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カテゴリー: 司法

沈黙法廷

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 佐々木 譲、 出版  新潮社
老年男性の不審死が相次いで発生します。疑われたのはフリーの家事代行業の女性。現代日本における一人暮らしの男性に忍びよる危険が背景にあります。
金持ちの中高年男性をターゲットとする危険な商法があるのです。その名簿が売られて
います。高額な商品を買った人のリスト。バリアフリーのリフォームをした人のリスト。訪問介護を受けている一人暮らしの人のリスト・・・。
いろんなリストが売買されている世の中です。そして、暮らしを成り立たせるのも難しい女性がたくさんいます。資格がなくてもやれる仕事として家事代行業というのがあるのですね・・・。
ひところ便利屋が流行していましたが、最近はあまり目立たなくなりました。
警察小説の第一人者である著者が、弁護士の監修も得て、迫力ある法廷場面を描いています。まるで実況中継していると思えるほど、真に迫っています。
状況証拠だけで被告人を有罪とできるのか・・・。
検察と弁護側の激しい攻防戦が繰り広げられるのですが、自分の過去を知られたくない被告人の女性は、突然、証言台で「答えたくありません」を連発しはじめるのです。
いったい、なぜ。どうして、そんな自分に不利な行動をするのか・・・。
世の中には、白か黒でスパッと割り切れないことがたくさんあるのですよね。そして、本当はクロではないかと思いつつ、シロとなったり、逆に明らかにシロなのに灰色で有罪となったり・・・。不条理、不合理にみちみちた世の中です。
550頁をこす大作です。休日の半日で、一気に読了しました。
(2016年11月刊。2100円+税)

なぜ弁護士は訴えられるのか

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 升田 純 、 出版  民事法研究会
 弁護士が元依頼者から訴えられることが珍しくはないという時代になりました。アメリカでは弁護士過誤を専門とする弁護士までいると聞いたことがあります。
 医療問題を専門に扱う弁護士団体(研究会)が日本でも活動していますが、アメリカと同じような状況になるのでしょうか・・・。
 実は、私も元依頼者から訴えられた経験があります。代理人として誠心誠意やったつもりでも、結果が悪ければ、依頼した弁護士に八つ当たりしたくなるのでしょう。ちゃんと期日前に準備書面を作成して裁判所に提出し、証人尋問の打合もきちんとし、期日の報告を欠かさなくても、結果が出ないと責任を取れ、払った着手金を返せと迫られるのです。もちろん私は弁護士過誤保険に加入していますから、過誤があったとなれば、保険の適用を受けて保険会社に賠償金を代わりに支払ってもらいます。でも、結果が悪かったから着手金を戻せと言われたら、たまりません。
 その事件の反省点は、そもそも受任すべきではなかったし、相性が悪いと思った時点で、途中でさっさと辞任しておくべきだったということです、なんとなくズルズルと判決までいったのが失敗でした。
 この本は、弁護士が訴えられた218の裁判例を分類し、判決の意義と指針を短くコメントしています。といっても680頁もの大作です。
 驚くべきことに、裁判官が事件担当の弁護士の主張について名誉棄損の不法行為が成立するとされた判決があるのです(控訴審は否定しました)。
 「本件訴訟は裁判所の適法な訴訟活動に対して因縁をつけて金をせびる趣旨であり、荒れる法廷と称する現象が頻発した時代にもあまり例がないような新手の法廷戦術である」その裁判官は、このように書いたのでした。目を覆いたくなるほどのひどさです。
 この本には、「中には社会常識を逸脱した言動、根拠を欠く言動、粗暴とも思われる言動をする裁判官も見られるのも現実である」としています。
 たしかに、私も30年ほど前には、よく見聞しました。私がこの10年来、困るのは、枝葉にとられ、形式ばかり細かくて、大局観に乏しい裁判官、強いものや権力に歯向かう勇気のない裁判官、やる気の感じられない投げやり姿勢の裁判官が目立つことです。
弁護士は、どのような場合に法的責任があるとされるのか、多くの判例を集めて分析している貴重な労作です。
(2016年11月刊。6900円+税)

弁護士の経験学

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 髙中正彦・山下善久・太田秀哉ほか 、 出版  ぎょうせい
困難な時代をどう生き抜くか、失敗続きの人生、それでも何とかなる!
オビのフレーズです。本のサブタイトルは、「事件処理・事務所運営・人生設計の実践知」となっています。現役として活動している弁護士全般にとって大変役に立つ内容となっています。
私は、この本に書かれていることの大半について、まったく同感だと思いながら、福岡までの帰りの飛行機のなかで一気に読みあげました。
福岡県弁護士会では、このところ懲戒処分を受ける弁護士が相次いでいます。先日は、福岡県弁護士会自体が監査責任を問われた裁判の判決が出ました。幸いにも弁護士会の監督責任は認められませんでしたが、これをギリギリ詰めていくと、あまりに統制が強すぎて息苦しくなってきます。すると、戦前のように行政の監督下においたらいいとか、強制加入をやめてアメリカのように自由化せよということになりかねません。それは、いずれも権力をもつ人が大喜びする方向です。
自由業としての弁護士と、権力を抑制・監視する存在としての弁護士と、弁護士は独立した存在であり続ける必要と意義があると私は確信しています。そして、強制加入団体としての弁護士会は、その制度的保障なのだと思います。
それはともかくとして、懲戒処分を受けた弁護士には共通するところがあると本書は指摘しています。
虚栄心が強い人、見栄っ張りの人。性格的に弱いため、自制が利かない人が多い。
弁護士の仲間内でも孤立していると危険。IQの高さは関係ない。
弁護士の依頼層は、その弁護士の人格の投影である。
弁護士の誰もが転落するリスクを負っている。それは、弁護士業務が楽しいことばかりではないからだ。苦しいときに独りぼっち。そんなとき、果たしてとどまることが出来るのか。自分は絶対に大丈夫だといっている人はリスクが大きい。
ハッピーな終末を迎えるためには投資も必要。もっとも大切な投資は、自己への投資、とりわけ健康に対する投資である。 
収入を増やし、支出を減らすこと。まとまった大きな収入があったとき、ダメな人は豪遊してしまう。そうではなくて、半分は定期預金にしておく工夫がいる。
弁護士がうつ病にならないためには、依頼者とともに泣かないこと。
依頼者と一歩でも距離を置いていてこそ、冷静な判断が出来ると私は考えています。岡目八目です。
弁護士に対する苦情のなかには、うつ病だとか脳出血の後遺症があるということが少なくない。これは悲しい現実です。
法律事務所をわたり歩く弁護士には、能力のない人、協調性のない人が多い。
この本の前半は、弁護士業務を適正かつ円滑にすすめていくうえで大変参考になることが盛り沢山です。
反対尋問は、弁護士の仕事の花だ。反対尋問は意地悪であることが求められる。わざと順番を逆転させ、予想の裏をかくという工夫もする。
証人尋問のリハーサルのとき、答えまで覚え込ませるのはよくない。それでは学芸会の台本のようになって、緊張感が希薄になってしまう。答えを覚えておこうという意識が先行すると、ちょっとした反対尋問でもボロボロになる危険がある。
クレーマーには、毅然とした対応することが原則。できる限り話は聞く。しかし、それで満足することはない。だから、きちんと当方の見解を述べて対応を打ち切ること。長く話を聞けばよいというものではない。話を聞くのは、喫茶店など、外部の開けた場所が望ましい。密室の面談室で1対1で会うの危険だ。
嘘を言う人。自分が絶対に正しいと言い張る人。ずるい人。自分に都合のいいことしか話さない人。時間にルーズな人。頼んだ書類をもってこない人。話し方がぞんざいな人。自慢話を長々とする人。みな要注意だ。
とても実践的な本です。ご一読をおすすめします。
(2016年12月刊。3000円+税)

希望の裁判所

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 日本裁判官ネットワーク 、 出版  LABO
このタイトルは、ジョークでも皮肉でもない。日本の現元裁判官が大まじめでつけたもの。
希望が今後も大きくなるように、さらなる司法改革を心から訴えている本である。
日本裁判官ネットワークは、1999年(平成11年)9月に、現職裁判官をメンバーとする日本で唯一の裁判官団体(裁判官OBがサポーターとなっている)。
この本の冒頭にあるのは、なんと「判決どどいつ」です。弁護士から裁判官になった竹内浩史判事です。それがなるほど、よく出来た「どどいつ」なのです。たとえば、次のようなものがあります。
セブン・イレブン、反省気分、多分報告、不十分
これは、最高裁判決がセブン・イレブンの本部に仕入の詳細に関する情報開示を命じたものに関するものです。
福岡高裁を最後に定年退官した森野俊彦弁護士は非嫡出子の相続分差別規定を憲法違反とした最高裁判決を積極的に評価しながらも、その理由づけに不満を述べています。立法理由の合理性の判断から逃げているという点です。そして、夫婦同姓規定について合憲とした最高裁判決については大いなる疑問を投げかけています。
ただ、鎌倉時代の北条政子について、官位を付与するときの便宜的なもので、記録上だけとしているのは、本当なのでしょうか。同じように、夫婦別姓だったとして有名なのは日野富子もいますし、江戸時代は夫婦別墓で、妻は実家の墓に入っていたということですし、単に便宜とか記録上というのではないように私は考えています(私も、さらに調べてみます)。
人生の半分以上を費やした場所である裁判所になお、希望を見出そうとする思いがにじみ出ている論稿でした。
浅見宣義判事は、激動する日本社会の中で、裁判官という職務のやりがいが特に大きくなり、その魅力が高まっていると力説しています。
私も、そう考えている裁判官がもっと増えてほしいと思います。現実には、やる気のない裁判官、記録をじっくり検討しているのか疑わしい裁判官、枝葉を妙にこじくりまわす裁判官、いかにも勇気のない裁判官があまりに目立つからです。
裁判員裁判を経験した刑事裁判官が、体験して本当に良かったと述懐していたとのこと。私も、こういう話を聞くと、うれしくなります。私は残念ながら、裁判員裁判を1件も経験していません。殺人事件を担当したら、いわゆる認定落ちになってしまったのです。
体験した弁護士の、必ずしも全員が裁判員裁判を積極評価しているわけではありません。先日、これまで8件ほど体験した福岡の弁護士に意見を求めると、昔の職業裁判官による裁判に比べたら断然いいと思うし、やり甲斐があると語っていました。パワーポイントなど使わず、裁判員の顔を見ながら弁論するので、反応がすぐ分かり、手ごたえがあるのが良い、とのことでした。
これまでの調書偏重裁判を打破したという点で、裁判員裁判は画期的なものだと私も考えています。そして、被告人の保釈が認められやすくなったのも事実です。「人質司法」が少しだけ改善されたのです。
もちろん、裁判所は、もっともっと改革されるべきです。たとえば、裁判官の再任審査にあたって外部意見を取り入れる建前になっていますが、それは「外部」といっても、せいぜい弁護士しか想定していません。広く裁判を利用した国民の声を反映させるものではまったくありません。実は、弁護士会のなかにも、その点について消極的な声があるので、驚くばかりです。大学でも学生が教授を評価するのがあたりまえになっている世の中です。裁判を担当した裁判官について、利用した国民がプラス・マイナスの評価をつけることが「裁判の独立」をおかすものとは私には思えません。
最後に『法服の王国』の著者である黒木亮氏がイギリスの裁判では、みんなが活発議論していることを紹介しています。私は日本でも、もっと本当の口頭弁論をしなければいけないと考えていますので、日本はイギリスを見習うべきだと思いました。
ともあれ、日本の司法について希望を捨ててしまったら、いいことは何もありません。
日本国憲法の輝ける人権保護規定を深く根づかせるためにも、私たち弁護士も、裁判官も、もっと努力する必要がある。そのことを確信させる貴重な問題提起の本です。
私の同期の元裁判官(仲戸川隆人弁護士)より贈呈を受けました。ありがとうございました。日本裁判官ネットワークのさらなる健闘を心から期待しています。
(2016年12月刊。2500円+税)

黒い巨塔、最高裁判所

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 瀬木 比呂志 、 出版  講談社
最高裁判所の内部を小説として描いた話題の本です。
さすがに最高裁で働いたこともある元裁判官だけに、その描写は精密をきわめます。私も弁護士会の役員をしているときに最高裁の判事室や民事局長室などに立ち入ったことがありますので、なんとなく部屋の雰囲気が分かります。
事件の関係でも最高裁調査官と面談したことが昔ありました。今では調査官すら面談に応じてくれないようです・・・。
当然のことながら、この本の冒頭には、「この作品は架空の事柄を描いた純然たるフィクションであり、実在の人物、団体、事件、出来事等には一切関係がありません」という但書があります。しかし、それにしては、あまりに迫真的な描写です。最高裁による青法協つぶしについても「東法協」攻撃として登場してきますし、裁判官会同を開いて最高裁が全国の裁判をリードしていること、裁判官と政治家との結びつきなど、フィクションどころではありません。
砂川事件の最高裁判決のとき、ときの最高裁長官・田中耕太郎(裁判官の名に値しない、軽蔑するしかない人物ですので、呼び捨てにします)が司法の独立どころか、アメリカの下僕として言いなりに動いていたことが最近明らかにされましたが、最高裁上層部の自民党言いなりは昔も今も変わりません。本当に情けない話です。
出世主義者の裁判官がいるのは現実です。出世主義者の裁判官は、お世辞(せじ)、お追従(ついしょう)には、きわめて弱い。上の人の履き物を背広の中に入れて温めんばかりの忠誠を尽くす。
東法協(青法協)パージは、1970年代に急速に薄れていった。その会員のなかで成績や能力において秀でていた人々のほとんどが転向し、一定の節を守り続けた人は少なかった。そして、日本における左派の転向の常として、自由主義のレベルにとどまることなく、極端な体制派、狭量な保守派となって、出世の階段をひた走った。同時に、人事による締め付け、裁判官支配、統制工作に一役も二役も買った。
東(青)法協の後身である日本裁判官懇談会(懇話会)も、政治的な色彩を薄めたが、最初のうちこそ新任判事補の加入者も多かったが、7、8年のうちには、ほとんどが脱会してしまっていた。
転向者が極端な極右になったりするのは、日本だけではありません。アメリカのネオコンもそうです。そして、裁判官懇話会は会員制ではなかったし、8年で消滅したどころではなく、平成18年まで20年以上も続いていました。ここらは、著者の思いこみと認識不足だと私は思います。
最高裁長官による人事は、昔から、基準がよく分からず、恣意的で有名だった。一度でも意に逆らったり、許しがたいと思われる行動をとった人物に対して意識返しをするのは明らかだった。こうした恣意的な、あるいは報復であることが明らかな人事は、長官の思惑をはるかに超えた強烈な効果を裁判官たちに及ぼした。判決の内容や論文執筆のみならず日常のさまざまな言動にまで細かく気を遣い、長官や事務総局の意向をうかがう人々がどんどん増えていった。
これは今も生きている現象ではないかと思わざるをえません。
最高裁長官は、持ち前の冷徹な勘を最大限に発揮し、緻密な戦略の下に、確実に敵をつぶし、若手の優秀な裁判官たちを一人また一人と転向させていった。
『法服の王国』にも似たような状況が描かれています。
裁判官のなかに、大学時代に地域密着の学生セツルメント活動をしたという経歴の人が登場します。実際、私の知っている元セツラーが何人も裁判官になり、真面目に仕事をしています。
この本は、学生時代に民青シンパだった裁判官について、次のように揶揄した表現をしていますが、これは著者の本には過去何度も登場してくるもので、鼻をつくとしか言いようがありません。
「そんな学生によくあるように、彼の思想は深いところまで突き詰められたものではなく、系統的な読書にもとづいたものでもなく、ただ単純かつムード的な正義感に根差していた」
著者のこのような表現は、私からすると、著者こそ根の浅い表層的なモノの見方しか出来ない思考を反映しているものに思えてなりません。
良識派の裁判官たちを苦しめているのは、出世欲ではなく、閉じられた横並び社会における、理由のよく分からない線引きや選別にさらされることの辛さ、そうしたことの不安ではないか。自分の能力が正当に評価されない可能性についての不安だ。
ヒラメ裁判官ばかりになってしまったという反省が少し前には多く聞かれましたが、最近は、それがあたりまえになったためか、反省の声が内部からあまり聞こえてきません。
本人たちは自由に発想しているつもりでも、客観的には、がっしりした枠のなかの小さな「自由」でしかない。それが残念ながら現実ではないかと私は考えています。まだ読んでいませんが、先日『希望の裁判所』という本が発刊されました。「絶望」しているだけではダメですので、なんとか少しでもより良い裁判所につくり変えていきたいものです。
そのような問題提起の本として、一読をおすすめします。
(2016年10月刊。1600円+税)

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