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意識はどこからやってくるのか

(霧山昴)

著者 信原 幸弘・渡辺 正峰 、 出版 ハヤカワ新書

 哲学者(信原)と神経科学者(渡辺)が意識について対話した本(新書)です。

 人間の意識を機械に移すことで、不死を実現するという考えがあるそうです。でも、そのとき、生身の人間は滅びているのでしょうから、他者との対話は出来たとしても、親密な交流ができるとは思えません。

意識は胸のハートにあると昔は考えられていました。でも、今は頭の中の脳にあるはずです。ところが、脳で起きているのは電気信号の伝達であり、シナプスを介しての神経伝達物質の受け渡しです。つまり、純粋に物理的な事柄ですから、そこに意識があるというのには無理があります。

 結局、つきつめて考えたら、意識は機能だと結論づけるしかない。

 研究対象とされているショウジョウバエの脳のニューロンは14万個だけ。それに対して人間の脳のニューロンは860億個もある。このニューロンの接続する神経回路全体をコネクトームと呼ぶ。現在の技術レベルでは、コネクトームの解析には何十年もかかってしまう。

 モルモットの頭蓋骨を開けて、そのまま溶液に浸し、脳だけを丸ごと1週間ほど生かしておける技術がすでに開発されている。うひゃあ、そんなことが出来るのですか…。

 人格の同一性について、哲学的には身体説と記憶説の二つがある。身体説は、身体が時空連続的なら人格は同一だと考える。記憶説は記憶がつながっていれば同一だと考える。

人間の体は、原子レベルでは常に物質は入れ替わっていて、過去と今とで同じものではない。青虫が蝶になっても同一性があるとみる。そうなんですよね、どんなに形と動きが違っていても…。

 不死というのは終わりがないので、物語ではなくなる。なので、不死になると、物語であることの価値が失われる。つまり、物語というのは、始まりと終わりがあって完結するもの。それによって、人生に意味があるかないかという評価が可能になる。

 もちろん、みんな死にたくはないわけです。でも、逆に死なないというのは終わりがないということなんですね。それも、ちょっと怖い気がします。

 死が怖いのは、自分という存在が消滅することに対する恐怖があるから。大往生とは、ウェルビーイングな人生を実際に生ききったということ。

 意識はどこにあるのか、どうやって生まれるのか、この本を読んでもすべては分かりませんでしたが、これからも考えていくつもりです。その材料というか、手がかりになりました。

(2025年2月刊。1160円+税)

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