(霧山昴)
著者 久山忍 、 出版 創元社
日米決戦の地となった硫黄島の戦いについて、新しい知見を得ました。なるほど、きっとそうなんだろうと、うなずきながら読み進めていきました。
私は映画二部作も見ているし、その後、NHKのドキュメントも見ています。日本兵が地下深くにたてこもって迫るアメリカ兵と白兵戦をやったことになっていますが、果たしてそんなことが可能だったのか、とても無理ではなかったのかという話です。
硫黄島にいた日本兵は防空壕づくりに追われ、高熱・硫黄臭、そして水不足のなかでの過酷な労働によって、栄養失調、アメーバ赤痢にさらされ、満足に動けない状態だった。さらに肝心の戦うための武器・弾薬も欠乏していた。
硫黄島の戦いが長引いたのは、日本兵が防空壕から出ずに中に潜んでいたため、アメリカ軍は、一つひとつの壕を爆破し、水攻めなどをして言ったからではないのか。
この本は硫黄島戦を戦い、生還した大曲覚海軍中尉の手記に大きく依拠しています。また、栗林忠道陸軍中将をあまり美化してしまうと史実に反するという視点もあります。この点もなるほどと思いました。
硫黄島の日本軍は2万人もいたとのこと。その9割以上が戦死しましたし、その遺骨の多くが今日まで回収されず、 地下の洞窟内に眠っています。
ペリリュー島を除いて、日本軍は水際撃滅作戦を展開していましたが、この水際撃滅作戦はうまくいきませんでした。そこで、栗林中将は、上陸時には黙って見過ごしたうえで叩くという戦法をとりました。ところが摺鉢山にたてこもる海軍の部隊は、アメリカ軍が上陸してきたときに叩くという戦法を実行し、栗林中将は命令違反として激怒しました。この点、海軍側にも言い分があるようです。
硫黄島の地下陣地構築は困難をきわめた。岩盤が固いうえ、高温のガスを噴き出す特異な地質を、重機なしで人力のみで手掘りするしかない。いかにも重労働です。硫黄島には水がない。地質は石灰岩。地熱が高く、穴を掘り進むと硫黄ガスの熱風が噴き出す地層だった。雨が降ると天幕を外に出して水を溜めた。
硫黄島に送られた日本兵は35歳から45歳まで、つまりは老兵の集まりだった。
毎日支給される水は、1人につき1.5リットルのみ。どの兵士も真っ黒で皮膚にはあせもが絶えず、手も足も骨と皮ばかりにやせ細っていた。水はコップ1杯のみ、それも酸性で硫黄臭と塩分でノドをヒリヒリさせるものだった。地下を掘り進むとき、5人1組で、1昼夜掘って1メートル掘れたらよい方だった。
兵士たちがあまりに疲労しているのを見て、一部の部隊長たちが連名で栗林中将に休息を求める意見書を提出した。しかし、栗林中将は拒絶した。
硫黄島の日本兵たちは、補給なし、撤退なしという全滅間違いなしの兵士たち。地下の掘削には、削岩機が使えない。兵士たちは、防毒マスクをかぶって作業した。そして、18キロメートルの長さの地下トンネルが掘削された。
摺鉢山に星条旗があげられる様子の写真が有名ですが、この写真は2度目のものです。1度目の旗はもっと小さく、しかもすぐに日本兵の反撃で倒されたのでした。
著者はアメリカ軍の兵士の死傷者が多いのは、白兵戦によるものではなく、海軍の爆弾ロケットによるものではないかとしています。海軍の噴進砲は簡単な構造で、60キロから250キロの爆弾を、陸上したアメリカ兵の頭上にあびかけた。これがアメリカ兵に大量の死傷者を出したとするのです。私もそうかもしれないと思いました。
アメリカ軍にとって硫黄島を確保できたことによって、2251機ものB29が不時着して助かっている。つまり2万5千人近くが助かったということ。硫黄島でのアメリカ兵の死傷者2万人を上回る。
そうか、そうなのか、やっぱり戦争をしてはいけない。戦争そして栗林中将を美化してはいけないと思わされた本でもありました。
(2026年8月刊。2420円)


