつく存在が様々な分野に生まれる日本社会のアイドル化の最終段階を示している。
 山口百恵は、その自叙伝のなかで、『スタ誕』をみていて、ある日、そこに13歳の少女が登場した、私と同い年、そう思ったとたん、私にもできるかもしれないという気持ちが芽生ええはじめ、中学2年の夏休み、友人と何人かで応募のハガキを出した、と書いている。森昌子、桜田淳子、山口百恵の花の「中三トリオ」の誕生である。
 ピンクレディーの4作目の「渚のシンドバット」(1977年)は、ついにミリオンヒットを達成した。この大ヒットを牽引したのは、当初はターゲットから外されていた子どもたちだった。子どもたちが振り付けを覚えて、こぞって踊り出すという光景が社会現象になった。作詞家(阿久悠)からすると、ある意味で、それは誤算だった。
ピンクレディーは、作り手の意図によって完璧にあやつられる存在。いわば、ピンクレディーという名ひとつの巨大娯楽プロジェクトになっていた。ファンの側が想像をめぐらせ、何かを読み込めるような余白はもはや存在しない。そのとき、ピンクレディーはアイドルではなくなった。
 バラドル、つまりバラエティー・アイドル。とんねるずは、お笑い芸人からアイドル歌手へと、その境界を乗り越えていった。バラドルはアイドル歌手から芸人へと、その境界を越えていく。
アイドルファンにとって、アイドルの「失敗」は、楽しみの一つである。アイドルが成功することも重要だが、むしろ、そこに至るまでの「過程」においてアイドルを応援し分析することの方がプライオリティーが高い。その意味で、「失敗」もまた楽しみなのである。
韓国人によると、日本ではアイドルはファンが一緒に育てていく存在だという指摘がなされています。なるほど、そういうことなのでしょうね。
 アイドルとは、社会が学校化し「若さ」が義務になってしまうような状況のなかで、「若さ」を権利として再発見させてくれる存在ではないか。うむむ、そんな見方も成り立つのでしょうか。
 アイドルとの関係の中で、ファンは義務化された「若さ」から解放され、自由な気分を取り戻す。そこには、大きな「快楽」がともなうだろう。日本人がアイドルによって「若さ」を反復しようとするときに欲しているのは、実はこの「快楽」なのではないか。それは、学校的な空間から「若さ」を解放し、別の可能性を求める心の声なのである。
 むむむ、なんだか分かったようで分からない解説というか指摘です。
(2011年11月刊。1700円+税)

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