(霧山昴)
著者 村木 厚子 、 出版 講談社現代新書
厚労省の課長だった著者は、検察の見込み捜査によって逮捕され、なんと164日間も拘置所に入れられていた。幸い、担当検事がパソコンを操作してウソの証拠をつくり上げていたことが発覚したことから無罪になった。本当に危ういところでした。
担当検察官たちは、どうせ執行猶予になるんだから刑務所に行くことはない、と著者にこのような「甘言」で誘いかけた。ところが、それは有罪を認めること。無実なのに無罪を主張できないなんてありえない。そう思って著者は歯をくいしばって164日間を闘ったのでした。
弁護士から差し入れられた関係書類を2回、丹念に読み、ノートにとった。時系列で並べると、著者はおかしなことに気がついた。肝心な月日が逆転している。ありえない……。これが検事の証拠偽造発覚の端著になった。まさしく執念の勝利です。
検察官は、自分たちのつくったストーリーにそった供述を被疑者から引き出すことに全力を尽くす。「執行猶予がついたら、たいした罪じゃない」というのが検察官の感覚、しかし、フツーの市民にとって、犯罪者かどうかは、ゼロか100かの大問題だ。
つい先日も、無罪を主張している被告人に対して、裁判官たちは深く考えることもなく、執行猶予判決にしてあげたんだからいいだろうという、そんな思いとしか考えられない判決に接しました。
検察官は取調べのとき被疑者に向かって平気で嘘をつき、法廷でも素知らぬ顔で裁判官を欺こうとする。
検察官たちは、自分たちで情報を共有しながら共通のストーリーを検事全員で組み立て、そして、整合性のある「物語」を作りあげていく。
検察、とりわけ特捜部は、起訴した以上、どんなことをしてでも有罪にするという選択肢しかない。走り出したら、止まれない。
同じように裁判官もコミュニティが批判されて、自分たちの評判が下がることを非常に恐れている。
裁判官の多くは、自分たちを「治安の守護者」だと思っている。無実の者を無罪にして救うことより、社会の治安維持を優先させる発想が身にしみついている。
体験者はこのように語るのです。
日本の刑事司法について、優れていると学者は言うことがあります。でも、50年以上も法廷の内部で弁護人をしていて、ええっ、そうなんだろうか……。本当かなと思っているというのが正直なところです。
(2026年3月刊。1320円)
チューリップが終わり、アイリスが咲きはじめました。白と黄色のコンビネーションで、すっくと庭のあちこちに立っています。フェンスには紫色のクレマチス(テッセン)が咲き、橙色のヒオウギもあちこちに咲いています。
ジャーマンアイリスもそろそろ咲いてくれることでしょう。ジャガイモも地上部分は元気よく茂っています。残念なことにアスパラガスは太いものが出てくれません。
先日からタケノコをたくさんいただき、タケノコざんまいの食卓です。


