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ギャンブル依存国家、日本

カテゴリー:社会

                                    (霧山昴)
著者  帚木 蓬生 、 出版  光文社新書
 病的ギャンブリングは、患者の病態や治療の面で依存症と瓜二つ。
 いずれにも、離脱症状と耐性がある今では、ギャンブル依存症ではなく、ギャンブル障害といい、病的ギャンブラーのことをギャンブル症者という。
 ギャンブルは、ひとつの産業であり、ギャンブルをする人は、その消費者といえる。
 ギャンブルには悲劇が必然的に付随しているのだから、ギャンブル企業側には、危険性を警告する義務がある。それは、消費者の権利として、その傾向を受ける権利として存在するはずだ・・・。
 ギャンブル症者は、日本人男性の8.7%、女性の1.8%にのぼる。
 ギャンブルの開始年齢は平均して20.2歳。そして、借金の開始年齢は27.8歳。精神科に相談に来る平均年齢は39.0歳。ギャンブルに手を染めて7年後には、借金を始め、借金し始めて11年後にはニッチもサッチもいかなくなり、助けを求めて精神科診療所を訪れる。
 ギャンブル症者のはまっていた元凶はパチンコ・スロット。それは、8割強を占める。
 ギャンブル症者の頭を占めているのは、こうなったらいいなという希望的見通し、都合のよい考え。限りなく空想に近く、既に妄想の領域に片足をつっこんでいる思考法である。
 パチンコ店の年商は20兆円ほど。公営ギャンブルと宝くじの2倍半から4倍の規模を誇る。カジノで有名なマカオの年間売上げは4兆700億円。つまり、日本には、マカオが5カ所もある。ところが、日本ではパチンコ・スロットはギャンブルとされていない。
 パチンコは警察が指導監督する許認可業種であり、警察OBの天下り先。
 パチンコ・スロット業界には、1県あたり1000人もの警察OBが職を得ている。パチンコ業界の用心棒として警察は存在している。
 人がギャンブルにはまり込むのは、何も一攫千金の夢を満たすばかりが理由ではない。一攫千金の前に、ハラハラドキドキの期待感、そして危機感がある。これが、刺激のない平凡な日常から抜け出す、非日常的な瞬間を与えてくれる。
 ハラハラドキドキは、一種の戦闘状態であり、このときの脳を司る神経伝達物質は、ドーパミンである。
 日本で最初のギャンブル禁止令があるのは、『日本書紀』。689年、持統天皇のとき、双六(すごろく)禁止令が出ている。さらに、『続(しょく)日本紀(にほんぎ)』で孝謙天皇の天平勝宝、6年(754年)にも双六禁断例が出された。
 この年は、唐から鑑真和尚が日本に着いた年であり、東大寺の大仏の開眼(かいげん)供養から2年後のこと。
外国には、パチンコも競輪も競艇もオートレースもない。あるのは、競馬とカジノやスロット、ビンゴ、ロトくらい。
 外国の多くのカジノは、ギャンブルの敷居を高めるため、入場料をとり、身分証明書の提示を求めている。イギリスのカジノは、一般市民への宣伝は禁止、建物の外での広告も禁止されている。ギャンブル中の判断力を損なわないため、アルコールも禁止されている。そして、クレジットカードでの支払いも禁じられている。ところが、アメリカのカジノは正反対。
日本では、パチンコ・スロットは、全国津々浦々にあり、コンビニなみだ。
 日本人の500万人以上がギャンブル障害をもっているというのに、厚労省は実効性のある措置をしていない。ギャンブル障害の3割にアルコール症が合併している。
 日本は既にギャンブル王国なのだから、これ以上カジノをつくれば、文字どおりギャンブル地獄となってしまう。
ギャンブルとは、所詮、他人のポケットに手をつっこんで、自分のポケットにお金を移すような行為である。
 ギャンブルは幸せを生まない。ギャンブルでえたお金で幸せになった人がいるのなら、胴元であるパチンコ業界や公営ギャンブルを運営している役所が大宣伝しているはず。
 ギャンブルは幸せをこわし、犯罪を誘発する。ギャンブルがはびこれば、はびこるほど、国という器にひびがはいり、国も国民もつぶれていく。日本を、これ以上、重篤なギャンブル依存症国家にしてはいけない。
 安倍政権はカジノで日本経済の向上を図るとしていますが、実は、そんなことにはならないことは、この本でも強調されています。パチンコ依存、ギャンブル依存とは何かを知りたい人、カジノに頼る日本経済振興というのはおかしいと感じている人には絶対おすすめの本です。
 著者は北九州の精神科医であるのと同時に、たくさんの傑作を書いている文学者でもあります。
(2014年12月刊。740円+税)

ヒトラー・ランド

カテゴリー:ヨーロッパ

                               (霧山昴)
著者  アンドリュー・ナゴルスキ 、 出版  作品社
 ドイツにいたアメリカ人の見たヒトラーの印象が紹介されています。
「人を惹きつける力のある弁舌家で、組織をまとめあげる類いまれな能力に恵まれた人物だ」
 「キリスト教の使徒を思わせる熱心さと、説得力のある弁舌、人を惹きつける魅力に恵まれ、共産主義および社会主義団体の中枢からも支持者を引き寄せるなど、ヒトラーは指導者としてのあきらかな資質を持っている。ヒトラーが、いつの日か、バイエルン州の専制君主として名乗りをあげるという恐れもある」
 「とてつもない扇動政治家だ。あれほど論理的かつ狂信的な男の話は、めったに聞けたものではない。ヒトラーが民衆に与える影響ははかり知れない」
 ヒトラーは、議会も議会政治も廃止すべきだ。今日のドイツを議会が統治できるはずがない。独裁政治だけがドイツを再び立ち上がらせることができると主張する。
 他方、ヒトラーに対しては、次のような冷ややかな見方もありました。結局、間違ったわけですが・・・。
 「ドイツには、すぐれた知性がある。あんな、ごろつきに騙されやしないさ」
 そうなんです。日本人に比べて格別に「民度」の高いはずのドイツ人の圧倒的な多数が単なる「ごろつき」にころっと騙され、とんでもない蛮行を犯してしまったのです。そこから、今日の日本でも、安倍首相のとんでもない大嘘に騙されないようにという教訓を生かし、実行しないといけません。
 「ドイツは、一時的におかしくなっているだけ。誇り高いドイツ人が、あんな田舎者に我慢していられるはずがない」
 こう言っていたユダヤ人は、強制収容所で生命を落としてしまいました。安倍首相の悪だくみを黙過していると、大変なことになること、これに日本人はもっと真剣に自覚すべきだと思います。まさか、まさかが、自分たちの首を絞めてしまうのです。
 「ヒトラーは、労働者に向けてドイツ人の名誉と権利や新しい社会について、じつに説得力のある話をする男だ」
 「ヒトラーは、声や言い回しとその効果を自在にあやつる術に長けており、あんな芸当ができる人間は、ほかにいない。ヒトラーは、はじめ軽いおしゃべりのような調子で話しはじめた。やがて、本題に入るにつれ、その弁舌は鋭さを増していった。ヒトラーは、ユダヤ人が暴利をむさぼり、周囲の人間を惨めな状況に陥れていると糾弾した。
 目を釘付けにされたようにヒトラーを見つめる若い女性がいる。彼女らは、まるで宗教的な恍惚感に包まれているように、我を忘れている。
 被告人とされたヒトラーの法廷での話は、ユーモア、皮肉、情熱がこもっていた。きびきびと動く小柄な男で、新兵を訓練するドイツ軍の軍曹のようでもあり、ウィーンの百貨店の売り場の監督のようでもあった。
 「ヒトラーは、まるでコルクだ。国民感情という名の波があれば、やつは必ずその上にぷかぷかと浮かんでいる。ヒトラーほど大衆の心理をうまく嗅ぎ分け、それに対処できる人物はいない」
 「大衆をペテンにかける大がかりなゲームにおいて、ヒトラーは並ぶ者のいない達人だ」
 ヒトラーの統治を受け入れ、ヒトラーとその運動に完全な忠誠を誓わなかった者たちは、ただ消し去られただけではない。そんな人間は、もともと存在していなかったことにされる。
 レームらSA幹部に対する殺害は非常に大規模になされ、また犠牲者の背景がそれぞれことなっていたという事実は、ヒトラーとSSが、かつて敵対した者も全員を抹殺するつもりだということを示唆した。
ユダヤ人に対する凄まじいまでの暴力を誰も止めようとしなかった理由は二つ。一つは、ドイツは、このころ、ナチ党のやることであれば「何であれ信じる」ようになっていたから。もう一つは、怖くて何も言えなかったから。
 アメリカとドイツは、1935年に、お互いの士官訓練校の交換留学生を受け入れることを合意した。そして、この合意は実行された。
 ドイツが緒戦で立て続けに勝利とおさめたことで、それまでナチスに対して懐疑的だった人々までは、ナチスへの熱狂的な信者になっていった。
 同時代のアメリカ人のヒトラーに対する好意的、あるいは軽視する見方が紹介されて、興味深い内容がありました。
(2014年12月刊。2800円+税)

刑務所改革

カテゴリー:司法

著者  沢登 文治 、 出版  集英社新書
 受刑者の更生を重視することで社会の負担は軽くなる。そのための方策が提案されています。弁護士生活40年をこえる私は大賛成です。1000円ほどの万引き犯を常習だからといって1年も刑務所に入れていていいはずがありません。もっと税金の賢いつかい方があるはずです。
 日本の刑務所の実情を知ったあと、著者はアメリカに出かけます。自己責任論の強いアメリカは、悪いことをする奴は刑務所へ入れてしまえという法律が出来ています。刑罰がとんでもなく重罰化しているのです。
 カリフォルニア州には囚人が10万人以上もいる。そして刑務所は過剰収容となった。それは、犯罪に対する刑罰化が原因だ。「三振法」。軽微な罪でも、3回くり返したら懲役25年から終身刑となる。
 その結果、2008年にはカリフォルニア州内の刑務所の収容定員は8万人なのに、17万人以上の受刑者をかかえてしまった。そのため、裁判所は、「刑務所があくまで自宅待機」という指示を出すことになった。2005年には23万人以上が、刑務所に入らないことになった。まさかの逆転現象ですね。
 それで、どうしたのか。あのシュワルツネッガー知事は、刑務所改革にのり出した。そして、犯罪傾向を除去するのを基本原則として。犯罪者は刑務所に収容すればそれでよいという短絡的な発想を修正し、収容は受刑者への矯正教育を行い、更生する社会復帰を目ざす前提であり、単なる懲らしめや罰としてではない、とした。矯正教育の一環として高校の卒業資格を取得できる教科指導を実施する。また、大学の講義を受講できるようにする。
 そして、出所後に入れる「リエントリー施設」を設けた。
そして、日本の松山刑務所大井造船作業場の実践が紹介されています。
 日本でも、やればできるんだということです。恥ずかしながら、私は、こんな作業場があるのをまったく知りませんでした。
作業員(囚人)33人が刑務官13人と同じ建物で寝泊まりしている。ここには、塀もなければ鉄格子もない。一般工員と一緒に造船所で働いている。脱走しようと思えば簡単。でも、過去50年間に脱走を図ったのは19人だけ。出所後の再犯率は15%(今はゼロ)。
 何回も刑務所に閉じ込めたからといって、より深く反省し、再犯しないということにはならない。再犯率は50%をこえる。
 日本の刑務所の過剰収容は現在、かなり改善された。刑事施設の収容者は6万7千人ほど、収容率は既決施設で82%、裁判中(未決)で40%。定員内におさまっている。
 日本の受刑者と職員の比率は、諸外国に比べて、きわめて高い。1人の職員が4.5人の受刑者を相手にする。3交代制なので、実際には、1人で13.4人の収容者をみている。
 職員のストレスは想像以上にきびしい。
 名古屋刑務所の事件の実際が、この本の冒頭で報告されています。もちろん、あってはいけない犯罪行為なのですが、それに至る職員側の苦労も理解できました。
 私も刑事弁護人として何回となく苦労させられました。人格障害の被告人にあたると、我が身の安全まで心配しないといけないのです。
 とても実践的な刑務所改革についての問題提起の本です。弁護士として必読文献だと思いました。
(2015年3月刊。760円+税)

反知性主義

カテゴリー:アメリカ

著者  森本 あんり 、 出版  新潮選書
 アメリカって、本当に怖い国です。すべては自己責任ですから、会社のトップは、とんでもない超高額の報酬をもらっています。取締役会は現実には何の歯止めにもなりません。
反知性主義とは、実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度のことだ。
 ダーウィン以来の科学的な進化論を真っ向から否定するような議論が責任ある地位の人々の口から平然と語られるのは、アメリカだけ。
 キリスト教は、アメリカにとっても外来の宗教である。
 神は人々に約束した。人々はその約束を守り、なすべきことをした。だから今度は、神が約束を守る番だ。神を相手としてアメリカ人は契約の履行を迫っている。
 リバイバリストの説教は、言葉も平明で分かりやすく、大胆な身振りや手振りを使って話がうまい。聞かせる。
「熱心」は、とても悪い意味だ。あの人は、常軌を逸した危険人物だという。
 万人の平等を説いたジェファソンからして、自分自身は広大なプランテーションを所有しており、多くの黒人奴隷を使い、そのうちの一人の黒人女性と関係をもって子どもを生ませていた。
目の前の現実が、これほど不平等だというのに、我々はなおも万人が平等だと信じている。
 クエーカー教徒は今は温厚な平和主義者として知られているが、最初はかなり過激な集団だった。新渡戸稲造もクエーカー教徒だった。
世俗的な成功は、それ自体が目標ではなく、自分の生き方の正しさを計るバロメーター。
 信仰とはすなわち道徳な正しさであり、世俗的な成功をもたらすもの。だから、もし自分が世俗的に成功しているならば、それは神の祝福を得ていることのしるしなのである。
 本人はいつまでも自信がなくて、不安に脅かされていて、何かにすがっていたい。あくまでも自分が愛されていて、認められていることを、手にとるように実感し続けていたいのだ。
 宗教と実利という二つの成分要素で成立したはずの反知性主義は、まさにその大衆的な成功ゆえに、本来の反エリート主義的な性格を失っていく。きわめて皮肉な結末である。
アメリカ史には、政治における妥協性と、道徳における極端性が共存している。
 アメリカは、一方では欲望全開で何でもありのフロンティア社会であり、かつ同時に禁欲的で厳格な法律をもったお上品の国である。
 都会は売春と飲酒と賭博が蔓延する一方で、プロテスタント的、中流階級的な倫理観は、他のどの国よりも強い。
 アメリカという複雑怪奇な国について考えさせられる本です。
(2014年2月刊。1300円+税)

ラスト・ワン

カテゴリー:人間

著者  金子 達仁 、 出版  日本実業出版社
 義足アスリートとして有名な中西麻耶のすさまじいまでの半生を描いた本です。
 珍しいほどに自己主張の強い若い日本人女性のようです。アメリカでは問題なく受けいれられても、日本では大変です。やっかみ、ねたみ・・・、いろんな障害が目の前に大きな壁として立ちはだかるのです。
 若い女性が労災事故にあって、右足を切断してしまうのですから、大変な衝撃だったと思います。
右足切断といっても、骨折の痛みほどは感じない。骨が折れたことを脳に伝える神経もなくなっているから。あるのは、皮膚を切った傷の痛みだけ。
 このとき、中西麻耶は真っ赤なブラジャー、下は父親のトランクスをはいていた。これをはいているのを見られたら、絶対に死んじゃう。そっちでパニックになりそうだった。
 右足を切断したら、そこがバーンと腫れる。
 浮腫と呼ばれる症状がおさまるまでには2年ほどかかる。患者は、包帯で強くしばることによって、できるだけ元の太さに戻そうとする。太くなろうとする治癒能力と、細くしようとする人為的な力のせめぎあいの決着がつくまで、足は一日のうちでもサイズが変わってしまう。
 義足をはきだすと、包帯とは比較にならないほどの大きな力がぎゅっとかかるので、より細くなるスピードが高まる。だから、あっという間に、サイズが変わる。それでも追いつかなくて、新しい義足をつくらざるをえない。その繰り返しだった。
 障害者陸上の世界に入ってみると、想像していたよりも、はるかにお金がかかる。遠征の費用、義足、生活費・・・。渡航費や滞在費が全額支給されるパラリンピックと違い、世界選手権の場合、すべての経費は選手の自己負担だ。出場するためには60万円が必要だった。
 中西麻耶はヌードカレンダーをつくった。それも障害の部所までさらけ出したもの。定価は1200円。ところが、なんと9000部を売り切った。
最後のページに、それまでの話とはまったく違ったことが書かれていますので、驚きましたが、私は、それよりも何よりも、障害者陸上競技の世界でのきびしい試練に中西麻耶が耐え抜いていったところに心を打たれました。
 競技用のカーボンファイバーで出来た義足って、130万円ほどもするんです。高いですよね。
 私としては、中西麻耶がこれからも元気に活躍することを願うばかりです。
(2014年12月刊。1500円+税)

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