法律相談センター検索 弁護士検索

手塚マンガで憲法九条を読む

(霧山昴) 

著者 手塚治虫・小森陽一解説 、 出版 子ども未来社

手塚治虫は敗戦の年(1945年) 7月10日に大阪大学医学専門部に入学しますが、アメリカ軍のB29大編隊による爆撃を勤労動員先の工場で受け、すんでのところで爆死するところでした。工場を駆け抜けて淀川の堤防に出ると、そこはもう死体の山だったのです。

思春期のときの残酷で強烈な戦争体験が、その後の手塚治虫の作品に何度となく繰り返し登場します。そして、自分の体験にとどまらず、ベトナム戦争だったり、米ソの核実験や東西冷戦構造抗争も取り入れ、平和の大切さを投げかけます。

1945年8月15日、日本敗戦を聞いて、手塚治虫は、「これで自由にマンガを描ける」と喜びました。そして、1946年1月から四コママンガの連載を始め、1947年2月からはマンガ「新宝島」を刊行し、これがなんと40万部を完売したのです。18歳の手塚治虫は一躍有名になりました。

私の子どものころは、なんといっても「鉄腕アトム」です。マンガはアニメにもなり、夢中になって読み、見ました。高校生から大学生のころは、「ブラックジャック」にしびれました。弁護士になってからは、「アドルフに告ぐ」です。

いかにも正統派の絵ですが、ともかくストーリーの展開が素晴らしいです。よくぞこんなどんでん返しを思いつくものだと、いつもつくづく感心します。

敗戦間近の日本では、特攻機に乗って若者が出撃していきます。しかし、なかには機体は故障して基地に舞い戻ってきます。もう死んで英雄になっているのに生きているのは困ると軍部は考え、再度、特攻を命じるのです。実話でもあります。それでも死なない兵士は閉じ込めて隔離してしまうのです。

「またもや政府がきな臭い方向に向かおうとしている。子どもたちのために、当然大人がそれを阻止しなければいけない。同時に、子ども自身がそれを拒否するような人間になるよう育てなければならない」

「生命あるものすべてを戦争の破壊と悲惨から守るのだという信念を子どもに植えつける教育、子ども文化はその上に成り立つものでなければならない」

手塚治虫の1986年の言葉です。高市首相は戦争する国へ日本を加速しています。とんでもない危険な政権です。国民の生活の大変さを救う政治ではなく、国民がますます苦しくなる方向にすすめている高市首相には一刻も早く退陣してもらいたいものです。

(2026年6月刊。1650円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.

タイトルとURLをコピーしました