弁護士会の読書

※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。

アジア

2013年6月27日

日本の東南アジア外交

著者  桂 誠 、 出版  かまくら春秋社

40年ぶりに大学のクラス同窓会に出席したところ、外務省に入って大使になった人がいることを知りました。その彼が退官して本を書いたとメールで知らせてきたので、早速、読んでみました。
 クラスの同窓会と言えば、かの有名な舛添要一議員もその一人ですが、彼は同窓会には参加していませんでした。
 著者はフィリピン大使をつとめました。日本は戦前フィリピンに侵攻し、支配していました。慰安婦問題をふくめてフィリピンの人々には大変な迷惑をかけています。
著者はフィリピン大使として、次のように挨拶した。
 「自分は戦後生まれであるが、第二次大戦中に旧日本軍が与えた損害に対して衷心から申し訳ないと考えている。これを毎年2回の公式行事のなかで表明している」
 そうなんです。加害者は忘れても、被害者はずっとずっと覚えているものなんです。戦前の日本人が何をしたのか、そのことにきちんと向きあってこそ、日本の未来は開かれるのです。これは決して「自虐史観」というようなものではありません。
 ですから、著者は村山総理の謝罪談話を必要なものとして評価しています。まったくそのとおりです。安倍首相の見直し発言は明らかに外交上マイナスです。
対フィリピン援助国のなかで、日本は圧倒的なシェアを占めている。ODAについてもそうです。
 私は、20年以上も前に、レイテ島に行って日本のODAの現状を視察したことがあります。山奥にたどりついた地熱発電所は三菱重工業のつくったもので、日本人も駐留していました。ところが、周辺の住民はその発電所の生み出す電気の恩恵を受けていなかったのでした。何のためのODAなのか、疑問も感じながら帰ってきました。
 2010年、日本はフィリピンの輸出先としてアメリカを抜いて一位となった。
フィリピンの財界は華僑系が多いことを再認識しました。
 現在のフィリピンの著名な富豪20家族のほとんどは華僑である。アキノ大統領はコファンコ家であり、曾祖父が福建省から移民してきた。華僑系でない富豪は、アヤラ家、ロペス家、アボイティス家くらいだ。
 そして、「フィリピン商工会議所」の幹部は、ほとんど華僑である。しかし、華僑系の人が財界に進出する例は多くはない。
 フィリピンは総人口の1割に相当する900万人以上が海外への出稼ぎ労働者として出している。これらの者の安全を図ることがフィリピン外交の柱の一つとなっている。
 このほか、ラオスやミャンマーについても触れられています。外交官としての実感から、平和外交の大切さが語られている本だと思いました。中国との領土紛争にしても、外交交渉でゆっくり解決すべきものです。軍事力に頼る発想は下策というほかありません。
(2013年5月刊。1500円+税)

2013年5月 9日

ラスキンの『この最後の者にも』、その真髄

著者  M.K.ガンジー 、 出版  加島・田中法律事務所

私の尊敬する大阪の加島宏弁護士が翻訳して送ってくれたガンジーの本です。わずか40頁ほどの薄っぺらな本ですが、まさしく現代に通用する鋭い指摘に驚嘆させられます。
 それにしても、ガンジーが暗殺されたのは1948年、私が生まれた年だったのですね。
 加島弁護士は、昨年8月に古希を迎えたのを期に、ガンジー全集の日本語版出版を決意したということです。といっても、マハトマ・ガンジー全集って、100巻あるそうですから、大変なことです。かげながら応援したいと思います。ここで紹介するのも、その応援策の一つのつもりです。
経済学は科学の名に値しない。労働者がストライキに打って出た場面では経済学は何の役にもたたないからだ。
何の経済的利益も期待しないで使用人に親切を施す者は、すべての経済的利益を手にするだろう。まさに、命を守ろうとする者はそれを失い、命を捨てる者は、それを得る。
兵士の務めは、実のところ人を殺すことではなく、人を守るために自分の命を投げ出すことにある。世間の人々が兵士を尊敬するのは、国を守るために兵士が命をかけているからである。
 法律家、医師、聖職者が尊敬されるのも、自己犠牲の精神で働いてくれるからだ。法律家は、ひとたび裁判官席に座ると、どんな結果になろうとも、ひたすら正義にかなった判決を目ざす。医師は、どんな困難な状況の下でも、患者のために腕を奮う。聖職者も、同じように信徒たちを正しい道に導くことに努める。
 文明国には、5つの偉大な知的職業がある。
 兵士の仕事は、国を守ること。
 司祭の仕事は、国を導くこと。
医師の仕事は、国民の健康を保つこと。
 法律家の仕事は、国に正義を行き渡らせること。
 商人の仕事は、国中に生活物資を供給すること。
 工場の支配人は、常に、その息子を遇するように他の工員全てを遇さなければならない。これこそが、経済学における、唯一の、効果的で、まっとうで、かつ実際的な法則なのである。
 富の本質は、人を動かす力にある。外見上はっきりした富であっても、もしこの力を失ったなら、それはもはや富とは言えない。
 富を極めることは、新鮮な空気をいっぱい吸い、目を輝かせた、幸せいっぱいの人をできるだけたくさんつくり出すこと。
 富を増やそうとして貧者から搾りとる者は、富を失う。乏しいからといって、貧者から奪ってはいけない。相手の弱みにつけ込む商売をしてもいけない。弱者を虐げた者の魂は、神によって壊されるだろう。
 競争は国家の為になるという経済学者の説は間違っている。競争の結果、労働者はより安い賃金で働かされ、金持ちはますます豊になり、貧しい者はますます貧しくなる。長い目で見れば、国家はそうして滅んでいく。働く者は、その能力に応じた適正な賃金を支払われるべきである。
 人間の強欲に起因して地球上のあちこちで繰り広げられている不正義の戦争は、現代の資本家たちの責任である。
 お金というものは、使い方によって悲劇を生んだり、幸福をもたらしたりする道具なのである。
お金、富、貧困そして仕事をじっくり考え直すことのできる珠玉の言葉がここにあります。お互い、ゆっくりかみしめたいものです。
(2013年3月刊。非売品)
 5月の連休、どこにも出かけず、仕事をしていました。ただ、例年どおり子どもの日には近くの小山にのぼりました。急勾配の山道をのぼるときはなんでこんな苦労するのかと思うのですが、見晴らしのよい頂上に立つと、気宇壮大な気分になって、先ほどの苦労が吹っとんでしまいます。
 ウグイスの鳴き声を聞きながら、下界を見おろしつつ、おにぎり弁当をほおばるのは至福のひとときです。さすがに子どもの日なので、親子づれで頂上はにぎわっていました。

2013年5月 2日

東アジア共同体

著者  山本 吉宣・羽場 久美子ほか 、 出版  ミネルヴァ書房

国際政治から考える東アジア共同体。というのが正式なタイトルです。「東アジア共同体と朝鮮半島」(李鍾元論文)を中心に紹介します。
朴正熙政権は、経済の立て直しのため、日韓国交正常化を強行し、ベトナムへ派兵したが、その実績を足場としてアジアの反共諸国を束ねるASPACの創設を主導した(1966年)。ASPACは韓国の主導で実現した初めての地域機構だった。しかし、短命に終わり、冷戦的な反共主義の色彩が強かったため、日本ではそれほど注目されなかった。
 盧泰愚政権は、一方ではAPECの創設に積極的に加わりつつ、中ソおよび北朝鮮との関係改善を視野に入れた「北方外交」を展開した。
 金大中政権から「東アジア共同体」構想を本格的に打ち出しはじめた。
 金大中大統領が東アジア地域外交に力を入れたのは、通貨危機に直撃され、国際通貨基金(IMF)の管理下に入った韓国経済にとって、日中を中心とした域内協力体制の構築が重要であるという経済的要因に加えて、国際舞台での活躍を通して、南北関係の改善に弾みをつけたいという思惑があった。
 「東アジア共同体」構想を牽引した金大中外交のつまずきは、韓国にとって、北朝鮮問題を中心とした「北東アジア」の地域協力が同時に推進すべき重要な課題であることを改めて突きつけるものであった。
 2011年11月、インドネシア(バリ)で開かれた第6回東アジア首脳会議にアメリカとロシアが初めて正式メンバーとして参加した。
 当初、ASEAN+3の12ヶ国で始まった「東アジア」がアメリカからインドにいたる18ヶ国体制に拡大した。直接的には、増大する一方の中国の影響力を牽制するため、ASEANとオーストラリアが勧めたバランス外交だった。
 世界的な冷戦が終結した1990年代以来、韓国は「アジア太平洋」と「東アジア」「北東アジア」の間を揺れつつ、経済的な地位統合と朝鮮半島の脱冷戦という二つの課題を視野に入れ、さまざまな地域戦略を模索してきた。
 民主党・鳩山政権の「東アジア共同体」とその後の著しい鳩山たたきは、アメリカをアジア外交戦略から外せば、日本のどの政権であれ生き残ることはできないことを白日の下にさらした。鳩山民主党政権は、国民やメディアの支持基盤を固めることもないまま、米国外交から離反しようとして、アメリカと日本国内の双方から総攻撃を受けて沈没することを余儀なくされた。
 アメリカはアジアの国ではない。しかし、アメリカはアジアと中途を支配することによって世界大国となったといってよい。
 アメリカの戦略は、アメリカが政策に関与し続けることが第一目標であり、中国を排除するのではなく、むしろ連携しようとしている。ただし、それはアメリカの圧倒的な優先性の下にである。
 EUのように東アジア共同体をつくる試みがあること、それは平和の確保のための努力でもあることを学ぶことができました。
(2012年4月刊。3200円+税)

2013年2月11日

3万冊の本を救ったアリーヤさんの大作戦

著者  マーク・アラン・スタマティー 、 出版  国書刊行会

アメリカのイラク侵攻戦争は、その初めからインチキでしたよね。大量破壊兵器をイラクのサダム・フセイン政権が隠し持っているというのが侵攻戦争の大義名分でした。しかし、どこにも、そんなものはありませんでした。初めから嘘っぱちだったのです。
 それでも、アメリカ軍はイラクに侵攻し、日本もそれを支えました。膨大なお金をアメリカ軍に投じただけではなく、自衛隊はアメリカ軍将兵の運送事業に従事したのです。兵站(へいたん)は、戦争参加の重要な一環です。
ですから、名古屋高裁判決が日本政府のイラク派兵を憲法に違反していると明確に判断したのは画期的なことですが、当然でした。
この本は、イラク戦争のとき、アメリカ軍と一緒にイギリス軍が侵攻してきたバスラの図書館から、3万冊の本を運び出して、戦火にあうのを免れたという実話をマンガで紹介しています。
マンガでイラク戦争の一局面を知ることが出来ました。このマンガを描いたのは、アメリカ人です。政治風刺画やマンガをよく描いているそうです。
 マンガによってイラク戦争の真実を知ることができました。
(2012年12月刊。1400円+税)

2012年9月 2日

フィリピン民衆、米軍駐留

著者   ローランド・G・シンブラン 、 出版    凱風社 

 日本の首都・東京にアメリカ軍の基地が今もあるなんて異常ですよね。でも、なぜか多くの日本人はアメリカ軍が日本を守っているものと錯覚して、それを変なことだと思っていません。だけど私は、やっぱりそれって変だと考えています。戦前のような「鬼畜米英」と言いたいなんていうことではありません。そうではなくて、アメリカ軍が日本人を守るなんて、ありえないことでしょう。なぜなら、日本軍だって日本人を守ったわけではないからです。軍隊には軍隊の論理というものがあり、軍人でないものは、いつだって二の次の存在でしかありません。だから、アメリカ軍がフツーの日本人を守るはずなんてないのは当然なのです。そのイミで、日本人は「平和ボケ」していると私も思います。これは通常の意味と正反対のものとして・・・・。
フィリピンは、アメリカ軍の基地を全廃してしまいました。もちろん、簡単に達成したわけではありません。
 フィリピン上院は、伝統的に保守的かつ親米的であり、未来の大統領が政治的研鑽を積む場所だとされてきた。この上院がアメリカの不興を買ってまで基地条約の延長を拒否した。なぜか?
 経済的に貧しく、政治的にも不安定な国が、世界唯一の超大国を相手に一歩も引かず、「アメリカの鼻をひねりあげる」ようなことができたのは、なぜか?
多くのフィリピン人は、アメリカが独裁政権を支援しようとした理由が、上院議員をふくめて理解できなかった。アメリカが、本当はフィリピンの民主主義に興味などなかったことは、当時のフィリピン人と国会議員たちにとって明々白々のことだった。
 1991年9月16日は、フィリピンにとって勝利の日だった。弱い者いじめのアメリカは、フィリピン上院をだまして基地条約という重荷を背負わせようとしていた。そのとき、12人の偉大な上院議員が、その企みを打ち砕いた。
アメリカ軍が出ていった基地のあとにフィリピン軍が入ったのではありません。平和利用されたのです。
 2008年6月、フィリピンにあったアメリカ軍の基地のあとに働くフィリピン人労働者は3倍となり、290億円もの歳入がフィリピンの国庫にもたらされている。軍の施設や弾薬庫は、甲状、レストラン、商業オフィス、レジャー施設そして大学などに転用された。いまや、旧クラークとスービックの米軍基地跡だけで、12万人に近い労働者が働く、フィリピン最大の労働集積地となっている。
 著者はフィリピン大学マニラ校の教授です。日本にも、たびたび訪れていて、交流を深めています。
 この本を読むと、日本から米軍基地を撤去させることができたなら、日本の経済が大きくプラスに働くことが示唆されています。そして、日本人がその誇りを取り戻すことができることになります。いつまでもアメリカ頼り、アメリカ言いなりという、情けない日本の「外交」を一日も早く転換したいものだと思わせる本でした。
(2012年6月刊。2000円+税)

2012年6月 9日

インド・ウェイ、飛躍の経営

著者   ジテンドラ・シンほか 、 出版   英治出版

 インドの企業はすごい。
 2010年に、インドはアメリカ、中国、日本に次ぐ世界第4の経済大国となった。日本のGDPは4兆3100億ドルに対して、インドは4兆100億だ。インド経済は、年7~8%の成長を続けている。
 日本とインド企業との連携の好例は、スズキだ。インドの自動車市場の45%のシェアである。
インド・ウェイとは、よその国とは異なるインド企業独特の組織能力、マネジメント慣行、そして企業文化の複合体だ。それは、作業員とのホリスティック・エンゲージメント、ジュガンドの精神、創造的な価値提案、高度な使命と目的の4つの原則から成っている。
 アメリカのMBAプログラムに入学するために必要なGMATの受験者は、10年間にアジアで74%増加したが、中国は161%、インドは341%も増えた。
インドでの販売の最大の課題の一つは、従来のマスメディアが人口の半分にしか届かず、5億人をこえる人が企業の製品やブランドについてほとんど知らない。およそ60万の村落の分散している農村部の住民は、新聞、電子メディア、鉄道につながっておらず、また半分以上は道路でさえ都市と接続していない。
 インド企業の驚くべき成功にもかかわらず、多くのインド人が貧困に窮しており、3億人以上の人々が1日1ドル以下で過ごしている。幼児期の死亡率は依然として高く、1000人の出生について57人が死亡する(アメリカでは7人)。
インドの中間層は急激に増えており、田舎の生活から離れ、新しい格差を生み出している。政府における汚職だけでなく、ビジネスにおける汚職も、インドでは日常的となっている。
 ごく低収入の人々に、ごく安い価格でアプローチするビジネスが生まれました。
 きわめて多数の顧客人口に対して、非常に低コストの通信サービスを提供した。世界でもっとも安いケータイ料金が1分10セントのとき、インドでは1分1セントというものだった。
 なーるほど、数は力なりですね。どんなに安くても、数が多ければ商売として成りたつというものです。
 世界に冠たるインド企業の内実を少しだけ知った気にさせる本でした。
(2011年12月刊。2200円+税)

2012年5月 3日

シャンタラム(上)

著者   グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ 、 出版   新潮文庫

 インド(ボンベイ)のスラム街の生活が描かれています。
 長大な小説の第1巻ですが、自身の体験をもとにしていますので、その迫力は絶大なものがあります。
インドとインド人についての単純な、それでいて驚くべき真実は、インドに行ってインド人と付きあうときには頭より心に従った方が賢明だということだ。その真実がこんなにもあてはまる国は、世界中どこを探してもほかにない。
 不誠実な賄賂はどの国でも同じだが、誠実な賄賂が存在するのはインドだけだ。
 ええーっ、本当でしょうか。信じられませんね。そう言えば、最近もインドで、賄賂をなくせという集会とデモがあったと報道されていました・・・。
 主人公はオーストラリア人。刑務所を脱獄したから、もはや本国には戻れません。
 刑務所で暮らすということは、何年ものあいだ、午後の早い時刻から翌日の午前の遅い時間まで、毎日16時間も監房に閉じ込められ、日の出も日没も夜空も眼にすることがないことを意味する。つまり、刑務所で暮らすということは、太陽と月と星を奪われることを意味する。
刑務所は地獄ではなかったが、もちろん天国も見あたらなかった。それはそれで地獄にいると同じくらい悲惨なことだ。
 人市場で子どもたちが売りに出されている。しかし、この子どもたちは人市場にたどり着かなかったら死んでいただろう。餓えに苦しめられ、すでに自分の子どもの一人かそれ以上が病気になって死んでいくのを見てきた親たちは、「人材発掘人」が来てくれたことに感謝し、ひざまずいて彼らの足に触れ、息子や娘を買ってくれと懇願する。せめて、その子の生命だけでも助けたいという思いからだ。
 これって、本当なのでしょうか・・・。哀れすぎです。
 主人公はボンベイのスラムで医師まがいのことをして、住民の生命を救い、頼りにされるのでした。インドは行ってみたい国ではありますが、とても行く勇気はありません。
 そんなインドに住みついた白人脱獄囚の冒頭にスリルにみちた話が展開していき、次はどうなるのかと恐る恐る頁をめくっていきました。
(2011年12月刊。990円+税)

2012年4月18日

経済大国インドネシア

著者  佐 藤  百 合 、 出版  中公新書

 インドネシアという国には、あまりいい印象がありませんでした。長く軍部独裁が続いてきた国で、9.30事件では共産党をはじめ民主的人士を大量虐殺し、近くはチモール独立運動も圧殺した国というイメージです。
 ところが、この本によれば、そんなインドネシアが最近ぐんと変化したといいます。
 インドネシアの人口は2億4000万人。日本の2倍。ロシアの1.7倍。日本とメキシコの2倍。経済成長率の高さでは、中国・インドが突出していて、それに続くのがインドネシアである。
2004年、インドネシアは建国史上初めての直接大統領選挙を成功させ、ユドヨノ大統領が誕生した。これをもってインドネシアに民主主義体制が確立したといってよい。
 インドネシアでは、毎年200~250万人の新規参入労働力が発生する。
インドネシアは多民族国家である。1128の民族集団と745の言語がある。インドネシアは、6000あまりの無人島を含む、1万7504の島々から成る最大の群島国家である。インドネシアの国語は、最大民族集団のジャワ人のジャワ語ではない。文法がシンプルで表記が簡便なムラマ語(マレー語)を国語としている。
 インドネシアは総人口の88%、2億1000万人がイスラム教徒、世界最大である。しかし、インドネシアはイスラム教を国教とはしていない。ヒンドゥー教のヴィシェヌ神を背に乗せて飛ぶ神の島、ガルーダを国章にしている。インドネシアという国は、各地の多種多様な民族がオランダを共通の敵として共にたたかったという歴史的事実を唯一の根拠として誕生した国である。
 インドネシアでの現地生産の長い日系企業のなかではインドネシアの作業員の質の評価は高い。手先の器用さ、眼のよさ、作業効率の高さ、忍耐強さなどである。
 インドネシアの輸出相手国として、日本は原油・天然ガスの最大の仕向け先として一貫して第一位を占めている。
 うむむ、日本って、インドネシアとそんなに深い関係だったのですね。
 日本から見て、インドネシアは最大の援助対象国である。ODAについて、日本政府からの債務が270億ドルで44%を占める。
 しかし、同時に日本はインドネシアを南進策の下で占領した歴史がある。インドネシア人の日本観も、日本による軍事占領の歴史を起点としている。
 そうなんですね。日本人の私たちの忘れがちなところです。加害者は忘れても、被害者は忘れることができないものです。
 インドネシアの今日を、ハンディに知ることのできる貴重な本でした。

(2011年12月刊。840円+税)

2012年2月20日

僕は日本でたったひとりのチベット医になった

著者   小川 康 、 出版   径書房

 実に面白い本でした。一日中ずっと読みふけっていたい本です。
 何が面白いって、チベット医学を日本人が学び、それを習得するまでの苦労が生き生きと、手にとるように描かれています。笑いあり、涙あり、驚嘆すべき暗誦ありの日々なのです。
 1970年生まれですから、いま41歳でしょうか。東北大学薬学部を卒業し、しばらく人生の展望を見失っているとき、ひょんなことからチベットに渡ったのです。なんという運命でしょう。チベット医学を学ぶときには、外国人枠(ヒマラヤ枠)で入学できたのでした。
それにしても、短期間のうちにチベット語を習得し、仏教、歴史その他の科目で500点以上(1000点満点)を獲得しなければならないのを突破できたというのですから、実に偉い。なみの努力ではここまでできませんよね。
 試験問題は、たとえば、薬師如来のご身体の色は何色か。その理由を述べよ、というものです。うひゃあ、こんな問題に答えきれるなんて・・・。
 朝7時に起床し、お堂で読経が始まる。般若心経、文殊菩薩、ターラ菩薩のお経を次々と猛烈なスピードで諳んじていく。
ヒマラヤで薬草を採る実習がある。20日間にわたる実習が続く。奈良の正倉院に納められている薬草を調べると、そのひとつがヒマラヤのホンレンであることが判明した。丸一日かけてとってきた薬草を乾燥させると、たった手のひら一杯ほどになってしまう。
 ここでは、教典(四部医典)と解読書を90分のうちに早口言葉のスピードで暗誦させられる。
 著者は、なんとこの暗誦に挑み、成就したのでした。座布団の上で足を組み、背筋を伸ばす。そして、薬師如来の祈りの言葉を捧げると、大きく深呼吸して眼を閉じた。抑揚をかなり大げさにつけた語り口で暗誦を続けた。
 1年に1日だけ、それも満月の光のもとでしか作ることのできない神秘の薬がある。その名も月晶丸。最後に牛乳を混ぜる作業は必ず満月の下で行わなくてはいけない。
 うむむ、この神秘一番の薬はぜひとも服用したいものですね。いったい何に効くのでしょうか?おもに胃かいようなど、胃の熱病に用いられるとのことです。
 順風満帆のように思われる5年間の勉学生活ですが、実はまったく違います。1年のときは快進撃でした。しかし2年生のときはノイローゼになり、3年生で休学し、そして、4年生で復学して、ついに卒業にこぎつけたのです。まさに七転八倒の学園ドラマを演じたのでした。しかし、それにしてもチベット人のなかで日本人一人よくもがんばったものです。すごいです。偉いものです。
 卒業のとき、著者は、4時間半に達成することができたのでした。ここまでくると、読んでいる私も、自分のことのようにうれしくなってしまいます。
 果てしなく続く暗誦です。ええーっ、4時間半も座って暗誦するなんて、とんでもないことです。まさにカミワザですね。そのときの写真が紹介されています。教師や学友たちに囲まれ、広くない講堂の中央に座って暗誦している姿です。途中から、著者がずっと可愛がっていた野良犬が二匹、著者のそばに寄り添っていたというのも嘘のような話でした。
 こうやって著者はチベット医(アムチ)になったのでした。暗誦できるのがどれだけ医者として役に立つのかなどというのは無用の詮索です。すごい勉学の日々でした。読んでいるうちに、なんとなく、私もまだがんばれるかもしれない。そんな不思議な気持ちになりました。
 ちなみに、著者は、今は長野県小諸市で「アムチ薬房」を開設し、チベット医学とともに日本古来の伝統医療の紹介・普及につとめているとのことです。いちど、お世話になりたいと思いました。
 いい本をありがとうございました。
(2011年10月刊。1900円+税)

2011年11月19日

悲しきアフガンの美しい人々

 著者 白川 徹、 アストラ 
 
 泥沼のアフガニスタンへ今、日本の自衛隊もアメリカの目下の軍隊として出動しようとしています。とんでもないことです。
 福岡県出身の中村哲医師のペシャワール会の営みを支援することこそ日本政府のなすべきことではありませんか。軍隊を派遣して平和を回復することなんて出来っこありません。もし、それが出来るというのなら、世界最強のアメリカ軍だけで足りたはずではありませんか。
 アフガニスタンの実情が写真とともに詳しくレポートされている本です。表紙にある少女が泣いている写真は問題の本質をついたものです。本当に泣きたくなりますよね。
 アメリカ軍は「人道援助」を隠れ蓑とした武装勢力の捜索をする。それによって村民の反発が高まっている。アメリカ軍の「人道援助」なるものは、名ばかりのもので、その内実は旧日本軍の宣撫工作に近い。住民を味方につけ、敵の情報を得るという行為は、「人道」という言葉にそぐわない。
 アフガニスタンでは、男性の識字率は50%、女性は15%未満でしかない。
 アフガニスタンの知識層の多くは戦乱のなかで、祖国を捨てて欧米などに移住した。いまの福島からの「自主避難」と同じことですよね。
 アメリカは、イラク戦争をふくめて6000人以上のアメリカ人青年の生命を失い、また総額1兆ドル(80兆)もの巨費を支出した。それだけの支出に見合う「収入」があったとは、とても思えない。
 ペシャワール会のアフガニスタンでの活動が紹介されています。そして、それが見事に現地で定着していることを知ると、同じ日本人として誇らしい気分になります。
 ペシャワール会が水路をつくった周辺にはケシ畑はない。十分な水があれば小麦や米の栽培が可能であり、わざわざケシ栽培という「やばい橋」を渡る必要がないからだ。
 軍事ですべてが解決するなんて、まったくの幻想だと思いました。もっと日本は平和憲法、九条の精神を世界に広める努力をしていいし、すべきだと思います。
         (2011年9月刊。1700円+税)

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