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自民党政治の変容

カテゴリー:社会

著者  中北 浩爾 、 出版  NHK出版
 今回の衆議院選挙では、自民党は、投票数も得票率も、そして議席すら減らしたのに、「圧勝」したという報道がなされています。これは、明らかにマスコミによる意図的な世論誘導でしょう。マスコミは、これまで「政治改革」、「郵政選挙」、小選挙区制、「二大政党制」を大きく唱導してきました。今になってみれば、どれもこれも日本の政治をいい方向に変えたものはなく、悪い方へ、悪い方へとひっぱっていったものばかりではないでしょうか・・・。ところが、今でも、「道半ば」とか言って、小選挙区制が民意を反映しない最悪のシステムだということに目をつむっています。私は許せません。
 本書は、戦後60年の日本政治を、1955年に結党した自民党に着目して分析しています。この本では「保守派」という言葉は使わず、「右派」と「リベラル派」といいます。「タカ派」とか「ハト派」とも言いません。
 押しつけ憲法論にもとづく「自主憲法の制定」という自民党の党是に肯定的なのを右派と呼ぶ。これは、日本国憲法に体現される戦後的価値、安倍の言う「戦後レジーム」からの脱却を目ざすのが右派である。そして、反対に、それを擁護するのがリベラル派である。
 自民党において、リベラル派から右派への主導権の移行、それにともなう政策的な変化を「右派」と定義する。
自民党は結党以来の60年間で非自民八党派の細川護煕(もりひろ)内閣と羽田孜(つとむ)内閣の8ヵ月、民主党の鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3年3ヵ月を除いて、政権を担当してきた。
 1994年の政治改革で小選挙区比例代表並立制が実現した。自民党は組織的に変容し、「選挙の顔」となる総裁のもと、次第に集権化が進んだ。
河野洋平総裁の率いる自民党は、小沢一郎らの新政党、新進党に対抗して、社会党や新党さきがけと連立を組み、理念的にはリベラル派が優位に立った。
 1998年に、自社さの枠組みが崩れ、二大政党の一角として民主党が台頭するなか、自民党は右傾化していった。
 2001年に自民党総裁・首相に就任した小泉純一郎は、小選挙区制のもとで、鍵を握る無党派層からの支持を求めて、新自由主義的改革を推し進め、利益誘導政治を本格的に解体していった。党員や支持団体は減少を続け、自民党は選挙プロフェッショナル政党に近づいた。しかし、自民党の支持基盤は脆弱化してしまった。それでも、かつてのような利益誘導政治には回帰できない。
そこで、憲法改正を掲げて「草の根保守」動員を目ざす安倍晋三の時代が訪れた。
 戦後の保守合同の最大の立役者は岸信介であった。岸はA級戦犯容疑者として逮捕され、1953年4月の総選挙で政界に本格的に復帰したばかりだった。岸は、政界への復帰にあたって、一度は右派社会党に入党を打診したほど、親近感をもっていた。
 これには驚きました。信じられませんね・・・。
 1966年の自民党の党員は190万人というのが公式発表だった。しかし、党費を納入するのは、そのうち5万人のみ。議員を除くと、4万人。しかし、その大半は支部の役員。残る185万人は、党費を納めず、党員としての自覚のない、名目的な党員にすぎなかった。
高度経済成長は、利益誘導政治を可能にし、一面では自民党の支持基盤を強固にしたが、もう一面では、それを大きく掘り崩した。1967年1月の総選挙での自民党の得票率は49.2%と、五割を下まわっていた。
 社会党が低迷し、公明党と共産党が台頭して、野党が全体として得票率を伸ばし、自民党にとって脅威となった。それは都市部で顕著であり、1967年4月の東京都知事選挙では、社会・共産両党の支持する美濃部亮吉が当選した。
 革新都政とともに、私の大学生活は始まったのでした。青いシンボルマークがなつかしい・・・。
 1972年11月の総選挙は、田中角栄首相の下、社会党は28増の118議席、共産党は26増の40議席へと躍進した。自民党は16減の284議席だった。
 1980年1月の時点で、自民党の党員・党友は321万人をこえた。総裁予備選挙のおかげである。派閥抗争は、ますます泥沼化した。
 2001年、「古い自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎が自民党総裁に選出されると、実際に自民党の党組織が大きく変容していった。新自由主義的改革を断行し、利益誘導政治の解体を進めた。
 自民党の候補者は、派閥よりも党への依存を強め、個人後援会を培養する必要性が低下し、利益誘導政治が後退した。
 自民党の党員は1991年に544万人だったのが、2006年には119万人にまで落ち込んだ。そして、後援会が衰退した。
 自民党は、全体として国家財政から支出される政党交付金への依存を深め、その配分権を握る党執行部の統制力が強まった。
 自民党の党員は1999年から200万人を下回り、2009年に87万人、2012年には62万人にまで低下した。自民党の掲げる右派的な理念は世論との間に、大きなずれがある。自民党を支持する有権者と比べてみても、自民党の国会議員は相対として右派的であり、政策的なずれがある。右派的な理念は自民党を結束させる機能を低下させるだろう。
戦後の自民党について分かりやすく明快に分析した本です。250頁ほどですので、ぜひ手にとってご一読してみてください。
(2014年5月刊。1400円+税)
 日曜日に庭の手入れをしていると、いるものジョウビタキが何度も、すぐ近くまでやって来て、「何してんの?」という顔で、こちらを見ています。尻尾をチョンチョンと動かし、可愛らしい声をあげる。ひょうきんな小鳥です。スズメより少し大きくて、茶色の小鳥です。
 今年のよんだ本は590冊ほどになりました。全部、私の読書ノートにつけています、そのうち365冊を紹介しています。目下、司法研修所を舞台にした小説に挑戦中です。どうぞ新年も引き続き、ご愛読ください。

おだまり、ローズ

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  ロジーナ・ハリソン 、 出版  白水社
 イギリスの上流階級の生態がよく分かる本です。
 じつは、私の家にも若い女性がお手伝いとして同居していたことがあります。私が小学生のころです。小売酒店で、子どもが5人もいて(私は末っ子です)。ちっとも広くない家に住み込みの女性がいたなんて、今ではとても信じられません。要するに裕福ではない家にも、ほんの少しでも余裕があれば(実際には、そんな余裕というかスペースはなかったと思うのですが・・・)、かつては行儀見習いと口減らしを兼ねて住み込みで働く人がいたのです。
 同じように、ノリ作業のシーズンには長崎県の生月島から大量の出稼ぎ人が有明沿岸には住み込みで働いていました。もっとも、これは、後で聞いただけで、そんな光景を見たわけではありません。要するに、少し前、つまり50年も前の日本では、住み込みの奉公人というのは、ちっとも珍しいことではなかったのです。今では、そんな光景は、どこにも見あたりません(と、思いますが、どこか、まだありますか・・・?)。
 この本のオビには、「型破りな貴婦人と型破りなメイドの35年間」と書かれています。
 貴婦人は、イギリス初の女性国会議員です。もちろん、スーパーリッチ層で、お金の苦労などしたこともありません。それに仕えたプライドの高いメイドの語る体験記ですから、面白くないはずがありません。
 ふむふむ、そうなのかと、ついつい深くうなずきながら、往復の電車の2時間の車中で364ページの本を満足感に浸って読了しました。
 イギリスには厳然たる階級社会が今もあるようです(フランスにも・・・)。著者が仕えた家では、娘たちとも、あくまで主人とメイドの関係だった。友人ではなく、単なる知人でもなかった。
 上流階級では、子どもたちは、母親から目に見える形の愛情が与えられることはなかった。しかし、本当は、愛は目に見える形で子どもに与えられなくてはならないものだ。
 主人の家族とメイドとの間には、はっきりした境界線がある。自分の地位や期待されている役割、許される言動と許されない言動を正確に判別する必要があった。
 メイドは、真珠かビーズのネックレスは許容範囲内で、腕時計もかまわない。しかし、それ以外の装飾具をつけるのは、顰蹙を買う。化粧もしないほうがいいとされ、口紅をつけても、とがめられた。だから、外出中に、主人(奥様や娘も)とメイドとが主従を取り違えられることはなかった。
 レディー・アスターは、淑女ではなかった。ころりと気を変えて、メイドにも頭を切り換えることを要求する。メイドとして、1日18時間、年中無休で集中力を切らさずにいることを求められた。奥様は、イギリス初の国会議員として活動した。
 一度つかった服を洗濯せずに身につけることは決してしない。
 ボタンホールの花も、香りの高い花が、毎日、新しく届けられた。クチナシ、チューベローズ、マダガスカル・ジャスミン、スズラン、そしてラン。香りの高い花ばかり。
メイドとして物を言うと、返ってくるのは、「おだまり、ローズ」のひとことだけ・・・。
 奥様は感情が顔に出る。化粧はほとんどしない。香水はシャネルの五番のみ・・・。
メイドとしての著者にとって、睡眠は貴重なものだった。夜9時から朝6時までは、何があっても自分の時間として確保し、10時過ぎまでで起きることは、めったになかった。仕事をきちんとこなそうと思えば、心身ともに健康でなくてはならず、そのためには毎晩しっかり睡眠をとる必要があった。
イギリスの貴婦人は、丹那様は、はっちゅう替えるけれど、執事は絶対に替えない。
 奥様が旦那様と子どもを連れて旅行するときには、雌牛を1頭と牧夫を同行させた。子どもたちに飲ませる牛乳の質にこだわったからだ・・・。
これには、腰を抜かすほど驚いてしまいました。スーパーリッチって、そこまでするのですね・・・。
 よくぞ、ここまでことこまかく書いてくれたかと思うほど、詳細な上流階級の生態です。「私は見た」という家政婦の話以上に面白い本だと思いました。
(2014年10月刊。2400円+税)

光とは何か

カテゴリー:宇宙

著者  江馬 一弘 、 出版  宝島社新書
 真空の空間では、目の前を通り過ぎる光線が見えることはない。目の前の宇宙空間は真っ暗にしか見えず、そこを光が通過していることには気がつかない。
 なぜなら、宇宙空間は、ほぼ真空であり、光を散乱されるものがほとんどないから。
光は、ほかの物質と出会うことで、初めて何かが始まる。
 光の正体は、空間を伝わる電気的な波である。
 光の三原則とは、光の直進、反射、屈折に関する法則のこと。光は、障害物にぶつからない限り、まっすぐに進む。
 光が2億9979万2458分の1秒間に進む距離が1メートルである。
 分子や原子などのミクロのレベルで考えると、鏡に反射したあとの光は、鏡に反射する前の光とは、厳密には「別のもの」。鏡にあたった光は、「そのまま」鏡を通過する。それとは別に別に、鏡に光が当たることで、鏡の中の分子や原子が振動して、光を放つ。その光が「反射光」として、人間の目に見えている。
 光が屈折するのは、光の速度が変化するため。光は透明な物体の中を進むとき、その速度は物体の種類によって変化する。それが光の屈折を生む。
 ダイヤモンドの中での光速は、真空中の4割ほどにまで減速する。
 宝石となる物質のほとんどは、屈折率が高い。
 光の色ごとに屈折の度合いが違うのは、プリズム中での光の速度が、色ごとにわずかだけど異なるため。
 赤色の光は原則の程度がやや小さいので、屈折する角度も小さい。
 紫色の光の速度の程度がやや大きいので、屈折する角度が大きい。昼間の空が青く見えるのは、空気中の分子が赤色の光よりも青色の光の方が強く散乱することが原因。
 海が青く見えるのは、散乱の効果よりも、水が青色の光を吸収する効果の影響が大きいから。ニュートンは、「光線に色はない」と言った。
 色とは、この世界に実在するものではなく、光の波長の違いを胸が「色」というイメージで認識しているだけ。つまり、色を実際に「見ている」のは脳であり、色という感覚をつくり出しているのは心である。
物質のなかで電子が振動すると、光(を含めた電磁波)が生まれる。
 電子が振動すると、振動する電場が生まれて、それが波のように空間を伝わっていく。それが光(を含めた電磁波)である。
 じつは、光は波ではない。光の正体は粒である。
 結局、光は波としての性質と、粒としての性質をあわせ持つ、不思議な存在なのである。
 フシギ、不思議、変テコリンな存在である光について、少しばかり頭を悩ませてみました。面白いですよね、こんな話って・・・。
(2014年7月刊。900円+税)

勝率ゼロへの挑戦

カテゴリー:司法

著者  八田 隆 、 出版  光文社
 208年12月に国税局の「マルサ」が家宅捜索し、2013年3月に東京地裁で無罪判決が出た。そのとき、佐藤弘規裁判長は、次のように言った。
「今回のことで時間が過ぎ、大切なものをなくしてきたと思います。それを取り戻すのは難しいと思いますが、家族やいろんな人が残ってくれましたね。そういった人のために前を向いて、残りの人生を、一回しかない人生を、しっかり歩んでほしいと思います。私も・・・、私も初心を忘れずに歩んでいきます」
 すごい言葉ですね。よほど心を揺さぶられたのでしょうね。私も、これを読んで胸が熱くなりました。
 この無罪判決に検察側は控訴したが、東京高裁もまた無罪とした。そして、角田正紀裁判長は、次のように説諭した。
 「刑事手続が決着したら、前の仕事には戻れないようだが、あなたは能力に恵まれているし、再スタートを切ってほしい。裁判所も迅速な審理に努力したが、難しい事件でもあり、証拠は1万ページにのぼり、双方の主張を十分聞いたために、一審で1年3ヵ月、控訴審で9ヵ月かかってしまった。もっと早くと、被告人の立場からは思うだろう。これは、裁判所の課題です」
 これまた、素晴らしい言葉です。裁判所のなかにも熱き血汐を感じさせる人がいるのですね。ほっとします。日頃の私は、あまりにも血の通っていないとしか思えない裁判官とばかり接しているものですから・・・。
 「難事件」ということですが、事件はいたって単純です。給与の一部が会社から株式報酬で支払われ、そのとき源泉徴収されていなかったのです。それが故意による脱税だとして摘発され、起訴されました。
 実のところ、そのような扱いをされたのは著者一人ではなく、100人もいたのです。外資系の証券会社ですから、報酬額は一般企業とは違って巨額なのですが、その金額に国税局は目がくらんだのか、無理な「徴発」をし、検察庁が国税局の顔をつぶさないように起訴してしまったということのようです。とんでもない無理な起訴だと思いました。裁判官が代わって謝罪したくなるのも十分理解できます。
 この事件の取調過程には、いくつかの特異な点があります。
 在宅取調に終始しているのですが、検事調書がすべて問答形式になっているのです。検察官の一方的な作文ではありません。すごいことです。著者がたたかいとった成果でした。ただし、調書を訂正してもらいにくいというハンディを負うことにもなりました。
 そして、著者は、自分の取調状況を逐一ネットで公開していったのです。録音・録画の先取りのようなものです。
 検察官の求刑は、懲役2年、罰金4000万円というものでした。一審の無罪判決の言い渡しのとき、佐藤裁判長は次のように言いました。
 「主文、被告人は無罪。もう一度、言います。被告人は無罪」
 言い渡した裁判長も気分が高揚していたのでしょうね。一度では言い足りない思いがあったのです。そして、無罪判決を勝ちとるためには大変な苦労がいることを明らかにした本でもあります。
(2014年5月刊。1400円+税)

鬼はもとより

カテゴリー:日本史(江戸)

著者  青山 文平 、 出版  徳間書店
 江戸時代の小さな藩の財政立て直しの話です。よく出来ています。アベノミクスの失敗は明らかですが、それは弱者切り捨てまっしぐらだからです。かつての「年越し派遣村」がビッグ・ニュースになったときのような優しさが今の日本にないのは不思議なほどです。
 アベノミクスは、原発・武器・カジノというのが目玉でもあります。とんでもないものばかりです。これで、子どもたちに道徳教育しようというのですから、狂っています。
藩札は、宝永4年(1707年)にいったん禁止された。その後、新井白石の改鋳があり、貨幣の量が激減し、世の中が金不足となって、享保15年(1730年)に再び許可された。
 正貨と藩札を交換する札場の項では、その数や配置のみならず、用員の取るべき態度まで示され、受付の御勤めに限っては、商家に委託するとされた。
 藩札の板行には、小判や秤量(ひょうりょう)銀などの正貨の裏付けが不可欠だ。
 一両の小判を備え金(そなえかね)にして、三両の藩札を刷る。1万2千両を備え金にして、3万両の藩札を刷る。それだけの正貨があれば、いつ、藩札を正貨へ変えてくれと言われても応じることができる。換金さえ約束されたら、紙の金でも立派に貨幣として通用する。
藩札板行を成功させるカギは、札元の選定や備え金の確保といった技ではない。藩札板行を進める者の覚悟だ。命を賭す腹がすわっていなければならない。
 藩札は専用の厚紙でつくり、偽札を防ぐために透かしを入れる。紙の厚い、薄い差を使って絵を描く。偽造防止の手立ては、透かしだけではない。複雑な文様のなかには、市井のものには字とは見分けられない梵字や神代文字がさまざまに組み込まれている。このありかを知らないと、同じ文様のようでもずい分と違ってくる。一枚一枚では分からなくても、多くを集めると、誰の目にも明らかなほどの違いが生じてくる。
 藩札の十割刷りを強行した藩は一揆を招いて、結局、幕府から改易処分を受けて、藩そのものが滅亡した。別の小藩では、強力な藩札によって、他国に負けない強力な特産物を育て、藩が一手に買い上げて領外に売る。その代金は正貨で受けとる。これで藩は丸もうけとなる。
 では、何を特産物とするか・・・。浦賀に、魚油と〆粕、大豆を送ってもうけるという。
 この商法を藩内に定着させるために取られた手法に驚かされます。小説とは言え、ぐいぐいと惹きつけられるのでした。私は、出張先の鹿児島の中央駅に着いて2時間あまり、駅ビルの喫茶店で読みふけったことでした。
(2014年5月刊。760円+税)

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