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カテゴリー: アジア

モンパとブロクパの衣装民族誌

カテゴリー:アジア

(霧山昴)

著者 脇田道子 、 出版 法藏館

インドとブータン、チベットに住む人々のカラフルな衣装がカラー写真とともに紹介・解説されています。

人々の顔は日本人そっくりです。 キャプションを読まなければ、日本人が現地の服装をしてみたと言われても疑うことはありません。

ブータンの国民服は、一枚布で身体を包む女は「キラ」、男は「ゴ」。

ブータンは1974年に外国人観光客に門戸を開いた。 ブロクパと呼ばれる牧畜民の住むタシガン県のサクテン・メラの村は、外国人観光客を受け入れたのは2010年9月のこと。

モンパという名称は、チベット人がヒマラヤ山脈南麓のモンと呼ばれた広大な地域に住む人々を呼ぶときの総称。 「パ」は「〜の人」を意味する。

女性の着ている貫頭衣シンカと上着のトトゥンの素材はエリ蚕という蚕(かいこ)の糸から織られたもの。 インドではエリ・シルクと呼ばれ、ブータン、チベットではプウと呼ばれている。 日本では野蚕絹に分類されている。

糸を赤色に染める染料はラックでカイガラムシの粘着性の排出物、ラックから抽出されるもの。

かつて着ていたウールの貫頭衣は、今ではほぼ姿を消した。

中国のモンパ(門巴)族が住んでいる地域への外国人の立ち入りは厳しく制限されている。

現在、モンパ女性は、エンジ色に白、近年はそれに薄い青が加わった縞(しま)柄の入った貫頭衣シンカを共通の民族衣装として着用している。 シンカの素材は1950年代から60年代にんるな、イラクサやウール製だった。

チベット語でトトゥンは、シャツ、ブラウス、上着を意味する。 モンパはシンカの上に着る上着をトトゥンと呼んでいる。

トトゥンもシンカと同じく、ラック染料で染めたものが大半だが、白無地のものもある。 トトゥンの柄には、星、花、矢、十字などのほか、馬、象、鳥などの動物、人の上に乗った人形などをモチーフにした幾何学模様がカラフルな糸で織り込まれている。

女性の正装に首飾りは欠かせない。 サンゴ、トルコ石、銀細工、真珠などを組み合わせる。 伝統的なモンパ社会は、男性が親の不動資産を相続するが、アクセサリーや女性の衣装、織布といった台所用品などの可動資産は、母から娘へ受け継がれる。

かつて人々は礼装として肩掛けを着けていたが、その習慣はすたれてしまった。

ヤクの毛の帽子、布製のブーツ。

男性用ブーツの甲は赤、女性用ブーツの甲は青と決まっていた。 近年では布製のブーツをはく人はごくまれ。

モンパでも、50代以下の若い世代は洋服を日常着にしている人が圧倒的に多い。 ブータンでは一般的に、役所に入るときや公式な行事のときには、男性は「ゴ」の上から「カブネ」と呼ばれるスカーフをまとい、女性は「キラ」の左肩から赤系の色の帯状の布「ラチュ」を着用する義務がある。 カブネとラチュには、その人の敬意を示す意味がこめられている。

貫頭衣シンカを着用するとき、帯の下に腰を覆う長方形の腰布をはさみ込む。 これは、既婚・未婚を問わず幼い少女でもシンカには必須のもの。

ヤクは、モンパやブロクパにとって重要な動物。 ヤクは、乳製品や肉としての食用だけでなく、その毛は帽子、上着、雨具などの衣服、袋、敷物、テント地、ロープなどの生活用品の材料となり、糞は畑の肥料、そして乾燥させて燃料として使われる。

カラフルな民族衣装に見とれてしまいました。貴重な本です。

(2025年4月刊。3630円)

ヒマラヤ旅日記、ネパール・ポンモ村滞在記

カテゴリー:アジア

(霧山昴)

著者 田村 善次郎ほか 、 出版 八坂書房

 最近刊行された本なのですが、そのネパール滞在なるものはなんと60年前のことなのです。前書きもあとがきもありませんので、なぜ今ごろ発行されたのか、その事情は分かりませんが、60年前のネパールの山村の生活が、たくさんの写真とともに活写されていて、2ヶ月間の状態が、読んでいるうちに現地で生活している気分を味わうことができる貴重な本です。

 調査隊7人のうち3人が既に亡くなっていることが紹介されています。残念なことです。

調査隊が横浜港を出港したのは1967年9月のこと。このころ私は大学1年生で、寮で生活しながら初めて大学で期末試験を受けました。試験が終わると、さっきまで夏休みだったのに、またもや秋休みに突入。いやあ、大学生って、こんなに楽な稼業なのかと感激しました。寮生仲間の実家のある長野についていって、長野の美味しいリンゴを食べて帰ってきたことを覚えています。

 さて、調査隊です。9月に日本を出港して、すぐにネパールに到着できたのではありません。目的地のポンモ村にたどり着いたのは翌年1月5日のこと。それから2月末まで2ヶ月をポンモ村で過ごしたのでした。

 ネパールは、東北6県に新潟県と北海道をあわせたほどの国土面積で、人口は3千万人ほど(2023年)。調査団が訪問したときは1000万人。

 ヒマラヤの住民は、寒い冬を温かい南で過ごし、春になったら山の住居に戻ってくるという生活サイクルを過ごしている。旅そのものが生活であるから、別に急ぐ旅ではない。峠の雪が消え、夏が近づくころまでに村に帰りつけばよいのだ。

 ようやくたどり着いたポンモ村には21世帯、100人余が生活していた。

挨拶の仕方が変わっている。相手の足を持ち上げ、その甲に自分の額をつける。

 遊牧社会には、「さようなら」と「おやすみ」がないのが特徴。厚かましく割り込んできて、火を焚き、他人を押しのけて食事をつくる。タバコの廻しのみはしても、茶の廻しのみはしない。

 ネパールでは、道中の食料は自分もちが原則。だから、ポーターたちは、それぞれ鍋と食器、米や粉、調味料を入れた袋を持っている。自分の使い慣れた負い縄を持っていて、決して他人(ひと)の物は借りない。他人の物を借りるような奴は最低とされる。

 隊長とドクター(医師)が、35歳にもなるのに独身だと知ると村人たちは呆れ顔になる。

ドクターによると、予想以上に精神病患者が多いという。ただし、村人は障害をもつ人(精神薄弱)、耳や眼が不自由な人たちともまったく普通に接している。

 ネパールにはカーストがあり、日本人にカーストがないと説明しても、すぐには信じてもらえない。

ネパール土着の民族であるグルン族やマガル族などは、それぞれ固有の信仰を持ちながら、表面的にはヒンズー教・カースト制を受容してきた。本来ならカースト制と無縁だった民族も否応なしにカーストシステムに組み込まれ位置づけられ、チベット人は最下層カーストにランクされてしまった。日本人は、ネパール人を雇用する立場にあるので、システムの上位にランクされた。

ポンモの生活を律しているのはラマ教。旅立ちの日を決めるのも、農作物の虫退治も、すべてラマ教の教えにのっとって行われる。ラマ教のお経は日用百科含意的なものでもある。ポンモはボン教の村。ラマ教は、すべて右廻り(時計廻りでボン教は反対にすべて左廻り)。

 交易は、ネパール内ではとれない岩塩とヒマラヤ山地で不足する穀物との交易で成り立っている。

チャンを飲むときは、容器に直接口をつけずに飲むのがマナー。

人間の大腿骨でつくった骨笛を吹く。

 ふだんの食事は、ツァンパやロティ、せいぜい塩味のついたジャガイモやカブの汁。単純なものしか食べない。肉や米・豆・ジャガイモ・大根など9種類の具を入れた粥(かゆ)はグ・フックといい、大変なご馳走。

 ツァンパは、日本の麦こがしと同じもの。麦をフライパンのような鍋で軽く煎(い)る。要するに、煎った大麦の粉がツァンパ。

 料理をするといっても台所はない。煮炊きは、すべて囲炉裏の火で座ったまま。食事の支度は女の仕事と決まってはおらず、男たちが率先してつくる。旅慣れた男たちは食事をつくるのをいとわない。焼いたり、茹(ゆ)でたジャガイモは、菓子と同じで子どもたちのオヤツにもなる。昼の食事にたっぷり2時間はかける。

 元旦(1月1日)の朝は、若水汲みに始まる。ポンモでは、「黄金の水、白銀の水を汲む」という。金や銀の水を汲むのだから、他人(ひと)より先に汲んだほうがいい。なので、村人は朝3時ころに起きる。

年始まわりは、村中の家を廻るのが当然であり、また村中の人に来てもらうのが当たり前のこと。娘たちは、正月のため、暮れのうちに念を入れて織った肩かけをかけ、頭は採種油できれいにかきつけ、後髪には小麦のモヤシを飾っている。

 チベット社会は有字文化の社会であり、未開社会ではなく、高文化社会である。読み書きのできる人は尊敬される。その最上位がラマ。

 いざというときには、ラマに診てもらい、死に水をとってもらうことが、何にもましてありがたいこと。ラマは山中に入って薬草をとり、薬を調合する。薬草や製薬の知識がラマとしての重要な資格になっている。

 火葬は最高級の葬法。川原で遺体を焼いたあとは、日本人のように骨を拾って墓をつくって祀(まつ)るということはしない。死者の魂は火葬の煙とともにはるかなる天上雲に昇り、神となって人々を守っている。9ヶ月後の法要まで、頭にギー(バター)をつけている。ギーは重要な食糧であると同時に、宗教儀式には不可欠の神聖なもの。

屋内にも屋外にも便所はない。朝暗いうちにすませてしまう。村の中の排泄物は、豚と犬とニワトリが始末する。

 家の中の炉端の席順は決まっていて、入口から向かって右が男の座(アワデサ)、左が女の座(アマデサ)。奥から年齢の順に座る。

性関係はおおらかなので、私生児(ニャル)も多い。ネパール人は穏やかで礼儀正しい。チベット人は粗野で図々しく無遠慮だ。

ヒマラヤのチベット人たちは中国人に対して強い反感を抱いている。

60年前、ネパールの山中の村に2ヶ月も滞在したときの詳細な記録です。60年たった現在、これがどう変わったのか、私はぜひとも知りたいです。なんとかして教えてください。よろしくお願いします。とても貴重な滞在記録です。ぜひご一読ください。全国の図書館に備えてほしいものです。

(2025年1月刊。5940円)

ナルコトピア

カテゴリー:アジア

(霧山昴)

著者 パトリック・ウィン 、 出版 光文社

 黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)とは、東南アジアにおける麻薬生産の中心地。ほぼ全体がビルマ(ミャンマー)に含まれるが、中国、ラオス、タイの国境地帯にも広がる山岳地帯。ナルコトピアとも呼ばれる。この地域におけるヘロインとメス(覚せい剤のメタンフェタミン)の経済規模は、ビルマ一国のGDPを上まわっている可能性がある。

 ワ州連合軍(UWSA)は密林に生息するただのマフィアではない。ワ州と呼ばれる、人口50万人以上の正真正銘の民族国家を運営している。独自の学校、電力網、国旗や国歌まである。その領土は3万平方キロメートル。ワ州には3万人の兵士と20万人の予備兵がいる。ワ人は、迫撃砲やドローンなどのハイテク兵器も保有していて航空機もミサイルで撃ち落とすこともできる。UWSAは東南アジアにおける麻薬取引の中心にいて、毎年、メスだけで600億ドルを稼ぐ。

UWSAは法律をつくり、祖先伝来の土地を守り、道路を建設し、税金を集め、運転免許証を発行している。ヘロインとメスはUWSAの最大の収入源。

アメリカの機関であるCIAとDEAは争っている。その職員の出自は異なる。DEA捜査官の多くは元警官か元軍人で、労働者階級の出身。CIAの職員は、アイビーリーグなどの名門大学の卒業生。DEA捜査官は悪人を投獄するのが第一の仕事と考えている。CIAは、悪人を雇って極悪人に関する情報を得ようとする。

ゴールデントライアングルには、CIAが先に現地入りし、DEAはあとから来た。ゴールデントライアングルの末端にいる最重要顧客はアメリカ人。

ミャンマーの軍は、アウンサン・スーチーを監禁し、その支持者を大量に虐殺した。1万人近くを射殺している。天安門事件をこえる大虐殺だ。

メス工場は上空から見ると、車庫や倉庫のようで、宇宙から探知されにくい。以前は、CIAがワ州のケシ畑を偵察し、ケシの潜在的な収穫量を推測できたのだが……。

現代アジアの労働力にとって、スピードは言うことなしのドラッグ。ヘロインのもたらす心地よい麻痺は魅力を失い、労働者はバニラの香りのするスピードを求めた。1錠わずか2~3ドル。1錠の煙を吸えば、連続シフトをこなせて、割増賃金でさらにピンクの錠剤を買うことができる。

今世紀、ヤーバーは500億錠以上も生産された。設計の勝利だ。見た目は菓子のようで、カラフルでブランド化しやすい。価格は1錠が1~5ドル。タイは、2001年の1年間で、9000万錠という記録的なヤーバーを押収した。

UWSAはアヘンケシ撲滅を完了させ、今ではビルマはアヘンの世界供給率の5%しか生産していない。アメリカ占領下のアフガニスタンがとって代わった。

2021年10月、タイとラオスの国境で摘発された麻薬は、アジア史上最高を記録した。5500万個。ヤーバーと、1.5トンのクリスタル・メスが隠されていた。それは、「ワ産メス」だった。

ワ州には、中産階級はほとんどいない。いるのは、エリートと平民のみ。今では、中国系犯罪組織がメス製造所を運営している。

まったく知らない地域の、恐ろしい話でした。世の中には、こんなところが今もあるのですね……。潜入ルポなので、ぞくぞくする展開です。

(2025年11月刊。3520円)

女二人のニューギニア

カテゴリー:アジア

(霧山昴)

著者 有吉 佐和子 、 出版 河出文庫

 驚きと抱腹絶倒の滞在記、とありますが、掛け値しに、私もそう思いました。

有吉佐和子と言えば、私には、なんといっても『複合汚染』です。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』と並んで、環境汚染の深刻さを世間に知らせ、問題提起しました。

戦前の和歌山県生まれですが、幼少期をインドネシアで過ごしていて、世界各地を旅行しています。その有吉佐和子が、50年前のニューギニアに出かけ、そこになんと1ヶ月も滞在していたのでした。

何しに行ったのか…。作家だから、何かの取材のためかと思うと、全然そうではありません。では、何のためか…。要するに、単に面白そうだからといいうことで、親しい友人の誘いに軽い気持ちで乗ったのでした。未開社会をちょっとだけ覗(のぞ)いてみようという大層気楽な気持ちです。

50年前のニューギニアはまだ独立しておらず、オーストラリアの信託統治領でした。

ニューギニアは、オーストラリアの北にある、世界第二の大きな島。

著者と友人は、荷物運びの現地の人たちと一緒に歩いて出発します。

ジャングルに道はない。人の歩いた跡をたどっていく。すべったり、転んだりして、途中で着換えると、ジーパンのお尻がまるでボロ雑巾のようにビリビリに裂けてしまっていた。著者が覚えたてのピジン語で、「ミー・ハンガラップ」(私はこわれた)と言うと、同行する警備担当は「イエス・ユー・バーガラップ」と返した。いやはや…。

そして、著者は、歩き疲れて動けなくなり、現地の人にまず背中におんぶしてもらった。そして、その次は、ベッドを作って、それで運んでくれた。そのベッドとは…。

2本の手ごろの木を切ってきて、その間に著者を寝かせると、つる草を器用に巻きつけて縛り上げ、つまり仕留めた野豚を担ぐのと同じ要領でかついで「アイヤッ、アイヤッ」と掛け声とともに運んでいった。いやはや、なんという哀れな格好でしょうか…。こんな格好を写真に撮られないだけ幸せでした。

そして、ようやく、ついに相棒の住む御殿に到着した。そこは、本当に広々とした木造の高床式の家。オーストラリア政府が現地のシシミン族を学究調査する人類学者(友人のことです)の居住用に建ててくれたもの。彼女は、オーストラリア政府からすると、シシミン族に対するオトリのような貴重な存在なのだ。だから、彼女の警護のためのポリスも交代しながら常駐する。

 しかし、もちろん、電気も水道も何もない。自家発電機もない。浄水器は持参したけれどなぜか全然ダメ。そして、蚊や虫の大群。痒い、痒い。いやあ、たまりませんよね。

現地のシシミン族の女性たちは若者たちの「御殿」に踏み入るのを許されている。女性は上半身は裸で、腰のまわりは草を垂らすだけ。そして、来ると著者の身体にさわり、撫でさする。言葉が分からないから、追い払うことも出来ない。あきて出ていくのを待つだけ…。話が通じないし、友人の調査を妨害してはいけないのです。

女性は、男性と同じように、鼻があいていて、そこに細い青竹を真一文字にさしている。男と違うのは、片方の耳に、おそろしく太い竹をさしこんで飾りにしていること。

ニューギニアでは河鹿(カジカ)が鳴く。ただし、声は大きいし、数も多いので、すごい迫力。そして、ホタルも大きく、光が大きい。鬼ボタルと名付けたいほど。日本の10倍ほどの大きさで、黄色と紫とピンクと青の4種類の光がある。ええーっ、ホタルが4種類の光を出すなんて初めて知りました。それなら、私もニューギニアに行ってみたい…、って、もちろん嘘です。著者のような苦労をジャングルの中でする勇気はありません。

シシミン語には、水を汲むとか穴を掘るという動詞はあっても、「働く」という概念的な言葉はない。だから、1日働いたら、いくらもらえるというようには考えない。なーるほど…。でも、きっと50年たった今は違うことでしょう。

著者は足を痛めて歩けないため「御殿」にいるしかなく、友人の仕事の邪魔もしてはいけない。それで暇をもてあましてパンツを11枚もつくったのでした。男性はパンツもはかないのです。

いったい、どうやって著者は日本に帰ったのか、心配していると、こんな山の中、著者たちが3日もかけて歩いてようやくたどり着いた「御殿」に、なんと迷い子のヘリコプターが降りてきて、著者はそれに乗って、町に戻ることが出来たのでした。ヘリコプターに乗って町に戻るまでの所要時間は、なんとたったの十数分。いやはや、文明の利器とは、恐ろしいものです。

1ヶ月間も暮らした「御殿」から日本に戻って、著者はマラリアを発症。危うく手遅れになるところでした。

50年前の著者は37歳で、まだ幼い娘を日本に置いての旅でした。そしてこれは1968年3月のこと。私が大学1年のときで、ようやく東京の生活に慣れたころになります。

有吉佐和子は『華岡青洲の妻』を刊行して印税がしこたま入っていて、次なる作品の構想を練っているとき、ニューギニア行きの話を聞いて飛びついたというわけでした。

いやぁ面白くて、恒例の人間ドッグで泊まったホテルで一気読みしました。再刊して、たちまち10刷というのは当然の面白さです。

                                   (2025年12月刊。990円+税)

2月1日早朝、ミャンマー最後の戦争が始まった。

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 フレデリック・ドウボミ、ラウ・クォンシン 、 出版 寿郎社
 ミャンマー(ビルマ)の軍事クーデターに対抗する民衆の姿をマンガで知ることが出来ました。
 日本に住んでいるミャンマー人は2021年12月には3万7千人だったのが、2年後の2023年12月には8万6千人となった。急増したのはミャンマー軍事クーデターによって、国外脱出を試みる若者が増えたから。
軍事クーデターが起きたのは2021年2月1日の早朝のこと。ミャンマー国軍のミンアウンフライン総司令官が前年11月の総選挙には不正があったと主張して起こしたもの。しかし、「不正」の確たる根拠は示されていない。
 その前の2017年8月、70万人以上の少数民族ロヒンギャがミャンマーでの迫害を逃れてバングラデシュへ移動した。
この本の作画を担当したラウ・クォシンは幼少期を京都で過ごしている。中国に渡り、今は香港から台湾に移り住んでいる。
 2020年11月の総選挙で勝利したアウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NCD)
による民主的な政権は短期間のうちに終わらされた。
クーデターの翌日、国民は鍋やフライパンを叩いて抗議した。ミャンマーには金物(かなもの)を叩いて悪霊(あくりょう)を追い払う風習がある。
軍事クーデターによって、2020年11月の総選挙で当選した多くの議員が逮捕された。アウンサンスーチーは2月1日に逮捕された。不法に無線通信機を所持していたという罪で3年の実刑判決が出た。アウンサンスーチーは、多くのミャンマー人にとって、一家の長であり、母親のような存在。彼女の父親であるアウンサン将軍は、独立運動のヒーロー。イギリス軍や日本軍と命をかけて戦った。
 デモ参加者はインターネットで連絡をとりあったので、軍はアクセス制限を始めた。
 ミャンマーの若者には、「ミルクティー同盟」の一員だと考える者もいる。これは、台湾・香港・タイの若者たちが中国とタイの政府軍の権威主義体制に反対してつくったオンライン組織。
 タイの民主化運動で三本指(親指と小指を除く)を立てるのが抵抗のシンボルとなったのがミャンマーでも広がった。
 中国政府は以前のようにビルマ軍を完全には支持していないが、見捨てたわけでもない。
 ビルマ民族の若者のなかに、カチン民族やカレン民族のゲリラを公然と支持する動きも出ている。ヒロンギャに対する認識を改めた人も少なくない。
ミャンマーは今、恐怖の中にあるのに、世界は、それをただ見ているだけ。
ビルマ軍幹部は、クーデターを非難した国連のミャンマー大使を解任できず、その後も任務についたまま。ビルマ軍よりも国民統一(NUG)のほうが正当なミャンマーの代表として国際社会に認識されている。
 自由選挙で軍の代表が勝利したことは一度もない。
 ミャンマーの置かれている実情を少しばかり知ることができました。
(2024年10月刊。2200円)

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