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戦国大名

カテゴリー:日本史(戦国)

著者  黒田 基樹 、 出版  平凡社新書
 戦国大名と織豊大名・近世大名とは、領域権力ということで、基本的な性格を同じくし、社会状況の変化に応じて、その様相を変化させていったもの。
太閣検地、兵農分離、石高制などは、研究上の世界におけるある種の幻想でしかなかった。
戦国大名とは、領国を支配する「家」権力である。大名家の当主は、「家」権力の統括者という立場であり、権力体としての「戦国大名」は、大名家の当主を頂点に、その家族、家臣などの構成員をふくめた組織であり、いわば経営体ととらえるべきもの。
 戦国時代について、当時の人々は、まだ「室町時代」と認識していた。当代とは室町幕府の治世を指し、「先代」とは鎌倉幕府の統治時代を指した。
 戦国大名は、領国内において、平和を確立するが、それは内部における自力救済の抑止によって成り立っていた。
 中世における自力救済のキーワードである「相当」(同量報復)、「兵具」(武装)、「合力」(援軍)の禁止によって領国内の平和が形成・維持された。
 検地は、個々の百姓の土地所有権を決定するものではなかった。個々の百姓の所有地は、むしろ村によって決定されていた。
 通説では、石高は生産高となっているが、誤りである。近世の石高も、年貢賦課基準高でしかなかった。検地によって決定された村高が、そのまま年貢高になるのではなかった。村高から、いろいろの「引方」と呼ばれる控除分が差し引かれて、その残りが年貢高(定納高)となった。それこそが、大名と村との間における高度な政治交渉の反映だった。村高に対する引方の割合は、おおよそ2~3割におさめられていた。
 一反あたりの年貢量は、田地一反あたり五斗二升。平安時代後期の反別三斗の2倍にあたり、江戸時代の85%にあたる。
 したがって、織豊・近世大名の検地が戦国大名の検地より多くの富を収奪したというのは幻想なのである。こうした検地は、主に大名の「代替わり」ごとに行われた。
村という組織は、決して固定したものではなく、人員構成も領域も変動する可能性を常にもっていた。
 棟別銭は、屋敷地に対する賦課役で、屋敷地の家数に応じて賦課された。
 陣夫役は、先陣のたびごとに人・馬を徴発するもの。
 戦国大名の領国支配のなかで、大きな歴史的意味をもった政策が目安制による裁判制度の構築だった。
 目安は訴状のこと。評価衆が組織され、目安制による訴訟の審理にあたった。双方の出頭が求められ、出頭しなければ、無条件で敗訴とされた。
 目安制の全面展開について、北条氏康は、「百姓に礼を尽くす」政策の筆頭にあげている。そして、これが他の戦国大名に広がっていった。
 この目安制の意義は、領国を構成する社会主体である村のすべてに対して、大名家への直接訴訟権を認めたことにある。それは、すべての人々に訴訟権を認めた、万人に開かれた裁判制度がここに始まったと言ってよいもの。現代の裁判制度は、この延長線上に位置している。
 戦国大名の実際を知ることが出来ました。
(2014年1月刊。780円+税)

靖国参拝の何が問題か

カテゴリー:社会

著者  内田 雅敏 、 出版  平凡社新書
 今年の夏、8月15日には靖国神社への道が大混雑したそうです。
 国民の少なくない人が二代の天皇が靖国神社を参拝しない理由を知らないように思います。この本は、その理由をふくめて、靖国神社と靖国参拝の問題点を縦横に、そして明快かつ分かりやすく語り明かしています。
 安倍首相が去年12月末に靖国神社を参拝したとき、アメリカ政府は「失望した」と公式に表明した。アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルは、次のように指摘した。
 「安倍首相の靖国参拝は、日本の軍国主義復活という幻影を自国の軍事力拡張の口実に使ってきた中国指導部への贈り物だ」
 そうなんですよね。安倍首相の言動こそが、東アジアの緊張関係をひたすら悪化させている主な要因なのです。
 ワシントン・ポストは安倍首相の歴史認識を次のように批判した。
 「安倍首相は歴史を直視することができない。中国や韓国の怒りは理解できる」
 また、アメリカの連邦議会調査局は、安倍首相の歴史認識をめぐる言動について、「地域の関係を破壊し、アメリカの利益を損なう恐れがある」と指摘した。
 靖国神社は、先の戦争を「聖戦」とし肯定し、戦死者を「護国の英雄」として顕彰している。
 韓国や中国が靖国神社参拝を批判するのは、靖国神社が、公式に表明されてきた日本政府の歴史認識とまったく相反する歴史認識を主張しているからである。
 靖国神社は、先の大東亜戦争について正しい戦争だったという聖戦史観に立ち、A級戦犯を合祀しているだけでなく、そもそも戦死者の「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設である点に、その本質がある。
 靖国神社は、英霊の顕彰の目的で設立された沿革を有する。天皇の兵士の戦死者を「護国の英霊」として顕彰するためには、戦死した戦争は不義のものであってはならない。したがって、南京大虐殺もなかったし、軍の強制による「従軍慰安婦」も存在していなかったということにされる。
昭和天皇は、A級戦犯の合祀が明らかになった1975年を最後に、靖国神社への参拝をやめた。
 厚生省がA級戦犯12名の氏名を記載した「祭人名票」を靖国神社に届けたのは、1966年2月。当時の宮司は預かったままとした。ところが、次の松永宮司が1978年10月の例大祭で合祀した。
 靖国神社は、今は一宗教法人であるが、いずれは戦前と同じように国家施設になることを目論んでいる。だから、それができる前に国立追悼施設ができてしまうと「戦死者」の魂を独占することが出来なくなると考え、国立追悼施設の建立に反対している。
 著者は、今からでも遅くないから、すべての戦没者を追悼する無宗教の国立追悼施設をつくるべきだと提唱しています。私も大賛成です。
 著者は、私の敬愛する弁護士です。中国人の強制連行事件など、平和問題に広く活躍してきました。これからも、ますます元気にがんばってください。贈呈ありがとうございました。
(2014年8月刊。740円+税)

セブン・イレブンの足跡

カテゴリー:社会

著者  田村 正紀 、 出版  千倉書房
 私がコンビニに足を踏み入れるのは出張のときに限られます。スーパーに入るのには抵抗がありませんが、コンビニは強い心理的抵抗感があります。明るすぎる店内の照明をふくめて、あまりにも人工的すぎて、店に入ったとたん、いかにも管理された人間になってしまう気分に襲われ、それが嫌なのです。
 コンビニの店員がかけてくる声も形にはまったマニュアル本どおりで、心が通いません。
 コンビニではないフツーの店があると、そこに入って、ほっとします。
 それにしても、コンビニの躍進ぶりはすごいですよね。今や、すっかり日本の有力な成長産業になってしまいました。いえ、海外にまで出かけているのですよね。
 1990年ころまでは、コンビニは都市圏に対応した業態だった。1990年以降、各地の中小小売商が地滑り的に衰退していった。地方都市の商店街、町村部の零細商店が衰退し、周辺住民のなかに買い物難民が生まれていった。コンビニは、それらの人々の救世主となった。
 1990年代の不況下で、セブン・イレブンの点あたりの粗利益率は、1980年代に比べ20%台から30%へと飛躍的に上昇した。
 粗利益を高める方法の第一は、一店あたりの売上高を大きくすること。一日の売上高を日割りした日販をコンビニ業界は重視する。セブン・イレブンは日販の圧倒的格差を長年にわたって維持してきた。
1990年度に、セブン・イレブンの日販100に対して、ローソンとファミリーマートは63と75だった。2012年には、ローソンは77に、ファミリーマートは78と、差を縮めた。それでも依然として格差は大きい。その秘訣は、いち早くPOSを全店に導入したこと、それによって、回転率の低い「死に筋商品」を見つけ、売り場から排除した。さらに、新製品の導入も大きい。
 フランチャイズ・システムによるコンビニにも当然ながら問題があります。本部と加盟店とのあいだの利害衝突です。
粗利益を分配するとき、この粗利益をいかに算出するかが争いになった。そして、ロスチャージ問題がある。廃棄商品を加盟店に負担させるのは、本部の横暴だと裁判に訴えられた。セブン・イレブンは裁判にこそ勝ったけれど、コンビニに対する社会的イメージは低下した。この裁判を通じて、コンビニ店経営は必ずしも楽な商売ではないというイメージが広がった。
 私も親しい人がコンビニ経営を始めようとしたら止めますね。現代の奴隷みたいな存在だからです。とても独立自営業者だとは思えません。身内に不幸があっても、店を閉めたらいけないだなんて、あまりにも非人間的ではありませんか・・・。
 セブン・イレブンの持続的成長について、もっとも驚くべきことは、その経営利益が持続成長していること。
 セブン・イレブン1号店のオープンは1974年5月。創業して6年目の1979年に東証二部に上場し、その2年後の1981年には東証一部に上場した。上場までの期間は、当時、史上最短だった。
 大型店紛争の嵐を避けるため、小売店としてのコンビニに鈴木敏文は着目した。ただし、これは鈴木だけではない。
 コンビニは、全国どこへ行っても、100㎡前後の店舗面積3000品目の品ぞろえ。そして、24時間営業。
 24時間営業にすると、来店数は1日700人が1200人に、売上げは36万円が54万円に増えた。売上げが50%以上のびただけでなく、粗利益率も向上した。夜間の客は粗利の大きいファーストフードを求めたから。
 セブン・イレブン本部は加盟店の粗利益の43%をロイヤルティとして吸い上げる。ロイヤルティ率は、ローソンやファミリーマートが30%程度なのに、セブン・イレブンは40%をこえる。
セブン・イレブンは3ヵ月前の予約仕入れである。セブン・イレブンが年間に投入する新製品は4000分目ほど。セブン・イレブンの店頭に並ぶかどうかで、全国市場に展開できるか分かれる品目が増えた。
いかにも近代的商法の下で客は管理されているのですよね。私は、これが嫌なのです。
 そして、「経営者」には自由がない。休むのも、商品の仕入れについても・・・。
 このまま、世の中がコンビニだけになったら、日本社会はうるおいのない、一見すると明るい、しかし、内実はまっ暗な世の中になってしまわないか、私は大いに心配しています。
(2014年5月刊。760円+税)

憲法主義

カテゴリー:司法

著者  南野 森・内山 奈月 、 出版  PHP研究所
 まことに失礼ながら、実は、あまり期待せずに読みはじめたのです。そこらの若いオネーチャンに、大学の先生が難しい話をして煙に巻く・・・、なんてことまでは、さすがに思いませんでしたが・・・。
 ところが、AKB48の一員という女子高生(今は、慶応大学生)の受け答えが、実に明確で講義する南野教授とのからみあいも絶好調で、話がスムーズに進行していくのです。聞き手の良質な受け答えがあるため、南野教授も大いに乗って話が弾みます。
 あまりにポイントを突いた指摘がありすぎて、つい、この女性(ひと)は、本当に歌手で、高校生なのかしらんと、疑ったほどです。まあ、皆さん、私に騙されたつもりで、ぜひ手にとってこの本を読んで、憲法の本髄をつかんでくださいね。
 内山さんという女性(ひと)は、なんと、日本武道館のコンサートで、憲法48条と100条を暗誦したというのです。ええっ、48条と100条って、何が書いてあるんでしたっけ・・・。
 48条  何人も、同時に両議院の議員たることはできない。
 100条 ①この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
 実は、私も南野教授と変わらず、AKBのことをほとんど知りません。その歌を聞いたこともなければ、彼女らの姿を見たこともありません。新聞記事で「総選挙」なるものがあることを知っているだけです。私は新聞の芸能とスポーツ欄を読むことはありません。
 この本が読みやすいのは、重要なところは赤エンピツでアンダーラインが既に引いてあることです。先手を打たれています。そして、ところどころに、内山さんの手書きと思われるノートがあって、これまた復習の要点(ポイント)が明示されていて、理解を助けてくれます。
 明治憲法には違憲立法審査の制度がなかったというのを初めて認識しました。そして、明治憲法の下では、違憲の法律があったかどうか、はっきり分からないというのです。
 もちろん、現行憲法には、法律が憲法に適合しているのかどうか審査する条文があります。この始まりは、1803年、アメリカの最高裁判所が言い出したこと。
 何が人権なのか、何をもって人が生まれながらにしてもっている権利とするかは、実は、すごく難しい問題だ。
 人権を脅かす国家を倒して、あるいは、そこから離れて新しい国家を設立する。そのときに書かれたのが憲法。だから、憲法の目的は人権を保障することにある。
 立憲主義とは、権利を保障するために国家権力を分立する。そうすることによって、国家権力を制限するというもの。
 法律は一般の人々を相手にするもので、憲法は国家権力を相手にしている。
 憲法を守らなければいけないのは国家権力。一般人、国民は法律を守らなければいけない。国民は憲法によって縛られる存在ではない。だから、99条に国民は入っていない。
日本の政治はうまくいっていないかもしれないが、仕方がない。民主主義は、決して最高の政治体制ではないけれども、民主主義よりましなものはない。
 集団的自衛権の行使容認を閣議決定で安倍首相は強行しました。この本は、その直前に書かれています(発行は7月29日ですが・・・)。そこで、次のように指摘されています。
 これまで国家権力ができないとしてきたことを内閣の解釈でできるとするのは非常に危ない。国家権力を縛る憲法を、国民の判断を経ずに弱めることになるから。
 南野教授の講演を聞いたことがありますが、とても明快・平易で、爽やかでした。この本が若い人に広く読まれることを心から願っています。
(2014年8月刊。1200円+税)

ナチ・ドイツの精神構造

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  宮田 光雄 、 出版  岩波書店
 安倍内閣の副首相が日本の政治もナチスに習ってやればいいと放言して顰蹙を買いましたが、この本を読んで、ナチス・ドイツを反面教師とすることが今求められていると痛感しました。
ナチ党は1932年秋の選挙で最初の衰退の徴候をみせ、6月の国会選挙と比較すれば得票率を14.6%も減少させた。党財政は逼迫し、組織の弱体化に直面していた。
 ヒトラーが政治取引においてあくまでも固執して譲らなかったのは、独裁的条項の非常大権を行使しうる大統領内閣首相としての地位だった。
 1933年1月30日、いわゆる「合法的」路線の上に政権にたどり着いたヒトラーとナチズムにとって、この時点から、ようやく本来の意味での「権力獲得」が始まった。「合法性」戦術を、本来の「反革命」戦略と結合し、政治的・社会的・思想的な対抗勢力を短期間に出し抜き一掃する、独自の権力掌握の技術が編み出されなければならない。ここに、敵をも同盟者をも欺瞞する第二の合い言葉が「国民革命」の観念が登場した。
新たに成立したヒトラー政権は1933年3月の授権法による権力的基礎の確立まで、最初の数週間、「国民革命」「国民的高揚」のスローガンのもとに行動した。ヒトラーは、ナチ政権の首相としてではなく、「国民革命」の連立政権首相として演技してみせた。
 ポツダムの日(1933年3月21日)、元帥服をまとった老大統領ヒンデンブルクの前に、ヒトラーは無帽のまま頭を下げ、「旧き偉大さと若き力の婚姻」を宣言した。
 ヒトラーは首相就任宣誓後、数時間もしないうちに国会の即時解散を断行した。ヒトラーの計画は、掌中に握った国家戦力の全手段を投入して総選挙を実施することにあった。
 2月初頭、新聞・言論の自由を厳しく制限し、2月末の国会炎上事件をきっかけとして憲法の規定する基本権を停止させた。
 「国民と国家の防衛のための緊急命令」は、ナチ政権の政治的敵対者に対するテロと迫害の合法的手段を提供した。
 3月5日の国会選挙は、政府の弾圧と干渉のもとに左翼政党は必要な広報手段を奪われ、世論は閉塞させられた。他方、ナチ党は、組織的な宣伝戦を展開し、ラジオをはじめとするマス・メディアをほとんど無制限に動員した。それでも、投票の結果、ナチ党は得票率44%で、単独支配できず、他党と同盟せざるをえなかった。左翼も30%以上の支持を得た。
この選挙の得票率は88%にのぼり、1932年秋の国会選挙(得票率80%)に参加しなかった350万人が得票動員された。550万もの新しいヒトラー支持票の半分が従来の棄権者から成り立っていた。
「授権法」は、首相ヒトラーの当初からの目標だった。1933年3月23日、「国民と国家の艱難を除去する法律」が圧倒的多数の賛成(449票対94票)で可決された。この「授権法」によって、ヒトラー政権は、今後4年間にわたって議会の協働なしに、しかも、「憲法と異なった」立法をもなしうる権限を与えられた。
 「授権法」の結果、大統領の非常大権は不要となり、大統領の指示に依拠する非ナチ系閣僚の比重は低下した。
「授権法」は、1943年5月の総統布告によって延長され、「第三帝国」全期間を通じて妥当し、事実上、「国会炎上緊急命令」とともに「ナチ憲法」を構成した。
 7月の「新政党組織禁止法」、そして12月の「党と国家との一体性の確保に関する法律」によって、ナチ党による一党制国家が布告された。
 無制限の権力掌握の過程は、イタリア・ファシズムでは7年を必要としたのに対して、ドイツでは、わずか10ヵ月をもって完了した。
 1934年9月のナチ党大会において、ヒトラーは、改めて変革的過程としての「ナチ革命」の終結を宣言した。
 1938年以降、政府そのものが指導的機能を失い、閣議が召集されることはなかった。
 全将兵から閣僚をふくむ全官僚が、憲法への宣誓の代わりに、「ドイツ国および国民」の指導者ヒトラーに対して忠誠誓約を行うようになった。
 1933年から1938年まで、国民投票が5回も実施されたが、それは確実な成功を予見したうえでなされたものであった。
 国民投票って、必ずしも民主的意思の発言とか、民主的統制の手段ではなく、独裁者の行為を正当化するものとして多用されるというわけです。恐ろしいことです・・・。
 反ユダヤ主義は、現実の支配体制に由来する一切の政治的害悪と大衆的不満を無力な少数者に転嫁し、社会的緊張を解放することに役立った。大衆暗示のもつ魔術的効果こそ、ナチ政治宣伝の最大の関心事であり、一切の思考や個性を殺し巨大な大衆集会や大衆行進は、明らかに人間を画一化する魔術的儀式にほかならない。
 収容所を秘密のヴェールにつつみ、テロの噂を断片的に流布させるナチズムの手口がいっそう戦慄すべき未知なるものへの一般的不安を亢進させた。
 現実の敵が一掃されたあと、いまや「潜在的」敵に対する追跡が開始され、テロは社会全体に向けられた大衆テロに発展する。いたるところにテロの雰囲気が広がり、全体的不安が全生活を支配した。
 テロは、批判的知性を無力感と孤立感に陥れる。それは、集団全体の匿名性のなかへ自己を埋没させようとする避難性向を強めずにはいない。
 445頁もの、ずっしりと重い本格的なナチ・ドイツの研究書です。いま、多くの人に一読をおすすめしたい本です。
(1991年4月刊。5631円+税)

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