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象徴天皇の実像

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 原 武史 、 出版 岩波新書
 昭和天皇は根っからの反共主義者だったようです。吉田茂については、日本共産党を甘く見ている、少し過小評価していると批判していました。著者は、天皇が逆に共産党を過大評価しているとしています。
昭和天皇のホンネは、独立回復を機に憲法9条を改正して自衛軍をもつことだった。
吉田茂については、いろいろ不満たらたらだったのですが、それでも代わる人間がいないから、首相を続けさせるしかないという現実認識だった。岸信介は主戦的だったのに公職追放から解除されたのはおかしいと昭和天皇は考えていた。
 東条英機はちゃんとやったが、近衛文麿は無責任のそしりを免れない。近藤はよく話すけれど、あてはならない。
皇太子(今の上皇です)が東大に行くのを昭和天皇は反対したようです。東大総長の南原繁が全面講和や天皇退位を唱えていたから、その影響を皇太子が受けるのを心配したから。結局、皇太子は学習院大学に入りましたが、中退しています。
この本は、宮内庁長官をつとめた田島道治による『昭和天皇拝喝記』にもとづいていますが、昭和天皇の肉声が聞こえてくるような気にさせられるような生々しさがあります。
 昭和天皇については、口数が少ないというイメージがあるが、その素顔は、むしろ多弁で、話しだしたら止まらなかった。その雰囲気がよく伝わってくる本になっています。
 敗戦後、新しい憲法が出来て「象徴」になったあとも、昭和天皇は依然として天皇大権をもっていると思い込んでいた。これには驚くほかありません。
戦後の日本で、政治不信が強まれば、共産主義の影響を受けた学生や労働者が直接行動を起こして、暴発しないか、天皇には危機意識があった。
天皇は自らの退位を真剣に考えていたというより、もとからあまり退位する気はなかったようです。
 そして、国民の多くが敗戦後、カトリック信者になるのなら、自分も改宗しようか、真面目に検討したとのこと。でも、敗戦後の日本人にカトリック信者が急増したという現象もないので、早々にやめたそうです。
 天皇は皇太子(今の上皇)のことを「東宮(とうぐう)ちゃん」と呼び、その身体が弱いので、天皇がつとまるか心配していた。
敗戦後、昭和天皇は日本全国を皇后と一緒に巡業したが、最後に北海道が残った。行けば、「共産化に対する防御」になるので、ぜひ北海道に行こうということになった。そして、行ったのです。
 昭和天皇が、「国費を使ってアカ(赤)の学生を養成する結果となるような大学もどうかと思う」と言ったとき、それは東大や京大を指していた。いやはや、なんという感覚でしょうか…。
 天皇が皇道派の中心人物の一人である真崎甚三郎を特に嫌っていたというのを初めて知りました。
戦前、日本軍による南京大虐殺があったことを三笠宮は自分の本のなかで書いていますが、昭和天皇も「支那事変で南京でひどい事が行われていることを、ウスウス聞いていた」としています。
 昭和天皇の実像を知ることのできる貴重な新書だと思いました。一読を強くおすすめします。
(2024年10月刊。960円+税)

再審弁護人のベレー帽日記

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 鴨志田 祐美 、 出版 創出版
 小柄な身体は闘志の魂(かたまり)のようです。私も何回か著者の話を聞きましたが、情熱がほとばしり出てくる、速射砲の展開に、心を射すくめられました。
 この本は雑誌『創』の2021年6月号から3年間のコラムをもとにしています。この3年間に、日本の再審と刑事司法をめぐって大きな動きがありました。こうやって振り返ってみると、まさに激動した時代だとひしひしと実感させられます。
 それにしても、2019年6月25日の最高裁判所の決定はひどい、ひどすぎます。せっかく大崎事件について地裁と高裁が認めた再審開始決定をとんでもない「事実」を認定して取り消したのです。許せません。
 著者は、この5人の裁判官を忘れてはいけないとして、実名をあげ、国民審査で罷免しようと呼びかけました。まったく同感です。小池裕、池上政幸、木澤克之、山口厚、深山卓也の5人です。しょうもない連中だと言うほかありません。被告人とされた3人が自白しているんだから有罪で間違いないという捜査機関と同じ思い込みから、科学的な鑑定を無視し、はねつけたのです。ひどいものです。
 そして、その後の再審請求について、ひどい最高裁決定をそのまま踏襲したような地裁決定が出されました。まさしくヒラメ裁判官です。勇気をもって自分の頭で考えようとしない裁判官が、いかに多いことか…。残念です。
 再審事件の審理について、いつも納得できないことは、検察官が手持ち証拠を全部出さないこと、隠していること、あるいは袴田再審事件のように証拠を警察が偽造しているのに、それを容認して平然としていることです。大崎事件でも、検察官は、もう未開示証拠はないと断言したのに、鹿児島地裁の冨田敦史裁判長が証拠開示を勧告したら、18本ものネガフィルムが新たに開示されたそうです。検察官は嘘をついたわけです。
 証拠は検察官の私物ではありません。公益の代表者として法廷で行動しているはずの検察官が自分に不利だと思った証拠を隠しもって提出しないということが許されていいはずはありません。
 再審法は改正されるべきです。証拠開示手続の明文化、そして再審開始決定に検察官は不服申立(抗告)が出来ないようにすべきです。
 著者はアーティストでもあります。ライブコンサートでピアノを弾き、歌っています。福岡で八尋光秀弁護士と一緒に、そして見事に再審無罪を勝ち取った桜井昌司さんと共演しています。すごいものです。再審法改正の実現まで、どうぞ健康に留意されて、引き続きのご奮闘を心より祈念しています。
 ここまで書いたあと、大崎事件でまたもや最高裁が再審しないと決定したことを知りました。本当にひどいです。学者出身の宇賀克也裁判官ひとり再審を認めるべきとしています。それだけが唯一の救いです。
(2025年1月刊。1870円)

先生、イルカとヤギは親戚なのですか!

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 小林 朋道 、 出版 築地書館
 コバヤシ先生は、今や大学の学長先生。そして、このシリーズも19冊目。すごいものです。私の本棚にコバヤシ先生の本が何冊並んでいるか、数えてみました。18冊ありました。つまり、この本で19冊目になるというわけです(シリーズ以外の本もありますので、シリーズ全巻をそろえたわけではないようですd)。
 さてさて、今回の対象は何かな…。
 コバヤシ先生はタヌキが好きとのこと。実は我が家の隣はうっそうとした雑木林になっていて、少し前のことですが、朝、そこから一頭のタヌキが姿を現わし、悠然と団地内の道路を偵察に繰り出したのです。呆気にとられてしまいました。
 日本に生息する、オオカミと同じ食肉目イヌ科の野生動物はタヌキとキツネだけ。
 アカハライモリの背中は黒色で、腹側は赤い。これは、背中の黒色で見つからないようにしていて、認知されたときは体を回転させて腹側の赤色を見せて攻撃をためらわせる戦略。
シマヘビが交尾しているのをコバヤシ先生は邪魔したそうです。実は、私も同じ経験があります。庭にヘビがいるのを見つけたので、長い竿で叩いて驚かして追い払おうとしたのです。ところが、なんと、ヘビは2匹いて、からまりあっているのでした。いやはや驚きました。
 コバヤシ先生は野生生物を扱う学者なので、ヘビを捕まえて観察したのです。すると、オスは肛門のところにヘビに特有な、球に棘(トゲ)がびっしり生えたようなペニスが露出していたのです(もちろん写真があります)。このペニスがメスの肛門に入って、ペニスが抜けないようになっているというわけです。こうやって、私も一つ賢くなりました。
 コバヤシ先生が学長をつとめる大学ではモモンガを描いた可愛らしいグッズを製作しています。とてもよく出来たコースターです。
 コバヤシ先生がビオトープ(池)をつくると、カエルを狙ってマムシが出没するようになった。鮮やかな模様の毒ヘビ。コバヤシ先生はこのマムシを追いかけ、正面からにらみあっていました。ちゃんと、その証拠写真があります。たしかにマムシの顔がこちらを向いて威嚇しているのです。マムシが怒って飛びかかってきたら、どうしましょう…。もちろんコバヤシ先生は一定の距離を置いていました。
 コバヤシ先生のいる大学で学べる学生は幸せです。
(2025年1月刊。1760円)

インド沼

カテゴリー:インド

(霧山昴)
著者 宮崎 智絵 、 出版 インターナショナル新書
 インドに行ったことはありませんが、インド映画はそれなりに観ています。面白いからです。
 『ムトゥ踊るマハラジャ』の踊り、大勢で所狭しと乱舞する姿に圧倒されました。『バーフバリ伝説誕生』も『RRR』も、そのスケールの大きさに思わず息を呑みました。
 インド映画は今や日本だけでなく世界的に評価され、ヒットしている。
 1857年に起きたインド大反乱をイギリス東インド会社軍が鎮圧し、ムガル帝国は滅亡した。そして1877年にイギリスのヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国が成立した。その実質はイギリス帝国の一部として、植民地になったということ。
 『RRR』は、このインド帝国時代を舞台としている。
 公開処刑は、民衆に恐怖の感情を植え付けるとともに、貴族の娯楽でもあった。
 インドでは、法律上はともかくとして、現実には今なおカースト制が生きているようです。不可触民(ダリット)は人口の10~15%を占めている。
 アンベードカルは、不可触民のコミュニティに生まれ、イギリスで博士号と弁護士資格を得た。差別を嫌って、ヒンドゥー教から仏教へ集団改宗したときのリーダーになった。インド独立後、法務大臣となり、インドの憲法起草委員長にもなった。
 世界で一番映画を制作しているのはインド。年間2000本近い。アメリカは660本(2017年)。インドでは映画のチケット代が安く、庶民の娯楽。
 インド映画には、突然、群舞のシーンが必ず登場してくる。ラブシーンでキスをするのが忌避されるので、その代わりに情熱的に踊って愛情を表現する。そもそもインドの演劇論では踊りも演劇の一部である。
 インド中西部の都市ムンバイは旧名ボンベイなので、そこからハリウッドをもじって「ボリウッド」と呼ばれ、映画制作が盛んな都市になっている。
 映画館では、観客が一体となって映画に入り込み、喜怒哀楽を共有する。
 ヒンドゥー教では結婚は義務とされている。離婚はなかなか出来ない。親による結婚のアレンジは当たり前。結婚の相手が見つかって次の問題が持参財(ダウリー)。法律では禁止されているものの、現実には伝統なので続いている。花婿側は花嫁側に対して、年収の3倍も要求する。なので、娘が3人いると親は破産すると言われている。
 親に結婚を反対された恋人が駆け落ちすると、探し出されて殺されることがある。これを名誉殺人という。この名誉とは、親や親戚にとっての名誉。
 結婚式の日取りは星占いで決める。3日から7日もかけるので、年収の3倍から4倍も費用がかかる。
シク教徒の草本山の黄金寺院(ハリマンディル・サーヒフ)では、毎日10万食の食事が巡礼者や訪問者に無料で提供される。いやあ、これはすごい規模ですね。
 日本の子ども食堂や大人食堂はとてもかないません。シク教はカーストを否定しているため、共食(共に食事を共にする)のを大切にしている。
 ガンディーは、イスラム教徒の肩をもつ裏切り者とされ、ヒンドゥー原理主義集団民族義勇団のリーダーから暗殺された。
 トイレは不浄であり、排せつ物はけがれているという意識から、トイレを家内どころか家の敷地内につくることすら拒否反応がある。トイレは野外ですればいい、するものだという感覚です。それでは女性は大変です。
 女性の生理用ナプキンをインドに普及させた男性をモデルとした実話ベースの映画『パッドマン』は、私も観ました。
 インドでは高学歴が尊重されるので、大学入試も卒業するのも大変。それで、学生の自殺が多い。15~29歳の年代層では自殺が死因のトップになっている。年に1万3千人をこえる。
『ダンガル』という映画も観ましたが、これは、女性のレスリング選出がオリンピックで活躍する話です。
 映画を通じてインドという国のリアルを知ることができました。
(2024年8月刊。940円+税)

ユーラシアのなかの「天平」

カテゴリー:日本史(奈良)

(霧山昴)
著者 河内 春人 、 出版 角川選書
 聖武天皇は724年に即位し、729年に「天平」と改元した。この年2月、左大臣として政権トップにあった長屋(ながや)王が突然失脚した。長屋王は謀反の疑いがあるとされ、屋敷を包囲されるなか、妻や子どもたちともども自害に追い込まれた。貴族が死刑に処せられることはなかったので自害することが求められた。
 この長屋王の謀反は、冤罪であったとされています。では、なぜ…?
 長屋王は、皇親勢力に対する貴族官僚のトップとして聖武天皇を支えていた。皇親勢力は長屋王に抗していた。
 著者は、長屋王事件の黒幕を聖武天皇その人だったと推察しています。長屋王の妻が産んだ子が皇位継承において有力になるのを恐れたというのです。いやあ、この指摘には信じられないほどの衝撃がありました。
 この当時、皇位継承というのはきわめて不安定なものだった。「天平」という世は、初めから不穏な空気を漂わせていた。明るい雰囲気だけは、とても言えなかった。
 このころ、中国は唐の時代。712年に即位した玄宗の治世は、唐の最盛期。楊貴妃がやがて登場し、詩人の李白が活躍している。政治の世界では、門閥や皇帝の寵を得て出世した恩蔭(おんいん)系貴族と、試験(科挙)に合格して栄達を果たそうとする科挙官僚の政争が激化していた。
 日本は、法的なレベルで自らを中華と位置づけた。中国(唐)を自国に従属する格下の国として振るまった。これは日本国内で通用しても、対外的にはありえないこと。日本の遣唐使は唐に行くと朝貢使として振る舞うしかなかった。
 ソグド人は交易に従事する者が多く、その風習は商業民族として史料に記録されている。
 アラブ世界では、「馬が第一、妻は第二」というほど、馬は生命線だった。馬だけでなく、馬具、とくにあぶみ(鐙)の導入。そして、騎兵の重視につながった。
 732年、日本で16年ぶりに遣唐使が任命された。聖武天皇にとっては初の「遣唐使」だった。
 唐人を相手にして見劣りしない学識や人柄、あるいは見た目が問題とされた。体格も良く、威風堂々とした押し出しがあるのが前提。奈良時代の遣唐使は総勢5、600人という大所帯だった。大使、副使、判官、録事の四等から構成された。
734年4月、大和朝廷の遣唐使は玄宗に謁見した。遣唐使は長安を目指した。長安は現在は西安市。兵馬俑(へいばよう)を見に、私も二度行きました。
716年に留学生として唐に入った仲麻呂は、大学に入ることを許され、唐の官僚機構のなかで順調に出世していった。
このころ日本では金が全然とれていなくて、黄金は外国から入手するしかなかった。そのための遣唐使でもあった。ところが、749年に陸奥で金がとれはじめた。朝鮮半島には、金銀の採掘、鍛治の技術があった。
752年、大宰府に新羅の使節団が到着した。7隻で700余人という大人数だった。このとき、新羅は外交文書を持参せず、口頭で用件を述べた。文書で日本が優位に立っているという証拠を新羅側は残したくなかった。
交易が行われた場は、日本と新羅がそれぞれ自国の優位性を相手に認めさせようとする、もう一つの戦場だった。
遣唐使が唐の元会(大朝会)に参加することは、日本が唐に朝貢したことを内外に示すものだった。当時の唐において対等な外交というものは存在しなかった。
755年11月、玄宗の寵臣だった安禄山が反乱を起こした。安史の乱。安禄山は、父がソグド人で母は突厥(とっけつ)人。非漢族の安禄山は、中国的なシステムのなかで勢力を増やしていき、ついには唐を揺るがした。
このころ日本で政権を担っていたのは藤原仲麻呂。ところが仲麻呂の後ろ盾として君臨していた光明皇太后が亡くなってから、急速に失墜した。
仲麻呂の乱のあと、吉備真備が称徳天皇の腹心となり、右大臣となった。そして、次の桓武天皇は遷都を実現した。天武系皇統から天智系皇統に移行した。なお、桓武の母は渡来系氏族だった。
日本と朝鮮(新羅)そして中国(唐)とを横の結びつきで考えることの意義を感じることができました。
(2024年8月刊。2750円)

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