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象にささやく男

カテゴリー:生物

著者  ローレンス・アンソニー 、 出版  築地書館
 アフリカで野生のゾウの保護のために奮闘した男性の話です。
 残念なことに、1950年生まれの著者は、2012年に心臓発作のために亡くなっています。
 そのとき、ゾウたちが長い道のりを後進して、「弔問」にやって来たそうです。ゾウは超能力をもっているのです。
アフリカ象は40万頭から65万頭ほど。ところが、2011年だけで2万5000頭が殺された。象牙のために密漁団が暗躍している。日本も印鑑のために、その象牙の密輸入国です。
 オスのゾウはメスよりも人間に近づかれても平気だ。その理由は簡単。大きなオスは、自分を守る能力に大変自信をもっているから、人間が近づいても、その分、大丈夫なのだ。ゾウが小さくなればなるほど、自信がなくなるので、より大きな空間を要求する。ゾウは、自分のことを皇帝のように偉い存在だと思っている。
 野生のゾウとつきあいたいのなら、こちらから近づいていってはならない。ゾウのほうから近づいて来るのを待つべきだ。ゾウが近づいてこないのなら、あきらめるしかない。
 ゾウにとっての不変の原則は、すべての生き物は、自分たちに譲るべきだということ。
 アフリカの野生の生き物は、最初はぐらつくにしても、生後すぐに歩き始める。地面に赤ん坊が横たわっているのでは、どうぞ召し上がってくださいとお願いしているようなもの。捕食動物の格好のおやつになってしまう。身体の大きいゾウにしても、生まれたら、出来るだけ早くその場をあとにする。胎盤の臭いで、肉食動物が集まってくるから。
 ゾウの仲間(家族)が死ぬと、ゾウたちが周囲をぐるりと取り囲む。そして、遺骨になってしまったあとも、近くを通りかかると歩みを止め、臭いをかぎながらその骨を突っつきまわし、おもちゃのようにして戯れる。それは、ゾウの亡き者を偲ぶ一つに儀式だった。
ゾウは、地球上で唯一、飛び跳ねることのできない動物である。だから、飛びおりることもできない。
 ゾウは人間の可聴周波数帯よりはるかに低いゴロゴロという音を胃のあたりで発し、数キロ離れた先からもそれを聞きとることができる。
 ゾウは金属の肌触りが好きらしく、放っておくと、何時間も自動車の車体に触り続けている。エンジンの発する熱も大好きで、とくに寒いときがそうだが、鼻をボンネットの上に長いことくっつけたままにしている。
 ゾウは、人間のゆっくりした落ち着いた動きを好む。人間が近づくときには、わざとらしく草を手で折ったり、止まって木の様を調べたりして、時間をかせぎながら、ゆっくり近づいていく。すると、鼻が伸びてきて、人間の身体に優しく触れる。
 ゾウと心を通わせるまでの苦労、そして、ゾウたちの集団との関わりが、てらいなく紹介されています。仔ゾウに、一度は触ってみたいものだと思いました。
ゾウの賢さを改めて認識させられる本でもあります。
(2014年2月刊。2600円+税)

テキヤはどこからやってくるのか?

カテゴリー:社会

著者  厚 香苗 、 出版  光文社新書
 私の幼いころ、夏に農村部にある親戚の家に泊まりがけで遊びに行くと、「ヨド」という夜祭りがあっていました。アセチレンランプの鼻に来る臭いとともに、焼きイカを売ったり、キンギョすくいなどの夜店が並んで、狭い寺の境内が付近の集落の人々でにぎわっていました。「ヨド」って、何なのでしょうか・・・。
 縁日や祭りのときにやってくる露天商、あるいは露天商の人々をテキヤと呼ぶ。映画「男はつらいよ」の主人公の寅さんもテキヤだ。
 露天商は、テキヤのほか、香具師(やし)とも言う。
 静岡のあたりで、日本の電圧が東西で変わるのと同じように、露天商いをめぐる慣行も静岡を境として、東と西とでは異なっている。露天商いをめぐる諸慣行は、北海道、東日本、西日本、沖縄という三つのエリアに分かれる。
全国どこでも、地元の露天商が多数派を占め、地域の実情をふまえて祝祭空間を取り仕切っている。
テキヤの信仰する神農は、正式には神農黄帝という。神農と黄帝は別の帝王とされることが多いが、それをあわせて一つの神のように考えるのがテキヤの神農信仰の特徴である。
 東京のテキヤは、一人前になることをダイメ(代目。代目披露)という通過儀礼を経て一人前と認められる。ダイメは、テキヤ社会ではとても重要な儀礼である。
 テキヤ集団の正規の構成員になれるのは男性のみ。女性は、親分子分関係にとりこまれることはない。
 カセギコミ(稼ぎ込み)、イッポン(一本)、ジッシブン(実子分)、イッカナノリ(一家名乗り)、ダイメ(代目)と出世していくプロセスがある。
 カセギコミとイッポンは、ワカイシュウ(若い衆)と言われる未熟な段階である。イッカナノリとダイメはオヤブン(親分)で、イチニンマエ(一人前)、シンノウサン(神農さん)とも言われる。
東京の下町のテキヤの間にはアイニワ(合庭)という慣行があって、複数の集団のなばりが重なりあっているのが普通である。
 なわばりの外に行く人を、テキヤの間ではタビニン(旅人)という。
 場所を割り当ててもらうためには、テキヤ社会で無形の営業許可証のようになっている名乗り名(なのりな)を相手に告げなければならない。
 口上を受ける側は、口上の文言、声の調子、姿勢などから、香具師、テキヤの社会のフォーマット通りのきちんとした挨拶であるかを判断した。そして仲間と認めると、挨拶で告げられた「身元」にふさわしい商いの場所を提供する決まりになっていた。この口上を過不足なく述べなければ、一人前とは認められなかった。自己紹介の挨拶として、自分と自分の所属する集団で目上にあたる人物を紹介することが重要なのである。
大ジメ、コロビ、サンズン、コミセ、タカモノ、ナシオトバイ、ショバワリなどの隠語も紹介されています。
 露天商の中のヤクザ者は、せいぜい3割程度。
露天商の世界をのぞいてみた気分になる本でした。
(2014年4月刊。760円+税)

女のきっぷ

カテゴリー:社会

著者  森まゆみ 、 出版  岩波新書
 弁護士として40年すごしてきた私の実感は、日本の女性は実にしぶとく、たくましいというものです。もちろん、か弱い女性もたくさん見てきました。しかし、おしなべて、日本の女性は地に根をはって、たおやかに生きていると思います。
 たとえば、男性の不貞行為が問題となったとき、その相手は例外なく女性です。女性側の不倫とセットになっているのです。そして、女性のほうが、なかなか不倫を認めたがらないことが多いように思います。
 「女のきっぷ」というとき、「きっぷ」とは気風と書き、「きっぷがいい」とは、思い切りよく、さっぱりした気性のことをさす。江戸前の女の気風だった。その反対語は、ケチ。
 この本では明治の女性である樋口一葉にはじまり、反骨ブルースの女王と呼ばれた淡谷のり子までを紹介しています(最後に国際女優である谷洋子が紹介されていますが、私の知らないひとです)。
 樋口一葉の家を訪れた作家が何人もいたのですね。幸田露伴、泉鏡花、島崎藤村などです。すごいお友だちメンバーです。
 与謝野晶子は関西の生まれだったんですね。堺は菓子屋の娘でした。13人もの子を産んだというのにも驚きます。大逆事件では、反逆人の側を思ってうたをよんでいます。 
 宇野千代は、とんでる女性の代表のような気がします。
 宇野千代は作家という前に恋愛家といった方がいい。一生のうちに何人の男に恋をして、何人の男と理無い(わりない)仲になったか知れない・・・。
 相当の発展家だったようです。ですが、その自分の体験を売れる小説にしたのです。すごいです。若いころは、「貞操観念のない女」だったのです。それでも男に喰われなかったのですから、たいしたものです。
 74歳の農婦(吉野せい)の小説が世間から高く評価された。
 うひゃあ、そんなことって、あるのですね・・・。
 林芙美子は、天性の嘘つきだった。うむむ、そう言い切っていいものなのでしょうか・・・。
 北九州から初恋の男を追って上京したが、家柄がつりあわないということで捨てられた。
 カフェの女給、銭湯の番台、新聞社の帯封書き、セルロイド工場の女工、株屋の店員など、数々の職を転々としながら詩人を目ざした。
『放浪記』は初版本と有名な作家になってからの改訂版とでは、大きく表現が異なっている。優等生的に変わってしまっているのです。なるほど、だったら初版本を何とかして手に入れて読まなくてはいけませんね。
 NHKラジオ講座の話がもとになっているので、大変読みやすい本です。
(2014年5月刊。1900円+税)

イラク戦争は民主主義をもたらしたのか

カテゴリー:アメリカ

著者  トビー・ドッジ 、 出版  みすず書房
 アメリカのイラク侵略戦争は、まったくの間違いでした。サダム・フセインの圧制は、たしかにひどかったと思います。かといって、アメリカがイラクに侵攻して戦争を仕掛けてよいはずがありません。まさに、アメリカ帝国主義です。
侵攻の口実となった「大量破壊兵器」(核兵器も生物化学兵器も)なる物は、影も形もありませんでした。そして、イラクを支配してからも間違い続きでした。アメリカ軍が撤退したのも、イラク国民に追い出されたというのが実態でしょう。
 そして、何より、アメリカ軍の支配下で内戦が始まり、今や完全に内戦状態です。アメリカのオバマ大統領は無人機などで実態を収拾しようと必死ですが、しょせん武力に頼ってうまくいくはずがありません。
 まわりくどいようですが、武力に頼らない方法で取り組むしかないのです。アメリカの愚かさに日本の支配層が引きずられているのが、日本人の一人として本当に心配です。
イラクの人口は3200万人。隣に7200万人のイランがある。イラクには世界第3位の石油埋蔵量があり、1日800万バレルの石油が生産可能。石油輸出国として世界第二位。
 1990~1991年の湾岸戦争時代に、殺人を禁じる慣習が大きく変わった。国家による暴力の独占状態が揺らいだ後、犯罪行為が横行し、個人の利益に奉仕することを目的とした私的暴行の行使が広がった。
 あらゆるものが武力に従属されるなかで、自己表現と抗議の一形式として暴力を行使するという思考のしみついた世代が3世代にわたって育った。彼らは、いかなる法にも、社会規範にも縛られない。
 1990年代のイラクに対する国際的な経済制裁は、高等教育を受けた中産階級、イラクの近代性と進歩の案内役だった中産階級を縮小させた。そして、暴力の文化を助長した。
 イラク社会は戦争と国連の制裁によって高度に軍事化された。1989年、イラクの常備軍は兵力100万、火器420万という規模になった。軍事化が進んで、民間人も鉄砲をもち、320万の鉄砲が普通の人々の手に渡った。
 2003年、アメリカ軍の前にイラク軍があっけなく崩れ去ると、治安維持機関の管理していた420万の鉄砲が社会の隅々にまで出回った。犯罪の世界だけでなく政治においても、過度の暴力が横行するようになった。
 2003年5月、文民行政官ブレーマーがイラク国軍の解体を決定したことにより、訓練を受けた40万人もの元国軍兵が武装した状態で街頭に放り出され、失業の憂き目にあった。
 戦争と制裁、占領軍の無能力、それによって生じた略奪の波。それらが重なりあって、イラクは2003年、崩壊国家と化した。国家が突如として機能を停止し、全土に安全保障の真空が生じた。乱れに乗じて略奪をはたらく者がはびこり、暴動に関与する勢力が拡大し、ついにイラクは全面的な内戦的な内戦状態に陥った。
2005年以降、イラク内務省の傘下にある特別警察突撃隊(国家警察)は、暗殺集団と化した。
 2007年、アメリカのイラク政策は大きな転換点を迎えた。しかし、政策は軍事作戦が中心で、他の分野は、すべて隅に追いやられた。
 2006年6月、アルカイダの指導者ザルカーウィーがアメリカ軍によって殺害されたあと、組織は求心力を失った。組織幹部に対するアメリカ軍の攻撃の精度が高まるにつれ、若くして経験の乏しい、より暴力的な分子が上層部を占めるようになった。
 身元の割れた民兵組織幹部のケータイを押せば、人物相関図を埋めていくことができる。こうして得た「高価値目標」の殺害をアメリカ軍の特殊部隊が担った。
 2012年3月までに、アメリカ軍とイラク政府がイラク国家の再建のために投じた金額2000億ドルは、さまざまな機関を通じて投下された。しかし、アメリカは復興計画の調整に失敗しただけではない。一貫性のある基本計画が作られたことは一度としてなかった。そして、復興活動がうまくいかなかったのは、治安状況が悪化したことにもよる。
 さらに、各省大臣が自分の出身政党の職員を自由に採用することにより、公務員の水準が低下し、人員が大きく膨れあがった。2005年に120万人だった公務員が2008年には230万人になった。汚職の蔓延が行政機関を脆弱にしている。政治家は、ほとんど監視を受けることなく公金を使い、極秘で働いている。その結果、公共下水道を利用できるイラク国民は26%。安全な飲用水を使えるのは、人口の25%、760万人にすぎない。
 いま、イラクで内戦が起きているわけですが、これは、アメリカ軍の無謀なイラク侵略戦争がもたらしたものだったのです。民主主義を守るためと称して、イラクから平和と民主主義を奪い去ったわけです。アメリカの戦争責任はまことに重大です。日本は、ここから教訓を引き出すべきです。武力によっては、ほんの一時の「平和」しかありえないということを・・・。
(2014年7月刊。3600円+税)

済州島、四・三事件(第3巻)

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者  済民日報四・三取材班 、 出版  新潮社
 1948年、済州島で発生した韓国現代史上最大の悲劇「四・三」の惨状は、米軍政下において韓民族がかかえていた矛盾が集中的に作用して引きおこされた事件だった。
 済州島において、米軍政と韓国政府側の討伐作戦が本格化していた5月13日、それに反抗する武装隊による逆襲事件が発生した。警察署が襲撃され、7人の警官が死んだ。また、武装隊が民家に放火し、百余戸が火災にあった。事態は「血の報復」の様相を呈しはじめた。
 当時は、山側(武装隊)のほうが力があるように見えた。情報も、山からのほうが早かった。警察は、毎日のように、避難嫌疑者の家族を署内に連れこんで拷問を加えた。
 住民にとって、応援警察隊は悪夢のような存在だった。応援警察隊が来ると聞くと、男も女も、年寄りも子どもも、みな身を隠すのに必死になった。法を守るべき警察官の存在によって、一帯は無法地帯と化した。討伐開始の1ヶ月間で、逮捕された「捕虜」が6000名に達した。これは、無差別逮捕を意味している。
 1948年5月20日、第九連隊所属の下士官11人をふくむ将兵41人が兵舎を抜けだし、武器・弾薬とともにゲリラ側に加担するという事件が発生した。米軍政は、この事件の後、第九連隊に不信感を抱いた。第九連隊は、全兵力の9割が済州島出身者で占められていた。
 警察と「西青」に反韓を抱く兵士が多かった。これらの将兵は「左翼思想」に染まっていたというより、警察と「西青」に対する反感が強かった。そして、このうち半数の20人は、2日後につかまり、射殺されてしまった。脱営そのものが緻密に計画された、組織的なものではなかった。
 1948年6月、ソウルに法曹人が済州島に入って現地調査をした。ソウルの検察官は、次のようにまとめた。
 「今回の事件の導火線は共産党系列の策動にあるとは言っても、その原因は警察官の済州島道民に対する誤った行動にあると断言することができる」
 彼らは、同じく済州島事態は、左翼系の扇動だけでなく、警察と「西青」、官公吏の蛮行と腐敗等が大きく作用していると指摘した。
 1948年6月18日、第11連隊において連隊長の朴珍景大佐が暗殺された。29歳だった。犯人ら4人の将兵は1948年9月に銃殺された。
 1948年8月、済州島道民保団が創設された。1949年4月には、この民保団は5万人を擁した。
 1948年8月、大韓民国が樹立し、韓米暫定軍事協定が締結された。
 駐韓米軍司令官は、韓国軍の指揮権とあわせて、米軍駐屯に必要な基地と施設の支配権を継続して確保した。
 「四・三」流血事態に、米軍指揮部が直接・間接に介入していた。
 10月20日以降、軍の行動が終了するまで、全島の海岸線から5キロメートル以外の地点と山岳地帯の無許可通行が禁止された。この布告に違反するものは、理由のいかんを問わず、暴徒とみなし、銃殺に処される。
 この中山間焦土作戦によって、6ヶ月間の内に少なくとも1万5000人以上の島民が虐殺された。
 「四・三」事件は、韓国社会にとって忘れることの出来ない歴史的汚点の一つだということがよく分かりました。
(1996年6月刊。4500円+税)

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