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カテゴリー: 中国

魔都上海に生きた女間諜

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 高橋 信也 、 出版 平凡社新書
 上海には、20年以上も前に2度ほど行ったことがあります。当時もビル建設ラッシュでしたが、外壁づくりの足場が竹製だったのには驚きました。そして、まさしく人海戦術で高層ビルがつくられていました。ともかく上海は巨大都市、しかも超近代的なビルが林立していました。ここは社会主義でも共産主義でもなく、まごうことなき資本主義の国だと実感したものです。
 この新書は、戦前の上海で母を日本人とする若い女性がスパイとして活躍していて、ついには日本軍によって処刑されてしまうという悲劇の人生を浮き彫りにしています。
 当時、心ある中国人の青年は日本軍の横暴さを許せなかったと思います。でも、それを表立って言ったりは出来ません。それで、人知れずスパイ活動をする青年男女も少なくなかったのだと思います。
 戦後、日本の国会議員にまでなった李香蘭こと山口淑子は、両親とも日本人ですが、父親と親交のあった中国人(藩陽銀行の頭取の李際春)の養女となって、「李香蘭」として歌手・映画俳優になったのでした。
 本書の主人公は、李香蘭より6年ほど早く生まれています。父親は日本に留学中に日本人女性と親しくなり、女性を中国に連れて行き、娘は当時の中国人女性として珍しい高等教育を受け、その美しさから上海では有名な女性となったのでした。日本語もできて、社交的で聡明なことから、国民党CC団のスパイとして活動するようになります。
 当時の上海は日本が全面的に支配することのできない大都会でした。租界として、欧米各国の勢力も無視できなかったのです。
鄭蘋如がスパイとして活動したのは、わずか2年半あまりという短い期間です。そして、その間に、ときの日本首相・近衛文麿の息子・近衛文隆と恋愛関係になったのでした。そして、このことを日本側が知ると、無理矢理、文隆を日本に引き戻してしまったのでした。双方にとっての悲劇だったようです。文隆は、その後、シベリアに抑留され、そこで病死したように思います・・・。
 当時の上海には10万人もの日本人が生活していた。そして、鄭蘋如は、和平派の日本人グループと深く交流していた。
彼女の処刑に至るまでには、日本軍の判断が深くかかわっていた。
当時、上海は、常に中国の政治の象徴的存在だった。1930年代の上海の人口は360万人。ユダヤ人も2万人が住んでいた。フランス租界の警察署長は青幇(チンパン)のボスであり、租界の影の実力者だった。
父親は、日本留学から戻ると、一貫して国民党員であり、抗日意識をもった法務官僚だった。
 鄭蘋如は、上海法政学院に入学し、23歳のとき、上海のグラフ雑誌の表紙を、その顔写真が飾った。なるほど、いかにも近代的な美人です。知的雰囲気にみちています。
 日本軍が設立した放送局のアナウンサーとしても働いたことがあります。
 鄭蘋如を「コミンテルンのスパイ」とした本もあり、当時の上海の混沌とした状況をうかがわせています。
1940年2月半ば、鄭蘋如は日本軍によって、上海郊外で処刑された。
母親は台湾に去り、そこで死亡。妹はアメリカへ移住。
ここにも悲劇の一つがありました。
(2011年7月刊。860円+税)

シン・中国人

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 斎藤 淳子 、 出版 ちくま新書
 今の日本では、「中国脅威論」なるものが大手を振るって通用し、自民・公明がすすめている途方もない大軍拡予算を支えています。
 でも、それって思い込みでしょう。自民・公明そして維新などの政治家、さらには軍事産業でもうけようとしている人たちによる世論操作に乗せられているだけです。私はそう思います。戦争のないようにするのが政治家の役目なのに、今にも戦争が起こりそうだと危機をあおって、自分たちはひそかに金もうけにいそしむ。それが自民・公明の政治家たちの正体ではありませんか…。
 この本は「脅威」の対象となっている中国の若者たちの実情の一端を伝えています。
 まず私が驚いたのは、中国には離婚にあたってクーリングオフ(「冷静期」)があるというのです。離婚手続申請後の30日間は、手続きをいったん凍結するのです。日本でも、「共同親権」なんて実情にあわない馬鹿げた、しかも怖い手続を導入するより、よほどいいかもしれません。
 さらに驚いたことは、恋愛中の(そして結婚している)男性は、女性にスマホのパスワードを開示する習慣があり、男性は断れないというのです。カップル間では一切の秘密があってはならないというわけですが、果たして現実的なのでしょうか…。
 そして、結婚するとき、男性側は新婦側に結納金を贈る必要があり、今では、その相場が18万元(360万円)になっているというのです。この結納金を新郎側から新婦の家に贈る習慣は2千年以上の歴史があるそうですが、昔はこんなに高額ではなかったのです。
 ところが、一人っ子政策、そして男性が女性より圧倒的に多くなってしまった結果、結婚したければ高額の結納金を支払えということで、年々、高額化していったのです。
 さらに、今では、結婚したいなら、男はマンションを準備しなければいけないという「新しい常識」が定着しているというのです。しかもそのマンションたるや、1億円だったら安かったよね…というほど値上がりしています。マンション購入はカップルではなく、新郎側のファミリー全体のプロジェクト化しているのです。いやはや、お金がなかったら、結婚できないというわけなので、これも恐ろしい社会だというしかありません。
 北京在住26年という日本人女性が、中国人の生活の変貌ぶりを生き生きと伝えていて、驚きながら一気に読み通しました。
(2023年2月刊。860円+税)

南京大虐殺から雲南戦へ

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 青木 茂 、 出版 花伝社
 中国は1944年5月から日本軍に対して反撃を開始した。垃孟(らもう)などの日本軍守備隊を全滅させるなどの勝利を重ね、1945年1月までに日本軍を雲南から追い払った。中国が「日本に唯一、完全勝利した」雲南西部を舞台とする戦役、つまり雲南戦を中国は滇西(てんせい)抗戦と呼んでいる。
 ところが、このときの中国軍が蔣介石の国民政府軍であったことから、1980年代まで中国政府はずっと黙殺してきた。ところが、1990年代の江沢民政権になってから、中国政府は「歴史の空白」を埋め始めている。そして、2014年2月、中国の全人代常務委員会は9月3日を中国人民抗日戦争勝利記念日とした。
 9月3日とは、1945年9月2日に日本政府が降伏文書に調印した日の翌日のこと。
 滇西(てんせい)抗戦とは、前述したとおり、雲南省西部におけるビルマ援蒋ルートをめぐる日本軍と中国軍との戦い(雲南戦)のこと。雲南戦戦において、中国と日本の双方は、軍備を互いに増強しながら怒江(どこう)を隔てて2年以上も対峙した。
 日本軍は、1942年に垃孟(松山)を占領し、第56師団113連隊3000人を駐屯させた。1944年8月、中国軍は全面攻撃を開始し、9月7日、日本軍から垃孟を奪還した。日本軍の守備隊1200人は全滅。中国軍も7600人もの犠牲者を出した。
 日本軍があまりにも残虐な行為をしたことから、日本兵の死体は膝を折り頭を下げる姿勢(土下座埋葬)で埋め直され、倭塚がつくられている。日本兵に謝罪させるための土下座埋葬だ。日本軍に対する雲南地方の住民の怒りは今も鎮まっていない。日本兵の遺骨の収集や慰霊祭の実施は今も許されていない。それほど、現地住民の日本軍への反感は強い。
 裁判所での調停の待ち時間のなかで読了しました。
 日本軍って、本当にひどいことを中国でしたんですね、同じ日本人として、許せません。加害者は忘れても被害者のほうは忘れないことだということがよく分かりました。
(2024年2月刊。1700円+税)

美貌のスパイ、鄭蘋如

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 柳沢 隆行 、 出版 光人社
 父が中国人、母は日本人という、美貌の娘が中国側のスパイとなり、25歳にして日本軍から銃殺されたという実在の女性の足跡を詳細にたどった本です。
父と母が知りあったのは日本です。大勢の中国人留学生が日本にやってきました。そして、そのなかには日本人女性と知りあい結婚して、中国に渡った人たちがいました。父親となった中国人が留学したのは法政大学です。私の亡父も法政大学ですが、かなり後輩になります。
中国に戻ってから、父親のほうは国民党員として活動しはじめ、結局は、司法部で活躍します。母親のほうは、士族の末娘として生まれ、行儀見習いの奉公先で中国人留学生と出会って恋に落ち、親の反対を押し切って、中国に渡ったのでした。
 父親は中国での弁護士資格を取得し、検察官として働くようになります。
 そして、問題の彼女は三姉妹の二女として生まれました。彼女は、上海法政学院(4年制の大学)に入学します。
 満州事変に始まる日本軍の侵略行為に対して彼女は愛国心(もちろん中国が祖国です)に燃える学生の一人として行動するようになります。1932(昭和7)年1月の第一次上海事変のころのことです。
 そして、彼女は当時の中国を代表する人気月刊画報誌「良友」の表紙全面を飾ったのでした。たしかに間違いなく美人です。しかも、いかにも知性にあふれています。
 1937年8月、第二次上海事変が起きるなか、法政学院3年生の彼女は、CC団に加入します。CC団とは、蔣介石の国民党の組織の一つです。CC団は「中統」とも呼ばれます。スパイ活動を主任務の一つとする組織です。国民党には、「中統」と「軍統」の二つがありました。
「軍統」のほうが、よりテロなどのファシスト的活動を得意としていますが、この二つとも、蔣介石に絶対的忠誠をつくす点ではあまり変わりがありません。そして、彼女は、「中統」CC団のスパイとして、日本軍の「大上海放送局」で働いたこともあります。
 また、彼女は近衛文麿首相の子どもである近衛文隆に接近し、親密な交際をするまでになります。周囲が危険を察知して、急遽、文隆は日本に強制的に帰国させられ、関係は打ち切られてしまうのでした。
 結局、「中統」を裏切り日本側についた人間を処刑する手伝いをするのに彼女は失敗してしまいました。そして、日本軍に出頭するのです。まさか銃殺されるとは思っていなかったのでしょう。
 しばらく監禁されたあと、広い何もない荒野原で銃殺されてしまいました。1940年2月も半ばのことです。どうやらその遺体は今でも見つかっていないようです。現場付近が大々的に開発されたことであまりにも変わってしまったからです。
 歴史の悲劇の一つがここにもあると思いました。
(2010年5月刊。2500円+税)

長恨歌

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 王 安憶 、 出版 アストラハウス
 かなり前のことですが、上海には2度から3度、行ったことがあります。超近代的な巨大都市でした。奇抜な格好の高層ビルが立ち並び、巨大な群衆がせわしなく街路を往来していました。上海の地に立って、ここが「共産中国」だとはまったく思えませんでした。東京以上に資本主義の街だと身体でもって確信したのです。
 この長編小説は、そんな上海が舞台です。いえ、舞台というより主役そのものです。これは著者が言っているのですから、間違いありません。
一人の女性の運命を描いたけれど、この女性は都市の代弁者にすぎない。描いたのは、実のところ都市の物語だ。
 第1部は、日本敗戦前の1940年代の繁華な上海を描いている。国民党政府の幹部の妾になるのです。そして、その幹部は国共内戦のなかで死にます。
 第2部は、1950年代の日常生活を描きます。中国は復興過程にあるわけですが、共産党の政治も、文化大革命も直接的には描かれず、毎日の生活が淡々と過ぎていきます。いえ、子育ての話はあります。
 そして、第3部は1980年代の上海です。人々は投機に夢中になっています。そんななかで、主人公の女性は悲劇的な死を迎えるのです。
 1954年に生まれた著者は、もちろん戦前の上海を体験しているわけではありません。すべては想像上のものでしょう。それでも1940年代ミス上海コンテストをめぐる描写は秀逸です。まるで眼前でミスコンテストが遂行されているかのようです。そこが著者の筆力というものでしょう。私も、あやかりたいと本気で願っています。
 著者は、この小説を着想するきっかけは、かつてのミス上海が若い男に殺されたという新聞記事を読んだことにあるとしています。似たような話は、日本の高名な作家も言っていました。なので、作家は、新聞の小さな三面記事も見逃すことはないのです。私も、毎朝夕、新聞を丹念に読んで、モノカキとしてのヒントをつかもうと努力しています。
 ハトは、この都市(上海)の精霊である。毎朝、たくさんのハトが波のように連なる屋根の上空を飛んでいく。
 ハトは、この都市を俯瞰(ふかん)できる唯一の生き物なのだ。1946年、空前の和平ムードのなかでミス上海コンテストが企画された。
 このコンテストで主人公の王琦瑶は、3等になったので「ミス三女」と呼ばれるのでした。
 ともかく、この小説のすごいところは、情景描写そして心理描写が、それこそ微に入り細をうがつほどの繊細さなのです。まさしく読むだけで圧倒されます。その情景の雰囲気にたっぷり、いえ、どっぷり浸ってしまいます。その感触が読む人を心地よくさせるのでしょう。
 そんな情感を味わいたい人におすすめの現代中国小説です。
(2023年9月刊。3200円+税)

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