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キリンビール高知支店の奇跡

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者  田村 潤 、 出版  講談社α新書
 売れているビジネス書なので、どこか参考になるところがあるだろうと思って羽田空港の書店で買い求め、読んでみました。
私はビールを飲むのを5年前に止めましたし、飲んでいたときもキリンとアサヒ、サッポロの味の違いは分かりませんでした。エビスだけは味がなんだか違うなとは思いましたが・・・。
だから、キリンのラガービールがキレのいい味だったと言われても、そうなのかなと、思うだけです。そして、アサヒのスーパードライの味も違いが分かりません。ちなみに私はビールを飲むのを止めてからはノンアルコールのビールも一切飲みません。
海外で日本企業がたたかうにしても、日本の地方のあるエリアで勝ち方をきわめていることが非常に大事なこと。そのエリアをよく見て、エリアの特性や住んでいる人、国土とかチャンネル全部をひっくるめて、もっとも適切な正しい手を打って実績をあげることが出来た人間こそ、海外にいっても通用する。
 ふむふむ、なるほど、恐らくそういうことなのでしょうね・・・。
価格営業とは、安売りのこと。価格を下げたり、リベートを厚くしたりすると、一時的にはそれで売上伸びるかもしれないか、長続きはせず、自分の首を締めるだけ・・・。
 それまでのキリンのラガービールは、喉にガツンとくるコクと苦味が特徴だった。それをスーパードライと同じように若者や女性層に受けようと、飲みやすいタイプに変えた。これが大失敗だった。
上に立つリーダーは、自分が考えて確証の持てることしか部下に言ってはいけない。
また、総花的な営業もダメ。多くの施策を適当にこなしているだけで、競争に勝てるはずもない。大切なことは、約束した目標を達成すること。
結果が出なくても、ガマンして4ヵ月も営業の外まわりを続けていると、みな身体が慣れてきた。すると、いい反応がすこしずつ返ってくるようになった。
ほとんどの客は、ビールの味にはそれほど差がないと思っている。ビールは情報で飲まれている。
高知の人は、なんでも「いちばん」が大好き。離婚率が全国第1位から2位に下がっても悔しがるというのが高知の県民性。
 ええっ、本当でしょうか・・・。
 営業マンの行動スタイルを変えることができるかどうかは、簡単にいうと、視点や心の置き方を変えてみられるかどうか。人によっては身を捨てられるかどうかということなのだ。
1997年に37%に落ち込んでいたシェアは1998年に反転し、2001年に44%となり、高知県では、トップの座を奪回した。ところが、同じ2001年に、キリンビール全体では、40数年ぶりに2位に転落した。
高知支店のがんばりを紹介する本なのですが、あっと驚くような奇抜な策がとられたわけでは決してありません。
著者は高知から名古屋へ転勤し、名古屋でしたのは、会議廃止。
 会議を廃止したため、内勤の人数を減らし、現場の営業を増やすことが出来た。
 日本企業の勝ちパターンは、ひとりひとり、個人では勝てなくても、チームでならば勝てるということ。部分最適の考えを捨てて、全体最適を達成する。そこに成長がある。
 さすがです。売れる本には、なるほど学ぶべきところがたくさんあると感心しました。
(2016年4月刊。780円+税)

戦車の戦う技術

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 木元 寛明 、 出版 サイエンス・アイ新書 
著者は防衛大学校を出て、自衛隊に入り、戦車一筋の人生を過ごしています。
戦車小隊長、戦車中隊長、そして戦車大隊長、戦車連隊長をつとめました。
乗った戦車は、アメリカ軍供与のM4A3E8戦車、国産の61式、74式、90式戦車です。最新の10式戦車は引退したあとなので、乗らなかったようです。
国産の61式戦車は100%マニュアル。74式戦車はオートマチック操縦。90式戦車は完全オートマチック操縦。コンピュータ制御による射撃統制システム。10式戦車となると、ほとんどロボットに近い戦車。
戦車の世界は人車一体。火力、機動力、防護力と乗員がコラボしなければ、戦車は単なる鋼鉄のかたまりに過ぎない。
戦車のもっとも強力な敵は戦車。現代の戦車は120ミリ級の長大な戦車砲を搭載し、最新式の徹甲弾を発射する。徹甲弾は、マッハ5(秒速1600メートル)という猛スピードで飛翔する。
90式戦車の暗視能力は3000メートルで敵戦車を発見し、射撃できる。これに対してロシア軍の主力戦車T-72とT-80の夜間暗視能力は1000メートルしかない。
90式戦車のサーマル・センサは、目標(戦車)が発する熱と周囲の温度差により映像を形成するパッシブ型暗視装置。
劣化ウラン弾は、安価で貫徹力が大きいので、徹甲弾の弾芯として使われている。装甲板に命中すると、高熱で貫通し、酸化ウランの金属微粒子(放射性物質)を周辺に飛散させる。
90式戦車は砲塔上部まで水没させることができる。
ロシア軍の戦車は、水深5~6メートルでも潜水渡渉できる。これは、ヨーロッパの大河を想定しているため。
戦車というものの初歩を学びました。
(2016年6月刊。1100円+税)

靴下バカ一代

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 越智 直正 、 出版 日経BP社 
今どき、こんな経営者もいるのですね。見上げたものです。とても勉強になりました。やはり、ビジネスの極意は、自分だけがもうかればいいというのではありませんよね。
我以上に、相手よし。そして、我が社を支える社員を大切にするということです。そうやってこそ、企業は社会に貢献できるのです。下請企業の単価をいかに切り下げるか、それしか考えない大企業がいかに多いことでしょうか・・・。
「奇天烈(きてれつ)経営者」の人生訓というサブ・タイトルがついています。なるほど、常識の枠からは相当はみ出しているようです。でも、本人がやりたいことを精一杯やっていて、それで客も社員も、取引先もみんな喜んでいるのだったら、何も言うことありませんね・・・。
靴下専門店の店「靴下屋」をあちこちで見かけます。全国チェーン店なんですね。著者はその会社(タビオ)の創業者(会長)です。
この会社は、すべて国産の靴下をつくっていて、今や海外にまで店を構えて売っているそうです。原料となる綿までつくり出したというのですから偉いものです。
靴下の弾力を確かめるためには、嚙むのが一番。いい靴下は、嚙んだあとに歯形が残らず、自然と原状に戻る。品質の落ちる靴下は噛み跡が残ってしまう。ただ、噛み方にはコツがあって、数分間、一定の力で噛み続ける必要がある。そのため、水を張った洗面器に顔をつけて息を止める練習までした。
靴下なんて、どれも同じ。どれを履いても、そんなに変わらない。そう思うかもしれないが、少しの違いでも、こだわり続けたら、商品に差が出てくる。その差を生むのが、靴下屋の心なのだ。
うむむ、これはスゴイ言葉ですね・・・。
著者が丁稚奉公をしていたときの経営者の言葉。
「万事、まず頭を使え。次に体を使え。銭は切り札だ。銭を使ってやるんなら、バカでも出来るんじゃ」
「一生一事一貫」。一生を通じて、一つのことを貫き通すということ。著者は靴下で、これを実践してきた。私の場合は、それは弁護士ですね。40年以上も弁護士をやっていますが、これほど自分にあった仕事はありません。
経営に奇策なし。経営者に必要なのは、原理原則を身に付けること。本を読んで、もし難解で分からないところがあれば、今の段階で、その部分は不要だということ。
「おまえに起こってくる問題は、人の生き死に以外は全部、おまえが解決できるから起こった人や。だから、おまえが本気になったら、解決できる。おまえが逃げ腰になっとるから、解決できないんや」。なーるほど、そういうものなんでしょうね・・・。
借金したときには、必ず約束した返済期限を守る。よそから借りてでも必ず返す。
この二つが借金の大原則。他人から借金するときには、初めは、その人がもっていると思う額の半分を借りるのが借金の極意。
得意先になってくれた店は、とことん面倒をみる。価格競争はしない。デザインで競うこともしない。「3足1000円の靴下」なんかで勝負はしない。あくまで、より良い品質の靴下を適正な価格で提供する。仕入れを値切ることはしたことがないし、支払日も守り通した。
品質にこだわった商品をつくっていくには、工場との信頼関係を築くのが一番大切。
いい本でした。今度、この店で靴下を買って、はいてみたいと思いました。
(2016年5月刊。1800円+税)

戦火のマエストロ、近衛 秀麿

カテゴリー:日本史

(霧山昴)
著者  菅野 冬樹     出版  NHK出版
 この本の主人公、近衛秀麿(ひでまろ)は戦争中に首相をつとめた近衛文麿(ふみまろ)の」弟です。文麿は戦後、敗戦の責任を負って自死しています。
秀麿は、なんと戦前のヨーロッパでオーケストラの指揮者として活躍していました。
この本は、秀麿が単に指揮者として秀れていたというだけでなく、「コンセール・コノエ」という近衛オーケストラをつくって、ユダヤ人や反ナチの優秀な音楽家を救って海外に逃がす活動をしていたのではないかという点を解明しています。
  近衛秀麿が1924年(大正13年)に、ベルリン・フィルハーモニーの指揮者となったのは、25歳のときだった。
 秀麿は、ドイツのシュテルン音楽院で、基礎を学ぶかたわら、楽譜を片っ端から買い漁り、また図書館にしかない総譜はひたすら書き写す作業に没頭した。その結果、総譜を読み解き、和声を分析する能力は教授陣も認めるほどのものとなった。
 ヒトラーは、過去に例がないほど、音楽好きの政治家だった。皮肉なことにドイツにいる優れた音楽家の多くがユダヤ人だった。
 ゲッペルスは秀麿に対して、「ナチ服従せよ。分かっているだろうな」と言った。それに対して秀麿は、「いつ、いかなるときにも、私は、どこにも属さない自由な音楽家でありたい」と返答した。
秀麿はナチス・ドイツの高官ゲッペルスにおもねることもなかったのです。たいしたものです。まさしく気骨ある音楽家だったようです。
 秀麿は、ことユダヤ人に関する限り、ナチス・ドイツ政府のなすことは絶対に協調できない。純然たる人道上の問題として、力の及ぶ限りユダヤ人の国外脱出を援助すべきだと決意した、と書いている。
 駐独大使だった大島浩と秀麿は、お互いを目の敵にしていた。
 秀麿は、大島について戦争を推進した「軍閥」の代表格であり、日本を戦争に突入させた責任者だという烙印を押していた。
「コンセール・コノエ」は才能に恵まれた演奏家の兵役逃れのため、あるいはナチに追われて行き先を失ったユダヤ人音楽家を救済するために結成された。ナチの目をごまかすため、「親独」を装ったオーケストラをつくる必要があり、「近衛」の名前を冠した。
 その救出作戦は秘密裡にすすめられたため、その全貌は今も不明のようです。それにしてもすごい日本人がいたのですね。
1973年6月秀麿は74歳で亡くなった。
「他人(ひと)がやらないことを、50なり100なりやってから生涯を終える」と語っていたそうですが、文字どおり、それを実行した一生のようです。
(2015年8月刊。2500円+税)

三池炭鉱・宮原社宅の少年

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 農中 茂徳 、 出版 石風社 
戦後生まれの団塊世代が昭和30年代の社宅生活を振り返った本です。
炭鉱社宅は筑豊だけではなく、三池炭鉱をかかえる大牟田にもありました。著者の育った宮原社宅は私の育った上官町のすぐ近くです。三池工業高校の表(正門)側と裏(南側)という関係にあります。
私の実家は小売り酒屋でしたから、宮原社宅へ酒やビールを配達した覚えはありませんが、子どものころ、きっとどこかですれ違っているはずです
炭鉱社宅は、基本的に閉鎖社会でした。石塀で囲われていて、出入り口は世話方の詰所があります。その代り、このなかには共同風呂があり、巡回映画もあって、ツケのきく売店(売勘場。ばいかんば)があるので、炭鉱をクビにならない限り、生きていけました。
三池争議の前は、社宅内の人間関係は濃密でしたが、争議が始まり、労働組合が分裂して、第一組合と第二組合とが激しくいがみ合うようになると、大人社会の対立抗争が、子ども社会にまで悪影響を及ぼしてきました。
著者の語る少年時代の思い出話は、社宅生活をしたことのない私にも、十分に理解可能です。というか、そのほとんどを見聞きしています。
 ラムネン玉やパチというのは、この地方独特の呼び方です。それぞれ同じ枚数のパチを高く積み上げ、一番上に狙いを定めて、その一枚だけをフワッと返す(飛ばす)。すると、積み上げた相手のパチを総取りできるのです。これはもう、見事なものです。今も鮮やかに思い出せますが、ここまでくると一級の芸術だと子ども心ながら驚嘆していました。
 六文字、長クギ倒しなど、たくさんのなつかしい子どもの遊びが紹介されています。ただ、なぜかカン蹴りがありません。馬跳びは、中学1年生のとき、学校で休み時間にやって担任の教師に叱られました。まだまだ小学生気分だったのです。
中学生になると、上級生からの脅しに直面したこともあります。それでも、あまり大問題にならなかったのは、1クラスに50人以上いて、13クラスもあったからでしょう。一つの中学校に2000人からの生徒がいると、もう「不良」連中の統制も効かないのです。それでも、同級生のなかから傷害事件を起こして少年院に入ったとか、成人して暴力団に入ったという話をいくつも聞きました。
この本には、父親がウナギ釣りによく行っていて、夏の保存食がウナギのかば焼きだとか、弁当のおかずが毎日ウナギだったという話が出ていますが、信じられません。私にとって、ウナギは夏に大川のおじさん宅に行ったとき、堀(クリーク)干しで捕まえたウナギを食べた記憶があるくらいです。そのとき、じっと見ていたおかげで、私は弁護士になってから、娘が祭りで釣り上げたウナギをさばいて蒲焼をつくることが出来ました。
チャンバラごっこで使った木の枝がハゼの木だったので、ハゼまけ(ひどく皮膚がかぶれる炎症を起こします)にかかったというのは、私も同じ体験をしました。1週間、学校を休みました。だって、顔がお化けのようになってしまったのです。
炭鉱社宅の子どもたちがあまりに勉強していなかったように書かれていますが、実際には、子どもの教育に熱心な親は多かったのです。そろばん塾や寺子屋みたいな学習塾がたくさんありました。住んでいる地域によって階層格差が歴然としていることから、なんとか子どもだけは底辺から上がってほしいと考える親が少なくありませんでした。
昭和30年代の子どもの目から見た炭鉱社宅の生活を生き生きとえがいた貴重な本です。
(2016年6月刊。1800円+税)

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