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未完の中国文化大革命

(霧山昴)

著者 楊海英、 出版PHP新書

この本は、いいかげんな本です。モンゴル生まれで、現在は静岡大学の教授をしているそうですが、日本敗戦時の中国東北部(旧満州)にいた日本軍将兵10万人が人民解放軍に参加したことから国民党軍に勝利したなど、とんでもない嘘を堂々と(恥ずかしくもなく)書いています。

私の叔父(父の弟)が関東軍の兵士として満州にひっぱられて敗戦時は後は、国共内戦のなか満州各地を転々としていた状況を調べて本 (『八路軍とともに』花伝社)にまとめていますので、私はそれなりに事情に詳しいのです。

「実際には、日本の敗退後、ソ連軍が人民解放軍を招き入れて勝利を得ているだけだ」というのは、まったく事実に反します。スターリンの支配するソ連軍は中国共産党よりも国民党を重視していました。中国共産党は、国民党軍よりも早く日本軍のいなくなった満州に進出していきました。蒋介石の国民党軍はもたもたしていて出遅れたのです。

ソ連は満州にあった工場その他の設備と備品をどんどん接収してシベリア鉄道に載せてソ連へ送り出しました。略奪したのです。叔父はその下働きをさせられました。日本軍が残した武器・弾薬はソ連軍が管理していたので、中共軍は交渉してなんとか相当部分を確保しています。これに対して国民党軍にはアメリカが最新鋭の兵器・装備を提供しています。

「このとき、日本軍の敗残兵が多数、人民解放軍に参加した。一説には10万人もの日本兵が林彪部隊に入ったといわれている」。学者ともあろう者がよくも、こんないいかげんなことを書けるものです。旧日本兵をソ連が何十万人もシベリアに連行していたのも忘れています。

「日本軍の武器はすべて人民解放軍に渡った。解放軍が操縦法の分からない戦闘機などの操縦法を日本兵が教えた」

日本軍の武器のすべてではありません。アメリカが支援する国民党軍が満州を優勢に支配していた時期もあります。

中共軍は八路軍(パーロ)とも呼ばれていて、叔父はパーロと一緒に満州各地を転戦(逃げまわった)したのです。日本人将兵が戦闘機の操縦を八路軍に教えたのは事実です。その状況を紹介している本もあります。

「場合によっては、日本兵が最前線に立った」。これも事実に反します。八路軍は基本的に旧日本兵は最前線に立てませんでした。信用していなかったからかもしれません。補給兵や看護兵などの後方支援を主としています。叔父の場合は、工場技術者として重宝されました。というのも、八路軍は幹部でも識字能力がそれほどではなかったのです。いわば農民集団だったようです。

「そのため満州で人民解放軍は勝利を得た」。これも嘘です。人民解放軍が勝利したのは、汚職腐敗のひどい国民党軍に対して、規律正しく(「三大規律八項注意」が厳正に守られていました)、土地解放によって、人々を惹きつけたからです。それでも、国共内戦は一進一退の攻防が長期にわたって続いて、長春など各地で深刻な悲劇が続いています。

この本ではありませんが、中国共産党は日本軍とひそかに意を通じていた、だから国民党軍に勝ったとする本もあります。むしろ、旧日本軍が師団丸ごと国民党軍に参加して戦った事実があります。「蟻の兵隊」として知られています。これは個々の兵隊が自発的にという扱いになったためです。まだ国民党軍が大陸において国共内戦をしているときに、共産党軍の威信低下をねらってまき散らしたデマ宣伝に乗せられているだけです。国共内戦当時の共産党軍に日本軍と内通するほどの余裕はありませんでしたし、当時の日本軍を共闘相手として共産党軍が考えるなど、まったくありえません。こんな嘘が堂々と活字になると信じてしまう人も出てくるので、あえて紹介しました。

(2026年1月刊。1250円+税)

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