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貧困にあえぐ国ニッポンと貧困をなくした国スウェーデン

カテゴリー:ヨーロッパ

著者 竹﨑 孜、 出版 あけび書房
 社会問題の事後処理方法としての貧困対策に追われていたのが旧来の福祉政策であった。それでは税金をいくら注ぎ込んだところで問題の解消にはほど遠く、際限のない政治をやめるほうが得策だとスウェーデンが思いついたのは、発想の大転換だった。
 いち早く雇用や労働を重視した政治が積極的に展開されてきた。豊かな生活へ近づける労働政策を重視して、貧困を根絶する急がば回れの方式へとスウェーデンの政治は方向転換した。
 そうなんですよね。今の日本のように、正規か非正規かを問わず、労働者が大々的に首切られ、寒空にあてもなく放り出されてしまう政治の下では、貧困がなくなるはずもありません。貧富の格差がますます拡大するばかりです。日本の深刻な首切り旋風のひきがねをひいたトヨタとキャノンの責任は重大です。あれで、日本の内需は大打撃を受けてしまったのです。膨大な内部留保を株主にしか回さないなんて、根本的に間違っています。そして、自公政府が雇用確保についてあまりにも生ぬるい手を打たないことには怒りを覚えます。
スウェーデンは、貧困をなくした生活大国である。スウェーデンでは、生活保護受給者は職のない若者がほとんどで、生活に困ったらすぐに受給できる。そして、短期のうちに自律できる。ところが日本では、働く能力があれば生活保護をもらうのが大変困難です。そして、そのことがかえって自立を妨げています。
 年金は国民を区別しない平等な仕組みであり、財源も租税により、保険料には頼っていない。お年寄りを大切にしない日本の政治は、根本的に間違っていますよ。
 政府は大きいよりも小さい方がいいという主張は、アメリカとイギリスだけの話で、日本はこの2国を追随しているにすぎない。しかし、ほんとうに小さい政府でいいのか?
 そんな小さい政府を目指しているはずの日本の国が抱える借金は、1996年に340兆円、2000年に500兆円、2004年に750兆円、2005年にはついに800兆円となった。
 貧困の目立つのは日本とアメリカであって、貧富の差は激しくなる一方である。これに対して低所得層を引き揚げ、貧富の格差を減らした国の筆頭はデンマーク、続いてスウェーデン、フィンランドである。
 スウェーデンは、デンマークと並んで世界最高の消費税25%を課している。しかし、だから生活が苦しいという非難は出ていない。
 税の国民負担率は、スウェーデンが51.1%、デンマーク49.7%、フィンランド44.%となっている。税金は、実は国民の貯金である。税金で障害の安心を手に入れておくという意識がある。スウェーデンの人々は、貯蓄にはきわめて不熱心である。なんと、税金についての考えが根本的に日本とは違うのですね。
スウェーデンは国家・地方公務員が住民1000人あたり150人にのぼっている。全労働者の35%、およそ3人に1人は公務員として働いている。これに対して日本は、1000人に対して35人でしかない。フランス96人、アメリカ80人に比べても少ない。日本では、公務員攻撃がひどいですよね。あの橋下大坂府知事が急先鋒ですが、身近な公務員をいじめたら財界が喜ぶだけです。
 スウェーデンの選挙の投票率は、1980年代まで90%だったのが、最近は少し下がって80%台である。これに対して、残念なことに日本は60%を割っています。
 スウェーデンは、国際競争の最先端を走るためには良質の労働力がなによりも大切だと考えている。そうなんですよ。不安定で将来性のない非正規雇用では、良質の労働力は得られません。
 スウェーデンには老人ホームがない。在宅介護が自治体の責任ですすめられている。寝たきり老人もいない。いやいや、すごいことです。日本も発想の大転換が今こそ必要です。
 たとえば、日本も、ハコづくりばかりに走ってはいけません。それより、人を大切にするという視点で、すべてをとらえ直す必要があるのです。このことを痛感させられました。
 日曜日、すっかり春景色になった山道を登りました。近くの山寺の臥竜梅が満開でした。風にふくいくとした梅の香りが漂っています。
 帰りに、十文字ナデシコの苗を買って庭に植え付けました。今、桜の木が白い花を咲かせて満開です。サクランボの木です。黄水仙が庭のあちこちに咲いています。チューリップはもう少しです。アスパラガスはまだ頭を出してきません。
 楽しみの春が到来しました。
(2008年11月刊。1600円+税)

継体大王の時代

カテゴリー:日本史(古代史)

著者 高槻市教育委員会、 出版 吉川弘文館
 淀川流域にある今城塚(いましろづか)古墳こそ継体大王のお墓であることは反論もなく定説化している。このころは、まだ天皇と呼んでいなかったので、大王となっています。
 それまでのヤマト王権の大王たちの地域的な基盤は、ヤマトや河内にあった。その北になる淀川水系は、ヤマト王権の本来の領域には含まれていなかった。継体大王を支えたのは、近江、尾張、越前といった畿内東辺の勢力、そして淀川水系の勢力であった。
 継体大王のあと、また大王のお墓は大和川水系の大和、河内に戻っていった。
 古墳時代の前期や中期のヤマト王権は、列島各地に基盤を置く首長たちが首長連合とでも呼んだらいいような政治的まとまりを形成していた。その中心が畿内連合で、その頂点に大王が位置していた。
 5世紀後半からの後期になると王権は、より中央集権的で強力な体制の形成を目指し、各地に盤踞(ばんきょ)していた大首長勢力(旧勢力)の在地支配を弱体化する、あるいは解体するとともに、この時期に台頭してきた新興の中小首長層や広汎な有力家長層(新興勢力)を王権の新しい支配秩序のなかに組み入れようとしはじめた。
 ヤマト王権の動揺期に、それに乗じるかのように九州勢力が強大化し、西日本を中心に日本海沿岸の各地や瀬戸内海沿岸の所々に勢力を拡大していった。
 九州の宇土(熊本県)に産する阿蘇ピンク石(馬門石、まかどいし)製の刳抜(くりぬき)式石棺が畿内や近江に運び込まれた。この阿蘇ピンク石製刳抜式石棺は、中期の王権に批判的な立場の畿内やその周辺の一部の勢力が、九州有明海周辺の勢力との関係のなかで石材を求め、独自の石棺をつくった可能性が高い。
 九州勢力は、一つの強固なまとまりというより、中期的な比較的緩やかな首長連合的まとまりで、畿内を圧倒するに至らず、かえって王権による中央集権的な体制づくりが進行するなかでは解体されるべき運命のものであった。磐井の乱は、そのような性格の戦いだった。ふむふむ、九州人の私としてはとても残念な気はしますが、そうだったのでしょうね。クシュン。
 有明海沿岸の勢力が朝鮮半島との交渉、交易に中心的な役割を果たしていた。これは、江田船山古墳(熊本県)の見事な百済、大加那系の金銅製の装身具を見ても確実である。
 有明海沿岸に産出される石が継体大王の墓に運び込まれていることを初めて知りました。やはり、八女の磐井の乱は、九州勢力の強大さを意味するものだったのですね。よかった、よかった・・・。
(2008年10月刊。933円+税)

警官の紋章

カテゴリー:警察

著者 佐々木 譲、 出版 角川春樹事務所
 『笑う警官』『警察庁から来た男』に続く、北海道警察シリーズ第3弾です。テレビで放映された『警官の血』も、同じ著者です。いつもながら日本警察の実態を敢然とえぐり取り、ストーリーもよくできていると感心しながら読んでいます。
 テレビで放映された『警官の血』をビデオで見ました。北大の学生運動にスパイとして送り込まれた潜入捜査官が、精神を病んでいく姿は、現実を反映したものだと思います。まともな人には、スパイ活動なんてとてもやれないですよね。
 舞台背景は2008年洞爺湖サミットです。世界の要人が集まり、世間注目の中で、目立ちたがり屋の女性大臣がストーカー男に狙われています。でも、本筋は警備のために東京からやってきた男に狙いがあり、そのことで北海道警に恥をかかせようというのです。自殺させられた父の仇を子がとろうというわけです。
 暴力団との係わりが深い、北海道のホテル・観光施設チェーンが登場します。この本では田森観光となていますが、実名はよく似ていますよね。ええーっ、ホテルまで暴力団親交者だったのか……。日本は、上から下まで暴力団にひどく汚染されていますよね。つくづく、そう思います。これもまた、読み応え十分の警察小説でした。
(2009年1月刊。1500円+税)

桶狭間・信長の「奇襲神話」は嘘だった

カテゴリー:日本史(戦国)

著者 藤本 正行、 出版 洋泉社新書y
 桶狭間(おけはざま)というと、谷底のような低地というイメージがあります。しかし、実際には、桶狭間山という丘陵地帯に今川義元は陣を置いていた。そして、信長は、堂々たる正面攻撃で今川軍を打ち破った。
 信長は、遺棄された義元の塗輿を見て、「旗本はこれだぞ、これを攻撃せよ」と命じた。ここまでは最初の攻撃で破った今川軍を追撃するのに夢中で、義元を捕捉できるとは考えてもみなかったはずだ。
 決戦は雨上がりに始まった。信長は空が晴れるのを見て、鑓(やり)を取り、大音声(だいおんじょう)をあげ、「かかれ、かかれ」と命じた。信長の軍勢が黒煙を立ててかかってくるのを見た今川軍は、後ろにどっと崩れた。
 今川軍は、初めは3百騎ばかりが真丸になって義元を囲み、退却を始めたが、信長軍の追撃を受けて、二度三度、四度五度と踏みとどまって戦ったものの、次第しだいに人数を減らし、ついには五十騎ばかりになった。そこで、信長軍の若者(服部小平太)が義元に切りかかり、毛利新介が義元の首をとった。
 以上は『信長公記』による。今川義元の出動は、京都に上洛して天下に号令するためという説があるが、本当は、信長との領国拡張競争で境目の城の取り合いをして衝突したということである。当時の史料で「天下」という言葉は、日本全国ではなく、京都を中心とした畿内近国を意味している。
 著者は、「奇襲」説は明治32年に参謀本部が刊行した『日本戦史・桶狭間役』に、信長の奇襲が大成功したとあることによるものだが、それは、資料にもとづかない創作だとしています。この本は、信長の家臣だった太田牛一(おおたぎゅういち)の『信長公記』(しんちょうこうき)を良質の史料として、それに全面的に依拠していますが、なるほどと思わせるものがあります。
 豪雨のなか、信長がわずかな手勢で義元の本陣に突入して義元の首を挙げたという通説のイメージは確固たるものがありますが、どうやら戦前の参謀本部に騙されているだけのようです。
(2008年12月刊。760円+税)

弁護士ムッチーの事件簿

カテゴリー:司法

著者 宮田 睦奥雄、 出版 夢企画大地
 愛知県の春日井市に法律事務所を構えている弁護士による、取り扱った事件の顛末記です。大変面白く、また、大いに勉強にもなりました。
 春日井市には地方裁判所の支部はなく、簡易裁判所しかない。したがって、ほとんどの訴訟事件は名古屋まで出かけることになる。弁護士にとっては大変不便ではあるけれど、依頼者の身近にあり、敷居の低い事務所をめざして、あえてこの地に事務所を構えてもう25年になる。いやはや、これってたいしたものですよ。なかなか出来ることではありません。
 法律事務所「友の会」というのをつくった。会員になると、初回の法律相談は無料という特典が受け、会員数は500人をこえる。「友の会」は、コンサートや芝居、講演会、そしてハイキングや山登り、小旅行、ゴルフコンペなどもしている。そして、「友の会」会報を年に4回発行している。そこに宮田弁護士が「私の事件簿」を連載してきたもののなかから、今回の本ができあがった。すごいですね、大したものです。
 相続のとき、特別縁故者として相続財産をもらうため、本来の相続人に相続放棄をお願いしたという話も出てきます。すると、本来の相続人からこころよく「協力します」と言ってもらえたのでした。この話を私の所に来た相談者に紹介すると、目をまん丸くして「そんなことがあるのですか。信じられません」と目をむいて驚いていました。
 宣誓供述書という方式で重要証人の証言を残しておくという方法があることを思い出しました。公証人が供述書の作成者にその記載が真実であることを宣誓させたうえで、その供述書に根拠をあたえるもので、証拠保全の手段の一つです。私は、まだ使ったことがありません。
 読むと、ほんわか元気の出てくるあったかい本です。ムッチーこと宮田先生、これからも元気にがんばってください。
(2008年8月刊。2000円+税)

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