法律相談センター検索 弁護士検索

ヨーゼフ・メンゲレの逃亡

 (霧山 昴)

著者 オリヴィエ・ゲーズ  、 出版 創元ライブラリ文庫 

ナチスの医師メンゲレは 南アメリカに逃亡し、30年ものあいだ隠れて生活していました。といっても、実の家族とはずっと連絡をとっていて、ドイツで弁護士となった息子ともスイスで会っています。また、アイヒマンとも一時期はすぐ近くに住んでいたことがありましたが、メンゲレのほうが用心深かったためイスラエルのモサドから居所を探知されることはなく、メンゲレは病気のため衰え、ついに海で溺れ死んでしまいました。偽名のまま墓地に埋められたのです。しかし、結局は遺体は掘り起こされ、鑑定の結果、メンゲレだと判定されました。今、メンゲレの遺骨は、ブラジル医学界が保存しています。

メンゲレに息子は問いかけた「パパ、アウシュヴィッツで何をしたの?」「人を殺したの、パパ? 子どもを痛めつけて焼いたの?」

メンゲレは答えた。「ユダヤ人は人類に属していない」「蚊と同じように叩きつぶした」「何千年も前から、ユダヤ人はアーリア人種の絶滅を望んできた。あんなものはすべて排除すべきなのだ」「自分は、ただ兵士と科学者の義務を果たしただけ」「たくさんある歯車のうちの一つでしかなかった。一部にやりすぎがあったとしても、その責任は私にはない」

しかし、実際のメンゲレは単に「歯車の一つ」というものではありませんでした。単なる責任逃れの口上にすぎません。

アイヒマンはモサドに捕まったとき、メンゲレのことはひと言話さなかったようです。そのおかげでメンゲレはアイヒマンが1962年6月1日に絞首刑で死んだあとも、1979年2月7日に溺死するまで17年も生き延びたのです。

メンゲレは、1956年3月にはジュネーブで家族(妻と子)に再会しています。当時はロシアで戦死したことになっていたので、「アメリカのフリッツおじさん」と紹介され、息子に名乗りました。

南アメリカには、ナチス・ドイツの犯罪者を受け入れる組織があり、社会があったようです。アイヒマンはそのなかで悠々と生活していたわけですが、自己宣伝をしたことから、ついにモサドに捕まってしまいました。メンゲレは、実に用心深かったのですが、それでも本名で登録していたのです。

「死の天使、ヨーゼフ・メンゲレ」という映画が最近、日本でも公開されましたが、残念ながら見逃してしまいました。日本でいうと 七三一部隊に関わった医学者たちですね。「ミドリ十字」を創設してもらったり、また、東大や京大の医学部教授になったり、栄誉と名誉を得ています。許せません。

(2026年2月刊 1,430円)

子どもの日、快晴だったので、久しぶりに近くの小山(388メートル)に登った。わが家から頂上まで、1時間半かかる。途中、ミツバチの箱を20個ほども置いているところがあり、ハチたちが箱の上を乱舞している。道路はよく整備されているが、それでも20分以上は、かなり急峻な山道になっている。幸い頑丈なロープがところどころに張ってあるので、それにつかまり、あえぎながら、やっとの思いで登っていく。足を踏みはずして転落したら、「高齢の老人が山で負傷」という見出しで報道されるのだろうなと冷や冷やする。小鳥たちの鳴き声がかまびすしい。ウグイスも混じって鳴いている。ようやく、見晴らしのいい頂上に到着して、汗びっしょりの肌着とシャツを取り換えて、お弁当開きをする。昔ながらの濃い塩味の梅干し入りのおにぎりを眼下の有明海、そして雲仙岳を見ながらほおばる。紫色の野アザミの近くの白い花にアゲハチョウがとまって蜜を吸っている。弁当を食べ終わると、石のベンチでしばし横になる。陽差しが強くて、暑いほど。帰り路はだらだら坂を下っていく。電気柵が囲われている中にミカンの白い花が咲いている。電気は太陽光発電だ。そして、ビワの実に袋かけをしている人がいたので、声をかけて挨拶する。青葉若葉が目に沁みて、またとない生命の洗濯ができた。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.

タイトルとURLをコピーしました