法律相談センター検索 弁護士検索

天皇・天皇制をよむ

カテゴリー:日本史(戦後)

著者 歴史科学協議会、 出版 東京大学出版会
 実在の大王(いまの天皇)と確認できる6世紀から7世紀までの大王の即位年齢は、男女ともに40歳以上。国政関与の経験を豊かに持ち、統率者としての資質・能力を備え、血統上の条件を満たす者が男女を問わず、群臣に要請されて大王となった。8代6人の女性天皇(大王)は、単なる「中継ぎ」というものではない。
 終戦時、天皇家の持つ財産は37億円もあり、三井・宮崎のような財閥家よりはるかに大きかった。そのうえ、国から毎年450万円も支給されていた。戦後の皇室費は、61億円(2008年度)になっている。昭和天皇が死んだときの財産は20億円だった。
 古代の大王・天皇の継承ルールは、時代とともに変化し、皇位継承の在り方を定めた明文はなかった。はじめは直系継承が基本であり、その後、兄弟間の継承となり、再び直系継承となって、その後は兄弟継承と直系継承とが入り混じるようになった。
 平安京を作り上げた桓武天皇は、母が渡来系氏族であったという脆弱さがあった。そこで、遷都と征夷という大事業にあたって桓武が頼りにしたのは、豊富な経済力と学識・技術をもっていた渡来系氏族だった。
 この本では、織田信長が天皇制を消滅させようとしたことはないとしています。
 天皇・朝廷を消滅させることなど、信長も秀吉も家康も誰も考えてはいなかった。対立や緊張はあったとしても、武家政権は天皇・朝廷を排除するのではなく、これを構造的に組み込み、公武が一体化して一つの王権を構成していた。これを公武結合王権と呼ぶ。
 江戸時代、武家への官位叙任は、実質的には将軍に権限があった。しかし、形式的ではあるが、最終的には天皇にも権限があった。将軍と天皇は、お互いに相手を排除して冠位叙任権を一元化しようとはしていない。両者は、ともに相手の権限を前提とし、それを自らの権限の補完材料としていた。
 徳川氏は、征夷大将軍として、武家の棟梁という顔と、もう一つ日本国王という顔をあわせもっていた。つまり、国王は天皇と将軍の2人なのである。
 幕末のころ、江戸の民衆の中に天皇を神権的な権威があるとして尊崇する見方はまれだった。
 天皇と皇族には、日本国憲法の人権規定がまともに適用されないことになっている。
 そうなのです。天皇って、ちゃんとした名前もなければ、人格も、人権も保障されないという特別な存在なのです。いつまで、このような存在が存続するのでしょうか……。
 月曜日に帰宅すると、大型封筒が届いていました。1月に受けた仏検(準1級)の結果の通知です。あれっ、おかしいな、大失敗したと落ち込んでいたのに……と思いました。不合格のときにはハガキが来るのです。前回は2点不足して不合格でした。今回、大型封筒で来たということは……、まさか、と思いましたが、やっぱり合格証書でした。うれしかったです。ダメだと思っていたのですが、トツトツながら話を続けたのを評価してもらえたようです。これで、フランス語の勉強を続けていく元気が出ました。
 仏検3級に合格したのは1990年2月、2級に合格したのは1994年7月のことでした。準1級の合格は2度目です。ペーパーテストには4回から5回合格しているのですが、このところ面接試験で落ち続けてきました。
 いま、NHKラジオ講座は『カルメン』を取り上げています。ドン・ホセとカルメンのやり取りをフランス語で聞き取り、書いています。頭のリフレッシュには最高です。
(2008年5月刊。2800円+税)

チェ・ゲバラ、ふたたび旅へ

カテゴリー:アメリカ

著者:エルネスト・チェ・ゲバラ、 発行:現代企画室
 チェ・ゲバラがキューバ革命戦争に参加する前、南アメリカから中部アメリカを旅行した時の日記が再現されています。いかにも青年らしい無鉄砲な旅の日記です。
 旅は、1953年7月に始まります。
 ありとあらゆる種類の失敗をやりつくし、相変わらず無駄な期待ばかりさせられている。ぼくは間違いなく楽観的運命論者タイプだ。最近はぜん息に悩まされて過ごしている……。
 怠惰という、ぼくの悪癖がたいして改善されないまま、また一日が過ぎた。
 チェ・ゲバラは1955年7月末、メキシコ・シティでフィデル・カストロに出会いました。このときのことを日記に次のように書いています。
 政治的な出来事といえば、キューバ人革命家のフィデル・カストロに出会ったこと。若くて聡明で、非常に自信家であり、普通では考えられないような勇敢さをもった青年だ。お互いいに気があったと思う。
 この本には、旅行中にゲバラ自身が撮った写真、そしてゲバラの写った写真がたくさん紹介されています。ゲバラのとった写真を見ると、ゲバラが中南米の古代歴史に深い関心を持っていたことが分かります。また、写真のゲバラは本当に好青年です。眼が輝いています。知的魅力にあふれています。幼いころからのぜん息もちだったので、それが悩みだったようです。
 母親への手紙のなかで、ゲバラは次のように書いています。
 知ってのとおり、ぼくはいつでも思い切った決断をするのが好きで、……。ぼくのアメリカ嫌いは1グラムも減っていないけど、ニューヨークぐらいはよく知っておきたいですね。それでどういう結果になるかなんてぜんぜん恐くないし、絶対、入国するときと同じくらい反ヤンキー主義のままで出てきますよ(もし入国できればの話だけど)。
 次は、友人に対する手紙です(1956年10月)。
 だいぶ前に、何人かの革命キューバ人青年たちに、ぼくの医学の知識で運動を支援してくれないかと誘われたので、引き受けました。なぜって、今さら言うまでもないことだと思うけど、これこそぼくがやりたかった仕事なんです。
 先日、福岡でチェ・ゲバラを描いた映画の第一弾を観ました。キューバ革命戦争に従事し、山の中のゲリラ戦が次第に勝利していき、ついに町に攻め込み、ついに首都を開放していく過程をたどっています。戦闘場面が多く、ゲバラの内面の紹介が少ない気はしましたが、困難なゲリラ戦のなかでも本を読んで学習を忘れないゲバラはさすがでした。
 そして、印象深いのは、キューバ解放後、ニューヨークの国連本会議場での演説シーンです。「祖国か死か」と叫んで演説は終わるのですが、そのあと、中南米各国代表から批判されます。それに対して、ゲバラが一つひとつ冷静に的確な反論を展開していくのです。見事なものです。すごいなと思いました。
(2008年9月刊。933円+税)

名もない顔もない司法

カテゴリー:司法

著者 ダニエル・H・フット、 出版 NTT出版
 はじめに出てくる椅子と靴の話が私にとって衝撃的でした。アメリカの最高裁法廷の写真をよく見ると、そこに並んでいる椅子は、その大きさと形が微妙に違っているのです。つまり、日本の最高裁の法廷(これは、私も2度、現物をこの目で見たことがあります)には同じ規格の椅子しかありません。もちろん高裁以下の地方裁判所でもこれは同じことです。ところが、アメリカでは裁判官が自分の好みで、好きなように高さも形も選べるのです。
 靴の話は、なんと、日本の最高裁判事は、専用車に乗るばかりで歩くことがまったくないので、10年間に買い求めた靴が一足だけだったという、とても信じられない話なのです。
 このように、日本の裁判所では、裁判官は名も顔もなく、誰が事件を担当しようと判決は均一であるという考えが根強い。
 日本の裁判所に対し、自民党がその政治的意向を直接伝えることは決してないが、最高裁の事務総局は自民党の政治的意向をよく理解している。事務総局は、配置転換や昇進の制度を用い、自民党の意向に従う裁判官に利益を与え、その意向に反する裁判官に不利益を与えることによって、自民党の無言の命令を実現する。その結果、この動機づけの枠組みが裁判官に対して政治的圧力をかけることになる。いや、まったく、そのとおりでしょう。最高裁はあれこれ弁明するでしょうが、事実その通りなのですから、動かし難い真実です。
 日本で弁護士が裁判官になりたがらない理由が、アメリカとの比較で明らかにされています。
日本の裁判官は目立たない態度を取ることが期待され、実際にも目立たない。アメリカでは裁判官は人の注目をあびる職業である。裁判官が目立ち、一般市民がそれを認めていることが、アメリカの裁判官に与えられている栄誉を日本よりも実体のあるものにしている。これに対して、アメリカでは大規模な法律事務所に属する弁護士は、巨大なマシンの歯車の一つにすぎない。弁護士は、上司やほかの弁護士から常に監視されている。そして、アメリカの弁護士はノルマを常に意識し、報酬請求時間についてのプレッシャーを常に受けている。アメリカの弁護士は、仕事の態度や服装に至るまで監視され、年単位で評価されている。
 ところが、アメリカの裁判官は、自分以外に上司のいない自由な立場にある。ふむふむ、なるほどですね。
同じように、日本の弁護士は大きな自由を持っている。これに対して、日本の裁判官は巨大な組織の一員である。裁判官は年次評定され、それが昇進、配転などで大きな意味を持っている。日本の裁判官の自由は、日本の弁護士と比べて制約されている。うむむ、そうなんですよね。
下級裁判官の再任審査に国民の意思を反映させる手続が出来たといっても、その透明性が実現されているとは言いにくい。
この点は、私も少しばかり関与していますので、まったく同感だと声を大にして叫びたいと思います。裁判所はいまだに法曹三者と一部の「有力市民」の声を聞けば十分という考えであり、ユーザーである市民の声を広く聞こうという姿勢がきわめて弱いのが実情です。
たとえば、どの裁判官が毎年ある再任審査の対象になったかという基本的な事実さえ裁判所は一般公開していません。裁判所の再任を希望したのに拒否されてしまったら、それはプライバシー保護の対象として明らかにすべきではないというのがその理由です。とんでもない言い分です。私は、裁判所や弁護士会のホームページにおいて、10年ごとの再任審査対象となった裁判官の氏名と所属裁判所、おもな判決の要旨が公開されるべきだと考えています。
 再任審査にあたっての議事録も簡単すぎて、誰が何と言ったのかもわかりません。なぜ、その裁判官が再任を拒否されたのかも分かりません。これでは、裁判に対する国民の信頼が高まるはずもありません。
アメリカでは毎年500万人のアメリカ人が陪審員選任のために呼び出されて裁判員にやってくる。そのうち100万人が実際に陪審員として選任される。これに対して、裁判員裁判では、日本人の最大3万人ほどが裁判員として関与するのみ。これでは少なすぎる。ううむ、そ、そうなんですけど……。
裁判員裁判について、こんなわずらわしい手続に読んでほしくない、人を裁きたくない、嫌だという人が少なくありません。でも、民主主義というのは面倒なことから逃げたらいけないということでしょ。昔は選挙権だって、フツーの市民にはなかったのです。バカな市民に選挙権なんか与えたら、とんでもない国会議員が生まれてメチャクチャな政治がおこなわれることになる、そう言って反対した人たちがいました。
国の主人公として、さばく立場に立つことは権利でもあり義務でもあるのです。どうぞみなさん、ぜひぜひ裁判員としての呼び出し状がきたら、なんとしても裁判所に来て下さいね。そして、市民感覚を裁判に活かしてください。論理に強い裁判官も、事実には弱いのです。裁判員裁判はぜひ成功させたいと思います。
(2007年1月刊。1800円+税)

日本紀行

カテゴリー:日本史(明治)

著者:イザベラ・バード、 発行:講談社学術文庫
 明治のはじめ、日本を女性ひとりで旅行した女性の日本観察記です。
 日本ほど、女性がひとりで旅しても危険や無礼な行為とまったく無縁でいられる国はないと思う。著者はそう断言しています。うひゃあ、そ、そうなんですかねー・・・。
 日本は花々が大変豊富で、とくに花の咲く灌木に富んでいる。つつじ、椿、アジサイ、モクレン、あやめ、牡丹、桜、梅など。そうなんですよね。我が家の庭にも、椿、アジサイ、モクレン、牡丹、桜、梅があります。四季折々に見事な花が咲き誇り、目を楽しませてくれます。なんとなく心に潤いを感じます。これこそ田舎に住む良さです。
 日本の馬は貧弱で哀れな獣。恨みがましく狡猾な動物で、のろのろと動く、寝ころがる、よろめくの3つの動きで、人間の忍耐力を試そうとする。ひゃあ、そんな……、ここまでいったら、なんだか可哀想ですよ。
 臆病な日本の黄色い犬は、夜間に吠える癖が強い。ええーっ、そうですかね……。
 日本の内陸に住む人々は親切でやさしくて礼儀正しい。ふむふむ、なるほど。
 物乞いや暴徒が日本にはいない。女性は男性のいるなかを、まったく事由に動きまわっている。子どもは父親からも母親からも大事にされている。女性は顔を隠さず、地味な顔だちをしている。だれもが清潔で、きちんとした身なりをしている。みんな、きわめておとなしい。礼儀正しくて、秩序がたもたれている。いやあ、そうですね。日本の女性って、昔から強いのです。弁護士になって35年間、日々、それを実感しています。
 日本人の鼻はぺったんこで、唇は厚く、目は斜めに吊り上がったモンゴル人種のタイプ。これまで会ったなかで、もっとも醜くて、もっとも感じのいい人たちであり、もっとも手際がよくて器用だ。うむむ、これは納得できそうで、できませんが……。
 日本の商店で、買い物をするとき、うるさい値引きの交渉はひとつもない。ふむふむ。
 秋田県の久保田にも地方裁判所がある。司法制度の改革とともに、弁護士が続々と誕生している。ここは、えらく訴訟好きの町ではないかと思えるほど弁護士がいる。法律関係の職業は、たいがいペンをつかうことに長けた士族の好む職業となりつつある。弁護士の免許料は約2ポンド。これは、もうかる職業に違いない。うむむ、昔の秋田にそれほど弁護士がいたなんて……。今は少ないです。
 学校のない地域で子どもたちは教育を受けないままになっていると思っていたが、それは間違いだった。おもだった住民が子どもたちに勉強を教えてくれる若い男を確保し、ある者は衣服を、別のある者は住居と食事を提供する。それより貧しい人々は、月謝を支払い、もっとも貧しい人々は無料で子どもたちに教育を受けさせられる。これは、とてもよくある習慣のようだ。小繋(こつなぎ)では、30人の勉強熱心な子どもたちが台所の一隅で授業を受けていた。ここは、あとで、入会権の裁判で有名になったところです。
 日本の女性や子どもたちが伸びのびと生きていたことをよく教えてくれる本です。
 きのうの日曜日の朝、春雨が降りだす前に春告鳥(はるつげどり)が美しい音色の声を爽やかに響かせてくれました。そうです。ウグイスです。ホーホケキョと済んだ声でした。梅の花も満開、やがて春の初市の季節です。
 今朝の新聞の書評コーナーに私の本が紹介されていました。あまり売れていない本なので、とてもうれしく思いました。元気の出てくる朝でした。
(2008年4月刊。1500円+税)

実録アングラマネー

カテゴリー:社会

著者 有森 隆+グループK、 出版 講談社α新書
 山口組若頭の宅見勝は1997年8月、神戸のホテルで4人組の暗殺団に射殺された。享年61歳。宅見は配下に企業舎弟を数千人もち、3200億円の資金力を誇り、オールジャパンの裏経済を支配していた。
 東京都内だけで、暴力団のフロント企業は1000社以上ある。この数字は警視庁が確認したもの。金融、不動産、建設がフロント企業の御三家。風俗、飲食、自動車販売、産廃処理、経営コンサルタント、そしてコンビニ、ペットショップ、俳優養成学校、探偵、人材派遣など……。うひゃあ、す、すごい分野にまで進出しているんですね。驚きました。
2007年現在の暴力団員は8万4200人。正式構成員が4万3300人。準構成員は、
1995年に3万2700人だったのに対して、それから3割も増えている。暴対法は、山口組への一極集中を生んだ。山口組と住吉会と稲川会の3団体で、今や暴力団の73%を占め、寡占化が進んでいる。
 山口組の上納金は幹部クラスで月100万円、他の直系組長で月80万円。
 旭鷲山が引退したのは、暴力団の住吉会系組長に脅迫されたから。モンゴルの金鉱山の開発利権をめぐって、住吉と関西系に2重売りしたのが発覚してのことだった。うむむ、なーるほど、そういうことだったのですか。
 英会話教室最大手のNOVAで創業社長が追放されたのは、資金調達を闇の勢力に頼ろうとしたからだった。猿橋前社長は、業績不振のワンマン銀行の頭取を巻き込んで、見せ金増資を錬金術の舞台につかった。見せ金増資に協力するという名目で、巨額の融資を銀行から引き出そうとしたのである。いやいや、とんだことです。大勢の真面目な教師と生徒が泣かされましたね。
 海軍鎮守府が於かれた横須賀で、沖仲士を取り仕切る近代ヤクザとして生まれたのが小泉組。軍港ヤクザの小泉組の2代目、小泉又次郎が、あの小泉純一郎の祖父である。
 いやはや、現代日本社会って想像以上にヤクザに食いものにされていますよね。知らぬが仏、とはこのことです。仏といえるかどうかは、私たち次第ですが・・・。
(2008年10月刊。933円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.