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吉野家で経済入門

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 安部修仁・伊藤元重  出版 日本経済新聞出版社  
吉野家の牛丼は、若いころにはときどき食べていました。早い、安い、うまいという点で、文句はありませんでした。最近は食べていません。
牛丼を構成しているのは、牛肉、米、玉ねぎ、たれの4品種。
牛肉はアメリカ産のショートプレート。はじめは国産牛肉だった。スライサーできる牛肉の厚さは1.3ミリというのを、ずっと変えていない。季節によって牛肉の質が変わるので、そのつど0.1ミリ単位で食感テストをやっている。煮上がったとき、どの厚さがもっとも食べやすいかを常に研究している。大事にしているのは食感。
国産のショートプレートではバラつきが大きく、味をはじめ標準化に無理があった。質の安定は大きな問題。脂身とまろやかさにショートプレートが最適。アメリカ産のショートプレートはジャパンスペックという品名で呼ばれる。このジャパンスペックは歩留料が99%になる。
吉野家としては、牛丼が永遠に主力商品であるという認識には立っていない。
熟成肉は、中心温度をマイナス1.7度にして、2週間保管する。熟成肉は、うまみがあって柔らかい。
松屋はチルド牛肉。部分牛肉を一度も凍結させず、冷蔵で回している。2ヶ月日持ちしないのが難点。
牛丼の原価は40%をこえる。牛丼380円のうち、材料費が150円。お米は北海道のきらら397。丼の上からつゆをかけるので、それがうまく染み込んでくれるのがベスト。粒張りとか固さとか、水分含有率など、いろいろ研究した。
吉野家に適した玉ねぎは、今は中国産。はじめは台湾産で、次はアメリカ産だった。
生姜は、ずっとタイがメイン。たれは、毎日、全国の店に配達している。各店の在庫量は、最大で1.5日分。朝に到着したら、翌朝までに使い切る。たれには、輸入物の白ワインを入れている。
アメリカ産の牛肉が入ってこなかったのは2003年12月から2006年7月までの2年半。牛丼を止めたのは、アメリカ産牛肉以外では、吉野家の味が出ないから。外の穀物肥育以外の牛肉を使うと、それを加熱したときに出るジュースが違う。だから、たれの構成成分も変えなくてはいけない。別の牛丼になってしまう。期待を裏切らないというのは、最優先の必須条件だ。
中国に吉野家は350店ある。人口500~600万以上の都市が50店以上の規模を想定できる地域。つまり、少なくとも数十店舗が出店できる地域(マーケット)じゃないと進出できない。
吉野家の店舗は日本に1200店、海外に650店ある。人材は、どんどん現地化している。牛肉はアメリカから、その他は、お米も含めてすべて現地調達。経済は現地で回す。海外で日本人が経営している子会社は、一つもない。
丼に肉盛りするまで、半年はかかる。離職率をできるだけ低くする取り組みをしている。人材を確保して、定着性を高めることを目指している。
現実にそうなっているのか知りませんが、ブラックバイトをなくすという目標をかかげているというのには共感しました。
味は三つある。先味、中味、後味。先味はうまそうだな、食べたい。中味は、これは本当においしい。後味は、ああ、うまかった、また食べたい、というもの。このなかで後味がもっとも大切だ。
たかが牛丼、されど牛丼なんですね・・・。
(2016年2月刊。1300円+税)

白磁の人

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 江宮 隆之 、 出版 河出文庫 
日本が朝鮮半島を植民地として支配していたとき、朝鮮民族の文化を尊重して、地を這うように活動していた日本人がいたんですね・・・。
浅川巧という人物です。いまもソウル郊外の共同墓地に眠っています。韓国の人々によって浅川巧の墓は今日まで守られてきました。碑文には、次のように書かれています。
「韓国が好きで、韓国人を愛し、韓国の山と民芸に身を捧げた日本人、ここに韓国の土地となれり」
日本帝国主義の先兵となった日本人ばかりではなかったことを知り、うれしく思いました。
浅川巧は明治24年(1891年)に山梨県に生まれた。生まれたのは山梨県北巨摩(きたこま)郡。この巨摩というのは朝鮮半島の高麗(こま)人が住んだところという意味。つまり、浅川巧には、遠い朝鮮民族の血が流れている・・・。
浅川巧の兄・浅川伯教は、近代日本人として初めて李朝白磁の美に着目した。李朝白磁は、それより前に高い評価が定着していた高麗青磁に比べて、まだその美しさが認められておらず、二束三文で当時の朝鮮で、古道具店に置かれていた。
日本に併合される前、朝鮮の山は、その多くが共同利用地となっていた。「無主公山」と呼ばれて、個人所有者こそいないものの、共同で入会権をもつ山である。ところが、日本政府は軍用木材を必要としていたことから、韓国政府に「無主公山」を国有林野とさせたうえ、日韓併合によって日本の国有林とした。それによって朝鮮の人々は、共同利用地としての入会権を失った。そして、次に朝鮮総督府は、「朝鮮特別縁故森林譲与令」という奇異な法令によって、日本人や親日派の朝鮮人地主に分け与えた。新しい地主は、軍用材の需要にこたえて、もらった山林を乱伐していった。こうやって、朝鮮の山が荒れていった。
浅川巧は、そんな状況下で林業試験場で働いた。
李朝の陶磁には、白磁が断然多い。それは李朝の人々が白を貴び、白を愛好し、白色についての認識と感覚に優れていたせいだろう。
白磁の原料である白土も全土で見つけることができた。量も質も、とても良好な白土だ。
李朝時代の人々は、清浄潔白に対する敬愛の念から人間としても『清白の人』を理想とした。着衣も、上下ひとしく白衣を用いた。祭礼用の儀器も祭器も、ほとんど白磁だった。
京城で、日本軍人から迫害される唯一の日本人・浅川巧を周囲の朝鮮人は、敬愛し、敬慕した。
浅川巧は、ひどい目にあってもチョゴリ・パジを脱ごうとせず、朝鮮語で話し、笑った。朝鮮人は日本人を憎んだが、浅川巧は愛した。
浅川巧は昭和6年(1931年)4月、40歳で病死した。
日本敗戦のあと、在朝日本人の立退を求めて朝鮮の民衆が押しかけてきた。浅川巧の遺族の家に来たとき、浅川巧の家であることを知ると、人々は何もしないで立ち去ったそうです。死せる巧は、最愛の二人、妻と娘を守った。
映画にもなったそうですね。残念なことに、私は知りませんでした。170頁ほどの文庫本ですが、涙なくしては読めませんでした。
(2012年6月刊。580円+税)

『闘戦経』に学ぶ日本人の闘い方

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 斎藤 孝 、 出版 致知出版社 
私は知りませんでしたが、平安時代の末期に書かれた戦いの極意の書であり、日本最古の兵書『闘戦経(とうせんきょう)』にもとづいて、いま考えるべき心得を分かりやすく解説した本です。
 著者は授業をはじめるとき、教室に入る前に体を上下に揺すったり、ジャンプしたりして気合いを入れ、心身を活性化してから中に入る。
今日は何だか、かったるいなんて気持ちで授業に向かったことは一度もない。授業も一つの闘いなのだ。
 「てん・しゅ・かく」の三つをしっかりしないといけない。「てん」はテンションを高く保つこと。「しゅ」は修正能力。「かく」は確認を怠らないこと。
メールのやりとりは、すべて記録として残るので、決していい加減なことは言わない。
問われたときには、とにかく答えること。大切なのは答えの出来不出来ではない。何かしら言うこと。それは決断するというのと同じこと。
ネットに写真や発言をアップするときには、全世界に拡散するという覚悟でのぞむ必要がある。
部下に対しては、相手を信じて、ちょっと難しいミッションを設定し、それを正当に評価し、できていたらほめてあげること。それで人は意気に感じてがんばる。
期待されると、その思いにこたえたくなる。それが人間の本道。
勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。つまり、負けるときには、必ず理由があるということ。
臨機応変力こそ、今の時代に求められていること。
デカルトは『方法序説』で、とにかく考えて考えて考え抜けと説いた。これ以上は考えられないというところまで行った末に結論が出たら、一気に断行する。これを実践することによって、デカルトは、世の中の不安と後悔から一生脱却できた。
軍の基本は、攻めて相手を滅ぼすのではなく、災いをあらかじめ防ぐことにある。
現代に生きる私たちにも役立つ指摘というか教訓がたくさんありました。
(2016年1月刊。1400円+税)

原始仏典を読む

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者  中村 元 、 出版  岩波現代文庫
 仏教の経典は本当は難しいものではない。日本で仏教が難しいものだと思われているのは、日本のことばに直さないで、今から数百年前の中国のことばで書かれたものを、そのまま後生大事にたもっているから。
 パーリ語で書かれた原始仏典を「三蔵」という。サンスクリット語は、インドの雅語で、バラモンが多く用いていた。パーリ語は、南方仏教の聖典用語。パーリ語は聖典語ともいう。
老いというのは嫌なもの。なんじ、いやしき「老い」よ!いまいましい奴だな。おまえは、人を醜くするのだ! 麗しい姿も、老いによって粉砕されてしまう。
死は、あらゆる人に襲いかかる。朝(あした)には多くの人々を見かけるが、夕べにはある人々の姿が見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝にはある人々の姿が見られない。
他人が罵(ののし)ったからといって、罵り返すことをしてはいけない。善いことばを口に出せ。悪いことばを口に出すと、悩みをもたらす。
仏教の開祖であるゴータマ・ブッダの死は、信徒にとって永久に忘れられない出来事だった。
ゴータマ・ブッダが神的存在として描かれている文章は後代の加筆である。そうではなく、人間らしい姿が描かれているのは、多分に歴史的人物としての真相に近い。
ゴータマ・ブッダの実在は疑いなく、紀元前463年に生まれ、前383年に亡くなった。
ゴータマ・ブッダは王宮の王子として育ったが、王宮の歓楽の世界にあきたらず、出家して修行者となった。
ゴータマ・ブッダはネパール生まれの人であった。
ゴータマ・ブッダは「戦争なんかしてはいけない」と頭から言わず、諄々と説いた。
ブッダは共和の精神を強調した。共同体の構成員が一致協力して仲よく暮らすというのを大切にした。この精神をもっていると、たやすく外敵に滅ぼされることもないと強調した。 
「おれは世を救う者である。おれに従えば助かるけれども、そうでなかったら、地獄におちるぞ」そんな説き方をブッダはしなかった。
日本の天台宗は、草木も国土もすべて救われるという教えを説いた。
「南無」は「ナム」で「屈する」という意味。屈する、頭をたれる、つまり敬礼し、敬礼し奉るという意味。
インドの挨拶言葉、「ナマステー」の「テー」は「あなたに」という意味。だから、「ナマステー」とは、「あなたに敬礼いたします」という意味。
「法」という字の「サンズイ」は水で、水は水平、公平意味する。「法」は一種の神獣を意味し、直ちに罪を知る。
「マヌ法典」は、この法律によって弱者も、その生活を擁護され、強者もむやみに弱者を迫害しえない。弱いものでも法の力を借りるならば強者を支配することをインド人は早くから自覚していた。
仏教では、人間は人間である限り平等であるという立場を表明した。生まれによって賤しい人となるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
自己を愛するということが、まず自分を確立して行動を起こす出発点なのである。同様に他の人々もそれぞれ自己はいとしい。ゆえに自己を愛するものは他人を害してはいけない。 
人は、なぜ嘘をつくのか。それは何ものかをむさぼろうという執着があるから。人間が嘘をつくのは、とくに利益に迷わされたときが多い。
著は1912年に生まれたインド哲学を研究する仏教学者です。さすがに、仏教とブッダについて深い学識を感じさせられます。原始仏教について少し勉強してみました。
(2014年9月刊。1360円+税)

揺れる北朝鮮

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 朴 斗鎮  出版 花伝社  
金正恩の北朝鮮支配の実体に肉迫している本だと思いました。
金正恩政権の4年間で、父の金正日時代の党側近や軍の最高幹部は、ほとんど姿を消した。この急ぎすぎは、金正恩の未熟さと性格から来ている。
極度に中央集権化され、その権力が指導者一人に集中されている北朝鮮の政治体制(首領独裁)では、指導者の性格が国家の政策にそのまま反映される。
元在日朝鮮人の母から生れ、公にできない出自から、金日成にさえ秘密にされて育った金正恩は、生い立ちのコンプレックスから、「日陰者」「目立たない存在」が大嫌いな、わがままで感情の起伏が激しい若者に育った。
自身の権威不足と業績不足を後見人の活用でクリアしていくという「まだるっこい」方法は苦痛でしかたなかった。権威のない指導者の歩む道は、今も昔も「恐怖政治」しかない。
北朝鮮指導者の三代目選定は、手続省略ですすめられた。
金正日は、2008年8月に、脳溢血で倒れたあと、自分の寿命が長くないことを悟り、後継者選定を急いだ。消去法により金正恩を選んだと考えられる。
金正日は、自分の予想よりはるかに早く寿命を終え、後継者に十分な帝王学を授けないまま、この世を去った。
金正恩は、わずか2年間の後継者授業しか受けていない。金正恩は、準備期間も資質も足りなかったので、世襲ご後継者というイメージを否定せず、むしろ世襲であることを前面に出し、「白頭の血統」一本やりで正面突破をはかる方式を選んだ。
金正恩が、いつどこで生れたのか、その母親は誰で、金正恩はどのような学校を出て、いかなる役職について今日に至ったのかという経歴が北朝鮮の教科書には、まったく出てこない。
金日成が生存していたとき、正恩の母であるヨンヒの存在は隠されていた。だから、平壌にも母子は公然とは住めなかった。
金正恩が祖父の金日成と一緒にうつっている写真は一枚もない。
金正恩は、1996年から2001年まで、スイスに留学していた。正恩の母、高ヨンヒは、大阪・鶴橋で生れた、在日朝鮮人出身の舞踊家だった。最高権力者となって4年がたった今でも、金正恩は母親の偶像化に着手すら出来ていない。
金正恩は、重要会議で居眠りをする幹部は思想的にわずらっている人間だと決めつけた。玄永哲・人民武力部長を処刑したときの罪名も「居眠り」がつけ加えられている。
金正恩の思いつき現地指導は、幹部たちの悩みの種。金正恩が視察するところに資金と資材を集中させなければならないために、国家計画や企業計画が安定的に遂行できない。つまり金正恩の遊覧式視察は経済成長の妨げになっていた。
自信を偉大に見せようとした金正恩は軍の首脳をはじめとした幹部たちを頻繁に交代させ、祖父のようなとしうえの将軍に向かってタバコをふかす映像を意図的に流した。
張成沢は、金正恩体制をつくりあげる過程で、自分のシナリオどおり進んだことへの過信が油断とおごりをもたらしたのだろう。
張成沢は、人民保安部のなかの武力である内務軍を20万人まで大幅に拡大した。張成沢はクーデター防止の名目で党行政部の力を強化していた。外貨稼ぎをかされ、中国と関係悪化を望んでいなかった張成沢は、金正恩と意見対立を増幅させた。これに、張成沢に利権を侵害されていた軍が金正恩に加勢した。
張成沢は、2013年12月金正恩によって反逆罪で処刑され、遺体は、焼放射機で跡形もなく焼き尽くされた。享年67歳。その家族もまた、すべて処刑された。
金正恩の粛清は、これまでの粛清の枠から完全にはみ出た以上なもの。金正恩には、生涯を通じて義理の叔父殺し、叔母排除の汚名がつきまとうことになった。父親の金正日ですら犯さなかった親族殺しの犯罪に手を染めたということは、それだけ金正恩の能力に欠陥があり、その体制が機弱であることの証左である。
 経済的破綻だけでなく、道徳的正当性までも失った金正恩政権の将来は明るくない。「白頭の血統」とパルチザン伝統が色あせたら、北朝鮮の首領独裁権力の正統性は維持できない。金正恩は、自分の意のままに動く幹部で周辺を固めようとしている。金正恩は、伝統的権力の破壊に向かっている。
この本は北朝鮮内部の組織と人脈を具体的に明らかにしていて、とても説得力があります。ずっしり重たい280頁の本です。ぜひ、手にとって一読してみてください。
(2016年3月刊。2000円+税)

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