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ハンター・キラー

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 T・マーク・マッカリー 、 出版 角川書店 
遠隔操作による無人機で「テロリスト」をいくら殺しても、何の解決も導かない。こんな単純な真理をなぜ賢いはずのアメリカ人が分からないのでしょうか・・・。凡人の私は不思議でなりません。
「テロリスト」を生み出した土壌(原因)をよくよく考察したら、たとえばペシャワール会の中村哲医師のような砂漠に水路を引いて農地をつくって農業を成り立たせることこそ、一見すると迂遠のようだけど、実は解決への早道だと思うのです。
それはともかくとして、この本はドローン(無人機)を遠隔操縦してきたアメリカ空軍中佐の体験記です。ですから反省の弁というより、いかに「テロリスト」発見と暗殺が大変なのか、苦労話を語っています。アメリカ軍の内情を知るという点で面白く読めます。
ジブチ共和国は、アメリカの対テロ作戦において最高の立地を誇る砦である。ええっ、ジブチって、日本の自衛隊が基地を設けているところですよね・・・。
プレデター(無人機)は、悪天候でも、標的の上空から高解像度の映像を送信できる。1機320万ドルと安価だ。F22ラプター(有人戦闘機)は1機2億ドルもかかる。
プレデターに初めて兵器が搭載されたのは、2001年。目標指示ポッドが改良され、標的へのロックオンが可能になった。
アル・ザルカウィは、唯一、「白い悪魔」、プレデターを恐れた。無言で忍び寄る殺人鬼だ。
最近はプレデターの生産が徐々に減らされ、リーバーのほうがよく活用されている。リーバーはプレデターよりも大きく、A-10攻撃機と同じサイズで搭載量も多い。ヘルファイア・ミサイル4つと、225キロ爆弾2つを搭載する。
プレデターの難点は、気候対策が出来ていないことに起因する。機体は、丸一日飛んで、任務が終わると、湿気の多い基地に着陸する。湿った空気が高空で冷え切った期待に触れると空気の中の水分が凝結することがある。
プレデターやリーバーを操作するのは本物の空軍パイロットたち。アメリカ本土そして、近くの基地に出向いて操縦している。シブチでは1年間にプレデターを4機も失った。
プレデターを操作する兵士は現場から1万キロ以上も離れているから殺傷行為から精神的にも距離を置けるので、ダメージが少ないというのは大変な誤解だ。むしろ、逆に距離が近すぎて、あまりにも多くのことを知ってしまううえ、敵を撃つ直前はズームインして相手をモニターに大きく映し出すから、その敵が殺される残像を頭にかかえたまま帰途につく。
自分たちは決して殺されることがないのに、相手の生存するチャンスはゼロ。冷酷な殺し方だが、決して感情抜きではない。「敵」の遂げた最期の残像が家に戻ってからも、頭からぬぐえない。
人を殺すことの重みなんでしょうね・・・。こんな戦争に日本が関わるなんて、とんでもありません。憲法違反の安保法制の廃止を求めます。
(2015年12月刊。2100円+税)

中東と日本の針路

カテゴリー:アラブ

(霧山昴)
著者  長沢 栄治、栗田 禎子 、 出版  大月書店
 安保法制はアベ首相のいうように日本に平和をもたらすどころか、世界の戦争に日本を巻き込ませようとするものです。百害あって一利なしとしか言いようがありません。そのことを中東を長く研究している学者が語り明かしている本です。
 中東が戦争の標的とされてきた主たる要因は二つ。一つは石油。二つは、この地域の戦略的・地政学的な重要性。
 安保法制は、自衛隊がこれから中東やアフリカを標的として起きるであろう、ほとんどすべての戦争・軍事行動に協力・参加する道を開くものである。
 安保法制は、中東と日本、ひいては世界全体を出口のない戦争と混乱の時代へと導いていく扉となるだろう。
 ネット時代において、情報・カネ・モノが瞬時に国境を超えてしまうグローバル金融資本のもとにあって、逆にナショナリズム的な情動が人々の行動を規定することになってしまうという皮肉がある。
アメリカ社会で生活に行き詰まった「負け組」の若者たちが、州兵として民間軍事会社に動員され、イラクで殺されていった。
中東におけるアメリカの同盟国であるイスラエルは、グローバル・システムのなかの「勝ち組」と化し、安倍政権は中東において一人勝ちのイスラエルと手を組んで、世界大に広がるネオリベラリズム的潮流の「優等生」として国際社会を生きのびようとしている。
安全保障という名のもとで軍事産業の成長が日本経済の成長を約束するかのような議論がまかり通っている。
いま、日本はアメリカという泥船と運命をともにし、沈没しつつあるのではないか・・・。
アメリカとの結びつきを日本が強めるのは、かえって中東における日本の立場を悪くし、アメリカの介入策に下手につきあうのは、利よりも害が大きい(と案じられる)。
イラクを全面的に支配したはずのアメリカ軍は、治安の悪化に歯止めをかけることができず、内戦に対応できなくなった。
シリアの内戦は、逆説と矛盾にみちた複雑な連立方程式である。しかも、変数は増えていく。
アメリカは、アフガニスタン・イラクと続けてきた失敗を、結局のところシリアでも繰り返している。
アメリカは、イラク戦争そのものに2兆という巨費をつぎこんだ。イラク軍の訓練に250億ドルの予算を使い、600億ドルを復興にかけた。ところが、イラクに安定した親アメリカ国家をつくるという目論見は成功しなかった。
 イランについては、穏健なロウハニ政権の後押しとなるような経済交流を日本はすすめ、周辺諸国との「アツレキ」を抑制することに貢献すべきだ。
250頁ほどの本ですが、日本と中東の関係において、安保法制はきわめて危険かつ有害であることが際だって明らかなものであることを強調している本として、ご一読をおすすめします。
(2016年5月刊。1800円+税)

原節子の真実

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 石井 妙子 、 出版 新潮社 
原節子主演の映画って、実はほとんど観たことがありません。テレビで『東京物語』をみたくらいではないでしょうか・・・。
団塊世代の私にとって、憧れの女優といえば、なんといっても吉永小百合ですね。今なおサユリストを自称しています。反戦・平和の声をあげているのを知るにつれ、ますます尊敬し、崇拝してしまいます。
原節子は、昭和10年(1935年)、わずか14歳で女優になった。そして、昭和37年(1962年)、42歳のときに銀幕を静かに去っていった。
28年間の女優人生で、出演した映画は112本。彼女の存在は他を圧している。画面に出るだけで、すべてを静かに制してしまう。
終戦を25歳で迎えた原節子は、もっとも美しかったころ、日本は戦争に明け暮れていた。戦意高揚映画にも原節子は出演している。
原節子が本当に女優として認められたのは戦後のこと。敗戦に打ちひしがれている日本人を慰撫し、鼓舞した。清く、正しく、美しい女優。それが原節子だった。
会田昌江として大正9年(1920年)に生まれ、平成27年(2015年)11月25日、その死亡が報道された。原節子は、50年以上も人前に姿をあらわさず、95歳で亡くなった。
小学生のころの原節子は、色が黒くて、やせていて、眼だけが大きくてギョロギョロしていた。美貌の姉の隠れて目立つ存在ではなかった。勉強は出来て、成績は常に一番だった。 
原節子が女優の道に入ったのは、実家が経済的に苦しくなり、家計を助けたり、親孝行をしたいという気持ちからだった。だから、女優を長くやる気持ちなどなかった。
原節子は、撮影が終わると、まっすぐ帰宅し、家事をやっていた。映画人との付き合いもほとんどしなかった。
16歳の原節子は、ドイツ人の映画監督に見出されて、ドイツ人向けの日本紹介のような映画に出演した。この映画は成功し、ドイツ国内2600の映画館で上映され、600万人のドイツ人がみた。
原節子は、監督にもスタッフにも媚びなかった。無駄口を叩かず、人と飲食をともにせず、まっすぐ家に帰るので、「愛想がない」と言われた。監督への「付け届け」もしなかった。
育ちの良さからくる気品、理性と知性、思慮深さがあり、おとなしい外見の下に隠された強固な自我があった。
「女学校をやめて14歳からこういう仕事をしてるでしょ。だから勉強しなくてはいけないの・・・」
トルストイ、ドストエフスキー、チェホフなど、原節子は手あたり次第に本を読みふけった。
戦後の食糧難の時代には、原節子も自ら買い出しに出かけた。
『青い山脈』によって、原節子は、まさに国民的女優となった。2週間に500万人が映画館に詰めかけた。
原節子は、代表作は何かと訊かれる、「まだありません」と答えた。それでは、「好きな作品は?」と問われると、『わが青春に悔なし』などをあげた。小津作品をあげることはなかった。
『東京物語』を撮ったとき、原節子は33歳だった。
昭和35年ころ、原節子は、時代が変わったことを知り、映画界への失望をはっきり口にするようになった。なるほど、そんなことから、映画界、そして人々の前から姿を消したのですね。それにしても、すごく意思強固な女性だったんだと改めて識り、驚嘆させられました。
(2016年5月刊。1600円+税)

蘇我氏

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 倉本 一宏 、 出版 中公新書 
大化改新によって蘇我氏は滅亡してしまったというイメージが強いのですが、この本は、滅ぼされたのは蘇我氏の本宗(ほんそう)家のみで、中央豪族としての蘇我氏は生き残ったとしています。蘇我氏の氏上(うじのかみ)が、蝦夷・人鹿系から倉麻呂系に移動したにすぎないというのです。
蘇我氏は、わ(倭)国が古代国家への歩みを始めた6世紀から7世紀にかけての歴史において、もっとも大きな足跡を残した氏族である。
蘇我氏を朝鮮半島からの渡来人だとする説があるが、その根拠はなく、現在では完全に否定されている。
蘇我氏は、「文字」を読み書きする技術、鉄の生産技術、大規模灌漑水路工事の技術、乾田、須恵器、錦、馬の飼育の技術など、大陸の新しい文化と技術を伝える渡来人の集団を支配下において組織し、倭王権の実務を管掌することによって政治を主導していった。
推古天皇は、蘇我氏の血を半分ひいており、蘇我氏には強いミウチ意識を抱いていた。また、厩戸王子は、父方からも母方からも完全に蘇我系である。
蘇我馬子は、蘇我系王統、非蘇我系王統の双方と姻威関係を結び、それぞれの後継者をもうけるという、大王家との強固なミウチ関係を築きあげるのに成功した。
壬申の乱において、蘇我氏とその同族氏族は一枚岩ではなかった。
壬申の乱のあと、新しい律令氏族という石川氏としての歩みが始まった。
蘇我氏という同族集団のなかでも一部は生き残っていったなんて知りませんでした。やはり、歴史は知らないことが多いですね。
(2016年2月刊。800円+税)

安高団兵衛の記録簿

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 時里 奉明 、 出版 弦書房 
すごい人がいたものです。自らのしたこと、生活のすべてを刻明に記録していたのです。
私も、それなりに記録魔のほうですが、この本の主人公はケタ違いです。私など、その足元にはるか及びません。
私の場合、小学4年生以来つけていた日記やノート、メモを捨てずに今も手元に残しています。記録をとるときに忘れてはいけないのは、「年」です。そして、出来たら「時刻表示」もしたほうがいいのです。始まりが何時何分で、終了したのは何時何分だったと記録するのです。これは、旅行記をまとめるときに役に立ちます。
私は、それを活用して、大学生のころ何をしていたのか(セツルメント活動、寮生活そして東大闘争)について、8冊の本を刊行しました(売れなかったのが残念です)。弁護士になってから受けた税務調査実の顚末も2冊の本にしました。そして、先日、司法修習生のころを小説にしました。日記を書いていたのではありません。メモを書いて残しておいたのと、当時の資料のほとんどをダンボール箱に入れて保存しておいたのをベースとしました。もちろん、それだけでなく、同期の人たち、そして先人の書いた本などを広く参照しました。
この本の主人公は福岡県芦屋(あしや)町に生まれました。安高(あたか)という名前です。典型的な農家の生まれ育ちでした。
著者は安高家の長男として生まれ、家業の農業に従事した。地域のさまざまな団体組織の役員をつとめ、社会的な活動にも熱心だった。
団兵衛(著者)の日記は11歳のときに始まり、60年間、ほぼとぎれることなく続いている。
団兵衛は睡眠時間を削ってまで働いた。そして、何時間ねたかも記録していた。その平均した睡眠時間は5時間40分だった。
団兵衛は、農業をはじめてみると、農業ほど面白い仕事は他にないと思うまでになった。農業ほど楽しく、しかも聖なる仕事はない。
団兵衛は読書につとめた。それは修養のためだった。団兵衛にとって、近郊の市場へリヤカーに品物を積んで牛馬にひかせて歩いていくときの読書が唯一の「読書タイム」だった。
私は、本を読むのは車中と機中に限っています。机に向かったときは、もっぱら書きものをしています。
一人で仕事をすると、競争相手がいない。そこで、時間と競争をする。つまり、時間を相手にすることによって、競争心理が生じる。こうすることで、精神が緊張し、仕事の能率が向上する。
日本人のなかには、こんなに記録を残したい人がいるのですよね。それでルポルタージュも売れるのでしょうか・・・。私は、やっぱり小説を書きたいです(主人公になった気分で大きくはばたきたいのです・・・)。
一冊の手頃な本にまとめていただいた著者に感謝します。
(2016年3月刊。1900円+税)

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