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日本一やさしい「憲法」の授業

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 伊藤 真 、 出版  KADOKAWA
安保法制、秘密保護法が制定されたあと、憲法はどうなったのか。「日本一やさしい」かどうか保証はできませんが、大切なことを分かりやすく説き明かしています。
憲法と民法や刑法などの法律とは、三つの点で大きく違っている。
その一は、法律は強い者が弱い者を支配する道具になってしまうことがあるのに対して、憲法は弱い者が国家権力という強い者に歯止めをかけて自分の身を守るための道具である。国家権力という強い者というのは、テレビで見る安倍首相や菅(すが)官房長官です。「こんな人たち」が勝手なことをしないようにしばるのが憲法です。
その二は、法律は国際情勢や経済状況に応じて改変していくべきものですが、憲法は時代に流されない恒久的な価値を示すものです。安倍首相や菅官房長官が「北朝鮮や中国の脅威」をあおって法律改正をすることがあっても(その当否はともかく)、憲法は、もっと根本的に世界と日本の平和を守るための方策を考えます。
その三は、法律は現実からかけ離れていると意味がないけれど、憲法は理想を掲げるものなので、現実と食い違っていてもあたりまえです。
憲法改正するには、国民投票にかけなくてはいけません。ところが、憲法改正手続法は重大な欠陥があります。
まず、第一に、最低投票率の定めがありません。
第二に、マスコミ規制が尻抜けです。投票日より15日前以前は、テレビCMの規制はありませんので、有名人がテレビで「私は憲法改正に賛成です」と、誰が、何回言ってもいいのです。これでは、お金のあるほうが勝ちになってしまいます。
私はこの本を読んで初めて知りましたが、イギリスがEUから離脱するかどうか国民投票にかけるときには、賛成、反対の西派の広告費用の上限が7万ポンド(9億円)と決められていました。これは、日本にとっても大変重要なことです。
「憲法の伝道師」として全国を文字どおり飛びまわっている著者は、福岡にも何回も来ています。先日は、久留米で2回目の講演会がありました。
憲法って、意外に私たちの毎日の生活の土台になっていることを気づかせてくれる「やさしい憲法」の本です。ぜひ、とりわけ中学生や高校生に読んでほしいと思いました。
(2017年4月刊。1400円+税)

「フランクル『夜と霧』への旅」

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 河原 理子 、 出版  朝日文庫
フランクルは1905年にオーストリアのウィーンで生まれたユダヤ人の精神科医で、強制収容所から解放されたときは40歳。そのとき、再会したい家族は、この世にいなかった。
フランクルは、1969年に初めて来日し、合計3回、日本に来た。
強制収容所のなかで、フランクルは、仲間に対して、生きる意味に目を向けるようにと、話しかけた。
人々は決して奪われないものがある。一つは、運命に対する態度を決める自由。もう一つは、過去からの光だ。
フランクルは、本を出版してから、五大陸のすべてに講演に招かれるようになり、いくつもの大学の名誉博士になった。ところが、故郷のウィーンでは、冷たい仕打ちを受けた。
フランクルがアウシュヴィッツ収容所にいたのは4日間だけ。37歳の秋から40歳の春までの2年7ヶ月間に、テレージェンシュタット、アウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウ、ダッハウ強制収容の支所の二つにいた。
テレージェンシュタット収容所でフランクルは専門を生かして医師として働き、保健部門の一隊を率いて、収容された人々の自殺防止活動など、精神衛生の問題にとりくんだ。
この世界にあって、自分の人生には使命があるという意識ほど、外からの困難と内からの問題を克服する力を与えてくれるものはない。
輝ける日々。それが過ぎ去ったからといって泣くのではなく、それがあったことに、ほほえもう。これがフランクルのモットーだった。
最後の収容所の所長は、囚人を殴ることを禁止し、追加の衣服や食べ物を与え、自費で薬を買って与えた。
フランクルは、親ナチスだったのではない。集団に「悪魔」のラベルを貼ってみることを拒んだ。人間には、天使になる可能性もあれば、悪魔になる可能性もあって、同じ人のなかでも変わりうると考えた。
フランクルは、1997年にウィーンの病院で亡くなった。92歳だった。長生きしたのですね・・・。ダイアナ皇太子妃が事故で亡くなった直後のことでした。
フランクルの『夜と霧』は、希望の書。心にしみいる希望の書だ。
『夜と霧』には、二つの訳書があるそうです。新旧、二つとも読んでみたい(読み返してみたい)と思いました。
(2017年4月刊。800円+税)
お盆休みに天神の映画館でチェコ・英仏合作映画「ハイドリヒを撃て!」を観ました。
 ナチス・ドイツのナンバー3の高官であったハイドリヒの暗殺事件がテーマです。ユダヤ人絶滅政策を推進し、その残虐性から「金髪の野獣」と呼ばれていたラインハルト・ハイドリヒは、まだ38歳なのに、ナチス親衛隊大将でした。
 暗殺指令はチェコ亡命政府によるもの。しかし、暗殺に成功したときの報復の規模の大きさから現地レジスタンスには消極論が根強いのです。そして、暗殺チームには、暗殺成功したあとの計画が何もありません。要するに、亡命政府としては、このままチェコ国家が無視されないようにしたいというだけなのです。実際にも、暗殺成功はその成果をもたらしました。
 しかし、罪なき市民が5000人も殺害され、リディツェ村は村人とともに地上から消え去ってしまったのです。
 オサマ・ビン・ラディンをアメリカ軍特殊部隊が暗殺した状況を映画化した『ゼロ・ダーク・ワン』を観ましたが、たとえ暗殺に成功しても物事の大勢がそのことによって変わるということはほとんどありません。かねてよりアメリカは金正恩暗殺計画をもっているという噂があります。朝鮮半島で戦争勃発なんて恐ろしいことは、ぜひやめてほしいです。

樹木たちの知られざる生活

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ペーター・ヴォールレーベン 、 出版  早川書房
森のなかでじっと立っているだけのように見える木が、実は、お互い同士で交信し、支えあっているし、世代交代によって場所を移動しているというのです。さすがは森林管理官だけあって、樹木の生態がよく語られている本です。
木は自分を表現する手段をもっている。それが芳香物質、つまり香りだ。
葉をキリンに食べられたアカシアは、災害が近づいていることを周囲の仲間に知らせるために、警報ガス(エチレン)を発散する。警告された木は、いざというときのために有毒物質を準備しはじめる。そして、それを知っているキリンは、風に逆らって警告の届かない木のところまで歩いていく。
樹木は、どんな害虫が自分を脅かしているのか、判断できる。
樹木には、自分で自分を守る力をもっている。たとえばナラは、苦くて毒性のあるタンニンを樹皮と葉に送り込むことができる。
密集しているブナ林のほうが生産性は高い。密集しているほうが木が健康に育つ。養分や水分をよりうまく分配できるから、どの木もしっかりと生長する。
一本のブナは5年ごとに少なくとも3万の実を落とす。立っている場所の光の量にもよるが、樹齢80年から150年で繁殖できるようになる。寿命を400年としたとき、その木は少なくとも60回ほど受精し、180万個の実をつける。そして、そのうち成熟した木に育つは、たった一本のみ。残りの種や苗は、動物に食べられたり、菌に分解されたりして消えてしまう。
木が若いころにゆっくり生長するのは、長生きするために必要な条件だ。ゆっくり生長するおかげで、内部の細胞がとても細かく、空気をほとんど含まない。おかげで柔軟性が高く、嵐が吹いても折れにくい。抵抗力も強いので、若い木が菌類に感染することもほとんどなく、少しくらい傷がついても、皮がすぐにふさいでしまうので、腐らない。
樹木は助けあいが大好きで、社会をとても大切にする生き物だ。仲間のいない森の外に出ただけで、ブナは生きていけなくなる。
うひゃあ、本当なんですか・・・。ちっとも知りませんでしたよ。
中央ヨーロッパには、もはや本当の意味での原生林は存在しない。もっとも古い森林でも、200歳から300歳だ。とても老木とは言えない。木は年をとればとるほど、生長が早くなる。樹木の世界では、年齢と弱さは比例しない。それどころか、年をとるごとに若々しく、力強くなる。若い木より老木のほうが、はるかに生産的だ・・・。
広葉樹は、1億年前に出現した。針葉樹は、すでに1億7000万年前に生まれていた。
木は昼の長さと気温の組み合せで、それを判断する。
マツ林のなかの空気は、針葉が発するフィトンチッドの働きで、ほぼ無菌である。クルミの木の下にいると、蚊に刺される確率が格段に低くなる。
木について、思う存分に知ることの出来る、知的刺激にみちた本です。
(2017年6月刊。1600円+税)
これはまったく私の独断と偏見なのですが、裁判官のなかには騙されたほうが悪いという考えにこり固まっている人が少なくありません。騙し方はいろいろな形態があるわけですが、型通りの法律論をふりまわして切って捨てようとします。そこには弱者に思いを寄せるという発想が全然みられません。悲しくなります。もっと柔軟な発想で社会の真実を見きわめて、適正妥当な解決を図るという発想を裁判官はもってほしいと思います。
よくしゃべる若手裁判官なのですが、社会を見る目が足りない気がしてなりません。

大航海時代の日本人奴隷

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 ルシオ・デ・ソウザ 、 岡 美穂子
日本人って、昔から案外、海外へ出かけていっていたようです。そのなかには、人さらいにあって海外に売られたという人もいたようですが、それ以外にもいたというのです。日本人の傭兵集団があったり、キリスト教信者が亡命したり・・・、です。多くはありませんが、世界各地に残っている日本人の記録を掘りおこした貴重な本です。
本書に登場するのは、マカオ、マラッカ、マカッサル(インドネシア)、ゴアとコチン(インド)、マドリッド、リスホンそしてセビーリャ(スペイン)。アフリカはモザンビーク、アンゴラ、サントメ、プリンシベ島。南アメリカのリマ(ペルー)、ポトシ(ボリビア)、コルドバとブエノスアイレス(アルゼンチン)、サンチアゴ(チリ)。最後にメキシコのアフカトラン、グアダラハラ、タアナファト、メキシコシティ、アカプルコ、ペラクルス、そしてカルタヘナ(コロンビア)です。このように、世界中、いたるところに日本人の足跡があるのです。
奴隷身分の日本人だけでなく、冒険心、商売人もいたのではないでしょうか・・・。
アメリカ大陸に渡ったアジア人奴隷は、「チーナ」と呼ばれたが、実際には、日本人もいた。
大分で1577年に生まれた日本人奴隷は、誘拐されて長崎へ連れていかれ、ポルトガル人に買われた。子どもの奴隷を買って従者にするのは、富貴と寛大さを周囲に知らしめる証と考えられていた。
長崎にいたポルトガル商人のなかに、実はユダヤ人がいて、キリスト教の異端し審問の対象になっていたというのを初めて知りました。
ポルトガルには、16世紀中ごろから、天正少年遣欧使節の到着より前から日本人が存在していた。1570年代初め、10歳にもならないに日本人少女マリア、ペレイラがポルトガルに到着し、20年のあいだ家事奴隷として仕えたあと、自由の身になったという記録がある。
マカオには、日本人女性だけでなく、日本人男性も少なからず存在した。船の乗組員にも日本人男性がいた。
長崎の頭人から町年寄へと出世した町田宗賀は若いころ、自分でジャンク船を操って海外貿易に従事する船長であり、マカオにも出入りしていた。
マラッカには、1600年ころ、町の警備役として、マレー人兵のほか、日本人傭兵がいた。関ヶ原の戦いのころのことです。
1608年ころ、ポルトガル人に仕える日本人傭兵に加え、マカオに到来する日本人奴隷の数が増加した。そして、マカオ事件が起きた。1614年、マニラに33人の教会関係者と、100人の日本人が到着した。宣教師が日本から追放され、一緒に日本人キリシタンたちがやってきたのだ。マニラにいた日本人は、1595年に1000人をこえていた。そして、1619年には、日本人コミュニティは、2000人、1623年には3000人以上となっていた。
インドのゴアにも、多くの中国人と日本人がいた。
世界中の記録をよくも丹念に掘り起こしたものですね。スペインには、今もハポン(日本)の姓の人々がいるそうです。恐らく、昔の日本人の子孫なのでしょうね。世界は広いけれど、案外、狭いものでもあるようです。
(2017年4月刊。1400円+税)

宮沢賢治の真実

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 今野 勉 、 出版  新潮社
宮沢賢治と妹トシについて、丹念に事実を発掘していて、その苦労の成果にしばし言葉が出ないほど圧倒されました。
賢治の妹、とし子は、小学生のときから学業成績が抜きんでていて、花巻高等女学校では、生徒総代として送辞、卒業生総代として答辞を読んだ。そして、日本女子大の家政学部では、最終学年では、病気のため3学期の授業をすべて欠席したが、卒業が認められた。艶(つや)めいた話もないまま病気のために24歳で亡くなった。私も、そう思っていたのですが、この本を読むと、それが、とんでもないのです。地元新聞に独身の音楽教師との仲を連載で書きたてられていたというんです。うひゃあ、本当なんですか・・・。
大正4年3月20日、岩手民報は、「音楽教師と二美人の初恋」と題する記事の連載を始めた。教師や女生徒は仮名だったが、H学校が花巻高等女学校を指しているのは明らかだった。卒業式前日までの3日間の記事は、とし子の心に致命傷を負わせた。このことを、賢治は、あとになって知るのでした。
そして、賢治自身は、同性の友人・保阪を「恋して」いたというのです。
この本は、賢治の本の一節、そして、詩を抜き書きして解説するだけでなく、その舞台となった現地に自ら行って、そこで考えていることに大きな特徴があります。
400頁にも及ぶ大著です。宮沢賢治をめぐる世界をさらに深く認識することが出来た気がします。著者は私より20年も年長です。読む前は、警察小説の著者かと錯覚していました。
宮沢賢治の深読み本の一つとして、賢治に関心ある人には一読を強くおすすめします。
(2017年6月刊。2000円+税)

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