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カテゴリー: 中国

幸福な監視国家・中国

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 梶谷 慎、高口 康太 、 出版  NHK出版新書
中国の地下鉄駅ではX線による荷物検査を受ける。日本の新幹線のような高速鉄道に乗るには身分証の提示が必須。
街中いたるとこに監視カメラがあり、全国で2億台。2020年には6億台になるだろう。
中国をお訪問すると、その監視社会ぶりに驚かされる。
このように現実世界でもインターネット上でも、すべてが政府に筒抜けになっている。ところが、現状を肯定的にみている。これは驚くべきこと・・・。
中国の新・四大発明とは・・・。
1つは高速鉄道、2つはEC(電子商取引)、3つはモバイル決済、そして、4にシェアサイクル。EC、つまりネットショッピングは、全世界の40%を占め、世界一。
淘宝には、客がショップの信用評価をする仕組みがあり、このためショップは懇切丁寧に対応する。ネットショッピングの割合は日本が5.8%、中国は19%と3倍以上。
中国のモバイル決済は2680兆円に達する。そして、この巨大な資金の動きがアリババグループとテンセントの2社に把握されている。つまり、重要情報をこの2社だけで独占している。
アリババグループが展開する信用スコアの芝麻信用は、ユーザーの金融能力を点数で評価する。そのため、借りて返したという履歴を企業に引き渡すことで、自らを優良ユーザーとして証明でき、それが信用評価を押しあげる。
監視カメラは、日本ではひっそり目立たないように設置されている。しかし、中国では、むしろ、これ見よがしに、「監視しているぞ」と誇示する設置の仕方が多い。
住民の道徳的信用スコアは、どうなっているか。一切の違反がないと1000点。A級とは970点以上、850点以上はB級、600点以上をC級。それ以下はD級。
中国のインターネットユーザーは8億2900万人。全国民の60%に相当する。10年前の2008年には、まだ22.6%だった。
IT化の先進国・中国から、日本はいろんな面で大いに学ばねばならない。そう思ったことでしたが、同時に国民のプライバシー保護をどうするか、大きな課題です。
(2019年8月刊。850円+税)

満鉄全史

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 加藤 聖文 、 出版  講談社学術文庫
日露戦争(1904年)で日本がロシアに辛勝したあと、ポーツマス講和条約(1905年)で、ロシアは東清鉄道南部支線を日本へ譲渡した。これがあとの満鉄となる。
ところが、日本政府内部では、この鉄道がどのような果実をもたらすものか、誰も分かっていなかった。すなわち戦略的な位置づけや基本的合意のないまま、満鉄という組織だけが出来あがっていった。
南満州での権限拡張に陸軍は熱心だった。そして、満州各地に領事館を設置していた外務省も熱心だった。
後藤新平は、1906年11月に満鉄総裁に任命された。満鉄は、単なる鉄道会社の範囲をこえて、多角経営をすすめた。1907年11月には「満州日々新聞」を発行したが、あわせて英字新聞まで発行した。また、ホテル経営にも進出し、「ヤマトホテル」を沿線主要都市に建設していった。さらには、調査部を設置した。
第二代総裁の中村是公(ぜこう)は夏目漱石を満州に招き、広報マンたらしめようとした。二人は学友だった。漱石が満州に着いたころ、満州では野球が盛んで、観戦している。
関東軍のはじめは、満鉄沿線の警備にあたる独立守備隊と、関東州に駐在する1個師団のあわせて1万人ほどの軍隊でしかなかった。
松岡洋右は、満鉄の理事・副総裁・総裁として11年にもわたって在職した。
松岡と張作霖は、根本的なところで思惑が違ったものの、表面的には利害が一致していたので、両者は手を結んだ。原内閣のとき、張作霖を利用しつつ、満州における日本の権益を拡張するという方針が定まり、これが1920年代の基本路線だった。満鉄の松岡総裁は積極的に張作霖を支援し、張作霖の中央政界進出を側面支援した。
ところが、これによって張作霖の政治権力が強大になってくると、満鉄ひいては日本は、満州を好き勝手にすることができなくなるというジレンマに陥った。
日本は、張作霖の性格や能力はある程度理解していたものの、その存在を支える漢人の社会的要請をまったく理解せず、あくまで一個の道具としてしか見ていなかった。
そのため、思いどおりになるとみていた張作霖の自我と自負の強さを直面すると、反感が大きく増幅され、ついに抹殺へとつながっていった。
1928年6月4日、関東軍の高級参謀だった河本大作大佐が主謀した張作霖爆殺事件が起こされた。このとき27歳だった張学良は、満鉄包囲計画を立てた。
1931年9月に始まった満州事変は、関東軍の単独・独走ということではなく、関東軍と満鉄の二人三脚によって進められていった。
満州事変の当初は、満鉄首脳部は関東軍への協力に消極的だった。それが180度方針転換したのは1931年10月のこと。1930年度、満鉄社員は3万4000人もいた。
満鉄と関東軍の蜜月時代は長くは続かなかった。
両者の立場は逆転した。ただし、満鉄は依然として満州国随一の巨大企業。満州国がひとりだちするには、満鉄の経済力と人材が必要不可欠だった。
満鉄に関する詳細な通史です。勉強になりました。
(2019年8月刊。1180円+税)

チョンキンマンションのボスは知っている

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 小川 さやか 、 出版  春秋社
チョー面白い本です。びっくりします。スワヒリ語の話せる著者が香港に生活するタンザニア人たちの社会に溶け込んでつかんだ、びっくりするような生態が分かる生きたレポートです。
スワヒリ語を話せることがこんなに「武器」になるなんて・・・。やはり語学は大切ですよね。
アングラ経済の人類学。このサブタイトルに異存はありません。
うまく騙すだけでなく、うまく騙されてあげるのが仲間のあいだで稼ぐうえでは肝要。
チョンキンマンションのボスを自称するカラマなる人物は、いかにも魅力的です。多くの人に一目置かれています。15ヶ国以上のアフリカ諸国の中古車ディーラーとネットワークをもっている。タンザニア香港組合の創設者で、現副組合長。
香港に長期に滞在するタンザニア人たちの主な仕事は、短期滞在型の交易人たちの輸出入のアテンド、仲介業と、インフォーマルな輸出・輸入業である。
これより先は、知りたくないという寸止めの態度がチョンキンマンションに長く暮らしている人々が実践していること。これは平穏に自らの人生をつむぐ知恵であり、いろんな事情をかかえた人々とつきあうための配慮にもなる。
タンザニア香港組合のメンバーは多かれ少なかれ「法」に違反している。それでも麻薬の売人や窃盗を兼ねて違法売春する者と、仲介業をしたり衣類や電化製品などの交易に従事する者とでは、「刑務所の近さ」あるいはトラブルの性質や頻度に違いがある。
彼らは、常々、「誰も信用しない」と断言している。
大切なのは仲間の数ではない。タイプの違う、いろんな仲間がいること。
他者の「事情」に踏み込まず、メンバーと相互の厳密な互酬性や義務と責任を問わず、無数に増殖し拡大するネットワーク内の人々が、それぞれの「ついで」に出来ることをする「開かれた互酬性」を基盤とすることで、彼らは気軽な「助けあい」を促進し、国境をこえる巨大なセーフティーネットをつくりあげている。
自分たちを対等であるとみなしていない人々に対しては、「扱いやすい人間」にならないことが肝要。そのためには、わざと約束をすっぽかし、彼らが会いたいと恋しがるころに会いに行くのがちょうどいい。
なーるほど、こんな人生哲学があるのですね・・・。
タンザニア人たちは、独立自営を好み、業者に労働者として雇われたり、他のブローカーと共同経営することは好まない。
カラマたちにとって、SNSに投稿するための写真や映像を集めるのは「遊び」であると同時に「大切な仕事」でもある。
彼らは他者に親切にすることで何らかの権力や地位を得ることには、ほとんど関心がないし、関心をもったとしても何の権力も地位も得られない。
香港のタンザニア人たちは、組合活動への実質的な貢献度や窮地に至った原因を問わず、組合員の資格や他者への支援にかかわる細かなルールを明確化せず、ただ他者の求める支援に応じるか否かを判断する。
彼らの日常的な助けあいの大部分は、「ついで」で回っている。
タンザニアに帰国するか、いつ帰国するかにかかわらず、彼らは「どこか」「いつか」のためではなく、「いまここ」にある人生を生きるために稼いでいる。
彼らの仕組みは、洗練されておらず、適当でいい加減だからこそ、格好いい。
著者は40歳の日本人女性で、立命館大学教授でもあります。すばらしいルポタージュですが、この一部は学術論文にもなっているとのことで、深みもあり、ともかく面白く読ませます。あなたも、ご一読してみてください。世界が広がりますよ・・・。
(2019年10月刊。2000円+税)

三体

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 劉 慈欣 、 出版  早川書房
中国発のSF小説です。さすがにスケールが壮大です。
この「三体」3部作は、中国では2100万部も売れたというのですから、これまたスケールが日本とはまるで違います。
物語の始まりは1967年です。私にとっては東京で大学生としてスタートした記念すべき年でもあります。まだ大学内は嵐の前の静けさでした。ところが、隣の中国では文化大革命が深く静かに(実は、にぎにぎしく。静かだったのは報道管制下にあったことによる)進行中だったのでした。
文化大革命の本質は、実権を喪いつつあった毛沢東が権力奪還を企図して始めた武力を伴う権力闘争だった。ところが、表面上は文化革命というポーズをとっていたのでした。そこは毛沢東の巧みなところだ。そのため、この毛沢東が始めた文化大革命に全世界の文化人の一部が幻想を抱いて、吸い込まれていった。
武力をともなう残酷な権力闘争(文化大革命)の過程で、物理学教授である著者の父親は若い紅衛兵によって死に至らしめられた。
周の文王が突然登場したり、紂王(ちゅうおう)も出現したり、時代背景は行きつ戻りつします。そして、地球外知的生命体を探査するプロジェクトも関わってくるのでした。
やがて、秦の始皇帝まで姿をあらわします。いったい、この話はどんな結末を迎えるのだろうか…と心配にもなってきます。
三体時間にして8万5千時間、地球時間で8,6年後、元首が三体惑星全土のすべての執政官を集める緊急会議を招集した・・・。
ともかく、スケールの大きさが半端ではありません。縦にも横にも限りなく広がっていくのです。不思議な感覚に陥って、それを楽しむことができる本でした。
私はひたすら、すごいすごい、とてつもない発想だと驚嘆しながら読み通しました。
(2019年7月刊。1900円+税)

中国が世界を動かした「1968」

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 楊 海英 、 出版  藤原書店
あのフランス人歴史人口学者のエマニュエル・トッドが1968年ころ、17歳でパリ郊外の高校3年生のとき、フランス共産党系青年組織の一員だったというのには驚きました。
校内では権威的な校長を面罵してストライキを打ち、校外ではゼネストの労働者と一緒だった。政治うんぬんの前に単に楽しかった。
これは、日本の全共闘シンパに共通するものだと私は思いました。
中国における紅衛兵の造反は、フランスの学生運動など世界情勢に影響を与えた。
「欧米にしろ、日本にしろ、キャンパスの内外を問わず、もっとも活躍し、威張っていたのは、みな毛沢東派だった」
さすがに、ここまで言うと、明らかに言い過ぎです。毛沢東主義者は、日本ではML派などといって、目立ちはしましたが、しょせん新左翼党派のなかでは弱小セクトの一つでしかありませんでした。東大闘争のなかでも、全共闘のなかに、そう言えばML派もいたよね、という程度でした。
中国の紅衛兵のなかに、パリ・コミューンにあこがれる人物はあらわれたが、それは中国共産党の一党独裁に脅威を与えるものとして、たちまち「反革命」とされた。
毛沢東は、1958年からの大躍進政策や人民公社という惨憺たる失策から権力政治の中枢から外れ、地方を流離するなど、孤立状態にあった。
毛沢東が反逆の狼煙(のろし)に点火したのは、日本と中国両共産党のコミュニケが破棄された1966年3月末のことだった。毛沢東は、地方にあって劣勢な権力者が、中央にあって優勢な権力者に向けて蜂起するという、権力内部のクーデターを発動した。
この毛沢東による文化大革命による犠牲者は500万人にものぼるとみられている。
学生たちを辺境の地に追いやり労働させるという「下放」事業のなかで、学生たちは現実を直視せざるをえなかった。レイプや暴行、自殺、劣悪な労働環境下での事故死が相次いだ。
人間関係のない「よそ者」の青年たちは、移送先では、まったくの「社会的弱者」だった。
現実と直面するなかで、プロパガンダに対する疑問と抵抗感を抱くようになっていった。
ドイツでは、元毛沢東主義者が今も活躍している。1人はバーデン・ヴュルテンベルグ州の首相であり、もう1人は議員である。この2人は、首相が緑の党、もう1人は今では右翼政党に所属している。
ドイツには、左右を問わず、もとは毛沢東主義だったという政治家やジャーナリストが少なくない。とりわけ、緑の党に目立っている。
西ベルリンには、北京派ドイツ共産党が存在した。かつての毛沢東主義者は、教師・弁護士・ジャーリスト・研究者・作家・経営者・政治家として成功した者が少なくない。
彼らは、政治的な一面的思考を免れ、規律正しさと自己犠牲精神を身につけていた。
中国は「革新」を全世界に輸出することを夢見ていた時期があったようですが、そんなものがうまくいくはずがありません。
国際社会の歴史的動向をうかがえて、読んで良かったと思いました。
(2019年5月刊。3000円+税)

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