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カテゴリー: 司法

対米従属の正体

カテゴリー:司法

著者    末浪 靖司 、 出版    高文研 
 驚き、かつ呆れ、ついには背筋の凍る思いをしました。
 最高裁長官が大法廷に従属中の事件について、一方当事者でもあるアメリカ大使に評議内容を漏らしていたのです。なんということでしょうか。もちろん、古い話ではありますがアメリカ公文書館で公開されている米国側資料に明記されていた事実です。ときの最高裁長官は田中耕太郎、1959年11月のことです。
この田中耕太郎の行為はもちろん罷免事由に該当します。今からでも遅くないと思います。叙勲を取り消し、最高裁は弾劾相当であったことを明確にして、一切の顕賞措置を撤回したうえ、もし顔写真等を飾っていたら、直ちに最高裁の建物から撤去すべきです。
田中耕太郎・最高裁長官がマッカーサー駐日大使と会ったのは、砂川事件について大法廷が審理している最中のことです。そこでは、アメリカ軍の日本駐留は憲法違反だという一審の伊達判決を受けて、違憲か合憲かを審理中でした。
 マッカーサー大使は、伊達判決の翌日に藤山愛一郎外相と密談して、最高裁に跳躍上告することを勧めた。そのうえで1959年4月22日に田中耕太郎最高裁判官と会った。そのとき、田中長官、時期はまだ決まっていないが、来年の初めまでには判決を出せるようにしたいと述べたうえで次のように語った。
できれば、裁判官全員が一致して適切で現実的な基盤に立って事件に取り組むことが重要だ。最高裁の裁判官の幾人かは手続き上の観点から事件にアプローチしているが、他の裁判官は法律上の観点からみており、また他の裁判官は憲法上の観点から問題を考えていることを示唆した。
 重要なのは、15人の最高裁判事のうち、できるだけ多くの裁判官が憲法問題にかかわって裁定することだと考えているという印象を与えた。
 これはマッカーサー大使が、アメリカの国務長官あての電報に記載されていることなのです。評議の秘密を一方当事者に洩らすなんて、およそ裁判官にあるまじき行為です。古い話だとすませていいことだとはとても思えません。ひどすぎます。
ところで、アメリカ政府が長官と直接接触する機会をどうやってつくったのかまで明らかにされています。ロックフェラー財団が日本の最高裁に法律書を寄贈することにして、最高裁は駐日大使を贈呈式に招待したのです。こうやって表向きの口実をつかって、裏では裁判の内情を知らせ「意見交換」したというわけなのです。涙がこぼれ落ちてくるほど情けない話でもあります。最高裁長官の椅子って、こんなにも軽いものだったんですね、トホホ・・・・。
 次に最高裁長官になった横田喜三郎も同じようなものでした。東大教授だったころは、外国の軍隊を日本に駐留させることは憲法9条に反するとしていたのに、突如としてアメリカ軍の基地は日本にとって戦力となるものではないから合憲だと言いはじめ、そのことがアメリカから高く評価されて最高裁長官になることができた。うへーっ、なんとおぞましいことでしょう・・・。
アメリカ兵が日本国内で刑事犯罪をおかしても、その大半は処罰されません。日本は主権国としての刑罰権を行使しない(できない)のです。ところが、それは1960年代までは必ずそうとばかりは言えませんでした。原則として、当然、日本の主権、統治権下にあり、日本の法令が適用されるということだったのです。それが、次第にアメリカの言いなりなっていくのでした。まさに逆コースですよね。
 今回のオスプレイにしてもそうですね。アメリカ軍の言いなりで、日本政府は何も言わない(言えない)なんて、情けない限りです。これで愛国心教育を国民に押し付けようというのですから、どこか間違っていますよね。
 為政者たる者、愛するに足る国づくりを本気でしてほしいものです。自らの努力を怠っていながら、国民にばかり押しつけるなんて、間違っています。広く読まれてほしい、画期的な本です。
(2012年6月刊。2200円+税)

日本近現代史のなかの救援運動

カテゴリー:司法

著者   山田 善二郎 、 出版    学習の友社 
 交通事故のひき逃げを疑われている人から相談を受けて、警察をそんなに信用しすぎてはいけません、ときに罪なき人を警察官は有罪にしてしまうことだってあるのですからねと助言することがあります。すると、警察官がひどいことをするなんて、今の今まで思ってもみませんでしたという反応がかえってきます。警察は正義を実現するところ、悪い人を捕まえるところという思い込みをほとんどの市民が思っています。私だって、弁護士になる前は、もちろん、そう思っていました。でも、弁護士になってからは、警察はときとしてとんでもない間違いをおかし、そのことに気がついても容易に誤りを認めようとしない鉄面皮のところがあると考えています。
 ですから、ぬれぎぬ(冤罪)で泣く人が生まれます。そのときに役立つのが国民救援会です。私も、救援会には少しだけ関わっています。この本は救援会の会長をつとめた著者が戦後日本の救援運動が果たしてきた役割をざっと紹介してくれるものです。著者自身が戦後まもなくの冤罪事件で、「犯人」の逃亡を手助けしてアメリカ軍からにらまれたという体験の持ち主です。そして、その事件のあとは、ずっと救援運動に関わってきました。
 最近有名なのは、布川(ふかわ)事件、そして、その前の足利事件です。いずれも再審で無罪となりました。それに至るまでの苦労がなんと長く困難だったことか・・・。救援会が無罪を獲得するのに大きく下支えをしました。
 それはともかく、2001年にパソコンから流出した愛媛県警察本部の被疑者取り調べ要領の一部を次に紹介します。
○粘りと執念をもって「絶対に落とす」という気迫が必要。調べ官の「絶対に落とす」という、自信と執念にみちた気迫が必要である。
○ 調べ室に入ったら、自供させるまで出るな。
被疑者の言うことが正しいのではないかという疑問を持ったり、調べが行き詰まったりすると逃げ出したくなるが、そのときに調べ室から出たら負け。お互いに苦しいのだから、逃げたら絶対ダメ。
○ 取り調べ中は被疑者から目を離すな。取り調べは被疑者の目を見て調べよ。絶対に目をそらすな。相手を呑んでかかれ。呑まれたら負け。
○ 被疑者はできる限り取調室に出せ。自供しないからといって留置場から出さなかったら、よけい話さない。
どんな被疑者でも、話をしているうちに読めてくるし、被疑者も打ちとけてくるので、できる限り多く接すること。否認被疑者は、朝から晩まで取調室に出して調べよ。
戦前、13歳の少女が、与謝野晶子の『みだれ髪』(歌集)を買って寄宿舎に置いていたところ、特高警察に知られて拷問されたというケースが紹介されています。その少女は、拷問されたあと帰されて寄宿舎の寮長に「茶わんいじほうって何のこと?」と尋ねたそうです。治安維持法という悪法も知らない13歳の少女を拷問していたぶった特高警察の非道さに思わず涙が抑えきれませんでした。
 また、戦後の一大謀略事件として有名な松川事件の起きた直後、「米日反動の陰謀だ」とか言葉だけ激烈に訴えても、誰の心にも動かさなかった。そうではなくて、具体的な事実と、率直な心情を自分自身の言葉で語りはじめたとき、広津和郎をはじめとする世間の人々の心に訴えが届いた。
 これは、今に生かされるべき教訓ですよね。
 日本民主主義がどの程度根づいていると言えるのか、この救援運動の歴史を知らずして語ることはできないと私は確信しています。
(2012年6月刊。1429円+税)

薬害肝炎・裁判史

カテゴリー:司法

著者    薬害肝炎全国弁護団 、 出版   日本評論社  
 薬害肝炎に取り組んだ福岡の弁護師団から贈呈されました。560頁もの分厚い本ですし、私自身が関わった裁判ではないので、少しばかり気が重たかったのですが(なにしろ手にとると、ずしりと重くて、とてもカバンに入れて持ち運びながら読む気にはなれません)、せめて、弁護団の苦労話を語った座談会だけでも読んでみようと思ったのです。ですから、この本を通読したわけではありません。でも、私が読んでも大変勉強になるところが多々ありました。
 弁護士、とりわけ若手弁護士のモチベーションをいかに高めるか。これには、事件に対するモチベーションの問題と組織の中で働くことのモチベーションを高めることの2つがある。新人弁護士だからといって、事務的な雑用だけをやらせるのではなく、責任のある仕事をできる限り頼んで、その責任ある仕事が成果として見える、そんな仕事を若手弁護士にどう割り振るかに苦心した。
 弁護士としては、訴訟活動を抜きにして、モチベーションを維持するのは難しい。また、地元の被害者の救済があるので、地元提訴は有効だ。これが、東京・大阪の訴訟の応援だけだと難しい。5地裁で提訴したのは、非常に有効だった。
 大型集団訴訟は、特許事件のように、東京と大阪だけに絞り込むべきではないかという極端な意見もあるが、全国に被害者が散在している事件では、それはありえない。
 東京地裁だと扉が大きく開かれないが、関門海峡を越えると治外法権になるとか、法が違うとか、いろいろ言われるように、驚きの連続だった。
 福岡では扉が広く、原告弁護団側から裁判所にどんどん働きかけができて、争点を設定して訴訟進行の主導権をとっていけた。
 先発組がぽろぽろと負けたあとで、後発組がきちんとした戦略を立ててやっても、その問題について既に負け判決が出ているなかで勝っていくのはものすごく困難だ。
 新しい集団訴訟で勝つというのは、理屈だけではできない。被害をきちんと伝えて、「原告を勝たせなければ」と裁判官に思わせるには、多様な力がいる。言いたいことを言い、証拠さえ出せば勝ち判決がころがり込んでくるという甘い見通しではダメ。この裁判官に、勝判決を絶対に書かせる、そのための戦略と力量と意欲が必要。
 目標は、社会における誤った政策を変えること。そのための手段として裁判を使う。負けては何にもならない。たくさん裁判があればよいというのは、50年前の発想。
東京では22人の原告全員の本人尋問はできなかった。しかし、東京以外は、原告全員について本人尋問した。九州は18人、大阪は13人、名護屋は9人、仙台は6人だった。
被告となった国は、関門海峡を越えた福岡では勝てそうにない。大阪もどうも風向きが怪しい。そこで、東京に集中して、東京で勝とうという戦略を、途中からとったと思われる。
 国は、各地の弁護団の弱い分野を意識して証拠を立てた可能性がある。九州は有効性が強くて、重篤性がいくらか弱い。そこで、国は重篤性についての証人を九州で申請した。
5地裁に提訴すると、同一争点に関する証人尋問を5回も行うことになりかねない。そこで、争点一つにつき、原被告とも証人1人を選抜し、それを各地で分散しながら立証していく計画を立てた。
 また、中間的に提出した統一準備書面はすごく効率があった。
 集団訴訟の勝訴判決は、被害の重大性を直視した裁判官によって、ある程度の飛躍がないと書けない。
 薬害肝炎については2002年10月に東京・大阪で提訴してから、2007年12月の政治判決まで5年かかった。しかし、5地裁判決がそろってからは、わずか4ヵ月で解決した。しかも、東京地裁判決直後の官邸入りから9ヵ月で解決したのは、かなりハイスピードの解決だった。
大阪地裁のときも福岡地裁のときも、判決が出た時点で国会は閉会中だった。つまり、司法判断をテコにして政治問題化していくときの、その舞台が用意されていなかった。
 裁判所は、大規模訴訟については4年以内でおさめる、裁判迅速化法も受けて4年内に解決するために計画審理をする方針をとっている。しかし、薬害肝炎のような薬害訴訟を2年で終わらせようとすると、弊害のほうが大きくなる危険がある。
5地裁のどの裁判長も、自ら指揮をとってこの問題を和解で解決しようというそぶりがまったく見られなかった。だから、わざわざ裁判所に、判決の前に和解勧告してほしいと言いに行く動機がもてなかった。
薬害肝炎訴訟において、仙台地裁では国が勝ったけれど、これは使えない勝訴判決だった。最悪の勝ち方をしてしまった。
 国はいくつ負けても、一つ勝てば責任を否定して解決を遅らせるので原告はすべて勝たなければならないという教訓があるのも事実だ。
 原告になった人は、匿名から実名になったときに、自分の問題としてやっていかざるをえない立場に立たされ、どんどん成長していった。
 新しい課題は、いつも若手、新人弁護士が切り開いていくものだ。裁判戦略は法的責任を明確にすること。訴訟の重要性を改めて認識することだ。
 被害に始まり、被害に終わる。弁護団は国民に共感を広げ、裁判所に共感を広げ、政治の舞台に共感を広げていく。その共感が広がれば、その先に勝利は約束される。逆を言うと、苦しいときには共感が広がっていないということ。薬害肝炎でも、試行錯誤しながら結果的に勝てた。
 なかなか味わい深い統括の言葉だと受けとめました。
 福岡の八尋光秀、浦田秀徳、古賀克重弁護士が、裁判でも本のなかでも大活躍していて、うれしくもあり心強い限りでした。
(2012年1月刊。4000円+税)

結いの島のフリムン

カテゴリー:司法

著者   春日 しん 、 出版   講談社
 保護司、三浦一広物語というサブタイトルがついた本です。非行少年・少女をあたたかく見守り、更生につとめている保護司の活動を紹介しています。南の島の奄美大島では、人々がのんびりのどかに暮らしていると思っていましたが、現実は大違いのようです。
 かつて、奄美大島の産業界で隆盛を誇った大島紬(つむぎ)も、現代人の着物離れから著しく衰退し、特産の黒砂糖の産業も思わしくない。島を訪れる人の数が減ると、島で働く人の仕事が減り、仕事がなくなると家庭のなかに不和が広がって夫婦が別れ、子どもとひとり親の母子、父子の家庭が増えた。奄美では、ひとり親家庭が全体の4割をこえている。
奄美大島は、本州など四島を除くと佐渡島に次いで面積5位の大きさをもち、人口7万人の美しい島だ。
保護司の三浦一広は、奄美市役所福祉政策課・少年支援係に勤務している。NPO法人奄美青少年支援センター「ゆずり葉の郷」の中心人物でもあり。また、奄美合気道拳法連盟の統帥範代である。その教育方針は、許し、認め、ほめ、励まし、感謝する。すごいですね。私など、なかなかできませんね。励まし、感謝するというのは年齢(とし)相応にできるようになりました。でも、許し、認め、ほめというところがまだまだです。他人(ひと)のあらがすぐ目につき、それを批判(非難)し、けちをつけたくなります。
 大きな声による説教の効果は3ヵ月しか続かなかった。信頼してほめた言葉は、説得しなくても心の底から子どもを変えた。なーるほど、そうなんでしょうね。やっぱり、誰だって、自分を認めてくれる人になら心を開きますよね。
 非行少年たちの心を変え、親も感謝し、本人も喜ぶ循環型の治安維持活動。これが、2004年、日本初の試みとして奄美に発足した少年警護隊だ。その成果として、2年間で、奄美の犯罪件数は675件から313件へと半減した。少年非行も96件から32件へと、3分の1に激減した。
三浦一広は1年365日、1日24時間、問題をかかえるこどもとその家族のために、夜眠る間もケータイを離せず、2時間過ぎに受信をチェックする。必要とあれば、夜中の何時でも、現場にとびだしていく。ええーっ、こんなことって常人にはできませんよね。体は大丈夫でしょうか、心配です。
奄美大島には、消費者相談で全国的に有名な禧久孝一氏もおられます。狭い島だと思いますが、二人も全国的知名度をもつ地方公務員がいるなんて、なんと幸せな島でしょうか。
 今後とも、健康にだけは留意していただき、ご活躍を祈念します。
(2012年3月刊。2800円+税)

有罪捏造

カテゴリー:司法

著者   海川 直毅 、 出版   勁草書房  
 大阪で2004年(平成16年)に起きた大阪地裁所長に対するオヤジ狩り事件についての本です。その犯人として警察が捕まえた人たちが実は無実だったという衝撃的な話なのです。ええーっ、大阪の警察はいったいどうなってんの・・・と思ってしまいました。警察の思い込み捜査のひどさがここにもあらわれています。
 大阪地裁所長が自宅に帰ろうとして、夜8時半すぎに歩いているところを4人組の若者から襲われ、所持金6万円を奪われたという事件でした。犯人は高校生風の4人組ということだったのに、29歳の、身長184センチ、体重90キロの成人が犯人とされたというのも納得できないところです。ところが、検察官は犯人像にまったくあわないのに起訴してしまうのでした。
 当然のことながら、弁護人は苦労します。被害者が現職の大阪地裁所長だけに、裁判官は被害者の尋問をなかなか採用とはしません。先輩に対する遠慮(保身か・・・?)が先に先立つのです。それでも、なんとか法廷での被害者尋問は実現しました。
そして、決定打は近くの民家に備え付けてあった防犯ビデオでした。その映像に犯人と思われる4人の人物が走り去る様子がうつっていたのです。どう見ても細身の少年風の四人組でした。29歳で巨大の被告人とはマッチしないのです。
 そこで、ビデオ映像を鑑定してもらうことにしました。すると、被告人の身体の特徴とは合致しないことが判明しました。
さらに、事件当夜、共犯とされていた少年と交際していた少女のケータイにメールのやりとりが残っていたのです。結局、これが決め手となりました。そのケータイ・メールは後から作為できるようなものではありませんでした。
 犯行当夜のアリバイが確実に裏付けられたのです。逆にいうと、これほど、明確なアリバイ証拠が出てこないと、被告人が無罪になるのは難しかったのではないかとも思いました。
 それほど、裁判所は警察や検察庁を信頼しているということです。この世は、信じられないことばかりですよね、まったく。
(2012年5月刊。2400円+税)

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