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世界一うつくしい昆虫図鑑

カテゴリー:生物

著者  クリストファー・マーレー 、 出版  宝島社
 見事に極彩色の昆虫図鑑です。よくもまあ、これだけ姿も形も色も大きさも、さまざまに異なる昆虫が、この地球上に存在しているものです。この昆虫図鑑をめくりながら、世の中のことを私は実によく知らないことを改めて実感しました。還暦をとっくにすぎて、弁護士生活も40年以上となり、この社会のことは多少なりとも知っているつもりなのですが、実は、まだまだ知らないことのほうが圧倒的に多いことを知らされてしまうのです。
 頁をめくっていると、目がまわってしまうほど、多種多様な昆虫たちが登場します。
 「歩く宝石」と言われるオサムシには、どれ一つとして同じ色と模様の個体がいない。ですから、みんな並べると、統一性はあっても画一性はないのです。それでも、タマムシは1500種、コメツキムシは1万種といいます。それを丁寧に分類している学者がいるのです。学者ってすごい根気が求められる商売ですね。
 奈良の玉虫の厨子のタマムシは死んでも色が変わらない。しかし、キンカメムシは、生きているときには非常に色鮮やかな翅を持っているが、死んだら体色は褪(あ)せてしまう。
 「森の宝石」と呼ばれるプラチナコガネは、周囲の風景まで写し込むほどの金属光沢がある。
 ゾウムシは、世界中に6万種いる。頑丈な外骨格におおわれ、ゾウの鼻のような長い口吻(こうふん)をもっている。
 中南米の熱帯雨林に住むチョウであるベニスカシジャノメは、透明な翅をもち、後翅に眼状紋がひとつずつあり、翅の先はぼかしたような赤色に染まっている。息を呑む美しさです。
 インドネシアのメダマチョウは、鳥に補食されるのを避けるため、翅にふくろうの目玉を擬態した眼状紋をもっている。その目玉は、2個だったり、4個だったり、6個だったりする。
 植物昆虫と呼ばれる昆虫もいます。植物に擬態する昆虫のことです。鳥から見つかりにくいように、たとえば枯れ葉に擬態した体をもったカマキリがいます。そして、この擬態は個体によって全部異なるのです。
 植物昆虫は、互いがあまり似通った姿にならないように努めている。植物昆虫は、植物になりすますだけでなく、植物には必ずある、枯れたり病気になったりした葉や、昆虫の食害の痕まで真似るという、とてつもなく有効な方法を選んでいる。
 健康な昆虫が、昆虫に食われた植物に擬態し、同時にその植物を食べているというのは皮肉な話だ。
昆虫採集家によって昆虫が絶滅することを心配する人がいるけれど、それは事実に反している。恐ろしいのは、生息地をまるごと、根こそぎ人間が破壊して「開発」してしまうことだ。
 230頁の大型図鑑です。値段も3800円と少々高いので、ぜひ図書館で手にとって眺めて楽しんでみてください。
(2014年4月刊。3800円+税)

「非正規大国」日本の雇用と労働

カテゴリー:社会

著者  伍賀一道 、 出版 新日本出版社 
現代日本における非正規雇用の横行がもたらしている問題点をよくよく理解できる本です。
日雇い派遣の細切れ的雇用は、最低限の所得や住まいの確保を不可能にしている。健康ランドやネットカフェ、マクドナルドを転々とし、コンビニ弁当で空腹を満たすことが、生活コストを高め、予備の蓄えを難しくしている。細切れ的雇用と貧困の悪循環である。
 ことあるごとに繰り返される「自己責任論」は、働き口を得ることの出来ない人に対して、意欲の欠如や能力不足を指弾し、リストラされた労働者に対しては本人の落ち度を見つけ出そうとする。これによって、企業の責任や政策の失敗は免罪される。
失業と貧困は、資本主義の経済システムに加えて、今日の新自由主義的施策によって絶えずつくられるものである。
学校にも派遣教師がいるのですね。私は知りませんでした。
 いま、「即戦力や利便性」を求めて間接的雇用の派遣講師が私立高校で広がっている。派遣会社には1コマ(50分授業)4000円、そして派遣教員に渡るのは2200円。非常勤講師を雇うと2600円なので、学校にとっては1400円も高いが、雇用調整の容易さが上まわるメリットをもたらす。教員派遣最大手のエディケーショナルネットワークには、2007年に1万8000人が登録していたが、2013年には2万6000人に増えた。
 大学生のアルバイトが劣悪な労働条件で働く正社員に接して、正社員とは、あのような働き方を受け入れることだと覚悟してしまう。もし、高校生や大学生がアルバイトに精を出さなくても学校に通えるだけの給付制奨学金や授業料無償化が実現したら、日本の産業構造は、今とは相当異なるだろう。
教育政策の貧困は、若者を使い捨てにする産業の隆盛の有力な基盤となっている。学生たちが、不当な扱いをあいまいにしない気概をもつことを願わずにはいられない。本当に、そうですよね・・・。
 この間の労働者の増加のほとんどを非正規雇用が占めている。正規労働者が540万人減少する一方、非正規雇用は780万人増加した。これによって、過労死・過労自殺の多発がもたらされた。
 半失業者のプールを拡大することで失業者を隠蔽し、失業率を圧縮するような手法が新自由主義の特徴である。したがって、失業率が高いか、低いかだけで失業問題の深刻さの程度を即断することは出来ない。
 この10年間に非正規雇用は416万人増加したが、その65%が年間所得200万円未満層である。2012年時点で、この低所得層は、非正規雇用の4分の3を占めている。
 1982年当時、男性では9割以上、女性は7割弱が正規職についていた。
 若者が非正規労働者として職業人生を出発し、企業が正規雇用の縮小を継続しているもとでは、非正規雇用のまま中年に達する人が次第に増えている。これが生涯、単身化の増加と深く関わっている。
 民間大企業の労働組合が労使協調的労働組合になって以降、企業の成果の分け前を取得する道を選択した。社外工に対する労働行政の対応も批判的姿勢から黙認へと転換した。
 今日の雇用の劣化と働き方の貧困をもたらした要因の一つとして、労働組合が本来、果たすべき役割を担っていないことがあげられる。労働力浪費型雇用の進行に事実上黙認してきた点で、とりわけ民間大企業の労働組合の責任は大きい。
 今日の日本社会では、「連合」の政策が話題にのぼることなど、まずありません。いつも企業べったりの労働組合なんて、まるで存在意義がないからです。本当に残念な状況です。
 現代日本がいかなる社会であるかをよくよく映し出している貴重な労作だと思いました。
 360頁、2700円というハードカバーの本ですが、広く読まれるべきものとして、ご一読をおすすめします。
(2014年12月刊。2700円+税)

菅生事件第一審裁判記録

カテゴリー:社会

著者  菅生事件60周年記念事業実行委員会 、 出版  同
 菅生事件が起きたのは昭和27年(1952年)6月2日午前0時すぎのころのことでした。大分県竹田市菅生村の巡査駐在所が爆破されたという事件です。この事件が何より怪しいのは、事件の前に、この駐在所の周辺には、大分県警の警察官が何十人も周囲に潜んでいて、同じように新聞記者もじっと待機していたということです。
 しかも、駐在所に住む警察官はいつでも出勤できるように長靴をはいていて、その妻も今夜、駐在所が爆破されるというのを知らされていたということです。
 これでは犯人として捕まった二人は、まるで「まな板のコイ」です。現場に三人いたはずの「犯人」のうちの一人は警察に「連行」されたあと、行方不明になってしまいました。
 そうなんです。その一人こそ、現職の警察官であった戸高公徳でした。「市木春秋」と名乗って現地の共産党に接近して、共産党員を現地の駐在所におびき寄せたスパイだったのです。
 この戸高公徳は、事件のあと東京に潜伏しているところを、共同通信の記者に摘発され、裁判にかけられます。ところが、戸高公徳は、警察では、その後は格別に優遇され、警察大学校の教官になったり、警察共済組合の幹部にまで昇進したのです。
この裁判記録は、そんな菅生事件の苦難のたたかいを改めて掘り起こしたものです。ガリ版ずりの一審の記録を大分地方検察庁の記録を閲覧して、活字にして、読みやすくしたのです。大変な苦労があったことと思いますが、たしかに活字にしないと忘れ去られてしまう記録でしかありません。
 昭和27年(1952年)4月の起訴状から菅生事件の前史の裁判は始まります。そして、昭和27年8月13日の公判から清源(きよもと)敏孝弁護士の無罪を目ざす弁論が始まるのです。
 はじめのうちは「市木春秋」が何者か分からなかったから大変です。事件直後から姿を消したのは怪しい。そして、反共の有力者宅に寝泊まりしていたけど、誰も、その素性を知らないのでした。こんなハンディを背負って、現場近くで駐在所爆破の現行犯人として二人の共産党員が捕まり、裁判が進行していくのです。
 この背景には、当時の日本共産党が中国にならって暴力革命路線をとっていて、「中核自衛隊」という軍事組織をもっていたことがあります。北の「白鳥事件」は「ぬれぎぬ」とは言い難いものがありましたが、この菅生事件は、まさしく典型的なぬれぎぬ事件でした。裁判では、大勢の警察官や新聞記者が、なぜ爆破された駐在所の周囲に待機していた(させられていた)のかということが問題となります。
 その真相は、大分県警がスパイ戸高公徳に命じて、二人の共産党員を駐在所付近へ招き寄せていたということです。駐在所の爆破それ自体も警察官がやったものでした。
 外から投げ込まれた爆弾が爆発したのではないこと。駐在所夫人の身の安全に危害を及ぼさない程度の爆発であること。こんな条件をみたした爆発事件だったのです。
 被告弁護側は、何度も裁判官に対して忌避中立をします。まさしく予断と偏見をもった裁判の進行がありました。こんな事件で有罪判決が下されるなんて、まるで信じられませんが、昭和30年7月2日の大分地裁の判決は有罪でした。懲役10年ないし8年です。
 もちろん、被告弁護側は直ちに控訴します。福岡高裁は昭和37年6月13日、無罪判決を下しますが、それは、スパイ・戸高公徳が東京で発見され、ついに法廷で証言せざるをえなかったことによります。
 「小雨の中を2時間も駐在所前に張り込み、犯人の来るのを待ち受けていた」
 「事件当時、既に鑑識課員が現地に派遣されていた」
 これらは、被告人の有罪を肯定する証拠がないことになる、としたのです。弁護人は、駐在所内の爆発状況を再現実験していますが、この実験結果も、被告人らの無罪の根拠とされています。
 私は40年前の弁護士なりたてのころ、被告人の一人であった坂本久夫氏と何回か話したことがあります。神奈川県で国民救援会の仕事をしておられました。とても小柄な男性です。
 駐在所内の再現実現のとき、背が低いので電燈のソケットに届かないという写真がありましたが、なるほどと本人を見て思いました。
 当時の共産党が山村において「中核自衛隊」という無謀な行動をしていたことはともかくとして、警察が共産党弾圧のためにスパイを使ってまったくのぬれぎぬ事件を創り上げたことを、そして、その無罪を明らかにするためには大変な苦労が必要だったことを、よくよく思い出させる貴重な裁判記録です。復刊の努力をされた実行委員会に対して、心より敬意を表します。
 年末年始に読みふけってしまいました。
(2014年10月刊。4000円+税)

ぼくはナチにさらわれた

カテゴリー:ヨーロッパ

著者  アロイズィ・トヴァルデッキ 、 出版  平凡社ライブラリー
 ポーランド人の子どもが、幼いうちにナチス・ドイツにさらわれて、ドイツ人の子どもとして育てられたのです。そして、そのことを成人してから知りました。いったい、その子どもはどうなるのでしょうか・・・。ヒトラー・ナチスは本当に罪深いことをしたものです。
 第二次大戦中、ドイツに占領されたポーランド西部の町でナチスによって、2歳から14歳までの少年少女が大勢さらわれた。青い目で金髪の子どもたちである。その数は20万人以上。
 著者も4歳の時に母親から引き離され、ドイツに連れ去られた。孤児院に入れられ、ドイツ人の名前をつけられ、子どものいないドイツの家庭にもらわれた。そして、ポーランド語も、母親のことも忘れ去った。
 ヒトラーが考え、ヒトラーが具体化させた「レーベンスボルン」という1936年に設立された秘密組織があった。「生命の泉」という意味で優秀な子どもを増やすための組織だった。表向きは、子どもと母親を守る社会福祉の「活動」をしていた。
 表の顔は二つあり、その一は、優秀なドイツを数多く、自然の出生を待たずに産ませること。大切なのは目の色と髪の色、そして、とりわけ頭の形。丸い頭のもなはまったくチャンスがなかった。
 ドイツ人の名前に変えるときには、できるだけ本名のほうがいい。新しい名前と前の名前とが似ているほうが子どもの記憶のなかで混合しやすいから。工夫のしようがないときには、新しいドイツ名は、できるだけ平凡な、どこにでもある名前にする。特徴的な名前を付けるのは厳禁された。
 「レーベンボルン」で生まれた子どもはエリートになるはず。果たして、そうなったのか・・・。
 戦後の調査では、そうはなっていなかった。知能でも体力でも後退が認められた。
 幼いときにドイツ語に無理やりに変わらされ、そのため思考に困難を生ずることがあった。
 また、大きくなって、本当は自分はドイツ人ではなかったと分かった子どもたちは、また母国語の勉強をし直した。だから、大学まで行けた子どもは少なかった。みな、心に深い傷を負っていた。
 4歳の子どもは、悲しみも早く癒え、忘れてしまう。それに大人は驚いてしまう。
 子どもは、速く言葉を覚え、速く忘れもする。 はじめに子どもに希望を与え、あとで残酷に断って、いいようのない絶望に突き落とすぐらいの野蛮なことはない。孤児院にいた子どもは、終生、愛への飢えを抱き続ける。
著者は高校生の年頃で、ポーランドに戻ったのですが、ドイツ人だった頭のなかをポーランド人に切り替えるのに実に苦労したようです。
 それでもポーランドの大学に入って勉強するのでした。そしてドイツ人の育ての親と再会するのです。思春期という、ただでさえ難しい年頃に、ドイツ人からポーランド人に戻るのは、本当に大変だったと思います。
 全遍が手紙で語る形式となっていて、その心理描写がよく出来ている手記です。
(2014年9月刊1400円+税)

日本は戦争をするのか

カテゴリー:社会

著者  半田 滋  、 出版  岩波書店
 今年、1月1日の新聞に天皇の感想全文が載りました。私は以前より、今の天皇の行動と言葉について心から尊敬しています。いま安倍政権のすすめている施策について、天皇が大変な危機感を持っていることが、強くにじみ出ている言葉だと思います。以下、後半の部分を紹介します。
 「本年は、終戦から70年という節目の年に当ります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京をはじめとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まる、この戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」
 天皇が過去の歴史に学べと言っているときに、安倍首相は過去を美化し、侵略戦争なんてなかったとうそぶいているのです。
 国民の疑問に丁寧にこたえ、不安を解消していくのが政治家の務めのはずだが、安倍首相は違う。国内においては、「わが国を取り巻く安全保障環境が一層悪化している」と繰り返して国民の不安をあおり、だから憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認しなければならないと声を張りあげる。
 安倍首相の唱える「戦後レジームからの脱却」によってあらわれるのは、「古くて、二度と戻りたくない戦前の日本」でしかない。
アメリカが「靖国参拝は見送るべきだ」と明言していたのに、安倍首相は、それを無視して靖国神社への参拝を強行した(2013年12月)。
さすがに、昨年(2014年)12月には参拝を強行することは出来ませんでしたが…。
 そんな安倍首相をアメリカがこころよく思うはずがありません。「大変失望した」というコメントを出したり、オバマ大統領との会談がごく短時間の形式的なものですまされてしまったりしました。
 日中交流は、これまで年間30回から40回はあっていたのが、第二次安倍政権になってから、ゼロになってしまった。
これは、ひどいですよね。政府間の交流がなくなっても民間交流のほうは続いていますし、中国からの訪日客が日本にとっての大きなビジネスチャンスになっているのに、安倍政権は「中国脅威論」をあおるだけなのです。怖くて仕方がありません。こんな人物に日本の政治を安心してまかせるわけにはいきません。
 日本の自衛隊は、たしかに相当の武器をもって海外へ出て行った。しかし、自衛隊が海外で高い評価を得たのは、武力行使をすることなく、地元(現地)の復興に役立つ「国づくり」「人助け」に徹してきたから。アメリカのように戦争しに行ったからではない。
 ある自衛隊幹部は、「尖閣諸島をめぐる日中の対立から、自衛隊が駐在する沖縄本島・宮古島が占領される恐れがある。これを奪回するのが水陸両用部隊の役割になる」と言った。中国による沖縄侵略に備えているという。しかし、日本人が住んでいる島を中国が侵略すれば国連憲章違反になるし、そんな事態は現実には考えられない。そして、もし沖縄の諸島が中国軍に占領されたとすれば、日本政府が「抑止力」と説明している沖縄の海兵隊には意味がないことになる。いずれにしても、明らかに矛盾している。
私も、本当にそうだと思います。ここにあるのは、現実的なシナリオではなく、あくまで根拠のない危機あおりだけなのです。
 北朝鮮が怖いぞ、怖いぞと安倍政権は強調する。しかし、日本を「守る」ためのPAC3は
1000基以上が必要なはずなのに、実際には32基しかない。
 日本には使用済み核燃料棒を保管する原発とその関連する施設が55ケ所もある。通常弾頭でも、それが命中すれば未曾有の量の放射線に汚染されてしまい、日本列島は廃墟と化してしまう。
 そうなんですよね。日本列島に50ケ所以上もある原発を日本の自衛隊がテロ攻撃から守りきることは不可能なのです。つまり、日本はすでに大切な我が子を人質にとられているようなものなのです。戦争なんて、口にすることすら出来ないのが今の日本なのです。
 安倍首相は、それなのに軽々しく他国の脅威をあおりたてているわけです。まったく日本人を守るべき日本の首相とは認められません。
 日本の置かれている状況を真正面から考えるのに役立つ新書として、ぜひご一読ください。
(2014年7月刊。740円+税)

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